橋爪大三郎著『日本のカルトと自民党』の〝虚偽〟

文責:教理研究院

 注、家庭連合(旧統一教会)に対する批判文については茶色い字で、
文鮮明・韓鶴子総裁の発言および家庭連合(旧統一教会)の出版物
からの引用については、青い字で区別して表記する。

はじめに

 Wikipediaは、橋爪大三郎氏について、次のように紹介している。
 「参加していた全共闘で、ベトナム反戦運動の一環として新宿駅のターミナルを通過する貨物列車を足止めする騒動を起こしたのち、逮捕されそうになるが、逃げおおせた。
 日本福音ルーテル教会の教会員(信者・クリスチャン)であり、福音ルーテル教会のイベント・講演会でしばしば講師を務めている。
 大澤真幸との共著『ふしぎなキリスト教』は新書大賞2012を受賞したが、キリスト教研究者からは事実面の誤りを指摘されている」
 また、彼の著作には、次のようなものがある。
 『労働者の味方マルクス―歴史に最も影響を与えた男マルクス』(現代書館 2010年)
 『橋爪大三郎のマルクス講義(飢餓陣営叢書)』(言視舎 2014年)
 以上のことから、橋爪大三郎氏は青年期より左翼思想に傾倒しており、家庭連合に対する今回の批判書は、その左翼的な立場から書いたものといえる。

 橋爪氏がこの書を書くにあたって、家庭連合(旧統一教会)に関する参考文献として、浅見定雄著『統一協会=原理運動――その見極めかたと対策』(日本基督教団出版局)と有田芳生著『改訂新版 統一教会とは何か』(大月書店)が挙げられている(360ページ)。
 浅見定雄氏の人物像について、家庭連合が出版した反論書で次のように紹介している。「浅見定雄氏のキリスト教に対する態度も、極端な文献批評学を中心とする左翼リベラリズムに立つものであり、同氏の所属する日本基督教団左翼活動家と軌を一にするものである。今日、同氏の働きは、日本のキリスト教の霊性の低下と左傾化に大いに貢献している。浅見氏の左翼への傾斜は、思想面だけでなく、行動面においても見られる。左翼団体主催の各種集会への肩入れや、日本共産党(日共)機関誌『赤旗』を通しての統一教会批判(同紙1987年5月11日号「黙ってはいられない」)、統一教会信徒への拉致監禁改宗活動への加担などの同氏の動きが、その例である。また、同氏は日共の呼びかけでできた『革新統一懇』の宮城県での活動メンバーでもある(『赤旗』1981年2月17日号)。このように同氏の動きは、単なる個人的次元のものではなく左翼運動全体と結びついている(『浅見定雄氏に対する反論』5~6ページ、光言社)

 浅見定雄氏は、次のように発言しており、左翼思想の持ち主であることが分かる。
 「『見える世界』と『見えない世界』のことをいえば、『見える体』は陰で、『見えない内性』(陽)の現れである(普通とは逆のウルトラ観念論!)」(「朝日ジャーナル」1984年9月14日号掲載の浅見氏の発言)
 浅見氏は、唯物論が「普通」の考え方だとしている。また、次のようにも述べている。
 「霊と宗教のことですが、私は霊があるかないかはどちらでもいいと考えています。キリスト教徒の中に霊があると思っている人がいても幼稚と思わないし、サタンが実在すると思っている人もいます。私自身は、霊とか超経験的な世界は、ほとんど全部心理的なレベルの問題だと思っています。……異言というのは赤ん坊が何語と決まる前に舌を動かすのと同じですね」(『宝石』光文社、226~227ページ)
 彼は、霊の存在やサタンの存在は「心理的なレベルの問題だ」と述べている。また、異言は、新約聖書のコリント第一の手紙12章10節で〝聖霊体験〟の一つとされる。ところが、彼はその聖霊体験を認めていない人物なのである。

 次に、橋爪大三郎氏が参考文献として引用する有田芳生氏について述べると、有田芳生氏は親子二代にわたる熱心な共産党員であった。1978年4月の京都府知事選で日本共産党が敗北したとき、有田氏の父・光雄氏は当時、日本共産党・京都府委員会副委員長として活躍していた人物である。有田芳生氏については『有田芳生の偏向報道まっしぐら』(賢仁舎)で詳しく取り上げられている。有田氏は1986年9月頃、脱会屋の宮村峻氏と出会い、約4年をかけて元信者100人以上(注、宮村峻氏が脱会させた元信者と思われる)を取材し、出版準備をした家庭連合批判書『原理運動と若者たち』(教育史料出版会)を1990年12月10日に出版している。出版3日前の12月7日、彼は日本共産党から除籍処分を受けた。この共産党除籍処分によって、彼は反家庭連合活動をしやすい立場になったといえる(参照、『有田芳生の偏向報道まっしぐら』58~65ページ)。彼は共産党除籍後も「根っからの共産主義思想の『信奉者』」(同63ページ)であり、反家庭連合活動に熱心に取り組んでいる。

 ところで、1978年の京都府知事選の敗北を受け、宮本顕治・日本共産党委員長(当時)は「勝共連合との戦いは重大。大衆闘争、イデオロギー、国会、法律の各分野で……共同して、全面的な戦いにしていく必要がある。自民党に対しては〝勝共連合と一緒にやれば反撃をくって損だ〟という状況をつくることが重要。〝勝共連合退治〟の先頭に立つことは、後世の歴史に記録される『聖なる戦い』である」(「赤旗」1978年6月8日号)と左翼勢力の〝大同団結〟を呼びかけた。これに呼応するように、弁護士、政治家、牧師、ジャーナリスト、大学教授らが連携し、同年11月13日に「原理運動を憂慮する会」が発足。その会を背景に、浅見定雄氏、川崎経子牧師(日本キリスト教団)が反対活動に乗り出したのである。左翼勢力は1970年代に日本赤化が果たせると踏んでいたが、家庭連合の友好団体・国際勝共連合が日本の共産化に立ち塞がったのである。左翼勢力にとって勝共連合およびその友好団体・家庭連合は絶対に許すことのできない存在なのである。
 1966年に始まった拉致監禁による強制脱会説得事件は、今日まで4300件を超えている。1987年は、脱会した元信者による「青春を返せ裁判」が開始された年であり、社会党系や共産党系の左翼弁護士が「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)を結成した年である。また、浅見定雄氏が『統一協会=原理運動――その見極めかたと対策』を出版。さらに朝日新聞がいわゆる「霊感商法撲滅キャンペーン」を開始した年でもある。左翼勢力が団結して、家庭連合潰しの総攻撃を仕掛けた年だといえる。翌1988年には、日本基督教団が教団を挙げて反家庭連合活動に取り組む決議をした年でもある(「キリスト新聞」1988年4月9日号)。
 橋爪大三郎氏は、左翼思想をもつ反統一教会の浅見定雄氏や有田芳生氏の著書を引用しながら『日本のカルトと自民党』を書いているが、彼もまた、日本福音ルーテル教会の信者で元全共闘という反統一教会、左翼思想の立場から、家庭連合と自民党を貶めようとする目的を持って執筆していることを踏まえておく必要があると言える。
 
一、反対派のデタラメな「血分け」批判 ―― いわゆる「血分け」は存在しない

 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』「合同結婚式へ」という小見出し部分で、次のように述べている。
 「未婚の男女は統一教会の厳しい監視下に置かれる。恋愛によって伴侶を見つけることができなくなる。それは汚れである。そこで文鮮明のアレンジによって決められた相手と、文鮮明夫妻の祝福を受けて、結婚することになる」(230~231ページ)
 彼は「未婚の男女は……厳しい監視下に置かれる」と述べるが、そのような事実はない。そして、「決められた相手と……祝福を受けて、結婚することになる」と述べるが、合同祝福結婚式はお見合い結婚と同じであり、参加者は祝福結婚を強制されることはない。文鮮明師が祝福の相手を推薦していた当時においても、参加者は結婚相手の推薦を文師から受けることを希望するか否かの面談による意思確認があり、その上で、祝福申請書を提出し希望する者だけが祝福を受けていた。さらに信者らは祝福を受けたとしても、その後心変わりして祝福を解消したいときには、解消することもできた。祝福において信者の主体的意思が無視されたことはなく、当然に尊重されていたのである。また、今日、合同祝福結婚式に参加する多くの人は、二世信者や既成祝福のカップルである。二世信者は親が祝福相手を探したり、教会のマッチングサポーターという、祝福の相手を紹介する人からの紹介を受け、相当期間の交流を経て、二人が祝福を受け、結婚しても良いと合意すれば、合同祝福結婚式に参加している。また、既に結婚している既成カップルの祝福も多く、「文鮮明のアレンジによって決められた相手」ということではない。かつ、今は文鮮明師が死去しており、「文鮮明のアレンジによって決められた相手」というものでもない。
 橋爪大三郎氏は、浅見氏や有田氏の批判のための誤った情報を鵜呑みにして、これら事実を確認しないまま誤った情報を拡散しているに過ぎないのである。
 また、橋爪大三郎氏は、浅見定雄氏の著書を引用しながら、次のように述べている。
 「当時の朝鮮には《いかがわしいセックス教》が横行していた (浅見定雄『統一協会=原理運動』71頁)。文鮮明が統一教会を始めたのも、その流れの周辺だとも言われる。
        *
 セックス教とはどういうものか。宗教的儀式だ、救いのために必要だ、と称して、教団の指導者が信徒と性行為を行なう。あるいは、信徒同士に性行為を行なわせる」(232~233ページ)
 しかしながら、家庭連合(旧統一教会)では、「教団の指導者が信徒と性行為を行う。あるいは、(夫婦同士以外で)信徒同士に性行為を行わせる」という事実は一切ない。家庭連合(旧統一教会)は、〝純潔〟と〝貞操〟を生命視する教団である。

(1)文師の北朝鮮での2度の拘束事件における「血分け批判」の〝虚偽〟

 浅見定雄氏は『統一協会=原理運動――その見極めかたと対策』「性のスキャンダル」という小見出し部分で、以下のように述べている。
 「文鮮明は1944年、日本敗戦の前の年にソウルへ戻り、さらに46年には北の平壌へ帰る。ところがそこで、1946年8月には『混淫』による『社会秩序混乱』の容疑で大同保安所(警察署)に3ヶ月収容される。また48年2月には、ある実業家の人妻との『強制結婚』の現行犯となり、興南刑務所で懲役5年(または5年半)の実刑(相手の人妻も10ヶ月の実刑)に服する。文のセックス教祖ぶりの初めである。(統一協会側はこれらの事件を共産主義権力の謀略だったと抗弁するが、かれの罪名は共産主義への『反乱罪』でも何でもなく、簡単明瞭にセックスに関するものである。)」(72ページ)
 橋爪大三郎氏は、浅見氏の著書から無批判で引用し、『日本のカルトと自民党』「『血分け』の儀式」という小見出し部分で、次のように述べている。
 「文鮮明が信徒の女性と性行為を行なうことは、統一教会の教義からすれば、当然のことなのだ。これを、『血分けの儀式』という。文鮮明は、宗教活動を始めたころから、性的スキャンダルの噂にまみれていた。1946年に収監されたのは、『混淫』の容疑である。1955年の梨花女子大の事件も、被害女性の手記などで内実が明らかになっている(浅見、72~76頁)」(236ページ)
 しかし、浅見定雄氏および橋爪大三郎氏のこれらの記述は、事実に反する〝虚偽〟である。文師が北朝鮮に行った1946年6月の翌月、文師の弟子になった金元弼氏は、1946年8月11日、文師が大同保安署に連行され、拘束された事件について次のように証言している。
 「先生が46年に北に来られてから……毎日のごとく礼拝や集会をもたれ、朝早くから夜遅くまで涙に満ち、霊的雰囲気が高まっていました。それで静かではなかったのです。村の人たちは、この集団はどういう人たちが集まって、何をしている人だろうと相当気を付けて見ていました。
 先生は南から北に来られた時に、身分証明書も何も持っていなかったので、村の人たちは、李承晩大統領が外形は牧師というかたちで密使(スパイ)として送ってきたのだという疑いをもち、46年8月11日、先生は保安署(警察署)に連行されるようになりました」(『伝統の源流』光言社、38ページ)

 文師は、李承晩政権(韓国側)が送ってきたスパイであるとの嫌疑をかけられ連行されたのである。1946年8月11日は日曜日であった。文師と弟子が礼拝を行うために集まっているところを、確実に文師を連行できる日を狙って警察が踏み込んだのである。
 ところが、ルポライター山口浩氏はその著書『原理運動の素顔』で、「1948年8月17日、文鮮明が平壌の大同保安署(警察)に逮捕された。新興宗教問題研究家、卓明煥氏(在韓国)によれば、逮捕理由は『社会秩序混乱容疑』だという。卓氏は、あの当時、社会常識では考えられない乱交を行なったからだとする」(エール出版、168ページ)と述べている。山口浩氏の著作は、逮捕された年月日が間違っているのみならず、礼拝を行っている日曜日に「乱交を行ったからだ」と述べ、デタラメな記述をしている。
 また、1948年2月22日、文師は北朝鮮・内務省に連行され、拘束されたが、この事件に関して、金元弼氏は次のように証言している。
 「48年の2月22日の日曜日でしたけれども、官憲がやってきて、先生の牢屋の生活が始まっていくのです。日曜日には10時に礼拝が始まります。その2時間前に来てお祈りの準備をしていました。食口たちが相当来ていたのですが、官憲たちが入ってきました。……先生が連行される時に、私は先生の隣を歩きました。電車の通る市街を通りかけた時でした。色々な音がするのですけれども、私の耳には、先生をやゆする声が聞こえてきました……そのようにして、先生と私と女性食口2人(総計4人)が共産党当局の内務省に連れて行かれました。女性食口は2日目に拘束が解け、私は4日目に出獄しました。先生だけを残すようにして、ついていった人は全部帰ってきたのです」(71~72ページ)

 北朝鮮・内務署に拘束された事件も、日曜日の礼拝が行われるのを狙って共産党当局が踏み込んだのである。拘束された理由は、キリスト教牧師から共産党当局に80通を上回る投書があったためである。牧師から当局に「80通の投書(があり)先生は魔術をする人だといううわさが出ていました。それは一般の教会で一生懸命やっていた中心的な信者が、先生の話を聞いてからは牧師のいうことを聞かなくなって、何十年間も因縁をもってきた教会をきっぱりと切ってしまい、すぐ私たちの教会へ来るようになったからです」(同)と、金元弼氏は証言している。
 ところが、浅見定雄氏は「48年2月には、ある実業家の人妻との『強制結婚』の現行犯となり、興南刑務所で懲役5年(または5年半)の実刑(相手の人妻も10ヶ月の実刑)に服する。文のセックス教祖ぶりの初めである。(統一協会側はこれらの事件を共産主義権力の謀略だったと抗弁するが、かれの罪名は共産主義への『反乱罪』でも何でもなく、簡単明瞭にセックスに関するものである)」(『統一協会=原理運動』72ページ)と述べている。これは、浅見定雄氏のデタラメな記述である。

 山口浩氏は『原理運動の素顔』で次のように述べている。
 「1949年5月、北朝鮮の傀儡集団の警察は、文鮮明を混淫罪のかどで逮捕した。今もソウルに居住している金某女史の夫が告発したためであるが、当時、文は神の啓示を受けたとして、本妻がいたにもかかわらず、女性信徒金某女史と強制的な婚姻式ごとをやっていたところを警察に踏み込まれて逮捕されたのである。金某女史は懲役10カ月、文は5年6カ月の実刑を言い渡された」(163~164ページ)
 山口浩氏は、このように述べていながら、わずか数ページ後では次のように述べている。
 「卓氏の調査によれば……女性信者金某女史と結婚式を挙げたので、1949年2月22日、重婚罪で再び文は逮捕された。重婚罪は罪が重い。5年の刑を課せられ、文は興南刑務所に服役した。この卓氏説以外にも、重婚罪ではなくて、混淫罪で逮捕されたのだ、という説がある。それは前に公開した『社会悪と邪教運動』(日本訳=原理運動の秘事)である」(169ページ)
 以上のように、山口浩氏は、1948年2月22日の事件について、163ページで「1949年5月」と述べているが、169ページでは「1949年2月22日」と述べるなど、いずれも年数が間違っているだけでなく、163ページでは、月までも間違うという基本的な点で情報が誤っており、その記述内容自体もいい加減で信用性がないことが明らかである。

