(文責:教理研究院)
注、真の父母様のみ言や『原理講論』は「青い字」で、サンクチュアリ教会およびUCI
(いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」で区別しています。
2017年4月9日、教理研究院は、「真の父母様宣布文サイト」に「分派による『真のお母様』を貶めるための御言改竄の問題 (1)み言の前後の文章を隠し、意味を誤読させる」を掲載しました。
その掲載内容に対して、UCI(いわゆる「郭グループ」)側を支持するある人物は、『教理研究院の「分派による御言葉改竄の問題(1)」に対する反論(1)』と題する反論文を公開しました。
UCI側を支持する人物のこの反論文の欺瞞性を指摘し、分派が意図する目的が何であるかを暴露したいと思います。
【誤り①】お父様は「お母様が38度線の向こう側にいる」と語っていると解釈する悪意
まず、UCI側を支持する人物の『教理研究院の「分派による御言葉改竄の問題(1)」に対する反論(1)』に記載されたみ言の翻訳文を以下、引用します。
『私』が神様の代身として純潔、純血、純愛の表象となって鏡とならねばならないのに、(皆さんは)そのような鏡になっていますか? 西洋の人々は東洋の人々より盗賊たちです。悪魔よりもっと悪い輩たちです。先生の物を奪って行って自分達のものにしようとします。先生の話を自分に便利に考えます。それが真の父母に侍る人ですか? いつか、足場なら足場になって総生畜献納の祭物を出せと言ったのに責任者がそれを宣伝する人がどこにいますか? 先生がそのように生きましたか? 言ってみろと言うのです! 私たちのお母様にも話してみなさい、いいかげんに生きているか。
お母様も38度線を越えねばならないのです。『あなたはあなたの行くべき道があり、私は私の行く道がある』といって行ってみなさい、分かれました(分裂しました)。1パーセント、0.何パーセントの差が開いても分かれるのです。天国の門に共に入っていかねばなりません。堕落するとき、(アダムとエバは)一緒に堕落しました。一緒に追い出されたのです。地獄の底まで一緒に行ったのです。
(2009年2月28日 608巻302~303頁のみ言、注:UCI側による翻訳文)
まず、上記のうち、誤りを指摘する部分のみ言を引用しておきます。
先生がそのように生きましたか? 言ってみろと言うのです! 私たちのお母様にも話してみなさい、いいかげんに生きているか。お母様も38度線を越えねばならないのです。
このみ言の部分に対して、教理研究院は、「『私たちのお母様についても話してみなさい、いいかげんに生きているか』と尋ねておられ……これは〝お母様はいい加減には生きていない〟ということを語っておられるものであ(る)」と述べました。
それに対し、UCI側を支持する人物は、ブログで次のように反論しています。
「先生がそのように生きましたか?」と聴衆に聞かれ、「言ってみろと言うのです!」と答えを迫っています。そして「私たちのお母様にも話してみなさい。(お父様が)いいかげんに生きているか。」
もしここでお母様はいいかげんに生きていないという意味で語られたというなら何故直後にお母様が38度線の向こう側にいるという意味のことをお父様は語られたのか。
(お父様が)いいかげんに生きているのかと聞いていたお父様が、今度はお母様について語りだされたのはここからである。38度線とは本来一つであったはずの韓国を北と南に隔てた国境線である。「お母様が38度線を越えねばならない」とおっしゃったということは、お母様は今、38度線(国境線)を越えれていないという意味である。(注、カッコ( )内の言葉は、教理研究院の補足)
UCIを支持する人物は、上述のようにみ言を解釈し、反論しています。
しかし、このみ言解釈は恣意的な解釈であり、誤りです。この人物は、「お母様も38度線を越えねばならないのです」とのみ言を歪曲しており、論理展開も誤っています。
この人物は、真のお父様が、真のお母様に「お母様も38度線を越えねばならないのです」と語られたことを根拠に、お母様は今、「38度線を越えれていないという意味である」とし、それは、お母様は38度線(国境線)の向こう側にいるという意味だと述べ、お父様が語ってもおられない内容をもってお母様を貶めようとしているのです。
すなわち、この人物は、38度線を越えられているお父様はいい加減に生きていないが、38度線を越えられていないお母様はいい加減に生きているのだという意味に曲解し、教理研究院の「これは〝お母様はいい加減には生きていない〟ということを語っておられるものであ(る)」という見解を否定しようとしているのです。
UCI側を支持する人物は、お父様が語られたみ言を曲解し、自分たちの主張に都合良く論理展開をして、お母様の位相を失墜させ、彼らが思い描く〝韓鶴子の不従順〟な姿を描写させようとしているのです。これは、虚偽の論理によって多くの人を誤導しようとする、悪意のあるみ言操作と言わざるを得ません。
