(文責:教理研究院)
注、真の父母様のみ言や『原理講論』は「青い字」で、サンクチュアリ教会およびUCI
(いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」で区別しています。
なお、この分派による〝み言の改竄問題〟については、すでに
「御言の引用、翻訳、および『父子協助時代』の悪用について」
でも論じていますので、それをも参考にしてください。
UCI(いわゆる「郭グループ」)側を支持する人たちの中には、「お父様は、お母様がお父様の血統を疑っていることを、真の父母の分裂であり、越えるべき試練(38 度線)として指摘された」と述べ、真のお母様を批判する文書を拡散している人物がいます。その文書は以下のようなものです。
「お母様にも話して見ろと言うのです、むやみに暮らすかと。お母様も38 度線を越えなければなりません。あなたはあなたが行くべき道があり、私は私なりに行くべき道があるといって行ってみろというのです。分裂しました。1 パーセント、0.数パーセントの差があっても分裂するのです。天国の門に一緒に入らなければなりません。…(中略)…『先生は堕落の血統を相続したか、きれいな血統を相続したのか』と聞くのです。皆さんはそのように言う自信がありますか。…(中略)…原理の解釈も出来ない人が何、先生が純潔か、何とか潔かと。私がそれを知っているのでこの場に出てこないようにしました。そこに行かないようにしました。醜いことを知っているので、なに、先生の血統が何、どうだと? 堕落前に血統を汚したか?」(マルスム選集608-303 ページ、2009 年2 月28 日)(注、この人物は、「先生が純潔か、何とか潔かと」と訳して表記しますが、正しくは「先生は純血か、何の血か」と訳すべき言葉です。)
UCI側を支持するこの人物は、このみ言を、お母様がお父様の血統を疑っているみ言であるかのように訳します。しかし、この翻訳はみ言の前後の文章を隠し、誤訳を含ませて読者を誤導するものです。
この訳に類似するものが、2016年9月頃からUCI側が日本で集会を行って広めている金鍾奭著『統一教会の分裂』(日本語訳、以下『分裂』という)にも記載されています(109~110、148、250ページ等)。この書籍は「韓鶴子の不従順」という項目で、「創始者(お父様)が韓鶴子の未成熟と不信を強く叱責しながら……私たちが知ることのできない創始者の苦心があったに間違いない」(245~246ページ)とし、それを裏付けるみ言の一つとして引用しています。(ちなみに『分裂』には、み言の誤訳と改竄が散見します。)
このみ言は、真のお父様がお母様を批判しておられる内容ではありません。文脈を踏まえて正確に訳せば、次のようになります。
「『私』が神様の代身として純潔、純血、純愛の表象となって鏡とならねばならないのに、(皆さんは)そのような鏡になっていますか? 私たちのお母様についても話してみなさい、いいかげんに生きているか。お母様も38度線を越えねばならないのです。『あなたはあなたの行くべき道があり、私は私の行く道がある』といって行ってみなさい、分かれてしまったことでしょう。1パーセント、0.何パーセントの差が開いても分かれるのです。天国の門に共に入っていかねばなりません。堕落するとき、(アダムとエバは)一緒に堕落しました。一緒に追い出されたのです。地獄の底まで一緒に行ったのです。『先生は堕落の血を受けたのか、きれいな血を受けたのか?』というのです。皆さんは、そのようにいう(注、純血のこと)自信がありますか? ……原理を解釈することもできない人々が、何、先生は純血か、何の血か。私はそれを知っているので、この場に来ないようにしようと思いました。そこに行かないようにしようと思いました、汚らわしいことを知っているので。何、先生の血が、どうしたというのですか。堕落の前に、血を汚しましたか。……数多くの女たちが私をゴロツキにしようと、堕落させようとするので、(私は)鍵を掛けて暮らしました。お母様に尋ねてみてください。……うちの家で何代の孫の中で、お母様の代身として育ち得る孫娘がいつ生まれるか? それが私の心配なのです。7代を経ても難しいだろうと考えるのです」(マルスム選集608-288~292、2009年2月28日)
まず、このみ言は、2009年2月28日に、韓国のパインリッジリゾートの天情苑で安侍日敬礼式及び朝の訓読会で語られたものですが、お母様に対して語られたものではなく、その場に参席した食口に対して語っておられるという点が重要です。その話の流れのなかで、食口に「あなたがたはどういう立場に立っているのか」と尋ねておられるみ言です。
お父様は、「純潔、純血、純愛」ということに関して食口の姿勢が間違っていることを『平和神經』の話をされながら指摘しておられます。『平和神經』の内容は「純血」について語っているが、食口はその「純血」の姿になっていないと語られ、その流れのなかで「私たちのお母様についても話してみなさい、いいかげんに生きているか」と尋ねておられるのです。すなわち、これは〝お母様はいい加減には生きていない〟ということを語っておられるものであり、もし、いい加減に生きていたらどうなっていたのかと言っておられるのです。そして、「お母様も38度線を越えねばならない」立場であることを前提として、お母様が「『あなたはあなたの行くべき道があり、私は私の行く道がある』といって行ってみなさい、分かれてしまったことでしょう。1パーセント、0.何パーセントの差が開いても分かれるのです。天国の門に共に入っていかねばなりません」と語っておられるのです。