 1948年2月22日は日曜日である。まさに礼拝を行おうとする時、共産党当局が踏み込んだのである。日曜日に踏み込んだのは文師を確実に連行するためである。連行された4人のうち、女性信者2人は2日後に釈放され、金元弼氏も4日後に釈放され、文師一人だけが残されたというのが事実である。
 そして、文師は同年4月7日の公判で「5年の刑」を宣告されたのである。女性信者2人は連行後、2日後に釈放されており、女性信徒が実刑判決を受けた事実はない。
 ところが、浅見氏は「相手の人妻も10ヶ月の実刑」、山口浩氏は「金某女史は懲役10カ月」と述べているが、10カ月の実刑判決を受けた女性信者は存在しない。
 ちなみに、元赤旗記者の萩原遼氏の著書『淫教のメシア・文鮮明伝』は、実刑判決を受けた女性信者がいるとの記述は何もない。
 これほどに浅見氏や山口氏の記述内容は根拠のない、いい加減でデタラメな情報の垂れ流しなのである。

(2)梨花女子大事件(1955年)に関連した「血分け批判」の〝虚偽〟

 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で浅見定雄氏の著書を引用しながら、次のように述べている。
 「文鮮明は、宗教活動を始めたころから、性的スキャンダルの噂にまみれていた。……1955年の梨花女子大の事件も、被害女性の手記などで内実が明らかになっている (浅見、72~76頁)」(236ページ)
 この梨花女子大事件について、浅見定雄氏は『統一協会=原理運動』で、次のように述べている。
 「文も自由の身となって再び南へ戻る。ところがここでも文は、いわゆる『梨花女子大事件』のような凄まじいセックス事件を引き起こす。これについては和賀氏や萩原氏のほか、山口浩氏の『原理運動の素顔』(エール出版社)を参照してほしい。そこには、文の餌食となった元梨花女子大英文科4年生の生々しい告白も載っている」(72~73ページ)
 後述するが、梨花女子大事件は、兵役法違反で起訴された事件であり、「セックス事件」などではない。また、和賀真也氏の記述は、「血分け」などではなく、信者夫婦が家庭を持つときに夫婦間で行う宗教的儀式である「三日行事」(注、この意味は後述する)の内容に他ならない。また、萩原遼氏の著書のデタラメぶりや虚偽についても後述する。

 ところで、山口浩氏は『原理運動の素顔』で次のように述べている。
 「55年7月4日のことだった。罪名は『不法監禁嫌疑』と『兵役嫌否』。当時の新聞は一斉に書き立てた。〝婦女を弄絡した文教主の行状〟〝猟色行為、文教主は夫のある金順昌(仮名36)と同協会単間房(注:一間の部屋)でけしからん行為に及んだ〟」(186ページ)
 山口浩氏は、さらに次のように述べている。
 「文教祖に青春を捧げたある婦人の告白
 李夏姫さん(仮名)は質素な煉瓦色のセーターに黒っぽいスカート、束髪にした地味な中年婦人だった。化粧気のないうりざね顔は、典型的な美人顔で、若いころはさぞ綺麗であったろうと思われる。だが、その顔には、1日の疲れが淀んでいた。彼女は職業婦人であり、1日の勤めをおえた夜に会ったからだ。以下、一問一答をする。
 ――貴女は当時、梨花女子大生でしたか?
 李 ハイ。
 ――何年生でしたか?
 李 4年生です。
 ――文鮮明に血分けをされた事実はたしかですか?
 李 ……(黙って頷く)
 ――それまで貴女は男性関係は?
 李 ……ありません。
 ――それでは処女を文鮮明に捧げたことになりますネ。
 李 ……(黙って頷く)
 ――あげてよかったのだとその時思いましたか?
 李 その時は、そう思いました。
 ……文が逮捕されたことがきっかけで、李さんは統一教から離れた」(192~193ページ)

 この李夏姫(仮名)に対する山口浩氏のインタビュー記事は、萩原遼著『淫教のメシア・文鮮明伝』77~78ページにも引用されている。
 ところで、梨花女子大事件の真相を『受難の現場』(光言社)がまとめている。当時、世間を賑わせたこの事件を、新聞は頻繁に記事として報じている。『受難の現場』から、当時の主な新聞記事を以下、取り上げる。
 「不法監禁等の嫌疑――統一教会教主を逮捕(『京郷新聞』1955年7月6日付)
 ……宗教界に大きな波紋を投げかけ、一部の教会では、邪教だとさえいうなど、少なからず、人々の目を引いてきたが、かなり前から、治安局、特殊情報課は、検察側と協議のもとに、同教に対する内偵を続けてきたところ、4日午後5時、ついに、同教教主・文鮮明(36)氏を、兵役法違反および不法監禁等の嫌疑で逮捕した」(123ページ)
 「文教主等、逮捕起訴(『平和新聞』1955年7月30日付)
 ……統一教会事件は、検察捜査が一段落し、29日、教主・文鮮明氏をはじめとする劉孝元、劉孝敏、金元弼氏等4名は、兵役法違反および徴発特別措置令違反で、劉孝永氏は兵役法違反で、各々逮捕起訴された」(124ページ)
 「文教主に懲役2年――昨日、統一教事件求刑(『平和新聞』1955年9月21日付)
 ……この日、公判場は、同統一教の男女信徒たちで、立錐の余地なく超満員であったが、話題の焦点となっていた教主・文被告の姦通嫌疑は、告訴権者の告訴がなかったため、やむを得ず、公訴を維持する理由がなくなり、前記の罪目だけで起訴されたものである」(124~125ページ)
 「文教主だけは無罪――統一教会事件言い渡し(『京郷新聞』1955年10月5日付)
 統一教会事件が、4日、ソウル地方法院でついに判決を受けたが、当事件の主人公である教主・文鮮明被告は無罪となり、その他4名の被告は、有罪と判決された。これらはみな、兵役法違反で起訴されたものだ」(126ページ)

 以上のように、梨花女子大事件は、兵役法違反で起訴された事件であり、浅見定雄氏が述べる「セックス事件」ではない。また、山口浩氏が述べる「血分けをされた事実」という「姦通嫌疑」自体がなかった裁判である。しかも、起訴された兵役法違反においても、文師は無罪であった。これが真実である。
 それにも関わらず、山口浩氏はこの事件をきっかけに脱会した李夏姫(仮名)という元信者の女性をとり上げている。「姦通嫌疑」自体がないのに、どうやって被害者だという女性を探し出したというのか? 大いに疑問である。辻褄の合わない証言である。すべてが作り話だと疑わざるを得ない。しかも、そういう女性を探し出したにも関わらず、その女性の証言が、実にあいまいな記述になっている。山口浩氏は、その女性が「黙って頷く」としか書いていないのである。
 なお、山口浩氏は『原理運動の素顔』「裁判では無罪となったが、火のない所に煙は立たない」(189ページ)と述べるが、ドライアイスに湯水をかければ火はないのに煙らしきものがモクモクと立ちのぼる。そして〝煙〟が晴れた後には何も残っていない。それと同じで、悪意があれば、火はなくてもいくらでも〝煙〟は立つのである。そしてこれは最近のマスコミ報道に指摘される事実を無視した〝印象操作〟と同じことなのである。

(3)〝血分け〟の中傷のルーツ――金景来著『社会悪と邪教運動』(日本語訳『原理運動の秘事』

 元オリンピック新体操選手Yさんが反対牧師から説得を受けて脱会したころ、元信者がテレビに出演し、それに追随するかのように、反家庭連合ジャーナリストや反対牧師も一緒になって〝血分け〟キャンペーンに血道を上げた。
 反対派による数多くの家庭連合批判書が出版されているが、その批判書の多くに〝血分け〟の中傷が書かれている。韓国の古参信者(36家庭)を含め、元信者の誰一人として体験者や目撃者がいないのに、〝血分け〟があるとどうして断言できるのか。「嘘も百回繰り返せば真実になる」で、根拠なき中傷が繰り返されるうち、元信者はそれを信じ込まされたと言える。まさに、これこそ〝洗脳〟である。
 批判書に書かれた〝血分け〟の情報がどこから出てきたのかをそれぞれの書を読み比べて情報の源流を調べると、結局〝血分け〟の中傷のルーツは、韓国で出版された金景来著『社会悪と邪教運動』(著作日付1957年7月15日)という一冊の本であることが分かる。
 この書は、日本語に翻訳されており、『原理運動の秘事』という書名で 1967年12月20日、韓国書籍センターから出版された。
 金景来著『社会悪と邪教運動』は、もともと家庭連合とは無関係の朴泰善牧師の率いるオリーブの木教会(伝道館)を批判した書籍であり、家庭連合に触れた部分は1割にも満たない。その翻訳本を出版するとき、わざわざ『原理運動の秘事』という書名にすること自体、悪意があり、非常識である。おそらく、翻訳者や出版社に「家庭連合を批判しよう」そうすれば「売上げが上がる」との意図があってのことであろう。ちなみに、この翻訳書の日本における出版時期は、当時、マスコミが騒いでいた「親泣かせの『原理運動』」という反対キャンペーン時期と重なっている。

 この金景来氏の著作のあり方や、その出版姿勢に対しては、反対派の中からも問題点が指摘されている。
 例えば、日本共産党機関紙「赤旗」の元記者、萩原遼著『淫教のメシア・文鮮明伝』(晩聲社)には、次のように書かれている。
 「この金景来氏の著書は、血分け教にたいする批判に急なあまり、金百文のいっていないことを勝手につけ加えたり、筆者の金景来氏のことばを金百文のことばとして引用符でくくったりする文筆家の守るべき初歩的なルールに反した部分が少なくない」(96~97ページ)
 金景来氏が執筆した1957年前後は、1955年5月11日、梨花女子大学の教授や学生の10数名が統一教会の信仰をめぐって退学処分を受ける、いわゆる「梨花女子大事件」が起こり(「韓国日報」同年5月23日付、「東亜日報」同年5月17日付、「ソウル新聞」同年5月15日付)、同年7月4日、さまざまな憶測が飛びかうなか、文師と統一教会幹部4名が「兵役法違反および不法監禁等の嫌疑」で治安当局に拘束される事件が起こった。巷では、統一教会は〝淫乱宗教〟であるという風聞が流されていたのである(「京郷新聞」同年7月6日付、「平和新聞」同年7月30日付)。

 金景来氏は、そのときの風聞(文師には姦通の疑いがあるのではないかなど)をもとにして、家庭連合(旧統一教会)の部分を著述したと推察される。
 文師はソウル地検にて「兵役法違反」の嫌疑で取り調べを受けているが、前述したとおり〝姦通嫌疑〟については、告訴権者の告訴がなく、公訴自体なかったのである。そして「兵役法違反」についても、同年10月4日、ソウル地方院で「無罪」が言い渡され、身の潔白が証明されている。
 そのような歴然とした事実があるにもかかわらず、どうして〝血分け〟の中傷が相変わらず続けられていったのか。それは、反対派の人々に、何としてでも「文師を貶めよう」とする動機と目的があったからに他ならない。
 当時の新聞を読めば、文師が拘束されたのは〝兵役法違反〟の問題であったことが分かる。また、韓国の法廷記録の正式コピー文書(1974年7月1日付)にも、「Violation of Military Draft Law」と明記されており、それが「兵役法違反」であったことが明確である(『OUR RESPONSE』253ページ)。
 この〝血分け〟の中傷のルーツを探っていくと、結局、その源流は、当時流されていた単なる〝風聞〟でしかなかったのである。

(4)元赤旗記者の萩原遼氏の著書『淫教のメシア・文鮮明伝』のデタラメぶり

 反対牧師が1980年代、脱会説得に用いた書籍に萩原遼著『淫教のメシア・文鮮明伝』(晩聲社)がある。反対牧師は、この書籍を根拠に〝血分け〟の中傷を行ってきた。
 例えば、日本基督教団・機関紙「教団新報」1986年4月26日号に、川崎経子牧師が、親族によって監禁された家庭連合信者を脱会説得するとき、萩原遼氏の書籍を読ませて動揺させたとある。同様の記事が「教団新報」1987年4月4日号の第2面、同1987年11月7日号の第1面にも記載されている。
 反対牧師は、この萩原遼氏の著書を読ませながら、家庭連合信者を脱会させるための説得を行ってきた。このデタラメな内容の『淫教のメシア・文鮮明伝』によって、脱会させられた元信者がいることは、実に寒心に堪えない。
 では、萩原氏は何をもって〝血分け〟があると言うのであろうか?

① 鄭鎮弘氏の〝推論〟に基づいた論文
 萩原氏は、まず韓国神学研究所の研究誌「神学思想」75年秋号掲載の鄭鎮弘氏の論文「宗教祭儀の象徴機能」をその根拠としている。萩原氏は、次のように述べる。
 「血分けは、統一協会発祥の日より今日まで25年にわたって連綿とうけつがれてきたのだ。その事実がわかったのは、ソウルから筆者の手もとに届いた一冊の学術雑誌からだった」(10ページ)
 「240ページにおよぶ朝鮮語の学術誌を読みすすめるなかで、『宗教祭儀の象徴機能』の論文にきて、筆者はおどろきから声をあげそうになった。……集団結婚式こそ血分けの儀式にほかならないとはっきりと書かれているのである」(16ページ)
 萩原氏は、鄭鎮弘氏の論文をベースに、統一教会では〝血分け〟をやっているという著述を進めている。
 では、果たして萩原氏がいうように、この論文が、〝血分け〟をしているという明確な証拠を提供しているのであろうか。実は、この萩原氏の発言には、〝虚偽〟が含まれている。
 萩原氏は『淫教のメシア・文鮮明伝』の資料篇に、〝その証拠〟とする鄭氏の論文を翻訳して、収録している(144~166ページ)。それを読むと、鄭氏自身は、「聖婚」や「祭儀的両性具有化」という観点から推論してみるときに、「少なくとも一定の段階までは(例えば3子女聖婚式や33組聖婚式までは)そうした『儀礼的性交』がおこなわれたであろうという可能性を完全に排除できない」(160ページ)、「『血分け』の現実性が推測される……」(164ページ)と述べているにすぎない。つまり、鄭氏は「『儀礼的性交』がおこなわれたであろうという可能性を完全に排除できない」と推論しているにすぎず、具体的証拠は全くないのである。
 ところが、萩原氏はそこから一気に飛躍して、血分けの事実が「はっきりと書かれている」というのである。これは捏造とも言える行為である。
 鄭氏の「少なくとも一定の段階までは(例えば3子女聖婚式や33組聖婚式までは)そうした『儀礼的性交』がおこなわれたであろうという可能性を完全に排除できない」とする主張について、後述するようにこの聖婚式に参加した韓国の古参の元信者(36家庭)も「血分け」はなかったと否定している。

② 元信者の筆記ノート
 次に、萩原氏は、「朝日ジャーナル」1978年10月6日号記載の和賀真也牧師の文章を証拠にしている(30ページ)。
 和賀牧師のニュースソースは元信者の筆記ノートである。そこには、萩原氏が憶測する「文師と肉体関係を持たなければならない」という内容は一切なく、何ら証拠になっていない。しかもそれは、萩原氏が問題にしたがっている〝血分け〟に関するものではなく、あくまでも〝夫婦間だけ〟で行われる「三日行事」について、ある元信者がノートに書きまとめたものと思われる。これも、〝血分け〟の証拠には何らなっていない。
 ところで、和賀牧師は、その著書『統一協会と文鮮明』(新教出版社)で、夫婦間だけで行う「三日行事」に関する質疑応答と思われる内容に、卑猥な表現と補足を勝手に書き加えて掲載している(292~296ページ)。
 また、川崎経子牧師は、「初夜の一つ一つの動作まで詳細な規定があるようだが、それが真実であるとすれば、とてもイヤラしくて、私にはそれを書く勇気がない」(『「原理に入った若者たち」――救出は早いほどいい』42ページ)と述べている。萩原氏自身も『淫教のメシア・文鮮明伝』で、この三日行事を「醜悪な儀式」(29ページ)と決めつけている。
 しかし、夫婦の性生活について述べることが果たしてイヤラしいことであろうか。一般キリスト教でも信徒の信仰指導として、テオドール・ボヴェー著『真実なる結婚』(ヨルダン社)、同著『性と愛の発見』(YMCA出版)、H・P・ダン著『愛と性と結婚生活』(サンパウロ)など、夫婦の性生活を具体的に指導した書籍が数多く出版されている。
 家庭連合の「三日行事」は、夫婦として原罪から解放されるための家庭出発時の重要な宗教儀式である。儀式である以上、その手順に間違いがあってはならず、丁寧にその内容が説明されることは当然のことである。それを川崎牧師のように宗教儀式であることを考慮せず「イヤラし」と俗世的判断をするのは、宗教人として余りにも見識がないと言わざるを得ないのである。

