文責:教理研究院
注、真の父母様のみ言や『原理講論』は「青い字」で、UCIおよびFPA(いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」で区別しています。
「文顯進様を支持する有志の会」は「ONE TRUTH有志の会」というブログを新たに立ち上げ、郭錠煥氏のインタビュー映像(トゥルーレガシーTV)を掲載して各方面に拡散しています。これらの映像における郭錠煥氏のみ言引用は不正確であり、み言の恣意的解釈が散見します。
郭錠煥氏のインタビュー映像の内容は、2019年3月2日に出版された郭錠煥著『事必帰正』(日本語版)と類似するもので、真のお母様が真のお父様の意向に反して陰謀を企て、三男の顯進様を統一家の組織から追い出したという、いわゆる「真のお母様陰謀論」という虚偽に基づくものです。これはUCIを支持する人々が広めてきた金鍾奭著『統一教会の分裂』と軌を一にするものであり、〝虚偽のストーリー〟にほかなりません。
教理研究院は、UCI、FPA(家庭平和協会)を支持する人々のかたる〝虚偽の主張〟に対し、彼らによる真のお父様の〝み言改ざん〟を指摘しながら、真のお父様のみ言と「原理」に基づいて反論してきました。その集大成として、2019年8月10日に『虚偽に満ちた金鍾奭著「統一教会の分裂」――軌を一にする郭錠煥著「事必帰正」』(光言社)を出版しました(以下、『虚偽に満ちた』)。
郭錠煥氏の書籍は、真のお父様のみ言の根拠をほとんど示さず、自身の自叙伝のような体裁で書いているため、その〝虚偽性〟を見破るのは簡単なことではありません。しかし、『虚偽に満ちた』の巻末に掲載したUCI側の〝虚偽の主張〟と「原理とみ言」の比較対照一覧表を見れば、金鍾奭著『統一教会の分裂』と郭錠煥著『事必帰正』が、いかに〝虚偽の主張〟において軌を一にするものであり、かつ、お父様のみ言と食い違っているのかを理解することができます。
郭錠煥氏が述べる〝虚偽の言説〟は、すでに『虚偽に満ちた』で論破されており、この書籍の内容こそが二つとない「一つの真実」です。
今回は、郭錠煥氏がインタビュー映像(トゥルーレガシーTV)第1編「郭先生が10年間沈黙した理由」で述べる、彼らが「非原理集団」として袂を分かつようになった経緯の説明についてその虚偽を暴きます。(注、『虚偽に満ちた』および教理研究院発刊の書籍からの引用文については、引用の終了部分に〈『書籍名』○○ページ〉と表示しています)
(1)UCIが「非原理集団」として真の父母様と袂を分かった経緯に対し〝虚偽〟を騙る郭錠煥氏
郭錠煥氏は、UCIが「非原理集団」として真の父母様と訣別するようになった経緯について、『事必帰正』で次のように述べています。
「統一家の葛藤の本質は何でしょうか。端的に言えば、それはお母様がお父様と一つになることができず、ご自身の定位置を離れて、非原理的で反摂理的な立場に落ちたことです。お母様は、お父様の摂理を正しく理解することができませんでした。お父様が導いてこられた摂理の流れと方向と目的を理解することができなかったのみならず、ある瞬間からは、ご自身だけの目的と計画を貫徹させたりもしました」(『事必帰正』136ページ)
郭錠煥氏は、顯進様らが真のお父様のみ言に従わず、「非原理集団」として袂を分かったにもかかわらず、それを責任転嫁して、事もあろうに真のお父様と「最終一体」となられた真のお母様のせいにしています。これは、真のお父様のみ言に反する容認できない〝虚偽の説明〟です。
教理研究院は、この説明が〝虚偽〟であることを、『虚偽に満ちた』で明らかにしています。以下、『虚偽に満ちた』から引用します。
①「最終一体」を完成・完結・完了された天地人真の父母様
「真のお父様は『平和神經』の平和メッセージ13番と16番で、次のような内容を語っておられます。
