虚偽に満ちた江利川氏の真のお母様批判(3)―2025年1月12日のサンクチュアリ礼拝における批判の誤り―

文責:教理研究院

注、真の父母様のみ言や『原理講論』などは「青い字」で、江利川安榮氏
やサンクチュアリ教会側の主張は「茶色の字」で区別しています。

 江利川安榮氏は、2025年1月12日(日)のサンクチュアリ礼拝で、「『真の父母は一体』は本当か?」と疑念を提起し、「お父様とお母様は一体ではない」と批判しています。
 江利川氏は礼拝で「一覧表」なるものを提示し、①「神について①」、②「神について②」、③「神の人間創造について」、④「『原理講論』について」、⑤「イエス様の相対者について」、⑥「真の母の血統について」、⑦「真の母の教育について」という7つの項目を挙げて、み言の改竄やみ言の文脈を無視した解釈を行って、真の父母様が一体であることを否定しています。
 すでに、①「神について①」、②「神について②」の2つについては、反論文(1)で扱い、③「神の人間創造について」、④「『原理講論』について」反論文(2)で扱いました。今回は、⑤「イエス様の相対者について」を検証し、反論を述べます。
 すでに指摘しましたが、サンクチュアリ教会が取り上げたみ言を検証すると、み言の改竄に基づくデタラメな批判に満ちています。そもそも〝お父様とお母様が一体化していない〟と批判すること自体が、2010年にお父様が発表された「真の父母様の最終一体」を否定するものです。サンクチュアリ教会の主張は、お父様のみ言を信じていると装いながら、お父様のみ言を本音では信じていないことを露呈しています。

「イエス様の相対者について」
 サンクチュアリ教会は、次のようにお父様のみ言を取り上げています。
 【サンクチュアリ教会の翻訳文】(注:ライトグレーのラインマーカーはサンクチュアリ教会が赤い字で強調している部分)
 「イエス様が結婚するとき、洗礼ヨハネがカインでイエス様がアベルなのですが、エデンの園の天使長、カインがアダムのエバを奪っていったので、ここでは、カインの妹である洗礼ヨハネの妹を妻として迎えなければなりません」(『御言選集』279-227,1996.9.8)
 以上の翻訳文は、実際には次のようになります。(注:「青い字」の部分は教理研究院がより正確に翻訳した部分)
 「イエス様が結婚するにはこれ(洗礼ヨハネがカインでイエス様がアベルなのですが、エデンの園の天使長、カインがアダムのエバを奪っていったので、ここでは、カイン的な妹である洗礼ヨハネの妹を妻として迎えなければなりません」(『御言選集』279-230、1998.4.17)
 サンクチュアリ教会は、このみ言が「279-227,1996.9.8」であると表記していますが、実際は違っており「279-230、1998.4.17が真実です。ページ数と日にちを間違って表記することは、通常、書籍の出版ならば、これは致命的な欠陥です。平然と間違いを犯している事実は、確認作業を怠っていることを如実に物語っています。

 さて、お父様は、確かにカイン的な妹である洗礼ヨハネの妹を妻として迎えなければなりませんと語っておられますが、2000年前のイエス様の結婚については、次のように語られたみ言を考慮しなければなりません。
 「結婚するにしても、イエス様の結婚は簡単にできなかったのです。……(なぜなら)妻になる人も、堕落した世界の根から生まれた女性しかいないのです」(『祝福』1990年冬季号45ページ)。
 つまり、イエス様の花嫁候補者は堕落した世界の根から生まれた女性」しかおらず、神様を根とする独り娘ではなかったために、「イエス様の結婚は簡単にできなかったというのです。
 お父様は、次のように語っておられます。「イエス様は、『私は神様の独り子だ』と言いました。……独り子に必要なのは何かといえば、独り娘を探すことです。……(イエス様が)この地上で世界を救うために出発しようとすれば、一人ではできません(『マルスム選集』159-192、1968.5.10)。「イエス様が地上に来られることによって、初めて独り子という名をもつようになりました。……地球星に独り子が生まれたのです。……しかし、独り子は生まれましたが、独り娘はいませんでした(『マルスム選集』347-171、2001.7.4)
 これらのみ言で「独り子に必要なのは……独り娘」と語られ、さらに「地上で世界を救うために出発しようとすれば、一人ではできませんとあるように、イエス様は必ず結婚しなければならなかったのです。しかし、イエス様が結婚できなかったのは、先のみ言にあるように、「イエス様の結婚は簡単にできなかったためなのであり、それは「独り娘」がいなかったからです。つまり、洗礼ヨハネの妹は独り娘ではなかったということです。もし、独り娘であるならば、イエス様は「真の父母」になるために、すぐに結婚したことでしょう。
 サンクチュアリ教会はみ言の一部分しか見ておらず、お父様が語られたみ言の全体像を捉えていない実態が露呈しています。

