(1)「来られる」再臨主とは?
私たち(森、可知、竹内)は、岡本・広氏らがメシヤとして信奉する「第4アダム」を否定するため、次の御言を「中和新聞」に引用しました。
「来られる再臨主というのは、1次の真の父母であるアダムとエバと、2次の真の父母であるイエス様が残したみ旨を成就する、3次の真の父母です。それ以上は延長できません」(「ファミリー」06年2月号31頁)
広氏は、「来られる」という「主語の尊敬語の部分」を私たちが意図的に削除したと憶測し、「普通、自分自身に対して尊敬語は使いません」、ゆえにこの部分は「お父様ご自身のことを語られているのではなく、将来姿を現される孫としての『第4アダム』というメシヤシップを持っておられるお方のことを指しているのではないでしょうか」と反論します。
注視して下さい。主語の敬語部分を入れても「来られる再臨主というのは……3次の真の父母です」と語っておられるのであって、「4次の真の父母」(第4アダム)と言っておられるのではありません。先入観をもって「第4アダム」こそ「来られる再臨主」と信じる広氏の方が恣意的で、誤っています。
ちなみに、世界巡回で初来日された際、文先生はご自身を「来られる先生様におかれましては」と語られています。洗礼ヨハネの立場の時や、客観的に真理を語られる時にそう言われるのです。
(2)「三代圏と孫」について
三代圏と孫の関係について、文先生は次のように語っておられます。
「神様とアダム家庭を中心として見てみれば、神様は一代の祖、アダムは二代の祖、アダムの子女は三代の祖の位置を形成するようになっていました。神様は祖父母の位置であり、アダムは父母の位置であり、子女は息子、娘の位置です。同じように、皆様の家庭でも三代が一つの家庭に安着すれば、祖父母は、天上天国の神様の位置であり、本然の地上世界と天上世界の王と女王の位置であり、父母は、現在の地上天国を代表する中心の王と女王の位置であり、子女は未来を代表する地上天国と天上天国を相続する王子、王女の位置なのです」(『平和神経』平和メッセージ14、314頁)
以上のように、子女(孫)は「未来を代表する地上天国と天上天国を相続する」との御言はありますが、広氏らが主張しようとする「孫が第4アダムである」という御言はどこを探してもありません。
ところで、三代の正分合作用による四位基台について、文先生は次のように語っておられます。
「一つの家庭圏において、正分合の創造過程が展開するのです。祖父母が『正』なら父母は『分』になり、再び『合』を成す位置には子女が立つのです。したがって、祖父母を愛し侍ることによって、私たちは過去を学び相続します。父母を愛し侍りながら、子女たちは現在を学んで習得します。また、祖父母と父母は、孫と孫娘と子女を愛する所で未来を感じ、希望を抱くようになります」(「ファミリー」05年6月号42頁)
このように一つの家庭圏で、正分合の創造過程が展開して四位基台が造成されますが、この「三代が調和して暮らす家庭」(『平和神経』160頁)が神様の願いであり、創造理想です。孫によって「三代愛圏が完成する」のです。このとき、完成するのは孫ではなく祖父母です。
また、文先生は「三代圏」について、次のように語っておられます。
「本来、神様の本然的な真の愛、真の生命、そして真の血統で連結された真の家庭の中で、祖父母、父母、孫、孫娘を中心として、三代の純潔な血統を立て、父母の心情、夫婦の心情、子女の心情、兄弟姉妹の心情を完成するときに、これを総称して四大心情圏の完成と言います。ここにおいて、父子間の愛は、上下の関係を捜し立てる縦的な関係であり、夫婦間の愛は、左右が一つとなって決定される横的な関係であり、兄弟間において与えて受ける愛は、前後の関係として、代表されるのです。このように、観念的で所望としてだけ残る夢ではなく、神様の創造理想が家庭単位に、真の血統を中心として、四大心情圏の完成とともに実体的な完成をする」(「ファミリー」04年5月号9頁)
このように「完全な種」として出てくる「孫」とは、真の家庭の「三代の純潔な血統」による直系であり、岡本言説のいう禹氏の庶子ではありません。
なお、文先生は「真の父母様の金婚式を契機として、カイン・アベルの完全一体圏の門が開かれています。神様の本性的心情を相続し、共有する完成・完結の段階、すなわち堕落の痕跡さえない原状の人間に復帰されうる恩賜圏に進入するのです」(「ファミリー」09年7月号9頁)と語られました。
このように、「条件的祝福家庭」は、カイン(体)とアベル(心)の「完全一体圏」を形成し、「真の父母」に侍り、「真の父母」の愛と一つになって、縦的八段階を完成基準まで上がり切り、「堕落の痕跡さえない原状の人間に復帰」されて天国へ行くのです。
特別寄稿:森三雄
可知雅之
竹内清治