UCI側が広める金鍾奭著『統一教会の分裂』の〝虚偽〟を暴く(6)―― 金鍾奭氏が主張する「アイデンティティ」の誤り・その4

文責:教理研究院

                            注、真の父母様のみ言は、「青い字」で,UCI(いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」で区別しています。

 UCI(いわゆる「郭グループ」)側が2016年秋頃から日本で集会を行って広めている金鍾奭著『統一教会の分裂』(日本語訳)には、真のお母様をおとしめる〝み言改竄〟や〝誤訳〟〝文脈を無視したみ言引用〟が散見します。
 まず、原本である韓国語版の『統一教会の分裂』は、み言を継ぎ接ぎすることによって真意を歪曲させる〝み言改竄〟を行っており、その歪曲した文章を日本語訳では、さらに自分たちに都合の良いように悪意を持って〝誤訳〟しています。
 すでに〝虚偽〟を暴く(4)で、金鍾奭氏の言う統一教会の伝統に関する顯進様のアイデンティティのうち〝祝福家庭を「養子養女」とする誤り〟について明らかにしました。この誤りについて、以下、さらに補足します。

【問題点その⑥-祝福家庭を〝養子養女〟とする誤り・補足】
①祝福家庭は、「実子ではない祝福家庭」なのか?

 UCI側を支持する人々は、み言を歪曲して解釈し、誤った「重生論」を述べています。まず、彼らの主張を、以下引用します。

  (教理研究院は)重生の原理における真の子女様の位置の重要性を誤魔化しています。勿論、重生というのは再び生まれるのですから、父母を通して重生されます。しかし本来は実子ではない祝福家庭がどのようにして父母様の実子の位置に帰るのかと言えば、実子である真の子女様と一体となることによってこそ、真のお母様の胎中、さらには真のお父様の骨髄の中の種と一つになることができるのです。また、その種は、男性の子女様に相続されています。ちなみに教理研究院は上記の説明において、真の母の胎中という話はしていますが、どういう訳か真のお父様の骨髄の中の種には言及していません」(注、太字アンダーラインは教理研究院によるもの)

 「櫻井節子先生が顯進様を『直接的なお兄様』として大切に感じておられることは、真の父母様を無視することではなく、実体の神の血統の種を持った男性の子女様に連結されることを通して真の父母様によって重生されるという原理を忠実に実践されるものです」

 彼らは、以上のように主張しています。

 UCI側の主張の問題点は、祝福家庭を「実子ではない祝福家庭」と定義している点にあります。彼らは、その主張の根拠として、以下のみ言を用いています。

 「養子である者たちが主の真の子女になるためには、イエスの真の子女に接ぎ木されなければいけません。彼らは主の子女たちを愛すことによって、彼らを通して救われることができるのです」(注、これはUCI側の翻訳文、マルスム選集52巻、1971年12月26日)

 彼らが引用したこのみ言によると、「養子である者たちが主の真の子女になるためには、イエスの真の子女に接ぎ木されなければいけません」とあります。彼らは、このみ言に基づいて、祝福家庭を「実子ではない祝福家庭」であり「養子である者たち」と見ているのです。
 果たして、お父様がこのみ言で語っておられる「養子である者たち」とは「祝福家庭」を指して述べておられるかどうか、原典に当たって確認しておかなければなりません。
 以下、彼らが引用していない部分をも含めて、その前の部分から翻訳します。

 「主(メシヤ)には、アダム家庭においての三天使長と堕落した三人の息子と同じ立場にいる三人の息子がいなければなりません。そのような立場に立った人たちがペテロ、ヤコブ、ヨハネでした。彼らは直接的な血統関係を持っていたのではありません。彼らは養子の立場にいました。養子である彼らが主の真の子女になるためには、イエスの真の子女に接ぎ木されなければいけません。彼らは主の子女たちを愛することで、彼らを通して救われることができるのです。主イエスが結婚をしていたら、この三人の息子も結婚をしていたのです」(マルスム選集52-124、1971年12月26日)

 このお父様のみ言を、直前の部分をも含めて読んでみると、「養子である者たち」とは、彼らが主張するように「祝福家庭」を指しているのではなく、新約時代の救いを受けて、〝養子〟の立場にいる「ペテロ、ヤコブ、ヨハネ」、すなわち〝三弟子〟(三天使長)のことを指して語っておられることが分かります。
 それゆえ、上記のみ言を用いて、祝福家庭を「実子ではない祝福家庭」であり、養子養女の立場だと定義しているUCI側の主張は誤っています。

②UCI側が主張する〝重生論〟の根本的な誤り

 彼らが定義している「重生論」には、根本的な誤りがあります。
 彼らの主張によれば、養子養女の立場である「実子ではない祝福家庭」が、「父母様の実子」の位置に帰るには、真の父母の「実子である真の子女様」と一体となることであると主張します。そして、「実子である真の子女様」と一体となることで「真のお母様の胎中」「真のお父様の骨髄の中の種」と一つになることができるというのです。彼らは、重生で一番重要なことは「実子である真の子女様」と一体となることだと主張するのです。

 彼らは、その根拠として、『訪韓修練会御言集』(光言社刊)の「真の父母と重生」(185~186ページ)というみ言から、以下の内容を引用します。

 「これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか?  (はい!)。全世界がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです」(1993年12月20日、韓国・済州研修院「真の父母と重生」、『訪韓修練会御言集』185~186ページ)

