サンクチュアリ教会を支持する李鎬宅氏の言説の誤り(文書資料)

 

2015年7月14日、サンクチュアリ教会を支持する李鎬宅(ホテク)氏(3万双)が公開した「摂理的同時性からみた危機的状況とその対策」という3本の動画があります。また、同年8月5日に「神様を中心とした悔い改めと赦し」と題する動画も公開しています。

 

それらの動画の結論は、7男の亨進様を中心に祝福家庭が一つとなって摂理を進めて行くようにしなければ、大変なことが起こる。世界に危機が訪れるだろうと述べ、サンクチュアリ教会の活動を支持する内容となっています。

このような主張は、真の父母様を「絶対中心」として歩んでいかなければならない天の御旨に対して、大きな妨げとなるものです。

 

李鎬宅氏は、御言中心主義を装い、『原理講論』や聖書を用いて「摂理的同時性」について語りますが、その言説には誤りが多く含まれています。御言を語りながらも、巧妙に虚偽を含めるために、李鎬宅氏の言説に惑わされる兄弟姉妹もいるのではないかと危惧するものです。そこで、以下、李鎬宅氏の言説の誤りを指摘しようと思います。

 

まず、李鎬宅氏がどのような言説を主張しているのか、その概要を簡潔に列挙しておきます。李氏は、講義の中で、次のような主張をしています。

 

(1)「アブラハム、イサク、ヤコブ路程を歩むのが真のお父様である。その後、ヨセフ路程を歩むのが亨進様であり、さらにエフライム路程を歩むのが信俊様であることが、神によって予定されている」

(2)「ヤコブが90歳の時にヨセフがエジプトの総理大臣になったように、真のお父様は90歳の時に、30歳の亨進様を相続者として立てられた」

(3)「ヨハネの黙示録の11章を見ると、真のお父様が93歳で聖和されることが預言されている」

(4)「清平役事が1995年から出発したが、そのときから統一教会は発展するのではなく、滅びて行くようになった」

(5)「聖書の中に、メシヤが亡くなった後で、女性が相続することについて書かれているところはない。真のお母様は、女王ではあり得ない」

(6)「お父様が2013年1月13日を基元節に定めた理由は、アダムからノアの洪水審判までが1656年であり、その年数に韓国歴史の檀紀4346年をプラスすれば、2013年が6001年になるからだ」

(7)「真のお父様が清平の210代先祖解怨を指示されたのは、洪水審判まで210代になるからだ。アダムまで遡ると220代にしかならないのに、清平が420代解怨を推奨するのはおかしい」

 

李鎬宅氏は、以上のような主張をしています。彼は、原理に対して誤った理解をしているために、その講義を聞いて悪なる影響を受ける人がいるかもしれません。

その言説を、『原理講論』や聖書、および御言と照らし合わせてみると、それらの言説はことごとく誤りであり、偽りであることが明白になります。

上記、列挙した李鎬宅氏の言説の誤りについて、一つずつ指摘していきます。

 

(1)「アブラハム、イサク、ヤコブ路程を歩むのが真のお父様である。その後、ヨセフ路程を歩むのが亨進様であり、さらにエフライム路程を歩むのが信俊様であることが、神によって予定されている」という言説の誤り

 

復帰摂理に現れた中心人物の歩んだ路程を、将来、来られるメシヤが歩む模擬路程、象徴路程として捉えるのは、正しい摂理観です。『原理講論』は、そのような説明をしています。

ところが、李鎬宅氏の場合には、ヤコブ路程やヨセフの路程をメシヤに当てはめるのみならず、それを真の子女様にも当てはめ、メシヤが歩んだ路程以降の摂理をも、神様が前もって子女様に対しても予定されていることであると主張します。

李氏は、アブラハム、イサク、ヤコブ路程を歩むのが真のお父様であるとするなら、7男の亨進様は、エジプトの地でヤコブ路程の続きを歩んだヨセフ路程を歩むのであると主張していますが、これは誤りです。

 

『原理講論』には、ヨセフ路程について、次のような解説が記されています。

 