 ところで、お父様は、お母様について鶴子様は根が違う……神様を根として初めて、歴史上……現れた主人公だ」(『マルスム選集』148-41)と語っておられ、お母様こそが6000年を経て「神様を根として初めて、歴史上……現れた」唯一の独り娘であることを明確にしておられます。
 また、お父様は「お母様を選ぼうとするには、すべての条件が合わなければなりませんでした。……お母様一人が生まれるためには、……三代が、来たるべき主の前に功労の基盤がなければならないのです。有り難くもお母様の歴史は、お母様の母方の祖母(趙元模氏)から洪順愛ハルモニ、お母様と、三代が一人娘です。……(それは)サタンの血統をごちゃごちゃと残さないためなのです。それで、お祖母さんも一人娘で、お母さんも一人娘なのです。三代が巻き込まれていくのです」(『真の御父母様の生涯路程④』23~25ページ)と語っておられます。すなわち、真の母になる方は「すべての条件が合わなければ」ならず、「三代が一人娘」でなければならないと語っておられます。その理由について、イエス様当時の〝神の摂理〟を考えたとき、サンクチュアリ教会が取り上げた洗礼ヨハネの妹を妻として迎えなければなりません」というみ言のその摂理的背景には、以下のみ言にあるように、三代にわたる女性の摂理があったことを知らなければなりません。
 お父様は「救援摂理の原理観」のみ言で、次のように語っておられます。
 「イエス様はザカリヤの家庭で懐胎しました。エリサベツとマリヤの間柄は母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザカリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした」(『祝福家庭と理想天国(I)』36ページ)
 このみ言にあるごとく、イエス様が独り子として生まれるために、「エリサベツとマリヤの間柄は母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係で……レアとラケルが……一体になれなかったのを……蕩減する条件まで立て」とあるように、レアとラケルが一体化できなかったことを蕩減する〝女性の摂理〟があったことが分かります。
 このレアとラケルの一体化を蕩減復帰する条件は、当初では勝利して、エリサベツとマリヤは一体化し、イエス様は独り子として誕生することができました。しかし、その後、お父様が「ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵の下、初めにもった絶対的な信仰をずっともっていたなら状況は全然違っていたことでしょう。彼らが責任を果たしたならば、マリヤは三か月後にその家を出たとしても、継続的に彼らと行き来し、相談したはずです」(同39ページ)と語られているように、イエス様の懐胎後、エリサベツとマリヤは一体化ができなかったのです。そのため、イエス様を守る基台(垣根)は崩れました。マリヤを追い出したエリサベツの失敗によって、洗礼ヨハネの妹は「独り娘」として誕生することができなかったのです。
 そのヤコブの時にレアとラケルが失敗したことを、エリサベツとマリヤにおいて蕩減復帰するために、エリサベツとマリヤの母親の代から女性の摂理が始まっていたことが分かります。しかし、イエス様懐胎後には女性の一体化の摂理は失敗し、独り娘が生まれることができなかったのです。それを、現代の摂理において蕩減して清算し、「独り娘」を誕生させる摂理として重要になったのが〝三代の一人娘〟の内容であったといえるのです。
 すなわち、エリサベツが、神のみ旨を信奉し得ずに〝独り娘〟を懐胎できなかったことを蕩減復帰するために、趙元模ハルモニ、洪順愛・大母様が母子一体となり、一人娘の女性として絶対的に神のみ旨に従いながら、神のみ旨を信奉する信仰条件を立てなければならなかったと言えるのです。そこから、三代の一人娘ということが摂理的に求められていたと考えられます。そのことについて、お父様は「有り難くもお母様の歴史は、お母様の母方の祖母(趙元模氏)から洪順愛ハルモニ、お母様と、三代が一人娘です。……(それは)サタンの血統をごちゃごちゃと残さないためなのです」と語っておられる内容だと言えます。
 すなわち、2000年前に勝利できなかった内容を蕩減復帰するため、現代の摂理では〝三代の一人娘〟が、ちょうどエリサベツの母親(洗礼ヨハネの妹の祖母)の代から始まり、エリサベツ、そして洗礼ヨハネの妹の三代に至るまでの摂理的内容に対し、失敗したことを蕩減復帰するために神のみ旨の前に「三代が一人娘」という立場から、絶対信仰の基準を立てるという道が摂理的に要求されていたものと言えます。それを、見事に蕩減復帰して勝利したために、現代においては歴史上、初めて「独り娘」が誕生することができたのだと言えます。それゆえ、お父様は「鶴子様は根が違う……神様を根として初めて、歴史上に……現れた主人公だ」(『マルスム選集』148-41)と語っておられるのです。すなわち、お母様は6000年を経て初めてお生まれになった初臨の独り娘なのです。
 結論として、洗礼ヨハネの妹は独り娘ではありませんでしたが、お母様だけは唯一の独り娘であるということです。

