〝虚偽の言説〟である「真のお母様陰謀論」の出処は、どこなのか――パシセラの〝真のお母様批判〟に対する応答

文責:教理研究院

               注、真の父母様のみ言や『原理講論』は「青い字」で、UCIおよびFPA (いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」で区別しています。

 2021年4月28日、UCI(いわゆる「郭グループ」)側を支持するパシセラは、赤石氏の「【櫻井夫人のラジオ】の『独生女観』なるものは、お父様の教えとは異なる〝誤った言説〟」という映像に対して、「赤石氏の櫻井夫人批判」という的外れな批判文をブログにアップしました。それに続いて、パシセラは、翌日から「赤石氏の櫻井夫人批判への考察(1)」を掲載し、さらに「〃(2)」「〃(3)」を立て続けにアップしました。

 これらのパシセラの〝真のお母様批判〟は〝み言改竄〟に基づいた〝虚偽のストーリー〟である金鍾奭著『統一教会の分裂』と軌を一にするものです。教理研究院はこの〝虚偽の主張〟に対し、真のお父様のみ言と「原理」に基づいて反論してきました。その集大成として2019年8月9日に『虚偽に満ちた金鍾奭著「統一教会の分裂」――軌を一にする郭錠煥著「事必帰正」』(以下、『虚偽に満ちた』)を出版しました。
 パシセラは、この『虚偽に満ちた』で既に〝反論済み〟の内容を再び取り上げており、これは〝二番煎じ〟の恥の上塗りとしても、真のお父様のみ言を曲解し、読む人を誤導するものであるため、その行為は極めて悪質です。以下、パシセラの〝虚偽〟を暴きます。(注、『虚偽に満ちた』および教理研究院執筆の書籍からの引用文については、引用の終了部分に〈『書籍名』○○ページ〉と表示しています)

(1)「父子協助時代」は、どのような時代なのか?
 ―― 父子協助時代は……文顯進会長が権威と権力を持つ」時代ではない
 パシセラは、「赤石氏の櫻井夫人批判への考察(1)」で、お父様が宣布された2000年11月11日の「父子協助時代宣言」のみ言を引用し、母子協助時代の後に来る父子協助時代はつまり、文顯進会長が権威と権力を持つようになることを意味する」(注、太字ゴシックとアンダーラインは教理研究院。以下、同じ)などと主張します。
 パシセラは、「赤石氏は、韓夫人の言動を正当化するために、1993年から1999年までの文師のお話をたくさん引用し」たものに過ぎず、『女の全権時代』とされた時代のお話」だとします。そして、「その後で父子協助時代が宣言されたのです。どんなに、その『女の全権時代』で(お母様が)勝利し、表彰され、賛美されたとしても、(お母様には)父子協助時代の蕩減が待っていたのだ、ということになります。どれほど大変だったでしょうか? 賛美と賞賛の後で、(お母様には)完全否定と感じられる道が現れたということになります」などと述べ、まるで「父子協助時代」とは、真のお母様が完全否定される時代であるかのように述べます。これはみ言を曲解した〝虚偽の言説〟です。
 パシセラは、「父子協助時代宣言」のみ言を引用するとき、「少し引用が長くなりますが、重要なので御容赦ください」と前置きし、いかにも丁寧にみ言を引用するかのように装って『主要儀式と宣布式Ⅳ』599ページの「ですから、直接的で完全な種を家庭的に受けて、父と息子が直系で連結されるのです。そこには母親は必要ありません……」という部分から引用を始めています。
 しかし、これは重要な部分を削除することで、意味を〝改竄〟するという極めて悪質な引用です。「父子協助時代宣言」のみ言を正しく理解するには、その直前の「それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子と娘たちには、サタンは手をつけられないのです」という部分が極めて重要です。パシセラは、この直前の部分を削除することで、「父子協助時代」が「そこには母親は必要ありませんという時代であり、まるで「真の母」が必要のない時代になったかのように読ませようとしているのです。これは、真のお父様のみ言の真の意味を誤解させようとする、悪意の〝み言の改竄〟行為です。以下、『虚偽に満ちた』から引用します。