「彼(ヨセフ)が30歳になりエジプトの総理大臣になったのち……兄たちと父母とがエジプトを訪ねてきて彼に屈伏した……。ヨセフのこのような路程は、将来イエスが来られて、苦難の道を通じて、30歳で王の王としてサタン世界に君臨されたのち、全人類はいうまでもなく、その祖先たちまでも屈伏させ、サタンの世界から分立して天の側に復帰するということを、見せてくださったのである。このようなヨセフの全生涯は、とりもなおさず、イエスの模擬者としての道を行く歩みであった」(『原理講論』351ページ)

 

ヤコブ路程も、ヨセフ路程も、どちらもメシヤであるイエス様が歩む模擬路程なのであって、ヤコブ路程をイエス様が歩んで、その後、イエス様の相続者がヨセフ路程を歩むというのではありません。李鎬宅氏の言説は、誤りです。

 

ところで、『原理講論』は、摂理的同時性が生じる理由について、次のように述べます。

 

「摂理的同時性の時代は、どうして生ずるのだろうか。……ある中心人物が、自分の責任分担を果たさなかったときには、その人物を中心とした摂理の一時代は終わってしまうのである。しかし、そのみ旨に対する神の予定は絶対的であるので、神は他の人物をその代わりに立たせ……再び摂理なさるのである。したがって……同じ路程の歴史を反復するようになり、摂理的な同時性の時代が形成される」(『原理講論』436~437ページ)

 

このように、復帰摂理において、ある摂理的人物が勝利できなかったとき、代わりの人物を立ててそれを蕩減復帰していきます。例えば、アブラハムが失敗したため、イサクを立てて蕩減し、さらにヤコブへと延長されたのも、同様の内容です。結局、アブラハムもイサクもヤコブも、さらにヨセフも、彼ら全員が、将来、来られるメシヤが歩む道を準備するための模擬路程、象徴路程であるという事実を知らなければなりません。

 

ところで、真のお父様は、第二次世界大戦後、キリスト教の不信によって苦難の道を歩まれました。しかし、2001年4月18日、「米国50州巡回講演」でアメリカの牧師が真の父母様と一つになった勝利基準が立ったときに、真のお父様は、再臨主の行く道について次のように語られました。

 

「偽りの父母から血肉を受け継ぐことによって、亡国の環境となってしまったサタン世界の霊界と肉界を、どのように修理するのかということです。それは、修理すべき責任を持った『真の父母』という人が来て、神様のように数千年間かけて役事するのではありません。アダムが一代で完成することができなかったので、(先生)一代で解決しなければなりません。ですから、それは、どれほど途方もないことでしょうか?」(『ファミリー』2001年6月、9ページ)

 

「歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。先生一代で解決しなければなりません。アダム家庭が、一代で勝利できなかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのですから、それが、どれほど途方もないことであるかということを考えてみてください」(同、13ページ)

 

真のお父様は、この御言で「何代をかけてするのではない。アダムが一代で完成することができなかったので、一代で解決しなければならない」と、何度も繰り返し語っておられます。

 

また、「終末」とは、『原理講論』に書かれているように、メシヤが地上に降臨されたときに起こる善悪交差の時です。それは、メシヤが降臨された一点において善悪交差するのであって、何代かにわたって行われる摂理なのではありません。

まさしく、真のお父様が、「一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません」と明言しておられる通りです。

したがって、アブラハム、イサク、ヤコブの路程は、真のお父様が歩み、その続きであるヨセフ路程を亨進様が歩むという李氏の摂理観は、完全な誤りであり、お父様の御言、および原理の内容に反するものです。このような偽りの言説に惑わされてはなりません。

 