③ 名誉毀損となった元信者・金明煕の証言
 また、萩原氏は〝血分け〟に関する内部告発があったとして、金明煕氏(男性の元信者)の発言を証拠としている(34~40ページ)。しかし、金氏はこの件で、韓国の裁判所によって「名誉毀損」などの罪状で裁かれ、1年6か月の実刑に処されている人物である。萩原氏はその事実を知っていながら、あえてそれを証拠としているのである。
 しかも、『淫教のメシア・文鮮明伝』のあとがきの末尾には〈補遺〉として、小さな文字で「告訴人金明煕氏は、訴状提出後、統一協会より名誉毀損で逆告訴され、敗訴し姿を消したといわれる。韓国中央情報部(KCIA)が背後にある統一協会を訴えることの困難さをあらためて示したと言える。だが、この『敗訴』がそのまま金氏の主張を無効とするものでないことはいうまでもない。……金氏の告訴も、韓国の民主化の進展とあいまって、もう一度問い直される日がくると思う」(193ページ)と平然と述べている。さすが元赤旗記者と言わざるを得ない悪意に満ちた記述である。韓国の大法院が〝虚偽の判決〟をしたと言わんばかりの問題発言で、韓国の法廷への侮辱と言うべきものである。
 結局、萩原氏が〝血分け〟の証拠として取り上げた、元信者・金明煕氏の発言自体も、何ら証拠になっていない。

④ 卓明煥氏の証言
 さらに、萩原氏は〝血分け〟の証拠として、「韓国の研究者による研究成果によってあとづけてみよう」(『淫教のメシア・文鮮明伝』44ページ)と述べ、拉致監禁による強制脱会説得の草分け・森山諭牧師の著書と同様に、卓明煥氏の証言を盛り込みながら、独自の論述をしている。
 この卓明煥氏の〝血分け〟の中傷が事実に反し、何の根拠もないことを統一教会側が追及した際に、卓氏は1978年9月、統一教会への「謝罪文」を発表している。萩原氏はそのことを知っており、そのためか個別の名前を明記せず、あえて「韓国の研究者」とあいまいに表現している。また、前掲書の巻末の〈補遺〉で「卓明煥氏が、その後、『あれはおどされて書いたものだ』とそのいきさつを公表し、反撃に転じた」(193ページ)と述べ、卓氏を擁護している。
 しかしながら、1993年10月27日放送の某テレビ局のワイドショーで、卓明煥氏自らが「統一教会は教理的にはセックス教理だが、今まで実際には証拠がなかった(朴正華著『私は裏切り者』224ページ)と真相を激白しており、そのような情報をいくら書き綴ったところで、何ら証拠にはなっていない。ちなみに、このワイドショーに一緒に参加した36家庭の元信者・劉孝敏氏が、番組で〝血分け〟を否定したことを朴正華氏は次のように書いている。
 「テレビでは、『血分け』の話がでてきたので、36家庭の劉孝敏氏に注目が移り、劉氏の妻が文氏とセックスをして『血分け』をしたのか、という(司会者の)質問が出た時は緊張した。……大方の期待を裏切って、劉氏は『血分け』を否定した。自分たち(劉孝敏氏夫婦)が祝福を受けたとき、文先生との『血分け』はなかったといったのである」(同、223ページ)
 萩原遼著『淫教のメシア・文鮮明伝』は、「36組の結婚式までは文鮮明がじきじきに新婦に血分けをおこない、その女性たちを新郎に与えていた」(24ページ)と書いているが、そのような事実はないのである。

⑤ 金景来著『原理運動の秘事』について
 さらに、萩原氏は事もあろうに、萩原氏自らが「批判に急なあまり……文筆家の守るべき初歩的なルールに反した部分が少なくない」(96~97ページ)と批評している金景来著『原理運動の秘事』をその証拠として挙げている。自らが〝問題あり〟とする書から、わざわざ引用している萩原氏自身にこそ、問題ありと言わざるを得ない。
 しかも萩原氏は、金景来氏の著書を引用しながら、そこで改竄とも言える行為をしている。萩原氏は、(文師は平壌で)広海教会という名称の教会を建て、その中心に納まった」(64ページ)と書いているが、金氏の著書には、「文師が広海教会の中心に納まった」とは、どこにも書いていないのである。
 金景来氏の著書には、「彼ら(李龍道牧師、黄国柱牧師の弟子)は広海教会という看板を掲げ、昼夜となく集まっては手を叩きながら賛美歌を歌うのであった。李、黄の両人が分裂して引退した後、つまり8・15解放を前後した時期にこの集団に1人の青年が登場したが、それが文鮮明であった。文は、その当時、国内で一流に属する富豪朴某氏の姑と、いわゆる彼らのいう清潔な性交をすることによって混淫派の上座につくようになった。ここで、彼らの元祖である李、黄と文鮮明の中間には当然無名の混淫派10人余りが介在したとみるべきである」(『原理運動の秘事』43ページ)とあるだけである。
 つまり、そこに書かれていることは、萩原氏が言うような、文師が「広海教会という名称の教会を建て、その中心に納まった」のではなく、広海教会の信徒が、李牧師、黄牧師の分裂後に、断定することはできないにしても、文師のもとに幾人かが集まってきたと推測される、としか読めない文章なのである。

 萩原氏は、特定の意図に合わせるために、著者の言っていないことまでも、そこに読み込んで曲解しており、それこそ「文筆家の守るべき初歩的なルールに反した」ことを自ら行っているのである。
 しかも、李龍道牧師と黄国柱牧師は共に活動したことがない別の集団であるにもかかわらず(閔庚培著『韓国キリスト教史』日本基督教団出版局、132~136ページ、および同著『韓国キリスト教会史』新教出版社、342ページ)、金景来氏は、李牧師と黄牧師が一緒に活動していたかのように書いており、金氏の著述自体の信憑性が問われてしかるべきなのである。そのような事実関係を確かめずに引用する萩原氏の著作も、「血分け教にたいする批判に急なあまり、金景来のいっていないことを勝手につけ加えたり……文筆家の守るべき初歩的なルールに反した部分が少なくない」類のものでしかない。
 ちなみに、萩原氏は、統一教会に〝血分け〟があったことの傍証として、張愛三というクリスチャン女性の証言を挙げている(69ページ)が、これも疑問符のつく金景来氏の著書からの引用である。しかも、その証言の使われ方が、金氏サイドにも、萩原氏サイドにも問題があり、二重、三重の疑問符を付さなければならないものとなっている。

 張女史は牧師夫人であったとされるが、金景来氏の『原理運動の秘事』によれば、張女史は1957年3月18日付け「世界日報」(注、現在の「世界日報」とは異なる別の新聞)に自らの罪の告白を掲載した。その中で張女史は、自分が牧師夫人でありながらいわゆる『血分け』を受けたとしている。ところが、この告白文の中で張女史が批判しているのは、その当時、教勢を拡大し、かつ多くの批判も受けていた朴泰善牧師(の集団)に外ならない。文師については、風聞に基づいた間接的批判しか展開していない。
 張女史は直接的には、朴泰善牧師との間でイザコザが生じたのに、これを萩原氏は統一教会との問題であったことに〝すり替え〟ようとしているのである。金景来氏によれば、それは張女史の夫の経営する孤児院への寄付問題であったとされる(『原理運動の秘事』28~38ページ)。
 金景来氏は、この部分の書き出しで、張女史が統一教会の李泰允牧師と霊体を交換(注、血分け)したことを、張女史の夫である白英基牧師が聞いたことから始めているが、もしこの李泰允牧師が統一教会の人物であったならば、白牧師は統一教会と争うはずなのに、その後に続く文章は白牧師が朴泰善牧師と利害関係が対立したとの説明になっている。
 したがって、張女史と霊体を交換したとされる李泰允牧師は、朴泰善牧師側の人物でなければつじつまが合わないのである。ここにも、金景来氏の記述の信憑性のなさが伺われるのである。
 ちなみに、この牧師夫人の〝血分け〟告白の件について、森山諭牧師著『現代日本におけるキリスト教の異端』は、情報の出所を明確にしないで、文師と牧師夫人が〝血分け〟をしていたとして、「韓国でこの運動が問題化したのは、文氏がある牧師夫人と血分け行為中、主人に発見されました。主人は牧師の立場上、苦しみながらも不問に付しましたが、その夫人は良心の呵責に耐えかね、公けの席上でそれを告白したことから、世論のひんしゅくを受け、マスコミを沸かしました」(114ページ)と書いている。
 この情報は、内容から見て、張女史の告白が他の風聞と混ざり合って、かたちを変えたものと思われる。森山牧師は、すでに文師との間で〝血分け〟があったと決めつけており、風聞は人から人へ伝わるうちに〝事実へと変貌を遂げる〟恐ろしさを感じるものである。

 以上のように、改めて検証してみると、萩原氏が証拠として挙げているものは、すべて証拠になっていない。これでは、萩原氏の論述のすべてが〝捏造〟と疑われても仕方がないのである。

⑥ 萩原氏の驚くべき〝事実の捏造〟
 萩原氏の著書にはさらに驚くべき〝事実の捏造〟がある。実は、萩原氏は、文師が李龍道牧師から直接〝血分け〟を教わったかのように書いているのであるが、李龍道牧師は、文師が故郷・定州におられた13歳の時、すでに客死しており、2人は直接会ったことはない。それにもかかわらず、萩原氏は次のように書いている。
 「文は混淫・血分けという醜悪な教義とその実技を学んで目を開かれた。……1946年6月6日、またも〝神の啓示〟で文は北朝鮮の平壌に行く。平壌は当時、混淫・血分けの本拠であり、李龍道や黄国柱というこの道では知られた〝教祖〟たちがいた」(52ページ)
 「この李龍道の集会では『汎性欲主義的な原理を集会のたびごとにひそかに教えた』のであった。ところが、10代半ばのころの文鮮明の経歴を統一協会はひた隠しにしており、霧につつまれている」(55ページ)
 「10代半ばの文は、李龍道の説く『愛の講論』にすっかり酔いしれてしまい、はじめてきかされる未知の世界にがく然として異常な興味を覚えたのである。そして、学業もそっちのけでこの教理に沈溺した」(56ページ)
 「統一協会の公式文献によると、10代のころの文鮮明はいったいなにをしていたのか。学校に通っていたことと16歳のときの神の啓示しか出てこない。まして、このころに、血分け教の開祖である李龍道のもとに通っていたことなどおくびにも出していない」(57ページ)

 萩原氏は、まるで文師が李龍道牧師と直接会ってでもいるかのように滔々と書き連ねている。ここで、萩原氏は〝完全な創作〟をし、すでに死んでいる李龍道牧師が生きているものとして〝事実を捏造〟しているのである。これでは、萩原氏の著作全体に信憑性がないことが強く疑われても致し方ないことである。

 (注)文師がソウルへ行かれたのは、1938年春、京城商工実務学校電気科に入学されたときで、満18歳であった。ところが、萩原氏は54ページで、1934年春、ソウルの五山高等普通学校に編入したと書いている。これも明らかな間違いで、文師が1934年に編入されたのは、定州にある私立五山普通学校で、このような間違いを平然と犯している。いずれにせよ、この時すでに李龍道牧師は死去していた。

 萩原氏は、日本共産党機関紙「赤旗」の元記者である。如何に「赤旗」の元記者であろうと、〝事実を捏造〟することは許されることではない。この著書が出版された1980年ころは、日本共産党が連日、「赤旗」で統一教会を誹謗中傷していた時期である。
 統一教会に対して敵意を抱いていた萩原氏は、その延長上で、言わば「初めに結論ありき」の立場から〝血分け〟の中傷をしているのである。
 客観的証拠が一切なく、ただ悪意から書かれた〝虚偽の内容〟の悪本を用いた脱会説得によって、家庭連合信者が脱会させられてきた事実は、極めて遺憾である。

(5)反対派に乗せられて書いた朴正華著『六マリアの悲劇』の真相

 家庭連合(旧統一教会)に対する〝血分け〟の中傷は、1950年代半ばから絶えず行われてきた。しかし実際には、卓明煥氏が日本の某テレビ局のワイドショーで、「今まで実際には証拠がなかった」(1993年10月27日)と自白したように、証拠は何もないにもかかわらず、反対派が語り続けてきた〝虚偽〟なのである。
 家庭連合を貶めるため、何としてもその証拠になるものを提示したいと切望していたところに、問題の書、朴正華氏の『六マリアの悲劇』(恒友出版、1993年11月4日刊)が登場してきたのである。
 朴正華氏は、その後、悔い改め、『六マリアの悲劇』で書いた文師のセックス・スキャンダルは、すべて〝でっち上げだった〟として、真相告白の書『私は裏切り者』(世界日報社、1995年11月1日刊)を出版した。
 では、著者の朴正華氏が〝でっち上げ〟であることを自ら暴露した、問題の書『六マリアの悲劇』は、どのようにして出版されることになったのか。その経緯について、朴正華氏自らが『私は裏切り者』の「はじめに」で、次のように述べている。長文になるが、重要なので次に引用する。

 「当時(1993年)、日本では、韓国で行われた3万双国際合同結婚式以来、統一教会に異常な関心が集まっていた。そこに、教会の草創期を先生とともに歩んだ男が、『真のサタンは文鮮明だ』と銘打って、ありもしない先生の『セックス・スキャンダル』をブチ上げたのだから、これは一大事件である。統一教会批判のネタ漁りに余念のない反統一教会ジャーナリストが、黙って指をくわえたまま放って置くはずがない。
 たちまち私は、〝統一教会バッシング〟に便乗、相乗りした週刊誌やテレビ・ワイドショーの寵児となってもてはやされた。なぜ、大恩ある先生をマスコミに売るような信義に悖ることをしたのか。それは先生に対する憎しみ、抑えることの出来ない私憤のためである。私は『六マリアの悲劇』を、先生と差し違える覚悟で書いた。先生の宗教指導者としての生命を断ち、統一教会をつぶして俺も死ぬ、そんな破れかぶれな気持ちだった。だから、ありもしない『六マリア』までデッチあげたのである。
 昔から宗教指導者を陥れるためには、セックス・スキャンダルほど効果的なものはない。聖なるものを泥まみれにして叩きつぶすには、その最も対極にあるセックス・スキャンダルほど有効な手段はない。そのことは誰もが知るところで、私もその卑劣な手段に手を染めた。
 『生きるも死ぬも一緒』とまで誓った男と男の約束を、自ら裏切るほどの憎しみが生じたのは、なぜか。その赤裸々な告白が、この本の一つのテーマであるが、ここでかいつまんでお話しよう。
 私は夢で、文先生が『再臨のメシア』だと教えられ、一緒に生活する中で、多くの奇跡を体験してきた。だから、先生が再臨のメシアであると確信できたのである。ところが、人間とはおかしなもので、いくら夢のお告げを聞いて体験しても、めまぐるしく移り変わる現実生活がだんだん自分中心になっていくと、それにつれ自分自身も見失っていく。そうなると、神の摂理のために公的に生きる先生まで、自分中心にしか見られなくなる。統一教会の教勢が発展していくにつれ、優秀な人材が教会に入ってくる。摂理を進めるために、先生がその人たちを活用する。
 そういう時、私は何か自分が疎外されているのを感じ、愛の減少感にとらわれ、孤独の淵に落ち込む。そうなると、なかなか立ち直れない。真理を学ぶ気持ちもおきないし、祈る気持ちにもなれない。ただ、寂しさだけがひたひたと募ってくる。自分だけのことしか意識のいかない、そんな世界を乗り越えることは難しいことだ。その時、自分の心に何かが囁きかけてくる。あなたは正しいんだ。あなたを認めない相手が悪いんだ。そんな相手は倒さなければならない―と。強烈な自己正当化と相手に対する批判と憎悪。
 聖書には、イエス様を裏切る前のイスカリオテのユダに『サタンが入った』と書かれているが、そのような得体の知れない冷たい思いこそ、サタンの囁きかも知れない。これにとらわれると、だんだん居ても立ってもいられなくなる。お前を裏切ったのは文先生の方だ。お前は先生にだまされている。先生は身内のものを身近におき、先生のために苦労したものを無慈悲にも捨て去った。その証拠に、お前も追い払われたではないか。憎め!悔しがれ!復讐だ!彼を倒すために何でもやれ…。
 こんな時に限ってよくしたもので、日本の出版社から〝おいしい〟出版話が持ちかけられた。金に困っていた当時の私には、願ってもない話だった。『朴先生の本だったら20万部は売れますよ』と。〈定価1500円の印税10%、一部につき150円で、20万部だと3000万円(韓国のウォンで約2億1000万ウォン)が手に入る計算になる〉と、ついその気になり、とんでもない本を出してしまった」(2~5ページ)