このみ言が語られたのは、2009年2月28日であり、これは2009年1月15日(韓国)、同31日(韓国、米国)の3度にわたって「万王の王神様解放権戴冠式」【写真1】が挙行された翌月のことです。
この「万王の王神様解放権戴冠式」で、お父様は次のようにみ言を語られました。
「神様は、万宇宙を創造された後、この上なく待ち焦がれ、願ってこられた日が、まさにこの日です。……真の愛を中心として、ご自身の代身者であり相続者である現象世界の真の父母を求めてこられました。きょう、私たち夫婦が、畏れ多くも天から印を受け、神様の実体として立ち、万王の王戴冠式を執り行うこととなり……ご自身の実体として役事する地上の真の父母を通して天法を立て、万王の王の権限をもって、この地球星を復帰する真の愛の革命を促進化するのです。……
真の父母様が立てた祝福結婚の伝統を受け継いでいけば、この世界は自動的に一つの家族になるのです」(「ファミリー」2009年3月号、4~6ページ)
この「万王の王神様解放権戴冠式」で、お父様は「私たち夫婦が……神様の実体として立ち、万王の王戴冠式を…」と宣言しておられます。お父様だけが、神様の解放のために闘われ、〝神様の実体〟として立っておられるのではなく、「真の父母」として、夫婦で〝神様の実体〟として立っておられることを知らなければなりません。
教理研究院は、4月9日に掲載した応答文で、「この(2月28日の)み言のしばらく後で、お父様は『うちの家で何代の孫の中で、お母様の代身として育ち得る孫娘がいつ生まれるか? それが私の心配なのです。7代を経ても難しいだろうと考えるのです』と語られ、お母様を証ししておられます。すなわち、お母様ほどの女性は何代経っても現れないくらい、お母様はすばらしいかただと証ししておられるのです」と述べました。
ところが、UCI側を支持する人物は、このみ言を最後に掲載しながらも、そのことについて一言も触れようとしません。これは、お父様が語っておられるみ言の真意を〝文脈〟から理解するために重要な部分です。もし、お母様が〝いい加減に生きておられる〟とするなら、あるいは、お父様と〝分裂しておられる〟なら、お父様がこのように証しされることなどあり得ません。
もし、お父様が、お母様は〝いい加減に生きている〟〝分裂している〟と考えておられるなら、「万王の王神様解放権戴冠式」で、「私たち夫婦が……神様の実体として立ち」と宣言されることはあり得ないはずです。また、2009年2月28日のみ言で、お母様をすばらしいかたであると証しすることもあり得ないことです。
さらに、このみ言を語られた約40日後の4月8日にも、お父様は次のように語ってお母様を証ししておられます。
「統一教会の女性たちの中に、真のお母様の代身となり世界的な使命を果たしうる者が何パーセントいるでしょうか? それが問題です。……統一教会の真の父母は、天宙的な観において現人神です」(「ファミリー」2009年6月号、16~17ページ)
このように、再びお母様を証しされ、真の父母は「現人神です」とまで語っておられるのです。
さらに、同年5月1日に挙行された「真の平和 真の父母UN安着大会」【写真2】でも、お父様は、次のように語っておられます。
「きょう私たちは、真に特別で摂理的な一日を迎えました。万王の王であられる真の父母様の金婚式を記念することはもちろん、世界基督教統一神霊協会が創立55周年を迎える意義深い日です。……私たちは、去る1月15日と31日、3回にわたって歴史的な〝万王の王神様解放権戴冠式〟を挙行しました。……今年の4月は、私たち夫婦が聖婚式を行ってから50回目となる月(金婚式)です。……私たち夫婦は、聖婚式を通して天から印を受け、人類の真の父母、真の師、真の王の険しい復帰摂理路程を出発しました。それから50年、神様を完全解放・釈放してさしあげ、万王の王としてお迎えするまで、私たち夫婦が歩んできた蕩減復帰摂理の路程を、どうして筆舌ですべて説明することができるでしょうか? 遠い将来、歴史家たちが証明し、記録することでしょう」(「ファミリー」2009年7月号、6~8ページ)
ここで、「私たち夫婦は……天から印を受け……神様を完全解放・釈放してさしあげ」とあるように、お父様は、「万王の王神様解放権戴冠式」「金婚式」および「真の平和 真の父母UN安着大会」の一連の式典が、とてつもなく大きな歴史的勝利であったことを語っておられます。しかも、その事実は、「歴史家たちが証明し、記録することでしょう」とまで語っておられるのです。
この歴史的勝利を語られるときに、お父様は、常に「私たち夫婦は」と強調して語っておられることで分かるように、お父様お一人だけでなく、お母様がそこに含まれています。お母様の生涯も、「歴史家たちが証明し、記録する」と言われているのです。それは、お母様がお父様と一体となって歩んでおられたがゆえに、お父様は、お母様と共に歴史的勝利を宣布してこられたということを知らなければなりません。
ちなみに、お父様は2009年4月11日に、「ラスベガスで今や97パーセントまで越え、3パーセント残った峠を越えることができます」と語っておられます。
