真のお父様が、真のお母様の「立場」の理解について、二通りの御言を語られている理由

 ―― お父様が、お母様は「堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」と語っておられるのに、「エバを堕落圏から復帰して再創造し」とも語っておられる理由について

(文責:教会成長研究院)

 

 教会成長研究院の見解として、以下に述べるように、その理由には二つあります。
 一つ目は、真のお母様になるように神様に予定されて生まれられる「独生女」は、「肉的堕落」の罪を清算した基台の上で、「エデンの園」に現れた女性ですので、「無原罪」としてお生まれになっています。すなわち、神の血統をもって生まれておられます。
 したがって、真のお父様は、真のお母様に対して「堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」「罪の因縁とは全く関係のない処女」等々と語っておられるのです。

 しかし、無原罪であると言っても、エデンの園でエバが犯した「霊的堕落のみの罪責」は背負っておられるために、一方においては、真のお母様について「渋柿の根っこから切って取り返してきたもの」とか、「エバを堕落圏から復帰して再創造し、善の娘として立ったという基準に立てなければならない」という、真逆とも言えるような御言も語っておられるのです。
 すなわち、エデンの園におけるエバの「霊的堕落のみの罪責」は背負っておられるがゆえに、1960年のご聖婚は「長成期完成級」の位置であり、そこから「7年路程」を通過して行かれたのです。
 ただし、このことは、真の母となられる女性が「霊的堕落」をしているという意味ではなく、あくまでも“エデンの園”においてエバが勝利することができなかった歴史的蕩減問題である「霊的堕落のみの時の救済摂理」を、真の母となられる女性が“代理蕩減”しておられるという意味に過ぎません。

 さて、『原理講論』は、原罪について「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪」(121ページ)と定義しています。つまり、原罪とは「霊的堕落」と「肉的堕落」の両方の罪を指して、原罪と言います。
 復帰された「エデンの園」のなかで、アダム(メシヤ)が再創造する「独生女」は、「霊的堕落」の罪責のみが問われる立場であるために、それを『原理講論』の原罪の定義に当てはめると、“無原罪”であるということになります。
 私たち堕落人間の場合は、「霊的堕落」「肉的堕落」の両方の罪を背負って生まれてきている立場であるために、原罪をもっていますが、「独生女」の場合は、エデンの園にいるアダムの相対者として、「霊的堕落」の罪しか問われない立場であるため、無原罪なのです。

 二つ目の理由は、たとえメシヤであっても、また、独生女であっても、すべての人間は、「堕落の血統」の中から生まれてきているためです。事実、イエス様も、真のお父様も、血統的に見るならば、堕落の血統の中から生まれています。
 イエス様の実父・ザカリヤも、実母・マリヤも原罪をもっていますし、真のお父様の実父・文慶裕氏も、実母・金慶継女史も原罪をもっています。すなわち、すべての人間は、たとえメシヤであったとしても、堕落の血統からお生まれになっているのです。
 それと同様に、独生女であられる真のお母様も、無原罪、かつ神の血統でお生まれになりますが、堕落の血統(実父の韓承運氏も、実母の洪順愛女史も原罪をもつ)の中からお生まれになっておられるのです。
 それゆえ、「お母様も堕落した天使長の血統を受けた人です」という2003年10月1日の御言などが語られることにもなります。
 しかしながら、メシヤ(独生子)や、その相対である独生女は、原罪をもつ他の人間とは違って、無原罪であり、人間始祖の立場でお生まれになるために「堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」「韓鶴子氏は? 真の母だというでしょう? いくら見ても目も二つ、鼻も同じなのに、何が違いますか? 根が違うのです、根が」という、真逆とも言える御言が語られているのです。

 ちなみに、マルスム選集の原典で「お母様も堕落した天使長の血統を受けた人です」の確認を取ると、原文は、次のようになっています。

 「お母様も堕落した天使長の血統を受けた人です。先生までもそうです、先生までも。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で再創造しなければなりません」(マルスム選集、419-102、2003年10月1日)

 このように、メシヤ(イエス様、お父様)であれ、独生女であれ、堕落した血統の中からお生まれになっておられるために、上記のような御言が語られているのです。
 しかしながら、前述したように、お父様も、お母様も人間始祖の立場でお生まれになっておられるため、我々堕落人間とは「根が違うのです、根が」ということになるのです。
 以上、述べてきたように、二つの理由から、二種類の異なった御言が語られています。