 朴正華氏は、家庭連合(旧統一教会)の草創期を歩んだ、数少ないメンバーの一人である。しかも、興南の徳里特別労務者収容所で文師とめぐり会った、古参信者の一人であった。ところが、後から入教してきたメンバーが自分より優遇されて用いられていく姿を見て、寂しい思いにとらわれ、やがてその寂しさが憎しみへと変貌を遂げていったのである。
 その憎しみに取り憑かれた朴正華氏は、まさに〝魔がさした〟ように文師を貶めてやろうと思っていたのである。朴正華氏が文師を憎んでいることを知った反対派の人々が、朴正華氏を放っておくはずがない。願ってもない獲物が来たと言わんばかりに、朴正華氏に急接近し、うまい出版話を持ちかけていったのであった。
 こうして、朴正華氏は家庭連合反対派のジャーナリストおよびキリスト教関係者らから持ち上げられ、センセーショナルにマスコミでも取り上げられるようになった。そして出版されたのが『六マリアの悲劇』(恒友出版)だったのである。
 しかし、朴正華氏はその後、『六マリアの悲劇』の内容は、〝文師に対する個人的な恨みからでっち上げた作り話で、真相はこうである〟として、約2年後の1995年11月1日、『私は裏切り者』(世界日報社)を出版したのである。そうなった経緯を、朴正華氏は次のように語っている。これも長文になるが、次に引用する。

 「『六マリアの悲劇』を出版した後、私は本の販売キャンペーンのため日本全国の反統一教会グループの集会に顔を出し、本のPRをして歩いた。キャンペーンの反応は悪くなかったので、私の期待は膨らんだ。しかし、意気込みに反して本はあまり売れなかった。
 そんなある日、ソウルの安炳日氏から仁川の自宅に電話が入った。会いたいというので、気軽にOKをした。仁川から電車でソウルに出て、待ち合わせたロッテホテルのコーヒーショップで彼と会った。私は当然、彼が私の本の出版を非難してくると思っていた。そうしたら、その場ですぐ殴ってやろうと思った。そして、この本をさらに英訳して世界に公表しようと思っていた。たまたま、日本の反統一教会グループから、再び全国巡回講演の依頼を受けていた時でもあった。
 『朴先生、お元気ですか』
 にこにこして挨拶する彼に、私は『あーっ』とあいまいな返事をしながらコーヒーを飲み始めた。私は、先生を裏切る行為に出た理由を、一つ一つ語った。
 『捿鎮鉱山に追いやられ、何の援助もなかった』こと。
 『教会に戻ろうとしたが、組織が出来上がっていて、もう自分の位置がなかった』こと。
 『後から来た者に「はい、はい」と頭を下げることができない』ことなどである。
 さらに『ダンベリーに7回も手紙を出したのに返事がこない』こと。
 『一和の金元弼社長に20回も電話したが、返事もこない』ことも付け加えた。
 自分の主張をまくしたてたあと、教会を出た後に反教会グループの者から聞いた悪口も、怒鳴るように大声を出して吠えた。彼は、私の話をたっぷり2時間の間、黙って聞いてくれた。それで、私の心はすっきりした。安氏はそれから、問題の一つ一つについて丁寧に説明してくれた。
 彼とは、金徳振氏の一件で一緒に仕事をしたことがある。心の中で、統一教会にもいい人がいるんだな、とかつて抱いた思いがよみがえってきた。本の出版前に彼に会っていれば、こんな馬鹿なことはしなかったかも、という悔悟の気持ちがわいてきた。
 その日はそれで別れ、その後彼と2、3回会って話をした。彼は最後に会ったとき、日本の兄弟たちが(朴正華)先生の本で相当苦しめられている、とポツリと言った。私は〈何言っているんだ。今まで俺を疎外したくせに。日本の兄弟が苦しむのは、(文鮮明)先生に対する復讐なのだ。ざまあみろ〉という気持ちに戻った。
 それから少し経ったある日、安氏から電話が入った。また会いたいという。会ってみると、彼は真剣な表情でこう切り出してきた。
 『朴先生と一緒に日本で本を出版した人たちが、政府のある高官と手を組んで、朴先生の本を韓国語に翻訳し、2、3百万部を韓国中にばらまき、統一教会を壊滅状態に追い込む。それをやめさせてやるから、2、3百億ウォンを自分たちに払えと脅迫してきた』
 驚いた私は、彼の顔をじっと見つめていると、『自分は、政府の関係者を通して、金大統領がそのようなことをするのかと尋ねたところ、そういうことはないと言われた。もし、それが本当なら恐喝で彼らを牢屋に入れる、と言われたそうだ』
 私は、心臓が止まるほどの驚きを覚えた。
 『朴先生は、その一味に加担しているのですか』
 たしかに、私は、(文鮮明)先生をやっつけようとしたが、それは私憤からである。それが、仲間に利用されて統一教会を恐喝し、金儲けの道具にされていることを知り、義憤と落胆が交錯した。だが、安氏は私を咎めなかった。彼は、逆に私をなぐさめてくれた。人間とはおかしなものだ。悪口を言われると、『何を!』と対決する力が出るが、過ちを怒らないでかえって慰められると、何か悪いことをしたような反省の気持ちにさせられる。
 さらに、少し日が経って、安氏ともう一度会った。
 『日本で反対派が、先生の本を利用して兄弟たちを苦しめている』
 最初にそれを聞いた時は、〈ざまあみろ〉という気持ちだったが、それが金儲けのための道具に利用されていると聞いた後なので、私の心は複雑だった。ちょっと可哀想な気がして、良心の呵責を覚えた」(231~234ページ)

 朴正華氏は、〝個人的恨み〟を晴らそうとする動機から『六マリアの悲劇』を出版しようとした。ところが、その本を、心ない一部の反対派の人たちに悪用され、しかも自分を出し抜いて、本人の知らない水面下で家庭連合に〝脅迫まがい〟のことをしているのを知って興ざめしたというのが、朴正華氏が悔い改めた第一の理由だったのである。
 おそらく、孤独な自分の味方だと思っていた反対派からの、いわば「裏切り行為」に遭い、統一教会にいたときに感じた「愛の減少感」以上の疎外感や空虚感を感じたのであろう。もちろん、そこに至るまでには、嘘をついてしまったことに対する良心の阿責から来る「後ろめたさ」と、安炳日氏の、心温まる〝心のケア〟があったのは言うまでもない。
 そして、朴正華氏が悔い改めた2つ目の理由は、『私は裏切り者』の中に書いていることであるが、安炳日氏から紹介されて日本の世界日報社社長の石井光治氏と会い、統一運動の現状を聞かされ、さらにアメリカに渡って統一運動を視察して回ることで、かつて興南の収容所で文師から聞かされていたことが現実のものになっている状況をまざまざと見せつけられ、深く感動したことが挙げられる(参照、『私は裏切り者』237~248ページ)。
 そして、第3の理由として、太田朝久著『統一教会の正統性』を読み、特にイエスの歩まれた生涯と文師の歩まれた生涯路程が、あまりにもよく似ていることを知ったことが一因でもあったとのことである(『私は裏切り者』248~251ページ)。
 このように、朴正華氏は悩んだり苦しんだり、また仲間から裏切られたりして、心の傷を受け、安炳日氏の〝心のケア〟を受けて、立ち直ることができたのであった。
 それにもかかわらず、浅見定雄氏は、(朴正華氏は)日本で本を出したりすれば大金が入ると思っていた期待が裏切られたため、再び統一教会へ寝返ったというだけの話」(『統一協会ボディコントロールの恐怖』かもがわ出版、37ページ)と切り捨てている。これは、あまりにも人の心を踏みにじる発言としか言いようがない。
 『六マリアの悲劇』(恒友出版)は、家庭連合反対派の人々の甘い誘いに乗せられてしまった朴正華氏が〝魔がさした〟かのように出版してしまったデッチ上げの書である。
 ところが、日本で出版された『六マリアの悲劇』が、反対派の策略によって韓国語に翻訳される作業が行われ、韓国にて1996年3月1日付けで『野録統一教會史』(큰샘출판사)という題名で出版された。
 この『野録統一教會史』の出版は、朴正華氏の本意ではなかった。悔い改めて家庭連合に再び帰った朴正華氏に〝秘密〟にして、反対派が出版に漕ぎ着けたものである。事実、この『野録統一教會史』に掲載されている朴正華氏の「前書き」部分は『六マリアの悲劇』(日本語版)の「あとがき」を一部削除して転載したものであり、著作日付も1993年10月の古いままになっている。これは、著者の意向を完全無視して出されたためである。
 韓国で出版された事実を知ったとき、朴正華氏は「その出版は、本人の許可なくして出したもので、違法に当たる」として法的訴えを起こしたのである。
 しかし、満83歳という高齢であった朴正華氏は、係争中、志半ばにして、1997年3月26日に亡くなった。その2か月前の1月に、彼が念願し続けてきた家庭連合の「祝福結婚式」を受けている(「ファミリー」1997年5月号、4ページ)。
 ところが、反対派は、それらの事の成り行きを知らない家庭連合信者に対し、『私は裏切り者』が1995年11月1日に世界日報社から出された後で、1996年3月1日、韓国語訳の『野録統一教會史』が出版されていることから、〝この韓国語の出版が新しい事実から見ても、『私は裏切り者』は家庭連合側がかってにでっち上げて出版したものだ〟と脱会説得をすることもあったのである。これは、反対派のあくどさを表すものである。『私は裏切り者』の出版に際して、朴正華氏自身が日本の教会を巡回し、涙ながらに〝この書籍の内容が真実である〟と語った証拠の映像もある。
 このような出版事情をひた隠しにする手法は、反対派全体に見受けられる傾向である。例えば、1997年8月20日付で出版された浅見定雄監修『統一協会ボディコントロールの恐怖』(かもがわ出版)でも、こういった出版事情のあることを無視し、さも『六マリアの悲劇』には真実が書かれてあるかのごとき思わせぶりで、文師に対するゆがんだ情報を垂れ流し続けている。

 浅見定雄氏は、『六マリアの悲劇』について、「この本の最大の意義は、著者の朴正華氏が統一協会の創立前から文鮮明の片腕だった人であり、文鮮明の『血分け』(『復婦』という)の乱行の生き証人であるという点にある。著者は自分自身も文鮮明の指示で血分けを実行させられたと告白している。この本で明らかになったことはたくさんある……」(『統一協会ボディコントロールの恐怖』14ページ)と記述しているが、著者の朴正華氏本人が1995年11月1日に『私は裏切り者』を出版して『六マリアの悲劇』の内容は〝でっち上げた作り話〟であると告白し、すでに取り消しているにもかかわらず、1997年8月20日に『統一協会ボディコントロールの恐怖』を出版し、前述のように述べるのは、事実を蔑ろにした実にあくどい手口と言わざるを得ない。
 これが反対派の手口である。まさに「嘘も百回言えば真実になる」を地で行っている。文師や家庭連合は長い間、証拠もないのに、キリスト教関係者や反対派グループから〝淫行の教祖〟〝血分け教〟と言われ続けてきた。それは、初代キリスト教会時代においても同様である。極めて古い初期の頃からユダヤ教側が、「イエスを私生児、姦婦の子としてはげしい批判をあびせており、『聖母』マリアとローマ兵士とのゴシップもユダヤ人の間に広くばらまかれていた。二世紀の哲学者ケルズスは、イエスは大工の許婚マリアとローマの兵士パンテラとの間にできた私生児であるとして、はげしくキリスト教を攻撃した」(土井正興著『イエス・キリスト』三一新書、10ページ)と噂し始め、その噂はなかなか止まず、オリゲネスがAD248年頃に書いたとされる『ケルソス駁論』においてさえ、まだ弁明し続けなければならなかったほどである。
 キリスト教会も、近親相姦をしているとか、いかがわしい儀式をしているとか、長い間、噂された歴史的事実があるが、それと同じ状況を家庭連合に対する〝血分け〟の中傷にも感じざるを得ない。
 
二、反対派による「血分け」の言説の〝虚偽〟――反対派の誤った「統一原理」理解

①橋爪大三郎氏のデタラメな「血分け」批判
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』「『血分け』の儀式」という小見出し部分で、家庭連合には「血分け」があると述べているが、家庭連合には「血分け」は存在しない。これは、橋爪大三郎氏のデタラメな説明である。彼は、次のように説明している。
 家庭連合では、「メシアが信徒の女性すべてと性行為をしなければならない。……文鮮明が信徒の女性と性行為を行うことは、統一教会の教義からすれば、当然のことなのだ。これを、『血分けの儀式』という」(236ページ)などと述べているが、そもそも家庭連合には「血分け」は存在しない。
 橋爪大三郎氏は、堕落とは「(堕落)サタンがエバと性行為⇒正しくない結婚と家族⇒罪の血統が全人類に」(235ページ)とし、「これを打ち消すため」に、「(復帰)メシアが信徒の女性と性行為⇒正しい結婚と家族⇒神の王国を建設」(236ページ)などと述べているが、これは彼の歪んだ「統一原理」解釈に他ならない。
 以下、橋爪大三郎氏の著書から引用する。
 『血分け』の儀式
 統一教会の教義にとって、『血分け』が重要になる。
 『原理講論』の堕落論と、そこからの復帰の教義を考えてみると、それがわかる。
         *
 人類が堕落から復帰できるためには、
 (1)メシアが地上に送られ、結婚して、真の父母となる。
 (2)真の父母が、人びとの罪の血統をぬぐい清め、神との関係を正しくする。
 の手順が必要である。メシアは、神のもとから人間のかたちをとってやって来るので、罪の血で汚れていない。そして、イエス・キリストと違って地上で結婚し、地上で真の父母として神の王国を建設する。
 では、真の父母はどうやって、人びとの罪の血統をぬぐい清めるのだろうか。
 それには、堕落の出来事を打ち消す必要がある。
 エバが堕落したのは、サタンと性行為を行なったからだった。そこで罪の血がエバに入り、アダムに伝わり、血統を通じて人類一人ひとりに伝わっている。
 (堕落)サタンがエバと性行為 ⇒ 正しくない結婚と家族 ⇒ 罪の血統が全人類に
 これを打ち消すためには、メシアが信徒の女性すべてと性行為をしなければならない。するとその結婚は正しいものとなる。こうして罪の血統をぬぐわれた人びとが、神の王国を地上に建設することができる。
 (復帰)メシアが信徒の女性と性行為 ⇒ 正しい結婚と家族 ⇒ 神の王国を建設
 文鮮明が信徒の女性と性行為を行なうことは、統一教会の教義からすれば、当然のことなのだ。これを、『血分けの儀式』という」(234~236ページ)
 橋爪大三郎氏が、曲解した内容を述べるのは、『原理講論』の述べる「罪」と「堕落」の意味をまったく理解していないところからきている。
 橋爪大三郎氏は、彼の著書229ページで次のように述べている。
 「第一に、(統一原理は)罪=堕落、だとする。キリスト教(一神教)では、罪=神に背くこと、である。神との関係で、罪が定義される。それは、堕落ではない。統一教会では、罪は堕落である。神との関係でなく、サタンとの関係で、罪が定義されているからだ」
 ここで、橋爪大三郎氏は「統一原理」に対する〝無知〟を露呈している。彼は、「罪=堕落」だと述べるが、『原理講論』は「罪」と「堕落」を明確に区別して論じている。
 「罪」について、『原理講論』は罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになることをいう」(121ページ)と定義している。すなわち、罪とは「天法に違反する」ことであり、これは、神との関係において定義されている。
 「堕落」について、『原理講論』は「人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである(マタイ三・7、マタイ二三・33、ヨハネ八・44)。それゆえ、人間始祖は神と血縁関係を断ちきられた立場に陥ってしまったのであるが、これがすなわち堕落である(429ページ)とあるように、堕落とは、人間が神と血縁関係を断ちきられ(神の血統の喪失)、〝サタンの血統〟になったことをいうのである。ちなみに、新約聖書のマタイ3章7節では、洗礼ヨハネがユダヤ人に対し「まむしの子らよ」と述べ、マタイ23章33節では、イエスが律法学者らに向かって「へびよ、まむしの子らよ」と叱責し、さらにヨハネ8章44節でイエスが「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者……彼〈悪魔〉は偽り者であり、偽りの父であるからだ」と述べている。これらの聖句は、堕落によって人間の血統が、神の血統からサタンの血統に変わったことを示唆している。
 このように、『原理講論』は「罪」と「堕落」を明確に区別している。両者は同じではないにもかかわらず、橋爪大三郎氏は「罪=堕落」であるとして統一原理を曲解し、両者を混同している。この混同から、橋爪大三郎氏のデタラメな「血分け」批判が生じている。橋爪大三郎氏は、『原理講論』をまともに読んでもいないし、ましてや理解もしていないのである。

