【第1弾】神山威元会長の講演文(2014年6月18日、プサン)の問題点

(注:神山元会長が講演で発言した言葉は「茶色」で、真の父母様の御言は「青色」で色分けしています)

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(一)序説:「丹心歌」について

 

 神山威元会長は、次のように語っています。

 

 「アメリカ在住のある日本人が言うのです。

 主権が変わったのにと。

 お父様は霊界に行かれて、お母様の時代になったのに、なぜ古い主権に懸命にしがみついて、お父様のみ言、み言と言って、いつまで『丹心歌』歌っているの……と。

 『丹心歌』とは、高麗が滅んで朝鮮ができた時に、高麗の王様に仕えた臣下が、新しい時代の主権者ではなく、元の高麗の王様、滅びゆく王様に仕えていくと誓った歌です。

 ………

 私は強く反論しました。何を考えているんだ!

 父母様は一つですよ。何故二つに分けて考える?お父様が霊界にいかれても、お父様の位置は主体であり、お母様の位置は対象です。対象が主体の位置を奪うことは出来ません。

 主体と対象が一体となって、夫婦が(夫が+、妻が-)一体となって、天地の前に現われなければならない、これが原理ではないでしょうか。

 私が信じる真のご父母様とは、お父様を先きに立てての真のご父母様であり、お父様があってのお母様であり、ご父母様があっての私達と考えます。」(神山元会長の「講演文」より)

 

 神山威元会長は、上述のごとく論じた後で、「真のお父様のみ言を紹介します」と言って、下記の3つの御言を取りあげています。

 「〝天地人真の父母〟はお父様とお母様が二人ではなく一人である。」

 「お父様とお母様が、別々ではなく、ひとつなのである。別々に動いては滅んでしまう。」

 「天地人真の父母は、二人が一つとなって、天地の前に現われなければならない。」

 

 さて、はじめに、神山威元会長がここで取り挙げたアメリカ在住のある日本人に対して、私たちから述べておきたいことがあります。

 第一に、「基元節」以降、本格的に「先天時代」から「後天時代」となり、神様の直接主管圏時代に進入しています。「主権は変わった」とは、サタンの主管権から神の主管権になったということであり、そのことは、真のお父様を排除して「真のお母様の時代になった」ということではありません。

 「天地人真の父母様」とは、お二人は一体であって、アメリカ在住の日本人が語ったように、真のお父様お一人、真のお母様お一人と〝分離〟させて捉えるのは誤りです。

 

 第二に、「古い主権にしがみついて、お父様のみ言、み言といって、いつまで『丹心歌』を歌っているの」というのも誤りです。

 「真のお父様」の御言は、ある一時代的な真理ではなく、時代を超越した永遠の真理であり、不変的な真理であるからです。

 

 真のお父様は、次のように語っておられます。

 

 「尊敬する米国の指導者の皆様、真理の第一の属性とは何でしょうか。永遠で不変であるということです。レバレンド・ムーンが本当にこの地上に天の真理を伝え、人類を堕落の世界から救ってあげるために、天の押印を受けて顕現した救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、真の父母であるならば、その教えは、20年前も、40年前も、きょう現在も一点一画の加減もない、不変の真理でなければなりません。

 皆さんがお聞きになったように、私は、かつて16歳の青年の年に天の召命を受け、神様のみ旨をこの地上に成し遂げてさしあげ、人類を救援するために80年以上の生涯をささげてきました。

 私の教えは、私の知識や哲学から出た御言ではありません。50年前にもそうであり、今この瞬間も、そして今後も変わりなく、私の口を通して伝えられる御言は、天が下される真理の御言であり、人類が永遠に信奉して実践しなければならない天理です。たとえ60億の人類全体が反対するということが起きるとしても、私が伝える真理の御言は、永遠であり、不変な真理そのものです。一点一画も加減できる余地がありません」(200562528日、米国4か都市講演ツアー「神様の平和王国は私たち祝福家庭の真の祖国」から)

 

 このように「真の父母様」の教えは、「20年前も、40年前も、きょう現在も一点一画の加減もない、不変の真理」です。古い主権時代の真のお父様の御言は、過去のものであるといって軽視するのは誤りです。

 

 次に、神山威元会長に対してですが、大変失礼ではありますが、これ以後、神山威氏と書かせていただきます。

 

 神山威氏は、アメリカ在住の日本人食口に対し、「父母様は一つですよ。何故二つに分けて考える?」と言われています。それでは、なぜ自ら「真のお父様」と「真のお母様」を二つに分けて、「真のお母様」を批判しておられるのか、これは矛盾していると言わざるを得ません。

 

 それでは、これから神山威氏の「問題の教説」(講演のディクテーションの後半部分)を読んでみることにしましょう。

 

