サンクチュアリ教会側の「アベル女性UN創設大会」に関するお母様批判への応答

 サンクチュアリ教会側の人は、以下のように語って、真のお母様を批判します。

 「2012年7月16日、真のお父様の最後の創設大会の講演『アベル女性UN創設大会』において、真のお父様は、講演文を読むことを一時止められ、大観衆の前で、真のお母様に対し、『自分勝手にやっている』と語られた。真のお父様のその語気の強さから、とてもお二人が一体化しているとは思えない」

 サンクチュアリ教会側は、上記の部分を約1分間の映像にし、それを各方面に送りつけ、“真のお母様批判”を拡散させています。また、その映像の“静止画面”をメールに添付して、各方面に送りつけています【写真参照】

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 このときの真のお父様の講演自体は、約1時間20分の長時間にわたるものですが、サンクチュアリ教会側は、そのうち約1分間だけを切り取って、批判に利用しています。しかも、1分間の映像の冒頭には、「文鮮明師 最後のスピーチとなったアベル女性UN創設大会、基調講演での驚くべき発言」という字幕を置くことで、視聴者に対し、いかにも真のお父様がお母様を批判しているかのように受け止めさせようとミスリードしているのです。

 まず、私たちが注意しておかなければならない点は、このときの真のお父様の講演は、講演文を読みながら、随時、アドリブでさまざまな内容を語られつつ講演を進めて行かれたのであり、特別にこの部分だけでアドリブの言葉を挟んで語られたわけではないという点です。サンクチュアリ教会側は、「講演文を読むことを一時止められ」と述べ、いかにも、この部分だけで特別なことが起こったかのように述べますが、実際は、真のお父様は講演全体において、常にアドリブを交えながら語り続けられた事実を知っておく必要があります。したがって、サンクチュアリ教会側のこの表現は事実と掛け離れた、オーバーな表現になっています。

 ところで、サンクチュアリ教会側の批判は、①真のお父様の講演文全体の流れを無視しているだけでなく、切り取った約1分間の映像を、細部にわたって検討してみると、その批判は、②真のお父様の語っておられる内容から大きく逸脱した、とんでもない批判であることが明白となります。
 彼らが拡散している約1分間の映像に付されたテロップ(字幕)は、以下のようになっています。(注:太字ゴシック体は、講演文。明朝体の文字は、お父様がアドリブで語られた部分)

 「私たち夫婦が20年前、本連合の創設時に明らかにしたメッセージの精神に従って、勝利した世界的な女性代表である真の母に侍り……、オモニを私が育ててきたよ。オモニはいません。文総裁の妻の位置もいません。自分勝手にやっている!! 自分勝手に。ん。……世界的な女性代表である真の母に侍り、真なる母の像、真なる妻の像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならず、

 この部分を、映像から忠実にディクテーションし、翻訳すれば、以下のようになります。

 「私たち夫婦が20年前、本連合の創設時に明らかにしたメッセージの精神に従って、勝利した世界的な女性代表である真のお母様に侍り……、お母様を私が育ててきました。母がいません。文総裁の妻の位置もありません。自分勝手、自分勝手です。……世界的な女性代表である真のお母様に侍り、真なる母の像、真なる妻の像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならず、

 上記の内容が、忠実にディクテーションして翻訳した内容になります。真のお父様は、ここで聴衆に対し、何を訴えようとしておられるのでしょうか? 真のお父様の意図される内容を吟味し、明確にしなければなりません。
 まず、着目すべき重要な部分が、勝利した世界的な女性代表である真のお母様に侍りという部分です。
 真のお父様は、元々の講演文には「勝利した世界的な女性代表である真の母に侍り」と“真の母(チャムオモニ)”となっているにもかかわらず、それを、あえて「勝利した世界的な女性代表である真のお母様(チャムオモニム)に侍りと言い換えて語っておられます。この「真のお母様」という部分は、韓鶴子女史を明確に意識された表現であり、その韓鶴子女史を「勝利した世界的な女性代表である」と語っておられます。
 つまり、真のお父様は、私たちに対して、そのような「勝利した世界的な女性代表である」韓鶴子女史に侍りなさいと命じておられるのです。

