独自の「神観」に基づいて〝虚偽〟をかたる中村仁史氏―― 分派による、真のお母様批判の常套手段〝み言改ざん〟に要注意!

文責:教理研究院

    注、真の父母様のみ言や『原理講論』は「青い字」で、サンク
チュアリ教会側の主張は「茶色の字」で区別しています。

 サンクチュアリ教会の中村仁史氏(元・光言社の翻訳担当)は、2020年2月23日のサンクチュアリ教会の2度目の礼拝「真のお父様の神観と、家庭連合の神観との違い」で、独自の「神観」に基づいて、真のお母様および家庭連合を批判しています。
 今回は、中村仁史氏の〝虚偽の言説〟のうち、① 「家庭連合の神観は『天の父』と『天の母』の二元論の神」と批判する誤り、②真のお母様が「原罪を持って生まれた」と批判する誤りなどを中心に、それらの〝虚偽〟を明らかにします。

(1) 「家庭連合の神観は『天の父』と『天の母』の二元論の神」と批判する誤り
「天の父母様」は真のお父様のみ言であり、〝一元論の神〟である
 中村仁史氏は、1988年10月14日の真のお父様のみ言を、次のように翻訳します。

 「神様は1人ですか、2人ですか?(「2人です」)。何ですか?(「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか、1人でしょう? 2つの性稟が入っているのです。(あなたには)良心がありますか、ありませんか?(「あります」)。体がありますか、ありませんか?(「あります」)。その2つが一つになって1人の女性です。(神様は)性稟は2つありますが、体は男性的主体としていらっしゃるということです。その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体がいれば、また他の男性格主体がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとするので、(神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性型としていらっしゃるということです」 (マルスム選集182-61、中村仁史氏の翻訳は茶色の文字で表記)

 この中村仁史氏の翻訳は、正確ではありません。部分的に省略したり、意味合いを変えたりしています。そのように改ざんする目的は、「天の父と天の母」という神観を、真のお父様が〝問題視〟しておられるかのように読ませるためです。中村仁史氏が翻訳する際、彼が省略し、意味合いを変えて表現した部分を以下、青い文字で示します。

 「神様は1人ですか、2人ですか? (「2人です」)。ですか? 神様は1人…。朴ヂョンミンなのか、何と言うヂョンミンなのか、2人だと言うの? (「天の父と天の母のお2人です」)。それが2人ですか 1人でしょう 2つの性稟が入っているでしょう。その朴ヂョンミンは(あなたには)良心がありますか、ありませんか? (「あります」)。体がありますか、ありませんか? (「あります」)。それは2つですが、合わせて朴ヂョンミンという(体は)1人の女性です。 (それと同様に神様は)性稟は2つありますが、体は男性主体としていらっしゃるということです。その男性格主体というのは何ですか? 女性格主体であれば、どれほどいいですか。女性格主体がいれば、また他の男性格がいなければならないという話になるので、二元論になるというのです。分かりますか? 二元論にひっくり返ります。ですから、永遠に一元論になろうとすれば、 (神様は)この男性と女性の中和体として主体的な性稟をもつ男性としていらっしゃるということです」 (マルスム選集182-63、青い文字は、中村仁史氏が削除したり、意味合いを変えて翻訳した部分)

 上記が、より正確な翻訳になります。この翻訳文から分かるように、このみ言は、神様が〝唯一のお方〟であるにもかかわらず、朴ヂョンミンという女性が「神様は2人です」と語ったため、真のお父様は、神様が〝唯一〟であることを彼女に教え諭そうと語っておられるものです。真のお父様は、朴ヂョンミン氏が「神様は2人です」と答えたので、なぜ「2人だと言うの?」と聞き返しておられます。そこで、朴ヂョンミン氏が「天の父と天の母のお2人です」と答えたため、真のお父様はそれが2人ですか? 1人でしょうと指摘しておられます。すなわち、真のお父様は、神様が「天の父と天の母」であるとしても、それは「2人」に別れて存在するではなく、男性と女性の中和的主体として存在され、「1人」なのだと語っておられるのです。
 ところが、中村仁史氏は、彼独自に翻訳して意味合いを変えたみ言を用いて次のように批判します。

  (「天の父と天の母のお2人です」という)この神観これがいわゆる二元論だと、こういう神観だと二元論になっちゃうじゃないかと。本当の神様はそうではないと。一元論の神様だと。……お父様の神観といわゆる家庭連合の神観、サタンが植えつけたいと思っている象徴的な神観がここに出てくるわけです。一元論から二元論にしたいわけです。……2014年10月27日、 (お母様が)独生子と独生女は同等ですと言うことを正当化するために私たちの神観をずらして二元論にして、これを受け入れさせるようにした、下地ですよね。これが狙いです」 (映像27分54秒〜29分05秒をディクテーション)

