生命維持装置問題の事実検証

 2012年8月、真のお父様が韓国のソウル聖母病院に入院されていた当時のことについて、「真のお母様が生命維持装置を外そうとした」とするサンクチュアリ教会の文亨進氏や文國進氏の言説が物議を醸したことがありましたが、今なおこうした言説を信じている人達がいます。
 しかし、お父様入院中の2012年8月に文亨進氏が礼拝の説教で信徒らを前に行った報告や、現サンクチュアリ教会世界本部長のティモシー・エルダー氏が当時ネット上で行った報告、石俊淏世界副会長(当時)がほぼリアルタイムで信徒らに伝えていた内容、及び、信徒らに真実を伝えるべきであるとの真のお母様及び御子女様達の決定に基づき金孝律氏が信徒らに対して行った経緯報告等から浮かび上がる当時の真のお母様像は、サンクチュアリ教会側がその後に作出しようとしたお母様像とは180度異なっています。
 そこで、2012年8月段階における文亨進氏らの報告等(後記「報告等要旨・抜粋一覧表」参照)から具体的に明らかとなる真の事実経緯を検証することによって、その後にサンクチュアリ教会側が作出した言説がいかに間違っているかについて明らかにしたいと思います。

1.真の事実経緯
 お父様がソウル聖母病院に入院中の2012年8月19日、文亨進氏が韓国ソウルの天福宮における日曜礼拝の説教の中で行った報告では以下のことが述べられています。

 「8月3日、真のお父様の咳が酷くなる様子を心配された真のお母様は、人の言うことを簡単には聞こうとしない真のお父様を必死に説得してソウル聖母病院にお連れしています。真のお父様はこのときは10日間ほど入院されていますが、入院から10日ほどすると、「ここにいるのは牢獄のようだと」と言ってお怒りになられ、まだ入院していなければならない症状であったにもかかわらず退院を強く主張されました。
 そこで真のお母様は、退院後「ほかの所に行こうとは言わない」との約束を真のお父様から取り付けた上で、お父様の退院に同意し、真のお父様は8月12日に退院されました。
 しかし、お父様の健康状態が優れないことから、8月13日には再度お母様が最善を尽くしてお父様を説得し、午後2時頃清心国際病院にお連れしました。その行動は余りにも迅速で、隣の部屋に支度していた文亨進氏が部屋から出た時には、既にお母様はお父様をお連れして部屋を出ておられました。
 清心国際病院でもお父様のご健康が優れなかったため、お母様は急遽お父様の了承を取り付け、お父様を再度ソウル聖母病院にお連れし、午後8時頃に同院に転院しました。
 お母様の決定がもう少し遅れてお父様が30分遅く病院に到着していたら、お父様は霊界に行かれていたと医師が話してくれたとのことです。」

 したがって、お父様の病状に対する真のお母様のご判断と行動がどれほど的確で天の願いに叶ったものであったかは、当時の亨進氏が証しするところであると言えます。
 石俊淏世界副会長やティモシー・エルダー氏の報告から、ソウル聖母病院に入院後、お母様はずっと病院に泊まり込み、寝ずの番でお父様の看病に当たられたことが明らかです。お母様のこうした献身的な看病の様子は、最もおそばで仕えていた文亨進氏の目には明らかでした。そこで、文亨進氏は、8月26日の天福宮における日曜礼拝の説教の中で、皆さんの祈祷がお父様の力となり、また、毎日お父様と共にいて病状を見守っておられるお母様の力となっています、と語っています。すなわち、真のお母様の献身的な看病をこの時は亨進氏自身が証ししているのです。
 8月31日に金孝律氏が天福宮で行った報告によると、金孝律氏と朴普煕氏とが呼吸器系統医療において韓国で最も権威あるソウル大学校病院の医師を訪ね、お父様の症状を伝えたところ、回復の見込みはゼロと言われました。8月28日に両氏がこのことをお母様と御子女様達に伝えると、お母様は隣接する小部屋に入って中からカギを閉め、泣き続け、長時間出て来られることができなかったとのことです。このあと、ソウル聖母病院の主治医も同じ意見であったため、お母様は御子女様と共に緊急会議を招集され、金榮輝氏、朴普煕氏、李載錫氏、石俊淏副会長、訓母様、國進氏、亨進氏、金孝律氏が参加しました。お母様は全員の意見を一人ずつ聞かれた上で、「今私達にできることは、奇跡を起こすために祈ることです。しかし奇跡は天の役事なので我々が決めることはできない。我々は引き続き精誠を投入しなければならなりません。今最も重要なことは、お父様の御聖体をお守りすることです」と言われました。
 しかし、8月29日になると、お父様の肝臓が弱り始めました。肝臓が機能停止すると心臓に悪影響が及び、内蔵の全器官が機能停止する危険が出てきます。お母様は、清平以外の場所からお父様を霊界に送ることはできないと言われ、お父様は清心国際病院に転院することになりました。清心国際病院にはソウル聖母病院の人工呼吸器が持ち込まれ、主治医と人工呼吸の専門家も付き添うことになりました。この決定には全員が同意しました。そして、このとき、國進氏と亨進氏とが、お父様の病状と推移を信徒らに開示すべきだと主張され、お母様を始めとする全員がこれに同意しました。
 8月31日の朝、上記決定を踏まえ、石俊淏副会長と金孝律氏とは天福宮でお父様のご病状等を信徒らに開示して説明しました。
 8月31日夕刻、お父様は無事に清心国際病院に転院されました。

