三、広義昭氏の「中和新聞記事への反論」(その3)を論駁する ― 「祝福二世の無原罪」について


岡本達典氏らは、「統一教会の組織がおこなった現在までの教育によると、条件祝福家庭の親から生まれた子供たちは『原罪が無い。』と教えてきた。しかし、それは誤りではないか?文鮮明先生の御言集には、どんなに探しても、条件祝福家庭の子供たちが原罪のない立場で生まれるという御言はないが?」(『95+13ヶ条の提題』27頁、『100ヶ条の提題』96~97頁)と主張しています。

そこで、私たち(森・可知・竹内)は、「このようにして誕生した私たちの子女たちは、原罪がないので、救いの過程を通らないで天国に行くようになります」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』690頁)という御言があると指摘し、反論しました。
すると、岡本言説を弁護する広義昭氏は「第4イスラエル研究会」のホームページで、「中和新聞記事への反論(その3)」と題し、私たちの主張は「都合の良い一部のみを使って」「一般信徒の純真な信仰を欺く」と述べ、罵声を浴びせています。

そして、「蕩減復帰の公式路程を歩みきり、新生(重生)され、『私たちが完全な新しい生命として再創造され、根本的に再び生まれる』という立場に立ち得た本然の祝福家庭であれば、当然『原罪』が清算されていなければなりません」とし、彼らが信奉する第4アダムの「本然の祝福」による原罪清算という言説を披瀝した上で、「お父様は、私たち(現在の祝福家庭)がそのように完全な新しい生命として再創造された立場であれば、その父母から生まれてくる子女は『原罪がない』といわれているのであって、現在まで統一教会で行われてきた儀式的に祝福式に参加しただけの、未完成状態の“条件的祝福家庭”から生まれた子女は、当然『原罪』が残っているということになります」と反論します。

この広氏の反論に対し、下記のように応答します。

 

(1)広氏は「未完成状態の“条件的祝福家庭”」を誤解している

前述の諸点を考察すると、広氏の見解は「原罪清算は第4アダムによる本然の祝福による」という前提に立って、御言を意図的に解釈し、話を組み立てていることが分かります。

文先生の「原理の本」(『原理講論』)の視座から見れば、原罪清算する位置は、もともと未完成状態の「条件的祝福」の位置(長成期完成級)なのであり、完成基準の「本然の祝福」の位置なのではありません。

 

(2)蕩減路程(公式路程)と、「原理の道」の相違の認識がない

広氏は「都合の良い一部の御言を使って」と、私たちに罵声を浴びせますが、「祝福二世
の無原罪」について、文先生(真の父母様)は、次のようにも語っておられます。

「皆さんは蕩減路程を経なくては、神様の前に出られません。しかし、祝福された息子・娘は、条件なくして出て行くことができるのです。質が違います。堕落した後孫たちであるため、皆さんは堕落した世界の根を中心として生まれて、接ぎ木してもらって結実した実です。すべての根は、サタン世界にそのままあるというのです。しかし、皆さんの息子・娘たちは、神様を中心とした新しい実なのです。神様が根であり、真の父母が根となって現れたその息子・娘を抱くことは、マリヤがメシヤを抱いたよりも高貴だということを知らなければなりません。皆さんが生んだ息子・娘は、神様が4000年間準備して送ったイエス様よりも勝るのです。イエス様のお父さんとお母さんがいるとすれば、祝福を受けて懐妊したでしょうか。皆さんの子女たちは、真の父母を通して祝福を受けて生まれたのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』1284頁)。

このように、一世は「蕩減路程」(縦横の八段階)を経なくては、神様の前に出ていくことはできません。しかしながら「祝福二世」に対し、この御言においても「条件なくして出て行くことができるのです」(救いの過程を通らないで天国へ行く)と語っておられます。そして、二世は「質が違い」、「神様を中心とした新しい実」、「神様が根であり、真の父母が根」、「マリヤがメシヤを抱いたよりも高貴だ」と述べておられるのです。祝福二世が無原罪であるというこれ以上の賛辞があるでしょうか。

