真の父母様の伝統を正しく相続するのが真の孝子(前編)

真の父母様の伝統を正しく相続するのが真の孝子(前編)

1.最初に、神様の伝統を立てるのが人間始祖アダム

 

最初に、「神様の伝統」を立てるのが人間始祖のアダムであり、そのアダムとエバが一体化し、その「真の父母様の伝統」を子女たちが相続し、さらに子孫たちが相続していきます。

 真のお父様は、次のように語っておられます。

 

①「この大家族社会の中心は神様とアダムです。それで、その世界では神を中心としたアダム家庭の生活や一生の路程が歴史的伝統として残ります。彼の生活方式、風俗、慣習、そして生活的な背景が歴史的伝統になるのです。それは神様の愛で結ばれた伝統にならざるを得ません」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』431ページ)

②「人類の先祖アダムとエバは個体としては二人ですが、歴史的始発点に立っているので、その二人だけで終わるのではありません。その二人を通して新しい家庭が顕現し、また、新しい氏族が顕現し、さらには新しい民族、国家が必ず顕現するのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』759ページ)

③「神様の御旨が成就されたならば、この地球上にはアダムを中心にした単一文化圏が形成されたのです。今日のように数多くの民族が各自異なる文化と文明を形成してきたのではなく、アダムを中心にして単一文化、単一思想、単一文明をもつ世界となっていたのです。このようになったならば文化、歴史、風俗、言語、伝統などがすべて統一されたでしょう」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』432ページ)

 

2.相対基準の造成とは?

 

 

神様の創造目的を中心として、主体と対象

が授受作用するためには、相対基準を造成し

なければなりません。すなわち主体と対象が、

それぞれ創造目的を実現しようとする神様の

対象の位置に立たなければなりません。

そして、その「目的実現」のための主体と

対象の授受作用が始まり、調和関係をもって

一体化したときに、目的が実現化した結果と

しての合性体が生まれるのです。

 

 

A.人間関係の場合

では、人間関係の場合の「相対基準を造成すること」の意味とは何でしょうか? それは主体と対象の両者が共通の目的をもった状況を造成する、すなわち心を一つにした状態を造成することを意味します。

そして、その目的実現のための主体と対象の授受作用が成され、目的にかなった結果が現れます。

 

B.一人の人間が目的を結果として実現する場合

一人の人間が目的を結果として実現する場合の「相対基準を造成すること」とは、どのようなことをいうのでしょうか? 目的を実現しようとする主体である人間に対して、対象は目的を実現するための方法手段としての思考・計画・戦略・組織・実践などです。

この場合の相対基準の造成とは、目的を実現しようとする主体としての「人間」と、目的を実現するために最も適切、かつふさわしい「方法手段」が対象となった状況を造成することをいいます。この両者が授受作用したときに、目的が実現されるのです。

 

3.「真の孝子」とは?

 

A.「真の孝子」は真の父母と一体化し、真の父母から教育され、従って成長する

『原理講論』に記されているように、対象の位置にある子女は、主体の位置にある真の父母様と一体化し、真の父母様から教育され、従うことによって完成期を越えて完成するのです。

ましてや、真の父母様が神様と一体化して天地父母となられ、2008年10月から「神様摂理史の責任分担解放圏完成宣布教育」(原理本体論教育)が始まった段階では、神様による本格的教育は、真の父母様を通して成されるのであって、それ以外のところでなされるのではありません。

 

①「堕落した人間は……アダムとエバの堕落以前の立場を復帰したのち、メシヤに従って更に成長し、そこで初めて創造目的を完成することができるのである」(『原理講論』271ページ)

②「神の心情を中心としてメシヤと一体となり、人間始祖が堕落したため歩み得ず取り残された成長期間を、全部全うして初めて『完成実体』となることができるのである」(『原理講論』280ページ)

 

ところが、顯進様は、文顯進会長講演文集3『神様の夢の実現』(2011年7月1日刊)のなかで、次のように語っておられます。

 

①「根拠のないでっち上げに私の兄弟たちが同調し、ご父母様さえも心が揺れ、ある時にはそれを認められるような印象を受けた時、私は当惑せざるを得ませんでした。……

お父様、私に対してご心配なさらなくても結構です。どのような困難と誹謗が私の前を塞いだとしても、お父様とみ旨のための私の覚悟と行動は続くでしょう」(358~359ページ)

②「いつも汚れのない自然が、私の『本当の教会』であり、そこで神様が私の中に存在していることを体験させてくださり、私の行くべき道を悟らせてくださいました。あの深いアラスカの山の中で、神様は私に山から下りて、お父様を助けて差し上げなさいと語られました。今はいかなる時よりも、お父様が私を必要としている、と悟らせてくださいました」(357ページ)

③「私の性格上、私が感じてきたこのような悩みと考えを、お父様にきちんとご報告できなかったことはよく解っています。しかし、私は神様が摂理を運行される方ですから、時間の経過と共に、いつかは必ず真実が現れるようにしてくださるということをいつも信じてきました」(346~347ページ)

 

しかし、顯進様が言われる、自然が「本当の教会」なのではなく、天地人真の父母様こそが「本当の教会」なのです。その天地人真の父母様が、誰よりも心配され、指導しようとされておられるのです。ところが「お父様、私に対してご心配なさらなくても結構です」と言われ、真の父母様にお会いしようとされないことは、結果的に、神様が最も伝えたいメッセージを授かる機会を、顯進様自らが断ってしまっておられるのです。

顯進様は、次のようにも語っておられます。

 

④「私も再びお父様と抱擁して、昔のように胸を開いて話をすることのできる日を切望しているのです。

しかし、それを可能にするためには、皆さんが拡大家庭の家族の一員として、そのような出会いを可能にする道を開くように助けて下さらなければなりません。これらの組織によって実施された人格殺人ツアーにより、何年にもわたり明らかな嘘と歪曲が撒き散らされた後ですから、私がお父様と会うことが簡単なことだなどという甘い考えを持たないで下さい」(2011年11月26日付、顯進様の書簡「全世界の統一コミュニティーの皆さんへ」)

 

 しかし、真のお父様は、次のように語っておられます。

 

①「細密な部分まで父と相談しながら生きる息子が孝子である。父母の手を固く握っていかなければならない」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』322ページ)

②「皆さんにここで、天国についてどんな話をしても皆さんには実感がわかないと思います。自分なりに考えることしかできないからです。……真の父母に近づかなければみ旨は成し得ないのであります。……どんな立場に立たされても感謝する心がなければこの道は行くことができません。

世界で恐ろしいのは真の父母であります。……それゆえに、皆さんはこの道に来て(真の父母を)どれだけ信じていくかということが問題だということを知らなければなりません」(『御旨と世界』222~223ページ、1973年の「年頭のみことば」)