【第3弾】 神山威氏の講演内容の誤り、及び御言解釈の誤り


(注:神山氏側の発言内容は「茶色」で、
真の父母様の御言、及びすでに発表した
公式見解は「青色」で表示しています)

神山威氏は、2014年6月18日に、韓国・釜山でのUCI(いわゆる「郭グループ」)の集会で講演をし、日本でも教会責任者等の制止を聞かずに同年9月21日の講演会で公開した天一国経典『天聖経』の批判、真のお母様に対する批判、および後継者問題等に対する〝自説〟を、その後も繰り返し主張しています。

すでに、神山氏の講演内容の問題点を指摘した「第1弾」(「真の父母様宣布文サイト」同年9月24日公開)、および「第2弾」(同、10月3日公開)の〝公式見解〟を無視して、なおも真のお母様批判を展開しています。

 

神山氏は講演会で真のお母様批判をしながらも、自分が如何なる〝立場〟(スタンス)に立って批判しているのかを明確にしようとしませんでした。そこで、2014年12月29日付の「神山威氏へ『誠意のない対応はやめてください!』」の掲載文で、「神山氏は、自分が教会の信者であるというならば、9月17日の『世界公文』に対して、自らの真の父母様に対する姿勢、世界本部に対する姿勢について明らかにすべきです。また、真のお父様が、神山氏に対して語られた顯進様に対する姿勢についての直接の警告、さらに『真の父母様宣布文サイト』に掲載した真の父母様が顯進様に対して教会財産の返還を指示された『宣布文』に対しても、自らの立場を明確にすることが最優先されるべきことであると考えます」と追及したところ、神山氏は「私は……統一教会信者である必要はありません」(神山氏「日本統一教会の声明文に対する反論」)と表明しました。

これは、本人の発言による実質的な「脱会表明」であり、真の父母様を中心とする世界本部の指示に従う気持ちは〝一切ない〟という意味であると受け取らざるを得ません。この本人による実質的な「脱会表明」を受けて、以下、神山氏の講演内容及び御言解釈の誤りを、さらに明確にしていこうと思います。

 

(1)天一国経典『天聖経』の編纂は、御言の改竄(ざん)ではありません

真のお母様が天一国経典を編纂されたことに対して、神山氏は、「お父様が遺言として残したみ言を変えてしまう? それはないでしょう。……平和神経が平和経に、お父様が愛された黒表紙の天聖経が赤表紙の天聖経に、そして父母経?? 話になりません」と言って、今なお、しつこく批判しています。何度も言いますが、真のお母様は八大教材・教本『天聖経』に対して、改竄などしておられません。

 

八大教材・教本『天聖経』と天一国経典『天聖経』は、明確に区別されているのであり、また、『平和神経』と『平和経』もその名が示すとおり、明確に区別されています。事実、八大教材・教本『天聖経』は、今もなお授かった各家庭で大切に保管されており、貴い御言として訓読されています。

八大教材・教本『天聖経』も天一国経典『天聖経』も、どちらも真のお父様の御言です。真のお母様が編纂された天一国経典は、八大教材・教本『天聖経』と同様に、真のお父様の御言(「文鮮明先生御言選集」)を主題別(注:13のテーマと祈祷)に編纂したものであり、真のお父様の御言そのものです。

 

ところが、神山氏は、徳野英治会長が天一国経典『天聖経』を「天聖経増補版」と表現したことをもって、「あなたはお父様の『天聖経』が、『永遠の経典』と信じないのですか?」(神山氏「公開質問状3」)と批判し、まるで八大教材・教本『天聖経』を蔑(ないがし)ろにし、廃棄でもしたかのように述べています。徳野会長は、「八大教材教本『天聖經』は重要です」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』天一国2年天暦10〈2014年陽暦12月号〉16ページ)と明言しているのであって、蔑ろになどしておりません。

徳野会長は、「八大教材教本『天聖經』は重要です。ところが、八大教材教本『天聖經』には、2000年以降のみ言が掲載されていないのです。これらの欠落しているみ言を整理して、より完璧なものを作りたいという動機で、天一国経典『天聖經』が編纂されたのです。真のお父様のみ言を大切にするお気持ちが誰よりも強いのは、ほかならぬ真のお母様です」(同)と述べており、八大教材教本『天聖經』と天一国経典『天聖經』を明確に区別し、しかも、「八大教材教本『天聖經』は重要です」と明言しているのです。

 

