文責:教理研究院
注、真の父母様のみ言、および家庭連合側が発表した内容は「青い字」で、
UCI(いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」で区別しています。
「顯進様を支持する有志の会」による「教理研究院への公開質問および櫻井夫人に関する公文への反論」の誤りについて・続き2
UCI(いわゆる「郭グループ」)側が、2016年の秋頃から日本で集会を行って広めている金鍾奭著『統一教会の分裂』(日本語訳)には、真のお母様をおとしめる〝み言改竄〟〝誤訳〟〝文脈を無視したみ言引用〟が散見します。
教理研究院では、この〝虚偽〟を暴くシリーズで、金鍾奭氏が主張する「顯進様のアイデンティティ」の誤りを明らかにしてきました。
教理研究院が、既に発表した「UCI側が広める金鍾奭著『統一教会の分裂』の〝虚偽〟を暴く(3)」で、「桜井節子氏による『信仰告白』の映像の問題点」について指摘しましたが、それに対し「顯進様を支持する有志の会」は、「教理研究院への公開質問および櫻井夫人に関する公文への反論」を発表したため、「UCI側が広める金鍾奭著『統一教会の分裂』の〝虚偽〟を暴く(6)」「同、(9)」で、さらにUCI側の反論の誤りについて指摘しました。
今回は、その続きとして「櫻井夫人に関する公文への反論」の誤りを述べます。
(1)お父様を「未完のメシヤ」におとしめるUCI側の〝み言解釈〟
「教理研究院への公開質問および櫻井夫人に関する公文への反論」で、真のお父様が〝最後の祈祷〟において「すべて成し遂げました」と祈られた内容に対して、UCI側は、お父様がメシヤの使命を完結しておらず、「未完のメシヤ」であると解釈しています。
彼らが公表した反論文で、問題となる箇所を以下、引用します。
「教理研究院は『すべてを成し遂げました』というお父様の祈祷を引用していますが、その意味を歪曲しています。……その全文を読めば、お父様が最後の祈祷の中で『すべてを成し遂げました』と祈られたのは、決してメシヤの使命すべて(創造目的完成)を成し遂げたという意味ではなかったことが分かります」
「お父様は、私たちが子女様たちを中心として氏族的メシヤの責任を果たし、世界の国々を天一国化していくことで全てが終わると祈られています。……お父様が祈祷の中で『すべてを成し遂げました』と祈られたことを、その部分だけ抽出し、すべてを成し遂げたという風に理解してはなりません」
真のお父様の〝最後の祈祷〟の全文を引用します。
「きょう、最終的な完成、完結を成し遂げてお父様のみ前にお返しし、今までの一生をお父様にお捧げすることを知っておりますので、そのみ旨のままに、今は、精誠を捧げてすべての生を終了する時間を迎え、堕落のなかった本然のエデンの園に帰り、エバが過ちを犯し、アダムが引っ掛かった責任分担を、すべて超越できるようになりました。あらゆることに対する解放、釈放の権限をもち、誰であっても父母様のあとに従いさえすれば、四次元においても、十四次元においても、地獄に行く者を天国に入籍させることができ、四次元の入籍と十四人の息子、娘たちを中心として、氏族的メシヤが国家を代表する名称となって387の国々(アベル国連圏194ヵ国、カイン国連圏193ヵ国)さえ復帰すれば、すべてが終わることを宣布します。そのためのあらゆることを、すべて成し遂げました。すべて成し遂げました。アーヂュ。」(天一国経典『天聖經』1645ページ。注、太字アンダーラインは教理研究院による)
真のお父様の〝最後の祈祷〟を見ると、「成し遂げた」と祈られた箇所は3ヵ所あります。まず、「きょう、最終的な完成、完結を成し遂げて」お父様のみ前にお返ししたと祈祷されました。その祈祷文のすぐ後ろの部分が、具体的な内容です。
すなわち、「堕落のなかった本然のエデンの園に帰り、エバが過ちを犯し、アダムが引っ掛かった責任分担」を成し遂げられたのです。これは、堕落したアダムとエバの過ちを蕩減復帰され、メシヤであられる〝真の父母〟が、その責任分担を最終的に「完成、完結」して成し遂げられたという意味です。
次に、祈祷の最後の部分でも「成し遂げた」と祈っておられます。その直前に、「そのためのあらゆること」を、すべて「成し遂げた」と言われています。では、「そのためのあらゆること」とは、何のことなのでしょうか? その祈りの直前に、誰であっても「父母様のあと」に従いさえすれば、「地獄に行く者を天国に入籍」させることができ、「十四人の息子、娘たちを中心」に「氏族的メシヤ」が387の国々さえ「復帰」すれば、すべてが「終わること」を宣布しておられるのです。「そのためのあらゆること」を、「すべて成し遂げました」「すべて成し遂げました」と最後の祈祷の〝締め括り〟をされました。
すなわち、このことは、父母として果たすべき責任分担をすべて成し遂げ、父母のあとに従いさえすれば、地獄に行く者でさえも天国に入籍させ得る「そのためのあらゆること」をすべて成し遂げておられるというのです。お父様は、「堕落のなかった本然のエデンの園に帰り……責任分担を、すべて超越できる」ようになったと言われています。したがって、「誰であっても父母様のあとに従いさえすれば」すべての者は天国に入籍できる時を迎えているというのです。
以上のように、お父様の〝最後の祈祷〟を整理してみると、メシヤの使命は「すべて成し遂げられた」と理解することができ、その勝利された真の父母様に従い、十四人の息子、娘たちを中心として、氏族的メシヤがアベル国連圏194ヵ国、カイン国連圏193ヵ国さえ復帰すれば、「すべてが終わる」と宣布しておられるということです。
UCI側は、お父様が〝最後の祈祷〟で、メシヤの使命・責任である天一国への道、人類の歩むべき道、歩むべき雛形のすべてを開拓し終えられ、「すべて成し遂げました」と祈っておられる内容であるにもかかわらず、メシヤの使命に「創造目的完成」までをも含めて、それを成すことでメシヤの使命が「全てが終わる」と誤った理解をしているために、「お父様が最後の祈祷の中で『すべてを成し遂げました』と祈られたのは、決してメシヤの使命すべてを成し遂げたという意味ではなかった」と解釈する誤りを犯しているのです。
