(二)「郭グループ」問題について
1 「なぜ郭錠煥氏は『サタンと同じ立場』といわれるのか?」
質問者は、ここでも質問ではなく、顯進様と郭錠煥氏の側に立って、公式見解の「なぜ郭錠煥氏は「サタンと同じ立場」といわれるのか?」という個所を取り上げて批判しています。
「真の家庭を愛する会」ならば、顯進様と郭錠煥氏に、真のお父様の宣布文に従うように説くべきではないでしょうか?
周知のように、この個所の公式見解は、郭錠煥氏が「自己の位置を離れ」「なぜサタンと同じ立場であるというのか」を原理的に説明しています。
*「祝福を受けて『原罪』を清算した立場にある郭氏はサタンと全く同じではありません。しかし、祝福を受けても、その後において真の父母様から離れてしまえば、サタンよりももっと悪い立場になってしまいます。」
*「第二次摂理を妨害する立場に立ったペテロに対して、イエス様は『サタン』と言われました(マタイによる福音書16章23節)。ペテロのように、キリストが成そうとされる神様の御旨を妨げるものは、サタンと同じ立場に立ってしまう」のです。
*「郭氏は真の父母様の願いに従おうとせず、サタンと同じように御旨を妨害する立場に立っているというのです。」
以上のように、真の父母様から離れ、従おうとせず、UCIの理事会を乗っ取り、不動産を売却して完成期の御旨を妨害しているので「サタンよりもっと悪い」と言っているのです。
これに対して、質問者は次のごとく反論します。
第一の反論:「顯進様が、郭先生の三女の全淑様と祝福を受けたのは、1987年だから、20年も経ってから「急速に接近」する必要はないのである。お父様が郭先生をUPFの会長に任命し、顯進様がお父様の承認の下、GPF活動を進めていたのだから、郭先生が顯進様に協力するのは当然であろう。」
応答:「急速な接近」の動機は、お年を召された「真のお父様」の指示に従えないという共通の認識であって、郭錠煥氏が20年前に真の家庭の親族になられて、血縁関係によって接近されたことと、接近の意味が違います。残念なことは、現在のGPF活動がお父様の指示(戦略)を無視した行動になっており、摂理を妨害する活動になっていることです。
第二の反論:公式見解は「2008年4月18日、亨進様が『世界会長』に就任され、郭氏は徐々に『愛の減少感』にとらわれて行った」と、いかにも郭先生が天使長と同じように、愛の減少感で堕落していったように述べているが、その翌年の2009年1月1日、お父様は「郭錠煥、今日を期してアベルUNの事務総長に任命します」(「真の神の日」の御言)と宣言しているのだから、重要な摂理のアベルUN事務総長として、「愛の減少感」など入り込む余地がない。
応答:財団理事長と世界会長という最も重要な位置をはずされて、何とも思わない人はいないでしょう。アベルUNの事務総長は配慮された人事です。今回の出来事は、直系の子女様へ勝利権を移譲していくことの難しさを物語っています。郭錠煥氏であるならば、それができると思われたからこそ、今まで重要な位置を託されていたのでしょう。しかし、その期待は、現時点では裏切られてしまうかたちとなっています。第一弟子のペテロでさえもイエス様を裏切ったように、郭錠煥氏ほどの人物であっても、魔が差すこともあるのです。
本当に信じられないことですが、良識ある道徳的な人であっても、御旨に対する判断、真のお父様に対する判断が正しくできない場合があるのです。その時は、自分の判断ではなく、「宣布文」にあるごとく、「真のお父様の指示と命令」に「絶対服従」することです。
第三の反論:「お父様は『祝福を受けて(それを)否定するのは、サタンよりもっと悪い』と言われているのであって、訓読会に出なくなったことを言われているのではない。つまり、祝福を守り、堕落もいていない郭先生が『サタンよりもっと悪い』はずがない。そのようなことを認めれば、礼拝に参加しない祝福家庭はみな、『サタンよりもっと悪い』ことになってしまうではないか。」
応答:質問者は、公式見解を何か誤解しておられるようです。「訓読会に出なくなった」のでサタンと言っているのではなく、真の父母様の指示に従おうとせず、サタンと同じように御旨を妨害する立場になられたので、「サタンよりももっと悪い」と言っているのです。
毎週礼拝に参加されない祝福家庭であっても、「家」で八大教材教本を訓読されている家庭があるのです。公式見解は摂理を妨害しない祝福家庭を「サタンよりもっと悪い」と言っているのではないのです。
第四の反論の要約
質問者は、「顯進様は郭錠煥一族に操られていない。お父様の意思に従うことを頑なに拒否する人間が、郭氏一族に影響されることなどない。教会指導者が、顯進様は郭氏に影響されているというのは「論理的矛盾」である。(統一コミュニティーの皆さんへ)」と述べて反論します。
また、「2011年1月27日の全米教会指導者電話会議で、アメリカのジョシュア・コッター副会長は、仁進様の指示だと断った上で、『顯進様は手紙(統一コミュニティーの皆さんへ)』で、郭牧師のとがを否定し、自分自身の選択であると言っています。……家族は、顯進様に出口を与えたかったのです。だから、私たちは(顯進様がやっていると知っていても)情報をあのように(郭グループとして)伝えた」と述べています。
以上のように、仁進様の言葉を伝えた後に、質問者は、次のように批判しています。
「つまり『郭グループ』などというのは存在せず、顯進様を間接的に攻撃するための造語だったということだ。『宣布文実行委員会』は単なる便宜的な造語を、いかにも原理的な裏づけがあるように、長々と書いているが、仁進様の一言で、そのインチキさが明らかになってしまったのである。」
応答:なぜ「郭グループ」というのか
質問者は、「『郭グループ』というありもしないグループ名でもって呼ぶ」と批判していますが、私たちは、顯進様と郭錠煥氏に従う人たちを「郭グループ」と言っているのです。
今後も、お二人が分裂されずに一緒に行動される限り、顯進様に従う人も、郭錠煥氏に従う人も「郭グループ」と呼びます。そこに「論理的矛盾」はありません。
しかし、顯進様が郭錠煥氏と分裂するなら、その時に、「顯進様グループ」と呼ぶことが適切と判断すれば、もしかすれば、そう呼ぶようになるかもしれません。
質問者は、「便宜的な造語を、いかにも原理的な裏づけがあるように、」とか、「仁進様の一言でそのインチキさが明らかになった」と述べ、まるで鬼の首を取ったかのように言われますが、単に「郭グループ」と呼んでいるだけであって、その呼び方に対し、それほど大げさにいうほどのことはないのではないでしょうか。