 続いて、注目すべき重要な部分が“固有名詞”と“一般名詞”の使い分けについてです。真のお父様は、それに続くアドリブの部分である最初の「お母様」という言葉は、“固有名詞”で「お母様(オモニム)」と語っておられます。
 したがって、そのような「勝利した世界的な女性代表である真のお母様(韓鶴子女史)」「私(真のお父様)が育ててきました」と語っておられます。これは、お父様が、あきらかに勝利された真のお母様を誇りに思っておられ、そういう人類の真のお母様を育ててこられたことを、自負しておられる表現なのです。

 ところが、その部分に続く「母がいません」という文言は、それまでとは違い、“一般名詞”で「母(オモニ)」と語っておられます。サンクチュアリ教会側は、そのような明白な違いがあることを無視して、いずれの言葉も「オモニ」とカタカナでテロップを入れることで、日本人が見るとき、いかにも韓鶴子女史について語っているかのように見えるよう、カモフラージュしているものと言えます。

 しかし、「母がいません」という文言は、“一般名詞”として語られているものであって、これは、今までの歴史において勝利した母がいなかった(しかし、韓鶴子女史が初めて勝利した母として立った)ということであり、韓鶴子女史を指して語っておられる言葉ではありません。むしろ、聴衆や女性一般に向かって、韓鶴子女史のように勝利した「母がいません」と語っておられるのです。もし、この部分の「母がいません」が、韓鶴子女史であると仮定するなら、その直前で「勝利した世界的な女性代表である真のお母様に侍りなさいと命じておられるにもかかわらず、その侍るべき“母”がいないという話になってしまうために、話が矛盾したものとなります。これでは、存在しない「母」に対して「侍りなさい」と命じる、全く意味不明な内容となってしまいます。

 それに続く、「文総裁の妻の位置もありません」は、そういう勝利した「真のお母様」が元々おられるわけではないという意味で語っておられます。つまり、独生女としてお生まれになった韓鶴子女史にも、「文総裁の妻」、「真の母」として勝利するまでの過程があり、果たすべき責任分担があったわけで、そういう勝利した「文総裁の妻の位置も(元々あるのでは)ありません」という意味です。
 そして、「自分勝手、自分勝手です」と叱責しておられるのは、女性一般に対して語っておられる言葉です。事実、お父様が語っておられる映像を見ると、このとき会場の聴衆に向かって語気強く語っておられるのが分かります。
 だからこそ、真のお父様は、聴衆に向かって、再度、勝利された世界的な女性代表である真のお母様に侍りと繰り返し語られた上で、そのお母様に侍ることによって真なる母の像、真なる妻の像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならないと命じておられるのです。

 したがって、「大観衆の前で、真のお母様に対し、『自分勝手にやっている』と語られた。真のお父様のその語気の強さから、とてもお二人が一体化しているとは思えない」というサンクチュアリ教会側の批判は、講演文の流れとお父様の真意を無視し、それをねじ曲げた、とんでもない批判です。お父様ご自身を貶めていると言っても過言ではありません。
 事実、彼らが拡散している約1分間の映像にない、その前後の部分を確認してみると、真のお父様が「自分勝手、自分勝手です」と厳しい口調で叱責しておられるときに、真のお母様は、お父様のすぐ近くに座っておられるのです【写真を参照】

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 それにもかかわらず、真のお父様はお母様を一切見る素振りはなく、むしろ、会場を見渡すかのように聴衆に向かって「自分勝手、自分勝手です」と語っておられます。これを見ても、この言葉は、真のお母様に対して語っておられるものでないのは明らかです。

 また、講演文全体を通して見るときに、この叱責の言葉は、真のお母様に対してではないことが、より明白となります。なぜなら、真のお母様を叱責される意味に受け取れる表現が、講演文に全くないからです。
 むしろ、講演文の冒頭の部分で、お父様は会場の聴衆に対し「私の妻である韓鶴子総裁と共に、心から歓迎いたします」と三回も繰り返し語っておられますし、さらには、再三にわたって「韓鶴子総裁と共に」、「私たち夫婦」、「真の父母」という表現を繰り返し語っておられることから考察してみると、真のお父様は、勝利された「真の母」である韓鶴子女史と共に、勝利された「真の父母」として、この講演をされておられるのは疑いようがないことです。