『原理講論』の予定論は、復帰摂理について以下のように論じています。
「神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである」(246ページ)
予定論の論述にあるように、お父様の「すべて成し遂げました」との祈りは、「一つから始まって、次第に、全体的に広められていく」救いの摂理において、その〝いしずえ〟をすべて勝利され成し遂げられたことを言っているのであって、そのメシヤとしての使命、責任を完成、完結、完了したことを宣言しておられるのです。
そして、「誰であっても父母様に従えば」とあるように「次第に、全体的に広められていく」摂理において、父母に従うことで勝利圏が全体に広められていくということです。したがって、お父様が〝最後の祈祷〟に込めておられる切なる願いは、天国に入籍するために、全人類が救いの摂理の〝いしずえ〟を築かれた「真の父母」と一つとなって欲しい、真の父母様が歩まれ、願っておられる道を共に歩んで欲しいという〝真の父母との一体化〟であり、これこそがお父様の〝願い〟なのです。
(2)「先生一代」を、「父母と子女を合わせたアダム家庭一代」と解釈する誤り
桜井節子氏が公開した「信仰告白」の映像の問題に対し、家庭連合側は「私たちは、神様と真の父母様に永遠の中心を置くべきであって、それ以外のところに(信仰の中心を)置くべきではありません。 お父様は、『歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。アダム家庭が一代で勝利出来なかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのです』(『ファミリー』2001年6月号p.13)と語っておられます。『すべて成し遂げました』(最後の祈祷2012/8/13)との祈祷は、ご自身の生涯と復帰歴史全体を総括する歴史的宣言です。勝利出来ずに、後代に使命を託されたのではないことをはっきり理解しなければなりません」と述べました。
ここで、真のお父様が「歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。アダム家庭が一代で勝利出来なかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのです」(『ファミリー』2001年6月号、13ページ)と語られたみ言に対して、UCI側は次のように解釈し、反論しています。
「お父様は『アダム家庭が一代で勝利できなかったことを……』と語っておられるのですから、お父様が『一代』と仰っているのは、父母と子女を合わせた『アダム家庭一代』のことであるのは明白です。アダムがどのようにしたら勝利したアダムになるでしょうか? それは子女が完成した時です。真の父母になるべきアダムの勝利は、真の子女の勝利を抜きにしてはあり得ないことです。父母と子女は切り離して考えることができないからです」(太字ゴシックは教理研究院による)
彼らのこのような解釈は、お父様のみ言の原典に当たらず、お父様のみ言に聞くこともせずに、自分なりの勝手な〝解釈〟をもってお父様のみ言をゆがめて理解している実態を如実に物語っています。
このとき語られたお父様のみ言は、「ファミリー」2001年6月号に掲載されており、その原典に当たってみれば、彼らの解釈が、お父様のみ言の真意から完全に逸脱していることは明白です。お父様は、同じみ言のなかで次のように語っておられます。
「歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。先生一代で解決しなければなりません。アダム家庭が、一代で勝利できなかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのですから、それが、どれほど途方もないことであるかということを考えてみてください」(13ページ)
「一代でこれを合わせなければなりません。皆さん。今(2001年)から12年残っています。……一代で終えなければなりません。皆さんも、そうです。今から一代で終えなければなりません。92歳までです。そのようにしてこそ、先生がその上で……。92歳とは何かというと、80歳から12年です。2012年までです。そのときは、先生が生きているか、霊界に行っているか分かりませんが、希望を持っているのです。先生がいる間に、このことをしなければならないということを知らなければなりません」(20~21ページ)
真のお父様が、「何代ではありません。先生一代で解決しなければなりません」、「今から12年残っています。92歳までです」、「先生がいる間に……しなければならない」と語っておられるように、お父様が「先生一代で解決する」と語っておられるのは、UCI側が解釈するような「父母と子女を合わせた『アダム家庭一代』のことであるのは明白」というものでは、決してありません。お父様は、2001年の時点において、残された2012年までの「92歳まで」の12年で、すべてを一代で終えるという決死的覚悟をもっておられたのであり、その決意を実行され、一代で成し遂げたという立場から「すべて成し遂げました」と祈って聖和していかれたのだと言えるのです。
真のお父様が、「歴史を先生一代で解決しなければなりません」と語っておられ、〝最後の祈祷〟で「すべて成し遂げました」と明確に宣言しておられるにもかかわらず、UCI側が「先生一代」とは「父母と子女を合わせた『アダム家庭一代』のこと」と、あえて解釈するのは、お父様は未だ歴史的問題を解決しておらず、顯進様がお父様の残した〝未完の使命〟を解決する使命を持ち、そのメシヤの使命を受け継いでいる自らであると権威付けをするためなのです。お父様が一代ですべてを成してしまっておられることを認めてしまえば、自分が出る幕がないためであると言えます。
私たちは、「父母と子女を合わせた『アダム家庭一代』のこと」というようなUCI側の勝手なみ言の解釈に惑わされてはなりません。