 「『主要儀式と宣布式Ⅳ』599ページには、『そこには母親は必要ありません』と書かれていますが、このみ言を正確に知るには、その前後を理解しなければなりません。『統一教会の分裂』が省略、隠蔽した少し前の部分に、重要なみ言が隠されています。『主要儀式と宣布式Ⅳ』598~599ページは、次のようになっています。
 『母子摂理時代ではなく父子摂理時代なのです。真の父母が出てくる前までは、母親たち息子たちを育てながら迫害を受けてきましたが、神様を中心として、直接、真の父母を中心として、息子と娘が生まれたために、これからは母親がいなくてもかまいません。母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代へと越えていくのです。それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子と娘たちには、サタンは手をつけられないのです』(注、これは『統一教会の分裂』が省略したみ言の部分)
 真のお父様は、ここで『母親』という言葉と『真の母』という言葉とを、明確に使い分けておられます。お父様は、真の父母が出てくる前までは母親たち息子たちを育てながら迫害を受けてきました』と複数形で語っておられ、ここで言う母親がいなくてもかまいませんとは『真の母』を指して語っておられる言葉ではありません。事実、『母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代へと越えていくのです』と語られた直後、『それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ……』と語っておられ、〝母親〟の代わりに〝真の母〟が現れたことを明確に述べておられます。したがって、『母親がいなくてもかまいません』とは、〝真の母〟を指して語られた言葉ではありません」(『虚偽に満ちた』362~363ページ)

 父子協助時代は、『真の母は必要ない時代』ではない
 『主要儀式と宣布式Ⅳ』に掲載された『父子協助時代宣言』のみ言を理解するために、主要な部分を以下、引用します。
 『先生を中心とした子女たちが生まれたために、父と息子、父子摂理時代になるのです。母子摂理時代ではなく父子摂理時代なのです。真の父母が出てくる前までは、母親たちは息子たちを育てながら迫害を受けてきましたが、神様を中心として、直接、真の父母を中心として、息子と娘が生まれたために、これからは母親がいなくてもかまいません。母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代へと越えていくのです。それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子と娘たちには、サタンは手をつけられないのです』(598~599ページ)
 ………(中略)………
 以上の内容を整理すると、母子協助時代とは『真の父母が出てくる前までのことを言うのであり、その時代までは母親たちは息子たちを育てながら迫害』を受けてきたというのです。しかし、父子協助時代は『真の父母を中心として、息子と娘が生まれた』ことで始まり、それゆえ真の父母が現れるまでの迫害を受けてきた『母親がいなくても』よく、『母の時代』は過ぎ去って(母親たちが迫害を受けた)母子協助時代が完全になくなっ(た)時代なのです。
 また、父子協助時代とは『神様と真の父と真の息子の血筋が連結』されたことを意味します。それゆえ、父子協助時代の女性たちは本然の夫『絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道理』を果たさなければならないと述べておられるのです。
 したがって、父子協助時代とは、『母が必要ない』時代、すなわち『真の母は必要ない時代』なのではなく、母子協助時代のような『母親は必要ない』時代になるということです。すなわち、『息子たちを育てながら迫害』を受けてきたような、そのような『母親は必要ない』時代になったという意味なのです。
 父子協助時代によって、真の父母を中心として、息子と娘』が生まれました。父子協助時代だからこそ『神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れるのであって、それゆえに〝真の母〟は絶対に必要な時代となったのです」(『虚偽に満ちた』364~366ページ)

 以上のように、「父子協助時代」は、母子協助時代のような「息子たちを育てながら迫害」を受けてきた、そのような母親たちは必要のない時代になったという意味なのです。そして、父子協助時代だからこそ「神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れるのであり、〝真の母〟が絶対に必要な時代圏になったのです。
 したがって、パシセラの言うような父子協助時代は……文顯進会長が権威と権力を持つようになることを意味する」時代なのではなく、「父子協助時代」だからこそ「真の母」が現れ、その時代を生きる子女様たちは「あなたたちカインとアベルが、お母様の言葉に絶対服従しなければなりません(『ファミリー』2008年6月号、30ページ)と、真のお父様が子女様たちに対して〝命じる時代圏〟になっているのです。子女たちは〝孝情〟をもって、人類の真の父母である「真の父」と「真の母」に絶対服従しなければなりません。

