「誤った真の父母観」を教育する〝非原理集団〟サンクチュアリ教会 ― み言:「堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません」

文責:教理研究院

           注、真の父母様のみ言や『原理講論』は「青い字」で、サンク
チュアリ教会側の主張は「茶色の字」で区別しています。

 2018年3月16日から21日まで、非原理集団「サンクチュアリ教会」では、静岡県の御殿場でセミナーを開催し、劉正玉氏が講義を行いました。劉氏が準備した講義案の57ページには、お母様は「メシヤであられる真のお父様によって原罪を清算する天の儀式を行って聖婚式を行い」と書かれています。
 劉氏は、講義で「韓氏オモニの原罪を清算する佳約式(かやくしき)という儀式が……36家庭の立ち会いの下に行われた」と説明しています。つまり、サンクチュアリ教会側が教育している真の父母観とは、「無原罪誕生のお父様」と「有原罪誕生のお母様」が「佳約式」を通じて、お母様の原罪清算をし「聖婚」されたというものです。
 しかし、このような「真の父母観」は、真のお父様のみ言と根本的に食い違っています。お父様は、堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』584ページ)と語っておられます。お父様は「堕落していないエバ」を探し出し、結婚をして「人類の父母」となるのだと語っておられるのです。すなわち、お母様は、お父様との出会いによって「堕落していないエバ」になったというのではなく、お父様と出会う前に、すでに「堕落していないエバ」であると言われているのです。
 私たちは、み言と原理を中心として〝正しい真の父母観〟をもち、真の父母様に対する「絶対信仰」でVISION2020勝利のために邁進していかなければなりません。
 以下、サンクチュアリ教会が教育している「真の父母観」の〝誤り〟について指摘していきます。

(1)お母様は「佳約式」で「原罪清算」したという虚偽の主張
 劉正玉氏は、「佳約式」という「天の儀式」で、お母様が「お父様によって原罪を清算」されたという「真の父母観」を述べています。これは、前述の通り〝虚偽の主張〟です。
 まず、「佳約式」についてですが、韓鶴子総裁還暦記念文集『真の愛の勝利者』に収録された池生蓮氏の証しでは、「1960年3月27日(陰3月1日)の朝4時、天は当時、一輪の花のようだった韓鶴子様をお相手として決定なさったのです。……佳約式(夫婦になる口固め)に出てこられたお母様は、きわめて慎重で注意深かったです。天の摂理の道の第一歩を踏み出されるお母様の姿には、天が6000年の復帰摂理を通じて準備しておかれた宇宙の母としての品位が滲みでていました」(136~138ページ)とあります。
 すなわち「佳約式」とは、お父様とお母様の「約婚式」のことであり、さらに「父母の日」が制定されるようになった歴史的な日なのです。
 また、み言集『牧会者の道』には、「佳約式」について、次のように記されています。

 「1960年陰暦3月1日(陽暦3月27日)4時、青坡洞一街、前本部教会でこの時間にお母様(韓鶴子女史)との正式約婚式を挙行なさったのだが、その翌年からこの日が『父母の日』として定着した。(劉孝元氏の筆記帳)(1092~1093ページ)

 このように1960年陰暦3月1日(陽暦3月27日)4時に、お父様とお母様の正式な佳約式(約婚式)が挙行されたのであり、これはお母様が「お父様によって原罪を清算」したという「天の儀式」なのではありません。
 また、初代協会長であり、3家庭の一人である劉孝元先生の筆記帳には、「韓氏オモニの原罪を清算する佳約式(かやくしき)という儀式」とは書かれていません。事実、「佳約式(約婚式)」は原罪清算の儀式であるというみ言は存在しません。お父様は、「佳約式」を挙げられたその日を、翌年「父母の日」として定められ、その意義について次のように述べておられます。

