【第2弾】神山威氏の講演内容(2014年9月21日、東京)の誤り

(注:神山元会長が講演で公表した内容は「茶色」で、真の父母様の御言は「青色」で色分けしています)

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神山威氏は、2014618日のプサンでの集会をはじめ、913日、14日、16日にも韓国で集会を開き、その後、日本において東京、名古屋、福岡で「講演会」を開催し、天一国経典『天聖経』の批判、真のお母様に対する批判、および「天の父母様」の呼び名に対する批判などの〝自説〟を述べ、教会員の一体化を損ねる行動を取っております。

すでに、神山威氏の言説の誤りについて、「神山威元会長の講演文(2014618日、プサン)の問題点」を第1弾として公表しましたが、今回は、東京における神山氏の講演、および会場で配布された資料に基づき、「【第2弾】神山威氏の講演内容(2014921日、東京)の誤り」と題して、その問題点を指摘いたします。

 

(一)「天の父母様」の呼び名は、お父様の思想と食い違うのか?

 

 神山威氏は、2013年天暦113日(陽暦222日)の「基元節」を期して、神様(天のお父様)の呼び名が「天の父母様」に変わったことに対して、次のように批判します。

 

「神様を天のお父様と呼んでいた昔からの伝統を変えて真のお父様の聖和以降に、天の父母様と変えて祈るようにしなければならなかった、その動機は・・・?真のお父様が『天のお父様』と涙で祈祷されておられたので、そのままでよかったではないですか。何故変える必要がありますか?…………

天のお父様と呼ぶほうが自然であり、もっと近くに感じます。神様を天の父母様と呼ばせる今の組織に違和感を感じます英語ではHeavenly Parents日本語に訳すと天の両親となります。天の父母様を英訳するとHeavenly ParentsParents of Heavenとなります。二性性相の中和的主体である神様を父と母に両親に分けてしまっています。この様な考え方がお父様が主張する思想でしょうか?」(神山氏の講演会「配布資料」3536頁より)

 

 上述のように、神山威氏は、神様を天の父母様と呼ばせる今の組織に違和感を感じます。……二性性相の中和的主体である神様を父と母に両親に分けてしまっています。この様な考え方がお父様が主張する思想でしょうか?」と不信感を露わにし、批判します。

しかし、この「天の父母様」の呼び名は、真のお母様が勝手に語っておられるのではなく、すでに真のお父様が神様に対して用いておられた呼び名です。

 

(1)「天の父母様」は、真のお父様が使われた〝呼び名〟

 

 八大教材・教本『天聖経』には、「天の父母様」「天の父母」という言葉が24回登場します。

 

 6000年間も準備して訪ねてこられた神様がアメリカを離れられたら、どこに行きますか。神様さえ正しくお迎えすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は自動的に解決されます。五色人種が一つに相まみえて生きていくアメリカは、地上天国のモデルなのです。

この時、私たちみんなが一致団結して、人類が進むべき道を開かなければなりません。『長子の国』であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様の前に導く先導者的な使命を完成すべき時です。この歴史的な課業を完遂するために、共に同参してくださるようお願いいたします」(『真の神様の祖国光復』332頁)

 

 この御言は、2000122日、米国ワシントンDCにおいて、真のお父様が「終末時代に人類とアメリカが進むべき道」と題して語られた講演文であり、八大教材・教本『天聖経』の中に収録されている御言です。

また、八大教材・教本『天聖経』には、次のような御言があります。

 

 「堕落したという事実は、長男長女を追い出したということと連結されます。長男というのはひとり子です。長女はひとり娘です。アダムとエバは、神様の億万代のひとり子、ひとり娘として生まれました。……皆さん、息子を一人、娘を一人もっていて、息子一人が死んだというとき、父母の痛みはどれほど大きいでしょうか。……億万代のひとり子を失った神様がそれを再び取り戻すためには、億万代の苦痛を越えずしては取り戻す道がないというのです。そのような天の父母がいたということを(人類は)知りませんでした」(『罪と蕩減復帰』103104頁)