 

(二)「天一国経典」の編纂について、「真のお母様」は御言の取り扱いにおいて誰よりも誠実です。―― 「御言が絶対的な基準である」

 

(1)神山威氏の講演文に対する反論――「黒表紙と赤表紙の区別」について

 

 神山威氏は、「み言で教育しないから色々な問題がおこるのだ、み言を重要視せよと言われたことが忘れられません」と述べ、また、「私は、真のお父様が語られた貴いみ言を絶対視しております」と語っています。

 さらに、「八大教材教本を大切にして、すべての問題の解決をみ言の中に求めなければならないと私は思います。真のお父様のみ言を重要視し、実践することによって、全ての問題が解決されると確信しております」(神山威氏の講演文)とも語っています。

 

 神山威氏は、以上のように「み言を絶対視し」、「すべての問題の解決をみ言の中に求めなければならない」と述べていますが、それは全くその通りです。

 

 事実、「真のお父様」と「真のお母様」は、毎朝、御言(八大教材・教本)を訓読され、その場に同参した祝福中心家庭に対して、「御言が絶対的な基準である」という模範を示されました。

 このように、「真のお父様」は、あれはあるか、これはどういうか、と「真のお母様」に問われながら、誰よりも御言を訓読されたのです。御言によって、お二人は一体なのです。

 

 ところで、聖和された「真のお父様」の遺業を相続された「真のお母様」が天一国経典『天聖経』、『平和経』、『真の父母経』を編纂されたことに対し、神山威氏は、「真のお母様」は「お父様が遺言として残したみ言を変えてしまう」と言って、次のように批判しています。

 

 「お父様が遺言として残したみ言を変えてしまう?それはないでしょう。

 この世でも、親が遺言を残したら大切にするでしょう。それを変えて、平和神経が平和経に、お父様が愛された黒表紙の天聖経が赤表紙の天聖経に、そして父母経??話になりません。

 再臨主であり、真のお父様の前に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して行かなければならないのに……。」(神山威氏の講演文より)

 

 確かに、『天聖経』は、黒表紙と赤表紙に区別されています。しかしながら、「八大教材・教本」を「人類のための遺言」であると宣布された「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」(2011.4.24〈天暦3.22〉韓国・仁川)の御言は、天一国経典『天聖経』の「第13平和メッセージ」(1449頁)に掲載されています。

 

 このことは、言うまでもなく、「八大教材・教本」が大切であるから掲載しておられるのです。そのことを、神山威氏は知っているでしょうか。

 それを知らないで、真のお母様は「御言を変えられ、一方を肯定し、他方を排除されている」と勘違いし、誤解しているのではないでしょうか。

 「真のお母様」に対する神山威氏の不信の原因が、ここにあるのはないかと思われます。

 

 天一国経典『天聖経』の御言を絶対視することは、「八大教材・教本」の御言も、絶対視することなのです。たとえ、天一国経典『天聖経』を絶対視することを強調されたとしても、その御言集(平和メッセージ)の中に、八大教材・教本『天聖経』が包含されているのです。

 

 以上のように、「真のお母様」は、「人類のための遺言」である「八大教材・教本」を守っておられるというのです。

 

 「真のお父様」が聖和された後、「真のお母様」はただちに御言を整理されましたが、それは「八大教材・教本」以外の御言を、分派が恣意的に「御言集」として作成して公表し、御言によって分裂と混乱を引き起し、御言の権威を失墜させることを、いち早く見抜かれ、それを未然に防ぐためなのです。

 そして、天一国経典『天聖経』、『平和経』、『真の父母経』の御言が「絶対的な基準」であることを天下に示し、御言によって人類を救済し、「神様のもとの人類一家族」とせんがためなのです。

 

 残念ながら、神山威氏は、その「真のお母様」の心中を察することができずして、「み言を変えてしまう」と誤解し、「真のお母様」の(わざ)を批判しているのです。

 

 それを、ご自分の心の中だけの〝問題意識〟としてとどめているのであればまだしも、講演会を通じて外部に公言され、統一教会内部の分裂を扇動するのは如何なものかと思います。

 

(2)「人類のための遺言」(八大教材・教本)と「天一国経典」について

 

 次の御言は、神山威氏が「お父様のみ言を拝読します」と言って引用した御言です。しかし、先に述べたごとく、この御言は、天一国経典『天聖経』と『平和経』に掲載されています。

 