 「メシヤは新郎として来られるのですが、新郎は新婦を探し求めなければなりません。新婦はエバです。エバを失ってしまったので、メシヤはこの地上に来て、エバを探し出さなければなりません。統一教会では、『真の父母』という言葉を中心として、歴史上、初めて『父母の日』を発表しました。神様の本然の愛を中心とした男性と女性が夫婦になる『父母の日』を設定したのです」(『真の父母經』五篇三章二節7、509ページ)

 このように、お父様は「神様の本然の愛を中心とした男性と女性が夫婦」となる正式な約婚式を挙げた日を「父母の日」として宣布されました。ここで注目すべき点は「神様の本然の愛を中心とした男性と女性」「夫婦」になると語られていることです。ここでの「神様の本然の愛を中心とした男性」とは「文鮮明・真のお父様」のことであり、「神様の本然の愛を中心とした女性」とは「韓鶴子・真のお母様」のことを述べておられるのです。したがって、「佳約式(約婚式)」とは、「神様の本然の愛を中心とした男性と女性」「夫婦」となる〝正式な約束〟を天の前に奉献された式なのです。
 したがって、「佳約式(約婚式)」は、劉氏が勝手に述べているような、お母様の「原罪を清算」した「天の儀式」というものではありません。劉氏はサンクチュアリ教会にすり寄って、恣意的な解釈に基づき「誤った真の父母観」を述べており、非原理的教育を行っているのです。

(2)お母様は「原罪を持って誕生された」というみ言は存在しない
    サンクチュアリ教会側の〝み言の誤訳〟に基づいた勝手な主張
 サンクチュアリ教会では、み言の誤訳に基づいたお父様のみ言を引用しながら、お母様は「原罪を持って誕生された」と主張しています。彼らは、ブログで「太田朝久講師よ、いい加減にしなさい!」と高飛車的に述べ、自分たちこそが「正統信仰」をもっているかのように自称しています。
 しかしながら、サンクチュアリ教会側が根拠としているお父様のみ言なるものは、原典に当たって確認をしてみると、それは誤訳に基づいているものです。

正しい翻訳は、「堕落した血統を受けてとしなければならない
 まず、彼らが「お母様の有原罪誕生」の根拠としているみ言を以下、引用します。

「어머니는……타락한 핏줄을 받고 태어났어요」(マルスム選集461-26)

 このみ言については、すでに「真の父母様宣布文サイト」に(1)「『お母様は堕落の血統をもって生まれた』という主張について」(https://trueparents.jp/?page_id=2569)で扱っていますので、詳しくは、それを参照するようにお願いいたします。
 それを簡潔に述べると、上記のみ言は「お母様は……堕落した血統を受けて生まれました」と訳すべきみ言です。ところが、サンクチュアリ教会では「お母様は……堕落した血統を持って生まれてきたのです」と訳しており、いかにもお母様が「原罪を持って」生まれたかのように誤訳します。彼らは、その誤訳したみ言に基づいて「お母様の有原罪誕生」を主張しているのです。実に悪意のある言動です。
 別のみ言の原典を下記に引用し、上記のみ言を翻訳するときに「受けて」「持って」と、どちらに訳すことが正しいのかについて見てみましょう。

 「어머니도 타락한 천사장의 핏줄을 받은 사람이에요. 선생님까지도 그래요」(同419-102)

