文責:教理研究院
注、真の父母様のみ言および『原理講論』は、「青い字」で、UCI(いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」で区別しています。
UCI(いわゆる「郭グループ」)側を支持する人々は、金鍾奭著『統一教会の分裂』(日本語訳)を、2016年の秋頃から日本で集会を行って広めています。
この書籍は、お母様がお父様に反逆しておられるかのように述べており、「最終一体」は条件的な約束に過ぎないものであって、お父様はお母様と一体化できないことに対して苦心しておられたかのように論じています。
すでに述べた反論文で、この書籍の内容が、み言の改竄や誤訳による意図的な〝虚偽のストーリー〟であることを明らかにしました。
〝虚偽〟を暴く(2)の「金鍾奭氏が主張する『アイデンティティ』の誤り・その1」では、金鍾奭氏が言う〝統一教会の核心アイデンティティ〟の誤り、および統一教会の伝統に関する顯進様のアイデンティティのうち、〝復帰摂理の中心が創始者ではないとする誤り〟〝創始者を神様の実体として崇拝していると批判する誤り〟について指摘しました。
以下、前回に続いて、統一教会の伝統に関する顯進様のアイデンティティのうちの〝真の家庭のアイデンティティ〟の誤りについて指摘します。
【問題点その③-真の家庭のアイデンティティの誤り】
(1)真の家庭を、真の子女様家庭としている誤り
〝真の家庭のアイデンティティ〟に関して、まず、問題となる『統一教会の分裂』の部分を以下、引用しておきます。
「第三に文顯進は『真の家庭』の価値と役割を明らかにしている。真の家庭を統一教会創始者(注、お父様)の直系の家庭と定義しながらも、『拡大された真の家庭』という用語を使って真の家庭の意味を拡大している。『神様→真の父母→真の家庭→拡大された真の家庭』に連結される絶対者の血統の拡大過程において創始者の真の家庭(直系家庭)の責任を強調した。彼にとって『真の家庭』は、完成すべき復帰摂理の1次目的であり、真の父母出現の理由であり、人類全体が志向すべき神様の第一の理想である。したがって、真の家庭は人類を代表する家庭であると同時に人類のモデル的家庭であり、復帰摂理の為に全ての犠牲を甘受しなければならず、神様の理想実現の為の実体的生き方を生きなければならないと彼は主張する」(64ページ。太字は教理研究院による、以下同じ)
「祝福家庭として皆さんのアイデンティティは神様、真の父母様、そして真の家庭の縦的な軸に連結されることによって始まるのです」『神様の夢の実現244頁』(65ページの注釈。注:文顯進著『神様の夢の実現』日本語訳では261ページ)
「現在、文顯進は、前に言及した通り、『神様→真の父母→真の家庭→拡大された真の家庭(祝福家庭)』と繋がる血統復帰の価値を固守しており、超宗教的な奉仕と理想家庭実現の為の平和理想世界実現運動を『One Family Under God』の名前で展開している。ところが、文顯進も真の家庭(創始者の直系家庭)の血統が全人類に伝授される(何らかの)儀礼としての手段が必要だったものと見られる。それ故か、2015年6月に米国シアトルで祝福結婚式を主管したという。推測すると彼は、創始者が今まで示してきた血統復帰の為の伝統や儀礼を、普遍的で世界化された儀礼にデザインし直して引き継いでいくように見られる」(66ページ)
「エデンの園でアダムとエバを通じて神様が人類歴史の最初に成したかった願いは、真の家庭を立てることであった。何故なら、真の家庭の中でこそ、真の愛、真の生命、真の血統を実体化することができるからである」(78ページ)
「文顯進、文國進、文亨進、彼らは創始者の復帰された血統に生まれた『真の家庭』の息子たちだ。統一教会では、彼らの体に流れる血統の宗教的価値は、統一教会のアイデンティティを代表するだけに重要だ。創始者は神様の血統が、創始者の真の家庭を通して、全人類に接ぎ木されると主張してきたのだが、その意味から見た時、全人類に接ぎ木される血統が、この三人の息子の血統に流れているというわけだ」(239ページ)
「2011.12.1. 韓国GPC文顯進の演説.文顯進は、自分が認識する統一教会の核心アイデンティティを明らかに言及した。……③真の父母と真の家庭の出現は、アダム・エバ家庭が成し遂げられなかった神様本然の真の愛のモデル家庭を回復し、地上に天国を成すためにある」(302ページの注釈)