 中村仁史氏は、み言の一部を削除し、意味合いを変えるなどした翻訳文を用いて、 (「天の父と天の母」という)この神観……こういう神観だと二元論になっちゃうじゃないかと」述べ、真のお父様が「天の父と天の母」という考え方それ自体を問題視しておられるかのように語っているのです。しかし、これは悪意に満ちた〝詐欺的な批判〟です。真のお父様が問題としておられるのは、朴ヂョンミン氏が、神様は「2人です」と語ったことに対してであって、神様が「天の父と天の母」であることについてではありません。真のお父様は、朴ヂョンミン氏が「天の父と天の母のお2人です」と答えたことに対し、 それが2人ですか? 1人でしょうと語っておられるのです。

 『原理講論』は、神様について「父母なる神」 (61ページ)、 「人間の父母としていまし給う神」 (91ページ)、 「天の父母なる神」 (235ページ)、 「神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造された」(429ページ)等々と論じています。神様は唯一なるお方ですが、「天の父」と「天の母」すなわち「天の父母」なのです。
 真のお父様は、神様が「天の父母」であることを明確に語っておられますし、『平和神經』に収録された「霊界報告書」の表題に「神様は人類の父母」と明記しておられ、また「天基元年」を宣布された2010年の「真の神の日」の祈祷で、神様に対し「天の父母様(하늘부모님)」と呼びかけて祈っておられます。(注、これらの詳細については、すでに「『神は天の父母様である』ことを否定する中村仁史氏の言説の誤り」で論じていますので、それをお読みくださいhttps://trueparents.jp/?page_id=5749)。

 簡潔に述べると、真のお父様は、 「神様が自分の二性性相を展開し、神様の形状どおり万宇宙を造り、人間を造ったのです。アダムは神様の男性的性稟を展開させたものであり、エバは神様の女性的性稟を展開させたものなのです。このように見るとき、私たち一般人が普通『天のお父様!』と言うのは、お一人ですからそのように言うのでしょうが、そのお一人という概念の中に『天のお父様お母様』という概念が入っているというのです」 (八大教材・教本『天聖經』1421ページ)と語っておられます。
 また、 「真の父母は地上の父母であり、神様は天の父母であるのです」 (マルスム選集170-239)と語っておられ、さらに「神様が父ならば母なる神がいなければなりません。分かりますか? (「はい」)天の父母というときは必ずおふたりなので、統一教会では、二性性相の中和的主体であると同時に、格としては男性格としておられるというのです」 (同、388-155)とも語っておられます。

 すなわち、神は唯一であり、一元論であるのは言うまでもありません。しかし、『原理講論』に「第一原因としていまし給う神も、また、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在せざるを得ない……神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称する (46~47ページ)と明記されているように、唯一なる神の中に男性と女性があるのです。それに基づいて、真のお父様は、神様に対し「天の父母様」と呼びかけて祈っておられ、かつ「神様が父ならば母なる神がいなければなりませんと語っておられるのです。それにもかかわらず、中村仁史氏は「家庭連合の神観は『天の父』と『天の母』の二元論の神」だと批判します。もし、天の父母という概念が〝二元論〟であるというならば、真のお父様ご自身が〝二元論〟を語っておられるという、とんでもない主張となってしまうことを知らなければなりません。

 中村仁史氏は、真のお母様や家庭連合をおとしめようと、真のお父様のみ言の意味合いを変え、それを批判に用いています。真のお父様のみ言の意味合いを変えて、真のお母様批判に用いること自体、極めて不誠実であり、中村仁史氏は翻訳者として失格です。これは〝魂を悪魔に売り渡す行為〟であると言わざるを得ません。
 真のお父様は、「神様」について、次のように語っておられます。

 「神様の性相は、男性格である父なる神様と女性格である母なる神様から成っています。ですから神様から造られた人間と被造世界が、男性と女性の二性の神様でもあります」 (八大教材教本『天聖經』1114ページ)

 さらに、真のお父様は「天の父母様」について、次のようにも語っておられます。

 「私たち人間には一つの天の父母がいます。その神様は二性性相になっているので、私たち人間も二性性相です。万物もプラス・マイナスの型の二性性相になっています」 (マルスム選集26-188)

 真のお父様は、神様が「天の父母様」であること、および神様の中に「天のお父様」「天のお母様」がおられることを数多く語っておられます。すなわち、 一つの天の父母と語っておられるように、それは「父なる神様」「母なる神様」「二性性相の中和的存在」であり、 「統一的存在」です。すなわち、 「天の父母様」は〝一元論の神〟です。家庭連合の神観は、このお父様のみ言と全面的にともにあるのです。