(2)お父様のみ言に対し〝絶対信仰〟が崩壊しているパシセラ
 2021年4月30日、パシセラは「赤石氏の櫻井夫人批判への考察(2)」をアップし、赤石氏による〝真のお父様のみ言引用〟に対し、次のように批判しています。以下、パシセラの〝問題発言〟を抜粋します。

 「赤石氏の櫻井夫人批判は、さまざまな時代の文鮮明師のお話をつなぎ合わせたもので、まるで言葉のゲームのような感じすら受けます。このようなものを作り上げる土台は、すでに過去の統一教会にありました。それは、文師が『どこでもいつでも全てを見通して判断し間違いをしない』超人であると信じられていたからです。故に、文師が何かを誤解して『盗んだ』とか『去った』とか言ったとしても、それが真実であるかのように、教会員は受け取りました」
 「文鮮明師がお話ししたり宣布する時には、人間なのですから、何かの状況理解の土台の上でしているわけです。ところが、その情報把握と理解が、周囲の妨害の中で妨げられ実際には達成されていないことを達成したと判断したり、実際には起きていないことを起きたかのように判断したりしたことが無いでしょうか?」
 「寝室で『破壊者・爆破者』宣言を書かされる文師の様子がおかしいのは、ビデオを見られたら気がつくかもしれません。その日の日付も分からず、突然黙ったり、何度も同じことを尋ねたりする様子です。裁判の中で、このビデオを見た医者は、それが病気のせいである可能性が高いことを報告しました」
 「文顯進会長は、小さい頃から、父が神様のような超人ではなく、人間であるのを知っていました。それは、家族の誰もが知っていたことです。知らなかったのは、教会員です」

 これらのパシセラの〝問題発言〟は、自分が付き従う〝第4アダム〟を自称する顯進様の行動を正当化するために、真のお父様を人間的次元に引き下げ、み言を相対化しているために生じています。そして、真の父母様が〝神人一体〟となっておられることを、彼が信じていないために発せられているものです。このようなことを述べる彼は、み言に対する〝絶対信仰〟が完全崩壊していると言わざるを得ません。パシセラには、真の父母様の指示に従おうという気持ちは〝微塵もない〟ことが、彼の文章からにじみ出ています。
 真のお父様の語られるみ言は、人類が「復帰摂理の完成者として来られる再臨主を通して、それらのこと(神の心情、神の根本的な目的など)に関するすべてを知り、彼を信じ、彼に侍り奉り、彼と一つになることによって、彼と共に、復帰摂理歴史の縦的な蕩減条件を横的に立て」ることで〝歴史的勝利者〟になるためのものです(『原理講論』288ページ)。
 パシセラのような、み言に対する姿勢では、歴史的勝利者になることは永遠に不可能なことだと言わざるを得ません。

①「最初の宣布文」の真相について
 パシセラの〝問題発言〟の中で、文師の様子がおかしいのは……このビデオを見た医者は、それが病気のせいである可能性が高いことを報告」したという部分は、まるで真のお父様が「認知症」らしい状況にあるとでも言いたいようです。おそらく彼は、「認知症」の状況下で書いたような「宣布文」に従う必要などないとでも言いたいのでしょう。
 パシセラのような見つめ方は、「YouTubeに公開されたこの『寝室動画』……を創始者(注、お父様)正常な判断であると見る人は、……統一教会の信念体系に無知な人……創始者の肉体が老いて彼のカリスマが弱くなった(ために)……真の家庭の秩序を正しく立てることができなかった創始者の曖昧な態度(『統一教会の分裂』175~176ページ)などと述べる金鍾奭氏の発言内容と同じものと言えます。
 2010年6月5日に発表された「最初の宣言文」の経緯に関して、教理研究院は『虚偽に満ちた』で明らかにしています。そこに込められた真のお父様の願い、意思は〝明確〟なものです。以下、『虚偽に満ちた』から抜粋します。

