判決はUCI側(郭グループ)の正当性を一切認めていない
UCI問題に関して、2013年12月19日に、米国の裁判所で判決(order)が下されました。それに関して、原告(世界平和統一家庭連合など)の申し立てが棄却されたことから、「被告であった現UCI理事陣(郭グループ)の行為に正当性があったのでしょうか」という声などがありましたので、あらためて判決に意味について、今回の裁判で示された裁判官の「判決理由(Memorandum Opinion)」等を参考に、ご説明をさせて頂きます。
まず、よく理解しておくべきことは、「今回の裁判の『判決文』においても『判決理由』においても、現UCI理事陣が行った行為の正当性を認めると解釈できる内容は一切ない」ということです。
判決のポイントは、宗教の自由を保障した米国憲法修正第一条に基づく「司法の宗教への不介入の原則」に従い、「(原告と被告の)どちらが正しいかを結論付けることはできない」としたものであり、決して現UCI理事陣による事実上の乗っ取り行為を正当なものと認定した結果によるものでありません。
今回の判決は、統一運動における公的資産を、現UCI理事陣が私物化しているということから、世界平和統一家庭連合(統一教会)などが、「信託義務違反」で告訴し、それに対して現UCI側が、このケースは裁判所の事物管轄権外だと訴え、両者の言い分を裁判所が聴き、「事物管轄権外」かどうかについて判断を下したものです。
「事物管轄権」に関する訴えとは、「裁判所が判決を下すケースかどうか」ということが問われたということです。
UCI訴訟で争点となったポイント
今回のUCI訴訟の主な争点は、「UCI創設者であられる文鮮明師によるUCI理事の任命・解任の指示に対する不履行は信託義務違反に当たるかどうか、そしてこのケースにおいて信託義務違反かどうかを裁判所が判断できるかどうか」という点にありました。
結果として、裁判官は、「信託義務違反かどうかを判断するには、現UCI理事陣の行為が、原理講論・統一教会の教義に反するのかどうかについて触れなければならない」とし、「現UCI理事陣の行為が、原理講論・教会の教義で意味する信託義務違反に当たるかどうかについて判断する権利を、裁判所は有していないし、裁判所はそれを行使する権利も有していない」との判決を下したのです。
分かりやすく表現すれば、「統一教会の教会員は、文鮮明師(真のお父様)に従うことが正しいとされるのか、それとも、文師の指示を無視し、指示に反する別の事をしても正しいとされるのか、私(裁判官)は分からないし、どちらが正しいかを決める権利もない。だからこの問題を私は扱えません」という意味です。
統一教会の教義と教会形態から見れば信託義務違反は明白
UCIの法人設立定款には、「Unification Church International(UCI)は国際組織として、世界に展開する統一教会の活動を支援する(3条2節)」、「UCIは神への礼拝を推進し、神の啓示である統一原理を学び、理解し、教え、・・・世界のキリスト教及び他のすべての宗教の超宗派、超宗教、超国家的統一の実現を目指す(3条3節)」、「UCIの理事は、文鮮明師が世界の統一宗教運動の霊的・精神的指導者であることを認識し認める。・・・そして統一原理は文師の宗教的教えの基本である」(9条)といった内容が明示されていました。
またUCIが創設された1977年から2000年代後半まで、UCIの理事は、定款に明記はされていないものの、共同委託者(co-settlor)であるお父様と家庭連合(統一教会)がUCIの理事を任命してきており、理事は、この継続的な「統一慣習(uniform practice)」を「束縛規約(binding convention)」として受け入れてきていました。
こうした統一慣習及び束縛規則に反し、2009年に郭グループが真の父母様の指示と家庭連合の指導者からの再三の指示と要請を無視し、真の父母様の任命された理事を解任し、自分たちに都合のいい理事陣を編成。さらに、2010年4月、現UCI理事陣は、UCI設立定款を改変しました。具体的には、組織名を「Unification Church International」から単に「UCI」に変更することで、統一教会とUCIとの関係の断絶を図り、「原理講論を広め、世界的に統一教会を支援する」というUCIの本来の目的にあった内容などを削除しました。
さらにこの年の後半ごろからは、真の父母様そして家庭連合の許可なく次々とUCI補助機関所有の資産の売却を始めました。2011年5月25日(陽暦)には、真の父母様の名前でUCI理事陣は、辞職して、その処分した財産すべてを返還することを命じた「真の父母様宣布文」が発表されても、それには従わず、無視しています。
統一教会の信仰を持っている者であれば、こうした現UCI理事陣の行為は信託義務違反に当たると判断するのはごく当然のことと言えます。
しかしながら、米国憲法は、民事裁判が教会資産に判断を下すことを厳しく制限しており、世俗の裁判所は教会の教義・統治形態に関する議論を審理することはできません。法律は宗教的に何が異端であるか分からないし、どんな教理も宗派も支援するものではないからです。
「法の中立原理」と「統治形態の尊重」に基づく判断について
ただ、教会財産をめぐる紛争が訴訟として提起された場合、米国の裁判では、財産法等に含まれる宗教に中立な法原理を適用して解決を図る「法の中立原理(neutral principles of law)」、または教会組織内における決定を尊重する「統治形態の尊重(hierarchical deference)」という原則が適用されてきてもいました。