 「真の父母様は、既に人類のための遺言を準備し、残しました。一生に六度、七度の生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言書です。永遠の人類の教材、教本として八種類の本を残しました。冊数としては一千冊に近い分量です。『文鮮明先生御言選集』、『原理講論』、『天聖経』、『家庭盟誓』、『平和神経』、『天国を開く門真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、このように八種類の書籍です。これらの教本は、皆様が霊界に入っていっても読み、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった天道を教える教材、教本だからです。」(天一国経典『天聖経』第13篇「平和メッセージ」1449頁、『平和経』991頁)

 

 ところが、神山威氏は、上述の御言が天一国経典『天聖経』と『平和経』に掲載されていることを知らず、先に述べたように「平和神経が平和経に、お父様が愛された黒表紙の天聖経が赤表紙の天聖経に、そして父母経??話になりません」と語っているのです。

 

 しかし、歴史批評学の観点から見て、「真のお父様」が監修された御言と、「真のお母様」が監修された御言が、黒表紙と赤表紙に、はっきり区別されていることは、むしろ素晴らしいことです。

 事実、一方を八大教材・教本『天聖経』とし、他方を天一国経典『天聖経』と呼んで区別しておられるのです。また、『平和神経』と『平和経』もその名が示す通り、区別されています。

 さらに、黒表紙と赤表紙によって、どれが「真のお父様」によるもので、どれが「真のお母様」によるものであるかが、一目瞭然です。

 

 一方、新約聖書の研究において、現代の神学者たちは、どれがイエス様の言葉であり、どれが聖書記者によるものなのか「分からない」と言い合って、論争し、混乱し、信仰を破壊させ、多くの教派に分裂させています。「基元節」以後になされた、「真のお母様」の御言編纂は、2000年以降の御言を含め、そのような混乱を永遠になくすためなのです。神山威氏は、この「真のお母様」のご心情を理解していないようです。誠に残念としか言いようがありません。

 

 注視すべき重要なことは、「真のお母様」は、「真のお父様」の御言を整理されたのであって、何々グループといわれる〝霊的集団〟や〝分派〟のように、「真のお父様」が語られもしないものを「御言である」といって「経典」とされたのではありません。「真のお母様」は、御言の取り扱いにおいて誰よりも誠実です。

 

 それなのに、神山威氏は、「真のお母様」の指示による『天聖経』、『平和経』、『真の父母経』に対し、それを「真のお父様」の御言を自分勝手に訂正しているものとみなし、批判するために引用した真のお父様の御言に、カッコ付きで八大教材・教本という言葉を挿入し、次のように引用します。

 

 「君たちは将来、先生の語った内容、先生の書いた(八大教材・教本)内容を、自分勝手に加減して訂正しようというような思いを持ってはなりません。そのようなことをした場合には、先生の200巻以上の説教集が皆飛んでしまうのです。分かりましたか?(はい)。

 天と霊界の先生の話のとおりにしておかなければなりません。いくらノーベル賞をもらったアメリカの大統領であっても、有名大学の出身者であっても、その人の意見で先生の話を変えることはできません。」(「ファミリー」19939月号「日本人特別修練会における御言」、1993416日アメリカ・ベルベディアにて)

 

 上述の御言は、1993416日、真のお父様が語られた御言です。しかし、「八大教材・教本」の発表はそれよりも17年後の2010214日です。

 それなのに、「先生の書いた(八大教材・教本)内容」とカッコを付けて、いまだ発表されてもいなかった「八大教材・教本」という言葉を挿入して、まるで改ざんでもしているかのように訴え、聴衆(読者)に誤った判断をさせようとしています。

 

 先にも述べたごとく、「真のお母様」は御言を「自分勝手に加減して訂正」などはしておられません。「真のお母様」の指示による「天一国経典」の編纂がそれにあたるというのは、「真のお母様」に対するとんでもない誹謗中傷です。

 八大教材・教本『天聖経』と同様、マルスム選集から御言を抽出して編纂された天一国経典『天聖経』と『平和経』の一体どこに、「先生の御言」を自分勝手に変えた個所があるというのでしょうか。神山威氏は、講演会でこのように公言する前に、まず責任をもってそのことを明確にしておくべきでしょう。

 

(3)「伝統はただ一つ!」(「御言絶対主義」)について

 

 次の御言も大変重要な御言ですが、前述の御言引用と同様、ここでもカッコ付きで八大教材・教本という言葉を挿入しています。これも、実に巧妙です。

 

 「伝統はただ一つ! 真のお父様を中心として! 他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、どんな話にも従ってはならないのです。今、先生を中心として、お母様を立てました。先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。今、お母様が行く道は、お父様が今まで立てた御言と説教集(八大教材・教本)を中心として、行かなければならないのです。他の御言を述べるのを許しません。今度、韓国においても、御言絶対主義をとることができるように措置したのです。どのような御言も、第二の御言を許しません!」(「祝福85号」68頁、「祝福二世の行くべき道」より抜粋)