UCI側を支持する人物は、ここで「分裂しました」と訳しますが(注、『分裂』も「分かれてしまった」と翻訳、250ページ)、正しくは「分かれてしまったことでしょう」であり、これは「分かれていない」という意味で述べたものです。彼らは正反対の意味に訳すという根本的間違いを犯しているのです。
お父様は、「堕落するとき、(アダムとエバは)一緒に堕落しました。一緒に追い出されたのです」、だから天国に行くときにおいても一緒に行かなければならず、もし0.何パーセントでも違いが生じれば、「分かれてしまったことでしょう」と語っておられるのであって、お母様はそのようになっておらず、分かれていないと語っておられるのです。
また、「『先生は堕落の血を受けたのか、きれいな血を受けたのか?』というのです」と言っているのは、それまでの話の流れが「純血」に関する話であり、「先生は…」という言葉で分かるように、これは、お母様の語っておられる言葉というのではなく、食口たちが語っている言葉として述べておられるのです。
つまり、食口が「先生は堕落の血を受けたのか、きれいな血を受けたのか?」と語っており、先生も純潔ではなく「六マリヤ」のようなことがあると思っているようだが、事実はそうではない。「皆さんは、そのようにいう(注、純血のこと)自信がありますか?」と述べられ、「原理を解釈することもできない人々が、何、先生は純血か、何の血か」と言っているが、それはとんでもない話だと語っておられるのです。
お父様は、その直後で「数多くの女たちが私をゴロツキにしようと、堕落させようとするので、(私は)鍵を掛けて暮らしました。お母様に尋ねてみてください」と語られ、お父様がいい加減に生きていない事実は、お母様が〝証人〟であると述べておられるのです。お父様の証人となられるお母様が、「先生は堕落の血を受けたのか、きれいな血を受けたのか?」とお父様に対し疑って質問することはあり得ない話です。もし、真のお母様がお父様を疑っているという話であるなら、お父様は、ここで「お母様が証人である」と語られることはあり得ません。ところが、お父様は〝自分は「純血」である、きれいな血である〟という証人がお母様だと述べておられるのであって、「お母様に尋ねてみてください」という言葉は、そういう意味で語っておられるのです。
そして、このみ言のしばらく後で、お父様は「うちの家で何代の孫の中で、お母様の代身として育ち得る孫娘がいつ生まれるか? それが私の心配なのです。7代を経ても難しいだろうと考えるのです」と語られ、お母様を証ししておられます。すなわち、お母様ほどの女性は何代経っても現れないくらい、お母様はすばらしいかただと証ししておられるのです。
このみ言は、全体的に『平和神經』について語られながら、「純血」の重要性を訴えておられる話です。UCI側の人物は、その文脈を無視して引用し、誤訳まで含ませ、まるで「お母様がお父様の血統を疑っている」かのように翻訳します。そればかりか「あなたはあなたが行くべき道があり、私は私なりに行くべき道があるといって行ってみろと」と述べ、お母様が自分勝手に生き、お父様と「分裂しました。1 パーセント、0.数パーセントの差があっても分裂するのです」と誤読させようと、その後を中略して、「『先生は堕落の血統を相続したか、きれいな血統を相続したのか』と聞くのです」とすることで、まるでお母様がお父様の血統を疑って問い尋ねているかのように訳し、お母様を貶めています。
このような悪意のあるみ言の改竄、誤訳に騙されてはなりません。
(2)「独り娘」はお父様のみ言であり、「第二の御言」ではない
〝お母様批判〟を拡散させる人たちの中には、「伝統はただ一つ! 真のお父様を中心として! 他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、どんな話にも従ってはならないのです。今、先生を中心として、お母様を立てました。先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。今、お母様が行く道は、お父様が今まで立てた御言と説教集を中心として、行かなければならないのです。他の御言を述べるのを許しません。……どのような御言も、第二の御言を許しません!」(『祝福』1995年夏季号、68ページ)というみ言を引用し、「お父様はお母様を中心に一つになれと仰っているが、その際お母様に対して、お父様の説教集を中心として、他の第二のみ言を語ってはいけないと仰っているので、原理と相容れない『独生女』論を語られるお母様を中心に一つになってはいけない」と主張します。この人物は、お母様の独生女(独り娘)のみ言が「第二の御言」であると断定しています。ところが、「独り娘」についてはお父様がみ言で何度も語っておられるのです。
「神様の前において、『私は独り子だ』とイエス様が言われたのです。独り子が出てきたのに、独り子が一人で暮らしたなら大変です。独り娘がいなければなりません。それで、独り娘を探して、神様を中心として、独り子と独り娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。……それが『小羊の婚宴』です」(八大教材・教本『天聖經』176〜177ページ)
「イエス様が独り子だと語ったので、神様は彼のために独り娘も送られたでしょう。神様の2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、2000年のキリスト教の歴史は、娘を求めるための歴史です」(『真の父母經』69ページ)