 このみ言は、「お母様も堕落した天使長の血統を受けたです。先生までもそうですと訳すべきみ言です。先ほどのマルスム選集461-26の「핏줄을 받고「血統を受けてと訳さなければならないみ言ですが、もし、そう訳さずに「血統を持ってと訳すとするなら、このマルスム選集419-102のみ言も「お母様も堕落した天使長の血統を持った人です。先生までもそうです」と訳さなければならなくなります。
 そうなると、お父様も「堕落した天使長の血統を持った人」であるということになり、お母様だけではなく、お父様までも「原罪を持って生まれた」という意味になってしまいます。したがって、マルスム選集419-102の「타락한 천사장의 핏줄을 받은 사람」「堕落した天使長の血統を持った人」と訳すのは誤りであるのが分かります。
 それゆえに、サンクチュアリ教会が根拠としているマルスム選集461-26の「타락한 핏줄을 받고「堕落した血統を持ってと訳すのは、誤訳であることが明白です。
 では、この「堕落した血統を受けて」「天使長の血統を受けた人」というみ言の意味は、どういう意味なのでしょうか。それは、『原理講論』に「万民の救い主が、罪悪の血統を通じて罪のない人間として来られてから、罪悪の血統を受け継いだ子孫たちを救われる」(573ページ)と論じられているように、イエス様もそうであったごとく、お父様もお母様も共に「罪悪の血統を通じて」生まれて来られるという意味なのです。しかしながら、お父様もお母様も共に「罪のない人間として」生まれ、「罪悪の血統を受け継いだ子孫たちを救われる」こと、すなわち「無原罪」の真の人間として誕生されて、真の父母となられ人類を救われる方であることを述べているみ言なのです。

文脈を無視した恣意的なみ言解釈
 また、サンクチュアリ教会では、以下のみ言を引用しながら、お母様は「有原罪誕生」であると主張しています。

 「オモニを見ると血統が違います。血統で残るのは父子が残るのです。……オモニは畑です、畑。種は畑さえあればどこに植えてもいくらでも実を結ぶのです。ですから父子関係は血統が連結されているのです」(マルスム選集318-172、訳文は澤田氏のブログから)

 まず、上記のみ言を見ると、お母様が「原罪を持って生まれた」と述べている箇所はどこにもありません。ただ、「オモニを見ると血統が違います」と述べておられるだけです。その後に続く内容も、「血統で残るのは父子」だと述べておられるに過ぎません。そして、お父様は、その具体例として、父と母と子の関係を、種と畑と実の関係として、自然の法則に基づいて説明しておられます。その中で、「種は畑さえあれば……実を結ぶ」と語られた点に注目しなければなりません。
 この内容を逆説的に述べるならば、「種は畑がなければ実を結ぶことはできない」というように理解することができます。それゆえ、かえって〝畑の重要性〟を述べておられるみ言であるとも言えるのです。その後で、父の「種」と、母の「畑」さえあれば、「父子関係は血統が連結されている」と続けて語っておられる内容を見ても、そのことが明確に理解できるでしょう。
 父だけでは子女に血統を連結させられないからです。すなわち、『原理講論』に「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか」(264ページ)とあるとおりです。父の「種」と、母の「畑」とが一つとなって、初めて子としての「実」を結ぶのであって、そうであるがゆえに「父子関係は血統が連結」すると述べておられるのです。
 したがって、「オモニを見ると血統が違います」と語られているその主旨は、「原罪を持って生まれた」という意味ではなく、自然の法則から見てそれを説明するならば、〝父の種〟としての血統と、〝母の畑〟としての「血統が違います」という意味として理解すべきものなのです。
 このみ言をもってして、お母様は「原罪を持って生まれた」という根拠のみ言とはなりません。これも、彼らの悪癖とも言いうる〝文脈〟を無視した恣意的解釈に過ぎません。

③「独生女」に対する間違った批判
 サンクチュアリ教会では、以下の2つのみ言を引用しながら、「独生女論捏造に邪魔なので家庭連合が削除」したと主張しています。その部分を、分かりやすく理解するために、削除したみ言とされる部分は、澤田氏のブログに掲載された翻訳文を引用して「茶色」で表記します。その他の箇所は、教理研究院が翻訳したものを記載し「青色」で表記します。

 あなた達が、何、先生が原罪があるのか、ないのかと言うことができません。神様が原罪のある先生を使うと思うの? 16歳までアダムとエバの血統が間違っていません。なぜ、16歳を重要視するのですか? 16歳までは堕落しませんでした。その継代を引き継ぐのです。それ以前まで掘り下げて先生が原罪があるのか、ないのかということを自分たちが決定できますか? 意味のないことをしています。私がそのようなことを考えず、ここで教主の役割を行い、血統を正すと言えますか? 私は幼い時から、天が教えてくれました。血統が正常的なのか、そうでないのか、聞かなかったと思う?」(2012年ご聖誕日記念出版マルスム選集608-276、正式版マルスム選集608-262)