②人間は堕落によって、どのようにサタンの血統につながったのか?
 ―― 橋爪氏の誤った解釈「性行為を行ったから……罪の血がエバに入った」
 文師は、人間始祖が堕落することで、どのようにサタンの血統につながったかを解き明かしている。橋爪大三郎氏は、「エバが堕落したのは、サタンと性行為を行なったからだった。そこで罪の血がエバに入り」と的外れなことを述べている。しかし、このエバの堕落時点では、まだ「罪の血がエバに入(って)いない。これは橋爪氏のかってな解釈に過ぎない。
 『原理講論』は、霊的堕落について次のように述べる。「非原理的な愛の力は、彼ら(天使長ルーシェルとエバ)をして不倫なる霊的性関係を結ぶに至らしめてしまったのである」(109ページ)。天使長ルーシェルは肉体を持っていないため、この霊的堕落の関係は〝肉体関係〟ではない。また、これは〝偽りの夫婦関係〟である。
 文師は次のように語っておられる。
 「愛には、縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません(『文鮮明先生の日本語による御言集・特別編1』17~18ページ)
 文師は、「夫婦関係は血統的につながりません」と述べているが、霊的堕落におけるエバと天使長ルーシェルとの関係は、あくまでも〝偽りの夫婦関係〟であり、血統はつながらないのである。
 この天使長ルーシェルがサタンとなったのであるが、天使長は霊的な存在であり、肉体を持っていない。そのため、霊的堕落の時点で、人間と血統的につながりようがない。では、どうやって人類は、サタンの血統に結ばれたのであろうか。サタンの血統になったことを、悪なる「血統転換」という。
 文師は、次のように語っておられる。
 「堕落の責任は、サタンを中心としてエバから始まり、アダムに移りました。すなわち、(霊的堕落によって)偽りの生命の種を受けたエバの立場からすれば、神様に代わってサタンが父の位置でエバと一体となって、アダムを生んだ立場となり堕落がなされました。こうしてエバは、天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落した(天一国経典『平和經』908ページ)
 ここで、文師が「エバは、天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落した」と語っているように、堕落エバとアダムの肉的堕落(=肉体関係)によって、天使長とアダムが「父と息子」(=偽りの父子関係)の立場となり、〝偽りの血統〟がつながったのである。肉的堕落は、偽りの関係であっても〝偽りの父子関係〟という縦的愛の関係を結ぶことで〝偽りの血統〟がつながったのである。すなわち、「父子関係は縦的愛であり……縦的愛は血統的につなが(る)ことで、人間は偽りの父(=サタン)と血統的につながったというのである。それゆえ、イエスは「彼〈悪魔〉は偽り者であり、偽りの父である」(ヨハネ8・44)と語っているのである。この肉的堕落によって、〝サタン側への血統転換〟が起こり、人間始祖はサタンと血統的につながったのである。
 すなわち、堕落エバが天使長とアダムを「父と息子のような立場」に立てて堕落した時、この偽りの「縦的愛」の関係によって、アダムは〝サタンの血統〟に連結された。この偽りの「縦的愛」の関係によって、人間始祖は、神の血統からサタンの血統に転換されたのであるが、これが悪なる「血統転換」なのである。

③神側への「血統転換」はいかになされるか?
 文師は『平和神経』で次のように語っておられる。
 「生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(28ページ)
 前述したとおり、肉的堕落によって、堕落エバがアダムを〝サタンの息子〟の位置に生み変えたとき、彼女は〝偽りの母〟の役割を果たしたのであった。ゆえに、肉的堕落における、堕落エバと堕落アダムの関係は〝偽りの母子関係〟である。エバは、悪なる「母子協助」をしたというのである。堕落エバもまた、このとき偽りの母子関係という〝縦的愛の関係〟によって、サタンの血統につながったのである。
 したがって、神側に血統転換するとき、女性が〝母親の役割〟を果たして男性を生み変えなければならない。サタン側への血統転換は、あくまでもエバとアダムの肉体関係、すなわち肉的堕落によって起こったので、それを元返すための神側への血統転換は、あくまでも祝福を受けた「妻」と「夫」との関係によってのみなされるのである。これは、堕落のとき、エバとアダム(夫婦の関係)の肉的堕落によってサタン側への血統転換が起こった(注、霊的堕落によるのではない)ため、神側に帰るときも祝福を受けた女性と男性(夫婦の関係)の間でのみ行われる「三日行事」によって、神側への血統転換が起こるのである。
 ゆえに、橋爪大三郎氏の言う「メシアが信徒の女性すべてと性行為をしなければならない」という反対派の主張する「血分け」理論は、家庭連合の一連の祝福行事において入る余地は全くないのである。
 ちなみに、復帰摂理において、母が神の摂理のため、神側に立つ息子に善なる「母子協助」しなければならないのが復帰摂理の原則になっているが、それは堕落の時にエバが悪なる「母子協助」をしたためである。
 ところで、前述したように、文師が「愛、生命、血統」について語っているように、「霊的堕落と肉的堕落」(107~111ページ)という二段階の堕落行為で、サタンの〝偽りの愛〟を中心に、エバが〝偽りの生命〟となり、その堕落エバが肉的堕落によってアダムをサタンの息子に生み変えることで、〝偽りの血統〟がつながったのである。すなわち「偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統」である。文師が、「生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」と語っているごとく、偽りの関係であっても、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の〝実り〟として、堕落人間は、肉的堕落によって〝サタンの血統〟に連結されたのである。
 霊的堕落は、あくまでも天使長ルーシェルとエバの〝霊的性関係〟であり、肉体関係ではない。ところが、肉的堕落の場合、それはエバとアダムの〝肉体関係〟である。
 この人間始祖エバとアダムの肉体関係で〝サタン側への血統転換〟が起こったため、それを蕩減するのが、祝福を受けた家庭における「夫」と「妻」の肉体関係による〝神側への血統転換〟なのであり、それが「三日行事」という家庭連合の宗教的儀式である。

④理論上、まったくあり得ない「血分け」
 文師は、約婚式、聖酒式、結婚式の一連の「祝福の過程とその意義」について、次のように語っておられる。
 「皆さんが約婚式をしたのちには、聖酒式があり、その次に結婚式があります。それではこの約婚式と聖酒式、そして結婚式とは一体何でしょうか。これはある典礼に従って行われる式ではありません。堕落したすべての内容を、もう一度象徴的に再現させ、それを蕩減するために行う不可避の行事なのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』905ページ)
 祝福結婚式の一連の行事(約婚式、聖酒式、結婚式、祝祷)は、堕落の内容を象徴的に再現させ、反対の経路で蕩減復帰する行事であるというのである。すなわち、霊的堕落の土台の上で肉的堕落によって起こった〝サタン側への血統転換〟を、反対の経路で清算するということである。
 一連の行事で、まず、約婚式と聖酒式を行うのであるが、その儀式は原罪を清算する式であるとして、文師は次のように語っておられる。
 「堕落によって汚された血統を継承したので、それを転換しなければなりません。これ(聖酒式)をしなければ原罪を脱げず、原罪を脱がなければ真の子女として祝福を受けられる段階に上がることができません。原理がそのようになっています。堕落によって生じた原罪を脱ぐ血統転換、すなわち血肉を交換する式が聖酒式です」(同、906~907ページ)
 聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜いてしまうものです。言い換えれば、原罪を抜いてしまう式だというのです」(同、907ページ)
 「約婚式と聖酒式は、サタン世界で生まれた人間が、真の父母によって再び生まれるという条件を立てる蕩減儀式なのです。女性が先に堕落したので、女性が先に復帰され、男性を再び産むようにする過程を内的に通過する式が聖酒式なのです。そして結婚して40日以後に、それを外的に通過する式(三日行事)があります。これらが全部蕩減儀式なのです」(921~922ページ)

 以上の内容から分かるように、聖酒式は〝原罪清算〟の儀式である。原罪清算は、霊的堕落と肉的堕落によるアダムとエバの〝天法違反〟に対する〝罪の清算〟であるため、真の父母と祝福を受ける女性(=堕落エバ)と男性(=天使長の立場)の三者間で〝天法違反〟の罪を清算しなければならない。これが、聖酒式による原罪清算である。
 しかしながら、〝堕落の問題〟(=サタン側への血統転換)は、肉的堕落によって生じたものなので、まず聖酒式によって三者間で原罪清算した土台の上で、肉的堕落(=サタン側への血統転換)の問題を解決し、神側への血統転換をしていかなければならない。
 すなわち、「女性が先に堕落したので、女性が先に復帰され、男性を再び産むようにする(神側への血統転換の)過程を内的に通過する式が聖酒式でもあると語っておられる。この霊的堕落による天使長ルーシェルとエバの関係は、あくまでも〝霊的性関係〟であり、肉体関係ではない。しかも、霊的堕落の時点では、サタン側への血統転換は起こっていない。サタン側への血統転換は、肉的堕落によるのである。
 したがって、「天の血統」をもってこられた真の父母による〝約婚式〟〝聖酒式〟および〝結婚式〟と〝祝祷〟によって、真の愛、真の生命が伝授され、そして真の血統を〝内的に伝授〟されるのが、一連の聖酒式を中心とした儀式である。これが血統転換を「内的に通過する式」となる。
 この場合、サタンの〝偽りの愛〟〝偽りの生命〟を受け継いだ「霊的堕落」を元返すために、今度は、神側の〝真の愛〟〝真の生命〟を伝授されるには、教祖(メシヤ)との肉体関係は全く必要ないのである。これは、どこまでも真の父母を中心とする約婚式、聖酒式、結婚式、祝祷によってなされるものであり、肉体関係は不要である。
 すなわち、サタン側への血統転換は、堕落エバとアダムの関係における肉的堕落の問題によって、アダムがサタン側へ血統転換がされたため、その肉体関係(=夫婦関係)を元返すには、あくまでも〝偽りの愛〟〝偽りの生命〟を伝授された祝福を受けた女性と男性の関係においてなされるものである。すなわち、祝福を受けた男性を、サタンの血統から神側の血統へと生み変える「血統転換」は、「結婚して40日以後に、それを外的に通過する式、すなわち三日行事なのである。したがって、肉体関係を持つのは祝福を受けた「夫」と「妻」との夫婦間だけでなされるのである。これが、〝サタン側への血統転換〟を起こした「肉的堕落」を元返しするための〝神側への血統転換〟である。
 したがって、教祖(メシヤ)との間で行う性的関係、いわゆる反対派がいう「血分け」なるものは存在しないのである。

⑤文師の発言:「6マリヤ」「血分け」は存在しない
 文師は、いわゆる「6マリヤ」について、次のように語っておられる。
 「この者たち、『6マリヤ』だなんだという朴正華の言葉は、すべて嘘です。うわさになったことを(もって)勝手につくり上げて、ありとあらゆることをしたのです」(マルスム選集306-241、1998年9月23日)
 「統一教会の先生の息子娘を〝たちの悪い人間〟に仕立てようとする人々は、堕落した人々です。統一教会から追い出された人々が友人をつくり、そのような人(元信者)を立てることによって、生き残れる道があるといって、ありとあらゆる話をみな作るのです。何ということですか! 私も知らない『6マリヤ』の話、先生が女性たちを中心としてありとあらゆることをするという話、ありとあらゆる話を想像して、しゃべったのです」(マルスム選集465-219、2004年8月21日)
 「崔元福が統一教会において女性を代表して苦労したのです。今回の裁判事件(青春を返せ裁判)のゆえに、崔先生の名前が完全に肥溜めに落ちたようになりました。文社長まで(性関係があったと)そのように考えなかったですか。文社長!(『はい』)崔先生が全部、誤ったと考えたでしょう。率直に話してみなさい。(『確定的に崔先生が間違ったというよりも……』)そのような話はやめて答えだけいいなさい。みんな知っていることです。(『はい。疑いました』)疑うというより、そのように思っていたじゃないですか。私に対しても何回も話をしませんでしたか。私が『違う』といったのにです」(マルスム選集170-302~303、1987年12月4日)
 文師は、反対派のいう「文鮮明と崔元福との間で〝性関係〟があり、隠し子までいる」という風聞に対し、そのような事実はないことを明確に語っておられる。

 また、祝福家庭の〝核心メンバー〟である3家庭の夫人に対しても、文師は次のように語っておられる。
 「史吉子さんも、『原理講論』を中心として、『覚えて何々をしなければならない』と言っていますが、それは『原理講論』です。実体はどこに行きましたか? 自分はかかしのようなことをしているのです。かかしに頼って生きるのではありません。……主人になろうと史吉子さんも考えるでしょう? 『本体』である真のお母様以上の位置に立とうという話です。自分が、お母様のように堕落していない本然の息子、娘を生むことができますか? それは真の父母の種を受けて一体圏にいなければ不可能です。永遠にありえないことだというのです」(「ファミリー」2009年1月号、48ページ)
 文師は、3家庭の史吉子氏に対して、「真の父母の種を受けて一体圏」になったことのない人が「真のお母様以上の位置に立とう」と考えることがあったとしても、それは永遠にできないことだと語っておられる。さらに「本然の息子、娘を生むことができますか?」とも語っておられる。
 このように、文師は、史吉子氏が、文師との関係において、性関係がなかったことを、みんなの前ではっきりと語っておられる。前述したが、元信者の36家庭の劉孝敏氏も、「血分け」がなかったことを証言しており、反対派が長年言い続けてきた「最初の3組と33組は、実際に文鮮明の血分けを受けたと指摘されている」(川崎経子著『統一協会の素顔』235ページ)という批判は、何の根拠もない中傷にすぎないのである。

 さらに、文師は次のように語っておられる。
 「堕落とは何ですか。神様の最も貴いものを盗んだのです。悪魔の行為です。最も貴いものとは何かというと、愛と生命と血統ですが、これを汚したというのです。ですから、歴史時代において神様が最も嫌うものは淫乱です。……人類が世界的に淫乱の風に巻き込まれていくときは、鉄槌が加えられるのです。教団がそのようになるときは、教団が滅びていき、国がそのようになるときは国が滅びていき、歴史がそのように誤れば、その歴史の方向がみな壊れていくのです」(天一国経典『平和經』445ページ)

