UCIを支持する人物の『アベル女性UN創設大会のみ言_教理研究院の「分派による御言葉改竄の問題(1)」に対する反論(2)』への応答

(文責:教理研究院)

注、 真の父母様のみ言、および教理研究院がすでに発表した文章は青い字」で表記し、UCI(いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」や「茶色の囲み記事」で区別しています 。

 2017年4月9日、教理研究院は、「真の父母様宣布文サイト」に「分派による『真のお母様』を貶めるための御言改竄の問題 (1)み言の前後の文章を隠し、意味を誤読させる」を掲載しました。

 教理研究院は、UCI(いわゆる郭グループ)側を支持する人物が、「お父様は、聖和される50 日ほど前に、お母様が自分勝手にやって、真の母が不在であると語られた。『オモニを私が育ててきたよ。オモニはいません。文総裁の妻の位置もいません。自分勝手にやっている!!自分勝手に。ん。』(アベル女性UN創設大会2012 年7 月16 日)」と、お母様を批判していることに対して、このお父様のみ言は、お母様を否定しているみ言ではないと述べました。

 2012年7月16日のアベル女性UN創設大会の、「オモニを私が育ててきたよ。オモニはいません。文総裁の妻の位置もいません。自分勝手にやっている!!自分勝手に。ん。」というみ言を用いた〝お母様批判〟は、かつてサンクチュアリ教会を支持する人物たちが拡散していたため、その反論文をすでに『世界家庭』2016年10月号および「真の父母様宣布文サイト」に掲載(https://trueparents.jp/?page_id=2364)していました。

 今回、これと同じ内容をもって、UCI側を支持する人物も、何とかしてお母様を貶めようと、この講演内容を〝お母様批判〟に悪用しています。

 教理研究院の「分派による『真のお母様』を貶めるための御言改竄の問題 (1)み言の前後の文章を隠し、意味を誤読させる」の応答文に対し、UCI側を支持する人物が『アベル女性UN創設大会のみ言_教理研究院の「分派による御言葉改竄の問題(1)」に対する反論(2)』を公開しましたので、その誤りを以下、述べます。

【誤り①】お母様について語っていないみ言を、「お母様に言及した」と述べる悪意

 UCI側を支持する人物は、アベル女性UN創設大会で、お父様が講演文の〝前置きである〟として語られたみ言の部分を、次のようにディクテーションし、解説しています。

 UCI側を支持する人物は、上述の部分で「お父様は2度『母(オモニ)がいない』と言及され(た)」と述べます。しかし、このみ言は、お父様が、真のお母様を否定され、「真の母の不在」について言及されたのではありません

 この部分を正しく理解するために、まず、お父様の講演文の〝前提〟となる説明部分を紹介し、それからUCI側を支持する人物が取り挙げたみ言の部分を忠実にディクテーションして翻訳した文章を、以下に述べておきます。

【お父様の講演】(注、太字の部分は講演文、それ以外はアドリブで語られた部分)
 大会の前に、私の話を約30分間、前提として話してから、結果としての話を始めます……
 今に至るまで、数多くの宗教がありますが、父なる神様を信じる宗教にはなりましたが、母のいない宗教を信じてきたという恥ずべき、恥ずかしさをこの時間に爆発させ、その歴史的な、あってはならないその悲運の痕跡を取り消すために、ここに現れた……私の歩む道は、平和な道ではありませんでした。……(略)……
 A編の天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会も、B編のアベル女性連合創設大会基調演説…。アベル女性、女性…。母がいません。父なる神様は知っていますが、母のいない父を自分の神様だといって争い、奪い合う戦いをするこの教団どもの愚かさと国の権威の喪失を、誰が是正してあげるのですか。
 私の名前は龍明でした。姓もありません。龍明が17歳の2月にイエスが現れて、「やぁ、龍明兄さん」と。いきなりイエスという者が、ハンサムなイエスが現れて、「結婚式、祝福を受けに行きましょう」と言うので、「あいつは、夜の神様と昼の神様が分かれて争うのを知っているのか」と思い、「お前、誰なんだ」、「どこから来たんだ」と聞くと、にっこり笑い、微笑みを浮かべながら、「すべてご存じでありながら…どうすればいいのですか」と応じ、「きょうは(このまま)行きますが、再び時を見て、もう一度来る時は、あなたが動かなければ、私が引っ張っていくか、もしくは私が捕えられていくか、二つのうち、どちらかをあなたが決めておいてくださるように」と言われたのですが、今に至るまで、再臨主であるとか何だといって現れてこないのです。それがなぞです。
 さあ、そのような意味において、話を始めましょう。B編がアベル女性UN創設大会です。アベル女性UN創設大会に現れる母がいません。母を失ったのは誰のせいですか。アダムが責任を果たせずに、母を失いました。
 アベル女性UN創設大会の基調演説、よく聞きなさい。
 先生の一生の重要性は、母自体が父を追い払い、天地を追い払い、逃げてきた家から尋ねてきて、侍ることのできる教育を私が準備したので、母を再創造して、いくら反対したとしても、母を満天下に、神様の…。夜の神様、昼の神様、一つになって、創造主の母の位置に立ててみせようという、鉄石のように固い…定州の谷間、猫頭山の前の五峰山(オボンサン)の谷間…。
 東北のほうにはダムがあり、西北のほうには弥勒仏があります。そのダムと弥勒仏が、文総裁の遊び場です。それを知って、生きてきたという人は、今から統一教会に入ってきて、調べてみなさい。「ああ、本当にそうだな」ということが分かるでしょう。さあ、次に行きましょう。

