「真のお母様の無原罪誕生」に対する批判への応答―お父様のみ言:真の母は「堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」

文責:教理研究院

注、真の父母様のみ言や『原理講論』は「青い字」で、UCI
(いわゆる「郭グループ」)やサンクチュアリ
教会側の
主張は「茶色の字」で区別しています。

 UCI(いわゆる「郭グループ」)は、2017年12月2日、FPA(家庭平和協会)を創設して、〝分派の動き〟をさらに強めています。UCIを支持する人々は、新たな人を取り込もうと、ブログやホームページなどで、お父様のみ言とは異なる文顯進様の〝誤ったアイデンティティ〟を拡散しています。顯進様の説く〝アイデンティティ〟はことごとくお父様のみ言と食い違っており、この問題については、すでに「真の父母様宣布文サイト」に連載している〝虚偽を暴くシリーズ〟等で指摘してきました。
 また、UCIを支持する人々は「顯進様の真実」というホームページで、家庭連合の公式動画を用いて、「家庭連合の歪んだ信仰観」と題する〝虚偽の主張〟をしており、祝福家庭をはじめ信者を誤導しようとしています。特に、「真のお母様の無原罪誕生」に対し、その教えはお父様のみ言や原理的観点から見て〝誤っている〟などと主張しています。
 さらに、サンクチュアリ教会でも、「『独生女無原罪論』で右往左往する家庭連合」と題して、「タマレ」が書き込んだ〝お母様の無原罪誕生〟に対する批判を日本語に訳し、彼らのブログに掲載して、「真のお母様の無原罪誕生」が間違った教えであるかのように批判しています。
 私たちは、お父様のみ言と原理的観点に基づいて、「お母様の無原罪誕生」が正しい教えであることを明確に理解しておかなければなりません。
 以下、UCIを支持する人々およびサンクチュアリ教会を支持する人々が、彼らのホームページやブログなどで述べている〝虚偽〟について指摘します。

(1)「お母様を地上世界から探し出す」というみ言を、「お母様は無原罪で誕生された方ではない」と解釈する誤り

 ―復帰された「エデンの園」は〝地上世界〟にある(『原理講論』145ページ)

 UCIを支持する人々は、「顯進様の真実」というホームページで、次のように述べています。

 「お父様の教えに基づく教理によれば、お母様は無原罪で誕生された方ではありません。UCJAPANchにアップされた太田朝久氏の公式講義でも、下記2つのお父様のみ言葉を引用し、お父様がお母様を地上世界から探し出されて復帰してこなければならないと教育しています」

 確かに、太田朝久講師は〝分派〟に対する対策講義「霊的集団の誤りを正す第3弾・駒場グループ」の第3回目の映像で、お父様のみ言を引用し「お父様がお母様を地上世界から探し出されて復帰してこなければならない」と語り、講義しています。太田講師が〝駒場グループ〟の誤りを指摘したこの講義は、お父様のみ言に基づいて正しく論じています。

 ところが、UCIを支持する人々は、「お父様がお母様を地上世界から探し出されて復帰してこなければならない」と講義しているのを根拠に、「太田朝久氏の公式講義でも……お父様のみ言葉を引用し、お母様は無原罪で誕生された方ではありません」と述べるなどし、まるで太田講師がお母様の「無原罪誕生」を否定する講義をしているかのように、意図的に〝誤導〟しようとしています。

 太田講師は、対策講義で「お母様は無原罪で誕生された方ではありません」という発言を一言もしていません。太田講師の講義は、お父様のみ言どおり、「エバを堕落圏から復帰して再創造し、善の娘として立った…」と語り、「サタン世界から奪い返してこなければなりません…」と述べているものです。(注、このみ言の意味については、後述する)

 太田講師は、このみ言を根拠にして、「『真の母』は……完成した真のアダムである再臨主がサタンと戦って勝利圏を打ち立て、この『地上世界』において復帰し再創造しなければならない」と講義しているのであって、彼らの言う「お母様は無原罪で誕生された方ではありません」と述べているのではありません。