 また、サンクチュアリ教会は次のみ言を挙げています。
 「洗礼ヨハネの妹や親戚の八親等内に娘がいれば、洗礼ヨハネの母とマリヤ、そして姉がいれば、その姉の3人が一つになり、イエス様より年の若いその親戚の娘と縁を結ぶようにしなければならなかったのです。イエス様と共に1人の女性を再創造しなければならなかったというのです」(『御言選集』39-100,1971.1.10)
 このみ言の翻訳に関しては、ほぼ問題ないと言えます。しかし、ページ数が実際には「101」であるにもかかわらず、サンクチュアリ教会は「100」と表記しており、このページ数の間違いは、通常、書籍の出版ならば引用文献の間違いであるために致命的な欠陥です。これもみ言の確認作業を怠っていることを如実に物語っています。前述したように、イエス様のとき「結婚するにしても、イエス様の結婚は簡単にできなかったのです。……(なぜなら)妻になる人も、堕落した世界の根から生まれた女性しかいないのです」とあるように、これは「洗礼ヨハネの妹や親戚の八親等」を探したとしても、妻になる人も、堕落した世界の根から生まれた女性しかいないということであり、それゆえ「1人の女性を再創造しなければならなかった」と語っておられるのであり、それらの女性もすべて独り娘ではなかったということです。

 次に、サンクチュアリ教会が取り上げた3つ目のみ言は次の内容です。
 「イエス様の家庭は誰ですか。1971年1月3日にイエス様を結婚させてあげました。新婦は張貞順さんでしたか。『はい。』霊的です、霊的。養子を選んであげることもできます。このベルベディアで暮らしている張貞順さんを知っている人は、手を挙げてみてください。今までそれを知りませんでした。時になったので発表するのです」(『御言選集』292-235,1998.4.19)注:実際には『御言選集』292-237,1998.4.17
 この翻訳も、青い字の部分が欠落している点を除けばほぼ問題はありませんが、これまでのみ言と同様、本当は292-237,1998.4.17としなければならないのに、ページ数と日にちが間違っている点が問題です。この引用文献の間違いは致命的な欠陥です。さて、このみ言にあるごとく、イエス様の相対者は張貞順氏であることは事実です。これは当然のことであるにもかかわらず、なぜこのみ言をあえて取り上げたのか、甚だ疑問です。もしかすると、イエス様の相対者は張貞順氏であり、お母様ではないと言わんとしているのでしょうか?それとも、イエス様とお母様が結婚したとでも考えているのでしょうか?その真意は不明ですが、以下の事実を見ても、お母様がお父様との聖婚を永遠視されていることは明らかです。