 

 この御言は、真のお父様が19941224日に語られたものですが、神山威氏は、上述の御言の引用に続き、ここでも挿入の手法(操作法)をした上で、次のように「真のお父様」は語られたのだと言います。

 

 お父様は、「先生の言った通りに、『(くそ)っ』て言えば『糞っ』て残せ。『(こぶし)』と言えば『拳』と残しておけ」と言われるのです。

 

 しかし、このような、ありのままの表現は、『文鮮明先生マルスム選集』に残されています。したがって、あえて黒表紙と赤表紙の『天聖経』に掲載する必要性はありません。

 

 また、神山威氏は、「ダンベリーの刑務所で、真のお父様が膨大なみ言の中より、お父様ご自身が選抜されたみ言が、『御旨と世界』と題して編集されました。このみ言で教育するように、必要なみ言のすべてが入っている」と述べていますが、私たちもその通りであると思います。

 

 この『御旨と世界』は、現在、『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』として、そのまま出版されています。

 また、八大教材・教本『天聖経』の「礼節と儀式」に収録されている御言の中で、「勝利の記録」として「真のお父様」は次のように語っておられます。

 

 『御旨の道』を読み、『原理講論』を読むのはもちろんですが、『祝福と理想家庭』(注:現在、『祝福家庭と理想天国()』になっている)か、今まで先生が語ってきたみ言の中で重要なみ言は、サタン世界に対して闘ってきた勝利の記録なのですべて読まなければなりません。ですから私たち統一家においては、父母と一つとなるためには、父母様の歴史的記念である過去、現在闘っている内容が全部含まれているので、その内容と一つになるようにしながら、ここにあるこのみ言とともに相対的な気分をつくっていかなければならないのです。それは自分を中心として、家庭を中心として、自分の一族、七代まで、そしてこれを横的には百六十家庭、百八十家庭が完全に一つとなって、み言を定着させなければならないのです」(『礼節と儀式』259頁)

 

 天一国経典『天聖経』の「平和メッセージ」には、八大教材・教本の重要性を訴えた御言が収録されており、そして、『礼節と儀式』には、『祝福と理想家庭』(注:『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』)の重要性が訴えられており、さらに、『御旨と世界』は『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』として出版されて、絶対視されています。

 したがって、これらと同様に、天一国経典『天聖経』が絶対視されることによって、「八大教材・教本」も絶対視されているというのです。

 

 ところで、上述の御言に、「先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、どんな話にも従ってはならない」とありますが、すでに論述してきたように「真のお母様」は「御言絶対主義」を守るために、天一国憲法14条の基本経典を編纂されたのです。

 

 すでに、統一教会の指導層、および全ての祝福家庭は、この天一国経典を訓読し、「御言絶対主義」を実践しています。

 

 このように「真のお母様」は「御言を整理」され、また、初期の教会のように、「原理講義」の絶えない教会になってほしいと願われて、「新氏族的メシヤ」を推進し、「御言伝道」を指示しておられます。

 

 統一教会の指導層は、「真のお父様」がお母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません」と言われるごとく、「真のお父様」と一体であられる「真のお母様」と一つとなって、ビジョン2020に向かって邁進しています。

 

 ところで、「他の御言」「第二の御言」を述べているのは〝霊的集団〟や〝分派〟です。

 彼らの伝道の対象は、サタン世界から解放・釈放された統一教会の祝福家庭であって、サタン世界(非原理)の中で苦悩している人たちではありません。

 彼らは、統一教会以外の人を伝道して原理講義をしたり、文先生が再臨のメシヤであると証ししたりすることはありません。つまり、人類を救済しようとしないのです。彼らは、祝福家庭を「真の父母様」(統一教会)から離反させることを天命だと思い込んでいるのです。

 

 私たちは今、神山威氏も〝分派〟の仲間入りをされるのではないかと懸念しています。

 

 ところで、分派活動をしているある人物は、終末には「羊と山羊に分かれる」と主張して〝分裂〟の必然性を説いています。しかし、真のお父様(文先生)は、次のように語っておられます。

 

 「『先天時代』は、対立、闘争、相克、不和の時代でしたが、『後天時代』は、調和、協力、相応、和解、統一の時代です。『先天時代』には、葛藤を助長し、分裂を起こして支配しましたが、『後天時代』には、このようなことが、これ以上、許されなくなります。和解と調和、平和、統一を志向する個人、集団、社会、国家が中心となって主導していく環境圏になります」(「ファミリー」20054月号、22頁、「天宙統一平和の王戴冠式」晩餐会の御言)

 