 私たちが理解しておかなければならないことは、『原理講論』の「終末論」に、「人類歴史の目的は、生命の木を中心とするエデンの園を復帰するところにある」(145ページ)と論じられており、その「エデンの園とは……地球全体を意味するのである」(同)と解説されている点です。すなわち、「エデンの園」とは地上世界のことを意味しています。

 『原理講論』が論じるように、人類歴史の終末期において、メシヤが地上に再臨されるなら、この地上世界に「復帰されたエデンの園」が現れ、メシヤが〝エバ〟を探し出して聖婚されることを、太田講師は講義のなかで「お父様がお母様を地上世界から探し出されて復帰してこなければならない」と述べているものに過ぎません。

 それをもってして、「お母様は無原罪で誕生された方ではありません。……太田朝久氏の公式講義でも……お父様がお母様を地上世界から探し出されて復帰してこなければならないと教育しています」と述べることは明らかな曲解であり、悪意のある〝虚偽の主張〟に他なりません。

(2)人間始祖の「霊的堕落のみの時の救済摂理」について

①「エデンの園」のなかにいるエバは〝無原罪〟であり〝神の血統〟である

 UCIやサンクチュアリ教会を支持する人々が批判で取りあげている、太田講師が駒場グループの誤りを指摘した対策講義で用いた、お父様の2つのみ言を以下、引用します。

 「アダムが責任を果たすことができなかったために堕落したので、その責任を完成した基準に立つには、エバを堕落圏から復帰して再創造し、善の娘として立ったという基準に立てなければなりません。そのようにしなければ、アダムの完成圏が復帰できないのです」(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』38ページ)

 「真の母がサタンに奪われたので、本来の人間(メシヤ)は、死を覚悟してまでもサタン世界から(真の母を)奪い返して来なければなりません」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』561ページ)

 上記の2つのみ言は、お父様がアダムが責任を果たすことができなかったために堕落したので…」とか、「真の母がサタンに奪われたので、本来の人間(メシヤ)は、死を覚悟してまでも…」などと語っておられるように、「エデンの園」において起こった堕落の問題に対する〝アダム自身による蕩減〟〝アダム自身の責任について述べているものです。

 『原理講論』は、失楽園前の「エデンの園」において、もし、アダムが堕落せずに完成していたならば、復帰摂理はごく容易であったとして、次のように論じています。

 「エバが(霊的)堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であったはずである。しかし、アダムまで堕落してしまったので、サタンの血統を継承した人類が、今日まで生み殖えてきたのである」(111ページ)

 この『原理講論』の論述は、言わば「霊的堕落のみの時の救済摂理」と呼ぶべきものであり、エバが「霊的堕落」をしたとしても、もし、アダムが成長期間を全うし「完成したアダム」になっていれば、復帰摂理はごく容易に成されていたのです。しかし、アダムが完成できないまま、「肉的堕落」をすることで「サタンの血統を継承した人類が、今日まで生み殖えてきた」というのです。結局、エデンの園のアダムは、エバを天使長から取り戻すことができませんでした

 それゆえ、人類歴史の終末期において、メシヤが来られたならば、メシヤは地上世界の「エデンの園」において、人間始祖のアダムが果たし得なかった責任である、上述した「霊的堕落のみの時の救済摂理」の内容を〝蕩減復帰〟しなければならないのです。

 ところで、失楽園前の「エデンの園」にいたエバは、たとえ〝霊的堕落〟をしたとしても、その時点においては、まだ「原罪」をもっておらず、「サタンの血統」にも連結されていません。