従って、UCI問題が、「法の中立原理」、または家庭連合(統一教会)の「統治形態の尊重」によって裁判所が判断できると家庭連合側は訴え、この点も争点になりました。
「法の中立原理」の適用について、裁判官は「統一宗教運動における創始者及び霊的・精神的指導者である文師の権威の性質と範囲を調査しなければならないが、裁判所はこうした調査を行使することはできない」ことから、「法の中立原理」を適用できないと判断しました。
「統治形態の尊重」については、「民事裁判は、宗教組織内の最高法廷にあたるものの判断を受け入れなければならない」「民事裁判では宗教組織内の最高決定者(最高決定機関)の決定を尊重しなければならない」という判例がありました。さらに「憲法は、宗教内部紛争を解決するために最高位の宗教組織が裁決機関を設置することを認めており、典型的宗教紛争の解決は、宗教的最高位の宗教的裁決機関にもっぱら委ねられている。そして世俗的裁判はこの決定を受け入れなければならない」とされています。
ここでも、統一教会の信仰を持つものであれば、「宗教組織内の最高決定者(最高決定機関)とは、真の父母様であられる」ことは明確であり、その最高決定者の決定は「真の父母様宣布文」において明確に示されていたわけですから、裁判所がこの決定を受け入れることも可能ではありました。
しかしながら、「尊重の原則は、裁判所が宗教組織内の最高決定機関が何かを決定するための宗教形態への調査を認めていない」という理由から、統一教会員における最高決定者が何か(誰か)を証明するには、「裁判所は統一教会の形態に足を踏み入れなければならなくなり、宗教への不介入の原則に触れるため、裁判所では扱えない」と裁判官は結論付けたことで、原告の訴えが棄却されたのです。
UCI理事陣に宗教心があるならば、信託義務違反であることを悟ることは可能
繰り返しますが、どの争点においても、統一教会の教義、形態、最高決定者を知る者から見れば、現UCI理事陣の信託義務違反は明確であったとしても、世俗の裁判所としては、それを判断できないと裁判官が結論付けただけであり、現UCI理事陣の行為の正当性を認めてはいません。
むしろ、現UCI理事陣は、今回の判決の意味することを理解できるのであれば、宗教を重んじる米国憲法の精神に敬意を払う思いを持っているのであれば、そして今も真の父母様への信仰があるならば、自らの行為が信託義務違反であることを悟ることは可能なはずです。今からでも現UCI理事陣は、信託義務違反を認め、悔い改め、公的資産の返還に努めるのが神を信じる宗教者としてのあるべき道であるはずです。
裁判を通して明らかになった郭グループの意図
既に説明したように、今回の裁判のポイントを分かりやすく表現すれば、「真の父母様に従うことが正しいのか、真の父母様の指示を無視し、別のことをしても正しいのか」が問われたものでした。
これについて、郭グループ側は、「お父様の指示を無視し、別のことをすることは統一教会の教えに反していないし、統一教会の目的を成す上で正しいことだ」と主張していたのです。
実際、UCIの定款を統一教会と関係ないものと変更したことについて、裁判所が示した「判決理由」の中に、郭グループ側は、「UCIが統一教会と直接関係があるとすることは、統一教会に対するネガティブな印象ゆえに、『その団体の目的』を成し遂げることを困難にしていると何度も主張していた」と記してありました。
郭グループがいうところの「その団体の目的」とはなんでしょうか。郭グループはお父様の指示を無視し、統一教会と関係がないことにすることで「その目的」を成し遂げられると主張していたのです。そして「原理講論を広める」という定款内容を削除したことは、「その目的」とは、「原理講論を無視」して成し遂げようとしているものです。
真の父母様を無視し、統一教会との関係を否定し、原理講論の内容を教えることを否定して成し遂げられる郭グループの目指す「目的」とは、果たして何でしょうか?
GPFFは世界に数多くある世俗的「平和運動」の一つ
つまるところ、郭グループの目指すものとは、耳あたりのいい「平和運動」を展開することにあるといえそうです。
郭グループの活動の核となっている組織GPFF(Global Peace Festival Foundation)は、たとえ提唱者が文顯進様だとしても、2008年に統一教会の指導とUPF(天宙平和連合)の支援を受け、世界各地で大きな大会を行ったGPF(Global Peace Festival)が母体となったものです。
統一教会の指導とUPFの支援がなくなった今、GPFFが行っていることは、統一教会の基盤と資産と人材、及び教えの一部を奪い、耳あたりのいい「平和運動」、つまり世界に数多くある世俗的「平和運動」の一つを展開しているにすぎません。
こうした運動が今後、世界を導いていくことはあり得ません。郭グループに関わった方々におかれましては、早くその間違いと限界に気づき、真の父母様を中心に一つになることを願っています。
そして、何よりも顯進様、郭錠煥氏が悔い改めて真の父母様のもとに帰ってこられ、「天の父母様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界(家庭盟誓 四)」の完成を目指し、全世界の統一食口と共に歩むことでできる日が来ることを切望しています。
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