ところが、神山氏は、徳野会長の言葉を正確に引用せず、「八大教材教本は重要です(が)、2000年以降のみ言が掲載されていない(ので)、より完璧なものを作りたいという動機で、天一国経典『天聖經』が編纂された」(神山氏「公開質問状3」)と変更しており、徳野会長の原文は、「八大教材教本『天聖經』は重要です。ところが、八大教材教本『天聖經』には、2000年以降のみ言が掲載されていないのです。これらの欠落しているみ言を整理して……」となっているのに(注:太字ゴシック部分を欠落させて)、文言を勝手に省略しています。そのように省略することで、徳野会長が、八大教材教本『天聖經』と天一国経典『天聖經』を区別せずに、八大教材教本『天聖經』を天一国経典『天聖經』に改竄しているかのように印象付けようとしています。これは、悪意のある引用だと言わざるを得ません。徳野会長は、初めに「八大教材教本『天聖經』は重要です」と述べているのであって、それを重要視しています。

 

真のお母様が、「天一国経典」を編纂された目的は、真のお父様の語られた「御言」とその生涯路程における輝ける「業績」を、未来永劫にわたって全人類に伝承していくところにあります。

ところで、八大教材・教本『天聖經』には、2000年以降の真のお父様の御言がほとんど収録されておりませんでした。真のお父様は、2011年天暦1月1日(陽暦2月3日)の「第44回真の神の日と神様王権即位式10周年記念および真の父母様御聖誕」の記念式典で、「先生が生涯全体の結実として宣布した御言、それが『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』です」と語られました。

事実、真のお父様は最晩年期において、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の御言を、ラスベガスから始まった世界巡回講演で宣布していかれたばかりでなく、絶えずその御言を重要視され、訓読されました。この「先生の生涯全体の結実として宣布した御言」と言われた講演文(御言)が、〝遺言〟と言われた黒表紙の『天聖經』と『平和神經』には含まれておりませんでした。

したがって、天一国経典にこの御言が収録されたことは、真のお父様と「最終一体」を成され、その生涯路程の最後まで連れ添われた真のお母様の大きな実績であるとも言えるものです。

 

もし、天一国経典の内容が、真のお父様が語っておられない内容であるならば、それは改竄に当たります。しかし、それらは真のお父様の御言そのものです。真のお父様の御言を精選して編纂した天一国経典『天聖經』『平和經』『真の父母經』が、御言の改竄などではないことは明らかであり、これを批判することは、それを語られた真のお父様を批判することであり、真のお母様に対するとんでもない誹謗中傷です。

 

ちなみに、「第1弾」の公式見解のなかで、「『真のお父様』が聖和された後、『真のお母様』はただちに御言を整理されましたが、それは『八大教材・教本』以外の御言を、分派が恣意的に『御言集』として作成して公表し、御言によって分裂と混乱を引き起し、御言の権威を失墜させることを、いち早く見抜かれ、それを未然に防ぐためなのです」と述べたことに対し、ネット上で神山氏に同調する意見の中には、「(その指示は)聖和後ではなく『天聖経再編の委員会を持つ』と発表したのは2012年8月23日で文師が集中治療室に入るようなときで決して聖和後ではありません」と批判するものもあります。

また、神山氏も「お父様が聖和される前から準備が始まり、わずか数カ月のうちに、お母様の指示で、『天聖経』も『平和神経』も改ざんされてしまいました」(神山氏「公開質問状3」)と同様に述べます。

 

しかし、これらの批判は誤りです。真のお母様が、お父様のご入院中に編纂を指示され、金榮輝先生を委員長として任命し、2012年8月23日に「編纂委員会」を発足されたのは、あくまでも『真の父母経』の編纂についてのみでした。

天一国経典『天聖経』の編纂は、真のお父様が聖和されたで、八大教材・教本『天聖経』には2000年以降のみ言がほとんど含まれていないため、2000年以降の御言を補完して整理しなければならない〝課題〟を解決しなければならないこと、および真のお父様が全生涯にわたって語られた『平和神經』に入っていない「講演文」を整理して、未来永劫に残すことを意図されて、天一国経典『天聖經』『平和經』の編纂を指示されたのです。

 

(2)「独り娘」は、真のお父様が語っておられる御言です

神山氏は、「お母様はお父様のみ言にない『独り娘』のような独自の理論を語られはじめています。こういった言動を見て、私は『絶対的に一体』であるべきお方がそうなっていない事に、『これは摂理歴史的に、将来大変な禍根(かこん)を残す』と深く憂慮する」神山氏「公開質問状2」、「同1」でも触れている)と述べて、真のお母様を批判します。

しかし、真のお父様は、何度も「独り娘」について言及しておられ、次のように語っておられます。

 

「神様の前において、『私は独り子だ』とイエス様は言われたのです。独り子が出てきたのに、独り子が一人で暮らしたなら大変です。独り娘がいなければなりません。それで、独り娘を探して、神様を中心として、独り子と独り娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母として喜び、その神様の独り子と独り娘が横的な父母として喜び得る新郎新婦になって、地上で息子、娘を生まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。

それゆえイエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでも一番必要としたものがありましたが、それは何だったのでしょうか。正に女性です。男性の前に女性がいなくてはなりません。……その標準とは何でしょうか。それがメシヤですが、真なる父母の位置をもって合わせるのです。それが『小羊の婚宴』です」(八大教材・教本『天聖経』176~177ページ、『ファミリー』1998年4月号17~20ページ)