 すなわち、原罪とは「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪をいうのであり(『原理講論』121ページ)、エバの霊的堕落だけでは、エバの自犯罪であり、血統的罪とはなっておらず、まだ「原罪」ではありません。事実、霊的堕落の時点において失楽園」は起こっておらず、アダムが完成してエバを救済したならば、「失楽園」は起こり得なかったのです。ゆえに、「霊的堕落」が起こった時点のアダムとエバは、まだ「エデンの園」の中にいる状況なのです。

 また、お父様が「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられるように、天使長とエバによる霊的堕落は、横的愛の問題としての〝偽りの夫婦関係であって、その時点では、エバは「サタンの血統」に連結されているわけではありません。お父様が、「長子(アダム)庶子のようになりました。血筋が変わりました。本然的な愛を通して神様の血統を受け継ぐべきでしたが、(肉的)堕落することによって他(サタン)の血筋を受け継ぎました」(八大教材・教本『天聖經』186ページ)と語っておられるように、人間始祖アダムとエバは、「肉的堕落」をし、「サタンを中心として四位基台を造成したので、サタンを中心とする三位一体」となることで、サタンの血統に連結するようになったのです(『原理講論』267ページ)。

 それゆえ、『原理講論』が述べるとおり、肉的堕落をしてサタンを中心とする〝悪なる三位一体〟をつくる以前の、霊的堕落のみの時点では、サタンの血統に連結していないために、「復帰摂理は、ごく容易であった」(前掲、111ページ)というのです。

 ゆえに、メシヤが地上に来られるならば、地上世界において復帰された「エデンの園」で、人間始祖のアダムが果たせなかった「エバを堕落圏から復帰して再創造し…」「サタン世界から奪い返して…」という「霊的堕落のみの時の救済摂理」のアダム自身の責任を、メシヤご自身が蕩減復帰しなければならないのです。

「堕落圏から…」「サタン世界から…」は何を意味するのか?

 ところで、地上世界において復帰された「エデンの園」には、人間始祖のときと同様、そこには、メシヤ(アダム)と3人の天使長、および独り娘(エバ)が存在することになります(右図を参照)。そして、復帰された「エデンの園」のなかにいる独り娘は、やはり人間始祖のときと同様に、聖婚する前から「神の血統」であり、「無原罪」なのです。この点について、お父様は、後述するみ言で、明確に語っておられます

 しかし、復帰(再現)された「エデンの園」にいる3人の天使長の場合は、洗礼ヨハネ的人物をはじめとする「メシヤのための基台」として、メシヤご自身が〝サタン世界〟〝堕落圏〟(堕落人類)と戦って勝利し、取り戻してこなければならない基台です。前述したみ言の「エバを堕落圏から復帰して再創造し…」「サタン世界から奪い返して…」という場合の「堕落圏」「サタン世界」とは、まさしくメシヤご自身が自然屈伏させて取り戻すといった〝3人の天使長〟の状況そのものを指して語っておられるのです。すなわち、「堕落圏」「サタン世界」とは、具体的には、堕落した天使長圏のことを指しているのです。

 〝3人の天使長〟の基台が確立すればエデンの園が再現され、独り娘が顕現する条件が備わるのであり、エバそのものが、「堕落圏」(堕落している)「サタン世界」(サタンの血統)というわけではありません。

 したがって、メシヤは命懸けでサタンと戦って勝利することで、3人の天使長圏を自然屈伏させ、「メシヤのための基台」(3弟子)を確立しないかぎりは、天使長圏(「堕落圏」「サタン世界」)からエバを奪い返して「聖婚式」を挙げることができません。太田講師が講義で引用した2つのみ言は、その〝アダム自身による蕩減〟〝アダム自身の責任について述べたものです。

 一方、お父様が、後述するみ言で語っておられるように、「真の母」となられる「エデンの園」の中にいる独り娘は、堕落していない純粋な血統をもって来られ、「無原罪」であられ、かつ「神の血統」にあるのです