 このように真のお父様は、「後天時代」は、対立と分裂の時代ではなく、和解と統一の時代であると語っておられます。「羊と山羊に分かれる」と言って〝分裂〟を説くのは、「過去の時代」(先天時代)のことです。

 「後天時代」は「和解と調和、平和、統一を志向する個人、集団、社会、国家が中心となって主導していく環境圏」です。時代に対応しない分裂行動は、必然的に衰退していきます。

 

(三)「全て成した」(完成・完結・完了した)について

――「天地人真の父母様時代」の到来と「聖和」について

 

 周知のように、真の父母様は「真の父母」として完成され、神様の直接主管圏に入っておられ、2011424日に、「天地人真の父母様定着実体み言宣布天宙大会」(天基2年天暦322日、韓国、仁川・松島コンベンシア)を開催され、全世界に向かって「天地人真の父母様時代」を宣布されました。

 

 真のお父様は、再臨のメシヤ、救世主、真の父母として地上に来られ、その天的使命を「全て成した」といわれています。

 

 そして、真のお父様は、この韓国大会(「天地人真の父母様定着実体み言宣布天宙大会」)で「万人が兄弟国になって、『ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド』の世界が皆様の目の前から展開されています」として、次のように語っておられます。

 

 すでに真の父母様ご夫妻は最終一体を成して、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです。……人間始祖の堕落によって引き起こされた夜の神様、昼の神様、万王の王、そして、真の父母、このように四大代表王たちの歴史的な葛藤と闘争も、ついに天地人真の父母様によって、完全に解決されました。万人が兄弟国になって、『ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド』の世界が皆様の目の前から展開されています」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2011年天暦5月〈陽暦71日〉2023頁、韓国・仁川)

 

 さらに、真のお父様は蕩減復帰時代圏を抜け出し」「神様と真の父母様を中心とした勝利圏の太平聖代だけが永遠に続くようになるでしょう」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』20111月号、11頁、ニューヨーク)

 「私たちはすでに神様の直接主管圏時代に進入している」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』20109月号、通巻第500号、13、清平修錬苑)と語っておられます。

 

 このように、基元節の前に、真の父母様は最終一体を成し遂げられ、「完成、完結、完了」したと言われ、「天地人真の父母様時代」が到来しているのです。

 

 以上のように、真のお父様は、神様の摂理である時間表にしたがって歩まれ、「蕩減復帰時代圏」を抜け出し、すべてを「成し遂げた」(完成、完結、完了した)と宣言され、「再臨のメシヤとしての使命」を全うされたのです。

 そして、真のお父様は、基元節「聖酒」まで準備されてから、聖和しておられるのです。

 

 ちなみに、真のお父様は、1989831日に「八定式」を宣布され、「縦横の八段階」を勝利されました。さらに、2001113日の「神様王権即位式」で神様の(ハン)を解かれ、「神様の解放と釈放の日」を迎えられました(『平和経』292頁)。

 そして、200455日には「双合十勝日を制定されました(『平和経』1130頁)。この十勝の10数は帰一数であり、完成数であって、摂理の完結を意味します。また、真の心情圏の完成を意味します。(同)

 

 このように、真のお父様は、上述のごとく「蕩減復帰時代が終わり」「既に神様の直接主管圏時代に進入している」(天一国『天聖経』、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」14501451頁)と宣言しておられるのです。

 

 それで、「真のお父様」は聖和される前、「全て成した」と言われ、救援摂理の「完成・完結・完了」を宣言されたのです。そして、内的・実質的な3度目の結婚式である「最終一体を成し遂げ」(天一国経典『天聖経』1450頁)られて、聖和される前に基元節「聖酒」をつくられたのです。このように、「真の父母様」としての責任は果たされたのです。

 

 ところで、神様のみ旨とは何でしょうか。

 「神様のみ旨とは創造理想を完成すること」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)402頁)「それは人間の理想を完成すること」(同)「神様のみ旨は四位基台を完成すること」(同)です。「それは神様が宇宙をつくった創造理想、すなわち創造目的を完成することです」(同、403頁)

 「その目的の中心は誰でしょうか。アダムとエバでした。それゆえに私は、創造の理想を実現すること、すなわちアダムとエバを中心とした理想を実現することが、神様の創造目的だと見るのです」(同、403頁)

 

 つまり、「アダムとエバを中心とした理想」(創造目的の実現)とは、「真の父母様」を中心とした理想を実現することです。上述のように「真の父母様」は「神様王権即位式」を挙行され、さらには、内的・実質的な3度目の結婚式である「最終一体を成し遂げ」られ、父母として「創造目的」を完成されました。

 

