天一国の永遠の中心は、天の父母様と真の父母様である――「真の父」と共に「真の母」を重んじなければならない

(文責:教会成長研究院)

(注:本文中、真の父母様のみ言、および『原理講論』は
青色」で、サンクチュアリ教会および郭グループ側の主張は「茶色」で色分けしています)

①モーセ路程における「二つの石板」は、「真の父」と「真の母」を表す

 真のお父様は、「真の父母」について次のように語っておられます。

 「神様から見れば、今まで歴史的に願ってきた摂理の目的とは何でしょうか真の父母の基準です。人類が堕落した以後、今まで蕩減歴史をしてきたのは、何をするためでしょうか。真の父母を探すためです。数多くのキリスト教徒たちが、今まで再臨の日を待ち焦がれてきたのもこのためであり、数多くの宗教が、すべてこの一日を願っているのもこのためです」八大教材・教本『天聖經』183ページ)

 「本来、神様の創造理想は何かというと、真の父母の名を通じて天国の王国と地上の王国を完成することです。これを知らなければなりません。真の父母の名をもたずには、地上天国と天上天国は生じません。……天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通してのみ成し遂げることができるものです。霊界に行って王国を統一するということは真の父母の使命であって、ほかの人の使命ではありません。イエス様は真の父母になることができなかったので、楽園に行っているのです」(同、1739ページ)

 「すべての出発は、真の父母からです。あらゆるものの出発、最初は、皆さんではなく真の父母です。生きるのも、行動するのも、愛の家庭を連結するのも同様です。最初は真の父母です。これは先生の話ではなく、私たちの最初の先祖に対する神様の公式的な概念です(同)

 このみ言にあるように、神様の摂理の目的は「真の父母を探すため」であり、真の父母によってのみ「天上天国と地上天国は……成し遂げることができる」というのです。それゆえ、復帰摂理に現れる象徴的、形象的な内容には、さまざまな意味で「真の父母」が表示されていることを知らなければなりません。

 例えば、モーセ路程における「雲の柱」「火の柱」「二つの石板」は、真の父母を象徴しています(『原理講論』369、372ページ)。真のお父様は、二つの石板について「イスラエル民族が……滅亡するのを心配されて、神様がモーセをシナイ山に呼ばれ、40日間モーセに断食をさせて二つの石板を与えられました。それが何であったのかといえば、アダムとエバ、『真の父母』を象徴していたということを知らなければなりません」 (「ファミリー」1998年4月号、17~18ページ)と語っておられます。

 二つの石板は天宙を象徴する「契約の箱」に入れられており、それは天宙の〝中心〟を意味するものです。分派活動を行う人の場合、彼らは「真の父」のみを重んじ、「真の母」を軽んじる傾向性をもっています。「契約の箱」に石板が〝二枚〟あるように、私たちは「真の父」と「真の母」の両方を重んじなければなりません。

 前述したみ言に、「イエス様は真の父母になることができなかったので、楽園に行っているのです」とあるように、イエス様は地上で実体の「真の母」を立てることができなかったため、地上・天上天国を完成させることができませんでした。

 創造理想の基準において、神様は「人(アダム)がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」(創世記2章18節)と言われ、第二のアダムであるイエス様の場合も、「父は別に助け主(聖霊)を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さる」(ヨハネによる福音書14章16節)と語られました。

 再臨摂理においても、「真の父」と共に「真の母」が現れてこそ、初めて人類の「真の父母」となり、神様の創造理想を成し遂げることができるのです。

 ところで、サンクチュアリ教会側では、〝血統〟について語るとき「皇太后(注:真の母)は王にはなりません。なぜなら彼女は女性であり、血統を持たないからです」と述べ、女性は血統を持たないと主張します。これは非原理的な言説です。

 真のお父様は、女性も血統をもっていることを、次のように語っておられます。

 「だれであっても、母親の子宮にくっついて母親の血肉を吸い取って大きくなったでしょう。……母親の血肉が必要であり、母親の骨肉が必要であり、母親の愛が必要であり、生命が必要なのです。分かりますか? 自分のゆえにではなく、母親の愛のゆえに、母親の生命のゆえに、母親の血統のゆえに〝私〟が生まれたということは否定できません。生まれるときには、女性として、あるいは男性として生まれるのですが……女性は何のために生まれたのですか? 男性のためにです。一時代ですか、永遠の時代ですか? 永遠の時代です。神様の娘の愛は、絶対、唯一、不変、永遠の愛であるので、その愛を中心として、その対象的価値は絶対価値であり、絶対的な相対であるということを知らなければなりません。……それゆえに、女性の前に男性は、絶対真理の愛の相対なのです」(「ファミリー」1999年11月号、30ページ、「九・九節」のみ言)