 

 このように、真のお父様は、ひとり子、ひとり娘を失った神様の苦痛の心情について、それを「天の父母」という呼び名を用いて切々と語っておられます。

 神山氏は、「二性性相の中和的主体である神様を父と母に両親に分けてしまっています」と批判しますが、「天の父母」とは、真のお父様が唯一なる神様について用いられた呼び名であって、一つの概念です。神山氏が批判するように父と母に分離させ、二つに分けて語っておられるのではありません。

 神山氏は、『原理講論』に「神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。……神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給う」(47ページ)と論じられているのに基づいて、天のお父様と呼ぶほうが自然であり、もっと近くに感じます」と語ります。

 また、神山氏は、真のお父様の御言から次の一節を引用します。

 

「神秘的な境地に入って祈るとき……宇宙の中心は何かと尋ねれば父子の関係だという答えが得られます。宇宙の中心は何か?……父子の関係だというのです。これを普通の人は自分を産んでくれた母親と父親のことだと思っています。……そうではありません。……神様と人間が父子関係の情を中心として一つになっている、その位置が宇宙の中心だという結論が出てくるのです」(『み旨にかなった子女指導』より)

 

 この「宇宙の中心は、父子関係」であるという観点から見て、神山氏は神様を「天のお父様」と呼ぶほうが自然であると考えているようです。

ところで、ここで明確にしておかなければならないのは、父子関係とは「父と息子」の関係に限らず、「父と娘」の関係も父子関係であるという点です。

 確かに、私たちは、伝統的に神様に対して「天のお父様」と呼んで祈ってきました。それは、神様が「被造世界に対しては、性相的な男性格主体」であるという観点から見たとき、正しい呼び名です。

しかし、それでも神様は「本陽性(男性)」としてのみおられるのではなく、「本陰性(女性)」でもあられます。神様には、女性の性稟が〝ない〟のではなく、〝ある〟という点を理解しておかなければなりません。

 神山氏は、『原理講論』に基づく概念から、神様を「父」として捉え、天のお父様と呼ぶほうが自然である」といいますが、真のお父様ご自身が執筆された『原理原本』の中で、真のお父様は、神様に対して「天の父母」という呼び名を17回使用され、次のように述べておられます。

 

 神様の体として一つになった一つの夫婦の出現成就の時の祝宴が、すなわち小羊の婚宴というものである。それゆえ、人間が根本父母を取り戻して侍る最初の出発日が、すなわち再臨成就の重要点になっている。……それゆえに、今まで神様を父なる方として、母のいない父として歴史を通してきたことを人間は知らなければならない。母のいない父なる神様であった……それゆえ天の父母の成立がなされてこそ、子女の家庭組織成就が始まることができるということが目的であるので、聖徒や天の人間はこの一日を長く待ち望んできたのであった」(『原理原本』第三編「復帰摂理」の第四章より。注:暫定訳

 

ところで、以上のような「神概念」の問題を考えるとき、神様はいつ「天の父母の成立」をなされ、いつから「天の父母様」と呼ばれるようになられるのでしょうか。それを理解するには、「神の成長」という概念について知らなければなりません。

 

(2)神様の願いは、「天の父母様」になることであった

 

真のお父様は、人間の成長過程と人生の目標について、次のように語っておられます。

 

「幼児が成長したのちに結婚をするということ、これは、夫婦の位置を尋ね求めていくことであり、父母の位置を尋ね求めていくことです。神様と一体になる位置を尋ね求めていく道です」(『真の家庭と家庭盟誓』174頁)

 

 この人間の成長が、神様とどう関係しているのかを理解しなければなりません。真のお父様は、次のように語っておられます。

 

 「人間創造とは、神様御自身が成長してきたことを実際に再度展開させてきたものです」(『宇宙の根本』95頁)

「神様も赤ん坊のような時があり、兄弟のような時があり、夫婦のような時があり、父母のような時があったので、(人間を)そのように創造されたのです」(同、96頁)

 

