虚偽に満ちた江利川氏の真のお母様批判(4) ―2025年1月12日のサンクチュアリ礼拝における批判の誤り―

文責:教理研究院

注、真の父母様のみ言や『原理講論』などは「青い字」で、江利川安榮氏
やサンクチュアリ教会側の主張は「茶色の字」で区別しています。

 江利川安榮氏は、2025年1月12日(日)のサンクチュアリ礼拝で、「『真の父母は一体』は本当か?」と疑念を提起し、「お父様とお母様は一体ではない」と批判しています。
 江利川氏は礼拝で「一覧表」なるものを提示し、①「神について①」、②「神について②」、③「神の人間創造について」、④「『原理講論』について」、⑤「イエス様の相対者について」、⑥「真の母の血統について」、⑦「真の母の教育について」という7つの項目を挙げ、み言の改竄やみ言の文脈を無視した解釈を行って、真の父母様が一体であることを否定しています。
 すでに、①「神について①」、②「神について②」の2つについては、反論文(1)で扱い、③「神の人間創造について」、④「『原理講論』について」反論文(2)で扱いました。さらに、⑤「イエス様の相対者について」反論文(3)で扱いました。今回は⑥「真の母の血統について」、⑦「真の母の教育について」を検証し、反論を述べます。
 すでに指摘しましたが、彼らが取り上げたみ言を検証すると、み言の改竄に基づくデタラメな批判に満ちています。そもそも〝お父様とお母様が一体化していない〟と批判すること自体が、2010年にお父様が発表された「真の父母様の最終一体」を否定するものです。サンクチュアリ教会の主張は、お父様のみ言を信じていると装いながら、お父様のみ言を本音では信じていないことを露呈しています。

「真の母の血統について」
 サンクチュアリ教会は、「真の母の血統について」という項目をつくり、次のお父様のみ言を取り上げています。
 【サンクチュアリ教会の翻訳文】(注:ライトグレーのラインマーカーはサンクチュアリ教会が赤い字で強調している部分)
 「マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させた上で生まれました。そうではないですか。血統を転換させた位置に来たのですが、イエス様の相対になる新婦は、血統転換の過程を経ていません。ですから、それが複雑だというのです」(『御言選集』140-149,1986.2.9)
 サンクチュアリ教会は以上のように訳していますが、これは正確な翻訳になっていません。正確に翻訳すれば、以下のようになります。
 マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させたのです。そうではありませんか? 血統を転換させた位置に来たのですが、イエスの相対になることのできる新婦は、血統転換の役事の過程を経ていなかったのです。何の話か分かりますか? ですから、それが複雑なのです(『御言選集』140-150)
 ここでもまた、彼らはページ数を間違えています。この間違いは、引用文献として致命的な欠陥です。この事実は、確認作業を怠っていることを如実に物語るものです。
 ところで、このみ言は、あくまでも2000年前のイエス様の時のことについて語っておられるものです。イエス様の時においては、前回の反論文(3)で取り上げたみ言の中で、お父様は「妻になる人も、堕落した世界の根から生まれた女性しかいない」ために「結婚するにしても、イエス様の結婚は簡単にできなかったと語っておられます。このみ言は、2000年前において独り娘が生まれていなかったことについて言及しておられるものです。しかし、現代においては韓鶴子・真のお母様が〝独り娘〟として、6000年を経て初めてお生まれになっています。ゆえにお父様は、「鶴子様は根が違う……神様を根として初めて、歴史上に……現れた主人公だ」と語っておられるのです。ゆえにサンクチュアリ教会が取り上げたみ言は、時代背景の異なった的外れなみ言の引用に過ぎません。