「『神様の血統』が『神様→真のお父様(創始者)→真の家庭(文顯進家庭)→統一教会の祝福家庭→人類』につながる『血統復帰信仰』も強く要求しているという事実に注目しなければならない」(315ページ)
「今のままでは、韓鶴子以降の統一教会が真の家庭のない統一教会になることは明らかだからである」(321ページ)
以上、『統一教会の分裂』から列挙した文章から、彼らの主張する〝真の家庭のアイデンティティ〟を整理すると、次のようになります。
彼らは〝真の家庭のアイデンティティ〟を「直系家庭(特に3人の息子)」と定義しており、この「真の家庭=直系家庭」こそが「復帰摂理の1次目的」「真の父母出現の理由」であり、「神様の第一の理想」「人類を代表する家庭」「モデル的家庭」「真の愛、真の生命、真の血統を実体化する家庭」「全人類に接ぎ木する家庭」であると主張します。
結局、彼らが主張する〝真の家庭のアイデンティティ〟とは、真の父母様が絶対中心ではなく、神、父母、子女という三代目である真の子女様家庭をして「真の家庭=直系家庭」であると定義しています。
文顯進様は、その著書『神様の夢の実現』の中でも、「祝福家庭として皆さんのアイデンティティは神様、真の父母様、そして真の家庭の縦的な軸に連結されることによって始まる」(『統一教会の分裂』65ページ。注:『神様の夢の実現』の日本語訳では261ページ)と述べており、ここで〝真の父母様〟と〝真の家庭〟とを明確に分けて語っていることからも、その事実を理解することができます。
また、文顯進様は、2011年12月1日の韓国GPCにおける講演でも、「真の父母と真の家庭の出現は、アダム・エバ家庭が成し遂げられなかった神様本然の真の愛のモデル家庭を回復し、地上に天国を成すためにある」(『統一教会の分裂』302ページ)と述べ、ここでも〝真の父母〟と〝真の家庭の出現〟を分けて語っています。すなわち、ここで語る「真の家庭」とは、「直系家庭=文顯進様家庭」のことを指しているのです(同、315ページ)。
ところで、お父様は、真の家庭とは何かについて、「真の家庭とは何ですか。そこには真の父、真の母、真の夫、真の妻、真の子女がいるのです。それが真の愛の家庭基盤です」(八大教材教本『天聖經』2153ページ)と語っておられます。すなわち、真の家庭というとき、そこには「真の父」「真の母」が入らなければなりません。したがって、真の父母を絶対中心にしていない「真の家庭=文顯進様家庭」という主張は誤っています。
(2)〝三代圏〟の中心は真の父母様であって、真の子女様ではない
ここで明確にしておかなければならないことは、真の家庭の〝三代圏〟の中心は、あくまでも人類の真の父母であられる〝祖父母〟(真の父母様)であるという点です。三代圏の中心は、子女様でも、孫(4代)でもありません。
【図1】を見れば分かるように、神様から始まる三大王権が、真の父母を中心として展開されていく〝三代圏〟に対して、真のお父様は、次のように語っておられます。
「おじいさん、父、自分たち夫婦が、三大王権を象徴します。おじいさんは過去を象徴し、父母は現在を象徴し、自分たち夫婦は未来を象徴します。そして、おじいさんは霊界の特権大使として自分の家庭に送られた方なので、おじいさんの言葉に絶対服従する家庭は繁栄します」(八大教材教本『天聖経』2348ページ)
「神様は祖父母の位置であり、アダムは父母の位置であり、子女は息子、娘の位置です。同じように、皆様の家庭でも三代が一つの家庭に安着すれば、祖父母は、天上天国の神様の位置であり……」(『平和神經』314ページ)
さらに、『原理講論』は、神様の創造理想が完成した天国について、「天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである」(69ページ)と論じています。
この『原理講論』の論述で分かるように、創造理想を完成した世界(天一国)における永遠の中心は、神様と完全一体になった人類の真の父母様なのであり、その真の父母を中心にして「一つの目的に向かって動じ静ずるようになる」世界こそが理想世界なのです。
その中心は、どこまでも真の父母であって、真の子女様ではありません【図2参照】。