2月28日に語られた「お母様も38度線を越えねばならないのです」というみ言は、この「3パーセント残った峠を越えることができます」というみ言との関連で理解しなければならないものと言えるでしょう。そして、翌年の2010年天暦5月8日(陽6月19日)と天暦5月15日(陽6月26日)に、お父様は「最終一体」を宣布しておられるのです。
なお、教理研究院が「私たちのお母様についても……」と翻訳したことについて、UCI側を支持する人物は、「私たちのお母様にも……」の〝誤訳〟であると批判しますが、み言の文脈からみたとき、いずれの翻訳でも意味の通じる内容です。
【誤り②】「分かれました」「分裂しました」という翻訳の文法的解説による誤り
まず、【誤り①】の最初のほうに掲載した、UCI側を支持する人物の〝翻訳の誤り〟を指摘する部分のみ言を引用します。
『あなたはあなたの行くべき道があり、私は私の行く道がある』といって行ってみなさい、分かれました(分裂しました)。
次に、UCI側を支持する人物の翻訳の解説を引用します。
당신은 당신 가야 할 길이 있고 나는 나대로 갈 길이있다고 해서 가보라고요, 갈라졌지. 갈라졌지というのは過去形で、「分かれた。」もしくは「分かれたでしょう。」としか訳すことはできない。Yさんの引用した「分裂しました」も意味は似ているが、「分かれた」が原文通りの表現である。
問題は、「私は私の行く道がある』といって行ってみなさい」は、まだ起こっていないことであるにも関わらず、「分かれてしまったことでしょう」と過去形の仮定形に訳すのは誤訳である。仮定の意味なら「分かれてしまうでしょう」とならなければならないが原文は明らかに過去形である。
しかし、UCI側を支持する人物が訳した「分かれました」「分裂しました」は、適訳ではありません。
UCI側を支持する人物は、「私は私の行く道がある』といって行ってみなさい」は、まだ起こっていないことであるにも関わらず、「分かれてしまったことでしょう」と過去形の仮定形に訳すのは誤訳である。仮定の意味なら「分かれてしまうでしょう」とならなければならないが原文は明らかに過去形である。と説明しています。
しかし、そのすぐ前の文章を読むと、私は私の行く道があるといって行ってみなさいは過去形で表現されていません。行ってみなさいと命令形で語られているのです。
一般的に、命令形とは、現在やっていない行動に対して、してみなさいと言いつけるものです。行ってみなさいと命令形で語られたということは、現在、行っていない行動に対して、してみなさいと言いつけていると理解できます。それゆえ、「私は私の行く道がある』といって行ってみなさい」は、まだ起こっていないことなのです。
したがって、UCI側の人物が訳す「分かれました」「分裂しました」は、適訳ではないことが分かります。
お父様の「分かれた」の単語は文法的には過去形で語られていますが、前後の文脈などを考慮してみると、「分かれてしまったことでしょう」「分かれてしまうでしょう」「分かれていたでしょう」がより適訳であると言えるのです。
すなわち、「갈라졌지」という言葉は、過去形にはなっていますが、文脈からして、仮定過去であると読み取れるものです。「あなたはあなたの……行く道がある」と言って、(自分なりに)行ってしまったら、「分かれていた」という意味で語っておられるのです。
ですから、み言を素直に読み進めれば、「分かれていない」「分裂していない」というのがお父様の真意であることは明白です。UCI側の人物は、お父様のみ言を以てして、家庭連合がお父様と一つになっていない、お父様とお母様が一体となっていないとの、自分たちの主張を裏付けようと必死ですが、誤訳でみ言を全く逆に解釈するようなことはあってはなりません。そのような行為は、真理に対する冒涜以外の何ものでもありません。
また、文末の「~でしょう」は、推定ではなく、念を押すようなニュアンスの言葉です。
以上、UCI側を支持する人物の〝翻訳の誤り〟の指摘によって、この人物が、いかにみ言を歪曲して解釈し、偽った論理をもって多くの人を誤導しようと、巧みにみ言を操作しようとしているのかが分かります。
UCI側を支持する人物たちは、どうしてこのような無理なみ言解釈をしてまで、お母様を貶めようとするのでしょうか? その目的は、金鍾奭著『統一教会の分裂』という書籍に、「韓鶴子の不従順」という項目をわざわざ付け、そこにそのように思わせるためのみ言を盛り込むことを通じ、いかにも真のお母様がお父様に反逆しておられるかのような、悪なるイメージを作り上げようとすることにあります。
そして、お母様の〝お父様に対する不従順〟によって、UCI側の人物たちはお父様のもとを追い出されてしまったのだという、彼らの作った〝ストーリー〟を、食口たちに信じ込ませようとしていると言えるでしょう。
真のお父様と真のお母様は一体となってみ旨を共に歩んでこられたのであって、このようなUCI側を支持する人物たちの情報操作に騙されてはなりません。