真のお母様の無原罪性と重生(文書資料)


講義内容の要点
  • (1)お父様は「独生子」1500回、「独生女」180回言及された
  • (2)夫婦関係では「血統」は繋がらない。血統の連結は父子関係
  • (3)堕落とは、サタンと「偽りの父子関係」を結んだこと
  • (4)「渋柿の根っこから取ってきた」「堕落圏で探す新婦ではない」という2種類の御言がある理由
  • (5)肉的堕落を清算した立場で現れたお母様は「神の血統」である
  • (6)霊的堕落したエバの蕩減を完全勝利された真のお母様
  • (7)真のお母様は「神様の独り娘(独生女)」である
  • (8)聖酒式は「内的血統転換」、三日行事は「実体的血統転換」

 真のお母様は、2014年以降「独生子」と「独生女」について何度もみ言を語っておられます。この「独生子」とは、神様の「独り子」のことであり、「独生女」とは神様の「独り娘」という意味です。

 真のお父様は、「独り子」というみ言を1956年4月8日に最初に語られてから1500回程度言及されています。一方、「独り娘」というみ言も1959年10月11日、聖婚6か月前に初めて語られてから180回程度言及してこられました。基元節以降、このみ言が繰り返し強調されるということは、私たちがその意味を深く悟り、真の父母様の勝利圏と伝統を受け継いでいくという摂理的な意味があることと思います。

 それでは、真の父母様は人類に何を相続するために来られたのでしょうか?それは、「み言」を通して「真の愛」を相続させることであり、「祝福」を通して「真の血統」を相続させるためだったのではないでしょうか。み言を確認してみましょう。

「血統は、父母が子女だけに与え得る特権中の特権です。しかし、堕落によって彼らは、サタンの偽りの血統を受けて、サタンの子女に転落してしまいました」(『平和神經』39ページ)
 このように、血統は父母が子女だけに与え得る特権中の特権ですと表現されています。血統は夫婦関係や兄弟関係、さらには師弟関係など、どんな親密な関係だとしても相続させることはできません。まさに、神様の血統は神様を代身する父母を通してのみ受け継ぐことができるということです。血統に関するみ言を紹介します。
「アダムとエバの堕落以来、長い歴史を通して神様の胸に最も痛む恨として残されてきたものが何であるか、御存じでしょうか。それは、天の血統を失ってしまい、兄弟圏と所有権まで失ってしまった事件です。生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(『平和神經』28ページ)
 このように、血統とは愛よりも生命よりも重要であると強調されています。そうすれば、神様の愛を受け継ぐことや神様の生命を受け継ぐことも重要ですが、それ以上に神様の血統を受け継ぐことが最も重要であるということです。
 真のお父様の青年時代、数年にわたる祈祷と真理探究の中で悟られた内容が次の内容でした。「神様と私たちは父と子の関係である。それゆえ、神様は人類の苦痛をご覧になって、あのように悲しんでいらっしゃるのだ」(『平和を愛する世界人として』88ページ)ということでした。まさに神様と人間は親子関係であり、私たち人間は「神様の子女」の立場でした。このような「真の父子関係」こそ、本然の姿でした。しかし、人間始祖アダムとエバは「堕落」し「原罪」を持つ堕落人間となってしまいました。
 では、何ゆえに原罪を持つようになったのでしょうか? それは堕落論にもあるように、神様の願わない「不倫・淫行・姦淫」という偽りの「夫婦関係」を結んだことが原因でした。これらの理解を深めるために次のみ言を紹介いたします。
「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません」(『訪韓修練会御言集』12ページ)
 このように、縦的愛である親子関係は血統的につながるけれど、横的愛である夫婦関係は血統的につながらないと表現しておられます。例えば、夫婦と3人の子供という5人家族がいたとしましょう。この中で唯一、血統的につながっていないのが夫婦です。夫婦は結婚を通して、同居し、戸籍を一つにして、苗字を同じにすることはできても、血統までは同じくすることはできません。いくら性関係を結んだとしても夫の血統が妻に移ったり、妻の血統が夫に移ったりすることはありません。お父様がみ言で語っておられるように、血統は親子関係を通してのみ伝授されることが可能です。
 では、先ほどの堕落の原因を考えた時、不倫や淫行・姦淫という偽りの夫婦関係であると注目しました。しかし、このような横的愛では血統的につながらないという先ほどのみ言に照らし合わせてみると、それが神の血統を失う結果を直接もたらしたわけではありません。堕落によって人間がサタンの血統に繋がったのは、どこまでも人間が「サタンの子女」になり、「偽りの父子関係」を結んだことであるということができます。それに関して、次のようなみ言があります。
「堕落の責任は、サタンを中心としてエバから始まり、アダムに移りました。すなわち、偽りの生命の種を受けたエバの立場からすれば、神様に代わってサタンが父の位置でエバと一体となって、アダムを生んだ立場となり堕落がなされました。こうしてエバは、天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落した」(天一国経典『平和經』908ページ)
 このように、天使長とエバの関係、およびエバとアダムの関係は、横的愛の関係を結んだだけに見えますが、実は堕落したエバは「偽りの母」としてアダムを生んだ立場になって堕落したというのです。まさに、天使長とアダムは父と息子、すなわち偽りの親子関係を結んでしまったということです。ですから、神との「真の父子関係」から、サタンとの「偽りの父子関係」に転換したことが堕落であり、その血統は、親子関係でのみ受け継がれるものなので、結局、堕落とはサタンを中心とした「血統転換」ということなのです。

