「宣布文実行委員会への質問状」への応答
質問者は、はじめに、「宣布文実行委員会」の主旨文にある「郭グループ問題」を5つに要約し、宣布文に「この問題が、簡単には解決しないほど複雑で深刻なレベルに至り、不安や動揺が生じている」とあるが、それは「どういうことだろうか」と述べます。
さらに、質問者は、主旨文の文言を、次のように「切り貼り」して、問題点はこうであると述べています。
(A) ―「韓国では、二世・青年圏への深刻な影響が報告されています。……影響下にある二世たちが、教会や伝統そのものを敵視したり、軽蔑したりするような風潮が生じている。……その結果、二世教育に対する疑問が生じたり、親子関係が悪化したり、同情心まで疑う魔女狩りのような様相を呈して、かえって教会共同体の雰囲気が悪化するという弊害が生じています」とし、教会の未来ともいうべき二世たちが、教会の指導に対し、不信感を募らせていることだ。― と。
以上のように、教会の指導に対する「不信感」をあおろうとしています。
そして、次のように「公式見解」に対して批判します。
(B) ―それに対し、公式見解は「真の父母様が立てられた文亨進世界会長と共同歩調をとり、真の父母様を支えていくことが、私たちの行くべき道であります。そしてまた、私たちは真の父母様が立てておられる統一教会本部の組織、皆様におかれましては、所属教会・牧会者にしっかり繋がって、天が願う信仰生活を歩んでいくべきです」と、絶対服従を要求するだけの紋切り型の命令だけで、根本的な疑問に答えていない。―と。
「応答」
(一)絶対服従について
1 「誰に対する絶対服従なのか」
質問者は、公式見解に対し、(B)「絶対服従を要求するだけの紋切り型の命令」という批判をしていますが、その批判は、「絶対服従」について何か誤解をされているようです。というのは、公式見解が「誰に対する絶対服従」を説いているのか、という「誰」を全く認識しておられないからです。誰とは、言うまでもなくメシヤに対してであり、そのメシヤ(真の父母様)に対する絶対服従であるという点です。
「救済論」の根本問題として、まずは、次の点が重要になります。
それは、人類の救世主である再臨主は、いつ、どこに、どのようにして来られるのかを解明し、誰が再臨のメシヤであるのか明確に人類に証しすることです。そして、その来られたメシヤに対して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を説くことです。
HPに掲載されている「真の父母様宣布文」の中で、真のお父様は「絶対服従」について次のように語っておられます。
「まず、全食口は、永遠・永生の世界に立った御一人である真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!この点については、天宙的に真の子女も、一般食口も同様である。」
このように絶対服従とは、「真の父母様の指示と命令」に対する絶対服従です。
質問者は、主旨文の中にある「真の父母様宣布文」をよく読まずに質問しており、また、公式見解が「誰」に対する絶対服従を説いているのかも理解せずに、(B)「絶対服従を要求するだけの紋切り型の命令だけで、根本的な疑問に答えていない」と批判しているのです。
人間社会の根本問題の解決は、メシヤに従うこと以外にないのです。
イエス様は、「誰よりも私を愛しなさい」(マタイ10章37節etc.)と言われました。また、聖書は「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」(ヨハネ6章29節)と教えています。この、神がつかわされた者とは、だれのことでしょうか?