②中村仁史氏の言説は〝男尊女卑〟の思想
 中村仁史氏は、 「家庭連合の神観は『天の父』と『天の母』の二元論の神」だと批判するにとどまらず、なぜ神様を「天の父母様」と呼ぶようにしたのかについて、それは (お母様が)独生子と独生女は同等ですと言うことを正当化するために」 、家庭連合の神観を「一元論から二元論」にすることを「狙い」としたのだと述べ、批判しています。この中村仁史氏の発想、批判は完全に的外れであり、その根底に〝男尊女卑〟の考え方があるものと言わざるを得ません。

 「独生子と独生女は同等」というのは、神様および真のお父様の思想であり、創造本然の世界における思想です。
 もし、人間始祖アダムとエバの堕落がなければ、神様の願われた理想世界は「男女平等」の世界でした。しかし、人間始祖の堕落によって、この世界は分裂と闘争、差別の生じる世界となってしまったのです。
 神様は、創造本然の世界を取り戻すため復帰摂理を展開して来られました。「男女平等」は創造本然の世界のあり方です。その点について『原理講論』は次のように論じています。

 「人間の創造本然の価値は、横的に見るときすべて同等であるがゆえに、その価値は、大して貴重なもののようには感じられないのであるが、天を中心として縦的に見るとき、各個性は、最も尊い天宙的な価値を、それぞれもっているのである。実に人間は、堕落することによって、このような価値をみな失ってしまったのである。ところが現代に至り、民主主義思想が高潮して、人々は奴隷解放、黒人解放、弱小民族解放などを主張しながら、人権擁護と男女平等、そして万民平等を叫ぶことによって創造本然の個性の価値を、最高度に追求するようになった」 (159ページ)

 真のお父様は、歴史的に虐げられてきた女性を解放するため歩まれ、1990年3月27日の「真の父母の日」に「女性全体解放圏」を宣布されました。このことに関連して、真のお母様の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』には、次のように記されています。

 「1990年3月27日、統一教会の名節(記念日)の一つである『真の父母の日』を迎え、アメリカのニューヨークで行われた記念礼拝で『女性全体解放圏』が宣布されることで、私は統一教会の第二教主となりました。その後、1994年11月27日には、ニューヨークのべルベディアで第二教主としての私の公的使命が改めて公表され、その意義が強調されました。……また、1991年6月には、カナダのクレアストーンの本館で『顧命性宣誓宣布』が行われました。『顧命』とは、『王の遺言』を意味する言葉です。文総裁は御自身が聖和した後も、私が神様の使命を引き継いで果たしていけるよう、日本の女性代表が責任を持って真の母を支えていくべきことを、顧命として宣布されたのです」 (220ページ)

 「第二教主」として立たれた真のお母様は、その後、「世界巡回路程」を勝利され、真の母としての責任を果たされました。真のお父様は1999年6月14日、真のお母様に「表彰牌」を授与され、次のように語っておられます。

  (真のお母様が)80か都市で勝利の基準を持って帰ってきたので、お母様はついに、お母様としての責任を果たして、神様が公認される位置に、サタンが公認する位置に、真の父母と人類が公認する位置に立ち、キリスト教人口の氏族圏を超えた勝利の版図圏に立ったのです。……それで文総裁からお母様に対して、韓鶴子女史に対して表彰をするのです。今からは、 (文総裁と)対等な立場なのです男女平等圏の時代が来ます。愛を中心としての男女平等圏時代です (『ファミリー』1999年8月号20ページ)

 独り子(独生子)と独り娘(独生女)は、神様が人間始祖アダムとエバを創造したとき、〝互いになくてはならない〟理想相対として創造されたように、もともと「対等な立場」であり、同等なのです。その後、真のお父様は2010年6月、真のお母様との「最終一体」を宣言され、さらに2012年4月14日には、米国・ラスベガスの天和宮で〝特別宣布式〟をされ、 「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会を最終完成・完結することを、お父様の前に奉献します」 (『トゥデイズ・ワールドジャパン』2012年6月号19ページ)と語られました。
 その〝特別宣布式〟から7日後の同年4月21日、韓国・清心平和ワールドセンターで、真のお父様は「天地人真の父母様特別集会」を開催され、次のように語っておられます。

 「創造主の資格をもって、最後に万王の王と父母の先祖の中の先祖となりうる勝利の覇権の栄光の宝座に座る人は、億千万代においてただ一つの夫婦であって、二つはいません夫婦が二つですか、一つですか。万国の王たち、偽者たちがなぜこんなに多いのですか。万王の王はお一方です……女性尊重時代が来ます。お母様を中心として、ひっくり返るのです。男女が同等で対等の価値の実権をつくるのです」 (「KMS中和新聞」2012年4月27日号)