 ところが、その「独り娘」(エバ)も、人間始祖のエバが「エデンの園」で蕩減できずに、歴史的に残してしまった〝霊的堕落〟の問題を、堕落したエバに代わって〝蕩減〟(「霊的堕落のみの時の救済摂理」)していかなければなりません。お母様が、1960年のご聖婚以来、「神の日」宣布までの7年間、苦難の路程を歩まれたのは、人間始祖のエバに代わって〝蕩減〟され、〝独り子(再臨メシヤ)〟の前に完全相対としての〝独り娘〟として立つためであったと言えるのです。

 ただし、ここで勘違いしてはならないのは、お母様が「霊的堕落のみの時の救済摂理」をエバに代わって〝蕩減〟されると言っても、それは、お母様ご自身が「霊的堕落」をしておられるという意味ではないという点です。「霊的堕落」の罪を犯したのは、あくまでも人間始祖のエバであって、お母様はエバを代理して「霊的堕落」を〝蕩減〟されたのです。

 お母様は「無原罪」であられ、かつ「神の血統」であるがゆえに、長成期完成級を越えられ、完成期の7年路程を人間始祖のエバに代わって歩まれることで、真の父(アダム)と共に、勝利された人類の「真の父母」となられたのです。

 ちなみに、小冊子『サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤り・No.2』19~20ページで、すでに反論済みの内容ですが、分派側は、「皆さんはサタンの教会へ通っています。サタンの教会! お父様もみ言ではっきり語っていました。『真のお母様は堕落した天使長の血統から来ました』」と語り、お母様や家庭連合を批判しています。しかし、この批判は、み言の〝誤訳〟〝隠蔽〟に基づく批判であることに注意しなければなりません。

 本来、「お母様も堕落した天使長の血統を受けた人です」と翻訳すべきみ言を、彼らは誤訳しており、しかも、それに続く部分を隠蔽(削除)しています。正しくは、「お母様も堕落した天使長の血統を受けた人です。先生までもそうです先生までも。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で再創造しなければなりません」(マルスム選集419-102)というみ言なのです。

 このみ言は、『原理講論』に、「マタイ福音書の冒頭を見れば、イエスの先祖には4人の淫婦があったということを知ることができる。これは万民の救い主が、罪悪の血統を通じて、罪のない人間として来られてから、罪悪の血統を受け継いだ子孫たちを救われるということを見せてくださるために記録されたのである」(573ページ)と論じられているように、救い主は、真の父も真の母も共に「罪悪の血統を通じて」生まれて来られることを述べたものです。しかしながら、救い主は〝血統復帰〟の摂理によって「罪のない人間(無原罪)として」来られ、そして「罪悪の血統を受け継いだ子孫」を血統転換されるのであって、「堕落した天使長の血統を受けた人」とは、そういう意味で語っておられるみ言です。

 したがって、分派を支持する人々の「真のお母様は堕落した天使長の血統から来ました」「お母様は堕落した天使長の血統を持って生まれたという批判は、み言の〝誤訳〟〝隠蔽〟に基づくものであり、悪意のあるものです。私たちは、〝誤訳〟に基づく彼らの批判に惑わされてはなりません。

(3)分派の「本来『真の母』は天から送られてきて迎える存在ではなく」の悪用

 UCIおよびサンクチュアリ教会を支持する人々は、太田講師の「霊的集団の誤りを正す第3弾・駒場グループ」の第3回目の講義映像から、「本来『真の母』は天から送られてきて迎える存在ではなく」という部分を用いて(写真を参照)、その講義が、まるで「お母様の無原罪誕生」を否定するものであるかのように、悪用しています。

 まず、「霊的集団の誤りを正す第3弾・駒場グループ」の第3回目の講義のテーマを、はっきり知っておかなければなりません。この講義は、駒場グループの言説の誤りについて説明しているものです。