 『最初の宣布文』は、顯進様を『除去するために作成された作品』ではない
 『統一教会の分裂』は、『最初の宣布文』とは、真のお母様が『統一教会から文顯進を完全に除去するために作成された作品』(173ページ)であるとします。
 しかし、これは〝虚偽〟の主張です。まず、『最初の宣布文』の作成に至るまでの顯進様の動きを理解しなければなりません。
 『最初の宣布文』作成に至るまでの経緯
 2009年3月8日、いわゆる『束草事件』のとき、真のお父様は人事措置をされました。
 『統一教会の分裂』は、それを『文顯進UPF及びGPF会長停職』(150ページ)と述べていますが、実際は、真のお父様は、『金起勳を顯進の代身として立てるのです。顯進は勉強しなければなりません。……アベルを神様とアダム、エバよりもっと愛さなければならないのです』(マルスム選集609-131)と語られています。
 真のお父様は、このとき顯進様に対し、『UPF会長とGPFを一年間休み、金起勳牧師が代わりにする』よう人事措置をされました。しかし、顯進様はそれを無視し、『フィリピンGPCを2009年12月に予定通り推進しよう』(162ページ)としたのです。顯進様は同年11月20日、お父様に宛てて次のような書信を送っています。
 『私は状況がどうであれ、ここで決してあきらめて退くことはできません。……12月10日から14日まで、フィリピンのマニラで開催されるGPCは、中断されたり延期されることはありません。……お父様が透明かつ公正に中心を掴んで導いて来られた神様の摂理を原理的でない方法で左右しようとすることには到底、従うことができません』(162~163ページ)
 顯進様は、真のお父様の人事措置を無視し、『状況がどうであれ、ここで決してあきらめて退くことはできません。……GPCは、中断されたり延期されることはありません。……到底、従うことができません』と述べています。それを『統一教会の分裂』は、『創始者の意図を守るために行くべき道を行くという文顯進の意志が表れている』と持ち上げますが、実際は、お父様の指示に対し到底、従うことができませんと明言する〝不従順宣言〟であり、そこには『お父様の意図に反しても自分の道を行くという、お父様が願われる原理的な〝一体化〟を無視する姿勢が表れています。お父様の本来の意図は、『顯進が(金起勳氏に)侍って協助する立場に立つ』(マルスム選集609-134)ことを通して、『アベルを神様とアダム、エバよりもっと愛さなければならない』という『カイン・アベルの関係』を学ばせるためのものでした。しかし、顯進様はそれに従わず、同年12月10日、『フィリピンを訪問してGPCを強行』(164ページ)しました。
 そして、『統一教会の分裂』は、2010年5月末、顯進様が『ブラジルを訪問し、ビショップ・フェレイラと会い、南米GPF活動の支援を得るなど、活発な活動』(165ページ)をしていたと記し、同年5月30日、『ブラジル教会を訪問した際、責任者である申東謀が韓国本部の指示により文顯進が教会の壇上に立てないように』(同)しようとする出来事が起こったと述べます。当時、南米の大陸会長であった申東謀氏は『統一教会人たちに引き摺り下ろされ』(同)、顯進様がブラジル教会の壇上と本部を占拠し集会を行ったというのです。
 『統一教会の分裂』は、『韓国本部の指示により文顯進が教会の壇上に立てないように』と述べていますが、2010年6月2日付の『世界宣教本部』(当時)の公文によれば、顯進様のブラジル教会訪問と日曜礼拝での集会の件で、申東謀大陸会長は世界宣教本部の公文を通じ、真の父母様から〝特別指示〟を受けていたのです。それは、顯進様は『真の父母様の許諾なく公式的な食口集会で説教をできない』ということでした。
 さらに、翌日の早朝訓読会で、顯進様が『彼(申東謀氏)の頭を小突き、座っている申東謀の足を蹴る』(166ページ)という暴力事件を起こしました。このことで、同年6月2日付の『世界宣教本部』の公文を通じ、真の父母様の特別指示が再度あり、それは『真の父母様はこのような暴力は絶対に容認できず、今後、顯進様は真の父母様の裁可を受けずしては、絶対に公式的な集会や教会で講演や説教を行ってはならない』という内容でした。顯進様のこの暴力事件について、『統一教会の分裂』も『非統一教会人の観点からすると、文顯進の行為は非道徳的であり、暴力的であり、合理化しにくいのは事実である』(同)と認めています。
 このように顯進様の一連の行動は、真のお父様の人事措置に対する不従順、真の父母様の特別指示や『世界宣教本部』の公文に対する無視、さらには責任者に対する暴行にまでエスカレートしていきました。
 これが、真の父母様が『最初の宣布文』を作成するに至るまでの経緯です」(『虚偽に満ちた』184~187ページ)