 上述の「神のみ旨」の定義に続いて、真のお父様は次のように述べておられます。

 「四位基台とは神様を中心とするアダムとエバが、神様の愛の圏で離れようとしても離れられないように完全に一つとなり、理想的な夫婦となり、彼らが子女を繁殖することによってつくられる神様中心の家庭の基台をいいます。この四位基台が造成されれば、神様を中心としてアダムとエバが夫婦の愛で一体となり、神様の愛の圏から離れなくなります。」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)403頁)

 

 このように、「真の父母様」は、「理想的な夫婦」となられ、子女を繁殖して「神様中心の家庭の基台」を造成されることで「四位基台を完成」され、「創造目的を完成」されたのです。

 

 『原理講論』にも、「夫婦として完成されるためには、神様を中心として、男性と女性が三位一体となり、四位基台を造成しなければならない」(447頁)と論じられています。「真の父母様」はそのごとく、神様を中心として三位一体となられ、四位基台を造成して完成されました。

 

 したがって、完成した「真の父母様」に従えば、すべての祝福家庭は完成していくのです。言い換えると、神様が完全であられるように、完全になられた「真の父母様」の教えに従えば、誰もが完全な者となり、天国に入籍できるということです。

 

 ところが、神山威氏は、基元節の前に「真のお父様」が聖和されたことを自己流に解釈して、それを「失敗した」とし、次のように述べています。

 

 「メシヤとはどういうお方か!何故お父様は聖和されたのか?

 皆さん、聖和されたことに対して嬉しいという思いがしますか?

 霊界に行ったら喜びの世界ですね。

 しかしお父様が聖和された、そのことを私には喜びと感じないのです。本心が喜ばないのです。何故?

 お父様は基元節を目前にして聖和されたのか。どんな思いで基元節を待っていたのかわかります?

 D-DayD-Day、ノルマンディー上陸作戦 D-Dayとなる基元節のその日を、どんなに待っておられたか。お父様はその基元節を目前にしてその日を迎えられなかった。

 ちょうどモーセが、カナンの地を目前にして、60万の民を率いてカナンの地に入らなければいけないのに、それを目前にして入れなかった。お父様も、基元節という神の国の出発の日を目前にして、基元節を生きて迎える事が出来なかった。そして霊界へ行かれた」(神山威氏の講演文)

 

 これは、神山威氏の主観的解釈に過ぎません。このD-Dayの解説を聞いていると、「真のお父様」は最終一体を成せず、天国にも入れず、失敗したと言わんばかりです。

 さらに、神山威氏は次のように述べています。

 

 「ある人たちはこう言う。

 お父様は全てを成した全てを成した。

 では、お父様が全てを成したというなら何を成したというのか。何を成したと言うの?

 真の家庭がどこにあるの?

 真の国がどこにある?

 お父様が、どんなに深刻な立場で国を求めたと思います?

 真の家庭を求めたと思います?

 

 それがどこにありますか!
私は正直に言う!

 ある人たちは、真の家庭あるじゃないかと。どこにあるの、どこに。

 ない!ない!」(神山威氏の講演文)

 

 上述のように、神山威氏は、「お父様が全てを成したというなら何を成したというのか」、「真の家庭がどこにあるの?」「真の国がどこにある?」「ない!ない!」と語っています。

 

 真のお父様は、「全て成した」と言われました。また、第39回真の神の日の御言で、「来られる再臨主というのは、一次の真の父母であるアダムとエバと、二次の真の父母であるイエス様が残したみ旨を成就する、三次の真の父母です。それ以上は延長できません」(「ファミリー」20062月号、31ページ)と言われ、さらには、「アダム家庭のがんの病原菌がまいたものを根から抜いてしまう人は、わたししかいません」(同、47ページ)と語っておられます。

 

 すでに、神様のみ旨とは何であるかを、御言自身が定義し、御言自身が解説していることを示しました。また、聖和される前に、神様のみ旨に対し「真の父母様」は、「全て成された」ことを、具体的に歴史的に述べました。

 「真のお父様」は「蕩減復帰時代が終わり」、「既に神様の直接主管圏時代に進入している」とまで公言しておられるのです。

 

 ところが、神山氏は「真の父母様」の「勝利の歴史」を正しく評価することができず、さらには「完成、完結、完了した」と語られた真のお父様の御言に対して不信しているのです。

 そして、神山威氏は、真のお父様がメシヤの使命を果たせず、混乱を残し、最後(3度目)の神様の結婚式を成せなかったとして、次のように述べています。

 

 「お父様は、真の家庭はこうあるべきということを私たちに教えてくれました。しかし、今この現実は?不思議だと思いません?

 ・・・・・・

 ・・・・・・

 お父様は再臨のメシヤです。

 ではメシヤとして何を残したのか、この地に?

 混乱だけを残していったの?