前述したお父様のみ言である「先生が教えた御言と先生の原理の御言」とは、具体的に言えば、マルスム選集と『原理講論』を指します。今まで「真の父母様宣布文サイト」に掲載したサンクチュアリ教会側の〝お母様批判〟に対する応答文のなかで、教会成長研究院は、独生女(独り娘)のみ言が「先生が教えた御言と先生の原理の御言」、すなわちお父様のみ言や『原理講論』の原理と一致している点について、さまざまな観点から論じ、そこに掲載してきました。
ところで、『原理講論』は、「キリスト教が他の宗教と異なるところは、全人類の真の父母を立てて、その父母によってすべての人間が重生し、善の子女となることによって、神の創造本然の大家族の世界を復帰するところに、その目的があるという点である」(161ページ)、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」(264~265ページ)等々と論じていますが、ここで述べる「真の父母」「真の父」「真の母」という概念が成立するには、「独り子」と「独り娘」がいなければならないことを理解しなければなりません。
独生女(独り娘)のみ言が、「先生が教えた御言と先生の原理の御言」に一致することについては、追々述べていくことにしますが、UCI側を支持する人物の「お父様はお母様を中心に一つになれと仰っているが……第二のみ言を語ってはいけないと仰っているので、原理と相容れない『独生女』論を語られるお母様を中心に一つになってはいけない」との主張は、「独り娘」について何度も語っておられるお父様のみ言に対して無知であるために、拙速な判断をしてしまっているのです。
お父様のみ言を自分たちの主張に都合良く解釈したり、み言に対する無理解ゆえに自分たちの主張が正しいとして、お父様の命じられた「先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません」とのみ言を軽んじることは、あってはなりません。
(3)お父様の「アベル女性UN創設大会」の叱責は、お母様に向けられたものではない
〝お母様批判〟を拡散させる人たちの中には、「お父様は、聖和される50 日ほど前に、お母様が自分勝手にやって、真の母が不在であると語られた」と前置きし、「オモニを私が育ててきたよ。オモニはいません。文総裁の妻の位置もいません。自分勝手にやっている!!自分勝手に。ん。」(アベル女性UN創設大会2012 年7 月16 日)と、お父様がお母様を批判したかのように述べる人がいます。そして、このみ言に関して、「真の母の不在まで言及されている」とし、〝お母様批判〟に利用しています。
お父様は、アベル女性UN創設大会の講演の冒頭で、今まで宗教が神様を「天の父」としてのみ捉え、「母なる神様」でもあることを理解してこなかった事実に対し、それを「恥ずべき、恥ずかしさをこの時間に爆発させ……」と訴えられました。そして、今や「真の母」が現れたことについて、勝利した「真のお母様(チャムオモニム)」であると紹介されたのです。お父様は、そのような勝利した「真の母」のような母(女性)がいないという意味から、聴衆に向かって「母(オモニ)がいません」と叱責しておられるのです。このみ言は、「真の母の不在」について語っておられるのではなく、お母様以外に真の母として勝利された人(女性)がいないことを指摘しておられるのです。UCI側を支持する人物は、それを正反対の意味で用い、お母様批判をしているのです。
2016年8月から10月にかけて、同様の〝お母様批判〟をサンクチュアリ教会が拡散していました。この批判への応答文は、『世界家庭』2016年10月号92~95ページや「真の父母様宣布文サイト」に掲載していますので、それを熟読していただければと思います。(https://trueparents.jp/?page_id=2364)
お父様は、むしろアベル女性UN創設大会の講演文で、「勝利した世界的な女性代表である真のお母様に侍り」なさいと強調され、お母様に侍ることで「真なる母の像、真なる妻の像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければ」ならないと指導しておられたのです。
UCI側を支持する人物は、ここでも、お父様のみ言を正反対の意味で利用し、〝お母様批判〟をしています。
ちなみに、『分裂』に記載された表現は、さらにひどいものであり、「(2012年7月16日の)アベル女性UN創設大会で、創始者(注、お父様)が基調講演をした。基調講演文を読んでいる途中、突然、創始者は韓鶴子に向かって怒りを露わにしながら、お母さんを私が育ててきた。お母さんがいません。文総裁の妻の位置もないのです。自分勝手にしています。自分勝手に!と韓鶴子に向かって、立腹され原稿を読み上げた」(252ページ)と述べていますが、お父様がお母様に向かってこのような話をした事実はありません。事実をねじ曲げ、お母様を批判しようとする悪意をもった意図的な書き方です。
インターネットなどを通じてUCIやサンクチュアリ教会側の情報が拡散していますが、これらの情報は、これまで見てきたように、お母様や教会を批判するために自分たちの主張に合致する部分のみをことさらに引用したり、意味が正反対になるように誤訳をしたりと、巧妙に仕組まれています。私たちは、神様-真の父母様-私という中心軸をしっかりと定め、このような悪意のあるみ言の引用、誤訳等に騙されてはなりません。
―以上―