顯進様は、本然の血統であり、〝真の家庭〟の一員ではありますが、み旨の中心ではありません。人類の罪悪歴史の蕩減復帰も、人類の救済も、天宙の再創造も、人間始祖の立場である真の父母様によって蕩減復帰され、完成・完結・完了するのです。
その事実を、神学的に表現するならば、キリストを抜きにして完全な神認識も救いもないということになります。
顯進様は、その著書『神様の夢の実現』で、縦軸として神様、真の父母様、真の家庭の勝利のレガシー(遺産)を相続することを説いていますが、その中心が「真の父母様」であることを、より明確化しなければならないでしょう。
天宙の永遠の中心存在は、どこまでも神様と完全一体となられた真の父母様(天地人真の父母様)なのです。したがって、真の家庭の三代圏(三大王権)は、真の父母様に直結してこそ意味があるのであり、神様の創造理想を成し遂げることができるのです。
ところが、『統一教会の分裂』は、「真の家庭の中でこそ、真の愛、真の生命、真の血統を実体化することができる」と主張し、その直系家庭である〝真の家庭(文顯進家庭)〟こそが真の愛と真の生命と真の血統を実体化した家庭であるとし、「神様の血統」は「神様→真のお父様(創始者)→真の家庭(文顯進家庭)→統一教会の祝福家庭→人類」(315ページ)としてつながっていくと主張しています。
この主張は、「祝福」が、真の父母様に〝接ぎ木〟(重生)されることで救われるのではなく、「真の家庭=直系家庭」である子女様に〝接ぎ木〟されることで、堕落人間の血統復帰が成され、人類が救われていくかのような主張となっています。これは、真のお父様のみ言とは異なった〝誤った言説〟です。
文顯進様は、真の父母様の許諾を受けないまま、「2015年6月に米国シアトルで祝福結婚式」(66ページ)を挙行しました。その行動を見ると、以上のような〝真の家庭のアイデンティティ〟という誤った認識に基づいて顯進様やUCI側を支持する人々が行動しているという事実を理解することができます。
そして、この誤った〝真の家庭のアイデンティティ〟のゆえに、究極的には「今のままでは、韓鶴子以降の統一教会が真の家庭(直系家庭)のない統一教会になることは明らかだ」などと主張しているのです。
UCI側を支持する人々が主張する〝真の家庭のアイデンティティ〟とは、真の父母様を絶対中心とする「真の家庭」を言っているのではなく、真の子女様家庭を指して「真の家庭」と語っているのであって、その直系家庭こそが〝摂理の中心〟であるという誤った認識に基づいて行動をしている事実を、私たちは見抜かなければなりません。
(3)桜井正実氏の「祝福家庭特別セミナー」の主張の誤り
UCI側が開催している「祝福家庭特別セミナー」のハーフデイにおいて、桜井正実氏は、以下の【図3】を使って「祝福を通して真の家庭に接ぎ木する」と講義しています。
この【図3】で「祝福を通して真の家庭に接ぎ木する」と表現している「真の家庭」とは、既に前項でも述べたように、真の子女様家庭のことであり、具体的には、文顯進様家庭を指しています。
桜井正実氏のハーフデイセミナーのDVDの1巻目の11分50秒あたりから、桜井正実氏は次のように語っています(以下は、ディクテーション)。
「真の父母様だけでは、祝福は行うことが出来ない。真の父母様に真の子女様がいてこそ祝福を行うことが出来る。真の家庭に、祝福を通して真の家庭に接ぎ木されるんだということなんですね。真の父母という言葉自体も、真の子女様を前提にしている言葉であります」
桜井正実氏は、以上のように説明したうえで、お父様の次のみ言を引用します。
「メシヤの使命は、そこで終わるのではありません。真の父母の位置まで進んで、絶対的真の家庭を探し立てなければなりません。この真の家庭を中心として、神様の創造理想を完成した地上天国と天上天国を創建することができるのです。この目的のために堕落の末裔である60億人類は、その誰も例外なく、出来が良くても悪くても、黒人でも白人でも例外なくメシヤの真の家庭に接ぎ木されなければなりません。絶対的要件です」(マルスム選集478-285)
さらに、桜井正実氏は、DVDの1巻目の23分53秒から、「父の血統と権威を代表する長子が立つことによって、お父様一代で地上天国を成すことができなかったとしても、それを受け継ぐ父の血統と権威を代表する長子が立つことによって、摂理的中心人物という求心点をもって理想世界を創るその摂理を続けていくことができるわけです」とも語っています。