2、「完成した人の教えに従えば完成するのが因果の道理です。」
HPの「公式見解」や、「よくある質問」で答えているように、「神様の御旨」である「創造目的」とは、「アダムとエバの完成」にあるのです。すなわち、それはまず「真の父母様の完成」です。また「神様の御旨」である創造目的の中心は誰でしょうか? それは「真の父母様が中心」です。
真の父母様は「天地人真の父母勝利解放完成時代」(天基3年元旦〈2012年陽暦1月23日〉を宣布されています。この真意を理解してください。
ところで、聖書には「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5章48節)とあります。
不完全な人に従えば不完全となり、完成した人に従えば完成するというのが因果の道理です。
しかし、人類歴史上において、今まで「家庭を完成した人」は一人もいませんでした。イエス様も、お釈迦様も、お一人で完成されましたが、家庭を完成されて、その内容を私たちに教示されることはできませんでした。ですから、誰も神の御旨を完成した人はいないと言えるのです。天国は空っぽだったのです。
ちなみに、「真の家庭を愛する会」は、顯進様の「最近のメッセ―ジ」(個人ノート)であると言って、次のように配信しています。
*「顯進様は、昨年の11月に世界の統一運動コミュニティー宛てに出された書信の内容を通じて、ご自身の立場を明らかにされ、あくまでも顯進様の行動の根本動機は神様と神様の摂理のためであり、また危機に瀕する真の父母様のレガシー(業績、遺産)を守るためであり、統一家の長子として、祝福家庭に対する責任を果たしていくためであることを明確にされました。」
*「神様の御旨は神ご自身だけで成就できるものではなく、全ての子女達、とりわけ祝福中心家庭の責任が果たされることによってのみ成就する」
*「統一教会員は、周りを見ながら、自分の良心に反する事をしています。それでどうして道徳的な人間と言えますか。縦的な中心がなければならないのに、それを失っています。とても危険なのです。他の中心が来て、取って代わる事ができるからです。根が神様になければなりません。神様は縦的な軸であり、祝福中心家庭は横的展開なのです。」
「神様の御旨」から見た場合、上述のノートのどこに欠陥があるのでしょうか?
顯進様は「神様と神様の摂理のため」に「祝福家庭に対する責任」を果たすことを強調されていますが、御言の実体であるメシヤが抜けているのです。
真の父母様のレガシー(業績、遺産)を守るためにも、メシヤである「真の父母様」に侍り、「真の父母様」の御言(指示と命令)に従い、御言を実践しなければなりません。
私たちは、世俗の習慣や伝統に染まった普通の「道徳的な人間」から、「真の父母様」に侍り、「真の家庭」の心情と伝統を体恤して、真の父母様に似ることです。
祝福中心家庭はメシヤを抜きにして「神様の御旨を成就する」ことはできません。生活信仰の根が目に見えない無形なる神様だけでなく、真の父母様になければなりません。神様の御旨の中心は誰でしょうか? それは真の父母様だからです。
救いとは、真の父母様に侍ることによって神から義とされ、真の父母様に似ることです。
聖書にも「神の性質にあずかる者となるためである」(ペテロ第二の手紙1章4節)とあるように、祝福家庭は、御言の訓読および実践、そして、「聖酒式」等による真の父母様の勝利の権能によって、キリストの形に変えられていくのです。信仰生活とは、完全な者となるために、完全な人の教えに従って「聖化(sanctification)」されていく過程(生まれ変わっていく過程)なのです。
3「結論をぶつけ合わないこと」
質問者は、質問(A)で述べている、主旨文の「二世・青年圏への予防と対処」の文言を切り貼りしていますが、HPはすぐその後に、次のような言葉で締めくくっていることをよくご存じのはずです。
「二世や青年と話し合う場を持った時、多少見解が異なっていた場合、結論をぶつけ合う形になってしまう可能性があります。先ずは耳を傾けてあげ、思いを受け止めてから、ゆっくりと話を進めていくようにしてください。」
このように、「先ずは耳を傾けて」と述べています。それなのに、主旨文や公式見解の服従の意味も理解せずに、絶対服従を要求するだけの紋切り型の命令と頭ごなしに批判しているのです。
しかし、主旨文のような心で、二世に対して、「神様の御旨」である創造目的を完成した人間になるために、なぜ完成した「真の父母様」に侍り、絶対服従をしなければならないのかを説くならば、(A)「教会の未来ともいうべき二世たちが、教会の指導に対し、不信感を募らせている」ことも、払拭されていくと私たちは信じています。
問題を解決するために、真のお父様の御言、すなわち「メシヤの指示と命令」に対する絶対服従を説くことと、絶対服従を否定することと、どちらが正しいのでしょうか?
真のお父様は、何が統一家の永遠の伝統であり、信仰であると言っておられるのでしょうか? 「宣布文」を確認してみてください。