 私たちは、このような文脈を無視した、サンクチュアリ教会側の姑息な批判に惑わされてはなりません。


アベル女性UN創設大会に関する批判に関連して
~「アベル女性UN創設大会」のお父様の“神観”に関する重要なみ言~

 私たちは今まで、神様を「天のお父様」と呼び、神様を「天の父」としてのみ捉えてきました。私たちは、真のお父様のみ言に、「神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母です」(八大教材・教本『天聖經』1660ページ)とあり、また『原理講論』にも「父母なる神」(61ページ)、「父母としていまし給う神」(92ページ)、「天の父母なる神」(235ページ)等々と記されていることに対して、ある意味で無頓着でいたように思われます。

 ところで、真のお父様は、2012年7月16日の「アベル女性UN創設大会」の講演で、この従来の神観の問題について重大な発言をされました。真のお父様は、講演文を読まれる前に、“約30分間、前提としての話をする”と述べられ、次のように語っておられます。

 「今に至るまで、数多くの宗教がありますが、父なる神様を信じる宗教にはなりましたが、母のいない宗教を信じてきたという恥ずべき、恥ずかしさをこの時間に爆発させ、その歴史的な、あってはならないその悲運の痕跡を取り消すために……私の歩む道は、平和な道ではありませんでした」
 「母(なる神)がいません。父なる神様は知っていますが、母のいない父を自分の神様だといって争い、奪い合う戦いをするこの教団どもの愚かさと国の権威の喪失を、誰が是正してあげるのですか」

 真のお父様は、今までの宗教が、神様を「天の父」としてのみ捉え、「母なる神様」でもあることを理解してこなかった事実に対して、「恥ずべき、恥ずかしさをこの時間に爆発させ」と訴えておられます。また、「母のいない父を自分の神様だといって争い」合ってきたことを「愚かさ」だと表現しておられます。

 また、「アベル女性UN創設大会」の講演文でも、真のお父様は次のように語っておられます。

 「愛する女性指導者の皆様! 女性は男性の補助者でも保護の対象でもなく、神様のもう一つの性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにしてくれる、独立した人格者です。……価値から見るとき、男女は絶対に平等な存在です。本然の真の愛によって一つになった男女は、互いに同じ地位に立つ同位権をもつようになります」

 この“神観”の問題に関連して、月刊誌『世界家庭』で連載している「サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤り」の第11回目の原稿で、次のようにサンクチュアリ教会側の誤りを指摘しました。

 すなわち、ウィルソンUTS(統一神学大学院)教授が、2006年6月13日の「天地人真の父母様天正宮入宮・戴冠式」で、真のお父様がセッティングされた王座や王冠等を提示しながら【写真参照】、「真のお父様と真のお母様のための二つの王座があり、『父なる神様』『母なる神様』のための、また他の二つの王座があります。そして、お父様とお母様の頭の上に、二つの王冠があり、『父なる神様』『母なる神様』のための、またほかの二つの王冠があります。……これら全てのものは、正に天一国の基盤です。しかし、サンクチュアリ教会においては、王座の一つを片付けてしまいました」と述べて、サンクチュアリ教会側の誤りを指摘しています。

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 真のお父様は、神様を「天の父」としてのみ理解するのではなく、「天の母」としても理解しなければならないことを、明確に打ち出しておられます。

 真のお父様は、2010年1月1日午前零時の祈祷で、「愛する天の父母様。地上に相対的立場に立った地上の父母様を一体化させて天正宮博物館を建て……」と祈られ、天の父母様と地上の父母様は相対的立場であり、(天正宮入宮・戴冠式のお写真で見るように)一体化されていると強調されました。この「アベル女性UN創設大会」で、真のお父様が「母のいない宗教を信じてきた……恥ずかしさをこの時間に爆発させ」「母のいない父を自分の神様だといって争い、奪い合う……愚かさ」と訴えられたことを併せて考えてみると、神様を「天の父母様」と呼び掛けることの正しさを改めて確認するものです。

 それと同時に、サンクチュアリ教会が「天のお父様」という呼び名にこだわり、さらには「真のお母様」の王座を片付けてしまったその行為が、いかに真のお父様の願いから逸脱したものであるかを実感せざるを得ません。
 この一点を見ても、サンクチュアリ教会が、真のお父様の教えを理解しておらず、自分勝手な解釈と行動を取っているのかが明らかでしょう。

 このような、真のお父様の思想とかけ離れた言動をとるサンクチュアリ教会に、真のお父様はおられません。
 私たちは、真のお父様の教えを正確に理解し、サンクチュアリ教会の“虚偽”と“惑わし”を見抜いて、真の父母様に正しく繋がらなければなりません。