☆以下の内容は、お父様の「真の父母と重生」というテーマのみ言、すなわち「真の父」と「真の母」のお二人によって重生されるというみ言に関するものです。
 さらに、サンクチュアリ教会は次のみ言を引用しています。
 「(堕落人間は)真の母のお腹を通過して再び生まれてくるのです。お母様のお腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。ですから、真のお母様のお腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません」(『訪韓修練会御言集』185~186ページ)
 このみ言の引用も、悪意のある引用であり、正確な引用文になっていません。サンクチュアリ教会が削除した部分を以下、「青い字」にして示します。
 真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。(図-1に従って説明される)。これに、入ってくるときは(図-1Ⓐの)左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきた(状態の)ものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。ですから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様(お一人で)は真の愛と真の血統を持っていません(『文鮮明先生の日本語による御言集・特別編1』187~188ページ)
 お父様のこのみ言は、『原理講論』の「重生論」に基づいて語っておられる内容です。『原理講論』にあるように、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない(264~265ページ)という「重生論」の内容に基づいて語っておられるものです。
 すなわち、右上の図-1にあるように、長い復帰歴史の総結論として、最終的になされる「重生」は、真の父母によってのみ成されるのですが、そのときに堕落人間が「真の母の腹を通過して再び生まれてくる」という重生の内容について語っておられるのです。その「重生」とは、図が交差している真の父母の一点(注:図-1の赤丸)において成されるというのです。そのとき堕落人間が「(図-1Ⓐの)左のほうから入ってくると語っておられるのです。そして、その後に続くみ言は(注:サンクチュアリ教会は続きの部分を引用していませんが非常に重要なみ言です。お父様は母の腹の中を通って、先生の体(骨髄)を通って再びお母様の腹を通っていくのです。右のほうを通ってです」(同189ページ)と語っておられます。これは、「重生」がどのようになされるかについて説明しておられる部分なのです。ここで重要な点は、お父様の腹とお母様の腹が〝一体のもの〟として語っておられる点です。すなわち、『原理講論』に「新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母(のお二人)がいなければならない」という点を踏まえながら語っておられるみ言なのです。したがって、サンクチュアリ教会が引用したみ言のそれが天の家庭に入るには……」「それが」とは、堕落世界から復帰される堕落人間のことであり、それゆえ「それ(堕落人間)が天の家庭に入るには」という意味で語っておられるものです。そのことについて真の母の腹を通過して再び生まれてくる」と言われているのです。したがって、お母様ご自身が堕落の血統であるという意味ではありません。
 にもかかわらず、そのことを踏まえていない江利川氏は、礼拝説教で「お母様も真の愛と真の血統は持っていませんと。堕落圏から引っ張って来て、そして、それをお父様が育てて血統転換、だから、絶対信仰という条件でね、できるんです」(映像1:18:36~1:18:55)と愚かにも語っています。江利川氏が言う「堕落圏から引っ張って来て」というのは、どこまでも生み変えられる堕落人間について述べているものであり、「人類の真の母」であるお母様のことを指しているのではありません。もし、お母様それ自体を堕落人間だと述べているみ言であるとするなら、「重生」が真の父母によってのみ成されるという原理から逸脱するものとなってしまい、「重生論」それ自体の論理が崩壊してしまいます。
 サンクチュアリ教会は、これが「真の父母と重生」というテーマで語られたみ言であることを踏まえないで的外れな批判をしているのです。お父様のみ言で、最も重要な点の一つである〝血統転換〟について、サンクチュアリ教会は理解していないという実態が浮き彫りとなっています。

 また、お父様は血統について、次のように語っておられます。
 「血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。そして、精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(『ファミリー』1995年3月号22ページ)
 一人で血統が連結されますか? この血統は、男性の血だけでは連結できません男性と女性が、一つにならなければなりません」(同、2001年3月号21ページ)
 このように、血統は男性と女性が一つとなって生じると語っておられます。お父様は生理学的に、科学的にみ言を語っておられるのです。そのような意味においてお母様(お一人で)は真の愛と真の血統を持っていません」という意味で語っておられるのです。お父様のこのみ言は「真の父母と重生」という題名からも分かるように、罪なき「真の母」と「真の父」によってのみ重生がなされるという意味で語っているものであり、それを踏まえて総合的に見なければならないみ言なのです。サンクチュアリ教会はみ言の真意を汲み取らず、改竄したり、削除したりしてお父様のみ言を捻じ曲げて解釈しようとしているのです。このような悪意あるみ言の引用や、誤った解釈に騙されてはなりません。