『レバレンド・ムーンは、①神様、②サタン、③人間、④霊界、⑤イエス様、⑥聖書および各宗教の経書の核心内容、⑦人類歴史などを最もよく知り、⑧真の家庭の価値、これら八つの分野でチャンピオンである』。神とサタン、および霊界の実相を誰よりも知っておられる真のお父様が、52年にわたって共に歩んでこられた真のお母様の『真実の姿』をご存じないはずがありません。真のお母様は、真のお父様の前に絶対信仰・絶対愛・絶対服従で歩まれ、その事実をお父様は何度も証ししておられます。それゆえ2010年に、真のお父様は『真の父母様御夫妻は最終一体を成し』と述べ、真の父母の『最終一体』を宣布されました。これらからも、真のお母様が真のお父様と心情的に一体不可分の関係にあることは紛れもない事実です。UCI側が広める真のお父様の意思、願いを無視した『真のお母様陰謀論』など、ありえないことです。真のお母様は、真のお父様に影のように従い、完全一体となって歩まれ、それゆえ真の父母様は勝利していかれたのです。真の父母様の『最終一体』の勝利の歩みがあったからこそ、サタンを屈伏させることができたのです」(『虚偽に満ちた』4~5ページ)
②真の父母様のみ言を正しく学ぶことができなかった顯進様
郭錠煥氏は『事必帰正』で、顯進様について次のように述べています。
「顯進様は誰よりも原理に精通し、生活原理に明るい方です。神様の摂理に関する確固たる観とお父様のみ言葉に対する研究、理解は、誰もついていくことができないと確信します」(547ページ)
郭錠煥氏は、「顯進様は誰よりも原理に精通し……お父様のみ言葉に対する研究、理解は、誰もついていくことができない」などと述べます。
教理研究院は、この郭錠煥氏の説明が真のお父様のみ言や事実とかけ離れた〝虚偽の主張〟であることを明らかにしています。以下、『虚偽に満ちた』から引用します。
「2008年4月18日、7男の亨進様が家庭連合の世界会長に就任された頃から、3男の顯進様はお父様のご意向に反発するようになり、2009年1月15日、真の父母様が挙行された『万王の王神様解放権戴冠式』の式典に参加されませんでした。お父様は同年3月8日、束草でそのことを指摘され、顯進様を厳しく指導されました。そして、人事措置と共に郭錠煥氏に『顯進は勉強しなければなりません。郭錠煥が「平和神經」を教えてあげなさい』(マルスム選集609-131)と指示されました。それは、顯進様が『平和神經』を学び、真の父母様について正しく理解することを願われたからです。
ところが、その日以降、顯進様はお父様と袂を分かつようになり、やがて反旗を翻し、真の父母様と別行動を取るようになりました。さらに、郭錠煥氏も同年12月6日の訓読会を最後に、真の父母様のもとを離れてしまったため、顯進様は真の父母様およびみ言を正しく学ぶことができなくなってしまったのです。
顯進様が主張するアイデンティティは、真のお父様が説かれるみ言および『平和神經』の思想とことごとく異なっています。それにもかかわらず、『統一教会の分裂』は、この書の結論の部分で、真のお母様の聖和後(のことにも触れながら)、お父様のアイデンティティを継承している顯進様によって統一教会人を再活性化できるという、とんでもない主張をしています。現在の状況は、郭錠煥氏が顯進様に対し、正しく教育できず、その責任を果たせなかったために起こったことです。
真のお父様が「顯進は勉強しなければなりません」と語っておられるように、真の子女様が真の父母様のみ言を正しく理解することが何よりも重要です。
文顯進様、郭錠煥氏を中心とするすべてのメンバー、また、文亨進様を中心とするサンクチュアリ教会のメンバーなどの非原理的な活動をする人々が、一日も早く、真の父母様のもとに帰ってきて、一つに和合していくことを切に願ってやみません」(『虚偽に満ちた』396~397ページ)
(2)2009年9月10日から10月上旬、信じがたい出来事が起こっていた
①「顯進様は、父母様の前に親孝行」ではなかった
2009年3月8日、いわゆる「束草事件」以降の顯進様の行動について、郭錠煥氏は『事必帰正』で次のように述べています。