 上記の茶色のみ言の部分は、現在、出版されている正式版マルスム選集608巻には掲載されていません。しかし、その理由は「独生女論捏造に邪魔」だからなのではありません。
 もし、「独生女論」の捏造のために削除したというのであれば、削除後に続く「神様が原罪のある先生を使うと思うの?」の部分や、「私は幼い時から、天が教えてくれました。血統が正常的なのか、そうでないのか、聞かなかったと思う?」などの部分をも削除したはずです。しかし、その部分は削除されていません。さらに、削除されたみ言の青い部分だけを読んでみても、お父様は原罪なく生まれたことを十分に理解することができます。したがって、み言が削除された理由は「独生女論捏造に邪魔」だからなのではありません。
 以上のように、一つ一つのみ言を調べてみても、お母様は「原罪を持って生まれた」という根拠となるお父様のみ言は、存在しませんでした。それにもかかわらず、お母様は「原罪を持って生まれた」としきりに騒ぎ立てる根本原因には、彼らの説く「誤った真の父母観」があるのです。
 彼らがみ言を恣意的に解釈し、「独り娘」であられる真のお母様を批判すること自体が、お父様の悲しみであり、究極的には神様の悲しみであることを知らなければなりません。

(3)お母様の天の前に誓った〝決心〟は不変である
 澤田地平氏は、お母様が最近語られたみ言のある一部を不正確に引用して、それを、あたかもお母様が語られたみ言であるかのように創作し、お母様批判に悪用しています。澤田氏のブログ記事を下記、引用します。

 「韓氏オモニは、最近になって『50年間言わないで来た、知っていたけど黙っていた、話したいところを我慢して耐えてきた、話をすることが出来る時を待っていた』と語っています」

 この記述内容は、正確なみ言引用ではありません。これは、彼が意図的に創作したもので、改竄行為と言いうるものです。彼はブログの記事で、根拠となるお母様のみ言の一部分を、以下のように4つ列挙しています。

①「私は50余年の間、何も言いませんでした。すべて知りながらも黙っていました」(2017.10.25)
②「ですから50年の間、耐えてきたのです。知らなくてそうしたのではありません」(2017.10.25)
③「私でなければならないと決心したのです。ですから私は話すことのできる時を待っていたのです」(2017.11.4)
④「私は50年間待って、『私が独り娘である』と宣布しました」(2017.12.15)

 上記のみ言をひとまとめにして、澤田氏は、お母様が「50年間言わないで来た、知っていたけど黙っていた、話したいところを我慢して耐えてきた、話をすることが出来る時を待っていた」と語られたのだと主張します。
 これは、前述した通り、不正確な引用であり、悪意に基づいた創作文です。この創作した文章を用いて、彼は、さらに次のように批判しています。

 「韓氏オモニは…。真のお父様のご存命期間中は本音を言うことが出来なかったということを、隠さなくなっています。これは、お父様への裏切り…。…50年間隠していた秘密」(澤田氏のブログ記事より)

 お母様のみ言を改竄するのみならず、それを悪用し「お父様への裏切り」と述べる、実に悪意のある主張です。そこで、まず、彼が列挙している4つのみ言の前後を引用し、その文脈から見て、お母様のみ言の真意を確認していきます。

【⓵について】2017年10月25日、韓国の天正宮博物館で、「天地人真の父母様招請元老牧会者特別集会」が開催されました。その場で、お母様は次のように語られました。

 「韓民族を善の民族として育ててこられながら、最後にキリスト教の背景から独り娘を探して立てなければなりません。それが摂理です。私は50余年の間、何も言いませんでした。すべて知りながらも黙っていました。私は皆さんとは違います。生まれながらにして違うのです」