さらに、『原理講論』に書かれている記述について、もう少し厳密に説明すると、サタンを屈伏させる典型路程としてのヤコブ路程とモーセ路程は、「メシヤのための基台」を造成するための典型路程であり、したがってイエス様が彼らの路程を手本として歩んだのは、自らが洗礼ヨハネの代理となって「メシヤのための基台」を造成しようとした第二次世界的カナン復帰路程のときだけです。すなわち、イエス様が「メシヤのための基台」を造成してメシヤの立場に立ち、そののち、真の母を立て、真の子女を生んで、真の父母として歩む路程は、過去の誰も歩んだことのない路程を歩むようになっていたのです。したがって、真の父母様が人類歴史上、真の父母として初めて歩まれた路程を、過去の堕落人間たちによる「メシヤのための基台」を造成するための復帰摂理にあてはめて論ずること自体が誤りであることを知らなければなりません。

 

(2)「ヤコブが90歳の時にヨセフがエジプトの総理大臣になったように、真のお父様は90歳のときに、30歳の亨進様を相続者として立てられた」という言説の誤り

 

李鎬宅氏は、ヤコブが90歳の時、ヨセフがエジプトの総理大臣になったように、7男の亨進様も30歳の時に、お父様が90歳で、相続者として立てられたのだと主張します。これも、御言や聖書の年数に、何の根拠も持たない誤った言説です。

聖書の創世記に記述された年数は、『原理講論』に「象徴的同時性の時代」と表現されているように、あくまでも象徴的に現れた年数です。

実際に、聖書に書かれた年数をそのまま計算すると、象徴的同時性である120年、40年、21年、40年という数理的期間が出てくるようになります。(別表、「アブラハム~ヤコブ路程の『摂理的同時性』の年数」を参照のこと。)ヤコブ路程の年数計算表(聖句引用)

すなわち、アブラハムの召命からヤコブが祝福を受けるまでが120年間であり、ヤコブとエサウの対立期間が40年間。さらには、ヤコブがハランに行って苦役する期間が21年間、そして、ヤコブがカナンに帰ってきた後、エジプトに行くまでが40年間になります。

それゆえ、聖書に出てくる年数によれば、ヤコブが91歳の時に、ヨセフが生まれ、さらにヤコブが97歳の時に、カナンの地に帰還し、そして、ヤコブが130歳の時に、エジプトに移住して、147歳の時に亡くなったという計算になります。聖書(創世記)に記された年数は、このように象徴的な数字となっています。

 

ところが、真のお父様は、ヤコブが21年間のハラン苦役路程を終え、カナンの地に帰還して兄エサウを屈伏させた実際の年齢は40歳であったと、次のように語っておられます。

 

「21年が過ぎて、ヤコブが家に帰って来たとき……エデンの園におけるカインとアベルの関係を、ヤコブは兄エサウとの関係において、勝利しました。……ヤコブが長子権を獲得したのは、40歳の時でした」(『ファミリー』1996年6月号、37ページ)

 

このように、真のお父様は、ヤコブがエサウを屈伏させ、実体基台を勝利したのは、実際には40歳であったと語っておられます。このことで分かるように、聖書に記された年数は、あくまでも摂理的同時性に基づいて歴史が導かれていることを、人類に教え示すために記された〝象徴的数字〟であるという事実を知らなければなりません。

 

実際には、ヤコブが40歳で勝利したと、真のお父様は明確に語っておられます。ヨセフは、ヤコブが21年のハラン苦役をしている時に生まれた息子であるため、実際の年齢で言えば、60歳で生んだということは絶対にあり得ない、完全な誤りです。

それにもかからず、李鎬宅氏は、「ヤコブが60歳の時にヨセフが生まれたのと同様に、お父様が60歳の時に7男の亨進様が生まれた」と語っています。

 

また、仮に、聖書に出てくる象徴的数字で計算したとしても、ヤコブが91歳の時にヨセフが生まれた計算になります。

結局のところ、お父様の御言から見ても、聖書に書かれた年数から見ても、李鎬宅氏の言説は、でたらめであるという事実が分かります。

 

当然ながら、李氏が主張している「ヤコブが90歳の時にヨセフがエジプトの総理大臣になったように、真のお父様は90歳の時に、30歳の亨進様を相続者として立てられた」という言説は、御言や聖書に根拠がない完全な誤りです。

このような誤った言説に騙されてはなりません。

 