 また、韓鶴子総裁も文師について次のように語っておられる。
 「キリスト教が私の夫(文鮮明師)と一つになっていたなら、地上世界はもちろん、天上世界までも天国を成したはずです。新約時代が終わる1945年から1952年までの7年間に、神様の摂理に従って全世界が一つに統一されていたはずです。彼ら宗教指導者は、私の夫と一つになることはおろか……話を聞くこともせず、盲目的に反対しました。甚だしくはうそまでつきました。彼らは人格を抹殺しようとして、私の夫の教えとは正反対の淫乱の教祖と強欲の中傷を広めたのです」(天一国経典『平和經』961ページ)

 さらに、文師は16万訪韓セミナーにおいて、次のように語っておられる。
 「今も独りで結婚しないでいる女性もいます。『祝福を受けるように』と言っても、祝福を受けないのです。『自分は先生を慕った者です。誰と結婚するのですか』と言って、大変です。もし、先生がキスでも握手でもしてあげたら、大変なことになります。これはもう間違いなく、『関係を持った』と言う人(女性)が出てくるのです。そういう環境を通過しながら、よくも女に引っ掛からないでここまで来たものです。……もし先生がキスでもしてあげたら大変です。握手でもしてあげたら、それを条件としてどんなことでも引っ掛けてきます。ですから、……(韓鶴子総裁が)お母様として立つまでには、相当な心の苦労があったということを知らなければなりません。……『原理』を知らなければ大変なことになるのです。統一教会という存在もなくなってしまいます。正しく『原理』を知っているから、そういうことをコントロールしてきたのです。……でなければ、(女性を対象とする)こういう集会などできないのです」(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』287~288ページ)

 以上のように、「6マリヤ」や「血分け」という反対派による中傷と違って、文師は、軽々しく女性の手さえも握ってこなかったと語っておられる。これらの内容で分かるように、文師ほど〝純潔〟を重要視され、〝貞操〟を生命視してこられたかたはいない。
 さらに、文師は「天法三ヶ条」という最も重要な鉄則を、三つ挙げておられる。
 「今から、守るべき鉄則とは何かというと、一番目は、いかなる死ぬような出来事があったとしても、血統を汚してはいけない、ということです。……二番目は、人事処置を間違ってはいけないのであり、人権を蹂躙してはいけない、ということです。……三番目は何かというと、公金を盗んではいけない、公金を自分勝手に使ってはいけない、ということです。この三つです」(『ファミリー』2001年3月号、44~45ページ)

 どこまでも、血統の重要性を強調されるのが文師である。事実、文師は祝福家庭に対して、次のように語っておられる。
 「原理からすれば、一人の男(メシヤ)二人の女とつきあうことはできないから、……(祝福を受ける女性の)旦那さんを、アダムを、接ぎ木して、ハンダ付けしてつくってあげるのです。先生は完成された旦那さん(真のアダム)の立場ですから、弟の立場、第二番目のアダムをつくるのです。あなたたちの旦那さんたち、天使長(祝福を受ける男性)を連れて来て、昔16歳の時に堕落した、その堕落前の基準が残っているから、そこに完成されたアダムの勝利の実体を接ぎ木するのです」(『祝福』1994年春季号、26ページ、1994年1月2日)

 「生殖器が、なぜ生まれたのでしょうか? 愛のため、生命のため、血統のため、良心のために生まれたのです。生殖器を通さずしては、愛も生命も血統も良心もないのです。……男性の生殖器は、男性のために生まれたのではありません。……それがだれのためのものであるのかといえば、女性のためです。ひとえに主人は、一人の女性です。二人ではありません。絶対に主人は一人です
 神様は、そのようなたったひとつの目的のために創造されたので、それを変えることはできません。男性の生殖器の目的は、永遠に唯一絶対の一人の女性のために存在し、女性の生殖器は、永遠に、唯一絶対の、一人の男性のために存在します。それは根本的公式であり、どんな力をもってしても変えることはできないのです。……男性の生殖器は、だれと一つになるようにできているでしょうか? 妻とです。単に女性というのではなく、妻とです。永遠に、たった一人の妻とだけです」(『ファミリー』1997年4月号10~11ページ、1997年2月13日)

 「男性の生殖器の目的は、永遠に唯一絶対の一人の女性のために存在し、女性の生殖器は、永遠に、唯一絶対の、一人の男性のために存在します。それは根本的公式であり、どんな力をもってしても変えることはできないのです」という教えは、『原理講論』にも重要な教訓として、次のように述べられている。
 「篤実な信仰者たちが、アダムとエバの堕落直前の心霊基準まで成長して霊通すれば、アダムとエバが克服できずに堕落したのと同じ試練によって、堕落しやすい立場に陥るようになる。したがって、原理を知らない限り、このような立場を克服することは、非常に難しいことなのである。今日に至るまで、多くの修道者たちが、この試練の峠を克服できずに、長い間修道した功績を一朝一夕に台無しにしたことは、実に惜しんでもあまりあることである」(222ページ)

 このように、男女問題は「功績を一朝一夕に台無しに」し得るほど大きな問題である。家庭連合は、どこまでも〝純潔〟〝貞操〟を守るというのが教えの真髄である。

⑥「三日行事」における「女性上位」の意味するもの
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「1960年に韓鶴子と結婚してから、合同結婚式が始まった。ごく初期には、初夜の前に文鮮明が花嫁一人ひとりと交わったという。その後、結婚式で飲むぶどう酒に、文鮮明の体液を混ぜることにしたともいう。のちにはそれもやめ、ただの祝福になった。合同結婚式のあとの初夜は、女性上位、など詳しく次第が決まっている。血を清める儀礼が、統一教会の教義の中心だから、そんなことを細かに決めているのだ」(236~237ページ)
 橋爪大三郎氏が「初夜の前に文鮮明が花嫁一人ひとりと交わったという」と述べる風聞については、すでに反論済みである。文師が花嫁一人ひとりと交わる(いわゆる「血分け」)というものは存在しない。

 次に、「結婚式で飲むぶどう酒に、文鮮明の体液を混ぜることにした」というが、これについても「金明煕氏(男性の元信者)への『有罪判決』」と題して、『ファミリー』1993年7月号に、「金明煕氏の言動は、文師が36家庭夫人と性関係を持ったとか、崔元福先生と血分けをしたとか、聖酒に精液を入れたとか、多数の梨花女子大学生と性関係をもったとか、あまりにも、文師と統一教会を誹謗するでたらめなものであったので……ソウル刑事地方法院は一審、二審を通じて、徹底的な検証を行い、同氏が主張したこれらの項目について、虚偽の事実を記載あるいは摘示した、と有罪判決を下しました。最終的に大法院まで争って、金明煕氏は『名誉毀損』などの罪で、1年6か月の実刑に処されました(96ページ)とあり、「結婚式で飲むぶどう酒に、文鮮明の体液を混ぜる」という事実は存在しない。

 ところで、橋爪大三郎氏は「合同結婚式のあとの初夜は、女性上位、など詳しく次第が決まっている」と述べるが、これは、前述したように、合同祝福結婚式に参加した夫婦の間だけで行われる「血統転換」のための重要な儀式(三日行事)である。
 すでに説明したように〝サタン側への血統転換〟は、エバとアダムの関係、すなわち〝肉的堕落〟によって起こったのである。それを元返すための〝神側への血統転換〟は、祝福を受けた「妻」と「夫」の関係によってのみなされるものである。これは、堕落のとき、エバとアダム(夫婦の関係)による肉的堕落によって〝サタン側への血統転換〟が起こった(決して霊的堕落によるのではない)ため、神側に血統転換されるときも祝福を受けた女性と男性(夫婦の関係)の間で行われる「三日行事」によって、〝神側への血統転換〟が起こるのである。このような重要儀式であるが故に、手順が決まっていてもそれは当然のことである。手順を間違えると、儀式自体が失敗となるからである。
 それゆえ、橋爪大三郎氏の言う「メシアが信徒の女性すべてと性行為をしなければならない」という、いわゆる「血分け」の理屈は、一連の祝福行事に入る余地は全くない。すなわち、「血分け」は存在しないのである。

 ところで、堕落のとき〝サタン側への血統転換〟は、堕落エバがアダムと関係を持つことでサタンの息子として生み変えることになったため、それを象徴するのが三日行事の1日目の「女性上位」の意味するものである。すなわち、堕落エバは母親のような役目を果たして、アダムを〝サタン側の息子〟として生み変えたのである。これを元返すための〝神側への血統転換〟も、女性が男性を生み変えることでなされるため、それを象徴するのが三日行事の2日目の「女性上位」の意味するものである。すなわち、女性が母親のような役目を果たして、男性を〝神側の息子〟として生み変えるという意味なのである。そして、三日行事の3日目には「男性上位」で夫婦関係を持つが、これは復帰されたアダムとエバが、神の血統圏へと復帰して、本然の夫婦として出発したことを意味するのである。これは、どこまでも〝夫婦の間〟のみで成されるものであることは言うまでもない。家庭連合の教えは純潔を重んずる教えである。
 
三、橋爪大三郎氏のデタラメな教理批判――「統一原理」に対する無知からくる言説

①橋爪大三郎氏のピント外れな『原理講論』批判
 橋爪大三郎氏は『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「統一教会の教義は、儒教や道教の考え方とそっくりなところがいろいろある。とてもキリスト教の考え方とは言えない。……統一教会はその本質を、キリスト教と儒教・道教とのハイブリッド(ごちゃまぜ)と考えるべきなのではないか。とすると、『原理講論』の読解は、ややこしいことになる。それをキリスト教の教義に照らしてだけ読んだり、キリスト教の正統教義とここが合っていないとか指摘したりしても、ピント外れになる」(213ページ)
 橋爪大三郎氏は、『原理講論』の解読について「それをキリスト教の教義に照らしてだけ読んだり、キリスト教の正統教義とここが合っていないとか指摘したりしても、ピント外れになると述べていながら、以下の内容から分かるように、彼はキリスト教と対比しながら『原理講論』批判を展開しており、彼の論述はまさに「ピント外れ」と言わざるを得ない。

②いわゆる「失楽園」を性的に解釈することは「牽強付会」と述べる橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「『原理講論』は、この聖書・創世記の記述を、文字どおりではなく、つぎのように比喩的に解釈する。
 a. エバを誘惑したヘビの正体は、大天使ルシフェル(ルーシェル)だった。
 b. 実を食べたとは、ヘビとエバが汚れた性交渉をもったということだ。
 c. アダムも実を食べたとは、エバと汚れた性交渉をもったということだ。
 d. こうして堕落した人類は、汚れが血統により遺伝するので、罪をまぬがれない。
 こうした比喩的な解釈は、聖書のテキストに根拠があるのではなく、かなり無理をした『牽強付会』である」(226ページ)
 橋爪大三郎氏は、このように述べ、上記のa~dの内容に対し「かなり無理をした『牽強付会』である」と述べている。しかしながら、まずaについて述べると、Wikipediaの「堕天使」の項目には、「聖書中の堕天使」として次のように説明している。
 「『旧約聖書』中、堕天使(悪魔)としてのルシフェルの記述とされるのは『イザヤ書』14章12-15である」とある。ここで述べるルシフェルというのは、堕天使(悪魔)のことであり、この解釈は古くからなされている解釈である。橋爪大三郎氏は、「牽強付会」であるとして、「エバを誘惑したヘビの正体は、大天使ルシフェル(ルーシェル)だった」と批判的に述べているが、ルシフェル(ルーシェル)は堕天使であり、悪魔となった天使のことと理解されている。

 また、bとcについて述べると、いわゆる「失楽園の物語」を性的な問題として解釈することは古くからなされてきた解釈である。カトリック教会のA・ローテル氏は「禁断の木=正しくない恋愛」として、次のように述べている。
 「人祖(人間始祖)にはただ一本の禁断の木が植えられてあっただけですが、私たち現代の人間の周囲は、ごらんの通り禁断の木ばかりの世界なのです。これらの禁断の木にはいろいろ種類がありますが、中でも、昔楽園にあった木に特別よく似た一種の木があり、それが強烈な魅力をもって若い青年男女をひきつけています。この木は外の木にくらべて一層大きな危険をもたらしやすいのです。その禁断の木とは、すなわち、正しくない恋愛、これをさしているのであります」(A・ローテル著『禁断の木の実』ドン・ボスコ社、5ページ)

 さらに、カトリック司祭のピーター・ミルワード氏も、次のように述べている。
 「アダムとエバの罪が反抗以上のものであるとしても、ふたりの罪が禁断の実を食べたという暴食だったと説明するのはあたらない。いろいろな点を勘案すると、これは聖書にいう『肉体の知識』(すなわち性交)の木の実を取って食べる性的欲望の罪をさしているように思われる。まず第1に、男と女としてのアダム対エバという明らかな関係がある。つぎに、彼らは裸だったばかりでなく、その実を食べるまでは裸であることを知らなかったという事実がある。第3に、蛇がエバをそそのかし、好奇心に訴えるやり口は暗に性的な歓びを語っている」(『旧約聖書の智慧』37ページ)
 さらに、ペイゲルス著『アダムとエバと蛇』(ヨルダン社)は、パウロからアウグスティヌスまでの時代における「楽園神話」解釈の変遷について著述し、この「楽園神話」を性的に解釈してきたことを述べている。

 橋爪大三郎氏は、「牽強付会」であるとして「b. 実を食べたとは、ヘビとエバが汚れた性交渉をもったということだ。c. アダムも実を食べたとは、エバと汚れた性交渉をもったということだ」などと批判的に述べるが、キリスト教において「失楽園の物語」を性的に解釈することは、伝統的に行われてきた解釈なのである。
 次に、橋爪大三郎氏は「d. こうして堕落した人類は、汚れが血統により遺伝するので、罪をまぬがれない」と批判的に述べている。
 しかしながら、「原罪」という言葉を最初に使ったのはアウグスティヌス(AD354~430)であるが、彼は「アダムの罪は、人類の末端にまで及んでいる。子孫は、性を通して生まれるがゆえに、性は二重の意味において罪の根源となっている。すなわち、一人ひとりの人間が、性を通して生まれたということが、すでに罪に満ちていたし、罪を犯す傾向性も、実は先天的な弱さとして、受けつがれてきている」(W・E・ホーダーン著『現代キリスト教神学入門』46ページ)と考えているのである。「アウグスティヌス以降、原罪の遺伝は、カトリック教会の公的教義となっている」(ペイゲルス著『アダムとエバと蛇』279ページ)。このように、人間始祖アダムとエバが犯した原罪が、遺伝するという考え方はアウグスティヌス以来、伝統的なキリスト教における理解なのである。
 橋爪大三郎氏は、a~dについて、これらは「牽強付会」だと批判するが、この批判は橋爪大三郎氏の無知からくるものに他ならない。
 ちなみに、キリスト教神学に多大な影響を与えたアウグスティヌスは、「性的欲望それ自体を原罪の証拠および罰と同一視」(ペイゲルス著『アダムとエバと蛇』237ページ)して解釈したが、プロテスタント教会では、宗教改革者ルター以来、ローマ・カトリック教会と神学論争をする中で、性的解釈を棄てたのである。カトリック神学(特に中世期)においては、アウグスティヌス以来、「性の欲望を罪悪視し、結婚生活よりも独身生活を優位におく」教理を作り上げた(岩村信二著『キリスト教の結婚観』101ページ)。

 今日でもカトリック教会は、教皇をはじめ司祭が生涯独身を貫くなど、聖職者の独身制を確立している。これは堕落の問題を〝性〟と結びつけて解釈したことにも影響されてのことである。
 このアウグスティヌスの「原罪=性欲」という考え方は行き過ぎだといえる。「統一原理」は、性欲そのものを原罪だとは考えていない。
 『原理講論』に、「神が人間始祖に、『食うべからず』と言われた信仰のための戒めは、いつまでも必要であったのだろうか。……人間が完成すれば、『食う』のは原理的なものとして、当然許されるように創造されていた」(114ページ)とあるように、子女繁殖をなすために性欲はもともと原理的なものとして神から賦与されているものである。
 この堕落の問題に対する解釈や、結婚観などをめぐって、カトリック教会とプロテスタント教会は神学論争をし、長い間、対立関係にあった。それは、カトリック教会が伝統的に原罪について「性的解釈」をし、聖職者の独身制を維持してきたのに対し、プロテスタント教会では「原罪」を、あくまでも神の戒めに対する不従順、高ぶりと解釈したためである。これは、ルターの原罪を〝利己心〟(Selbstsucht=ゼルプストズフト)とする考え方に基づいている。このようにプロテスタント教会は、原罪に対し「心的解釈」をする。
 「統一原理」は、自己中心の動機による不従順という「心的解釈」に基づきつつ、人間始祖は「性的形態」を通して堕落したと説いており、その意味では、今日まで対立してきたカトリック教会の神学とプロテスタント教会の神学を和解させるものがあると言える。