 従来の神学では、神様を〝永遠不変〟〝絶対者〟としてのみ捉え、「神の成長」という概念を知りませんでした。しかし、「わたしと父とは一つ」(ヨハネ1030)と語られたイエス様は、聖書を見れば分かるように、幼児期、少年期、青年期、成人と成長していかれました。

「神様と一体になる位置を尋ね求めていく道」が人生であるなら、神様とイエス様の願いは、さらに結婚して、人類の真の父母になることであったと言わざるを得ません。

 真のお父様は、アダムとエバの結婚式は「神様の結婚式」でもあったと語っておられます。

 

 「横的な父母であるアダム・エバは神様の体であり、縦的な父母であられる神様が心なのです。神様は、アダム・エバの心なのです。ここで心と体が一つになって愛するとき、アダム・エバの結婚式は〝体〟的な父母の結婚式であると同時に、〝心〟的な神様の結婚式になるのです」(『ファミリー』19991月号、22頁)

 「アダムとエバが真の愛で完成することは、まさに神様が実体を身にまとう願いが成就するのです。……アダムとエバが善なる子女をもって真の父母になることは、まさに神様が永存の父母の位を実体的に確定(することです)」(『祝福家庭と理想天国()』29頁)

 

 ここで、「神様が永存の父母の位を実体的に確定」すると語っておられるように、神様の願いは「天の父母様」になることでした。

 天一国元年(20132月)、神様の呼び名が「天の父母様」になりましたが、それは、真の父母様が「最終一体」を成し遂げ、摂理の「完成、完結、完了」を宣布する勝利圏を立てておられたがゆえに可能だったのです。

 真のお父様は、これまで、神様を「囹圄(れいご)の神」「鼓子(コジャ)の神」と語っておられましたが、神様は解放され、さらには、人類子女たちに対する真の父母としての責任を果たされることによって、ついに「天の父母様」となられたのです。

 また、真のお父様は、神様の血統の出発について次のように語っておられます。

 

 「アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦となれば、神様は理想どおりに、ご自身の実体であるアダムの体の中にいましたまいながら、エバを愛されるようになるのです。さらには、アダムとエバは神様の実体をまとった真の父母となって、善なる愛、善なる生命、善なる血統の出発となったことでしょう」(『祝福家庭と理想天国()』、3132頁)

 

 「四大心情圏と三大王権を完成した家庭が理想的な家庭です」(『真の家庭と家庭盟誓』192頁)とあるように、三大王権(三代圏)の完成が理想家庭であるならば、「理想家庭」とは、男女が結婚して夫婦となり、子供ができて父母となり、さらにその子女が結婚して孫が生まれ、祖父母となって、その孫が結婚するまでを含めて、真の家庭の〝三代圏の完成〟を指します。

 しかし、『原理講論』に「イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった」(268頁)とあるように、イエス様は〝個人路程〟を歩まれましたが、結婚できなかったため、家庭路程を歩むことはできませんでした。

 それゆえ、真の父母様が歩まれた1960年陰暦316日の「聖婚式」から2013年天暦113日の「基元節」までの神様の摂理は、真の父母様が「真の父母」として成長し完成していかれる〝家庭路程〟、ひいては〝天宙的路程〟であったと捉えることができます。同時にそれは、神様が「天の父母様」になられる成長過程だったと言えるのです。

 「基元節」は、その神様の結婚式を祝賀し、そこから実体の天一国が出発する起点です。したがって、「基元節」を期して、神様を「天の父母様」と呼ぶようになったのは、神様が長い歴史において切望してこられたその願いが叶ったことを意味しています。

 神山氏は、神様を天の父母様と呼ばせる今の組織に違和感を感じますと批判しますが、これは神様が永存の父母の位を実体的に確定」することを願い続けてこられたおかたであることを理解していないために生じた批判です。

 

 

(二)「三度目の結婚式は成されていない」という批判について

 

 神山威氏は、真のお父様が、第三次「真の父母様聖婚式」を成すことができなかったと決めつけて、次のように批判的に述べます。

 