「(2009年)9月10日の夜明け前、朗報が飛びこんできました。真の父母様の4代孫であり顯進様家庭の初孫が予定日より1週間早く生まれたのです。朝、その消息を聞いたお父様は、喜んで『定男』という名前を下賜されました。……奉献式の日が近づいていた頃、父母様がアラスカを経て、イーストガーデンに来られる計画だという消息が入ってきました。……父母様の専用機がアラスカを出発して9月17日にニューヨーク(イーストガーデン)に向かうという消息が伝わりました。定男様の奉献式の日でした。
9月17日夕方7時、信元様は顯進様のお宅のリビングで、つつましく奉献式を行いました。……(初孫の)奉献式を終えた顯進様ご夫妻と信元様は、深刻な内容の家族会議を持ち……それから何時間か後に深夜0時を目前にして、顯進様の家庭は数十年馴染んできたイーストガーデンを発って、大陸を横断する移住の旅に発ちました。……モンタナにしばらく留まった顯進様の家庭は、比較的近い都市のシアトルに定着することを決定し、家を借りて引っ越しを完了しました」(231〜234ページ)
2009年9月10日、顯進様家庭に初孫が生まれました。それを聞かれた真の父母様は喜ばれ、「定男」という名前を下賜されたのです。さっそく、真の父母様は「定男様の奉献式の日」の9月17日、顯進様が住むニューヨークのイーストガーデンに向かわれました。
ところが、「9月17日夕方7時、信元様は顯進様のお宅のリビングで……(初孫の)奉献式を終えた顯進様ご夫妻と信元様は、深刻な内容の家族会議」を持ったというのです。その結果、顯進様は「イーストガーデンを発って、大陸を横断する移住の旅」を決断。真の父母様がイーストガーデンに到着する前に「引っ越し」してしまったのです。真の父母様は顯進様の初孫に会うことができませんでした。初孫を見ることは、一般社会においても人生の大きな喜び(慶事)の一つです。
しかし、顯進様家庭は突然引っ越しをして、真の父母様は「顯進様の初孫」を見ることができませんでした。この事態を深刻に受け止められた真の父母様は、郭錠煥氏に対し〝特別指示〟を与えたのです。郭錠煥氏は『事必帰正』で次のように述べています。
「(2009年)10月2日、お父様は首都ワシントンD.C.での国際会議に来ていた私を呼び出しました。呼ばれた時間に合わせてイーストガーデンに行くと、お父様はご不在で、お母様だけが2階の応接室に一人でいらっしゃいました。……お母様は私を呼び出した理由を明らかにされました。『どうしても、郭牧師の家庭が、顯進の問題に対して責任を負わなければならないようだ。珍満も(顯進から)離れなければならず、全淑も(顯進から)離れれば、顯進一人でどうして持ちこたえようか。だから郭会長が皆、連れて来なければならない』その時、急にお父様が入って来られました。『郭錠換はこの事態をどう見るのか』(郭錠煥氏は)『お父様、お母様に私が敢えて一言申し上げます。私が知る顯進様は、父母様の前に親孝行であられます。……』……(真のお父様は)『行って顯進を連れて来い。来ないと言うなら、全淑を離婚させてでも連れて来い。一人で、放っておいても、(顯進が)自分から頭を下げて戻ってくるはずがない。珍満も連れて来て、珍満までも来ないと言うなら南淑と離婚させろ。あなたの家庭が責任を負いなさい』」(『事必帰正』235〜236ページ)
「ある人は、(誤った道を歩む)子女様の願いを受けて、『自分こそが父母様と子女様の間をとり持つのだ』と主張しています。しかし、そのような言動は、(信仰の)出発点、軸を子女様に置いているのであって、『真の父母』に置いてはいません。ゆえに、その言動は〝天の願い〟からずれていることを理解しなければならないでしょう。