(3)「ヨハネの黙示録の11章を見ると、真のお父様が93歳で聖和されることが預言されている」という言説の誤り

 

李鎬宅氏は、ヨハネの黙示録を自分勝手に解釈し、ヨハネの黙示録11章にお父様が93歳で聖和することが預言されていると主張します。その解釈の要点は、「2009年の90歳で、30歳の亨進様を相続者として立てたので、そこから3年半、すなわち42か月を数えた93歳で聖和することになった」のだとします。

 

しかし、『原理講論』172ページを見ると、李鎬宅氏が引用している黙示録11章2節の直前にある黙示録10章11節の「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」という聖句を、再臨主が「原理」を解明して発表されることとして解釈しています。

 

そして、『原理講論』は、李鎬宅氏が引用する聖句の直後にある黙示録11章15節の「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった」を、キリストの顕現として解釈しています(参照:『原理講論』490ページ)。

したがって、李鎬宅氏のように、「原理解明」と「キリスト顕現」の途中に位置する黙示録11章2節を、真のお父様の「聖和」を預言する聖句として解釈するのには無理があり、その預言は、むしろ、再臨主が迫害され「苦難の道」を歩むが、それを乗り越えて勝利されることを意味する聖句として解釈することのほうが、『原理講論』の解釈と一致するものと言えます。

 

また、黙示録19章には、「小羊の婚宴」が記述されていますが、真のお父様は「アダムとエバがエデンの園で夫婦になることができなかったことを、歴史時代を通して克服し……真の父母を再現するその祝宴が『小羊の婚宴』です」(八大教材・教本『天聖経』2192ページ)と語っておられ、それが1960年の「聖婚式」を示すものとして解釈しています。

 

李鎬宅氏は、黙示録11章が「聖和」を預言するものと解釈していますが、その後の黙示録19章で、1960年の「小羊の婚宴」を預言する聖句が出てくるという事実を考えると、李氏の解釈は、「聖和」と「聖婚式」とが逆転した、つじつまの合わない誤った解釈であると言わざるを得ません。

 

(4)「清平役事が1995年から出発したが、そのときから統一教会は発展するのではなく、滅びて行くようになった」という言説の誤り

 

李鎬宅氏は、「36万双の祝福式が行われた1995年が、統一教会が最も発展したピークの時であり、それ以降、統一教会は発展するのではなく、滅びて行くようになった。その1995年は、清平役事が始まった年である。清平役事は決して良かったとは言えない」と、清平に対し、批判的に述べます。

 

しかし、清平を聖地として定められたのは、真のお父様です。真のお父様は、清平で精誠条件を立てられ、清平に基盤を築いていくための歩みをされました。その清平に対して、次のように語っておられます。

 

「清平の地は、世界の祖国の地、全人類の心情的故郷の地にならなければなりません。天地が仰ぎ得る勝利的創造理想を完成させ、天地が連結されて神様の心情を解怨成就できる地になるだけでなく、世界の故郷の地になり得る神聖な土地になることを祈ってきたのですが、これが本格的に出発できる時点に達しました。……今、世界185か国に私たちの基地がありますが、父母様の願いは、ここ(清平)をその185か国のあらゆる歴史的伝統を展示できる歴史的な基地にすることです。それだけでなく、この基地で各国の文化を背景にした伝統を新たなものにすることができ、天との関係をどのように結ぶかを教える修練所、教育場所を用意するのです。

そのようにするために準備した土地として祈っていたことが、そのまま歴史的な事実として連結され得るようになりました。このような世界版図を統一教会がもったことは、驚くべき勝利の結果であると考えているのです」(282-46、1997.3.10)

 

このように、真のお父様は、清平を「創造理想を完成させ、神様の心情を解怨成就できる地」「世界の故郷の地」「天との関係をどのように結ぶかを教える修練所、教育場所」として準備したのだと語っておられます。

また、真のお父様は、清平の地に、世界宣教の基地となっている185か国の歴史的伝統を展示することを計画しているとも語っておられました。今日、真のお母様は、「天地鮮鶴苑」の建設を打ち出しておられますが、これは、どこまでも真のお父様の願いを実現して差し上げたいという、お母様の切なる願いから来ているものなのです。