 以上のように、お母様は、「キリスト教の背景から独り娘」を探し立てることが、神様の「摂理」であったと述べておられます。お母様は、そのような神の摂理に対し「50余年の間、何も言いませんでした。すべて知りながらも黙っていました」と述べておられるだけです。
 すなわち、お母様自らが「独り娘」について、今まで語られなかったと述べているみ言なのです。しかし、お父様は「独り娘」について、次のように明確に語っておられます。

 「神様のひとり子、イエス様がこの地上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様がひとり子だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘も送られたでしょう。神様の2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、2000年のキリスト教の歴史は、娘を求めるための歴史です」(『真の父母經』一篇二章一節7、69ページ)

 このみ言は、1959年10月11日(日)、韓国の旧本部教会においてお父様が語られたものであり、マルスム選集7巻の303ページに掲載されています。このみ言は、「独り娘」について語られたみ言のうちで、記録に残っている最初のみ言です。
 お父様は、「イエス様がひとり子(独生子)だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘(独生女)も送られたでしょう」と語られました。しかしながら、「真の娘の姿がないので、(イエス様は)神様のみ旨を成し遂げることができませんでした」と語られ、それゆえに今日までの2000年のキリスト教の歴史は、「新婦(独生女)を求めるための歴史」であったと述べておられます。お母様が「キリスト教の背景から独り娘を探して立てなければなりません」と語られたように、お父様も聖婚される以前から、「独り娘」に関する教育をして来られているのです。
 したがって、お父様の聖和後に、お母様は「50余年の間、何も言いませんでした。すべて知りながらも黙っていました」と語られた理由は、「50年間隠していた秘密」でもなく、まして「お父様への裏切り」でもありません。それは、お母様自らが「独り娘」について50年間、語ってこられなかったという意味に他なりません。このような批判は、彼らの悪意と、み言に対する〝無知〟のゆえになされている批判に過ぎません。

【⓶について】続いてお母様は、同日、次のように語られました。

 「ついには(お父様と)私との出会いによって、私は決心しました。当時、私の年は17歳で、幼い年齢です。複雑な内容もみな知っていました。知っていたのにもかかわらず、なぜ結婚すると決心したのでしょうか。神様を思ったからです。『神様を解怨してさしあげる道は、私でなければならない』と思いました。ですから50年の間、耐えてきたのです。知らなくてそうしたのではありません

 このみ言も、お母様が「50年の間、耐えてきた」その深い心情を、文脈から読み取ることができます。すなわち、お母様はお父様と聖婚されるとき、「神様を解怨してさしあげる道は、私でなければならない」と強く決心され、今日まで絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を歩んでこられたのです。したがって、これも、お母様が「独り娘」であることを、お母様ご自身が「50年間隠していた秘密」として、ずっと隠しもって耐えてこられたという意味なのではありません。彼の主張は、文脈を完全に無視したものに過ぎず、悪意に基づいたものです。

【⓷について】続いて、2017年11月4日に語られた、お母様のみ言を引用します。

 「1960年、私は摂理を知りました。『私でなければならない』と決心しました。ですから、私が話すことのできる時を待ちました

 このみ言は、お母様は1960年、神様の摂理を知るようになり、神様を解怨してさしあげる道は、「私でなければならない」と決心して、いつか、神様の摂理について「私(お母様)が話すことのできる時を待ちました」という内容に他なりません。すなわち、お父様は「独り娘」について語ってこられましたが、お母様自らが、神様の摂理の真実である「独り娘」について語る時がやがて来るので、その時を待っていたという意味で述べておられる内容なのです。
 お父様は、お母様について「私(お父様)が死んでも統一教会を導くことができる能力もあるので、お母様が説教する時が来るのです」(『真の御父母様の生涯路程⑩』351ページ)と述べておられました。それゆえ、摂理の真実をお母様ご自身が「話すことのできる時を」待っておられたのです。澤田氏たちが批判するように、お母様は「真のお父様のご存命期間中は本音を言うことが出来なかった」から、「話すことのできる時」を待たれたというのではありません。