この主張は、『統一教会の分裂』と同じ主張です。結局、彼らは「祝福を通じて真の家庭に接ぎ木される」と主張していますが、その真の家庭とは、直系家庭である文顯進様家庭のことであって、その子女様家庭に接ぎ木されることで〝血統復帰〟がなされると主張しているのです。
ところで、桜井正実氏が引用したマルスム選集のみ言(478-285)は、2004年12月2日の「第2回蒙古斑同族世界平和連合世界大会」で、お父様が語られた「真の父母は神様と人類の願い」という講演文を、お父様ご自身が解説しながら語っておられるみ言です。
彼は、そのみ言を引用しながら「メシヤの真の家庭に接ぎ木」すると述べますが、その「真の家庭」が何を指しているのか、お父様のみ言によって明確にしておかなければなりません。まず、引用するみ言のもととなった「講演文」を以下、引用します。
「メシヤの使命はここで終わるのではないのです。真の父母の立場まで進んで、絶対的な真の家庭を建てなければなりません。この真の家庭を中心として、神様の創造理想を完成した地上天国と天上天国が創建できるのです。この目的のために堕落の末裔の60億の人類は、誰も例外なくメシヤの真の家庭に接ぎ木しなければなりません。心情的な接ぎ木はもちろん、伝統的な接ぎ木をしなければなりません。
それなら、どのように接ぎ木をするのでしょうか。皆さますべては堕落性を持って生まれた野生のオリーブの木です。野生のオリーブの木は百年千年を待っても、真のオリーブの木に変わる突然変異は起きないのです。永遠に野生のオリーブの木として残るだけです」(2004年12月2日の「講演文」)
桜井正実氏が引用したマルスム選集478巻のみ言は、前述したように、お父様が「講演文」を訓読されながら解説しておられるみ言です。
桜井氏は、上述の講演文のうちの「メシヤの真の家庭に接ぎ木しなければなりません」のところまでを、お父様が解説しておられるみ言の箇所を引用して述べています。
ところが、桜井氏が引用していない、それに続く部分に、お父様ご自身が〝接ぎ木〟について解説しておられる箇所があります。以下、その部分を引用します(注、「講演文」は太字ゴシックで、それに対するお父様の解説は明朝体で表示します)。
「……『同じように、堕落した人類は罪悪のサタン世界と完全に絶縁して、真のオリーブの木であられる真の父母を通して真のオリーブの芽を植える』 接ぎ木されるのです。『結婚祝福を受けて、真なる血統を出発させなければならないのです。そのようにして出発した真の血統は、真のオリーブの実である真の子女を生産するようになるのです。堕落人間としては、この道だけが真の父母の愛を通して再び生まれ、真の生命、真の愛、真の血統を相続できる唯一の道なのです。このように、真の子女が生まれて真の父母ができれば、自動的にそこには真なる家庭が定着するのです。ここからまさに真の家庭主義が創出されます』……」(マルスム選集478-286)
お父様は、「メシヤの真の家庭」に「どのように接ぎ木をするのでしょうか」と尋ねられ、その答えとして「堕落した人類は罪悪のサタン世界と完全に絶縁して、真のオリーブの木であられる真の父母を通して真のオリーブの芽を植える」と講演文を読まれたうえで、「接ぎ木されるのです」と解説しておられるのです。
すなわち、ここで語っておられる「メシヤの真の家庭」とは、〝真のオリーブの木〟であられる「真の父母様」のことであり、真の子女様家庭を指しているのではありません。
ゆえに、真の家庭を「直系家庭」であると定義する〝真の家庭のアイデンティティ〟は、根本的に誤っていることが分かります。
(4)「重生」は、真のオリーブの木であられる「真の父母」によってなされる
また、お父様が語られる〝真のオリーブの木〟が何を意味しているのか、み言に基づいて、さらに明確に理解しておかなければなりません。『原理講論』と『平和神經』を以下、引用します。
「堕落人間が、生命の木となるためには、……創造理想を完成した一人の男性が、この地上に生命の木として来られ、すべての人をして彼に接がしめ、一つになるようにしなければならない。このような生命の木として来たり給うたお方が、すなわちイエスであったのである」(『原理講論』95ページ)
「完成したアダムとエバとを、二つの木をもって比喩されたのである」(同、97ページ)