「神様の結婚式がなされなければならなかった。お父様が蘇生、長生、完成と最後の神様の結婚式を真のお父様がどんなにその時を待ったと思います? 2013年の1月13日の基元節を・・・・。

……第三次「真の父母様聖婚式」(は)計画されたが条件がないとされ、急遽、金婚式に変更され、第三次聖婚式は2013113日に延期されると発表された。……基元節は1月の13日と言いましたよ。神様の結婚式は1月13日。しかしお父様が待ちに待ったその日を迎えられず霊界に行かれました。どんなに無念だったと思います?モーセもカナンの地を見ながら入れなかった」(神山氏の講演会「配布資料」4850頁より)

 

 神山氏は、第三次聖婚式は「計画されたが条件がないとされ、急遽、金婚式に変更……延期されると発表された」とし、条件がなかったと批判的に述べています。確かに、2010天暦316日(陽429日)、天正宮博物館において挙行された式典は、「アベルUN定着戴冠式および金婚式」であり、第三次聖婚式ではありませんでした。

 しかし、真の父母様が歩まれた「生涯路程」を注視しなければなりません。神山氏は、この「金婚式」を批判的に見ますが、真の父母様は、その10日後の天暦326日(陽59日)に、今度は米国・ラスベガスで「アベルUN定着戴冠式・金婚式および昇華祝祭」を挙行され、その後、同年天暦58日(陽619日)と同年天暦515日(陽626日)の2日にわたって、真の父母様の「最終一体」を宣言しておられます。この「最終一体」宣言がもつ意義は、摂理的に極めて重大なものです。

 真の父母様は、この「最終一体」宣言から12日後の天暦527日(陽78日)、天正宮博物館において「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」を開催され、「韓国を神の祖国」と発表されました。これを皮切りに、全世界に向かって「最終一体」宣言を告げ知らせながら、多くの大会を開催されました。

 真のお父様は2011年天暦11日(陽23日)に、この大会の御言こそが「先生が生涯全体の結実として宣布したみ言です」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2011年天暦1月号、11頁)と語られました。その生涯全体の結実と言われる御言において、真のお父様は、次のように語っておられます。

 

「すでに真の父母様ご夫妻は最終一体をなして、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです」、「人間始祖の堕落によって引き起こされた夜の神様、昼の神様、万王の王、そして、真の父母、このように四大代表王たちの歴史的な葛藤と闘争も、ついに天地人真の父母様によって、完全に解決されました。万人が兄弟国になって、『ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド』の世界が皆様の目の前から展開されています」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2011年天暦5月号、20頁、韓国・仁川)

 

真のお父様は、「最終一体」を宣言された後で、蕩減復帰時代圏を抜け出し(た)」、これから「神様と真の父母様を中心とした勝利圏の太平聖代だけが永遠に続くようになるでしょう」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』20111月号、11ページ、ニューヨーク)と言われ、「私たちはすでに神様の直接主管圏時代に進入している」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』20109月号、通巻第500号、13ページ、清平修錬苑)とも語っておられます。

 

このように、真の父母様は、基元節を迎える前に最終一体を成し遂げ、完成、完結、完了したと宣言され、天地人父母様時代が到来していると言われています。

すでに「神山威元会長の講演文(2014618日、プサン)の問題点」でも述べましたが、真の父母様は内的・実質的3度目の結婚式である「最終一体を成し遂げ」ておられるのです。

だからこそ、聖和される前に基元節「聖酒」まで準備しておられたのです。

 

以上のように、真のお父様は「蕩減復帰時代圏を抜け出し」、すべてを「成し遂げた」と宣言され、「再臨主としての使命」を全うされました。

ところが、神山威氏は「神様の結婚式は1月13日。しかしお父様が待ちに待ったその日を迎えられず霊界に行かれました。どんなに無念だったと思います?」と述べ、真のお父様ご自身が「全て成した」と語っておられるご心境と根本的に異なる見解を述べているのです。神山氏の見解によれば、まるで真のお父様は失敗したと言わんばかりです。