 真のお父様は、「母親の血統のゆえに〝私〟が生まれた」と語っておられます。女性も血統をもっていることを知らなければなりません。サンクチュアリ教会側が語る血統の言説は、血統に対する〝不正確な理解〟に基づいてなされているものです。

 真のお母様を批判する人々の多くは、男性だけが血統を持っていると考える傾向をもっています。「血統」の概念を正しく知らなければなりません。

 すでに、当連載の第3回目「【2】『メシヤの血統は文氏であって韓氏ではない』という批判への応答」で論じたように、真のお父様は、男性と女性の両性の〝生命〟が関わって血統が生じることについて、次のように語っておられます。

 「生命を見ましたか? 生命に触ってみましたか? 生命体は見えるけど、生命は分かりません。触ってみることはできません。血統もそうです。血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。そして、精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(「ファミリー」1995年3月号、22ページ)

 「一人で血統が連結されますか? この血統は、男性の血だけでは連結できません。男性と女性が、一つにならなければなりません」(「ファミリー」2001年3月号、21ページ)

 「皆さんが父母から受け継いだ命は、父の精子と母の卵子を受け継いだところから出発したのです。その卵子と精子が一つとなったところに、愛によって根が生まれて発生したのが、皆さんの子女です」(「ファミリー」2007年3月号、7ページ)

 真のお父様は、父母から子女への生命の連結、すなわち「血統」に対して、それは愛を中心として精子と卵子が一つとなることから出発したと、生理学的に述べておられます。ただし、精子と卵子の生理学的次元の指摘だけでなく、さらに深く考察され、「愛によって根が生まれて発生した」と〝愛〟を強調しておられます。

 また、真のお父様は、平和メッセージで「生命と愛が合わさって創造されるものが血統です」(『平和神經』28ページ)、「血統は、父母が子女だけに与え得る特権中の特権です」(同、39ページ)と語っておられますが、血統は男女による両性の「生命」を抜きにして生じることはありません。すなわち「生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(同、28ページ)とあるとおりです。

 血統とは、男性と女性の両性によって「精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結される」のであって、その〝親子関係(父子関係)〟による縦的なものであることを理解しなければなりません。

②天国(天一国)は、真の父母を中心に人類が一つになって実現される

 カナンの地に入れなかったモーセ路程を蕩減し、カナン復帰を成し遂げたヨシュアの路程について、『原理講論』は〝再臨路程〟を表示するとして、次のように論じます。

 「モーセの使命を代理してでたヨシュアは、初臨のときの使命を継承して完成するために再臨なさるイエスを象徴したのである。したがって、モーセ路程を蕩減復帰するヨシュアの路程は、イエスの霊的復帰の路程を蕩減復帰しなければならない、彼の再臨路程に対する表示的路程となるのである」(394ページ)

 カナン復帰を成し遂げたヨシュアの路程は再臨路程を表示します。そして、このヨシュアの路程について、『原理講論』は次のように論じています。

 「彼らが十二の石を取って、カナンの地の落ち着いた宿営地に、ひとところに集めて置いたとき、ヨシュアは『このようにされたのは、地のすべての民に、主の手に力のあることを知らせ、あなたがたの神、主をつねに恐れさせるためである』(ヨシュア四・24)と言った。これは、将来石として来られるイエスに仕える十二人の弟子たちが、一つの心で一つの目的に向かい、一つの所で一致団結してこそ、世界的カナン復帰を完成して、神の全能性を永遠にたたえることができるということを、予示してくださったのであった」(396ページ)

 神様が〝再臨路程〟を予示するヨシュアの路程で見せてくださったように、再臨主である「真の父母」を中心に、子女たち(アベルとカイン)が一致団結してこそ、世界的カナン復帰路程を完成させ、永遠なる〝天一国〟が実現されるのです。

 天国(天一国)の中心は、神様と一体となられた「真の父母」であり、子女ではありません。神様がヨシュアの路程で予示されたように、真の父母様を中心に〝一致団結〟すべきであるという点を、明確にしなければなりません。