 それでは、改めて堕落の経路と原罪について確認してみましょう。
 堕落とは、エデンの園において、天使長とエバの関係から出発しました。この堕落を「霊的堕落」といいます。その後、堕落したエバとアダムの関係においてなされた堕落が「肉的堕落」です。『原理講論』において原罪を次のように定義しています。「原罪」とは「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪」(『原理講論』121ページ)とあります。このように、霊的堕落と肉的堕落を合わせて原罪と表現しているのであって、霊的堕落だけでは原罪は生じないということです。何故かというと、霊的存在である天使長との霊的堕落だけでは、エバは天使長の「子女を産むこと」ができず、「繁殖は不可能」だからです。すなわち、霊的堕落だけでは「血統を残すことはできない」ということです。

 『原理講論』で論じられているように、「霊的堕落」のみの時点において、堕落エバに対する救いの摂理は〝ごく容易〟でした。もし、その段階で、堕落エバに対する救いの摂理が成就されていたならば、その後、復帰摂理歴史を通じて行われた「血統復帰」の摂理や、血統転換などは不必要だったのです。なぜなら、その「エデンの園」には、無原罪であり、堕落していない「完成したアダム」が存在しているからです。しかし、結果的にはアダムまで堕落してしまいました。それに関して『原理講論』には次のように示されています。
●「・・・しかし、アダムまで堕落してしまったので、サタンの血統を継承した人類が、今日まで生み殖えてきたのである」(『原理講論』P111)
 このように、アダムまで堕落したのでサタンの血統が継承されたのであり、アダムが堕落しなかったらその血統は継承されなかったということです。事実、精子と卵子が出合ってこそ生命体として結合するのであり、そのとき血統が連結されるのです。

 さて、真のお母様は2014年7月1日に次のようなみ言を語られました。
「血統転換、私は母胎からなのです。皆さんはそれを信じなければいけません」(真のお母様のみ言 2014年7月1日)
 このみ言を通して、今まで深く論じてこなかった真のお母様の血統について考えるきっかけになりました。真のお母様は、生まれる前から神様の血統として生まれて来られたのか、それとも真のお父様と出会われてから血統転換されたのかという二つの観点があります。真のお父様のみ言を見ても二つの観点があります。「お母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです」というように、お母様の血統は渋柿に比喩されているサタンの血統から切って来たというような表現があります。一方、「新郎であられる主がこの地上で捜される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落しない純粋な血統を持って誕生した方を捜すのです」。このように、「堕落圏内で探すのではない」「堕落しない純粋な血統」という、まさに神の血統を持たれた方という表現もあります。なぜ、二つの観点の表現があるのでしょうか? 今一度、堕落の経路と復帰摂理について確認してみましょう。

 エデンの園において霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪、すなわち原罪を犯すことによって、アダムとエバはエデンの園から追い出されました。これが神様の愛と血統圏にあるエデンの園を失ったという「失楽園」です。しかし、復帰摂理において2000年前のイエス様の誕生や現代における真のお父様の誕生は、全く新しい時代を迎えたことを意味します。何故ならば、「無原罪のアダムが誕生した」という重大な意味があるからです。
 人類歴史の出発点を大きく三つに分けるならば、「アダムとエバのどちらも堕落していない時」と「アダムは堕落していないけれどもエバだけ堕落した時」、さらには「アダムとエバ、どちらも堕落した時」がありました。アダムとエバがエデンの園から追い出されたのは、どの時点かというとアダムとエバ、どちらも堕落した時点でした。まさに、エバが堕落したとしてもアダムが堕落していない時は、まだ二人はエデンの園の圏内にいました。それは神様の血統圏内だったからです。
 もう一度、話を戻しますが、イエス様や真のお父様が無原罪で誕生したということは、神様の血統圏内に復帰されたということであり、エデンの園が復帰されたことを意味します。そうすれば、無原罪の完成したアダムを地上に遣わすことができたということは、その相対であるエバも地上に復帰されたエデンの園に現れることができたということです。その瞬間は、「アダムは堕落していないけれどもエバだけ堕落した時」です。そのエバの存在は、霊的堕落の背景があったとしても、肉的堕落を清算した土台の上で誕生しているのです。まさに、「霊的堕落のみ」のときの環境圏が復帰されていたということです。その時のエバは、霊的堕落を清算する立場であるという観点から見れば「渋柿の根から切り取った立場」であり「堕落圏から復帰された立場」ということができます。しかし、肉的堕落を清算した立場とは失楽園前の、神様の血統圏であるエデンの園に復帰された立場であり、その圏内は「堕落していない純粋な血統」ということもできるのです。このように両面のみ言があるのは、このような背景から説明することができます。