2.サンクチュアリ教会側の言説
(1)文亨進氏の説教
 サンクチュアリ教会の文亨進氏は以下のような説教を行っています。

 私たちは韓国の病院にいるときから、大変な戦いをして来ました。お父様を安 楽死させようとするとき、「お願いです。お母様、こんなことをしたら、あなたはメシアの殺人者となってしまいます!」と言い、お母様から平手打ちを受けても、それでもその意志を貫きとおしました。・・・そして、最終的に、お母様は朴ポーヒー、李ジェソク、金ヨンヒ、ヤン・チャンシク、ソク・チュノ、金ヒョユル、金ヒョナムを呼ばれ、彼ら一人一人に尋ねました。私が、お父様を解放してあげたいと、このチューブなどを全て取り除きたいと、唇の色が変わってきていると。その日、朴ポーヒーだけ、「お母様、メシアが生きていらっしゃるということは祝福だと思います」と反対をしました。私がそれを認めます。・・・お父様を安楽死させようとする、この狂った行動。誰一人として、一言も発しませんでした。皆さん、これは詐欺です。

『神を捨てた悪しき時代』 2015年7月8日 韓国語説教  全文
http://h2fanclub.blogspot.com/2015/07/blog-post_11.html
Evil Age of Apostasy – https://vidmoon.info/video/QEWBV1UFEgBBsRH
2015年7月5日 – Hyung Jin Moon – Sanctuary Church Newfoundland PA
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 ですからこれは謎です。お母様は50年間この謎を隠していました。私達は、お母様が痛みや恨みを持っていることを知っていました。しかし、私達はお母様がお父様に対してこのように復讐心を持っていたとは知りませんでした。

2015年9月13日説教 文亨進師 「バビロンの謎」【英語説教日本語訳】
The Mystery of Babylon http://h2fanclub.blogspot.com/2015/09/blog-post_72.html

(2)サンクチュアリ教会早稲田聖殿の澤田地平氏が運営する「審判回避プロジェクト」と題するブログには、澤田氏と文國進氏、文亨進氏らとの以下のやり取りが掲載されています。

■澤田:韓氏オモニの問題で最大のショックだったのが、病院での出来事です。8月13日に入院されて、生命維持装置を外すということが出て来た時期は、8月の何日だったのでしょうか。
□國進様:それはカレンダーを確認してみないといけないんですけど、人工呼吸装置をお父様は付けて、鎮痛剤を投与されていたんですけど、その時にお父様は昏睡状態ではなかったんですね。清平に移される10日程前だったと思いますが、その時にお母様が生命維持装置を外すということを言い出しましたが、昏睡状態ではありませんでした。
■澤田:分かれば、ぜひ、その日にちを知りたいと思います。その同じ日に、亨進様のほほを打たれたのですか。
□亨進様:お母様がそういう意向があるということを私達に表明され、そうしてはいけませんと言って、会議が持たれる前の日にほほをたたかれたと記憶しています。
■澤田:私が日にちを知りたいのは、多くの人達はですね、もうお父様に生命の希望がなくなったので、そこで初めて外そうとされたと、そのようなイメージで捕らえているのが大半の人達ですね。
□國進様:お父様は痛み止めの鎮痛剤を投与されて、清平に移される前でしたから。だから、出来ることは全てやったと、医者が言った時に清平に移されたんですけれども、この生命維持装置を外すということは、それ以前でしたから。医者の方からもうダメですよということを言われる前に、そういう話が出て来たわけです。
■澤田:そうですね、それを明確にする為に私は日にちを知りたいと思います。
□國進様:それはカレンダーを見てみないと。
■澤田:ぜひお願いします。生命維持装置を外そうとされる、その提案があった時に、医者は何か言ったのでしょうか。医者は反対しなかったのでしょうか。
□亨進様:その場には医者はいませんでした。
□國進様:病院の方針としては、家族の決定だということだったと思いますけど、私としてはそれは受け入れられない提案でした。