 この「天地人真の父母様特別集会」で、真のお父様は真のお母様を呼ばれ、 「お母様がみ言を先にして、後からお父様がその完結を備えてこそ、天理大道の原則に合うので、きょうの父母様のみ言は、お母様から始めます (同)と語られ、真のお母様がみ言を訓読されました。
 このように、真のお父様は「女性全体解放圏」の宣布にとどまらず、その後も、いかにして真のお母様の位相を高め、女性の立場を高めていくのかに全力投球されたのです。これは、創造本然の世界において、独り子(独生子)と独り娘(独生女)は同等、対等な立場にあったからです。そのために真のお父様は生涯路程を歩まれ、そして独生子と独生女は同等と言える立場にまで至らせることができたのです。

 それにもかかわらず、中村仁史氏は(お母様が)独生子と独生女は同等ですと言うことを正当化するために 、家庭連合の神観を「一元論から二元論」にすることを「狙い」としたのだと述べ、批判します。これは、彼の考え方の根底に〝男尊女卑〟が横たわっているからに他ならず、真のお父様の思想と大きくかけ離れたものと言わざるを得ません。
 中村仁史氏は、光言社で長年にわたって真のお父様のみ言を翻訳する業務に携わってきたといいます。しかしながら、彼は真のお父様の多くのみ言に触れながらも、み言の翻訳作業をしただけであって、真のお父様が語られたみ言の意味、本質までは理解できなかったのです。

(2)真のお母様が「原罪を持って生まれた」というみ言は存在しない
 家庭連合側は、『原理講論』の「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。(原罪をもつ)堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない(264~265ページ)という「重生論」に基づいて、次のように主張してきました。

 「もし、真のお母様が、聖婚されたときに初めて〝神の血統〟に生み変えられたとするならば、それは〝父一人〟で生み変えたことになるために原理が説く『重生論』と食い違うことになります。それゆえ、真のお母様は、聖婚される前から〝神の血統〟であったと考えなければなりません。もし、真のお母様がご聖婚前には『原罪』をもっておられ、〝サタンの血統〟であったとするなら、父は一人で生み変えることができないのにもかかわらず、真のお母様は、いつ、どのようにして〝血統転換〟されたのかが、永遠の謎となって残されることになります」

 この主張に対し、中村仁史氏は説教で「二元論の神観、天の父・天の母が神様で、そこから生まれたと考えるから、 (無原罪の真の父と無原罪の真の母)こういう考え方になる」(57分28秒〜57分38秒)と述べ、家庭連合側の「重生論」に基づく主張を批判しています。そして、 「真の母(の場合に)は生み変えられるのではなく、真の父によって再創造されるのだと主張します。中村仁史氏は、真のお母様が「真の父によって再創造されることによって原罪を清算したかのように主張します。しかし、これは〝詭弁〟に過ぎず、誤りです。
 真のお父様ご自身は、真のお母様がご聖婚前から、すでに「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」「堕落圏内で探す新婦ではありません」「純粋な血統をもって生まれた方」「根が違う」「神様を根として……現れた主人公」等々として、次のように語っておられることを明確に知っておかなければなりません。

 「再臨の主は3人目のアダムです。……3人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです」 (『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』585ページ)

 「再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです」 (同、909ページ)

  (真のお母様は)根が違うのです。根が。皆さんは、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちましたが、統一教会の文なにがしと、ここにいる……韓鶴子、たった一人の(ハン)鶴子…。鶴子様は根が違うというのです。神様を根として初めて、歴史上に真なる愛の論理を中心とした統一論理を持って現れた主人公だというのです」 (マルスム選集148-41)

 これらのみ言について、中村仁史氏は一切触れようとしません。その一方で、中村仁史氏は、2004年7月19日、1983年4月3日、2000年6月30日の真のお父様のみ言などを引用し、真のお母様が「原罪を持って生まれた」かのように主張しています。しかし、彼のこの主張は、み言の恣意的な解釈に基づく〝虚偽の主張〟に他なりません。
 実際のところ、真のお父様が、真のお母様に対し「原罪を持って生まれた」と語られたみ言は存在しません
 以下、中村仁史氏が取り上げた3つのみ言を検証します。