 

これは、八大教材・教本『天聖經』(黒表紙の天聖經)に収録されている御言です。

 

 「エデンの園のアダムは、神様の独り子です。エバは、神様の独り娘です。彼らが成長し、春の日になって花が咲くとき、二人が互いに春の歌を歌いながら、『あなたは私のお兄さんではないですか』、『あなたは私の妹ではないですか』と言えば、神様はどのようにするでしょうか。明るく咲いた花が香りを漂わせるようになれば、神様が結んでくださったでしょう。神様が結婚式をしてあげて成し遂げようとしていた創造の最高理想が、アダムとエバを中心として成し遂げられるのです。彼らが独り子と独り娘としてよく育ち、思春期まで行こうとすれば、期間が必要なのです」(159-195、1968.05.10)

 

このように、真のお父様は、堕落していないアダムとエバは、神の独り子、神の独り娘であると語られています。(注:159-195は「文鮮明先生御言選集」159巻195ページの意。以下、同じ)

 

イエス様は、『私は神様の独り子だ』と言いました。独り子に必要なのは独り娘です。イエス様がこの地上で世界を救うために出発しようとすれば、一人ではできません。家庭の土台を整えなければなりません。独り子だと主張したイエス様の目的は、世界を統一して号令することです。それをする前に家庭をつくらなければならないのです。……もし、イエス様が、神様の独り子として独り娘に出会って結婚式をするとすれば、その結婚式の主礼は、間違いなく神様がしてくださるのです。救援摂理の最高の目的は、神様が愛する一つの家庭をつくることです。……その場を失ってしまったので、再び取り戻さなければなりません」(159-192、1968.05.10)

 

このように、真のお父様は、第2アダムであるイエス様に対して「独り子」と言われ、イエス様と結婚すべき第2エバ(真の母)を「独り娘」と語っておられます。

 

「人類が生まれて以降、4000年目にこの天地間に神様の独り子が生まれました。良い知らせです。幸福な知らせです。それで、キリスト教で福音という言葉が出てくるようになったのです。福音とは、幸福な音信です。その時まで神様の独り子が現れることができず、人類が神様を中心とする愛の関係を結ぶことができなかったために、人類にはそれが恨でした。……独り子が現れたことが幸福です。神様は、先に独り子を送られました。それで、今までの歴史は、男性がつくってきたのです。独り子が現れれば、その次には、独り娘が現れなければなりません」(023-149、1969.05.18)

 

真のお父様は、第2アダムであるイエス様を「4000年目に…独り子が生まれました」と表現しておられます。では、再臨主がアダム以来6000年目に現れた「独り子」であるならば、その再臨主の前に現れる「独り娘」に対しては、どう表現されるべきでしょうか?

 

「イエス・キリストは、『私は神様の独り子だ。神様は私の父だ』と言いました。独り子というものは、神様の初愛をすべて受けたということです。神様の独り子はいたのですが、独り娘がいません。独り娘に出会うことができなかったので、神様の初愛をすべて受けることができる独り娘に出会うために、イエス様は再臨するのです。再臨主が来て小羊の婚宴、すなわち婚姻をしなければなりません。神様の初愛をすべて受けた男性と、神様の初愛をすべて受けた女性が家庭をつくらなければならないのです。その位置が、堕落していないアダムとエバの位置です」(041-311、1971.02.17)

 

真のお父様は、第3アダムである再臨主を「独り子」と述べておられるのであり、その方と結婚すべき第3エバ(真の母)を「独り娘」と表現しておられます。

これらの御言で分かるように、真のお父様は、神の「独り子」が現れたならば、必ずやそこに神の「独り娘」が現れなければならず、その独り子と独り娘が出会って神様を中心に結婚しなければならないと語っておられます。その結婚式が「小羊の婚宴」です。

 

ところで、真のお父様は、1960年4月11日に真のお母様と第1回目の「聖婚式」を挙行されましたが、その結婚について次のように語っておられます。

 

「1960年が、いったいどの基準であったか? 堕落したアダム、エバの立場、長成期完成級の基準である。長成期完成級基準を中心として完成圏まで上がるには、七段階の7年の期間が必要である。……完成基準を残して祝福した基準が、1960年である」(『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』28ページ)

 

人間始祖アダムとエバは、長成期完成級で堕落しましたが、真の父母様は1960年の聖婚式によって、その長成期完成級の基準から完成圏に上がるための「7年路程」を通過していかれました。