「野のオリーブである我々は、もとのオリーブなるイエスに接がれることによって、オリーブとなることができるのである」(同、262ページ)
「天の真の血統をもってこられた真の父母様を通して祝福結婚を受けることが、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜です」(『平和神經』34ページ)
『原理講論』は、エデンの園には生命の木と善悪を知る木があり、それぞれ創造理想を完成した男性と女性、すなわち完成したアダムとエバであると論じています。
また、聖書も、メシヤをオリーブの木に比喩しているだけでなく、生命の木であるとも述べています。さらには、『平和神經』も、真の父母様のことを真のオリーブの木であると明確に述べています。
これらのことから、「メシヤの真の家庭」に接ぎ木されなければならないと語られたその真の家庭とは、真の子女様家庭のことではなく、〝真のオリーブの木〟の実体としておられる「真の父母様」のことなのです。
したがって、祝福とは、真のオリーブの木であられる「真の父母様」に接ぎ木されることによって成されることを知らなければなりません。
彼らは「祝福を通して真の家庭に接ぎ木される」とは「直系家庭の文顯進様家庭に接ぎ木される」ことであると主張していますが、その彼らの言説は誤りであることを知らなければなりません。
さらに、「祝福」を通じた〝重生〟に関するみ言を、『原理講論』および『祝福家庭と理想天国』から引用します。
「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である」(『原理講論』264~265ページ)
「イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。このようにして、堕落人間が神を中心として創造本然の四位基台を造成すれば、そのとき初めて、神の三大祝福を完成した地上天国が復帰されるのである」(同、268ページ)
「皆さん各自の血統的内容が異なり、背後が異なっているとしても、父母に似るためには、接ぎ木する役事をしなければなりません。ひっくり返して接ぎ木しなければなりません。接ぎ木したいのなら、皆さん自体に残された蕩減路程をすべて清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通して清算されなければなりません。それで、真の父母に接ぎ木しなければならないというのです。アダムが真の父母になれずに偽りの父母となったために、神様は今まで真の父母を捜してこられたのです。再臨時代に新郎新婦とか、小羊の婚宴というのも、すべて父母を取り戻すためです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』697~698ページ)
「子供の種は、お母さんの腹中にあります。お父さんにもあるでしょう? お父さんのものは、骨の中にあります。ですから、お父さんの骨の中を通って、お母さんの腹の中を通って、子供が生まれてくるのです。では、子供は、どのようにしてつくられますか。お父さんとお母さんを通してつくられます。皆さんは、お父さんの骨の中と、お母さんの腹の中を通してつくられたことを知らなければなりません」(同、689ページ)
「堕落は、サタンがエバを引っ張って、アダムまで引っ張っていったのですが、反対に復帰はエバを完成基準まで引き上げるのです。そうして復帰されたエバによって次の摂理がなされます。……接ぎ木は女性によってなされます。どのような原理原則によってそうなるのでしょうか。エバによって天使長は堕落したのですから、それを蕩減してもとかえすには、復帰されたエバによって天使長がつくり変えられるのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』719ページ)
以上のように、『原理講論』や『祝福家庭と理想天国』のみ言は、私たち堕落人間を誰が重生させるのかについて、それは「真の父母」であることを明確に述べているのです。