①2004年7月19日のみ言の検証
 中村仁史氏は説教で、真のお母様が「原罪を持って生まれた」という根拠として、2004年7月19日のみ言を引用します。

 「オモニは、生まれながらにして王妃のように生まれ、母のように、再臨主の夫人として生まれたと思いますか? 言ってみてください。 (真のお母様は)堕落した血統を受けて生まれたのです。山の中の汚水が出てくるところで、石の割れ目からわき水がちょろちょろ出てくる、その一滴の水よりも偉大な女性になったのかというとき、答えるのが難しいのです。そのようになろうとすれば、他の方法はありません。出てくる水を同じ価値として扱うのです。山にある水を一ヶ所に入れ、それを濾過装置を通して瀘水のようにしなければならないということです」 (マルスム選集461-26、これは中村仁史氏の翻訳)

 太字ゴシックにしたそのようになろうとすれば、他の方法はありませんは、正しくは「そのようにするには、大したことではありませんと訳すべきものです。ところが、中村仁史氏は言葉のニュアンスを変えて翻訳しています。彼のみ言改ざんに要注意です。
 さて、中村仁史氏は(真のお母様は)堕落した血統を受けて生まれたと語られたみ言を根拠に、真のお母様が「原罪を持って生まれた」かのように批判します。しかし、これはみ言の誤った解釈です。
 真のお父様は、次のように語っておられます。

 「お母様も堕落した天使長の血統を受けた人です。先生までもそうです、先生までも。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で再創造しなければなりません」 (同、419-102)

 真のお父様は、 「お母様も堕落した天使長の血統を受けた人です」に続いて、 「先生までもそうです、先生までも」と語っておられます。この「堕落した天使長の血統を受けた人あるいは「堕落した血統を受けて生まれた」というみ言は、真の父母様が「原罪を持って生まれた」という意味ではありません。
 真のお父様は、無原罪で生まれたイエス様について次のように語っておられます。

 「アダムは神の独り子でした。……神が直接つくった絶対なる独り子でした。エバもそうです。……独り子のイエス様と堕落する前の独り子とではどちらが貴いですか? 堕落しなかった場合には、アダムですか、イエス様ですか? (「アダムです」)。どうしてですか? アダムは神からつくられましたが、イエス様は堕落した後孫の女から生まれてきたのです。キリスト教はこれを知らなければなりません。数千代の汚れた血統を条件的基盤に植えつけて、それを条件的な立場によって独り子として生まれたように認めたのです」(『本郷』320~321ページ)

 真のお父様は、イエス様に対し「イエス様は堕落した後孫の女から生まれてきた……数千代の汚れた血統を条件的基盤に植えつけて……独り子として生まれたように認めた」と語っておられます。このみ言はどういう意味でしょうか?
 これは、『原理講論』に「マタイ福音書の冒頭を見れば、イエスの先祖には四人の淫婦があったということを知ることができる。これは救い主が、罪悪の血統を通じて、罪のない人間として来られてから、罪悪の血統を受け継いだ子孫たちを救われるということを見せてくださるために記録されたのである」(573ページ)と記されているように、救い主は〝堕落の血統〟を通じて生まれてくることを意味しています。

 すなわち、 「お母様も堕落した天使長の血統を受けた人です。先生までもそうです」および(真のお母様は)堕落した血統を受けて生まれたのです」というみ言は、イエス様の誕生について語られたみ言と同じ主旨で語っておられるものです。すなわち、『原理講論』で論じられているごとく、イエス様も真の父母様も共に「罪悪の血統を通じて、罪のない人間」として生まれてきたということです。
 さらに、真のお父様はご自身の誕生について、次のように語っておられます。

 「人間自体の主人として来られる再臨主もサタンの血統に乗ってきたのです」 (マルスム選集444-197)

 「先生も、堕落の血統を受けてきたので、それを、漂白を何度もして、白紙の状態で文章を書けるようにしたのです」 (同、296-136)

 「先生までも生まれるにおいて、サタン世界の血筋の中から生まれたのです。そうですが、それをすべて除去させて、浄化し浄化して上がってきたのです」 (同、430-185〜186)

 救い主は「罪悪の血統を通じて、罪のない人間」として生まれてきます。これらのみ言は、すべて同じ主旨で語られているものです。真のお父様が「ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で再創造しなければなりません」と語っておられるように、み旨の道に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を歩まれるなか、アダムは「再創造」されるというのです。

 それと同じく、(真のお母様も)堕落した血統を受けて生まれたのです。……偉大な女性……になろうとすれば、……濾過装置を通して瀘水のようにしなければならない」と語っておられるのは、真のお母様も「ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で再創造しなければなりません」とあるように、み旨の道に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を歩まれるなか、エバも「再創造」されるということなのです。
 中村仁史氏が取り上げた2004年7月19日のみ言は、真のお母様が「原罪を持って生まれた」という根拠にはなりません。

1983年4月3日のみ言の検証
 中村仁史氏は説教で、真のお母様が「原罪を持って生まれた」という根拠として、1983年4月3日の「全体蕩減」のみ言から以下の一部を引用します(注、茶色の文字の部分)。しかし、このみ言の引用は、文脈を無視した引用となっており、真のお父様が語られる真意をねじ曲げた〝虚偽の主張〟に他なりません。