 以上の内容が、お父様が講演文全体の〝前提〟として語られたみ言であり、かつUCI側を支持する人物が取りあげている部分です。

 この冒頭でのみ言は、今まで宗教が〝母のいない神様〟を信じてきたことに対し、それを是正しなければならないと訴えておられるみ言です。この〝前提〟を踏まえるなら、「母がいません」神観の問題を指摘しておられることを知らなければなりません。

 以下が、UCI側を支持する人物が、「母(オモニ)がいない」と言及されたみ言として取りあげた部分です。

 「アベル女性、女性…。母がいません。父なる神様は知っていますが、母のいない父を自分の神様だといって争い、奪い合う戦いをするこの教団どもの愚かさと国の権威の喪失を、誰が是正してあげるのですか」

 お父様が語っておられる「母がいません」は、〝文脈〟からみると明らかに神観の問題について語っておられるものです。その直後、母のいない父を自分の神様だといって争い、奪い合う戦いをするこの教団どもの愚かさと語っておられることでも分かるように、その意味を正しく理解するため補足を入れれば、「母(なる神様)がいません」ということになります。

 そのような意味で述べておられるみ言を、この人物はお母様を貶めようと、「お父様は2度『母(オモニ)がいない』と言及された」と述べ、いかにもお父様が、お母様を否定しておられるかのように述べているのです。

 次に、この人物は、2度目にお父様が「母(オモニ)がいない」と言及されたとして、次の部分を取りあげています。

 「B編がアベル女性UN創設大会です。アベル女性UN創設大会に現れる母がいません。母を失ったのは誰のせいですか。アダムが責任を果たせずに、母を失いました」

 上述の部分を取りあげ、その直後、わざわざ2度うなずかれる)という補足文を付けてまで注意を引こうとします。
 しかし、これもお父様が、お母様を否定しておられるみ言ではありません。この「アベル女性UN創設大会」の講演文の冒頭で、お父様は会場の聴衆に対し私の妻である韓鶴子総裁と共に、心から歓迎いたします」と繰り返し述べられ、また「韓鶴子総裁と共に」「私たち夫婦」「真の父母」という表現を繰り返し語っておられることから考察すれば、UCI側が批判するように、このみ言が「真の母の不在」について語っておられるものではないことは明白です。

 この冒頭のみ言は、どこまでも〝文脈〟を踏まえて理解すべきものです。

 お父様は、「B編がアベル女性UN創設大会です。アベル女性UN創設大会に現れる母がいません。母を失ったのは誰のせいですか。アダムが責任を果たせずに、母を失いました」に続く部分で、「先生の一生の重要性は、母自体が父を追い払い、天地を追い払い、逃げてきた家から尋ねてきて、侍ることのできる教育を私が準備したので、母を再創造して、いくら反対したとしても、母を満天下に、神様の…。夜の神様、昼の神様、一つになって、創造主の母の位置に立ててみせよう…」と述べておられ、この〝文脈〟から見ると、これも神観の問題に密接に関連して語っておられるのが分かります。