 今、教会は混乱しています。その混乱を残したのがメシヤの使命であり役割だったの?何故こう(今の現状)なってしまったの?

 ・・・・・

 ・・・・・

 お父様が基元節を目前にして、モーセがカナンの地を目前にしてカナンに入れなかった。その基元節は、何をしなければならなかったのか。真の家庭がつくられなければならなかった。そして、神様の結婚式がなされなければならなかった。

 お父様が蘇生、長成、完成、最後の神様の結婚式を、真のお父様がどんなにその時を待ったと思います? 2013年の113日の基元節を・・・」(神山威氏の講演文)

 

 このように、真の家庭も真の国もないと公言され、基元節前に聖和された真のお父様が、「どんなに無念だったと思いますか?」(同)と、自分の主観的解釈を吹聴して回っているのです。

 

 先に論述したごとく、「真のお父様」は内的・実質的な結婚式である「最終一体」を成し遂げられ、真の父母様として「真の家庭」の四位基台を完成しておられます。結婚は成されたのです。

 そして、外的・実体的な「基元節」も、顯進様の問題があったにせよ、滞りなく終わりました。

 

 実体的天一国の創建だけは、確かにまだですが、真のお母様を絶対中心として「ビジョン2020」を掲げ、現在、統一教会の指導層と祝福中心家庭は一体となってあらゆる活動をしています。

 ただし、世界的基盤を持つ統一教会内部においては、「真の父母様」を中心として、宗教の壁、民族の壁、国境の壁は撤廃され、「神様のもとの人類一家族」がすでに実現しています。

 統一教会内部においては、韓国人と日本人の対立はありません。皆、兄弟姉妹です。キリスト教と仏教と神道の宗教間の対立もありません。これは、奇跡に他ならないと言えるでしょう。

 

 あとは、この統一教会内部の世界を、外部に拡大していくだけです。そうすれば、必然的に実体的天一国(神の国)が、次から次へと実現していきます。

 真のお父様(文鮮明先生)の平和思想(御言と原理)を宣布して、宗教統一と思想統一を実現していくだけです。

 

 真のお父様は、次のように語っておられたことを想起してください。

 「万人が兄弟国になって、『ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド』の世界が皆様の目の前から展開されています。

 

(四)「三代圏」(顯進様)について

 

 次は、真のお父様の「真の相続者は誰か」という問題です。

 神山威氏は、次のように述べています。

 

 「その血統に、お父様の息遣いと神様の種がそこにつながって来る。そう考える私は、お父様の業績を継ぎ、み言を重視し、そして伝統と真のお父様の心情圏を相続する方は、一体誰か。お子様たちの中で、男のお子様の中で誰なのか、私は探しました。

 ・・・・・

 ・・・・・

 私はこの方ではないかと考えたら、その方に会いに行く。直接会って肌身で感じたい。チェックする。この方は、本当に神様を愛し、世界万民を愛し、お父様の業績を継ぎ、み言を重視し、そして伝統と真のお父様の心情圏を相続することができる方なのか?お父様を本当に愛しているのか?」(神山威氏の講演文)

 

 こう述べた上で、神山威氏は、「私の結論は、顕進様の家庭しかない。三男の顕進様家庭しかないと、強く確信しました。私が期待するのは、お父様の生前の嘆きを解決して差し上げてほしい、二代、三代で。それが出来るように、私も背後から援護しなければならないと強く思っています」(同)と語っています。

 

 誰が後継者であるかという問題は、ここで「二代、三代で」と述べているごとく、〝三大王権〟の問題ですが、神山威氏は顯進様が後継者であると言っています。

 しかし、四大心情圏と三大王権と皇族圏については、八大教材・教本『天聖経』の第16巻『真の家庭と家庭盟誓』に詳細に説明されています。

 「真の父母様」は、直系のお孫様の結婚式によって「三大王権」を完成され、祖父母(王と女王)の愛を完成されました。そして、摂理的「禧年」を宣布され、さらに「万王の王神様解放圏戴冠式」をされたのです。

 

 直系の子女様の中から誰が後継者として決まるのかについては、天は既に定めておられることでしょうが、それは、神様と「真の父母様」が決定されることであって、私たちが決めることではないのです。

 

 神山威氏は、「お父様の業績を継ぎ、み言を重視し、そして伝統と真のお父様の心情圏を相続する方は、一体誰か」と言われますが、神山威氏のように、そのことを、人間の側から、人間の目で見て、あの方だ、いやこの方だと言って、探し回って決める問題ではないのです。

 

 旧約聖書に、サムエルが神の指示によってエッサイの子供たちの中から一番末っ子である男のダビデをイスラエルの王として選んだごとく(サムエル記上16613)、それは、神様と真の父母様という天が決定されることであって、下から「チェック」し、選挙によって決めることではないのです。

 

 私たちは、往々にして学歴や容姿や身の丈で判断しがちです。しかし、神様は、人が見るようには見ないというのです。聖書に、神様は心を見ると記されています。

 

 最後に、神山威氏は「天皇家の後継者」問題を取り上げ、次のように述べます。

 

 「皆さんに質問があります。今、天皇陛下が霊界にいかれたら、誰が次に立つのか?