『原理講論』に、「メシヤを迎えて原罪を取り除き、人間始祖の堕落以前の立場に復帰したのちに、神の心情を中心としてメシヤと一体となり、人間始祖が堕落したため歩み得ず取り残された成長期間を、全部全うして初めて『完成実体』となることができる」(280ページ)とあるように、真の父母様が1960年以降、1968年1月1日まで歩まれた第1次7年路程は、人間始祖が堕落したため歩み得ず取り残された〝前人未踏〟の成長期間(完成期)を通過していかれた路程でした。この期間は、堕落以前の立場を復帰したのちに通過する成長期間であって、真のお母様には「原罪」がありません。原罪がないならば、男性(アダム)だけでなく、女性(エバ)も〝神の血統〟をもっているのです。その女性のことを、神の「独り娘」と言うのです。

 

「だれであっても、母親の子宮にくっついて母親の血肉を吸い取って大きくなったでしょう。……母親の血肉が必要であり、母親の骨肉が必要であり、母親の愛が必要であり、生命が必要なのです。分かりますか? 自分のゆえにではなく、母親の愛のゆえに、母親の生命のゆえに、母親の血統のゆえに〝私〟が生まれたということは否定できません。生まれるときには、女性として、あるいは男性として生まれるのですが……女性は何のために生まれたのですか? 男性のためにです。一時代ですか、永遠の時代ですか? 永遠の時代です。神様の娘の愛は、絶対、唯一、不変、永遠の愛であるので、その愛を中心として、その対象的価値は絶対価値であり、絶対的な相対であるということを知らなければなりません。……それゆえに、(神様の娘の)女性の前に男性は、絶対真理の愛の相対なのです」(『ファミリー』1999年11月号30ページ、「九・九節」の御言より)

 

真のお父様は、「生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています」(『平和神經』28ページ)と語っておられますが、女性もその「愛」と「生命」と「血統」をもっているのです。

 

真のお父様は、「生命を見ましたか? 生命に触ってみましたか? 生命体は見えるけど、生命は分かりません。触ってみることはできません。血統もそうです。血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。そして、精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(『ファミリー』1995年3月号22ページ)と語っておられ、血統の連結には、当然のことながら、男性(精子)だけでなく、そこに女性(卵子)も関与していることについて、明確に言及しておられます。

 

ところが、神山氏は2014年9月26日の福岡・久留米の講演会で、男性が有する性染色体XYと、女性が有する性染色体XXを引き合いに出し、男性の有するY染色体だけが神様に由来するものであり、Xはそうではないかのように論じ、まるで女性は「神の血統」をもっていないかのように語っています。このような主張は、「女性蔑視」であり、非科学的珍論と言えるものであり、その誤りについては、追って【第4弾】の別の項目で指摘いたします。

 

また、神山氏の「血統転換」の説明は、真のお父様の〝接ぎ木〟の説明のみに囚われすぎており、その結果、歪められた理解となり、お父様の御言と食い違った内容となっています。特に、「この血統転換は、真のオリーブの木である真のお父様(男性)によってのみなされます」(神山氏「公開質問状4」)という説明には、唖然とさせられます。この点の誤りについても、追って別の項目で指摘いたします。

 

前述した御言で、真のお父様が「エデンの園のアダムは、神様の独り子です。エバは、神様の独り娘です」と語っておられるように、本然のエバ(女性)は神様の「独り娘」であり、神様の血統をもっているということを知らなければなりません。

 

 

(3)「なぜ統一教会にしがみついているのか」という批判について

神山氏は、日本教会が「世界基督教統一神霊協会」を名乗っていることに対して、「お父様は、『世界基督教統一神霊協会の使命が終わることによって、宗教の使命は終わり、救いを必要としない、人類史上初めて宗教を必要としない新時代に入るのです。家庭連合は家庭を理想家庭にすることによって、神様の創造理想を復帰完成して天的理想世界を立てるものです。』(天聖経、成約人への道)と言われ、実際に、1996年7月、お父様は『世界平和統一家庭連合』を創立されました。……なのになぜ、日本は『世界基督教統一神霊協会』にしがみついているのですか? お父様の指示を無視しているのではないでしょうか」(神山氏「日本統一教会の声明文に対する反論」)と、日本教会本部を批判しています。

 

日本教会は、真のお父様が語られたこの御言を受けて、「名称変更」について関係所轄庁に打診をしたことがありました。しかし、諸事情から、その時点では難しいという結論に至りました。宗教法人の名称変更には法的手順があり、法律を無視して、自分で勝手に「名称変更」をすればいいというわけにはいきません。コンプライアンスの遵守が極めて重要であるのは、言うまでもないことです。

日本教会本部は、真のお父様の御言を無視しているのではなく、その事情および現況についてその都度、ご生前の真のお父様にご報告しております。神山氏は、会長経験者の一人として、そのあたりの事情をよく知っておられるはずにもかかわらず、なぜ、このようなことを述べ、まるで日本教会本部がお父様の御言を無視しているかのように吹聴し、教会員の不信感を煽ろうとするのでしょうか。このような言動については、一般的に「為にする」ないし「悪意がある」と言われるのです。

 

ところで、真のお父様は「家庭」について、次のように語っておられます。

 