 「これは、前述したブラジル教会で起こった事件に関連している内容です。なぜなら、(顯進様が)真の父母様の許諾なく公式的な食口集会で説教をできない』という真の父母様の指示を、『世界宣教本部』の公文を通じてブラジル本部に事前に送り、問題を解決するよう伝えたにもかかわらず、申東謀氏は『統一教会人たちに引き摺り下ろされ』、顯進様がブラジル教会の壇上と本部を占拠し集会を行ったからです。
 このような事態による混乱を収拾するため、……真のお父様は『最初の宣布文』の裏側に『特報事項』を書き、それを真のお母様に渡されて次のように会話しておられます。
  真のお母様「ありがとうございます。何度も、二度三度、申し上げて、申し訳ありません。事が、さらに広がることができないようにしようと」
  真のお父様「広がれば、天が放っておかない。連れていってしまうよ。全て」
  真のお母様「はい。その前に悔い改めていけるように」
 このように、真のお母様はブラジル教会の事件によって、混乱が『さらに広がることができないようにしよう』とされ、『特報事項』の内容を真のお父様にお願いされたのです。そして真のお父様が、このような混乱が『広がれば、天が放っておかない。連れていってしまうよ。全て』と語られたことに対して真のお母様は深刻な思いで、事件の当事者が『その前に悔い改めていけるように』との切なる心情を吐露されたのです。
 このように『最初の宣布文』とは、顯進様を『除去するために作成された作品』ではなく、ブラジルで生じた混乱を収拾するためのものであり、顯進様やUCI側の人物が『悔い改めていけるように』しようとされたものです。ところが、『統一教会の分裂』は、そのような真の父母様の心情、事情、願いを無視しみ言の隠蔽によって、そこに込められた真の父母様の真意をゆがめ、顯進様を『最初の宣布文』の犠牲者に仕立て上げようとしているのです」(『虚偽に満ちた』187~189ページ)

 以上のように、真のお父様の「最初の宣布文」に込められた願い、その意思は明確なものです。

②〝真の父母様のみ言〟を生命視しなければならない
 真のお父様は、ご自身の語られたみ言に対して次のように語っておられます。

 「先生が死ぬか生きるかという岐路において、死んだとしても残しておかねばならない深刻な立場でみ言を語ったので、今、そのみ言を訓読するのです。そのとき、霊界で協助していたものが、ここにいつでも連結されるのです。
 先生が死んだとしても、先生を中心としてみ言を語ったそのときに真理のみ言を残しておいたので、わたしが倒れたとしても、み言は残るのです。ですから、先生自身が『訓読会』をしているのです。今、このようにしながらも、そのときの霊界の深刻さをこの場に連結させて、皆さんに相続してあげようとするのです。先生がその時代に置かれた心で、そのとき、ともにできなかったこと、そのとき協助できなかったことを申し訳ない心情で読めば慟哭するのです。『訓読会』は、涙なしではできない時間であるということを皆さんは知らなければなりません。現在は、不平を言う何らの内容もないのです。
 真の父母様が定着したすべての心情世界を、皆さんが家庭で居ながらにして定着させる訓読会』は、絶対に必要です。家庭的、社会的、教会的、国家的、世界的『訓読会』が繰り広げられるのです。先生が闘ってきたそのときに霊界が協助していたものを、皆さんが今、協助を受ける条件を立てれば、家庭が地上に定着するとき、サタンが讒訴する環境を越えていけるので、『訓読会』は絶対に必要なのです。何の話か分かりましたか? 読まなければならないのです。『訓読会』をだれが一生懸命にするのかによって、霊界の協助が変わってくるのです」(『ファミリー』1998年6月号、19~20ページ)