神山氏は、真のお父様が最終一体を成し遂げ、完成、完結、完了したと言われたその御言を、信じておられないのでしょうか。

 

 「基元節」の式典では、外的・実体的な「神様の結婚式」である3度目の結婚式が成されました。まず、式典で、最初に(ムン)善進(ソンジン)様と(パク)仁渉(インソプ)様ご夫妻がお父様のための紫のローブと聖冠を、お父様の「宝座」にお捧げすることで、神様と完全一体となっておられるお父様が壇上において神様と共に待っておられ、その「宝座」に向かって、真のお母様が、結婚式で共にバージンロードを行進する子供である「花童(ファドン)」の4人のお孫様を従えてバージンロードをゆっくりと歩いていかれました。

その際、結婚式で登場する38人の介添人(トゥルロリ)がバージンロードに並び、真のお母様の行進を見守っていました。この様子は結婚セレモニーそのものでした。これは、すでに真のお父様と真のお母様が「最終一体」を成し遂げておられたがゆえに、行うことのできた結婚セレモニーです。そして、壇上の中央にあった大きなバラの花(天一国の花)をレリーフした装飾は、真のお父様のご臨在を表現していました。そのバラの花の所にある「宝座」に座られたときに、真のお父様と真のお母様の外的・実体的な3度目の結婚が成立したのです。

その土台の上で、真のお母様は完成した「真の父母」として「即位式」をされ、「天一国」を宣布されました。

 今、天一国時代を迎えた私たちは、真のお父様が「私たちはすでに神様の直接主管圏時代に進入している」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』20109月号、通巻第500号、13ページ、清平修錬苑)と語っておられた御言を、もっと真摯に受け止めなければならないと言えるでしょう。

 

(三)真のお母様は、「お父様と一体化していない」という批判に対して

 

 神山威氏は、ラスベガスで目撃した出来事について語り、真のお母様が、真のお父様に従わずに逆らい、真の母としての勝利基準を立てておられないかのように述べて、次のように批判します。

 

「ラスベガスで責任者を集めての訓読会ありました。そこに7080名の人達が集まって居りました。……その時、お母様はお父様の隣の席に座って居られました。

『どこに行くんだ、ここにいるんだよ』

『トイレに行ってきます』

『ここにいなさい。(くそ)でも小便でもここでしたらいい!』とお父様が怒鳴る!

でも振り切ってお母様は出て行かれました。お父様を振り切って。私は本当に驚きました。強いショックと衝撃をうけました。お父様が『お母様を早く呼んできなさい』と。一人の責任者がお母様を迎えに行きました。お母様が戻られないのでその人はお父様の所に戻ってくることが出来ません。また一人の人。そして一人の人を送ったのですが、誰も戻ってきません。お父様が急に大きな声で『神山!!お母様とお父様とどっちが正しいんだ!どっちが正しいんだ』と聞かれたのです。……お父様は、お母様が来るのを待っている時間・・・本当に寂しそうでした」

 

 このように、トイレに行こうとされる真のお母様に対し、お父様は「(くそ)でも小便でもここでしたらいい」と語られ、それを振り切って出ていかれたお母様に対し、神山氏は「強いショックと衝撃をうけました」と述べています。

 このような場面に遭遇したとき、さまざまな観点から深く考えさせられるでしょう。真の父母様は、その生涯路程において、いろいろな場面における「真の夫婦」の接し方、そのモデル的夫婦のあるべきお姿を、私たちに教え示しておられるのだろうと思われます。

 神山威氏は、「私は本当に驚きました。強いショックと衝撃をうけました」と自分の抱いたお母様に対する不信感を表明し、そして「お父様は、お母様が来るのを待っている時間・・・本当に寂しそうでした」と主観的判断をもって、その感想を述べます。

 しかしながら、真のお父様に50年以上も連れ添い、いついかなる時においてもお父様をお支えし、神様のみ旨成就のために献身して来られた真のお母様ほど、真のお父様を深く理解しておられるおかたは他におられません。