 そういう個人完成した場合は次に何をするか。エバを再創造しなければならない。エバはアダムをかたどって造ったんだからね。神はアダムを造って、アダムを標本としてエバを造った。それは何を意味するかというと、再創造原理において、アダムはアダムの責任を果たせないで、エバを堕落させたんだから、アダムは再び、エバを創造しなければならない。もう体は造っているんだね。サタンがもっている。それをサタンから取って来なければならない。そういうような地上基盤を天は準備するんだね。それで、20歳以下じゃないといけない。だから、その年齢の何も知らないお母様を連れてきた。それは再創造だ。『君は絶対服従』。 (完成期の)7年間の期間、それは、7000年の歴史の蕩減復帰だ。 (完成期の)7年の期間、服従しなければならない。あらゆる面において、どんな場においても、 (神のみ旨を中心に)その旦那さんに服従しなければならない。そのような過程を通じて、『父母の日』を決定して、『子女の日』を決定し、『万物の日』を決定して、『神の日』まで行くにはこれだけの内的問題、いろいろな問題を蕩減復帰して、父母様自体がすべてに讒訴圏を乗り越えて得た勝利の条件を満たさなければ、『神の日』を決定することはできない。『神の日』は完成したアダム、エバの出発基準を意味するんだね (『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』895~896ページ。茶色の文字は中村仁史氏の引用。青い文字は中村仁史氏が削除したり、文字を変えた部分)

 中村仁史氏は、 「もう体は造っているんだね。サタンがもっている。それをサタンから取って来なければならない」というみ言を根拠に、真のお母様が「原罪を持って生まれた」かのように批判します。しかし、これはみ言の誤った解釈です。 「エバを再創造しなければならない」という一連のみ言は、原罪の清算について語っている内容ではありません。長成期完成級の堕落圏を越えた〝原罪のない〟「完成期」における7年間の期間について語っておられる内容です。

 すなわち、『原理講論』に「堕落人間は……メシヤを迎えて原罪を取り除き、人間始祖の堕落以前の立場に復帰したのちに、神の心情を中心としてメシヤと一体となり、人間始祖が堕落したため歩み得ず取り残された成長期間を、全部全うして初めて『完成実体』となることができる」(280ページ)と論じられているように、「完成期」の7年間の期間とは人間始祖が堕落したため歩み得ず取り残された成長期間を意味しており、それは〝原罪のない〟成長期間である「完成期」における歩みなのです。中村仁史氏は、家庭連合側の「重生論」に基づく主張の反論として、 「真の母(の場合に)は生み変えられるのではなく、真の父によって再創造されることで原罪を清算するかのように主張していますが、真のお父様がこのみ言で述べておられる「再創造」とは、すでに〝原罪のない〟成長期間における「完成期」での路程です。中村仁史氏は、原罪のない「完成期」における「再創造しなければならない」というみ言を用いて、真のお母様が原罪をもっておられるかのように批判しているのです。彼の主張はみ言の無理解による〝虚偽の言説〟です。
 ところで、真のお父様は同じ主旨のみ言として、次のように語っておられます。

 アダムが責任を果たすことができなかったために堕落したので、その責任を完成した基準に立つには、エバを堕落圏から復帰して再創造し、善の娘として立ったという基準に立てなければなりません。そのようにしなければ、アダムの完成圏が復帰できないのです」 (『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』38ページ)

 これらのみ言を、「原理」に基づいて正しく理解しておかなければなりません。真のお父様がアダムが責任を果たすことができなかったために堕落したので……」とか、アダムはアダムの責任を果たせないで、エバを堕落させたんだから……」と語っておられるように、これらのみ言は「エデンの園」において起こった、アダムの堕落の問題に対する〝メシヤ(アダム)自身による蕩減〟〝メシヤ(アダム)自身の責任〟について述べているものです。
 結論から述べると、これらのみ言は、メシヤが「メシヤのための基台」を確立した上で、三天使長圏(堕落圏、サタン世界)に奪われている神様の「独り娘」を、アダムが取り戻すことを述べているものです。『原理講論』は、失楽園前の「エデンの園」において、もし、アダムが堕落せずに完成していたなら、復帰摂理はごく容易であったとして、次のように論じています。

 「エバが(霊的)堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であったはずである。しかし、アダムまで堕落してしまったので、サタンの血統を継承した人類が、今日まで生み殖えてきたのである」 (111ページ)