 「毎日、どのような食事なのかが気になるのと同じように、み言は生命の糧の起源なので、皆さんはみ言に対して〝おなかがすいて食べたい〟と思わなければなりません。そして〝どのようなみ言があるのだろうか?〟と気にしなければならないのです。
 そのようにすれば、どのような結果になるでしょうか? この『訓読会』を中心としたみ言の価値をどれほど貴重に感じたのかということが、霊界で皆さんが留まる位置の決定基準になるということを、皆さんは知らなければなりません」(『ファミリー』1999年12月号、28ページ)

 このように真のお父様は、み言および「訓読会」の重要性について強調しておられます。私たちは、真のお父様が「死ぬか生きるかという岐路において……深刻な立場でみ言を語ったので、今、そのみ言を訓読すると語っておられるみ言を生命視・貴重視して、「生命の糧」であるみ言を、精誠を尽くして訓読しなければなりません。
 パシセラは、真のお父様のみ言に関して次のように語ります。「文鮮明師のお話をつなぎ合わせ……言葉のゲームのような感じすら受けます……文師が『どこでもいつでも全てを見通して判断し間違いをしない』超人であると信じられ……文師が何かを誤解して……も、それが真実であるかのように、教会員は受け取りました」「文鮮明師がお話ししたり宣布する時には、人間なのですから、何かの状況理解の土台の上でしているわけです。ところが、その情報把握と理解が、周囲の妨害の中で妨げられ実際には達成されていないことを達成したと判断したり、実際には起きていないことを起きたかのように判断したり……」「文顯進会長は、小さい頃から、父が神様のような超人ではなく、人間であるのを知っていました
 私たちは、パシセラのように、真のお父様が語られたみ言を〝不信〟しながら読んだり、真のお父様が「先生が闘ってきたそのときに霊界が協助していたもの」をすべて伝授されるという「生命の糧」のみ言を、彼のように軽んじたりすることがないよう、み言に対して心を「正午定着」させければなりません。

(3)〝虚偽の言説〟である「真のお母様陰謀論」を語るパシセラ
 パシセラは計4回にわたる「赤石氏の櫻井夫人批判」「赤石氏の櫻井夫人批判への考察」で、いわゆる「真のお母様陰謀論」と呼べる発言をしています。彼は次のように述べます。
 「今の混乱が皆の前に明らかになったのは2009年からですが、問題は文鮮明師が息子である文顯進会長を立て(1998年)、父子協助時代宣言(2000年11月11日)した頃から起きていました(考察1)、「教会のリーダーたちが(なぜ)このお話を嫌がるのかと言えば、父子協助時代はつまり、文顯進会長が権威と権力を持つようになることを意味するからです」(同)、「(父子協助時代の)文師が語る、絶対信仰、絶対愛、絶対服従が、韓夫人にとって簡単だったでしょうか? 文師の語る言葉は、自分を認めない、まさに自分に対する否定に思えたはずです」(同)、「父子協助時代が宣言され……『女の全権時代』で勝利し、表彰され、賛美されたとしても、(真のお母様には)父子協助時代の蕩減が待っていたのだ、ということになります……賛美と賞賛の後で、完全否定と感じられる道が現れた……」(同)、「2009年からの、父と子を裂く妨害、それまでのものとは次元を異にした世界的なものであり、韓夫人や実の兄弟姉妹が妨害の先頭立ちました」(考察2)、「真の父母様宣布文とは、2011年に出た、文顯進会長が膝を屈することを要求する文書……その真の父母様宣布文が文鮮明師によって署名されていたとしても、正しい要求とは言えず、父と息子を切り離す教会のリーダーたちの画策の結果……宣布文が出るまで、2009年から2011年までの間、多くの人たちは、韓鶴子夫人が背後で主管し動き、その思想がどんなものなのかを知りませんでしたから、なぜ文顯進会長が膝を屈しないのかを理解するのが難しかったはずです」(考察3)