☆以下は、イエス様およびキリスト教2000年の歴史は、「独り娘」を探し求めてきた歴史であることについて語られたお母様のみ言に関する内容です。
 また、サンクチュアリ教会は、お母様が語られたとして、以下のみ言を引用します。
 【韓鶴子女史の言葉】(注:ライトグレーのラインマーカーはサンクチュアリ教会が赤い字で強調している部分)
 血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません。(中略)お父様の歴史はそうなのです。イエス様の顕現と共に、イエス様の御業を継承したそのとき、その瞬間がお父様が独生子の資格をもった瞬間です。分かりますか。それを知らなければなりません」(2014年7月1日)
 サンクチュアリ教会は、このみ言も改竄しています。正しくは、以下のようになります。
 「血統転換、私は母胎からです。皆さんはこれを信じなければなりません。(中略 約3分18秒間にわたる長文のみ言を削除)お父様の歴史はそうです。イエス様の顕現と共に、イエス様の御業を継承したそのとき、その瞬間が、お父様が独生子の資格です。分かりますか?それを知らなければなりません」
 お母様のみ言はその瞬間がお父様が独生子の資格ですと語っておられるだけであり、それを彼らは「独生子の資格をもった瞬間です」と勝手に改竄して述べています。このみ言の翻訳文は、どこまでもサンクチュアリ教会が付け足した部分に過ぎず、それをもって、江利川氏はお母様のみ言に対し「お父様が15歳の時……イエス様から(召命され)……それを受けたときからだという。(それ以前は)血統転換していないという話です」(映像1:19:22~1:19:33)と勝手に解釈して、お母様を批判しています。この批判は、お母様のみ言に「独生子の資格をもった瞬間です」と付け加えて批判しているものであり、お母様のみ言はそのようになっていません。正しくはお父様が独生子の資格ですと語っておられるだけです。
 お母様は、お父様について「イエス様が果たせなかった独り子の使命を持ってこられる方が再臨のメシヤである」(『世界家庭』2024年5月号91ページ)と明確にしておられます。お母様のみ言は、それを踏まえて理解すべきです。
 お母様が語られた2014年7月1日のみ言の前後を以下、ディクテーションして示します。
 「……(略)……真のお母様は、6000年ぶりに誕生した独り娘だ!と説明することができます。証拠が揃っています。……(お母様は、その証拠をいくつか挙げて説明される)……血統転換、私は母胎からです。……(お母様は、その証拠をさらに挙げて説明を続けられる)……戦争のために、韓国のすべての鉄、金属、さらには祭事に使う器までが、すべて供出によって(日本に)出て行きました。ところが(夢の中で)その物品がなぜか私の生まれた庭に全部入ってくる(その夢はなぜ)かというのです。それをどのように説明しますか?(キリスト教は独り娘を探す歴史であり)お父様の歴史はそうです。イエス様の顕現と共に、イエス様の御業を継承したその時が、その瞬間が、お父様は独り子の資格です。わかりますか?それを知る必要があります。今まで(キリスト教)2000年の歴史は、独り娘を探し求めてきた歴史です。……(お父様は「イエス様の御業を継承し」独り娘を探し出し)1960年度(の小羊の婚宴)は、それこそ天と地が喜んだ日であり、万物が喜んだ日であり、神様が待ちに待ったその瞬間だった」のです。
 お母様のみ言を文脈から読むと、上記のように語っておられる内容なのです。すなわちお父様は、キリスト教2000年の歴史が独り娘を探す歴史であったのと同様に、イエス様が探し出すことのできなかった独り娘を、お父様ご自身はその歴史的使命を継承され〝イエス様の代わりに独り娘を探しだした〟ということを語っておられるのです。それが「お父様の歴史はそうです」と語られる言葉の意味することなのです。したがって、その時、その瞬間が独り子になったかどうかがこの話の流れのテーマではなく、どこまでもイエス様が2000年前に探し出せなかった独り娘を、またキリスト教が探し出せなかった独り娘を、お父様は「イエス様の御業を継承し」て、ついに独り娘と出会ったということを語っておられるというのが、お母様のみ言全体の〝文脈〟から見たときの結論です。事実、お母様はこの時、お父様が「独生子の資格をもった瞬間です」と語ってはおられず、独り子になったとも言われないで、ただ「独生子の資格です」とだけ語っておられるのです。これが正確な翻訳です。サンクチュアリ教会は、語っておられないことまで勝手に付け加えて、自分たちの主張に都合よく解釈できるように翻訳文を改竄し、の一部分だけを取り上げてお母様批判に終始するのです。これはあまりにも姑息で、お母様の批判に執着するあまり、み言の全体像(文脈)を無視しているのです。翻訳文を〝捏造〟してまで行うサンクチュアリ教会の批判に騙されてはなりません。