 この『原理講論』の記述は、いわば「霊的堕落のみのときの救援摂理」と呼ぶべきものであり、たとえエバが「霊的堕落」をしたとしても、もし、アダムが成長期間を全うして〝完成したアダム〟になっていれば、失楽園前の「エデンの園」においてエバの復帰摂理はごく容易に成されていたというのです。しかしアダムが完成できないまま(責任を果たせず)「肉的堕落」をすることで「サタンの血統を継承した人類が、今日まで生み殖えてきた」というのです。結局、エデンの園のアダムは、エバを天使長から取り戻すことができませんでした
 ゆえに、人類歴史の終末において、メシヤが来られたなら、メシヤは地上世界の「エデンの園」において、人間始祖アダムが果たしえなかった責任である、上述の「霊的堕落のみのときの救援摂理」の内容を〝蕩減復帰〟しなければならないのです。すなわち、メシヤは、洗礼ヨハネをはじめ三天使長を屈伏させることで、神が準備した独り娘であるエバを堕落圏から復帰して再創造し……」 サタン(堕落した天使長)から取って来なければならない」のであり、この「霊的堕落のみのときの救援摂理」を、メシヤご自身がアダムに代わって蕩減復帰しなければならないのです。(注、これらの詳細はすでに「真の父母様宣布文サイト」に掲載している反論文の「人間始祖の『霊的堕落のみの時の救援摂理』について」の項目部分をお読みくださいhttps://trueparents.jp/?page_id=3922。もしくは、 「『UCIを支持する人々の言説の誤り・No.2』48~52ページのPDF資料〈抜粋〉」をお読みください。)

 簡潔に述べると、地上において復帰(再現)された「エデンの園」には、人間始祖のときと同様、そこにメシヤ(アダム)と三天使長、および独り娘(エバ)が存在することになります【図を参照】。そして、復帰された「エデンの園」の中にいる独り娘は、人間始祖のときと同様、聖婚する以前から「神の血統」であり「無原罪」です。

 ところが、復帰(再現)された「エデンの園」にいる三天使長は、洗礼ヨハネ的人物をはじめ「メシヤのための基台」として、メシヤご自身が〝サタン世界〟〝堕落圏(堕落人類)〟で闘って勝利して、取り戻してこなければならない基台なのです。前述のみ言の「エバを堕落圏から復帰して再創造し……」 サタンから取って来なければならない……」という場合の「堕落圏」 「サタンから」とは、まさしくメシヤご自身が闘って自然屈伏させて取り戻すという〝三天使長〟の状況そのものを指して語っておられるのです。したがって、メシヤは堕落圏と闘って勝利することで、三天使長圏を自然屈伏させ、「メシヤのための基台」(三弟子)を確立しない限り、天使長圏「堕落圏」「サタン」からエバを取り返して「聖婚式」を挙げることはできません。これらのみ言は〝メシヤ(アダム)自身による蕩減〟〝メシヤ(アダム)自身の責任〟について述べているものです。

 したがって、中村仁史氏が引用した「もう体は造っているんだね。サタンがもっている。それをサタンから取って来なければならない」というみ言は、真のお母様が「原罪を持って生まれた」という意味ではありません。このみ言を、より正確に述べるならば、真のお父様がみ言の中で「そういうような地上基盤を天は準備すると語っておられることから分かるように、これは復帰された「エデンの園」において 「もう(神が独り娘の)体は造っているんだね。サタンが(神様の娘を)もっている。それ(神様の娘)(メシヤは三天使長を屈伏させて)サタンから取って来なければならない」という意味になるのです。すなわち、このみ言は、失楽園前の「エデンの園」における〝アダム自身の責任〟の蕩減復帰について述べておられるのです。
 中村仁史氏の言説は、真のお父様が語られた「再創造しなければならない」という〝完成期の路程〟の原理的意味を理解しておらず、恣意的なみ言解釈に基づく〝虚偽の主張〟です。

③2000年6月30日のみ言の検証

 中村仁史氏は説教で、 「原罪を持って生まれた」という根拠として2000年6月30日のみ言を引用します。

 「アダムをかたどってエバをつくったので、血統を清めたその男性が女性と出会い、血統を清めることをしなければなりません。アダムがエバの言葉を聞いて血統を汚したので、エバを絶対服従させて血統を清めなければなりません。それで、神様の血統を受けることができる、縦的な基準で90度の女性になるとき、ここから愛の天地造化が、血族が広がっていくのです」 (マルスム選集325-149、中村仁史氏の翻訳は茶色の文字で表記)

 この中村仁史氏の翻訳は、正確ではありません。み言の前後を入れ替えて改ざんし、意味合いを変えています。そのようにした目的は、真のお母様の「血統」が真のお父様によって清められるかのように読ませるためです。中村仁史氏が翻訳する際、み言の前後を入れ替えた部分、および引用していない部分を以下、青い文字で示します。