 ノンフィクションライターの窪田順生(まさき)氏が『潜入 旧統一教会』(徳間書店)という書籍を出版していますが、その表紙の表面と裏面に、真の父母様の業績が永遠に展示される天一聖殿に飾られる〝天一聖画〟が紹介されており、それが右の聖画です。これらを見ると、真のお母様が、真のお父様との「聖婚」を永遠視され、全人類に宣布されようとしておられることは明らかです。お母様は、この14枚の「天一聖画」を未来永劫にわたって歴史に残そうとしておられます。螺鈿(らでん)と漆(うるし)でつくられた聖画は何千年経っても変わらないと言われます。その一点から見ても、お母様はお父様との生涯路程を永遠に歴史に残そうとしておられることが分かります。すなわち、「人類の真の父」は永遠に文鮮明・真のお父様であり、「人類の真の母」は永遠に韓鶴子・真のお母様しかおられないというのであり、それがお母様の真意なのです。
 にもかかわらず、あえてイエス様は張貞順氏と結婚したことについて取り上げているのは、もしかして、お母様はイエス様と結婚したとでも考えているのでしょうか? だとすれば、実に愚かなことです。

 さらに、サンクチュアリ教会は次のお母様のみ言を取り上げています。
 【韓鶴子女史の言葉】(注:ライトグレーのラインマーカーはサンクチュアリ教会が赤い字で強調している部分)
 「独生子というのは2人存在しないでしょう? 1人です、1人(イエス・キリスト)。ですが、独生女はいなかったではないですか。だから私でなければならないのです。私以外は誰にもできません」(2015年9月12日)
 このみ言を取り上げていますが、「独生子(独り子)「独生女(独り娘)も一人しかいないというのは当然のことなのです。お母様は、「全知全能であられる神様は、創造目的を実現しなければなりません。始まりと終わりが同じでなければならないのです」(『世界家庭』2017年1月号5ページ)と語っておられます。
 このみ言の意味するところは、エデンの園にアダムとエバという一組の男女がおり、本来ならアダムとエバが勝利して「人類の真の父母」とならなければならなかったが、アダムとエバが堕落したため、「始まりと終わりが同じでなければならない」ため、終末時においても、一組の「人類の真の父母」が現れるというのです。そのことをお母様は語っておられます。ところで、サンクチュアリ教会は「1人です、1人(イエス・キリスト)」としていますが、(イエス・キリスト)という言葉は彼らが勝手に付け加えた言葉です。先ほどの天一聖画にもあるように、「人類の真の父」は永遠に文鮮明・真のお父様であり、「人類の真の母」は永遠に韓鶴子・真のお母様の一組しかおられないというのであり、それは真理なのです。

 サンクチュアリ教会は、次のお母様のみ言も取り上げています。(注:ライトグレーのラインマーカーはサンクチュアリ教会が赤い字で強調している部分。「青い字」の箇所は、より正しく翻訳し直した箇所)
 「天が2000年前に探し出すことができなかった独生女を探し出す蕩減復帰摂理の歴史がありました。それで唯一、6000年目に初めて、1943年に生まれた独生女が私です。それを否定することはできません。6000年ぶりです。私を生んだ父母がいましたが、私は神様を父と知って育ちました。祖母も大母様もそのように認めました。人類の中で、神様が父と知って生まれたのは、ひとえに私ひとり2000年前のイエス・キリストと」(2017年3月29日)
 この青い字にしているひとりという部分を、サンクチュアリ教会は「私だけですと改竄して表記しています。この部分は文脈から見れば、女性においては「私ひとり」という意味で語っておられるにもかかわらず、それを改竄しているのです。

 以上のように、お母様は自らが「独り娘」であることを様々なみ言で語っておられますが、お父様のみ言を見ても、事実においても、真のお母様が「神様を根として初めて、歴史上……現れた」独り娘であることは明らかであり、そのお母様はお父様との聖婚を生命視し、天苑宮天一聖殿でその事実を「天一聖画」をもって永遠に宣布されようとしておられるのです。お父様が語られているように、イエス様の相対者はどこまでも張貞順氏であり、他に代わる人はいませんし、代わってもいません。お母様もお父様との聖婚を生命視されています。それにもかかわらず、サンクチュアリは、なぜ、わざわざ⑤「イエス様の相対者について」という項目を入れなければならなかったのか?これはお母様とイエス様を結びつけ、貶(おとし)めようとする印象操作であり、極めて愚かな行為であると言わざるを得ません。