 駒場グループは、彼らが独自に出版した『天地人真の父母実体み言に対して』という小冊子で、次のように述べています。以下、引用します。

 「メシヤを迎えるための基台を立てるようになれば、聖霊を送るための基台は造成されるのです。メシヤを迎えるための基台は、父母を復帰するための基台だからです。……実体基台を立ててメシヤと一つになれば、聖霊を送るための基台が形成されたことになるので、すぐ聖霊の役事が始まることが出来るようになります」 (注、太字ゴシックは教理研究院による)

 田講師は、駒場グループによる上記の主張に対して、対策講義のなかで「聖霊を送るための基台」という概念は誤りであり、駒場グループが勝手に作り上げた〝偽りの言説〟であると反論しています。駒場グループは「メシヤを迎えるための基台を立てるようになれば、聖霊を送るための基台は造成される」と主張しており、この誤った言説に対し、太田講師は「本来『真の母』は天から送られてきて迎える存在ではなく」と指摘し、「聖霊を送るための基台」という概念それ自体が誤りであると述べているのです。

 前述したとおり、メシヤが来られたならば、復帰された地上世界の「エデンの園」で、メシヤは「真の母」(聖霊実体)を復帰し「聖婚」されます。そして、その聖婚によってすでに、聖霊実体であられる「真の母」が、この地上世界に立っておられるのです。それゆえ、地上に立たれた「真の母」以外に、また別の〝聖霊が送られてくる〟などということは決してあり得ず、駒場グループの述べる「聖霊を送るための基台」という言説は、勝利されたお母様を完全否定する〝誤った言説〟であることを指摘したのが、太田講師の講義です。

 分派を支持する人々は、その対策講義の論旨を無視し、「本来『真の母』は天から送られてきて迎える存在ではなく」と述べた一部分の講義内容を取りあげ、まるで家庭連合がお母様の無原罪誕生を否定する教育を行っているかのように、意図的に誤導しようとしているのです。

 駒場グループの言説の誤りを指摘するために、「お父様がお母様を地上世界から探し出されて復帰してこなければならない…」「本来『真の母』は天から送られてきて迎える存在ではなく…」というお父様のみ言を引用した講義と、「真のお母様の無原罪誕生」の教えとは矛盾などしていません。家庭連合は、「真のお母様の無原罪誕生」を否定する講義や教育など行ってはいません。分派を支持する人々の批判は、〝為にする批判〟〝虚偽の主張〟に過ぎません。

(4)お母様が語られたみ言は、「原罪なく生まれた独り子、独り娘」である

 ところで、お母様は、お父様もお母様も、共に原罪なくお生まれになったことを、次のように語っておられます。

 天一国5年天暦3月16日(2017年陽暦4月12日)、お母様は「天地人真の父母様ご聖婚57周年記念式」を挙行され、「しかしきょう、この日、万難を克服して独り娘は……。イエス・キリストは二千年前、原罪なく生まれました。独り娘も、原罪なく生まれたのです。原罪なく生まれた独り子、独り娘が、天の願いに従って小羊の婚宴を挙げた日です。天にとっては栄光、人類にとっては喜びと希望の日となったのです」(『世界家庭』2017年5月号、6ページ)と語られました。

 お母様は、聖婚記念日とは「原罪なく生まれた独り子、独り娘が、天の願いに従って小羊の婚宴を挙げた日」であると語っておられます。ここで語っておられる「小羊の婚宴を挙げた日」が、文鮮明・韓鶴子ご夫妻の「聖婚記念日」を指しておられることからすれば、「原罪なく生まれた独り子」とは文鮮明師のことを、そして、「原罪なく生まれた…独り娘」とは韓鶴子総裁のことを語っておられるのは明白です。

 お母様は、お父様もお母様も共に原罪なくお生まれになり、「小羊の婚宴を挙げた」と明確に語っておられます。すなわち、真のお母様が、公式の場で語っておられる「独生子・独生女」とは、「原罪なく生まれた独り子、独り娘」を意味しています。
 上記のこの内容は、すでに「真の父母様宣布文サイト」に掲載している内容です。
 したがって、家庭連合の公式講義で、お父様のみ言に基づいて「お父様がお母様を地上世界から探し出されて復帰してこなければならない」と教育していることを根拠に、UCIおよびサンクチュアリ教会を支持する人々が、「お母様は無原罪で誕生された方ではありません」と教育していると言って批判するのは、完全な誤りです。