かつて、真のお父様は顯進様に従う人たちを『郭グループ(郭ファミリー)』と表現され、『従う人たちの話を聞いて、子女が親の下に来ない』と語られ、怒りを露わにされました。真のお母様も、サンクチュアリ教会問題が起こったときに、『万が一にも、あれこれ言いながら「少し助けてあげよう」と(誰かが)言っても、それに対して揺らいではいけません。(子女様を)助けてあげないことが助けてあげることです』(『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2015年陽暦9月10日号、4ページ)と語られました。『真の父母』と一体となっておられない子女様に従う人たちは、結果的に真の父母様の息子を奪った張本人となり、真の父母様と子女様の間を裂く者となってしまっているのです」(小冊子『サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤りNo.2』43ページ)
このことは、ちょうど『原理講論』117ページで論述された「サタンの相対者がいなくなることによって、サタンが活動できなくなる」という「原理」に基づいた対処の方法なのです。
真のお母様は、「郭牧師の家庭が、顯進の問題に対して責任を負わなければならないようだ。珍満も(顯進から)離れなければならず、全淑も(顯進から)離れれば、顯進一人でどうして持ちこたえようか。だから郭会長が皆、連れて来なければならない」と語られましたが、真のお父様も同じことを語っておられることからも、これは真の父母様の顯進様が父母様のもとに帰って欲しいと願われる切なる思いが込められた〝最重要事項〟〝至上命令〟と言える内容です。
真のお父様は、郭錠煥氏に「郭錠換はこの事態をどう見るのか」と尋ねましたが、郭錠煥氏は「私が知る顯進様は、父母様の前に親孝行であられます」と、的外れな返事をしています。親孝行な息子が「初孫」を見ようとしておられる父母を避け、突然、大陸を横断して遠方に引っ越しをするでしょうか。一般社会でも、そんなことをされた父母は大ショックを受けるに違いありません。このとき、真のご家庭において信じがたい出来事が起こっていたのです。
そこで、真のお父様は郭錠煥氏に対し「行って顯進を連れて来い。来ないと言うなら、全淑を離婚させてでも連れて来い。一人で、放っておいても、(顯進が)自分から頭を下げて戻ってくるはずがない。珍満も連れて来て、珍満までも来ないと言うなら南淑と離婚させろ。あなたの家庭が責任を負いなさい」と言われるほど、深刻な思いで訴えられたのです。この出来事一つを取ってみても顯進様が親不孝であることは紛れもない事実であり、決して「父母様の前に親孝行」などではなかったのです。
②真のお父様のみ言を〝顯進様に伝えなかった〟郭錠煥氏の過ち
郭錠煥氏は、真の父母様から〝至上命令〟を受け、顯進様に会いに行きました。郭錠煥氏は『事必帰正』でその時のことを次のように述べています。
「その翌日(10月3日)、モンタナの山奥に顯進様を訪ねて行きました。息子の珍満が空港に出迎えに来ていました。車に乗って行きながら顯進様の近況を聞いてみると、『山に入っておられる』とのことでした。自動車で向かいながら、まず珍満にお父様のみ言葉を伝えました。『もしも顯進様が行かれないなら、あなただけでもお父様の前に行かなければならない』。すると黙って聞いていた息子が口を開きました。
『お父さん! 私が真の父母様に逆らいながら、顯進様に侍っているとお考えですか。顯進様が今、真の父母様に逆らっておられますか。(顯進様は)父母様と対話ができなくて寂しく思っておられるのに、私までいなくなれば顯進様はどうされるでしょうか……』……これ以上、息子に強要することはできませんでした。顯進様が山から下りてきたので挨拶をしました。私は私の立場から、また原理的な立場から、言えることを全て言いました。……(しかし)結局その日、お父様から言われたみ言葉を切り出すこともできず、帰途につくしかありませんでした。なす術もなく韓国に帰って、父母様への手紙をしたためました」(236〜237ページ)
2009年10月2日、郭錠煥氏は「郭会長が皆、連れて来なければならない」「顯進を連れて来い」という真の父母様の願いを受け、彼は「翌日(10月3日)、モンタナの山奥に顯進様を訪ねて行き……顯進様が山から下りてきたので挨拶をし(た)」というのです。