 真のお父様は、2010年7月16日のいわゆる「ボート会議」で、「顯進は先生と同じ方向に向いていない。逃げ回っている。顯進が先生の方向に来なければならないんだよ」「顯進が先生の方向に合わせられないから駄目なのだ」「統一運動はもっと遠く深くもっと難しくなってくる。先生にすがって行かないと駄目だ。これからももっと複雑なことが起こるかもわからない。三人の息子たち(顯進様、國進様、亨進様)が違った方向の考えを持っているが、共に行く方向でやらなければ大変だ」と語られました。今日起こっている〝不協和音〟の問題は、「真の父母」を中心に、子女たちが一致団結していないため起こっている問題であると言わざるを得ません。

 郭グループ側に立つ人は、「顯進様こそが長男であり、後継者である」と語り、サンクチュアリ教会側に立つ人は、「亨進様こそが正統な後継者である」と語って、互いに相手を牽制するかのように主張し合っています。しかし、すでに論じたように、真の父母に「後継者」は存在しません。人類の「真の父母」は永遠に一組であり、それは「文鮮明・韓鶴子ご夫妻」です。

 また、天一国の「万王の王」も一組の夫婦しかおられず、それは天の父母様と一体となられた天地人真の父母様(文鮮明・韓鶴子ご夫妻)です。子女様の立場は「後継者」ではなく、どこまでの信仰の〝相続者〟であり、真の父母の〝代身者〟に過ぎません。そしてたとえ子女様であってもその正統な〝相続者〟〝代身者〟となるためには、真の父母様との完全一体がなされなければならないのです。

 真のお父様は、天国の門は「真の父母」であるとして、次のように語っておられます。

 「地獄が二つあります。地上地獄、天上地獄がありますが、天国の門は一つです。地獄の門が開くからといって、地上から天国に直接入っていくのではありません。

 真の父母を通して入っていくのです。真の父母を通して入っていく門が、一つの天国の門です」(八大教材・教本『天聖經』2201ページ)

 「人類が偽りの父母として出発したので、天国の門を開いて入るには、真の父母が出てこなければなりません。神様も、自ら天国の門を開くことができません。神様が自ら天国の門を開くことができるなら、そのような能力がある方が、なぜしないでしょうか。堕落は、人間がしたために、罪を犯した人間が罰を受けなければなりません。人間が天国を失ってしまったから、人間が取り戻さなければならないのです。それで六千年もかかったのです」(同、678ページ)

 天国の門は一つなのであり、それは「真の父母」です。前述したみ言に「すべての出発は、真の父母からです。あらゆるものの出発、最初は、皆さんではなく真の父母です。生きるのも、行動するのも、愛の家庭を連結するのも同様です。最初は真の父母です」とあるように、私たちはすべての始まりの基準を「真の父母」に置くべきです。

 ある人は、子女様の願いを受け、「自分こそが父母様と子女様の間をとり持つのだ」と主張する人がいます。しかし、そのような言動は、出発点、軸を子女様に置いているのであって、「真の父母」に置いてはいません。ゆえに、そのような言動は〝天の願い〟からずれていることを理解しなければならないでしょう。

 かつて、真のお父様は顯進様に従う人たちを「郭グループ」と表現され、「従う人たちの話を聞いて、子女が親の下に来ない」と語られ、怒りを露わにされました。

 真のお母様も、サンクチュアリ教会問題が起こったときに、「万が一にも、あれこれ言いながら『少し助けてあげよう』と(誰かが)言っても、それに対して揺らいではいけません。(子女様を)助けてあげないことが助けてあげることです」(「トゥデイズ・ワールドジャパン」2015年9月号、4ページ)と語られました。

 「真の父母」と一体となっておられない子女様に従う人たちは、結果的に真の父母様の息子を奪った張本人となり、真の父母様と子女様の間を裂く者となってしまっているのです。

 その事実を、私たちは客観的、かつ冷静になって見つめ直し、ヨシュアの路程で論じられているように、「将来石として来られるイエスに仕える十二人の弟子たちが、一つの心で一つの目的に向かい、一つの所で一致団結してこそ、世界的カナン復帰を完成して、神の全能性を永遠にたたえることができるということを、予示してくださった」という〝天国実現の道〟を見つめつつ、み旨に邁進しなければなりません。