このように、真のお父様の精誠条件と祈祷によって、清平の地が「聖地」となっているという事実を、私たちは知らなければなりません。

 

ところで、真の父母様とキリスト教の牧師が一つになった基準を立てたときに、真のお父様は、次のように語っておられます。

 

「摂理史を知らなければなりません。……一代でこれを合わせなければなりません。皆さん。今(2001年)から12年残っています。皆さんの国を復帰しなければなりません。……ですから、先生は80歳になるときまで、どれほど忙しかったでしょうか? 統一教会は、97、98年から上がり始めたのです」(『ファミリー』2001年6月号、20ページ)

 

真のお父様は、統一教会は1997年、98年から上がり始めたと明言しておられます。

こう考えると、真のお父様が考えておられる認識と、「清平役事が1995年から出発したが、そのときから統一教会は発展するのではなく、滅びて行くようになった」と語る李鎬宅氏の認識は、あまりにも大きく掛け離れたものであり、全く一致していません。

李鎬宅氏は、御言中心主義を装って滔々と自説を述べていますが、彼の説く摂理観は、真のお父様の御言に根拠を持たない、誤った言説であると言わざるを得ません。

 

(5)「聖書の中に、メシヤが亡くなった後で、女性が相続することについて書かれているところはない。真のお母様は、女王ではあり得ない」という言説の誤り

 

李鎬宅氏は、「聖書の中に、メシヤが亡くなった後で、女性が相続することについて書かれているところはない」と述べていますが、このような主張は、聖書に対する〝無知〟が生み出した誤った考え方です。

 

聖書には、イエス様が十字架で亡くなった後、霊的真の母である「聖霊」が信徒たちを導いて指導していくことについて記されており、しかも「聖霊によらなければ、だれも『イエスを主である』と言うことができない」(Ⅰコリント12・3)とまで、明記されています。このように、十字架の後、霊的真の母である聖霊が、信徒たちを導いてきました。

イエス様は十字架で亡くなる前、十字架と復活の後に、聖霊(霊的真の母)が信徒を導くことについて、次のように語っておられました。

 

「父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。……助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」(ヨハネ14・16-26)。

 

このイエス様の預言通り、ペンテコステの日に聖霊が降臨し、それ以降、イエス様と共に聖霊がクリスチャンを導いていくようになりました。

原理が教えているように、霊的真の母である「聖霊」を通じてこそ、クリスチャンは霊的に重生されるのです。

前述したように、聖書には、「聖霊によらなければ、だれも『イエスを主である』と言うことができない」(Ⅰコリント12・3)とあり、さらには、「聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである」(テトス3・6)とも書かれています。

 

このように「重生」の役事は、真の父だけで成されるのではなく、必ず真の母を通じなければなりません。

それゆえ、イエス様は、「人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」(マタイ12・31-32)と、警告しておられるのです。

 

ところで、イエス様は、地上での肉身生活において、実体の真の母を復帰することができませんでした。真のお父様は次のように語っておられます。

 

「イエス様も、もし結婚して相対理想を成していたならば、亡くなられたりはしませんでした。殺すことはできないというのです。これは、相対理想の直接主管圏に連結することができ、原理で言えば、責任分担を完成した基準になるので、直接主管圏内に入っていくのです」(『ファミリー』2001年3月号、21ページ)

 

イエス様は、地上において「真の母」を立てることができず、十字架で亡くなられました。そのため、原罪を清算する道を開くことができませんでした。そして、十字架と復活の後、霊的真の母である聖霊と共に「霊的重生」の役事だけを行うようになったのです。結局、新約時代は、霊的救いのみで終わったのです。

 

しかし、再臨主であられる真のお父様は、実体の「真の母」を復帰され、原罪を清算する道を開かれました。それゆえ、成約時代、天一国時代を迎えることができたのです。「重生」の役事をなし得るおかたは、文鮮明・真のお父様と韓鶴子・真のお母様以外にはおられません。