ところが、郭錠煥氏は肝心の「お父様から言われたみ言葉を切り出すこともできず、帰途につくしかありませんでした」というのです。すなわち、郭錠煥氏は真の父母様の願いを顯進様に伝えることもせず、「連れて来い」という責任を果たせなかったのです。どのような事情があったにせよ、真の父母様の願いを果たさなかった郭錠煥氏の過ちは明白です。
③UCI問題の元凶は郭錠煥氏の不従順にある
郭錠煥氏は、韓国に戻って真の父母様に手紙を書いたと述べています。『事必帰正』には次のように書かれています。
「不足な小生、父母様のみ言葉を受けて西部モンタナに行き、顯進様にお目にかかってから、ここ韓国に帰って不憫な心情でペンをとりました。……想像だにできないことが起こっています。何がどうしてこうなったのか分かりません。どこがどう間違ったのか、理解しがたい境遇に追い込まれています。……(私の)子女たちが、今や私の懐を離れようとしています。私が父母様に侍り、一生涯従ってきたように、顯進様に侍って一生涯を共に行くといいます。顯進様に侍ることが真の父母様のみ旨を実現することだと信じています。……私がこれをどうすべきでしょうか。……私の懐を離れようとする子を見ながら、『これが人生というものだ』と思っています。……私が公職を去らなければならないことが、信じられません。……間違いがあるなら、全ての責任を私に負わせてくださり、父母様に栄光をお返しできる道を承諾してくださることを懇切に願います。2009年10月7日」(237〜240ページ)
郭錠煥氏は『事必帰正』で、手紙の文言を変え、隠蔽したことがあります。彼の本当の手紙の書き出しは、次のようになっていました。
「不足な小生は、真の父母様のみ言を聞いて、アメリカ西部で(顯進様に)お会いして、(お父様がおられる)ニューヨークに行くべきだった道のりの矛先を、韓国に変えながら悲しい思いで書いています」
郭錠煥氏が真の父母様に宛てた手紙の書き出しは、上記のようになっています。郭錠煥氏は「顯進を(ここに)連れて来い」という真のお父様の〝至上命令〟を受け、顯進様に会いに行ったにもかかわらず、み言を伝えることもせず、そればかりか「顯進を連れて来」るのを期待し、その消息を待っている真の父母様のところには戻らず、韓国に逃げ帰り「私の懐を離れようとする子を見ながら、『これが人生というものだ』と思っています。……私が公職を去らなければならないことが信じられません」という事実上の「別れの挨拶」とも受け止めざるを得ないような手紙をしたためて、真の父母様に送ったのです。「想像だにできないことが起こってい(る)」と思ったなら、なおさら真の父母様につながるべきなのに、彼は韓国に逃げ帰ったのです。届いた手紙を読まれた真の父母様は、どれほど驚かれたことでしょうか。信じがたい出来事がさらに起こったのです。
真のお父様は「顯進は先生と同じ方向に向いていない。逃げ回っている」、また「顯進は先生と同等の立場を取っている」とも語っておられますが、郭錠煥氏までも真の父母様の対象圏に立つことを避けて、逃げ回ろうとしているのです。
郭錠煥氏は2009年11月27日、訓読会に参加しました。そのことについて彼は『事必帰正』で次のように述べています。
「(2009年)11月27日……訓読会に行きました。私を見てお父様が語られました。『郭錠換は、息子娘が刑務所に行って、面会するようになったらどうするか。郭錠換も刑務所に行くかもしれないだろう』」(『事必帰正』301ページ)
そして2009年12月6日、郭錠煥氏はこの日を最後に真の父母様のもとを去りました。彼は『事必帰正』で、その日のことを次のように述べています。
「2009年12月6日、その日を覚えています。……(訓読会で)お父様が私の2人の息子を非難するようなみ言葉を語り始められました。『郭錠換がいつ、統一教会を売ってしまうか分からない。珍満と珍孝が計画していることに、二世、三世がついていくと思っているのか。……(郭錠煥は)3年ほど私の前から去りなさい』……お父様が私に、お父様の前から去るように語られたので、訓読会が終わった後、私は訓母に会いました。訓母に正直な話をしながら、私の思いを父母様に伝えてくれるようお願いしました。……