前述のように、『原理講論』は、重生や原罪清算について「霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせる」と論じています。ここで言う「彼ら」とは、神様を中心とした実体的三位一体であられる真の父母様のことです。さらに、「新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」ともあります。
また、『祝福家庭と理想天国』には、「父母に似るためには、接ぎ木する役事をしなければなりません。……真の父母に接ぎ木しなければならないというのです」とあります。
したがって、堕落人間が重生され、原罪が清算できる唯一の道は、真の父母様に接ぎ木されることなのです。決して、真の子女様ではありません。
真の父母様こそが〝真のオリーブの木〟であり、「真の家庭」の絶対中心です。
したがって、今後、もし真のお母様がご聖和されることがあったとしても、「祝福」の絶対中心は、永遠に神様と真の父母様であり、血統転換は真の父母様の真の愛を通してなされていくのです。神様と一体となられた真の父母様が、地上天国と天上天国における永遠の中心なのです。
したがって、『統一教会の分裂』が主張するような、「今のままでは、韓鶴子以降の統一教会が真の家庭のない統一教会になる」(321ページ)はずがありません。
結局、彼らUCI側は、真の父母様を絶対中心とせず、真の子女様家庭にアラインメントすることだけを力説しながら、真の父母様不在の〝真の家庭のアイデンティティ〟を主張しているために、以上のような誤った言動とならざるを得ないのです。
したがって、桜井正実氏が講義で使用している図は、誤りであることを明確に理解しておかなければなりません。
私たちは、真の父母様が絶対・唯一・不変・永遠なる存在であることを知らなければなりません。祝福によって、真の父母を通じて堕落人間は重生され、新たに真の子女として誕生し、真の家庭(祝福家庭)となるのです。
ところが、桜井正実氏がUCI側のセミナーで使用している図は、祝福家庭の位置が真の父母様と関係を結んでいないだけでなく、真の子女様だけに侍るような表記となっています。
そして、「祝福」を通じて、真の子女様家庭である文顯進様家庭(真の家庭)に接ぎ木するという誤った説明がなされている始末です。
『統一教会の分裂』および桜井正実氏が主張している、真の家庭を直系家庭としての「真の子女様家庭」であるとする誤った解釈による真の父母を絶対中心としていない〝真の家庭のアイデンティティ〟は、真の父母様の亡き後での地上の〝統一家〟のあり方として、み言を正しく理解していない食口のみならず、古い諸先輩でさえも信仰的混迷に陥ってしまう要因となりかねません。
私たちは、彼らが主張する偽りの言説である真の父母様を絶対中心としていない〝真の家庭のアイデンティティ〟に惑わされてはなりません。
(5)祝福家庭がアラインメントすべきは、「天の父母様―真の父母様」である
――桜井節子氏による「信仰告白」の映像の問題点
桜井正実氏が主張する直系家庭である「真の子女様家庭」に〝接ぎ木〟するという誤った理解による図を、正しく表現するとすれば、以下の【図4】のようになるでしょう。
「祝福」による〝接ぎ木(重生)〟とは、あくまでも真の父母様によってなされるのであって、真の子女様なのではありません。
家庭連合から脱会を表明した桜井節子氏(43双)は、UCI側が公開した映像の中で次のように語っています。
「息子の正実と話していたときにですね、顯進様の基盤となるべき第1の責任は、私たち43双にあったんではなかったかと思いました。……なぜならば、私も43双が祝福にあずかったとき、お母様のお腹のなかにいらしたかたが顯進様でございました。ですから、私ども43双にとりましては(顯進様が)直接的なお兄様です」
桜井節子氏が、以上のように述べた背景には、桜井正実氏が描いた「祝福を通して真の家庭(真の子女家庭)に接ぎ木する」という誤った認識があり、さらには、お父様が語られた重生(生まれ変わる)に関する、次のようなみ言があったものと思われます。