「救いの目標は、家庭の救いを単位とするのですが、その家庭の救いの基盤というのは、世界を指導でき、世界の救いまで責任を負うことができる家庭のことをいうのです。……イエス様は、何をしに来られたのでしょうか。家庭を探しに来られました。……救いとは何でしょうか。家庭を失ったので、それをもう一度探し出すことです」(八大教材・教本『天聖経』512ページ)

 

「天国は、どこから成されるのでしょうか。私たちの家庭から成されます。では、私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。……女性がいくら学士、博士になって世界に大言壮語するとしても、その願いは理想的な男性に出会うことです。愛することができる理想的な男性に出会い、恵まれた子女を生むことです。これが幸福の根です。統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です」(八大教材・教本『天聖経』444ページ)

 

このように、「救いの目標は、家庭の救いを単位とする」「天国は……家庭から成される」と語っておられるように、真のお父様が創設された「世界平和統一家庭連合」は極めて〝重要〟な組織であり、摂理の〝中心〟であることが分かります。

それゆえ、真のお母様は、「基元節」を期して、名称を統一教会から世界平和統一家庭連合に変更され、「これからは家庭教会になる。全ての宗教団体が超宗教的に家庭を中心として家庭連合と一つにならなければならない」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』天一国元年天暦2〈2013年4月号〉46ページ)と語られました。

真のお母様は、真のお父様が遺されたご意向を受け、「世界平和統一家庭連合」の名称にされましたが、この一点を見ても、真のお母様は真のお父様と完全に一致しておられます。

 

ところで、神山氏は、真のお父様が語られた「世界基督教統一神霊協会の使命が終わることによって、宗教の使命は終わり、救いを必要としない、人類史上初めて宗教を必要としない新時代に入るのです」という御言を根拠に、「なぜ、日本は『世界基督教統一神霊協会』にしがみついているのですか?」と言いますが、神山氏は「それは何故か?」という事情を、誰よりもよく知っているのではありませんか。なのに、あえてそう語り、さらに、「私は……統一教会信者である必要はありません」(神山氏「日本統一教会の声明文に対する反論」)と述べるのは、ずるいと言わざるを得ません。

 

神山氏は、ここで「すでに宗教の使命は終わった。宗教を必要としない新時代となっているのだから、宗教である統一教会は不必要だ」と言わんばかりの口ぶりです。

この神山氏の主張は、文顯進様が「宗教の時代は過ぎ去ったのだから、『宗教』という言葉を使うことさえしたくありません」(文顯進著『心情文化の主人』89ページ、2001年3月10日)と語っておられるのと同じです。

この文顯進様の主張の問題点については、「真の父母様宣布文サイト」の公式見解「8.真の父母様の伝統を正しく相続するのが真の孝子(後編)」において論じ、すでに次のように問題点を指摘しています。

 

「真の父母様の蕩減路程は終了したからといって、堕落した人類が子女として行くべき蕩減路程を経ず、創造本然の人間の立場にまで復帰することはできないのです。すなわち、堕落人間が『祝福結婚』を受けるための蕩減条件(信仰基台・実体基台・長子権復帰など)……は、これからも蕩減復帰の『公式路程』の一環として、人類が勝利しなければならないものです。また、氏族的メシヤ(の使命も)……蕩減路程として残されています。

さらには、第一イスラエル選民であったユダヤ教徒、第二イスラエル選民であったキリスト教徒など、それらの選民によって収拾されるべきであった諸宗教のカイン圏宗教の復帰、宗教的長子権復帰の使命を……第三イスラエルの『統一教』が果たしていく摂理も、蕩減路程として残されているのです。……当然のことながら、最終的目的が実現されれば、手段としての摂理は必要ありません。しかし……過去のすべての罪を清算する蕩減路程を経過し(勝利し)ない限り、神様の恨は解けず、堕落した人類が神様の前に顔をあげて、創造本然の親子の関係を復帰することはできません。……したがって、『後天時代』の宣布が成されたとしても、まだ行かなければならない蕩減路程が、人類に残されているのです」

 

確かに、真のお父様は、「世界基督教統一神霊協会の使命が終わることにより、宗教の使命は終わり、救いを必要としない、人類史上初めて宗教を必要としない新時代に入るのです」(八大教材・教本『天聖経』「成約人への道」1539ページ)と語っておられます。

真の父母様は摂理の「完成、完結、完了」を宣布され、全てを成し遂げておられます。しかしながら、統一教会はまだその「使命」を果たす過程にあります。それは『原理講論』の「予定論」に、「神の救いの摂理の目的は、堕落した被造世界を、創造本然の世界へと完全に復帰することにある。ゆえに、その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである。ところが、神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである」(246ページ)とあるように、真の父母様の勝利圏を全体に広めていくには、そこに時間性が必要だからです。

 