『原理講論』には、「イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである」(321ページ)と書かれてありますが、そこには示唆に富む、意味深いものがあると言えます。

 

ところで、ヨハネの黙示録には、19章の「小羊の婚宴」の記述の後の、21章2節に「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た」とあり、さらに「『さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう』と御使が述べ、「御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた」とあります。その聖都エルサレムは、美しく着飾った花嫁のようであり、きらびやかな世界なのです。

また、22章17節には、「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」とあり、聖霊の臨在について語っています。

黙示録の記述は、メシヤが聖和された後、人類は「聖霊」の役事と臨在によって、常に「真の父母」と共に生活することができることを示唆するものと言えます。

 

また、真のお父様は、「皆さん、男性に尋ねれば『王になりたい』と答え、また女性に尋ねれば『女王になりたい』と答えるでしょう。いったいそれはどういうことでしょうか。本来のアダムとエバは、王であり、女王だったということです」(『真の家庭と家庭盟誓』141ページ)と語っておられ、完成したアダムが「王」であるなら、その相対であるエバは「女王」であると語っておられます。

 

このように考えると、李鎬宅の言説は、真のお父様の御言や、聖書の教えとことごとく食い違っている内容であることが分かります。

 

(6)「お父様が2013年1月13日を基元節に定めた理由は、アダムからノアの洪水審判までが1656年であり、その年数に韓国歴史の檀紀をプラスすれば、6001年になるからだ」の誤り

 

李鎬宅氏は、聖書に出てくる1656年の年数と、韓国歴史の檀紀4346年をつなぎ合わせて計算し、人類歴史は2013年をもって6001年になる。それゆえ、お父様は2013年を「基元節」に定めたのだと主張します。しかし、これは「木に竹を接ぐ」ような言説であり、歴史の進展には、人間の責任分担がかかわっていることを無視した、誤った言説です。

 

ノアの洪水審判までの1656年と、檀紀の4346年を足して、人類歴史が6000年の復帰摂理の終わりを迎えるというなら、2000年前、イエス様が地上で「真の母」を復帰できず、勝利できないことが初めから決定されていたと言わんばかりです。そこには、人間の責任分担があったのであって、当時のユダヤ民族が責任を果たしていたら、イエス様が十字架で亡くなることはなかったはずです。

 

ところで、18世紀頃までの時代は、聖書に記された年数をそのまま信じ、それに基づいて人類歴史を考察する、いわゆる「聖書年代学」がさかんでした。英国国教会のジェームス・アッシャー大主教(1581~1656)は、聖書の年数計算に基づいて「天地創造はBC4004年である。ノアの洪水は、アダムから1656年である」と計算し、人類歴史を約6000年と主張しましたが、このアッシャー大主教による聖書の年数計算は有名です。

 

しかし、その年数計算は、イエス様の死後、約60年を経たAD90年頃のヤムニヤ会議で定められたヘブライ語正典に基づいて計算された年数にほかなりません。

実は、イエス様の弟子たちである使徒たち、および教父が活躍した初代教会で広く読まれていたギリシャ語訳の旧約聖書、すなわち「70人訳聖書」の年数表記は、ヘブライ語正典と異なった年数表記となっており、アダムからノアまでが2256年となっていました。この70人訳聖書の流れを汲むのが、カトリック教会の聖書です。

 

シトー派修道会の院長を務めたポール・ペズロン(1639~1706)は、この70人訳聖書の年数に基礎をおいて、アダムからイエス様までの歴史を5873年と計算していました。すなわち、70人訳のギリシャ語の旧約聖書によれば、アダムからイエス様までで約6000年の年月が満ちていたのです。

70人訳聖書と現行の聖書の違いに対し、ペズロンは「1世紀頃のユダヤ人によって年数が改竄された。彼らは6000年を4000年に切り詰めることで、メシヤがまだ出現していないことを示そうとした」という仮説を主張したほどです。

 

しかし、今日では、死海写本の発見とその研究によって、もともと2種類の異なった年数表記があったことが明確となり、ペズロンが立てた仮説は誤りであったことが分かっています。では、この異なった年数表記が、なぜあるのか? そのことを説明できないでいるのが、キリスト教の聖書学における悩みの一つです。