 真のお父様は、真のお母様と「最終一体」宣言をしておられる事実こそが、そのことを最も雄弁に物語っています。

 真の父母様と四六時中、行動を共にしてもいない私たちに、一体何が分かるというのでしょうか。真のお父様ご自身が、真のお母様に対し、どのように受け止めておられるのか、その事実こそが重要です。真のお父様は、お母様に対して次のように語っておられます。

 

 アダムを中心として女性を創造した時と同じく、天の男を中心として女を再創造するのです。個人的女性完成圏、家庭的女性完成圏、氏族的、民族的、国家、世界的女性完成圏を代表した一人を中心として創造するのです。それを成してこられたかたがお母様なのです。先生の後にぴったりとくっ付いてきたのです」(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』77頁)

 

「お母様がサタン世界の最高クラスを中心として、巡回講演を通して80か都市で勝利の覇権をもって戻ってきたので、お母様は、お母様としての責任を果たし、初めて神様が公認した位置に、サタンが公認した位置に、人類が公認した位置に立つようになりました。……それで、この場で文総裁がお母様に対して、韓鶴子女史に対して表彰するのです。ですから、これからは対等な位置に立ちます」(同、8788頁)

 

「これからは先生がいなくても、お母様一人でみ旨に何の支障もないというのです。今までは、女性が天地を代表する摂理の代表者として立つことはできなかったのですが、父母の愛と一体的理想を中心として、はじめてお母様を中心とする女性全体の解放圏が地上に宣布されたのです。それが今朝行われた『女性解放圏』宣布の式典でした。……ですから、先生が一人でいても真の父母様の代身であり、お母様が一人でいても真の父母様の代身です。ですから、先生が第一教主、その次にお母様は第二教主だということです」(同、115116頁)

 

お母様は私の影のようです。ついてまわる影のようなので、私は実体をもった主体の教主であり、お母様は対象の教主です。それで、私は第一教主、お母様は第二教主です。何を中心としてですか。愛を中心としてそうだというのです」(同、116頁)

 

 「お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。お父様がいないときは、お母様のことを思わなければなりません。そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心をもち、祈祷もそのようにするのです。今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなければなりません。……先生が第一教主であれば、お母様は第二教主であると世界的に宣布し、天地に宣布します」(同、116117頁)

 

「先生が霊界に行ったとしても、お母様が地上にいれば、霊界と地上界の統一圏ができるので、いつでもお母様がいる地上に来て一緒に暮らすことができるのです」(同、117頁)

 

 このように、真のお父様は、「お母様が一人でいても真の父母様の代身」、「お母様は私の影のようです」、「先生の代わりにお母様に侍る心をもち……お母様を愛さなければなりません」、「いつでもお母様がいる地上に来て一緒に暮らすことができる」と語っておられます。

 それほどまでに、真のお父様とお母様は一体になっておられるというのです。お父様は地上に来られ、真のお母様と一緒に暮らしておられると言われるのです。真のお父様を「愛している、信じている」と言われるならば、そのことを信じなければなりません。

真のお父様は、2005214日の「天宙統一平和の王戴冠式」祝賀晩餐会の御言で、後天時代(天一国時代)は「調和、協力、相応、和解、統一の時代」であると、次のように語っておられます。

 

「『先天時代』は、対立、闘争、相克、不和の時代でしたが、『後天時代』は、調和、協力、相応、和解、統一の時代です。『先天時代』には、葛藤を助長し、分裂を起こして支配しましたが、『後天時代』には、このようなことが、これ以上、許されなくなります。和解と調和、平和、統一を志向する個人、集団、社会、国家が中心となって主導していく環境圏になります」(「ファミリー」20054月号、22ページ)

 

 このような〝分裂行動〟は、真のお父様を悲しませることであるのを神山氏が早く悟り、真のお父様と一体となっておられる真のお母様を中心に、実体的な天一国創建に向けて、兄弟姉妹と共に歩まれることを願ってやみません。