前述したように、真のお母様が「全ての宗教団体が超宗教的に家庭を中心として家庭連合と一つにならなければならない」と語られたように、宗教の使命は「堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されている」ように、最後の一人をも救い、人類を完全解放する時まで行かなければなりません。

そのような意味において、統一教会の使命は完全に果たされたと言えるのでしょうか? また、「救い」を必要としない時代になったと断言できるのでしょうか? 社会の現実を見渡すと、世界では宗教紛争が絶えず、ユダヤ・キリスト教、イスラームの一体化も成されてはいません。また、国際共産主義の問題も、終わっているわけではありません。

そして、救いを必要としている人々が、まだ国内や世界中に数多くおります。

 

真の父母様は「完成、完結、完了」されましたが、その勝利圏を相続し「一つ(父母様)から始まって、次第に、全体的に広められていく」過程の中にあるのです。少しでも早く、救いを必要としない時代を完璧に成就するために、私たちには行くべき道が残されていると言わざるを得ません。私たちは、真のお父様が「統一教会」について、次のように語っておられることを忘れてはなりません。

 

「統一教会は、いつまで残るのでしょうか。地球を解放し、霊界を解放し、のちに神様を愛の心情で解放するときまで、統一教会は行かなければなりません。最後には人類を解放し、霊界を解放し、神様を解放しなければなりません。このような話を聞くのは初めてのことでしょう。神様が私たちを解放してくれるものと思っていたのに、私たちが神様を解放しなければならないのです。心情的には神様が拘束されているということを知らなければなりません」(八大教材・教本『天聖経』「真の神様」137ページ)

 

「世界を解放するには、まず神様を解放しなければなりません。神様が解放されてこそ、世界を解放できるのではないでしょうか。神様を解放してから、世界を解放しようというのです。ですから統一教会を地の果てまで伝播し、心情的絆を結んでくいを打ち、世の中すべてを愛でもって溶かそうというのです。その闘いをするのです」(同、149ページ)

 

〝神様の解放〟には、段階があります。真のお父様は「神様が人間の父母として現れるためには体をもたなければならないのですが、その体をもった代表が誰かと言えば、アダムとエバだというのです。堕落していないアダムとエバの体をもって現れるのです。そうすることでアダムとエバは、人類の始祖であると同時に、天地を主宰する神様になるのです」(八大教材・教本『天聖經』「真の神様」51~52ページ)と語っておられるように、完成したアダムとエバが「実体をもった神様」として顕現され、〝鼓子(コジャ)の神〟が解放され、その人類の真の父母によって〝神の血統〟に繋がった祝福家庭がふえ広がっていくことにより、神様は、その真の父母様の勝利、および祝福家庭が氏族、民族、国家、世界へと拡大していくその次元に伴いながら、解放されているのです。

 

神様は全人類の親であるため、地上界と霊界にいる人々が最後の一人まで〝血統転換〟をして救われない限り、神様の恨は解放されることはありません。

また、宗教の壁、民族の壁、人種の壁、国境の壁などが、まだ撤廃されていません。それゆえ、「地球を解放し、霊界を解放し、のちに神様を愛の心情で解放」し、「統一教会を地の果てまで伝播」するときまで、統一教会は行かなければならないのです。すなわち、真のお父様が「神様の直接主管圏時代に進入しています」と宣言されたように、実体的な天一国実現は目前にまで迫ってきております。今、真のお母様が陣頭指揮を執っておられる「VISION2020」は、それを果たすため、真の父母様を中心に進められています。

 

なおも世界においては宗教戦争や宗教対立があり、救いを必要とする人々がいるために、それらの問題を解決し、宗教(統一教会)の使命を早く終わらせなければなりません。

真のお母様は、「世界平和統一家庭連合」へと名称変更されました。しかしながら、世界宣教など、統一教会として果たさなければならない未完の使命を少しでも早く成し遂げるために、父の国韓国、母の国日本、長子の国米国をはじめ、お母様は〝摂理国家〟を選定され、孫子の兵法にもあるように、分散ではなく〝一極集中〟作戦を取って、世界宣教の勝利を急ぐために「一点突破、全面展開」をしようとしておられるのです。

 

神山氏は、「宗教の時代は終わった」と言っていますが、上述のごとく、真のお父様が語られた御言の全体像を見ずに、ある一部分のみの御言を取り上げて、「統一教会」について偏った判断をしているようです。真のお父様は、2012年陽暦1月24日、聖和される年の「第29回愛勝日」の時においてでさえ、「統一教会を無視するなというのです」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2012年天暦2〈陽暦4月10日号〉18ページ)と語っておられます。

もっと、神様の摂理、および御言の全体像を見渡して見るときに、真のお父様のご意向が如何なるものであるのか、真の意味で明確に分かってくるのではないでしょうか。神山氏の御言の理解は、ある一面のみに囚われ過ぎているものと言わざるを得ません。

 

 

(4)「顯進は先生と同じ方向に向いていない」と語られた御言を思い起こしてください

 