『……今日、3年ほどお父様の前から去れとまで語られたので、これからは天正宮での訓読会には出席しないことを決心しました。……これからは家庭で訓読会をするようにします。このことを、そのままお父様とお母様にお伝えください。明日からは訓読会に来ません』。そのようにして、お父様に別れの挨拶を訓母に代わりに(伝言)して、翌日からは天正宮の訓読会には行きませんでした。
私の肉身は、そのようにして父母様から離れました。その日以降、残念なことに、生きておられるお父様のお顔を再び拝見することはできませんでした」(『事必帰正』305〜306ページ)
郭錠煥氏は2009年12月6日の訓読会で「3年ほどお父様の前から去れとまで語られたので、これからは天正宮での訓読会には出席しないことを決心」したとお父様に責任転嫁をし、「お父様に別れの挨拶を訓母に代わりに(伝言)し」て、真の父母のもとを離れ、その日以降、真のお父様にお会いすることはなかったというのです。
2010年7月16日、真のお父様はいわゆる「ボート会議」で「顯進は先生と同じ方向に向いていない。逃げ回っている。顯進が先生の方向に来なければならないんだよ」、また「顯進は先生と同等の立場を取っている」と語られました。顯進様が「逃げ回って」「同等の立場を取って」真の父母様のもとに戻ることができなかったのは、郭錠煥氏が「顯進を連れて来い」という真の父母様の〝至上命令〟を受けたにもかかわらず、それを不履行し、そればかりか郭錠煥氏まで真の父母様のもとを去ったという、彼の不従順によるものです。彼は「私の肉身は、そのようにして父母様から離れました」と述べますが、別れの挨拶さえも代理人に託すなど、彼の心はすでに真の父母様から離れていたのです。
(3)「顯進様の再登場計画?」を画策した郭錠煥氏
郭錠煥氏はインタビュー映像の第1編で「10年間沈黙した理由」について、次のように述べます。
「(10年間沈黙した)理由はただ一つです。……(私は)自分にかけられた咎を晴らし、自分に着せられた誤解を解こうとして話をするとすれば、私が語るその事実と真実の中には、自ずと真の父母様と真の子女様の話が出てくることになります。……父母様と真の子女様のその貴い遺業と、その貴い位相が傷つけられるのではないかと思い、耐え忍ぶしかなくて……。耐えられるところまでは耐えようとしてきました。……いつも(この葛藤が)早く収拾されることを願い、生きておられる神様がおられるのだから、うまく帰結されるのではないかと思い待っていましたが、様々な状況や特にお父様聖和以後の状況を見ながら、ますます回復が難しいと思い、昨年(2019年)初めにこの本(『事必帰正』)を出版しました」(映像8分30秒~10分50秒)
郭錠煥氏は、2020年6月26日に公開したインタビュー映像で、「10年間沈黙した理由」について「いつも(この葛藤が)早く収拾されることを願い、生きておられる神様がおられるのだから、うまく帰結されるのではないかと思い待っていました」などと善人ぶって述べます。ところが、郭錠煥氏は2014年12月18日、日本で開いた小規模な集まりで、次のように語っています。
「私がずっと6年黙っていたのは、できるなら(顯進様が)お母様と一体化して、真の兄弟姉妹たちと一体化していくという希望をもっていたけれども、(2009年から)1年、2年、3年、4年、5年、6年。6数は創造の期間の数です。(だから)それ以外はできないです。7年は、新しく線を決めて新しく出発する8年が待っている7の数です。そうだから、来年は2009年、10年、11年、12年、13年、14年、15年。ちょうど7年(2015年)は、顯進様が何か宣布して新しい出発(をする年)。……たくさんの兄弟姉妹たちが本当に良心的に、顯進様を侍って、顯進様が教会に戻ってお母様と一緒に教会をリードしてくれたら本当にいいのにという希望を(一般的に)持っています、韓国もアメリカも日本(の食口)も。それはできないです」(2014年12月18日の集会映像2分04秒〜4分11秒)