 そして、「お母様は無原罪で誕生された方ではありません」という彼らの言説は、彼らの言うような「お父様の教えに基づく教理」ではありません。

(5)「真の母の無原罪誕生」の否定こそ、〝非原理的な言説〟

①聖霊は「母性の神であられる」(『原理講論』363ページ)

―お父様のみ言:「神様を否定する者は、かちっと引っかかります」

 『原理講論』176ページに掲載された「復帰摂理表示図」を見ると、長成期完成級の線の上に「再臨主」と書かれています。これは「真の父」を意味しています。同じ線の上の横には「聖霊実体」と書かれていますが、これは「真の母」を意味するものです。「再臨主」「聖霊実体」が、長成期完成級の上に記されていることは重要です。

 ところで、「聖霊」について『原理講論』はどのように論じているのでしょうか。まず、その内容について、私たちは理解しておかなければなりません。『原理講論』で論じられている「聖霊」とは何かについて、以下、その代表的な箇所をいくつか抜粋します。

 聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神と啓示を受ける人が多い。聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない」(265ページ)

 「将来イエスが後のアダムとして来られ、後のエバの神性である聖霊を送られることによって、贖罪の摂理をされる」(363ページ)

 「人類の父性の神であられるイエスが来られて、人類の母性の神であられる聖霊を復帰し、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように、全人類を、再びその懐に抱くことによって重生せしめ、完全復帰する」(同)

 「モーセの路程で、イスラエル民族を導いた昼(陽)の雲の柱は、将来イスラエル民族を、世界的カナン復帰路程に導かれるイエスを表示したのであり、夜(陰)の火の柱は、女性神として彼らを導くはずである聖霊を象徴した」(369ページ)

 このように『原理講論』は、聖霊を「女性神」「母性の神」等々と論じています。
 ところで、お父様は、お母様が還暦を迎えられた2003年陽暦2月6日に、二度目のご聖婚式と家庭王即位式をされましたが、その式典について次のように語っておられます。

 「神様とアダムとエバは、『家庭王即位式』をすることができませんでした。……その『家庭王即位式』をしたので、神様が、本来の真の父母を中心として、婚姻申告をすることができる時を迎えたということです。……文総裁を中心として、(神様は)婚姻申告をしました。今、霊界に行けば……。今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁夫婦の顔が現れて、きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなるというのです。そのような霊界に行った時にも、真の父母を否定しますか? このように、はっきりと教えてあげたにもかかわらず、神様を否定すれば、かちっと引っかかります(「ファミリー」2003 年5月号、27ページ)

 そして、お父様は、「平和メッセージ」で次のように語っておられます。

 「アダムとエバが……完成した上で、結婚して子女を生んで家庭を築いたならば、アダムとエバは外的であり横的な実体の真の父母になり、神様は内的であり縦的な実体の真の父母になったことでしょう。……神様は、真の愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類の真の父母、実体の父母としておられ、アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に行けば、そこでもアダムとエバの形状で、彼らの体を使って真の父母の姿で顕現されるようになるのです」(『平和神經』54~55ページ)

 このように、完成したアダムとエバが霊界に行けば、神様はそのアダムとエバ(真の父母)の姿をもって顕現すると語っておられます。二度目の聖婚式以降、お父様は、神様について、「今、(霊界に)行ってみれば……文総裁夫婦の顔が現れて、きらびやかな光で見える」と語っておられます。すなわち、神様は、お父様のお姿を通してだけでなく、お母様のお姿をもっても現れるというのです。これが、二度目の聖婚式以降、お父様が語っておられる、お母様のお立場です。このみ言で分かるように、真のお父様と真のお母様は、それぞれ完成したアダム、完成したエバであるということです。