 お父様は、「母がいません」と語られた直後、「母を失ったのは誰のせいですか」と述べ、アダムに言及して「母を失いました」と述べておられます。ここで言う「母」とは、文脈から見ると、エバのことを指します。本来、神様の実体となるべきアダムとエバが堕落したために、今日までの歴史において〝母なる神様〟が現れてくることができなかったと言われるのです。
 それゆえ、母なる神様〟が現れてくることができなかったという観点から、前述した内容と同じく、このみ言は「アベル女性UN創設大会に現れる母(なる神様)がいません」という趣旨で述べておられるものです。だからこそ、お父様は「母を再創造して、いくら反対したとしても、母を満天下に、神様の…。夜の神様、昼の神様、一つになって、創造主の母の位置に立ててみせようと鉄石のように固い意思をもって、今まで歩んできたと語っておられるのです。

【誤り②】お父様が、お母様に対して「母(オモニ)を私が育ててきました。母(オモニ)いません。文総裁の妻の位置もありません。自分勝手だ!自分勝手」と批判したと述べる悪意

 UCI側を支持する人物は、何としてもお母様を貶めようと、アベル女性UN創設大会で、お父様が、お母様に対して「母(オモニ)を私が育ててきました。母(オモニ)いません。文総裁の妻の位置もありません。自分勝手だ!自分勝手」だと批判したと主張しています。この人物は、次のように述べています。

 UCI側を支持する人物は、以上のように述べて、お母様を貶めようとします。
 かつて、サンクチュアリ教会を支持する人々も、盛んにこのフレーズを用いて〝お母様批判〟を各方面に拡散していました。
 UCI側を支持する人物が取りあげた部分を、映像から忠実にディクテーションし翻訳すると、以下のようになります。(注、太字は講演文、それ以外はアドリブの部分)

 女性連合は、創設当時から私と韓鶴子総裁が共同創始者として活動し、世界の各大陸と国々の組織および活動基盤を築き上げ、早くから世界160カ国に派遣された1600人の日本女性連合のボランティア会員をはじめとする、全世界の会員を中心として、平和運動を展開してきました。私たち夫婦が20年前、本連合の創設時に明らかにしたメッセージの精神に従って、勝利した世界的な女性代表である真のお母様(チャムオモニム)に侍り、お母様(オモニム)を私が育ててきました。母(オモニ)がいません。文総裁の妻の位置もありません。自分勝手、自分勝手です。世界的な女性代表である真のお母様に侍り、真なる母の像、真なる妻の像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならず……(略)……

 上記の内容が、忠実にディクテーションして翻訳した内容です。

 まず、着目すべき部分が、勝利した世界的な女性代表である真のお母様に侍りという部分です。お父様は、元々の講演文で「勝利した世界的な女性代表である真の母に侍りと〝真の母(チャムオモニ)〟となっていたにもかかわらず、それを、あえて「勝利した世界的な女性代表である真のお母様(チャムオモニム)に侍りと言い換えて語っておられます。この「真のお母様」という部分は、韓鶴子女史を明確に意識された表現であり、その韓鶴子女史を「勝利した世界的な女性代表である」と紹介しておられます。

 つまり、真のお父様は、私たちに対して、そのような「勝利した世界的な女性代表である」韓鶴子女史に侍りなさいと命じておられるのです。

 続いて、注目すべき重要な部分が〝固有名詞〟と〝一般名詞〟の使い分けです。お父様は、それに続くアドリブの部分である最初の「お母様」という言葉を、〝固有名詞〟で「お母様(オモニ)」と語っておられます。
 したがって、そのような「勝利した世界的な女性代表である真のお母様(韓鶴子女史)」「私(真のお父様)が育ててきました」と語っておられるのです。これは、お父様が、あきらかに勝利された真のお母様を誇りに思っておられ、そういう人類の真のお母様を育ててこられたことを、自負しておられる表現と言えます。
 ところが、その部分に続く「母がいません」という文言は、それまでとは違って〝一般名詞〟で「母(オモニ)」と語っておられます。UCI側を支持する人物は、そのような明白な違いがあることを無視し、いずれの言葉も「オモニ」とカタカナで記述することで、日本人が見るとき、いかにも韓鶴子女史について語っているかのように思わせようとしています。
 しかし、「母がいません」という文言は〝一般名詞〟で語られているもので、これは、今までの歴史において勝利した母がいなかった(しかし、韓鶴子女史が初めて勝利した母として立った)ということであり、韓鶴子女史を指して語っておられる言葉ではありません。すなわち、むしろ聴衆や一般女性に向かって、韓鶴子女史のように勝利した「母がいません」と語っておられるのです。