■澤田:お父様は清平に移されるわけですけれども、医者が希望がないということで。そのマリア病院は、世界的な設備が整っているにも係わらず、清心国際病院には集中治療室がないわけですね。かえって難しい状況になるのに、なぜそういうところに移すのでしょうか。
□國進様:私達は清平に移すことに賛成しませんでした。私達は生命維持装置を絶対外してはいけませんと言いました。しかし、お母様は清平に移すことを強引に主張しました。医者の方からもう何も出来ませんと言った時点で、お母様は誰が何を言っても私は移すと言って、強引に移してしまいました。
■澤田:なぜ、移されたんでしょうか。
□國進様:お母様は、清平から霊界に行くべきだと考えていたからです。
■澤田:清平での最後の状況というのは、自然に、たとえば心臓停止ということで亡くなられたのでしょうか。
□國進様:最後の時は、心臓の鼓動を表す機械が平らになってしまいました。
■澤田:家庭連合のサンクチュアリ対策ビデオの中で、最後に清平でですが、お父様は、お母様と目で会話されたという説明をしています。そういうことは可能だったのでしょうか。
□國進様:それは、要するに、家庭連合もお父様に意識があったということを認めているわけですね。要するに、意識がある時に、お母様は殺そうとしたということを、家庭連合は認めているということです。お父様が、まだある程度健康な時に、お母様がお父様を殺そうとしたということを、家庭連合も認めているように理解されます。

「2 生命維持装置を外す話はいつ出て来たのか」2016.10.12
http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

3.サンクチュアリ側の言説に対する反論
(1) 生命維持装置問題
 文亨進氏は上記サンクチュアリ教会での説教の中で「私達はお母様がお父様に対してこのように復讐心を持っていたとは知りませんでした」と述べています。しかし、2012年8月の文亨進氏らの報告からすると、当時真のお母様が最後まで真のお父様に献身的に侍り、お父様のご健康の回復のために常に最善を尽くしておられたことが明らかであり、お母様が復讐心を持っていたなどあり得ないことです。また、2012年8月当時の文亨進氏らの報告は、日本から送られた医師の証言とも一致します。
 W医師は、「清心病院の医師から(8月)25日と27日に電話があり、『お母様が、日本から呼吸器科と腎臓、透析の専門家を連れてきて欲しい。今の仕事を置いて、半年から1年来て欲しいと言っておられる』との連絡であった。半年から1年、韓国に行くのは大変なことであるが、短期でも行ってお母様の願いにお応えしようと、W医師とA医師は29日、T医師は30日に訪韓した」と証言しています。即ち、ソウル聖母病院の主治医とソウル大学校病院の呼吸器系統の韓国最高の医師から回復の見込みはゼロと宣言された8月28日の前日に至るまで、真のお母様はお父様のご健康の回復のために最善を尽くしておられたこと、しかも、真のお父様のご病状の回復に向け長期計画で取り組もうとされていたことが明らかです。のみならず、8月28日に現代医学では回復の見込みがないとの医師の見解を聞かれたお母様が小さな部屋に入って泣き続け、長時間出て来られることができなかった事実から考えても、それ以前にお母様が生命維持装置を外すことを考えたなどということはあり得ないことです。
 したがって、お母様が復讐心をもってお父様を安楽死させようとしたとする文亨進氏らの発言が、真のお母様を貶めるためになされた事実無根のものであることは明らかです。
 また、実際の事実経緯においても、お父様のご存命中、生命維持装置が外されることはありませんでした。國進氏らの言説では、何故最後まで生命維持装置が外されなかったのかについて合理的説明はありません。
 さらに、澤田氏のブログによると、お父様を霊界に送るには清平からでなければならないとお母様が考えておられたことは國進氏も認めるところです。日本から派遣されたW医師も、真のお母様の「3日以上、清平で過ごさなければならない。聖和させてはならない」との願いを受けたものの、主治医が「もう長くない状態」と診断し、意識のない重篤状態であったため、お母様の願いが可能かどうか深刻になったと証言しています。だとすると、ソウル聖母病院で生命維持装置を外すということはそうしたお母様の方針とは全く相容れないものであり、そのような発言をそもそもお母様がされることはあり得ないと言えます。