 美智子様?

 天皇陛下がいなくなられたら、皇后陛下の美智子様が相続します?天皇家を・・・。日本の女性の方どう思うの?

 そうじゃないよね。天皇陛下が霊界にいかれたら、必ず皇太子様が天皇の位置を継承します。その背後で、皇后陛下の美智子さまが援護します。そして、新しい年号の・・・」(神山威氏の講演文)

 

 このように、神山威氏は、「天皇陛下が霊界にいかれたら、誰が次に立つのか?美智子様?」と語っていますが、これは「真のお母様」がビジョン2020に向かって先頭に立っておられることを批判しているのです。

 そして、皇太子様が天皇の位置を継承しますとも語っていますが、その意味することは、言うまでもなく、顯進様が立たれるべきだと述べているのです。

 そして、「真のお母様」は顯進様を援護する立場で、その背後に退くべきであるという意味です。

 

 神山威氏は、次のように述べて講演を終わらせています。

 

 「神側に新しい三大王権制が・・・。お父様が一代、そして二代、三代・・・・。この血筋が未来永劫に続いていく。その中央の血統に、祝福家庭が連結されることによって、皇族圏が生まれる。お父様によって直接祝福を受けた人たちが皇族圏となり、神の理想世界が地上に建設される。私はそう考えております」(神山威氏の講演文)

 

 確かに〝万世一系〟の天皇制は、神の啓示として、何か象徴的なことを私たちに教えているでしょう。

 しかし、「文鮮明先生ご夫妻」こそが、再臨のメシヤ、救世主、真の父母であって、直系の子女様によって代が何代変わっていこうとも、永遠の中心は父母様です。

 顯進様およびその他の如何なる子女様であっても、その方々が「再臨のメシヤ」となり、「真の父母」になることはありません。

 また、「真のお父様」と「真のお母様」を分離させて語っていますが、200326日の「天地父母様天一国開門祝福聖婚式」(2度目の結婚)、2009115日と同31日の「万王の王神様解放圏戴冠式」、そして2010年天暦58日(陽619日)と天暦515日(陽626日)の「最終一体」宣布などを見れば分かるように、「真のお父様」と「真のお母様」は一体です。

 「真のお父様」は「真のお母様」を「真の母」として公認しておられるのです。しかし、神山威氏は、顯進様と同様に、神様と真のお父様が立てられた人類の「真の母」であられる真のお母様(韓鶴子夫人)を認めていないのです。

 このように、「真の父母様」に従わないこと、そこにこそ、すべての問題があるのです。

 

 神山威氏は、「考えてみてください。私達のお父様に対する不信が、神様の前に絶対服従できなかった私達の信仰姿勢が、この結果を生みだしたと考えなければならないと思いません?」(神山威氏の講演文)と述べています。

 

 誠にその通りであると思います。しかし、この結果を生み出した原因は、真のお父様に対する不信だけでなく、真のお母様に対する不信もあるのです。そして、この真のお母様に対する不信は、真のお父様に対する不信でもあります。

 

 神山威氏は、現在の心境を次のように吐露しています。

 

 「今まで私の長い年月の直接のアベルはお父様でした。真の父母様であると共に、私のアベルでした。指示され報告する上司がいなくなってしまった。お父様が霊界にいかれたので、ちょうど糸が切れた凧のようになってしまった」(神山威氏の講演文)

 

 心に隙間ができた時こそ、一番、信仰姿勢が問われる時です。「真のお母様」に仕えることができずに、分裂活動をすることが、「真のお父様に対する不信と不服従」を償うことであるとでも考えているのでしょうか。

 

 破滅の道を一人で行かれるならば、それは自業自得です。許されないのは、他の人までも巻き込もうとする行動を取ることです。そのような行動を放置することはできません。

 「後天時代」は和解と統一の時代です。分裂を説く時代ではありません。真のお父様は、「後天時代には、このようなことが、これ以上、許されなくなります」と語っておられたことを想起してください。

 

 神山威氏自身が述べるごとく、「真の父母様」はお二人ではなく、一組であり、唯一です。したがって、「真のお父様」がお立てになられた「真のお母様」に侍ることが、「真のお父様」に侍ることではないでしょうか。