 これらの、パシセラの真のお母様批判の内容は〝妄想〟に過ぎません。パシセラは、「教会のリーダーたちが(なぜ)このお話を嫌がるのか……父子協助時代はつまり、文顯進会長が権威と権力を持つようになることを意味するから」などと述べます。しかし父子協助時代は……文顯進会長が権威と権力を持つ時代ではありません。これは、手前勝手なみ言の解釈です。
 すでに述べたように、「父子協助時代」だからこそ「真の母」が現れ、その時代を生きる子女様たちはお母様の言葉に絶対服従しなければなりませんと、真のお父様が〝命じられる時代圏〟になっているのです。
 「真の父母」が永遠に唯一の天一国の〝絶対中心〟です。そのような永遠の伝統を立てるために、真のお父様は顯進様に対し父の伝統に従って、母の伝統に従って、三番目に息子である」(マルスム選集323-83)と語っておられ、かつ、世界平和統一家庭連合時代とは「長子と次子は母親の名のもとに絶対服従しなければならない」(『主要儀式と宣布式Ⅲ』151ページ)時代であるとも語っておられます。さらに、真のお父様は「先生が霊界に行くようになればお母様が責任を持つ(マルスム選集318-260)と語っておられたのですから、これらのみ言に従って、真のお母様を中心に子女様たちが一つになればいいだけの話です。
 また、UCI側を支持する人々は、真のお父様が「文顯進と一つになって真の父母に従え」「文顯進を中心に一つになれ」と語られたと主張しますが、これらのみ言は存在していない事実を、教理研究院は『虚偽に満ちた』366~377ページで明らかにしています。そのようにお父様が語られたみ言が実際にあるのなら、彼らはそのみ言を示せばいいだけにも関わらず、今に至るも、彼らはお父様のみ言の根拠を示し得ていないのです。
 さらに、パシセラは「他界する前の文師は公的な場で、『私には妻はいない』と衝撃的なことを言うようになった」(考察3)などと述べていますが、これは真のお父様が〝神観の問題〟について述べているみ言であって、真のお母様を批判しているのではありません。この点について、すでに教理研究院は、「教理研究院の質問に答えないまま、誠意なき態度を取る『ONE TRUTH有志の会』」の中の「三、『有志の会』が述べる『真のお父様の「離婚するぞ」「文総裁の妻の位置もいません」』発言について」で〝反論済み〟の内容です。(https://trueparents.jp/?page_id=6667
 したがって、韓夫人にとって……文師の語る言葉は、自分を認めない、まさに自分に対する否定に思えた、ゆえに父と子を裂く妨害は……韓夫人……が妨害の先頭に立ちました」というような「真のお母様陰謀論」は、絶対にあり得ない〝虚偽のストーリー〟です。
 真のお父様は、真のお母様の内的な性稟について、次のように語っておられます。
 「お母様を見るとき、女性として非常に端正だというのです。きちんとしています。お母様がしとやかにしている時は誰にも劣らない尊敬することができる内的な性稟をもっています。……顔が美人だからといって素晴らしいのではありません。心が美しいので、顔が美しいのです。心が美しいので、声も美しく、姿も優雅なのです。壇上でも、とても自然です」(『真の御父母様の生涯路程⑩』53ページ)
 このような、真のお父様が「心の美しさ」を認めておられる真のお母様なのです。このようなお母様が、顯進様を統一家から追い出すために、陰で「真のお母様陰謀論」なるものを企てることはあり得ないことです。
 この、真のお母様の陰謀によって顯進様が統一家から追い出されたのだという、いわゆる「真のお母様陰謀論」は、2016年に出版された金鍾奭著『統一教会の分裂』によって世に広められていくようになりました。これに関連して、教理研究院は次のような事実を明らかにしています。