 また、サンクチュアリ教会は、次のようなお母様のみ言を取り上げています。
 【韓鶴子女史の言葉】(注:ライトグレーのラインマーカーはサンクチュアリ教会が赤い字で強調している部分)
 「ところで、皆さんは聞いたかも知れませんが、私は天の父母様の保護圏で育ちました。母胎から堕落した人間たちとは分離されていたのです」(2015年9月12日)
 サンクチュアリ教会は、上記のお母様のみ言を批判的に取り上げていますが、このみ言が正しいことを裏付けるお父様のみ言を以下、引用します。
 「新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです」(『祝福家庭と理想天国(I)』909ページ)
 鶴子様は根が違うというのです。神様を根として初めて、歴史上に……現れた主人公だというのです」(『マルスム選集』148-41)
 お父様はこのみ言で、お母様が独り娘としてお生まれになった事実を述べておられます。

「真の母の教育について」
 江利川氏は、サンクチュアリ礼拝の説教で、(真のお母様は)あまりにも傲慢不遜、あきれ果てる内容なわけです」(礼拝映像1:20:49~1:20:53) と批判していますが、その根拠としてサンクチュアリ教会訳のみ言を引用しています。これも正しい翻訳ではありません。
 【サンクチュアリ教会の翻訳文】(注:ライトグレーのラインマーカーはサンクチュアリ教会が赤い字で強調している部分)
 お母様が原理を知っていますか? 原理を知らないのです。何も知らないのです。それを教育しながら引っ張ってきて、夫の役割も果たさなければならず、家長の役割も果たさなければならず、氏族長の役割も果たし、宗教圏の代表、天の全権を中心とした代表責任者として立っているというとき、どれほど深刻か分かりません」(『御言選集』344-269,2001.4.18)
 上記のように訳していますが、教理研究院の訳としては、次のように翻訳するでしょう。
 「お母様が原理を知っていますか?原理を知らないのです。何も知らないのです。先生が教育し、導きながら、夫の役割も果たさなければならず、家長の役割も果たさなければならず、氏族長の役割も果たし、宗教圏の代表、天の全権を中心とした代表責任者として立っているというとき、どれほど深刻か分かりません」(『御言選集』344-269)
 サンクチュアリ教会では引っ張ってきてと訳しますが、それは改竄であり導きながらと訳すべきものです。なぜなら、お父様が語られた次のようなみ言があるからです。
 (お父様はお母様に)説明はたった一言もしませんでした先生がお母様に説明し、慰めたとしたら……何の価値もないのです。お母様自ら意味を悟って、自分自身の理解に基づいて、忍耐し勝利しなければならない(『祝福』1977年夏季号59~61ページ)というみ言を考慮すると、引っ張ってきてと訳すのは、適訳とは言えないからです。なぜなら、そのように訳すのは、お母様の責任分担を無視していることを意味するからです。むしろ、お母様の責任分担を配慮し導きながらと訳すのが適訳でしょう。
 サンクチュアリ教会は、まるでお父様が強引な姿勢で「引っ張ってきて」と訳したみ言と抱き合わせて、次の内容をみ言として取り上げています。
 「キリスト教が反対しなかったならば、20代から30代の真の母が現れるのは、イエス様がそういう年齢であったからで、それが反対のため10代になり、先生が40歳の時、18歳の何も知らないお母様を迎えたのです。キリスト教が迫害したために、仕方なしに何も知らない10代のお母様を迎えなければならなかったのです。何も知らないお母様を教育して、再びアダムによってつくり変えるのです」(『御言選集』55-105,1972.4.29)
 お父様がアダムによってつくり変えるのですと語ったとして、改竄したみ言を取り上げています。実はこの『御言選集55』は、すでに日本語訳が出されており、サンクチュアリ教会訳との違いは、次のようになっています。
 「キリスト教が反対しなかったなら20代から30代に真の母が入るのは、イエス様がそういう年齢であったからで、それが反対したので、10代に入り、先生は40歳の時、18歳の何も知らないお母様を迎えたのです。キリスト教が迫害したのだから、仕方なしに何も知らない10代のお母様を迎えなければならなかったのです。何も知らないお母様を教育して、再びアダムによってつくられるのです(『文鮮明先生御言選集55』132ページ、「青い字」にした部分はサンクチュアリ教会訳と異なっている箇所)
 後述しますが、サンクチュアリ教会の訳文は、韓国語の原典から翻訳したものではなく、日本語版『文鮮明先生御言選集55』から引用しているものです。ところが、あたかも韓国語の原典から翻訳したかのようにカモフラージュしようと、巧妙に日本語の言い回し(青字の部分)を変えているのです。ここで最も悪意ある翻訳が、最後の「つくられるのです」という部分です。サンクチュアリ教会は、これをつくり変えるのですと改竄しています。
 サンクチュアリ教会はみ言を改竄し、あたかも堕落人間であったお母様が、お父様によって神側に生み変えられるかのように思わせようとつくり変えるのですとみ言を変え、お母様を貶(おとし)めているのです。これはとんでもない翻訳文です。
 ところで、サンクチュアリ教会の〝不誠実さ〟は、韓国語の原典から翻訳していないにもかかわらず、あたかも韓国語から翻訳しているかのように(『御言選集』55-105,1972.4.29)としていることです。このみ言は、実は、原文が日本語であり(注:お父様が東京で、日本語で語られたみ言)、すでに1981年春季号『祝福』161ページに掲載されたみ言です。それが韓国語に翻訳され『マルスム選集』(成和社)55巻に収録され、そこから改めて日本語に(お父様の指示によって)翻訳し直して、日本語版『文鮮明先生御言選集55』(光言社)として1992年に出版されています。このみ言に関して、3種類の文献が存在します。以下、韓国語の『マルスム選集』55巻がどうなっているのかを示します。
 「キリスト教が反対しなかったならば、20代から30代圏で真の母が入るようになっていたのです。しかし反対したため先生40歳の時18歳の何も知らないお母様を迎えたのです。キリスト教が迫害したために、仕方なしに何も知らない10代のお母様を迎えなければならなかったのです。何も知らないお母様を教育したのです。再びアダムによってつくられたのです(『マルスム選集』55-106、サンクチュアリ教会はページ数が異なると同時に、青字の部分が異なっています)
 サンクチュアリ教会は次のように表記しています。
 「キリスト教が反対しなかったならば、20代から30代の真の母が現れるのは、イエス様がそういう年齢であったからで、それが反対のため10代になり、先生が40歳の時、18歳の何も知らないお母様を迎えたのです。キリスト教が迫害したために、仕方なしに何も知らない10代のお母様を迎えなければならなかったのです。何も知らないお母様を教育して、再びアダムによってつくり変えるのです」(『御言選集』55-105,1972.4.29)