 

いずれにせよ、現行の聖書に書かれた年数表記で計算すれば、アダムから現代までが約6000年になっているというのは、明白な事実です。

しかしながら、真のお父様は、この聖書の6000年という年数表記に対し、何度も繰り返し、次のように語っておられます。

 

「人間が堕落してから今に至るまでの救援摂理歴史というものは、6000年ではありません。何千万年です。そのことを知らなければなりません」(『ファミリー』2001年6月号、8ページ)

 

真のお父様が、「人類歴史は6000年ではない」と語られた御言は、他にも数多くあります。このように、6000年ではないと何度も繰り返し強調して語ってこられたお父様が、聖書に書かれたアダムからノアの洪水審判までの年数1656年と、檀紀の年数4346年という端数のある数字を合算し、あえて6000年という数字にこだわって「基元節」を決められたと主張するのは、実に奇妙な話しであると言わざるを得ません。

 

ところで、真のお父様は、本来なら、すべての摂理を2000年までに終えたかったとし、次のように語っておられます。

 

「2000年までに、先生は世界を一つの国として完全に収拾していかなければなりません。私たちの手によって10年以内にすべてが終わるのです。……先生が80歳になれば、世の中の問題は、すべてが解決するのです」(1990.2.27)

「先生が80歳になる前に、世界は一つにならなければなりません」(1990.11.17)

「1980年代からは統一教会が栄光の中に入っていくことになるのです。あなた方さえしっかりやれば、2000年前に、みな終わります」(1980.1.1)

 

真のお父様は、全ての摂理を2000年までに終わらせたいと、何度も語って来られましたが、弟子たちの不足によって、2000年までに摂理を完結させることができませんでした。真のお父様は、次のように語っておられます。

 

「父母がカイン世界を救うために犠牲になったのと同じように、興進君と霊界に行っている4人の子女たちは……中途で急死した人たちです。……皆さんが間違った環境をつくり……そのような事故が起きたということを知らなければなりません。……蕩減復帰の恨を抱いていく神様と真の父母様に重荷を負わせたという恥ずかしい事実を知らなければなりません」(2001.1.1)

 

こうして、弟子たちが責任を果たせなかったことで摂理は延長され、2004年5月5日の「双合十勝日」をもって「後天時代」を迎えることができました。真のお父様は、2004年7月8日の第9回「安侍日」に、次のように語っておられます。

 

「イエス様が失敗していなければ、イスラエル国を建てていたのと同じように、先生が生涯を通して、境界線を解放しておかなければなりません。しかし、今(数えの)85歳ですが、80歳でカナンを復帰して天下統一をしなければならなかったにもかかわらず、それができなかったのです。……まだアベル・カインが残っているので、第二次の祝福を受け、アベル・カインの撤廃を宣布したのです。

そして、今から120年(120歳)になる時までに、すべてを終えなければなりません。……それを管掌する先生は、最初の40年、80歳までの40年、今の40年を、それぞれ4年として、2001年から2012年まで、92歳を中心とする2012年までにすべてを終えるのです」(『後天時代と真の愛の絶対価値』255ページ)

 

この御言で分かるように、本来、2000年までに終えるべきだった摂理を終えることができなかったため、最初の40年、すなわち1920年から60年までの40年を第1次4年路程とし、次に1960年から2000年までの40年を第2次4年路程とし、さらに2001年から2040年までの40年を第3次4年路程として、失敗も延長もなかった基準を蕩減復帰することを目標に設定されたのが、2013年1月13日の「基元節」です。

ゆえに、2001年1月13日の「神様王権即位式」から2013年1月13日までの12年を経て「基元節」を迎えるというのが、お父様ご自身による説明です。このように基元節は定められました。(図表「真のお父様が語っておられる摂理観」を参照のこと)

真のお父様が語っておられる摂理観

このように見て行くと、李鎬宅氏の語る摂理観は、真のお父様の御言に根拠をもたない、でたらめな摂理観であると言わざるを得ません。

 