 真の父母様について改めて整理してみましょう。真の父母様は1960年にご聖婚され、真の父母の立場に立たれました。その真のお父様はどのような立場で生まれたかといえば、当然「無原罪の神様の血統」として誕生されたお方です。一方、真のお母様はどうでしょうか? 真のお母様は真のお父様と違って、堕落圏から復帰された立場というみ言もあるために、理解し難い立場でもあります。しかし、先ほど紹介したみ言にあったように、「縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません」ということは、真のお父様との夫婦の関係だけでは血統がつながらないということです。そうすれば、真のお母様も誕生した時点から神様の血統を持っておられたと見るしかありません。「生む」とか、「生み変える」という使命を持っているのは、女性の役割、使命であり、男性が生み変えることはできません。その男性がメシヤ、再臨主だとしても「重生」の役事においては、そこに、どうしても女性が必要です。もしアダムが結婚し、単に性関係を結びさえすれば、それで「血統」が繋がる、血統転換がなされると言うなら、それこそ「血分け」の論理となってしまいます。

 もし、それが復帰摂理であったなら、イエス様も、真のお父様も、全人類の女性と結婚し、ただ性関係を結んでいきさえすれば良いということになって、復帰摂理は違ったかたちで展開したことでしょう。しかし、それは堕落の「反対の経路」になっていません。それゆえ復帰にならないのです。このような観点から見るならば、真の父、真の母という存在は生まれた時点から神様の血統を持っていなければ真の父母に立つことができないということです。ですから、真のお母様は無原罪のかたであり、神様の血統ということです。
 「独り娘」についてのみ言を紹介いたします。
「独り子が一人で暮らしたなら大変です。独り娘(独生女)がいなければなりません。それで、独り娘を探して、神様を中心として、独り子と独り娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。……それが『小羊の婚宴』です」(八大教材・教本『天聖経』176~177ページ)
 このように、独り子が独り娘を探して結婚したのが小羊の婚宴であるというみ言から見れば、真のお母様は真のお父様に出会う前から独り娘だったということです。

 しかし、1960年のご聖婚は「長成期完成級」でのご聖婚でした。エバが通過できていない完成期を越えていかなければならないからです。そのエデンの園におけるエバが通過することができなかった7年路程という完成期を通過して成長期間を全うしてこそ、勝利した人類の「真の母」となることができたのです。真のお母様の歩みに関するみ言を紹介いたします。
「その7年間は女として絶対服従し、神様の前に試練を克服した蕩減条件を立てて、先生の前に相対的な基準を完全に備えなければならないのです。… …女性として、人間の世界で受けるべきすべての苦衷を味わい、神様の御旨を中心として消化し、克服して越えなければならない期間である」(1974.12.15)
「お母様は、真の母になり、真の妻になり、真の娘になる、その三つをすべてしなければなりません」(1992.7.10、天一国経典『天聖經』164ページ)
 このように、霊的堕落したエバの蕩減である神様を裏切り、天使長を正しく主管できず、アダムを裏切ったことを清算しなければならない路程がありました。そのエバの歴史的罪を蕩減復帰され、1968年1月1日に「神の日」を迎えることができました。そして、真の父母という位置が確定されていったのです。ですから、堕落による「偽りの父子関係」から「真の父子関係」への復帰は、必ず「真の父母様」が存在しなければ成り立たないということです。2000年前のイエス様の時も、真のお父様の時も、独り娘として神様から準備されて生まれた女性は複数いましたが、神様の直接主管圏まで通過して勝利されたのは真のお母様のみでした。そういう意味では神様の独り娘と表現することができます。