「すでに肉身をもって生まれ成長してしまった私たちは、文字どおり完成したアダムの体中の種の立場に戻ることはできません。それゆえ私たちは真の父母、およびその父母から生まれた真の子女と一体化することによって、生まれ変わるための条件を立てていくのです。カインがアベルに完全に屈服することによって、両者がすべて復帰されるという原理があるので、この原理により私たちカインの立場にある人間は、アベルの立場にある真の父母、罪のない真の子女と一体化しなければならないのです。彼らと一体化することによって、私たちは復帰された子女として同じ恵沢を受けることができるのです。……女性はすべて、真の父と真の母とその真の娘と一つにならないといけません。それでは男性はどうでしょうか。真の父母とその真の息子と一つにならないといけません」(『真の御父母様の生涯路程④』107~108ページ)
桜井節子氏は、桜井正実氏の図、およびこのみ言に基づき、「顯進様の基盤となるべき第1の責任は、私たち43双にあった」と語っているものと思われます。
しかしながら、祝福家庭が、真の子女様と一体化する条件を立てるのは、どこまでも「真の母」の胎中を通過し、「真の父」の骨髄にある種の立場に入っていくという条件を立てるためなのであって、決して、真の子女様によって生み変えられるというのではありません。
重生(接ぎ木)に関して、お父様が、「子供は、どのようにしてつくられますか。お父さんとお母さんを通してつくられます。皆さんは、お父さんの骨の中と、お母さんの腹の中を通してつくられたことを知らなければなりません」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』689ページ)と語っておられるように、どこまでも「真の母」の胎中を通過して生み変えられるためなのであって、真の子女様が私たちを生み変えてくれるのではありません。
事実、1988年の6500双の祝福、および世界的祝福である3万双、36万双、4000万双、さらに、それ以降の祝福においては、真の子女様が「真の母」の胎中に宿っておられたわけではありません。しかし、6500双以降の祝福も、重生は成されているのです。
【図4】を見ると分かるように、重生(接ぎ木)とは、神様を中心に実体的三位一体をなしておられる「真の父母様」によってなされるのであって、そうやって生み変えられた祝福家庭はカインの子女となり、直系のアベルの子女様と兄弟姉妹の関係なのです。
桜井正実氏やUCI側は、真の子女様家庭とのアラインメントを力説していますが、私たちが本当にアラインメントすべきおかたは、神様と真の父母様なのです。お父様は、次のように語っておられます。
「神様と真の父母に侍らなければなりません。神様と真の父母が縦的な父母と横的な父母であり、二つの父母が一つになることによって、初めて私が出てくるのです。神様は縦的な父母であり、完成したアダムとエバは横的な父母であって、この二つの父母が一つになったその上で統一が成され、天国と神様が連結されるのです。ですから、神様と真の父母に侍らなくては何もできません」(八大教材教本『天聖經』2316ページ)
お父様が、「神様と真の父母に侍らなければなりません……神様と真の父母に侍らなくては何もできません」と命じておられるように、私たちは、神様―真の父母様―祝福家庭というように、私たちを重生(接ぎ木)してくださった真の父母様にしっかりとアラインメントしなければならないのです。
桜井正実氏が描いた【図3】は、『原理講論』が論じている「創造目的完成」を表す【図2】と一致していません。
一方、神様と真の父母様を中心とする「人類一家族世界(One Family under God)」を表現した【図4】の場合は、【図2】と一致しています。
創造理想世界とは、「神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずる」(『原理講論』69ページ)世界でなければなりません。ところが、桜井正実氏が描く図は、真の子女様を中心としているために、そのような理想世界になっていないのです。
私たちは、子女、孫、ひ孫へと何世代を経ていったとしても、また何百年、何千年、何万年を経たとしても、神様と真の父母様を絶対中心として一つになることが、原理の教えであり、不変の原理原則なのであって、世代が移るたびに、その〝中心〟が、真の子女様、お孫様、ひ孫様へと変わっていくのではありません。もし〝中心〟が移り変わっていくとするならば、その世界は分裂と闘争の世界とならざるを得ません。
お父様は、次のように語っておられます。