 だから、今まで救援摂理は、アダムを再創造する歴史です。神様の息子を探すことができませんでした。4000年ぶりに出てきたイエスというのは、神様の息子です。独り子です。血統を清めてきました。独り子だというのは血統を清めて出てきたからです。原理のみ言を見れば、血統を清めなければならないという内容がでてきます。

 血統を清めたその男性が、アダムをかたどってエバをつくったので、女性と出会い、血統を清めることをしなければなりません。アダムがエバの言葉を聞いて血統を汚したので、エバを絶対服従させて血統を清めなければなりません。それで、神様の血統を受けることができる、縦的な基準で90度の女性になるとき、ここから愛の天地造化が、血族が広がっていくのです。だから十字が広がり、前後・左右・上下の球形の形態が広がっていくのです。それで、垂直と連結されるのです (マルスム選集325-149、青い文字は中村仁史氏が引用していない部分、およびみ言の前後を入れ替えて改ざんした部分)

 上記が正確な翻訳です。このみ言の小見出しは「血統を清めた息子が来て女性に出会い人類の血統を清めなければ」 (同325-148)となっています。すなわち、 「血統を清めたその男性が」とは独り子のことであり、その独り子が「女性と出会い」 、そして (人類の)血統を清めることをしなければ」ならないと語っておられるみ言なのです。すなわち、これは、真のお父様が真のお母様と出会うことで「真の父母」となって、人類を生み変えていくことをしなければならないと語っておられる内容なのです。
 ところが、中村仁史氏はみ言の前後を入れ替えて意味合いを変え、改ざんすることによって、次のように主張しています。

 「肉的堕落の蕩減復帰は、真のお父様と韓鶴子オモニの間の実体の関係の中で清算しないといけないんですよ。……お父様から来るみ言に対して絶対服従するという路程を、韓鶴子オモニは歩まなければならなかったということなんですね」 (映像50分51秒〜54分21秒をディクテーション)

 中村仁史氏は、改ざんした翻訳文を用いて、 「肉的堕落の蕩減復帰は、真のお父様と韓鶴子オモニの間の実体の関係の中で清算しないといけない」と述べ、真のお父様が真のお母様を「絶対服従」させ、お母様の「血統を清めること」をしなければならないみ言であるかのように語っているのです。これは、実に悪意のある行為です。このみ言は、真の父母様を通して人類が重生することによって、堕落人間は血統を清めていくという意味の内容なのです。中村仁史氏の主張は、み言の改ざんに基づく〝虚偽の主張〟です。
 真のお父様は、「血統を清めること」について、次のように語っておられます。

  (堕落人間の)血統を清めるにおいては、父だけではできません。卵子と精子を中心に二つが一つとなって血統が清まるようになるのです」 (マルスム選集533-281)

 真のお父様は、(堕落人間の)血統を清めるにおいては、父だけではできません」と語っておられます。これは、『原理講論』の「重生論」と同じ内容のみ言です。 「卵子と精子を中心に二つが一つとなって血統が清まるようになる」というのです。すなわち、真のお父様と真のお母様を中心として二つが一つとなって血統が清まるようになる」のです。「重生」は、真の父母様による「祝福結婚」によって成されるのです。
 真のお父様は、 「1960年に聖婚式を挙げることによって、真の母が立てられました。これによって、皆さんがお父様の骨髄の中にいるときに感じた愛の恩恵を感じてお母様を愛し、侍ることによって、再びお母様と縁を結んだので、そのお母様の愛と連結して出生することができる」 (天一国経典『天聖經』203ページ)と語っておられます。
 1960年に「真の母」が立たれました。そのことによって人類歴史上、初めて「真の父母」が現れ、人類は「血統を清めること」ができるようになったのです。このみ言は、そのような意味から語っておられるものです。

 以上、真のお父様のみ言には、真のお母様が「原罪を持って生まれた」というみ言は存在しません。
 サンクチュアリ教会に追従する中村仁史氏の主張は、検証してみると、真のお母様や家庭連合をおとしめようと、真のお父様のみ言の意味合いを変えて、それを批判に用いています。真のお父様のみ言の意味合いを変え、真のお母様批判に用いること自体、極めて不誠実であり、中村仁史氏は翻訳者としてばかりでなく、真のお父様を敬い、慕うべき信仰者としても完全に失格です。前述したごとく、これは〝魂を悪魔に売り渡す行為〟であると言わざるを得ません。
 私たちは、サンクチュアリ教会の誤った言説や、独自の「神観」に基づいて〝虚偽〟をかたり続ける中村仁史氏の悪意ある主張にだまされてはなりません。