 さて、反対派は、堕落を〝性的に解釈〟することは間違いだと批判し、家庭連合信者を脱会説得してきた。しかし、この問題については、以下のように反論済みである。
 「失楽園を性的に解釈したカトリック神学に対抗し、それを性的に解釈しようとしないプロテスタント神学があります。創世記2章24節の『結婚賛歌』と、創世記3章の『失楽園』の関連性をめぐって、聖書の記述順序を、そのまま時間的経過と同一視したルターは、結婚賛歌に『妻』という言葉があることから、アダム・エバは堕落(失楽園)前にすでに性交していたとして、次のように解釈しました。
 『原人アダムとイブ(エバ)とはその堕落の以前にすでに性の交わりを行っており、それは二人の貞節ときよき愛のしるしでもあった。彼らは裸であって、性に対しても自然な開放的な態度をとっていた』(岩村信二著『キリスト教の結婚観』122ページ)
 反対牧師は、このルターの聖書解釈に基づいて、『妻』の言葉に注目させ、アダム・エバの堕落の原因は、統一教会がいうような『性的問題』ではなかったとします。そして、ルターが、原罪を『自己中心』『高慢』と見て、心的解釈をした見解を利用しながら、統一原理の『堕落論』は間違いであると批判し、統一教会信者を脱会説得するのです。
 しかし、ルターとは違って、聖書の記述順序をそのまま時系列とはとらえない解釈も存在しているのです。カトリック聖書(ウルガタ)を校訂した教父ヒエロニムスは、次のように述べます。
 『アダムとエバに関しては、堕落以前の彼らは楽園で純潔であったと主張しなければならない。しかし、罪を犯し楽園を追放されてからはただちに結婚した。それから「それ故に人はその父と母とを離れて、妻と結び合い、そして彼らは一つの体となる」の(創世記2章24)節がくる』(ペイゲルス著『アダムとエバと蛇』203ページ)
 人間始祖アダムとエバの堕落を性的に解釈することは正しいというのです。
 創世記2章2節で、神は天地創造を終えて休まれたと書かれているにもかかわらず、2章4節から、再び、違ったかたちの天地創造が記されています。ですから、ルターのように、聖書の記述順序をそのまま時間的経過と同一視するのは単純すぎて、問題があります。
 いずれにせよ、カトリックとプロテスタントは、失楽園解釈をめぐって対立しています。統一原理は『堕落論』において、ルターのように『自己中心』の動機で、アウグスティヌスのように『性的形態』を通じて堕落したと見ており、その意味では、カトリック神学とプロテスタント神学を和合させる観点を持っていると言えます」(太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』295~297ページ)

 以上のように、反対派は、悪意に基づいた偏った批判をし、〝脱会説得〟をしてきたという事実を踏まえておかなければならない。

③「統一原理」は儒教や道教だと述べる橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「『原理講論』は自分で、世界が陰陽からできているという見方が、易学と同じだという種明かしをしている。易学は、太極を、陰陽が中和した『主体』だと見るわけではない。太極から万物が『生成』するのであって、一神教の場合のように『創造』されるのではない点に注意しよう」(242ページ)
 このように橋爪大三郎氏は批判しているが、『原理講論』に「人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができない」(41ページ)とあるように、「統一原理」は天地創造をなした唯一神について述べているものである。すなわち「統一原理」の説く神は〝創造神〟であり〝人格神〟である。
 ちなみに、『原理講論』が「我々は創造原理に立脚して、東洋哲学の中心である易学の根本について調べてみることにしよう」(48ページ)と述べるのは、天地創造をなした神による「創造原理に立脚して」易学を論評しているのであって、決して『原理講論』が易学であるなどと述べているのではない。
 『原理講論』は、「易学は単に陰陽を中心として存在界を観察することによって、それらが、すべて性相と形状とを備えているという事実を知らなかったので、太極が陰陽の中和的主体であることだけを明らかにするにとどまり、それが本来、本性相と本形状とによる二性性相の中和的主体であることを、明白にすることはできなかった。したがって、その太極が人格的な神であるという事実に関しては知ることができなかったのである」(49ページ)と述べ、キリスト教の説く〝人格神〟を知ることができなかった〝易学の限界〟を指摘しているのである。ここで『原理講論』が易学について論じているのは、「統一原理」が西洋哲学と東洋哲学とを和合統一する世界観を持っていることを論じるためであることを知らなければならない。

④統一教会は、イエスをメシヤ・神の子として信じていないと述べる橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「統一教会は、キリスト教の一派である。一応。一応と言うのは、多くのキリスト教会から、異端とみなされているから。たとえば、イエス・キリストを神の子で救い主、と信仰しないからである」(212ページ)
 しかしながら『原理講論』は、イエスが救い主であることを多くの箇所で論じている。
 「イエスは堕落人間が彼を信じ、彼と一体となって、彼と共に完成した人間とならしめるために降臨されたので、救い主であられるのである」(84ページ)
 メシヤ(救い主)として来られた方が、まさしくイエス・キリストである」(177ページ)
 「神が堕落人間たちにイエスを送られたのも、彼らにイエスを信じさせて、天の側に立つようにさせるためであった。……イエスが救い主であられると同時に、審判主でもあられる理由は実はここにある」(273ページ)

 このように『原理講論』は、イエスを救い主であると述べている。橋爪大三郎氏が述べる「統一教会は……イエス・キリストを神の子で救い主、と信仰しない」は誤りである。如何に橋爪氏が『原理講論』をまともに読んでいないか、この一事からも顕著である。

⑤「原理(自然法則)>神」ゆえに、統一教会は一神教ではないと述べる橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「『原理』とは何か。宇宙も、世界も、自然も、『原理』に従う。原理は絶対である。そこで問題は、神は原理に従うのか、それとも、原理が神に従うのか。このどちらであるかによって、統一教会の教義が一神教の枠内にあるかどうかが明らかになる」(239ページ)
 「被造物は成長期にあるあいだ、原理に従うので、神はそれを間接的に眺めるだけである」(240ページ)
 「世界は創造されても、完成してはいない。生成(成長)の過程にある。成長の過程は、原理に導かれている。その過程は、神が手を出さず(出すことができず)、人間の責任に任されている。神はこの過程に介入できないのだから、全能ではなく、奇蹟を起こすことができないと考えられる」(244~245ページ)
 「この考え方が、一神教か、それとも儒教・道教かと言えば、儒教・道教である。一神教の見かけを取っているが、それは見かけだけだ。なぜなら、原理(自然法則)>神だからである」(245~246ページ)
 しかしながら、『原理講論』は「神は原理によって創造された人間を、愛によって主管しなければならないので、その愛が愛らしく存在するためには、愛の力は、あくまでも、原理の力以上に強いものでなければならない。もし、愛の力が原理の力よりも弱いものであるとすれば、神は原理で創造された人間を、愛をもって主管できず、したがって、人間は神の愛よりも原理をより一層追求するようになるであろう」(113ページ)と論じている。神は、愛によって人間を主管なさるために、「愛の力」を「原理の力」よりも大きくされたというのであり、「原理」によってがんじがらめになっておられる存在ではない。すなわち、橋爪大三郎氏が述べるような「原理(自然法則)>神」ではない。事実、神は全知全能であることを『原理講論』は何度も述べている。
 神は全知全能であられるので人間始祖の堕落行為を知られなかったはずがない。また彼らが堕落行為を行わないように、それを防ぐ能力がなかったわけでもない(129ページ)
 全知全能であられる神が、サタンによって破滅し、なくなるような世界を創造されて、喜ばれるはずはない」(151ページ)

 このように、『原理講論』は、神が全知全能であることを論じている。『原理講論』に「堕落行為を行わないように、それを防ぐ能力がなかったわけでもない」とあるように、神はどこまでも全知全能なのである。『原理講論』に「愛の力は、あくまでも、原理の力以上に強いものでなければならない」とあるごとく、神は、愛のゆえに人間を真の意味で幸せにするために、かつ人間を万物の主管位に立たせ、人間を愛の勝利者にするために、あえて堕落行為に干渉されなかったのである。
 『原理講論』の「予定論」に、「創世記2章17節に、人間始祖の堕落を防ぐために、『取って食べてはならない』と警告されたのを見れば、人間の堕落は、どこまでも、神の予定からもたらされたものではなく、人間自身が、神の命令に従わなかった結果であるということは明らかである。また、創世記6章6節には、人間始祖が堕落してしまったので、神は人間をつくったことを悔いて嘆息なさったという記録があるが、もしも、人間が神の予定によって堕落したとすれば、神御自身の予定どおりに堕落した人間を前にして、嘆かれるはずはないのである」(238ページ)とあるように、人間の堕落がなぜ起こったのかという疑問は、長年、キリスト教が解けない神学的難問の一つであった。すなわち、全知全能の神が、なぜ人間の堕落に干渉されなかったのかという問題である。これは、原理よりも愛の力を大きくされた神が、愛の全能性のゆえに、人間を真の意味で幸せにし、人間を神の愛の〝同伴者〟愛の〝勝利者〟にし、万物の主管位に立たせるために、あえてそのようにされたということである。
 ゆえに、『原理講論』は、「神は子女を失った父母の心情をもって悲しまれながら悪逆無道の彼らを救おうとして、罪悪世界をさまよわれたのであった。そればかりでなく、神は、天に反逆する人間たちを救うために、愛する子女たちを宿敵サタンに犠牲として支払われたのであり、ついにはひとり子イエスまで十字架に引き渡さなければならないその悲しみを味わわれたのであった。それゆえに、神は、人間が堕落してから今日に至るまで、一日として悲しみの晴れるいとまもなく」(591~592ページ)と述べている。これは、父母なる神が、人間を愛しておられるがゆえに、人間を愛の勝利者にするために、長く忍耐して救いの摂理をして来られたことを述べているのである。それは、神が愛の全能者のゆえであった。
 自己中心で、かって気ままに生きる人間を相手にしながら、神は救いの摂理を行うことが不可能と思われるような状況下にあっても、その愛の全能性(全知全能)のゆえに、今日まで人類に対する〝救いの摂理〟を展開してくることができたのである。それは、神が全知全能であるからに他ならない。
 事実、モーセのとき、三大奇跡と十災禍を行われた神であることを『原理講論』は認めている。また、イエスが数多くの奇跡を行った事実も、『原理講論』は認めて論述している。このように奇跡を行おうと思えば、行える神であることを前提としているのである。

 橋爪大三郎氏は、統一教会では「神はこの過程に介入できないのだから、全能ではなく、奇蹟を起こすことができない」などと述べるが、これは橋爪大三郎氏の〝無知〟からくる批判に過ぎず、『原理講論』の全体像を見ていないために生じている。
 また、橋爪大三郎氏は、「被造物は成長期にあるあいだ、原理に従うので、神はそれを間接的に眺めるだけである」(240ページ)とも述べるが、『原理講論』に間接的な主管をされるので、この期間を神の間接主管圏、または原理結果主管圏と称する」(79ページ)とあるように、神は「眺めるだけ」ではなく、間接的な主管をされているのである。
 橋爪大三郎氏が批判するような内容を、『原理講論』は論じていない。橋爪大三郎氏は、『原理講論』をまともに読んでいないことが明らかである。

⑥「統一原理」は、「イエスは神ではない」と考えていると述べる橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「イエス(メシア)はひとであって、神ではないと考えているようである」(243ページ)
 しかしながら、『原理講論』は次のように論じている。
 「原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである」(256~257ページ)
 「イエスは創造目的を完成した人間として、神と一体であられるので、彼の神性から見て彼を神ともいえる」(258ページ)
 このように、「イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない」「彼(イエス)の神性から見て彼を神ともいえる」と論じており、橋爪大三郎氏の述べる「イエス(メシア)は……神ではないと考えているようである」というのは誤りである。

⑦「統一原理」は、「メシヤは何回も来る」と述べているとする橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「メシアが到来しても、人間が協力しないと、失敗してしまう。過去に失敗した。そのため、メシアが何回も到来することになるのである」(250ページ)
 『原理講論』は、「旧約時代の聖徒たちが期待していた生命の木とは、まさしくこの初臨のイエスであったということを、我々は知ることができる」(95ページ)。また、「黙示録22章14節に記録されている生命の木は、まさしく再臨のイエスを比喩した聖句であるということが分かる」(96ページ)と論じているように、メシヤの到来は従来のキリスト教と同様、初臨のイエス」再臨のイエス」のみであり、橋爪大三郎氏の述べる「メシアが何回も到来することになる」というのは誤りである。

⑧「堕落論、創造論、メシア論が『原理講論』の三本柱だ」と述べる橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「堕落論、創造論、メシア論を、三本柱とする『原理講論』」(257ページ)
 この発言も、橋爪大三郎氏の無知を露呈している。家庭連合(旧統一教会)の公式ホームページの「家庭連合の教義」の項目では、「統一原理は大きく、 創造原理 ②堕落論 ③復帰原理 の3つから成り立っており、宇宙の根本は何か、人生の目的は何か、人間はどうして生まれたのか、不幸の原因はどこにあるのか、どうしたら平和で幸福な世界ができるのか、といったさまざまな問題が明確に解かれ、人類の未来に新たな指針を与えるものです」と紹介している(https://ffwpu.jp/about/doctrine)。
 橋爪大三郎氏は、家庭連合の公式ホームページさえ確認していないことが分かる。彼は「堕落論、創造論、メシア論」と述べるが、「①創造原理 ②堕落論 ③復帰原理」という順序が重要なのである。また、「創造論」ではなく、「創造原理」である。

 『原理講論』「創造原理」の最初のページに、「我々にはもっと根本的な先決問題が残っている。それは、結果的な存在に関することではなく、原因的な存在に関する問題である。ゆえに、人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができない」(41ページ)とあるように、「創造論」という「人間や宇宙がいかに創造されたかという究極の原理」を知ることも重要であるが、もっとそれ以上に神が、いかなるお方かを解明することが先決問題なのである。この「神が、いかなるお方か」を解明しているのが「創造原理」なのである。

 「統一原理」を哲学的に応用展開した『統一思想要綱(頭翼思想)』でも、「原相論」の冒頭部分で「統一思想は人類のすべての難問題を根本的に解決することによって、人類を永遠に救うために現れた思想である。ところで、そのような難問題の根本的な解決は、神の属性に関して正確に、また十分に理解することによってのみ可能である」(23ページ)と論じられている。すなわち神が、いかなるお方かを知らない限り、人生や宇宙の根本問題を解くことができないというのである。この大前提について、『原理講論』「創造原理」の冒頭箇所で、かつ『統一思想要綱(頭翼思想)』「原相論」の冒頭でも論じているにもかかわらず、橋爪大三郎氏は、「堕落論、創造論、メシア論を、三本柱とする『原理講論』」と平然と述べており、これでは『原理講論』のイロハさえも理解していないと言わざるを得ない。

⑨「『原理講論』の前編の結論が、文鮮明師がメシヤだ」と述べていると語る橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「聖書は、メシアがいま韓国に生まれることを預言しています。そのメシアこそ文鮮明先生です。以上が、『原理講論』の前編の結論である。では、『原理講論』の後編はなにが書いてあるのかと言うと……」(257ページ)
 しかし、『原理講論』の前編をいくら読んでも、「聖書は、メシアがいま韓国に生まれることを預言……そのメシアこそ文鮮明先生です」と述べている箇所は存在しない。橋爪大三郎氏の説明のデタラメぶりには、ただ呆れかえるばかりである。