 上記の、これらのみ言を比較してみると、サンクチュアリ教会の翻訳文は明らかに韓国語から訳したものではないことが分かります。「55-105」という表記も誤っており、実際は「55-106です。それをまるで韓国語から翻訳したかのように表記しているのは、不実表示であり、正直ではありません。しかも、み言の最後の部分を改竄しているのです。これは明らかな〝ごまかし〟であり、隠蔽行為です。そのごまかす目的は、お母様を貶(おとし)めるためなのです。
 以上のように7つの項目「一覧表」を検証していくと、サンクチュアリ教会が翻訳したみ言は、ことごとく改竄されたものになっています。結局、サンクチュアリ教会はお父様を信じていると装いながら、実際には自分たちに都合のいいようにみ言を捻じ曲げて改竄しており、その行為は、お父様のみ言を利用し、お母様を貶(おとし)めようとする自己中心的な動機によるものに他なりません。
 ところで、サンクチュアリ教会は、「お母様が原理を知っていますか? 原理を知らないのです。何も知らないのです。それを教育しながら引っ張ってきて」と強調し、それに対してお母様が語られた「私を教育した人は誰もいません。独生子と独生女は同等です。独生子が独生女を教育したとは言えません。何の話か分かりますか?そうだったからこそ私が決定したのです。私が決心したのです」(2014年10月27日)との内容を取り上げて、お父様とお母様のみ言が矛盾しているかのように批判しています。しかし、結論から述べると、これらのみ言は矛盾するものではありません。お母様は次のように語っておられます。
 「神様は復帰摂理を展開され、最後の再臨のメシヤとして真のお父様を送ってくださり、真のお父様は自らの責任分担として真理のみ言を究明され、蕩減復帰摂理を完成されました」(『韓鶴子総裁御言選集3』285ページ)
 お母様が語っておられるように、再臨のメシヤであるお父様の使命は「真理のみ言(原理)を解明することであるというのです。
 『原理講論』も、真理の解明は〝再臨のメシヤの使命〟であることを次のように論じています。
 「黙示録5章1節以下のみ言を見ると、神の右の手に……7つの封印で封じられた巻物があるのであるが、しかし……それを見るにふさわしい者が、1人もいなかったので、ヨハネは激しく泣いたとある。そのときに小羊(イエス=再臨のメシヤ)が現れて……その封印を1つずつ解きはじめられた(591ページ)
 この『原理講論』の意味は、再臨のメシヤこそが〝原理を解き明かす〟ということです。お父様は再臨のメシヤの使命(原理の解明)を踏まえた上で、お母様が原理を知っていますか?原理を知らないのです。何も知らないのです。先生が教育し、導きながらと語っておられるのです。すなわち、真理を解き明かす使命はどこまでも再臨のメシヤの責任であり、そういう意味から「お母様が原理を知っていますか?」と語っておられるものです。そのことは、お母様も前述したみ言で認めておられます。
 サンクチュアリ教会はそれを教育しながら引っ張ってきてと翻訳しますが、「先生が教育し」という意味は、どこまでお父様が解明した原理をお母様に伝えたという意味に他なりません。一方、真のお母様が、真の母としての勝利基準を立てるかどうかは、あくまでもお母様御自身の責任分担であり、それについて、お父様がお母様を無理に〝引っ張っていく〟ということではありません。ゆえに、お母様に対してお父様が引っ張ってきてという意味で語っているとするサンクチュアリ教会の翻訳は、悪意があると言わざるを得ません。
 事実、お父様はお母様の路程について、次のように語っておられます。
 (1960年からの)7年間というものは、実に様々な非難、中傷、うわさ、誤解が、先生一家をめぐって渦まいていました。……『さあ、お母様、あなたはそれを理解し、勝ちぬき、不屈の忍耐で勝利しなければなりません。私(お父様)はそれをこういう計画を成就するために、こういう目的に基づいてそうしたのだから。』というような説明はたった一言もしませんでした先生がお母様に説明し、慰めたとしたら、たとえお母様がそのために勝利したとしても、何の価値もないのです。お母様自ら意味を悟って自分自身の理解に基づいて、忍耐し勝利しなければならないのです(『祝福』1977年夏季号、59~61ページ)
 このお父様のみ言に説明はたった一言もしません……お母様自ら意味を悟って、自分自身の理解に基づいて、忍耐し勝利しなければならないとあるごとく、お母様は私を教育した人は誰もいません。独り子、独り娘は同等なのです。独り子が独り娘を教育したとは言えません。どのような意味かわかりますか? ですから私が決めたのです(2014年10月27日、天正宮博物館)と語っておられるのです。このように、お父様のみ言とお母様のみ言は一致しているのです。