(7)「お父様が清平の210代先祖解怨を指示されたのは、洪水審判まで210代になるからだ。アダムまで遡ると220代しかならないのに、清平が420代解怨を推奨するのはおかしい」という言説の誤り

 

李鎬宅氏は、聖書に記された年数を文字通り信じる立場から、アダムまで遡っても220代しかならないのに、清平が420代の先祖解怨を推奨しているのはおかしいと述べ、清平を批判します。

しかし、前述したように、真のお父様は、人類歴史は6000年ではないと明確に語っておられます。

 

ちなみに、メソポタミアでは19世紀以降、組織的な考古学の発掘調査が行われ、中でも1929年に、ユーフラテスに近い砂漠で、イギリスの考古学者サー・レナード・ウーリーがシュメール人の都ウルの発掘をするなかで、「大洪水」の跡を発見し、それが広範囲に及んでいることから、ノアの洪水ではないかと世界的に話題になりました。彼の説によれば、その地方を約6000年前に大洪水が襲ったというものです。

摂理的同時性の理論値から言えば、ノアの洪水は約4480年前ですが、サー・レナード・ウーリーによる考古学的な見地から言えば、大洪水は約6000年前ということになります。

 

いずれにせよ、真のお父様が、「人類歴史は6000年ではない」。実際はもっと長い年月であると語っておられることから考えれば、420代の先祖解怨を推奨することは、何らおかしいことではありません。

 

ところで、李鎬宅氏は、亨進様こそが摂理の中心存在であるかのように主張しています。しかし、人類歴史における永遠の中心存在は「真の父母」です。

真のお父様は、次のように語っておられます。

 

「人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、摂理の願いです。ですから、そのような真の父母が現れるときは、歴史上で一度しかない定点をなす時であり、空前絶後の時なのです」(八大教材・教本『天聖経』2003ページ)

「人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いです。それで真の父母が現れる時は歴史上に一度しかない頂点を成す時であり、空前絶後の時なのです」(同、341~342ページ)

「真の父母は、永遠に一組しかいません。アダムとエバ、最高の先祖は、二組ではなく、一人の女性と一人の男性です。彼ら人間の先祖が真の父母にならなければならなかったのですが、堕落することによって偽りの父母となりました。ですから、絶対的な父母を再び探し出さなければ、神様の創造理想を実現することはできません。このような論法に照らしてみれば、愛し合う新郎と新婦を中心とした真の家庭、真の理想国家、真の理想世界をつくろうという内容を教えてくれる宗教でなければ、真の宗教ではありません。真の宗教とは、真の父母が現れなかったので、真の父母が現れてこそ、真の家庭を築くことができるという理論をもった宗教です」(257-131、1994.3.14)

 

真のお父様は、このように「真の父母」は永遠に一組しかいない、空前絶後の真の父母であると語っておられます。人類は、どこまでも真の父母を中心に一つになるべきであって、その他のいかなる人も、真の父母に代わることはできません。真の子女様も、真の父母に侍って一つになっていかなければならないのであって、父母様が子女様に合わせるのではありません。李鎬宅氏の言説は、人類が「真の父母」を中心に永遠に一つになっていこうとする道を阻んでしまう、偽りの言説と言わざるを得ません。

 

また、真のお父様ご自身は、復帰摂理の完成を「自分一代で成し遂げなければならない」と語られ、その御言の通りに、2010年天暦5月8日と同月15日の二度にわたってアメリカのラスベガスで、真の父母様の「最終一体」を宣布され、さらに2011年12月11日、天正宮博物館において「すべての摂理の完成・完結・完了と最終勝利を宣言する」と語り、「最終勝利」を宣布しておられます。そして、聖和されるときに「全て成した」と宣布しておられます。

 

それにもかかわらず、李鎬宅氏は、まるで真のお父様が使命半ばにして聖和されたかのように主張しています。

皆様におかれましては、この偽りの言説を見破り、李鎬宅氏に荷担することがないよう、十分に気をつけていただきたいと思います。

以上