⑩歴史の同時性は、世界史を適当に区切っていると述べる橋爪氏の無知
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「『原理講論』の後編はなにが書いてあるのかと言うと、イエスから2000年経って韓国にメシアが生まれるという、年代の辻褄合わせである。
 考え方はこうだ。旧約聖書の歴史と、イエス以降現在までの歴史が繰り返す、と考える。旧約聖書のアブラハムからイエスまでの2000年間の出来事の流れを、年代に区切る。けっこう適当で強引に区切る。イエスから現代までの歴史の流れを、世界史の年表から、年代に区切る。けっこう適当で強引に区切る。そうするとあら不思議、年代の区切りがぴったり一致するではないか」(257~258ページ)
 橋爪大三郎氏は、「旧約聖書のアブラハムからイエスまでの2000年間の出来事の流れを、年代に区切る。けっこう適当で強引に区切ると述べるが、これは橋爪大三郎氏の旧約聖書の歴史の流れに対する無知からくるものと言わざるを得ない。
 アブラハムからイエスまでの2000年を見ると、出エジプト記におけるモーセの「出エジプト」の出来事に注目せざるを得ない。旧約聖書の記述に従えば、ヤコブがエジプトに移住して後、イスラエルの民は、①「エジプト苦役時代」約400年を歩んだ。エジプト苦役の400年は、アブラハムの象徴献祭の失敗によって招来したものである(創世記15・13)。イスラエル民族が出エジプトした後、カナン定着を果たし、②「士師時代」約400年が来るが、これは士師たちが治めた時代をいう。その後、③「統一王国時代」約120年が来るが、これは初代王のサウルから、ダビデ王、ソロモン王の時代をいう。その後、王国が南北に分断され、④「南北王朝分立時代」約400年が来る。北朝イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、南朝ユダも新バビロニアに滅ぼされてバビロンに捕虜となり、⑤「ユダヤ民族捕虜および帰還時代」約210年が来る。そして、バビロンから帰還してエズラの宗教刷新運動により、⑥「メシヤ降臨準備時代」約400年を経て、イエスを迎えるのである。これは、旧約聖書の歴史の流れである。
 この旧約聖書の流れと同様、キリスト教2000年も、❶「ローマ帝国迫害時代」約400年を歩み、AD392年にキリスト教がローマ帝国の国教となる。その後、❷「教区長制キリスト教会時代」約400年があるが、これはAD800年のチャールズ大帝の戴冠式をもって終わる。チャールズ大帝の戴冠式は「ヨーロッパの政治的・文化的統一の完成を象徴する事件」(『万有百科事典9』小学館547ページ)であった。その後、❸「キリスト王国時代」約120年が来るが、これはカロリング朝を中心とするフランク王国の時代であり、AD919年にヘンリー1世の即位によってザクセン朝が出発するまでである。東西に分裂後、❹「東西王朝分立時代」約400年が来る。やがてローマ教皇の権威の失墜により、❺「教皇捕虜および帰還時代」約210年が来るのである。そしてAD1517年のルターの宗教改革を経て、❻「メシヤ再降臨準備時代」約400年を経ていくのである。この歴史の同時性の批判に対する反論の詳細については、太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』(光言社、309~319ページ)ですでに反論済みである。
 橋爪大三郎氏は、キリスト教の歴史について「イエスから現代までの歴史の流れを、世界史の年表から、年代に区切る。けっこう適当で強引に区切ると述べるが、この批判は西欧キリスト教史に対する無知からくる批判だと言わざるを得ない。

⑪『原理講論』の「議論が混み入っている理由は、文鮮明が執筆に困難を感じて、難渋したこと」と述べる橋爪氏の悪意
 橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「第二に、創造論。『原理講論』が、神の天地創造をどう論じているか、その内容を要約してみよう。創造論は、堕落論に比べて、議論が複雑でとても混み入っている。わかりやすく紹介するのが容易でない。
 議論が混み入っている理由は、二つ考えられる。
 一つは、文鮮明が執筆に困難を感じて、難渋したこと。うまく書けないから、理屈をこねくり回して、見通しが悪くなる。
 もう一つは、もともと両立しない異なった原理を、つなぎ合わせているから。両立しないものを無理やりつなぎ合わせるのだから、論理が破綻する。それを誤魔化して目立たなくするため、もっともらしい用語を散りばめて、不必要にごてごてする」(237ページ)
 橋爪大三郎氏は『原理講論』に対して、「文鮮明が執筆に困難を感じて、難渋した」とか「論理が破綻する。それを誤魔化して目立たなくするため、もっともらしい用語を散りばめて」などと述べているが、これは、あまりにも的外れな論評である。文師の三弟子の内の一人である劉孝元氏が、文師の指導を受けながら『原理講論』を執筆したのであるが、これは、後述するが、イエスのときの洗礼ヨハネと同様に、その道を直くする使命を持っていた劉孝元氏が書かざるを得ない事情があったためである。文師は、『原理講論』の初版の出版に対して、次のように語っておられる。
 『原理講論』初版の出版 今日まで人類歴史は……真理を探し求めてきたのです。……私たちは世界の人々が行くことができる道を、正しく導くことができる一つの真理をもっています。……原理の本(『原理講論』)には、歴史観が出てきますが、それは適当にやって見いだしたのではありません。……根本問題を掘り下げ、理論的にすべて一つ一つ定立してから定義を下し、現実社会に合う術語をつくって……神様のみ旨を成せるのであって、大ざっぱな計算や無知から完成がありますか。……メシヤと完全に一つになってこそ蕩減になるのです。……統一教会では、劉孝元協会長がこれまでそのような洗礼ヨハネの業をしてきました(『真の御父母様の生涯路程④』366~369ページ)

 洗礼ヨハネの使命を持った劉孝元氏は韓国語『原理講論』を執筆し、1966年5月1日に『原理講論』を出版したが、その出版前、『原理講論』の論述が正しいかどうかを文師に事細かく尋ねて確認作業を進めている。その点について、文師は次のように語っておられる。
 「『原理講論』は劉協会長が書いたのではありません。1ページ、1ページ(文師の)鑑定を受けたのです。私(文師)が成したことに手を付けることはできません」(『ファミリー』1995年2月号63ページ)

 『原理講論』を出版するとき、劉孝元氏は文師から直接の指導を受けたのである。特に創造原理に関して、劉孝元氏が十分に理解できなかった内容に対し、文師が直接指導したのであるが、劉孝元氏は日記の中で次のように記している。
 「創造原理第1節をもう一度書かなければならない。性相と形状がすべての存在の根本になるという論証だ。先生は真理の本体であることをもう一度、悟らされた(劉孝元氏の日記から、1966年2月3日付)

 『原理講論』は、文師の指導を受けて劉孝元氏が執筆したものであるが、その内容は文師が解き明かした真理なのである。
 また、「統一原理」を哲学的に応用展開した「統一思想」を執筆した李相軒氏は、次のように論述している。
 「筆者(李相軒)は、1956年に入教後、文先生の教えを受け、その中に人生の問題を根本的に解決する数多くの驚くべき真理があることを見いだした。その時、筆者に映った文先生の姿は真理の宝庫であり、思想の泉であられた。一度み言が始まったら何時間も継続して思想の泉水が限りなく流れてきたのである。教えられるその真理の思想に陶酔して時間のたつのも分からなかったことも数多くあったのである。それほどに、そのみ言のすべてが筆者には真に貴くて貴重なものであった」(『新版・統一思想要綱(頭翼思想)』2~3ページ)

 「統一思想」に関して、今日まで数多くの国際シンポジウムが開催されており、参加した世界の碩学たちが研究に取り組んでいる思想である。「統一思想」は、原相論、存在論、本性論、価値論、教育論、倫理論、芸術論、歴史論、認識論、論理学、方法論の多岐の分野に及ぶ体系化された思想である。これらの思想は、すべて文師が解明した内容である。
 橋爪大三郎氏は、「両立しないものを無理やりつなぎ合わせ……論理が破綻する。それを誤魔化して目立たなくする」などと述べるが、論理が破綻しているならば、『統一思想要綱』のような論理の体系化は不可能なことと言わざるを得ない。

 では、『原理講論』や『統一思想要綱』は、文師が解き明かした思想であるにもかかわらず、なぜ文師が直接的に執筆されなかったのか。この問題は、2000年前のイエスのときにも同じ事情があったのである。
 2000年前、イエスの語ったみ言の一部が新約聖書に編纂され、今日までの歴史に大きな影響を与えてきた。しかしながら、キリスト教の初期の時代においては、ローマ帝国で激しく迫害され、クリスチャンは大きな誤解を受けていた。例えば、「家庭を破壊する」「宗教的な集まりで不道徳な行為をしている」「人肉を食べ」「酔っぱらい」「姦通を行ない」「近親相姦をする」「国家の安全を脅かす」(ボーア著『初代教会史』79ページ)集団であると非難され、さらに「人頭税を納めることを拒んだ」(ケァンズ著『基督教全史』128ページ)などと批判されたのである。今から考えれば、驚くべき誤解である。これは、少数派だったキリスト教が、その当時、ローマ帝国の約4分の1の宗教人口の基盤を誇っていたユダヤ教から迫害されたため、長きにわたってキリスト教が受難の道を歩まざるを得なかったためである。

 イエスは、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネ16・12)と述べ、多くの語りたい内容を語ることができないまま亡くなったのである。これは、なぜなのかという疑問がある。この問題に関して、『原理講論』は次のように論じている。
 「堕落した人間は、『信仰基台』を復帰するための神のみ言を、直接には受けられない位置にまで落ちてしまった」(279ページ)とあるように、堕落することで失った「基台」を取り戻さなければ、メシヤは自由にみ言を語ることができないのである。この「基台」のことを、「メシヤのための基台」という。これを立てて、メシヤの道を直くする使命を持っていたのが洗礼ヨハネだったのである。
 「イエスは神のひとり子であり、栄光の主として来られたのであるから、原則的にいえば、苦難の道を歩まれなくてもよいはずなのである。ところが、そのイエスの道を直くするための使命を担って生まれてきた洗礼ヨハネが、その使命を完遂できなかったために、洗礼ヨハネが受けるべきであったはずの苦難を、イエス自身が代わって受けなければならなかったのであった。このようにイエスは、メシヤであられるにもかかわらず、洗礼ヨハネの代理に復帰摂理路程を出発されたという事情のために、ペテロに向かい、自分がメシヤであるという事実をユダヤ人たちに証してはならぬと言われたのである」(『原理講論』410ページ)

 このように、ユダヤ教社会において、イエスがメシヤとして活動を展開するには、摂理的基盤の造成が極めて重要だったのである。その使命を果たすのが、洗礼ヨハネだったが、その洗礼ヨハネが使命を果たせず、早々と死んでしまったため、イエスが洗礼ヨハネの代わりになって、自ら「メシヤのための基台」を造成する道を歩まなければならなかったのであった。この「メシヤのための基台」があってこそ、イエスは思う存分に、み言を語ることができたのである。

 マタイによる福音書13章に、イエスは「種まきのたとえ」を語っているが、道端に落ちた種は鳥に食べられ、石地に落ちた種は日が昇ると枯れ、いばらに落ちた種はいばらでふさがれて実らなかった。どんなに素晴らしいみ言をイエスが語っても、それを受け入れる基盤、素地がなければ、豊かな実を結ぶことはできないのである。ゆえに、イエスをメシヤとしてユダヤ社会に紹介する洗礼ヨハネの使命が、極めて重大だったのである。そのような摂理的な基盤を造成し、天のみ言をもってきたイエスが思う存分にすべての内容を語れるようにしなければならなかったのである。しかし、その使命が果たされなかったため、当時のユダヤ教はイエスを受け入れる基盤ができず、そのため当時のユダヤ教指導者はイエスの語った言葉の〝揚げ足取り〟ばかりをしたのである。

 当時のユダヤ教指導者は、「どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした」(マタイ22・15)、「イエスを訴える口実を見付けようと思って……うかがっていた」(ルカ6・7)、「イエスの口から何か言いがかりを得ようと、ねらいはじめた」(ルカ11・54)、「イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした」(ルカ20・20、マルコ12・13)とある。イエスの語った言葉は、人類を復活させる生命のみ言であったにもかかわらず、イエスを貶めようと狙う当時のユダヤ教指導者らにとっては、イエスは世を惑わす者にしか見えなかったのである。
 それと同様に、文師のみ言は、世界の諸問題を解決する至極のみ言であるにもかかわらず、文師を貶めようと考える人々にとっては、その価値が分からず、言葉の揚げ足取りをしようとするのである。劉孝元氏は、文師が「真理の実体」であると証しをしている。しかし、文師を偽キリストだと考える人たちからすれば、2000年前のイエスと同じように世を惑わす者にしか見えないのである。

 橋爪大三郎氏は『原理講論』の深淵なる内容に対し、『日本のカルトと自民党』「議論が複雑でとても混み入っている」と述べ、自分が理解できないだけであるにもかかわらず、その理由を「文鮮明が執筆に困難を感じて、難渋したこと。うまく書けないから、理屈をこねくり回して、見通しが悪くなる」などと述べ、さらには「両立しない異なった原理を、つなぎ合わせ……無理やりつなぎ合わせるのだから、論理が破綻するとか、もっともらしい用語を散りばめて、不必要にごてごてする」(237ページ)と述べている。これは読解力のなさからくる論評に過ぎないものである。ここで、橋爪大三郎氏に願うのは、真摯に『原理講論』の全体像を読み進めること、および、それを哲学的に応用展開した『統一思想要綱』をまともに読んでみてから、正しく論評していただきたいものである。橋爪大三郎氏のこの論評は、すべて的外れであり、まともな論評にすらなっていないと言わざるを得ない。

 ちなみに、橋爪大三郎氏は、『日本のカルトと自民党』で次のように述べている。
 「80年代には、脱税で文鮮明が摘発され、実刑判決を受けた。アメリカでは、献金を受けた牧師を脱税で摘発するのは、よくよくのことだ。ともかくこの件で、文鮮明と統一教会は、大きな挫折を被ることになる」(268ページ)
 この脱税の容疑で、文師は米国・コネチカット州のダンベリー連邦刑務所に収監されることになったが、これは、宗教迫害であるとして、ピューリッツァー賞を受賞したジャーナリスト、カールトン・シャーウッド氏が『Inquisition(異端審問)』を出版し、その真相について述べている。
 「『インクィジション』の役割」と題し、家庭連合の出版物に次のように紹介されている。
 「記者出身としては唯一ピュリッツァー賞とビーボディ賞を受賞したアメリカの有名なジャーナリスト、カールトン・シャーウッド(Carlton Sherwood)氏が、5年余りをかけて完成した705ページにもなる書籍『インクィジション(Inquisition:異端尋問)』が、レグネリー・ゲートウェイ出版社の発行で、アメリカ国内の主要書店で市販された。この本は、80年代初め、文鮮明牧師を脱税容疑で投獄した連邦政府の行為は、宗教の自由および寛容を建前としながらも、宗教差別の歴史がアメリカの中に今もなお存在していることを示してくれる証拠だと暴露し、1970年代中盤に起きたコリア・ゲート事件から1984年に真のお父様(文師)が投獄されるまで、連邦法務部国税庁(IRS)、そして、司法部が三拍子そろって憲法の第一修正条項まで無視して、少数民族であり小さな宗教グループの指導者である一人の弱者に、制度的に無実の罪をかぶせた事実を一つ一つ解き明かしている」(『真の御父母様の生涯路程⑨』243ページ)

 カールトン・シャーウッド氏が「異端審問」と述べているように、文師の収監はアメリカ政府の一部の役人による宗教迫害だったのである。事実、この収監事件を契機に、アメリカの右派(ジェリー・ファルエル氏)から左派(ジョセフ・ローリー氏)に至るまでのキリスト教指導者らが〝文師は無罪である〟として立ち上がり、支援するようになったのである。この収監前後に、約7000名の牧師らが日本を経由して韓国を訪問し、文師の思想を学ぶということも起こったのである。この動きが、今日のアメリカにおいて、アメリカ聖職者協議会(ACLC)が結成され、文鮮明師や韓鶴子総裁の活動を支援する基盤となっている。
 橋爪大三郎氏は、「この件(脱税で訴えられた問題)で、文鮮明と統一教会は、大きな挫折を被ることになる」と述べているが、これはまるっきり正反対なのである。むしろこのことを通して、家庭連合はアメリカにおいて基盤を造ることになったのである。

 以上、橋爪大三郎氏の『日本のカルトと自民党』に記述されている、教理面に関連した内容について、主な反論を終えることにしたい。

―以上―