2014年12月15日、「真の父母様宣布文サイト」を通じて寄せられた神山氏の「公開討論をしましょう。一週間、返答をお待ちしています」という突然の連絡に対し、やっと連絡手段である神山氏のメールアドレスが分かったので、期限の1週間を待たず、教会側は即座に「返答」を出しました。

しかし、教会側からの「返答」が、不運にも〝迷惑メール〟に入っていたとのことで、神山氏は「私のジャンクメール(迷惑メール)に入ったため気付きませんでした。見知らぬメールは自動的にジャンクメールに入るようです。73歳の高齢になり、PCに不慣れとはいえ、失礼しました。それにしても、簡単な行き違いを、鬼の首でも取ったように、『誠意のない対応はやめてください!』とは、若干宗教人としての品性に欠けるのではないでしょうか」(神山氏「日本統一教会の声明文に対する反論」)と述べています。

 

神山氏に対し、教会側が「誠意のない対応はやめてください!」と述べたのは、「ジャンクメールに入っていたために生じた〝行き違い〟の問題」についてだけを指摘し、述べているのではありません。

そのような〝行き違い〟から、ネット上で〝話題〟となりつつあるとき、統一教会員でもない人物(言わば「部外者」と言える人物)のブログに、「回答はなかった」と掲載されたため、果たして神山氏は真摯な気持ちで〝対話〟をしようとしていたのか?」との疑念を抱かざるを得ませんでした。その直後に、今度は〝住所不明〟の手紙(注:これは一般的に「怪文書」と受け取られます)が松濤本部に舞い込むに至っては、「元会長ともあろう人が、なぜ住所不明の手紙を…」と、わが目を疑わざるを得ませんでした。

 

そして、そこには、「回答がありません。よって…公開質問状と致します」と一方的に書かれていたために、これら一連の〝騒動〟(注:わずか1週間で起こった出来事なので「騒動」だと感じました)は、教会側からの〝回答〟があろうがなかろうが、初めから「自説を公開しよう」と一方的に仕掛けてきていたものであったと判断せざるを得ませんでした。

そればかりでなく、まず、神山氏側が先に〝自説〟を公開し、教会側は「第1弾」「第2弾」の公式見解で、その〝自説〟に対して誠意をもって応答しました。ところが、神山氏は、その公式見解に応答しようともしないまま、いきなり「公開討論をしよう」と言ってきたことに驚きを禁じ得ず、それらを総合して「誠意のない対応はやめてください!」と述べているのです。

 

神山氏の上述のような「誠意のない対応」は、天の父母様(神様)と真の父母様に対して、今なお続いているものと言わざるを得ません。

なぜなら、真の父母様から特別に愛された経験をもつ神山氏であるにもかかわらず、その受けた真の愛を忘れて、御言に対する〝不信〟を表明し、その不信を自分の心の中にだけ留めておくならばまだしも、全世界の食口が見ることのできるようにブログで公開し、真の父母様が生涯を通じて築きあげられた「勝利圏」「業績」を否定しているのです。

ネット社会の恐ろしさは、一度、公開してしまうとその情報はなかなか消すことができないところにあります。

神山氏の〝自説〟が、神のみ旨に一致するなら問題はありませんが、一致していないならば、その行為は、過去・現在・未来にわたる神の復帰摂理に反逆する、とんでもない反摂理的内容となってしまいます。つまり、神山氏の見解が、真の父母様の見解と一致していないことが最大の問題であると言わざるを得ません。

 

例えば、真のお父様ご自身は、聖和される前に「全てを成した」と語っておられました。にもかかわらず、神山氏は、その御言に対して「では、お父様が全てを成したというなら何を成したというのか。何を成したと言うの?」、「お父様は再臨のメシヤです。ではメシヤとして何を残したのか、この地に? 混乱だけを残していったの? 今、教会は混乱しています。その混乱を残したのがメシヤの使命であり役割だったの?」と語り、「全てを成した」という御言に対する〝不信〟を表明しています。

また、真のお父様は、真のお母様と「最終一体」を成し遂げられ、「すでに真の父母様御夫妻は最終一体を成して、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです」(「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の御言)と全世界に向けて宣布しておられました。にもかかわらず、神山氏は、「最近のお母様の言動が、お父様と一つになっているとは思えません」(神山氏「公開質問状1」)と述べ、真のお父様の御言を真っ向から〝否定〟しているのです。

 

これらの神山氏の主張は、文顯進様が語っていた内容と極めて類似するものです。顯進様も、「お父様は、勝利的な基元節を、神様と全人類に捧げるという目標に向かって、休むことなく働いてこられました。しかし、悲劇的にもお父様は、その目標の完結を見ないままに霊界に逝ってしまわれた」、「現在の統一運動は対立と混乱と無秩序の状態に陥っています」(顯進様「『基元節の意義』に関し全ての祝福中心家庭に送る書信」)と語っていましたが、これらの顯進様の発言は、神山氏が語っている「では……何を成したと言うの?」、「メシヤとして……混乱だけを残していったの? 今、教会は混乱しています」と同じです。