 分派を支持する人々は、「お母様を神格化している」「お母様は既に堕落した」「お母様は本来の立場を離れた」などと批判しますが、完成したアダムとエバは「決して堕落するはずはなかった」という『原理講論』が論じている原理(114ページ)に照らし合わせると、お父様とお母様のお二人は、もはや堕落したり、本来の立場から離れたりすることはありえません。彼らの批判は、非原理的なものです。

 お父様は、「お母様は聖霊です。聖霊に背いては、赦しを受けられないのです」(『真の父母經』47ページ)と語っておられます。イエス様も「聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」(マタイによる福音書12章32節)と語られました。今や、霊界で文総裁夫婦の顔が現れて、きらびやかな光で見える」神様なのです。このお父様のみ言に従うならば、お母様に対し「お母様を神格化している」「お母様は既に堕落した」「お母様は本来の立場を離れた」などと批判するのは、かちっと引っかかる言動になっていると言わざるを得ません。

②「重生論」から見たとき、お母様は〝無原罪誕生〟でなければならない

お母様に原罪があったら、「いつ血統転換されたのか?」が永遠の謎となる

 『原理講論』「終末論」には、「キリスト教が他の宗教と異なるところは、全人類の真の父母を立てて、その父母によってすべての人間が重生し、善の子女となることによって、神の創造本然の大家族の世界を復帰するところに、その目的があるという点である」(161ページ)と論じられています。

 全人類が〝重生〟するには、必ず「全人類の真の父母」が立たなければなりませんが、「真の父母」になるには、男性一人でなることはできません。そこに、アダムの相対である女性(真の母)が必ずいなければなりません。

 お父様は、(堕落によって)天の国の男性と女性、独り子と独り娘を失ってしまったのです。ですから、救いの歴史である復帰摂理歴史は、これを取り戻す歴史です」(『真の父母經』26ページ)と語っておられ、さらに「イエス様が独り子だと語ったので、神様は彼のために独り娘も送られたでしょう。神様の2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、2000年のキリスト教の歴史は、娘を求めるための歴史です」(同、69ページ)と語っておられます。

 また、『原理講論』にも、「神はアダムだけを創造したのではなく、その配偶者としてエバを創造された。したがって、エデンの園の中に創造理想を完成した男性を比喩する木があったとすれば、同様に女性を比喩するもう一つの木が、当然存在してしかるべき (97ページ)と論じています。人類を〝重生〟するに当たっては、必ず「真の父」と「真の母」のお二人がいなければなりません。

 それゆえ、『原理講論』は、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない(264~265ページ)と論じています。

 もし、お母様が、聖婚されたとき、初めて〝神の血統〟に生み変えられたとするならば、それは〝父一人〟で生み変えたことになるために、原理が説く「重生論」と食い違うことになります。それゆえ、お母様は、聖婚される前から〝神の血統〟であったと考えなければなりません。

 もし、お母様が、ご聖婚前には「原罪」をもっておられ、〝サタンの血統〟であったとするならば、父は一人で生み変えることができないのにもかかわらず、お母様は、いつ、どのようにして〝血統転換〟されたのかが、永遠の謎となって残されることになります。

 事実、父は一人で生み変えることができないために、お父様は「真の母」が立たれる1960年まで、血統転換である「祝福結婚式」を一切、行ってこられませんでした。そして、「真の母」が立たれてからは、数多くの「祝福結婚式」を挙行していかれました。

 お父様は、ご聖婚する前から、お母様が「堕落する前のアダムと共にいたエバ」「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」であるとして、次のように語っておられます。

 「再臨の主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。(「婚姻の宴会です」。)……婚姻の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。(「はい」。)こんな話をすると異端だと大騒ぎをします。キリスト教徒は無性にねたましくなるのです。婚姻の宴会、すなわち小羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです」 (『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』584ページ)