 また、講演文全体の趣旨から見るときに、お父様が冒頭の〝前提部分〟で「今に至るまで、数多くの宗教がありますが、父なる神様を信じる宗教にはなりましたが、母のいない宗教を信じてきたという恥ずべき、恥ずかしさをこの時間に爆発させと語っておられることからして、今に至るまで〝母なる神様〟がいなかったことに思いを馳せ、〝母がいません〟と、その思いを爆発させておられるとも言い得るものです。

 もし、この部分の「母がいません」が、韓鶴子女史であると仮定するなら、その直前で「勝利した世界的な女性代表である真のお母様に侍りなさいと命じておられるにもかかわらず、その侍るべき〝母〟がいないという話になってしまうため、話が矛盾したものとなります。これでは、存在しない「母」に対して「侍りなさい」と命じる全く意味不明な内容となってしまいます。

 それに続く、「文総裁の妻の位置もありません」は、そういう勝利した「真のお母様」が元々おられるわけではないという意味で語っておられます。つまり、独生女としてお生まれになった韓鶴子女史にも、「文総裁の妻」、「真の母」として勝利するまでの過程があり、果たすべき責任分担があったわけで、そういう勝利した「文総裁の妻の位置も(元々あるのでは)ありません」という意味です。
 また、それと同時に、今までの宗教において、〝父なる神様〟は信奉してきたが、その妻の位置である〝母なる神様〟を信奉してこなかったことに対して、それを指摘して語っておられるとも言えるみ言です。
 そして、「自分勝手、自分勝手です」と叱責しておられるのは、女性一般に対して、さらには、父のいない神様を信奉してきた人類に対して、「自分勝手、自分勝手です」と語っておられるみ言なのです。

 事実、お父様が語っておられる映像を見ると、このときに会場の聴衆に向かって語気強く語っておられることからしても、そのことが分かります。だからこそ、真のお父様は、聴衆に向かって、再度、勝利された世界的な女性代表である真のお母様に侍りと繰り返し語られた上で、そのお母様に侍ることによって真なる母の像、真なる妻の像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならないと命じておられるのです。
 したがって、お父様が、お母様に対して「母(オモニ)を私が育ててきました。母(オモニ)いません。文総裁の妻の位置もありません。自分勝手だ!自分勝手」と述べているとするUCI側の人物の主張は、講演文全体の流れと、お父様の真意とを無視し、それを曲解した、とんでもない批判です。お父様ご自身を貶めていると言っても過言ではありません。
 事実、その映像で、その前後の部分を確認してみると、真のお父様が「自分勝手、自分勝手です」と厳しい口調で叱責しておられるとき、お母様は、お父様のすぐ近くに座っておられるのです【写真を参照】。

 それにもかかわらず、真のお父様はお母様を一切見る素振りはなく、むしろ、会場を見渡すように聴衆に向かって「自分勝手、自分勝手です」と語っておられます。これを見ても、この言葉は、真のお母様に対して語っておられるものでないのは明らかです。

 また、講演文全体を通して見るとき、この叱責の言葉は、真のお母様に対してではないことが、より明白となります。なぜなら、真のお母様を叱責される意味に受け取れる表現が、講演文に全くないからです。
 むしろ、前述したように、講演文の冒頭部分で、お父様は会場の聴衆に対し「私の妻である韓鶴子総裁と共に、心から歓迎いたします」と三回も繰り返し語っておられますし、さらに、再三にわたって韓鶴子総裁と共に」、「私たち夫婦」、「真の父母という表現を繰り返し語っておられることから考察してみると、真のお父様は、勝利された「真の母」である韓鶴子女史と共に、勝利された「真の父母」として、この講演をされておられるのは疑いようがないことです。

 にもかかわらず、UCI側を支持する人物が広めている『統一教会の分裂』(日本語訳)の著者・金鍾奭氏は、「アベル女性UN創設大会で、創始者(注、お父様)が基調講演をした。基調講演文を読んでいる途中、突然、創始者は韓鶴子に向かって怒りを露わにしながら、お母さんを私が育ててきた。お母さんがいません。文総裁の妻の位置もないのです。自分勝手にしています。自分勝手に!と韓鶴子に向かって、立腹され原稿を読み上げた」(252ページ)と事実に反することを平然と述べています。

 私たちは、このような講演全体の趣旨や文脈を無視した、UCI側を支持する人物たちの悪意に満ちた批判に惑わされてはなりません。