 「郭錠煥氏は2014年12月18日、日本で開いた小規模な集まりで、次のように語っていました。
 『私がずっと6年黙っていたのは、できるなら(顯進様が)お母様と一体化して、真の兄弟姉妹たちと一体化していくという希望をもっていたけれども、(2009年から)1年、2年、3年、4年、5年、6年。6数は創造の期間の数です。(だから)それ以外はできないです。7年は、新しく線を決めて新しく出発する8年が待っている7の数です。そうだから、来年は2009年、10年、11年、12年、13年、14年、15年。ちょうど7年(2015年)は、顯進様が何か宣布して新しい出発(をする年です)。……たくさんの兄弟姉妹たちが本当に良心的に、顯進様を侍って、顯進様が教会に戻ってお母様と一緒に教会をリードしてくれたら本当にいいのにという希望を(一般的には)持っています、韓国もアメリカも日本(の食口)も。それはできないです(2014年12月18日の集会映像の2分04秒〜4分11秒)
 2014年12月18日の集まりで、郭錠煥氏は『私がずっと6年黙っていたのは、できるなら(顯進様が)お母様と一体化して、真の兄弟姉妹たちと一体化していくという希望をもっていた』と述べながらも、『それはできないですと語っています。
 郭錠煥氏の『顯進様の再登場計画?』と呼べる説明は、いわゆる『束草事件』があった2009年を起点として『6数は創造の期間』であり、『7年は……新しく出発する8年が待っている7の数』であるとします。そして、郭錠煥氏は『2009年、10年、11年、12年、13年、14年、15年』と指折り数えながら、『7年(2015年)は、顯進様が何か宣布して新しい出発をしようとしている年だと述べます。
 実際、顯進様は7年目の『2015年6月に米国シアトルで祝福結婚式』(『統一教会の分裂』66ページ)なる真の父母様と関係のない儀式を挙行しました。そして、再登場(再出発?)を目論む8年目の2016年に、金鍾奭著『統一教会の分裂』が出版され、それをUCI側の人々が広めました。これは〝なぜUCI問題が起こったのか〟を説明しようとしたUCI側を擁護する書籍であり、その理由付けをすることで彼らなりに打って出ようとしたものと言えます。ところが、この書籍の内容は『真のお母様陰謀論』という真のお父様のみ言改竄に基づく〝虚偽の言説〟なのです。
 そして、顯進様が再登場(再出発?)を果たした翌年の2017年12月2日、彼らは『家庭平和協会(FPA)』の創設大会を行って現在に至っています」(『世界家庭』2021年5月号、87~88ページ)

 これらの事実を踏まえて考察するなら、いわゆる「真のお母様陰謀論」という〝虚偽の言説〟の出処、および拡大の大本は、金鍾奭著『統一教会の分裂』だけではなく、郭錠煥氏をはじめとする顯進様の取り巻きのUCI側を支持する人々であることは明らかです。
 では、なぜUCI側の人々はこのような「真のお母様陰謀論」という〝虚偽の言説〟を騙り始めたのでしょうか。それは、2009年に起こったいわゆる「束草事件」によって、真の父母様と袂を分かった三男の顯進様が、再び統一家の「中心」に収まることによって、統一家の中で地位や名誉、財産の全てを自分たちのものにしようとする〝野心〟から生じたものであることは、顯進様と取り巻きたちの行動を見れば明白です。そのために、彼らは真のお母様を貶めて排斥することで、郭錠煥氏の述べる「顯進様の再登場計画?」なるものが企てられたのであろうこともまた明白なのです。

 「(2014年12月18日に)郭錠煥氏は『2009年、10年、11年、12年、13年、14年、15年』と指折り数えながら奪い取った資産で進める〝独自の計画〟を目論んでいたのであり、これは真の父母様の摂理とは無関係であるばかりか、真の父母様が進める摂理を妨害する動きにもなっているのです。2009年以降の彼らの〝沈黙〟は計画的であり、郭錠煥氏が主導し画策したものと言わざるを得ません。こう考えると、郭錠煥氏は〝ふらちな計画〟に基づいて行動をし、2011年の『真の父母様宣布文』に従おうとする気持ちはみじんもなかったことは明らかです。これは、創始者である真の父母様に対する背任行為であり、歴史的な背信と言わざるを得ません。
 しかも、UCI問題が『真のお母様陰謀論』によるという〝虚偽の主張〟を広めようとしたUCI側の人々の言動は、決して許されることではなく、後世から讒訴される大事件であったと言えるでしょう」(『世界家庭』2021年5月号、88ページ)

以上