 その勝利を全人類に相続させる儀式が祝福式です。その祝福式の意義や恩恵について確認してみましょう。
 堕落した人間始祖アダムとエバは「偽りの父母」となりました。霊肉共の堕落による血統的な罪である原罪を受け継いだのが堕落人間です。その一点で、常にサタンの讒訴を受ける立場になってしまいました。しかし、サタンを屈伏させ、勝利した人間始祖である真の父母様の顕現によって時代は変わりました。蕩減復帰から相続の時代に移り変わったのです。聖酒を通して血統転換することができる時代です。堕落とは反対の経路で復帰するように、天使長を屈伏させることができた真のお母様を通して、真のお父様に渡された聖酒を女性に渡され聖酒を飲むことになります。これはメシヤの妻になって接ぎ木されることを意味すると同時に、「真の父母の娘」として真の父子の関係が決定されることでもあります。また、男性は復帰された天使長であると同時に、「真の父母様の庶子」として復帰されたことになります。
 さらに、聖酒式の後に行われる「三日行事」における意義を確認してみましょう。聖酒式後の女性は「メシヤの妻」の立場となり、男性は「天使長」の立場です。1日目の行事の後は、母を通して男性は蘇生段階の息子として生まれた立場になり、2日目の行事の後は、母を通して長成段階の息子として成長した立場になり、3日目の行事の後は、本然の夫婦として出発できるようになります。このように、聖酒式も三日行事においても、夫婦の契りを結ぶ儀式であると同時に、神様との「真の父子関係」を復帰する儀式だったということです。

 祝福行事とは、聖酒式、結婚式、蕩減棒、さらには聖別期間を経て行われる三日行事の一連の内容を総称して表現されています。その中で「血統転換」はいつの時点で成されるのでしょうか? 聖酒式でしょうか? 三日行事でしょうか? かつて「聖酒式」を「霊的血統転換」と表現して、「三日行事」を「実体的血統転換」と表現することもありました。しかし、真の父母様のみ言に基づいてみると、それは適切な表現ではなく、誤りであることが分かりました。み言を確認してみましょう。

聖酒には何が入っているかといえば、父母の愛を象徴するものが入っています。そして血を象徴するものが入っていなければなりません。ですから、それを飲めば父母の愛と一体となり、また血と一体となります。このようなことが聖酒の内容なのです。それでは、聖酒はどのようにつくられるでしょうか。それは地と海と天を象徴し、全体を象徴するものからつくられた酒です。聖酒には三種類の酒が入っています。それ以外にすべての万物を象徴するものが入っています。これを飲むということは、霊的に生まれ、肉的に生まれることを意味します。 (『祝福家庭と理想天国Ⅰ』913ページ)
 このように聖酒式は「霊的に生まれ、肉的に生まれる」と表現されているように、霊肉共の堕落を清算する儀式だということです。聖酒を飲む順番を見れば分かるように、最初に霊的堕落を清算するために女性が飲み、肉的堕落を清算するために女性を通して男性が飲むように、両方の清算をしています。ですから、聖酒式で血統転換が成されるということができます。しかし、三日行事はどのような意味があるのでしょうか? み言を確認してみましょう。

約婚式と聖酒式は、サタン世界で生まれた人間が、真の父母によって再び生まれるという条件を立てる蕩減儀式なのです。女性が先に堕落したので、女性が先に復帰され、男性を再び産むようにする過程を内的に通過する式が聖酒式なのです。そして結婚して四十日以後に、それを外的に通過する式があります。これらが全部蕩減儀式なのです。(『祝福家庭と理想天国Ⅰ』922ページ)
 このように、聖酒式が「内的に通過する式」であるというならば、三日行事は「外的に通過する式」と表現されています。ですから、正確に定義するならば、聖酒式とは「内的血統転換」の儀式であり、三日行事は「実体的血統転換」の儀式ということができます。さらにその違いを理解するために、もう一つみ言を確認いたします。

「復帰は二人のエバが必要なのです。堕落した立場から復帰したエバ(お母様)と、新しく決めたエバ(祝福を受ける女性)です。これが二人いるのです。こちら(お母様)が正妻だったら、(祝福を受ける女性は)妾の立場です。原理からすれば、一人の男(メシヤ)が二人の女とつきあうことはできないから、妾(祝福を受ける女性)の旦那さんに、アダムを接ぎ木して、ハンダ付けしてつくってあげるのです。」(1994.1.2)
 このように、聖酒式を通して女性は真の父母様と一つになることによって「接ぎ木」が成されます。しかし、聖酒式だけでは男性の接ぎ木は完了されていません。条件的に庶子として生まれ変わっただけであり、その立場を条件的に接ぎ木したという意味で「ハンダ付け」というユニークな表現を使っておられます。その後の三日行事を通して初めて男性の接ぎ木が完了するということです。

 このように、祝福とは神様を中心とした永遠の夫婦としての出発だけではなく、神様との「真の父子関係」を決定する瞬間でもあります。その瞬間は、神様の血統の相続であり、神様の愛の相続でもあります。人間始祖の立場におられる真の父母様の価値をより深く理解すると同時に、祝福の意義を理解することが必要です。それが、神氏族メシヤとして使命を果たしていく出発点にもなります。