 上記のみ言で、真のお父様は、真の父母による重生とは、「母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していく」と語っておられます。
 UCI側が主張するように、「実子である真の子女様」と一体となることで、「真のお母様の胎中」「真のお父様の骨髄の中の種」と一つになるのだと語っておられるわけではありません。堕落人間が重生される唯一の道は、真の父母様に〝接ぎ木〟されることです。真の子女様が生み変えてくれるのではありません。事実、1988年の6500双以降の祝福において、真の子女様が「真の母」の胎中に宿っておられたわけではありません。しかし、6500双以降の祝福も重生はなされているのです。
 お父様は、「真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになる」と語っておられるのです。
 したがって、どこまでも、重生とは「真の父母の夫婦関係」によって、「お母様の腹を通していく」胎中における〝血統転換〟なのであって、彼らが言うように「実子でない祝福家庭」「実子である真の子女様」と一体となって真の母の胎中を通していくというような〝重生〟ではないことが分かります。

 【補足】ちなみに、このみ言で、お父様が「兄さんと弟と同じです」と語っておられるのは、このみ言の続きの部分を読むと分かりますが、「ハンダ付け」として、お父様と祝福を受ける男性の関係について述べておられるものです。決して、顯進様と祝福を受ける男性の関係を述べておられるのではありません。お父様は、この「ハンダ付け」について、次のように語っておられます。
 (祝福を受ける)女は真のお母様に対して、(真のお母様が)お姉さんだとすれば妹であり、それから(祝福を受ける)男は将来どうなるかというと、(真のお父様が)真の完成した第一代のアダムとすれば、それにハンダ付けして、復帰されたアダムとしてつくってあげることによって、第二番目の妹と第二番目のアダム、その時に祝福を受けて、自分の相対を得ることができます」(1993年12月20日、『訪韓修練会御言集』186~187ページ)。
 このみ言と、ほぼ同じ時期に語られたみ言でも、お父様は「ハンダ付け」として、次のように語っておられます。「原理からすれば、一人の男が二人の女とつきあうことはできないから、妾(注、祝福を受ける女性)の旦那さんを、アダムを、接ぎ木して、ハンダ付けしてつくってあげるのです。先生は完成された旦那さんの立場ですから、弟の立場、第二番目のアダムをつくるのです。あなたたちの旦那さんたち、天使長を連れて来て、昔16歳の時に堕落した、その堕落前の基準が残っているから、そこに完成されたアダムの勝利の実体を接ぎ木するのです。偽りの実体から生まれたものを皆接ぎ木して、ハンダ付けして、サタンの讒訴圏を逃れるような解放圏に立たせて、真の父母様が、これは自分のものということを認定してあげれば、第二のアダムとして立って、自分の前の奥さんと共に結婚することができるのです」(1994年1月2日、『祝福』1994年春季号、26~27ページ)。
 このように、お父様は、ご自身を「第一代のアダム」「完成されたアダム」と語っておられ、それに対し、祝福を受ける男性を「弟の立場」「第二のアダム」と述べておられます。

 さて、UCI側は、祝福家庭を「実子ではない祝福家庭」であり「養子養女」の立場であると定義しており、そこにこそ、「重生論」を混乱させる要因があると言わざるを得ません。
 この内容を整理するため、上記の引用したみ言部分から、彼らが引用していないその続きの部分を、以下述べておきます。(注、茶色の字までが、彼らが引用した部分)

 母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。国家的お母様の腹、氏族的メシヤのお母様、家族的メシヤ、復帰された160の家族メシヤの基台に行って再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がないのです。別個の天的本来の真の父母から出発した子女の立場に立つのだから、天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができるのです」(1993年12月20日、韓国・済州研修院「真の父母と重生」、『訪韓修練会御言集』186ページ)

 真のお父様は、ここで「再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がない」と語られ、「真の父母から出発した子女の立場に立つ」ので、それゆえ「天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができる」と語っておられます。
 このお父様のみ言から見たとき、祝福家庭は「実子ではない祝福家庭」という観点ではなく、どこまでも「真の父母から出発した子女」の立場であり、真の父母によって重生された祝福家庭とは、神様の血統に転換された〝実子の立場〟であるのが分かります。

 以上のことから、UCI側が主張している、祝福家庭を「実子ではない祝福家庭」と捉え、「養子養女」の立場であると主張することは、完全な誤りであることを知らなければなりません。
 私たちは、UCI側を支持する人々が、桜井節子氏の誤った行動を弁明したいあまりに、お父様のみ言の前後の意味を隠蔽し、歪曲した解釈をすることで、彼らUCI側が「真の父母による重生」以上に、「真の子女による重生」という、誤った「重生論」を主張していることを明確に理解しておかなければなりません。

 ところで、上述のみ言の中から、「それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません」という部分だけを抜き出して、「お父様は、お母様が堕落人間の血統であることをはっきりと語っておられる」と批判する人物もいます。この「真の父母様宣布文サイト」に連載している〝虚偽を暴く〟シリーズ(7)で指摘しているように、彼らは「血統」の概念を誤って捉える傾向をもっています。
 お父様が、「血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。そして、精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(『ファミリー』1995年3月号、22ページ)と語っておられるように、血統は父と母の二人でつながるものです。血統の連結は、父一人でも、母一人でも生じることはありません。そのような理解に基づいて、誤解が生じないよう補足して述べれば、「お母様(お一人で)は真の愛と真の血統を持っていません」ということであって、決して「お母様が堕落人間の血統である」という意味ではありません。
 『原理講論』の「重生論」に、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない(264~265ページ)とあるように、血統の連結や重生には、真の父と真の母のお二人が不可欠なのです。もしも、「お母様が堕落人間の血統である」というならば、父お一人でお母様を生み変えたとでもいうのでしょうか? 血統の連結や重生は、一人ではできません。分派側の批判や言説は、「重生論」と矛盾する非原理的な考え方に過ぎません。