 このみ言に、堕落前のエバ探し出さなければなりません。堕落していないエバ探し出して、小羊の宴会をしなければなりません」とあるように、お母様は、結婚(小羊の宴会)をされたために〝堕落前のエバ〟〝堕落していないエバ〟になったというのではありません。それとは反対に、「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」をお父様が探し出してから、結婚(小羊の宴会)をされると語っておられます。

 お父様は、このように、お母様がご聖婚の前から堕落していないエバ、〝神の血統〟であられた事実を、明確に語っておられます。また、次のようなみ言もあります。

 「世の中に一つの真のオリーブの木の標本を送ろうというのが、メシヤ思想です。しかし、真のオリーブの木であるメシヤが一人で来てはいけません。……メシヤが一人で来ては、真のオリーブの木になれないのです。メシヤとしての真のオリーブの木と、メシヤの相対となる真のオリーブの木を中心として、これが一つになってこそ、真のオリーブの木として役割を果たすのです」(『永遠に唯一なる真の父母』68~69ページ)

 「原理は何をいっているかというと、完全なるアダムが造られた場合には、完全なるエバが復帰されるというのです。完全なるプラスが現れた場合には、完全なるマイナスは自動的に生まれてくるようになっています。それは創造の原則です。……完全なる男性が生まれた場合には、完全なる女性が生まれるようになっているということを、聖書では、女(エバ)はアダム(のあばら骨)によって造られたと象徴的に書いてあります」(『御旨と世界』694ページ)

 このように、お父様は、「真のオリーブの木であるメシヤが一人で来てはいけません」と語られ、「メシヤの相対となる真のオリーブの木」も来られる事実を語っておられます。また、「完全なる男性が生まれた場合には、完全なる女性が生まれるようになっている」のが〝創造の原則〟であるとも語っておられます。
 さらに、お父様は、次のようなみ言を語っておられます。

 「再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。それでは、そのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上で生まれなければなりませんか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。

 ですから、皆さんの母は堕落したエバの立場に該当するのであり、次の母はイエス時代においてのマリヤの立場に該当するのです。また、その次の母はイエス時代のマリヤの保護を受け、祝福のみ旨を果たすことのできる、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母(真のお母様)の立場に立つことができなければならないというのです。
 これをイエス様を中心として成就させようとしましたが、すべてを果たすことができず霊的にのみ連結されたために、今日、復帰の終末時代に来て、これを再現させてもう一度一致させていく作戦を広げなければなりません」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』909ページ)

 このように、お父様は、再臨主が探される新婦(真の母)とは、「堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです」と語られ、さらに罪の因縁とは全く関係のない処女であるとも語っておられます。
 お母様が語っておられる「独り娘」(独生女)のみ言は、お父様のみ言です。お母様が、お父様のみ言に反して、勝手に語っておられるのではありません。お母様は「エデンの園」にいるエバとして、生まれたときから〝無原罪〟であられ、かつ〝神の血統〟をもって生まれてこられたのです。
 そして、今やお母様は、お父様と共にすべてを勝利され、霊界におられる真のお父様と共に、神のみ旨の成就のために地上摂理の最前線に立って歩んでおられます。

 前述したように、お父様は、今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁夫婦の顔が現れて、きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなるというのです。そのような霊界に行った時にも、真の父母を否定しますか? このように、はっきりと教えてあげたにもかかわらず、神様を否定すれば、かちっと引っかかりますと語っておられますが、お母様の独り娘(独生女)のみ言を批判し、お母様をおとしめているサンクチュアリ教会およびUCIを支持する人々の言動は、「かちっと引っかかります」と語られたお父様の警告のみ言に〝抵触〟しているものと言わざるをえません。
 私たちは、お父様のみ言と原理的観点に基づいて、「お母様の無原罪誕生」が正しい教えであることを明確に理解しておかなければなりません。