「アダムもエバも神様をお父さんと呼びます。では、その子女たちは神様を、おじさんと呼びますか、おじいさんと呼びますか。お父さんと呼びます。相対というのは、平等なものです。神様の愛を横的に繁殖し、その愛の価値を完成しなければなりません。完成した愛の価値は、一つです。平等なのです」(八大教材教本『天聖經』551ページ)
お父様が語っておられるように、私たちも、私たちの子女の世代も、さらには孫もひ孫の世代も、何世代を経ていこうが、永遠に変わらずに、神様を「天の父母様」と呼び続けていくのです。
「人類一家族世界(One Family under God)」は、神様と真の父母様を中心に、横的八段階として拡大されていく世界であり、私たちがアラインメントすべき〝縦的軸〟は、永遠に神様と真の父母様だけであることを知らなければなりません。
ところが、桜井正実氏の「真の子女様家庭」にアラインメントするという図は、そのようになっていません。桜井正実氏の図は、祝福家庭の位置が、神様―真の父母様にアラインメントしていないだけでなく、真の子女様からお孫様、さらに、ひ孫様へと世代が移るたびに、「天の祖父母様」「天の曾祖父母様」と呼び方が変わってしまい、その〝中心〟も移り変わってしまうという構図の図になっているのです。
これは、「真の父母」から「真の子女」へ、さらに「真の孫」へと世代が移るたびに、その中心が変わっていくことを意味する、問題の多い図です。
そのような世界では、世代が変わるたびに、〝摂理の中心〟はどこなのかを、絶えず探し求め続けていかなければならないという、流浪し続ける人類の姿となってしまいます。
桜井節子氏は、家庭連合からの脱会を表明する映像の中で、『原理講論』の終末論から、次の部分を引用しています。
「新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる」(173ページ)
『原理講論』のこの論述は、旧約時代から新約時代への摂理の飛躍、そして新約時代から成約時代への摂理の飛躍について述べているのであって、人類の真の父母が現れたならば、その〝中心〟が移り変わっていくことは、二度とあり得ません。お父様は、次のように語っておられます。
「真なる父母が出てくれば、真なる家庭が成立するのであり、真なる人の目的も成すことができるのです。今日、皆さんが知るべきことは、過去や、現在や、未来において永遠にたたえられ得るその名前とは何かということです。それは、真なる父母、『真の父母』です。……『真の父母』という名前が出てくることによって、神様の創造理想世界、エデンの園から出発すべきだった永遠の未来の天国が、ここから出発するのです。その事実は歴史的であり、時代的であり、未来的なのです。それゆえ、過去、現在、未来の全体の歴史をひっくるめて見るとき、この地上に顕現した『真の父母』は、宇宙の中心を決定する中心ポイントであるということを、皆さんは知るべきです」(八大教材教本『天聖經』227ページ)
桜井節子氏が『原理講論』の終末論から「新しい時代の摂理は……あくまでも対立的なものとして現れる」という一節を引用しているのは、事実上、真の父母様から、顯進様家庭にその〝信仰の中心〟を変えてしまったからに他なりません。
これは、桜井正実氏が描く「真の子女様家庭」にアラインメントすべきであるという、誤った言説によって、誤った判断をしたものと言わざるを得ないのです。
私たちは、神様と真の父母様に永遠の中心を置くべきなのであって、決してそれ以外のところに、〝信仰の中心〟を置くべきではありません。
2009年3月8日、いわゆる「束草事件」の時、お父様は顯進様に対し「顯進、おまえも別の所に行かず、父の所に来て、父に付いて回りなさい」(マルスム選集609-133)、「孝律!(「はい。」)今、処置したものは全てわかりますね。(「はい、全て書きました。」)書いたものを総括的に一度話して…(「顯進様はUPF会長とGPF から1年間休み、金起勳牧師が代わりにするようになりました。顯進様はその間、真の父母様に対する学習、カイン・アベルの関係を勉強しなさいと言いました。」)金起勳が顯進の上にいるので長となり、顯進が侍って協助する立場に立つのです」(同、609-134)と語られました。
すでに前回も、顯進様のアイデンティティの誤りを指摘しましたが、お父様が顯進様を教育しようとしておられた内容の一つは、この誤った〝真の家庭のアイデンティティ〟の問題についてではなかったのか、と強く感じられるのです。
― 続く ―