 ちなみに、お父様は、お母様について「お母様が何を知っていたでしょうか。先生は、年齢40にして18歳(数え)になる夫人を迎えたので、どれほど息が詰まることでしょうか。御飯を食べることと神様以外には、何も知らないお母様でした。しかし、そのようなお母様とそのような背後に神様の摂理的意味があったので、何も知らないお母様を連れてきて(原理のみ言を)教育したのです」(『真の母の七年路程と日本』47ページ)と語っておられます。ここで重要な点は、『原理講論』に「人間は、堕落によって無知に陥り、神を知ることができないようになったので、その心情も分からなくなってしまった」(129ページ)と論じられているごとく、堕落人間は神を知ることができない立場であるにもかかわらず、お母様の場合には「神様以外に」とあるごとく、神様のことを知っておられたという事実です。この一点から見ても、お母様は堕落人間ではないということを、お父様が語っておられます。

 事実、お父様はお母様に対して「新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです」(『祝福家庭と理想天国(I)』909ページ)鶴子様は根が違うというのです。神様を根として初めて、歴史上に……現れた主人公だというのです」(『マルスム選集』148-41)と語っておられ、お母様が独り娘としてお生まれになった事実を明らかにしておられます。
 すなわち、独り娘としてお生まれになったお母様は、み言によって、自らをご自身の責任分担によって完成していかなければならない立場におられたという意味なのです。お父様のみ言とお母様のみ言は矛盾がなく、一致しています。にもかかわらず、サンクチュアリ教会はみ言を改竄し、あたかもお母様が堕落人間としての立場から、神側に生み変えられていくかのように思わせようと、つくり変えるのですとみ言を改竄しているのです。
 サンクチュアリ教会の一連のみ言改竄による発言は、真のお父様が真のお母様との「最終一体」を宣言されているにもかかわらず、ただただお母様を貶(おとし)め、真の父母の一体化に疑問を持たせようとする悪意に満ちたものです。
 私たちは、真のお父様のみ言、真のお母様のみ言を正しく理解し、このような〝偽りの言葉〟に惑わされてはなりません。