(2) 緊急会議
 上記金孝律氏の報告によれば、緊急会議は8月28日から29日にかけて行われています。しかも28日の会議でのお母様のご指導は、「奇跡を起こすために祈ること」、「引き続き精誠を投入」すること、そして、「お父様の御聖体をお守りすること」です。また、29日の会議でのお母様のご指導は、お父様を清心国際病院にお移しすることでした。即ち、ソウル聖母病院で生命維持装置を外すといった類いのこととは全く逆のご指導です。
 澤田地平氏のブログによると、國進氏は、カレンダーを見ないと分からないと断りつつも、8月31日にお父様を清心国際病院に転院する10日ほど前に会議がもたれたと述べています。しかし、そうした会議の存在については、石俊淏元副会長自身が明確に存在しなかったと証言しています。また、関係者の当時の報告にはそのような会議のことは一切出てきません。当時、24時間体制でお父様のもとを離れず看病にあたっておられたお母様の状況からすると、8月28日以前の段階でそうした会議を開催する余裕など、一切なかったものと言えます。國進氏らはその会議の前日からお母様が生命維持装置を外すべきだと主張し始めたと言われていますが、8月28日、29日の会議でのお母様のご指導及びその後の実際の行動と比べても正反対の内容であり、國進氏らの主張する会議は、実際には存在しなかったものと言えます。

(3) お父様に意識はあったか
 澤田氏のブログによると、澤田氏が國進氏に対して「家庭連合のサンクチュアリ対策ビデオの中で、最後に清平でですが、お父様は、お母様と目で会話されたという説明をしています。そういうことは可能だったのでしょうか」と聞いたことに対して、國進氏が「それは、要するに、家庭連合もお父様に意識があったということを認めているわけですね。要するに、意識がある時に、お母様は殺そうとしたということを、家庭連合は認めているということです」と回答しています。しかし、2012年8月の亨進氏の説教によると、人工呼吸器をお父様に取り付けチューブを喉に通した際、その痛みに耐えるため、お父様は睡眠薬によって眠らされたとのことです。その人工呼吸器が清平においても取り外されることはなかった以上、お父様は眠ったままであり、意思疎通はできなかったはずです。この点、日本から派遣され29日にソウル聖母病院に到着したW医師も、「ソウル聖母病院の主治医に会って病状を聞くと『もう長くない状態です』と説明を受けた。お父様は手足を動かし、時々目を開けておられた。しかし、W医師が瞳孔に光を当てると“対光反射”は認められ、痛み刺激に顔をしかめるような反応はあったが、昏睡で意識がない状態であられた(JCSⅢ-200の状態、JCS:ジャパン・コーマ・スケール)。医師ではない、看護師や病室を訪ねた関係者が見ると、回復を強く願う思いも手伝ってか、お父様はまだ意識があり、回復するかもしれないと思えたかもしれない。しかし専門の立場から見れば、すでに昏睡で意識がない状態で、極めて重篤であられた」と証言しています。したがって、お父様には意識はなかったはずであり、この点を熟知していたはずの國進氏が、お父様に意識があったと主張しているのは、明らかに事実に反する主張をしていることになります。いずれにしても、お母様がお父様を安楽死させようとした事実はなく、 「意識がある時に、お母様は殺そうとしたということを、家庭連合は認めているということです」との國進氏の発言は誤りです。

(4) 安楽死発言
 國進氏が最初に安楽死問題を口にしたのは、関係者の証言によると2012年9月です(当時のネット上の投稿にも証言に沿う報告が確認されています)。当時國進氏は訓母様に強い不信感を持っており、「お母様と訓母様がお父様を安楽死させた」といった極端な発言をしたことがありました。しかし、実際にはお父様の存命中生命維持装置が外された事実はなく、当時この発言は怒りにまかせた発言としてしか受け止められませんでした。
 2015年8月以降の亨進氏らの発言は、何らの影響力も持ち合わせなかった2012年9月の國進氏の事実無根の発言を、少しでも信憑性をもたせるために、「清平に移す10日ほど前にお母様が生命維持装置を外したいと言われた」との話にすり替えたものと言えます。しかし、お母様がお父様の生命維持装置を外したいと言われた事実も存在せず、國進氏らの発言は、いたずらに信徒らに混乱をもたらす極めて無責任かつ悪質な発言であるといえます。