岡本言説を弁護する広氏には、一世が行く「復帰の道」(蕩減路程)と、二世が歩む「原理の道」の相違についての認識が欠如しているのです。

ところで、「すべての根は、サタン世界にそのままある」と言われる「根」とは何でしょうか。それは「非原理的な愛」のことです。「根」についての議論はここでは省きます。

 

(3)「過去の意識」(自ら生きた文化背景の服)について

ところで、一世の親も二世の子女も、世俗化し、上述の無原罪という御言に対する自覚が薄いため、文先生は「堕落していない本然の血統と因縁を中心とした基準で見た場合」には、「皆さんが愛した息子、娘、皆さんが愛した妻」は「めちゃくちゃです」と語っておられるのです。

言い換えると、祝福によるメシヤとの「真の愛の因縁」(血統転換)の意義と価値(死亡線を越え、サタン主管圏から解放・釈放されたこと)を忘れて、そして完成基準(神様の直接主管圏=天国)に上がるために、メシヤの家庭に侍らず、自己中心的に生活して世俗化しているので、「めちゃくちゃです」と言われたのです。

しかし、「原罪がある」と言われているのではありません。原罪(人間始祖が犯した血統的な罪)を自ら脱ぐことはできませんが(聖酒式で、すでに血統転換しているが)、この世の「文化背景の服」は自分で着替えることができるのです。

それで文先生は「天国に行こうとするならば、自らが生きた文化背景の服を、真の父母様の血統的因縁を中心として、すべてを着替え、そしてご父母様の国を通じなければ、天国に行く道がありません。そうですか?あなたたちの思いのままに行くことができますか?二世であれ、何世であれ、同じです」(「ファミリー」1999年10月号37頁)と語っておられるのです。

今は「真の家庭」の三代圏の安着の時であり、天国実現が近づいているので、「真の父母」と一つになるために、一世も二世も「自ら生きた文化背景の服」(過去の意識)をすべて「着替えなさい」と語っておられるのです。

 

(4)「成約は『侍義』の時代である」とは?

御言に、「成約時代は、侍ることで救われるのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』698頁)、「先生の心情的世界に入っていかなければなりません」(同、700頁)、「純粋にご父母様の愛によって完成するのです」(同、745頁)とあります。

祝福されれば即、人格完成し、自分が完成基準にあるものと錯覚して、自己中心的に動き、メシヤの家庭に侍らない家庭では、完成できません。神様の心情と事情が分からず、神様から離れ、心と体が分裂しているのです。そのような家庭に対し、「それが神様の息子ですか、神様と関係のない人です。深刻な問題です」と警告しておられるのです。

文先生の「真の家庭」(アダム家庭)に侍らない「第4イスラエル研究会」の諸氏に対しても、警告されているのです。

 

(5)「神様が理想としていた血統に連結していない」とは?

「皆さんが先生の直系の子女だと思うことは、大きな錯覚です」(『天聖経』「真の家庭と家庭盟誓」2586頁)、「神様とあなたたちは、本来神様が理想としていた血統が連結されていなかったのです」(「祝福家庭18号」2000年秋号、49頁)

上述の御言にあるように、広氏は「条件的祝福家庭」は神様の血統に連結していないので「原罪が清算されていない」、「サタンの血統のままである」と言います。

「本然の血統」とは堕落していない血筋のことであり、それは「真の父母様」と「直系の子女様」(王族)をいうのです。

私たち祝福家庭は「皇族」であって「王族」(直系)ではありません。したがって、祝福家庭は、庶子として血統はつながっていますが、本来の神様が理想とした血統に連結していません。しかし、原罪(サタンの血統)が清算されていないと言われているのではありません。皇族と王族は、共に「神様の下の一つの家族」です。祝福は万民救済です。