【⓸について】最後に、2017年12月15日に語られたお母様のみ言を引用します。

 私は50年間待って、『私が独り娘です』と宣布しました。人類は独り娘の誕生とともに、真の父母に出会わなければ、天の前に出て行くことができません」

 このみ言はお母様自身が50年間待って、「私が独り娘です」と宣布したと述べておられる内容です。お父様は「独り娘」について、次のように語っておられます。

 「イエス様は人類の真の父であり、聖霊は人類の真の母です。したがって、聖霊が実体をまとって降臨しなければならないのですが、実体であるひとり娘が現れなかったので、そのみ旨を成し遂げられなかったというのです」(『真の父母經』一篇一章二節35、44ページ)

 このように、お父様は、聖霊とは「人類の真の母」のことであり、その実体をまとって降臨しなければならないと述べておられます。さらには、聖霊の実体とは「ひとり娘」のことであるとも述べておられます。すなわち、聖霊の実体とは「人類の真の母」であり、「ひとり娘」のことです。しかし、イエス様の時には、聖霊の実体である「ひとり娘」を探して立てることができず、現れなかったと述べておられます。さらに、お父様は「聖霊」について、次のように語っておられます。

 「聖霊は、神様の娘として来られました。神様を解怨するその日が、『小羊の婚宴』の日です」(同、一篇二章一節7、69~70ページ)

 お父様は、「聖霊」「神の娘」として来られ、「小羊の婚宴」の日が、「神様を解怨」するその日であると述べておられます。

 以上の内容を整理すると、お父様が語られる「ひとり娘」とは、「聖霊の実体」であり、「神の娘」であり、「人類の真の母」として来られた方であり、その方こそが「韓鶴子・真のお母様」であり、人類の真の母なのです。
 2017年12月15日に語られた内容は、お母様自らが50年間待って「私がひとり娘です」と満天下に堂々と宣布されたとおっしゃっておられるみ言なのであって、「50年間隠していた秘密」という意味のみ言ではありません。
 お母様の、お父様とご聖婚するときの「神様を解怨してさしあげる道は、私でなければならない」という強い決心は、今も変わることなく、天の父母様の夢、真の父母様の夢をなすため、〝中断なき前進〟をもって歩んでおられることを知らなければなりません。

 以上のように、サンクチュアリ教会がお母様は、「メシヤであられる真のお父様によって原罪を清算する天の儀式(佳約式)を行って聖婚式」を挙げたという主張は誤りであり、さらに、お母様が「原罪を持って誕生された」と述べておられるお父様のみ言も存在していません。
 また、お母様自らが「独り娘」について語られるみ言は、お父様に対し「50年間隠していた秘密」でもなく、かつ「お父様への裏切り」でもありません。
 サンクチュアリ教会の「『無原罪誕生のお父様』と『有原罪誕生のお母様』が、『佳約式』を通じて、お母様の原罪を清算され聖婚された」という「真の父母観」は根本的に〝誤った主張〟なのです。
 ヨハネの黙示録にある「鉄の杖」について、『原理講論』には「地上天国を復帰するみ言」「彼(再臨主)のみ言」(572ページ)であるとはっきり解明されているにもかかわらず、「鉄の杖=銃」であるとしてライフル銃を携帯し、弾丸ベルトを王冠であるとして被ったりする異常な集団「サンクチュアリ教会」。この『原理講論』の教え、真のお父様の教えから完全に逸脱した教義解釈をする非原理集団に異を唱えず追従するだけの澤田地平氏。彼にはみ言をもって人類の真の母を批判する資格などないと言えるでしょう。
 私たちは、彼らが述べる「誤った真の父母観」に惑わされることなく、天の父母様と真の父母様と一つになって、VISION2020勝利に向けて邁進していきましょう。