 

そう考えると、神山氏は、文顯進様の影響を、かなり強く受けていると考えざるを得ません。実は、顯進様がもっておられた「お父様の聖和」や「基元節」に対する認識は、真の父母様ご自身がもっておられる認識と、大きく異なっているものでした。

この問題点については、すでに「真の父母様宣布文サイト」に〝公式見解〟として2つの映像をアップしております。

 

ところで、「神山威氏へ『誠意のない対応はやめてください!』」の文中において、真のお父様が直接、神山氏に対して語られた御言を引用して、次のように述べました。

 

「真のお父様は、2010年7月16日、神山氏をはじめ数名の日本人食口を呼ばれ、『ボート会議』をニューヨーク沖で持たれました。真のお父様は、その場で直接、神山氏に対して『顯進は先生と同じ方向に向いていない。なぜ顯進の方に行くのか。ちゃんと先生につながらないといけない』と明確に語られたことを思い出してください」

 

それについて、神山氏は反論文で、「2010年7月16日、ボート会議で、お父様は神山氏に対して『なぜ顕進の方へ行くのか。ちゃんと先生につながらないといけない』と明確に語られた」と述べていますが、そこには、最も肝心な顯進は先生と同じ方向に向いていないが欠落しています。なぜ、この部分を欠落させるのでしょうか?

私たち統一家においては、真の父母様と同じ方向を向いているか否かが、最も重要な点であり、最大の関心事です。真の子女様と行動を共にすることそれ自体を問題であると言っているのではありません。

その方が、真の父母様と行動を共にしておられ、同じ方向を向いているならば、行動を共にすることは全く問題ありません。問題は、真のお父様が、同じ方向を向いていないと指摘されたその方に従っていくのは、「問題ではありませんか?」と尋ねているのです。

真のお父様は、2010年7月16日の「ボート会議」で、次のように語られました。

 

「顯進は先生と同じ方向に向いていない。逃げ回っている。顯進が先生の方向に来なければならないんだよ」、「顯進が先生の方向に合わせられないから駄目なのだ」、「統一運動はもっと遠く深くもっと難しくなってくる。先生にすがって行かないと駄目だ。これからももっと複雑なことが起こるかもわからない。3人の息子たちが違った方向の考えを持っているが、共に行く方向でやらなければ大変だ。しかし、國進、亨進が韓国で先生につながっている。顯進だけが駄目なのだ」、「顯進は何年も前から先生と別れているのだよ」、「なぜ先生に質問しないで顯進の方に行くのか」、「公認のうえでちゃんと先生につながらないといけないのだ」、「顯進は先生と同等の立場を取っている。他の子は先生を重要視している」、「こんな船の場を本当はつくりたくなかった。霊界に行っても言われるよ」、「神山はどうなるか? 今日の先生との船会議を多くの食口が見ている。どのような方向に行くか」、「顯進も、その気だったら1週間で(真の父母様のもとに)帰ってこられるのに、何故、帰ってこられないのか? 先生は顯進を全く当てにしていない」、「顯進の事はおまえ(神山氏)が考えなくてよい」

 

これらの真のお父様が、神山氏に対して直接、語られた御言はとても重要な内容です。神山氏が、これらの御言を思い起こして実践されることを切望するものです。

「真の父母様宣布文」サイトにアップした公式見解の「7.真の父母様の伝統を正しく相続するのが真の孝子(中編)」で、〝孝子〟とはいかなる者かについて語られた御言を引用しています。この御言は、真の父母様の子女となった人、全員に対して言えることです。

このように語っておられる真のお父様は、2009年9月10日を最後に、真の父母様の前に一切姿を見せなくなった顯進様のことを思って、どれほど会いたがり、どれほど涙を流されたのかということに、私たちは思いを馳せざるを得ません。

 

「孝子は、百年たとうと千年たとうと、父母を離れてはいけません。『一緒にいたらいい!』と思わなければなりません。父母に『できるならば、私と千年、万年一緒にいたらいい!』と思わせる、そのような父母の心を引きつける者でなければ、孝子ではありません。父母の愛には……『その子供と共にいたい』という思いがあるのです」(八大教材・教本『天聖経』「真の孝の生活」、2084ページ)

 

「孝子になろうとすれば、父母の心の方向と常に一致していなければなりません。孝子の道を行く人は、父母と掛け離れた行動をする人ではありません。父母が東に行けば東に行かなければならず、父母が西に行けば西に行かなければなりません」(同、2093ページ)

 

祝福家庭は、「父母の心の方向と常に一致」し、真の父母様に対して、孝子の道理を立てなければなりません。私たちは、顯進様および神山氏が、一刻も早く、真の父母様のもとに帰ってこられるよう切望するものです。

以上