③真のお父様との地上での最後の生活

 私たちが人生を終えようとする時、〝最愛の人〟と共に過ごしたいと願うものです。

 真のお母様は「真のお父様との地上での最後の生活」と題して、次のように語られました。

 「真のお父様は生涯ご自身を顧みられず、神様の解放と人類救援のためにお体を燃焼なさいました。そのようにして、誰も想像することができないほど多くの業績を残され、真の父母様だけがなすことのできる権能を行使して、神様を解放してさしあげられ、神様が直接、この地上と霊界をお治めになることができる門を大きく開かれました。

 そして、歳月の流れとともにより強くなる思いをもって一心に、ひたすらために生きる人生を、お体を顧みることなく1分1秒を惜しまれながら、いつも時間がなく不足であるという心情で、生きておられました。そのように過ごされるので、決まった時間にお食事を取ることもできずに、(食事を)抜かれる日も多く、肉身が必要とする休息というものはお考えになることもできませんでした。真のお父様は元来とても健康なお体でお生まれになったため、健康管理だけしっかりなさるならば、もっと長く生きることができたでしょうが、最近の数年間は『一日が千年のごとく感じる』と語られながら、大変急がれました。

 ……今年(2012年)の8月の初め、病院で10日間にわたり全ての検査を終えられ……退院されて天正宮博物館にいらっしゃった一日の間、真のお父様は周囲の補佐官らに『きょうは、オンマと向かい合って食事をしたい』とおっしゃいました。いつも私は真のお父様の横に座って一緒に食事をするのですが、その日だけは『向き合ってオンマの顔を見ながら食事がしたい』と言われるので、そのように食事の席を準備してさしあげました。そのようにしたところ、真のお父様はお食事を召し上がらずに、私の顔だけをじっと見詰めていらっしゃったのです。恐らく真のお父様のお心の中に私の顔を刻みつけておられたのでしょう。私は心の中では涙があふれ出てきましたが、笑みを浮かべつつ、『これも、あれもおいしいですよ。召し上がってください』とお勧めいたしました。そのような時間があったので、私はさらに深刻になりました。……

 時々み言の中で『私が霊界に行く時になった。私は行く時を知っている』などといった内容を数多く語られたのですが、そのような準備をされた最後の期間であったことは間違いありませんでした。これは真のお父様が逝かれる前の一つの逸話ですが、実際にはそれよりも多くの事情を真のお父様と共にした日々でした。お食事をされるときも、私と並んでお座りになって召し上がっていましたが、私を意識されて、片方の手で私の手をしっかりと握って召し上がっていました。……『少し休んでください』とお勧めすると『オンマの膝で横になりたい』と言われながら、うたた寝をされたりもしました。健康でいらっしゃったときには全くなさらなかったそのような行動を……お体が大変になられてからは幼い子供がお母さんを必要として頼ってくるように、いつも私のそばに一緒にいたがられたのです。

 ……私は(お父様が聖和された)今、毎日真のお父様と対話をしながら過ごしています。真のお父様が平素より好まれた味噌チゲやおかずなどを、あれこれ説明してさしあげながら、おいしく召し上がっていただけるようにお勧めして、食膳を上げています。……(侍墓精誠の)この期間だけでも私が精誠を尽くして侍らなければなりません。

 皆さん。真のお父様が聖和されたその瞬間、私は真のお父様が人類のために願われ、志された内容を、私の命が尽きるその日までに成就してさしあげると約束したではありませんか? そのため今、私(お母様)は忙しいのです」(「トゥデイズ・ワールドジャパン」2012年11月号、14~18ページ)

 真のお父様は、地上での生涯路程を終えようとされるとき、〝最愛の人〟である真のお母様と共に過ごしたいと願われ、お母様はその願いをかなえてさしあげられました。そして真のお母様はお父様の生涯の願いである天一国実現を果たそうと今「中断なき前進」をしておられます。

 私たちは「最終一体」となられた真の父母様を絶対中心として、ビジョン2020(お父様の聖誕百年祭)を勝利的に迎えることが出来るよう、一致団結して精誠を尽くして走り抜いていかなければなりません。我々がそのような姿勢で歩んでこそ、今独自の道を歩まれる子女様の問題も、世界の様々な問題も、真の父母様を中心に収拾されてゆくのです。

― 以上 ―