2014年12月18日の集まりで、郭錠煥氏は「私がずっと6年黙っていたのは、できるなら(顯進様が)お母様と一体化して、真の兄弟姉妹たちと一体化していくという希望をもっていた」と述べながらも、「それはできないです」と語っています。
郭錠煥氏の「顯進様の再登場計画?」と呼べる説明は、いわゆる「束草事件」のあった2009年を起点として「6数は創造の期間」であり、「7年は……新しく出発する8年が待っている7の数」であるとします。そして、郭錠煥氏は「2009年、10年、11年、12年、13年、14年、15年」と指折り数えながら、「7年(2015年)は、顯進様が何か宣布して新しい出発」をしようとしている年だと述べます。
実際、顯進様は7年目の「2015年6月に米国シアトルで祝福結婚式」(『統一教会の分裂』66ページ)なる真の父母様とは関係のない儀式を挙行しました。そして、再登場(再出発?)を目論む8年目の2016年に、金鍾奭著『統一教会の分裂』が出版され、それをUCI側の人々が広めました。これは〝なぜUCI問題が起こったのか〟を説明しようとしたUCI側を擁護する書籍であり、その理由付けをすることで彼らなりに打って出ようとしたものと言えます。ところが、この書籍の内容は「真のお母様陰謀論」という真のお父様のみ言改竄に基づく〝虚偽の言説〟なのです。
そして、顯進様が再登場(再出発?)を果たした翌年の2017年12月2日、彼らは「家庭平和協会(FPA)」の創設大会を行って現在に至っています。
真のお父様は2009年10月2日、郭錠煥氏に対し「顯進を連れて来い」と指示されました。そして、2011年5月25日には「真の父母様宣布文」を発表され、「文顯進をはじめとするUCI理事陣は、即刻現職から退くことを指示する。UCIの創始者である真の父母様が、再びUCI理事会全体を編成して、その指揮下にあるすべての組織を在世時に整備、管理するものである」「文顯進をはじめとして、義父である郭錠煥とその一族で構成されたUCI理事陣は、韓国で展開されている汝矣島聖地開発工事に関連するすべての権限を、創始者である真の父母様に返還しなさい。再び計画を立て直して、摂理的次元の開発をするものである」「文顯進をはじめとするUCI理事陣は、汝矣島以外にもUCI指揮下で進行しているその他すべての訴訟を即刻中断し、今まで真の父母様の許諾なく公的資産を処分して得た全財産を返還せよ。すべて公的に、天の摂理を成し遂げるために使用するものである」と命じられました。
しかしながら、郭錠煥氏は「2009年、10年、11年、12年、13年、14年、15年」と指折り数えながら奪い取った資産で進める〝独自の計画〟を目論んでいたのであり、これは真の父母様の摂理とは無関係であるばかりか、真の父母様が進める摂理を妨害する動きにもなっているのです。2009年以降の彼らの〝沈黙〟は計画的であり、郭錠煥氏が主導し画策したものと言わざるを得ません。こう考えると、郭錠煥氏は〝不埒な計画〟に基づいて行動をし、2011年の「真の父母様宣布文」に従おうとする気持ちは微塵もなかったことは明らかです。これは、創始者である真の父母様に対する背任行為であり、歴史的な背信と言わざるを得ません。
しかも、UCI問題が「真のお母様陰謀論」によるという〝虚偽の主張〟を展開したUCI側の人々の言動は、決して許されることではなく、後世の歴史からも讒訴される大事件であったと言えるでしょう。
以上、郭錠煥氏によるUCIが「非原理集団」として真の父母様と袂を分かつようになった経緯の説明は、真のお母様をおとしめるための悪意に満ちた〝虚偽の主張〟に他なりません。
私たちは、真の父母様を背信し、そのもとを離れ去り、さらに真の父母様と関係のない団体をつくり、非原理活動を行う郭錠煥氏の〝虚偽の言説〟に惑わされてはなりません。
以上