櫻井節子氏の「独生女観」なるものは、真の父母様の教えとは異なる〝誤った言説〟(その1)

文責:教理研究院

                             注、真の父母様のみ言や『原理講論』の引用は「青い字」で、UCIおよびFPA側の主張は「茶色の字」で区別しています。

 UCI(いわゆる「郭グループ」)およびFPA(家庭平和協会)を支持する櫻井節子氏は、2017年5月、家庭連合を退会し、その後、非原理集団UCIの啓蒙活動をしています。
 2020年12月からは「【櫻井節子夫人のラジオ】(今伝えたいこと)」(以下、「櫻井夫人のラジオ」)を配信し続けています。その内容は、真のお母様に対する不信を煽る〝悪意〟に満ちたものであり、真のお父様のみ言と異なる〝誤った言説〟に外なりません。以下、「櫻井夫人のラジオ」が、いかに真のお父様のみ言と異なった〝非原理的な主張〟であるのかを明らかにします。

(1)二千年のキリスト教歴史は「独り娘」を探し求める歴史
 櫻井節子氏は「櫻井夫人のラジオ」で、次のように述べています。
 「私が今のお母様、韓ハクチャ・オモニに付き従うことができない理由は何だとお思いになりますか? ……今、オモニが語っておられることが原理的ではないということ、お父様が語ってこられたこととは違うということを、はっきり分かっているはずです。……『独生女論』を受け入れ、それを正当化しようとしていることを『恥ずかしく』考えるべきでしょう」
 「私が『独生女』のお話を、オモニから直(じか)にお聞きしたのは、2015年の暮れ……『クリスマス集会』の席でした。……二千年の歴史は独生女を迎えるためにあった……というみ言だったのです。私はびっくりしてしまいました(注、太字ゴシックおよびアンダーラインは教理研究院。以下、同じ)

 櫻井節子氏は、真のお母様のみ言に対して二千年の歴史は独生女を迎えるためにあった……というみ言だったのです。私はびっくりしてしまいましたと述べ、真のお母様を批判しています。
 しかしながら、真のお父様は次のように語っておられます。
 「神様の二千年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、二千年のキリスト教の歴史は、(独り娘)を求めるための歴史です」(天一国経典『真の父母經』69ページ)
 「その新婦を求めてきたのが、イエス様以後の二千年歴史です。新婦を探し出すことによって、真の先祖が現れ、真の先祖が現れることによって、真の父母が現れるのです。本来、エデンの園で真の先祖である真の父母が現れなければならなかったのですが、人間の堕落により、六千年が過ぎた今になって、初めて神様は再臨時代を中心として、真の先祖を探し出したのです」(同、71ページ)

 これらの真のお父様のみ言に見るように、真のお母様が「今まで二千年の歴史は、独り娘を探し求めてきた歴史です」(2014年7月1日、天正宮博物館)と語っておられるみ言は、真のお父様のみ言と完全一致しています。櫻井節子氏は、「オモニが語っておられることが原理的ではないということ、お父様が語ってこられたこととは違うなどと述べて、真のお母様を批判しますが、櫻井節子氏の主張は真の父様のみ言に無知ゆえの独断であり、その主張は真のお父様のみ言に反し、非原理的なものに外なりません。
 2015年5月30日、真のお母様は米国・ラスベガスで開催された「真のお父様の聖和1000日記念特別礼拝」で、(イエス様は)また来て、何をすると(聖書に)記されていますか? 小羊の婚宴をするとあります。それは、結婚するという話です。結婚しようとすれば、相手がいなければならないのではありませんか? それで、キリスト教の二千年の歴史は、独り娘を探してくる摂理歴史だということを、皆さんが正しく知らなければなりません(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2015年7月号、8ページ)と、真のお父様のみ言と一致した内容で私たちを原理的に指導しておられます。

(2)〝自ら悟って〟勝利された真のお母様
 さらに、櫻井節子氏は「櫻井夫人のラジオ」で、次のようにも述べています。
 「私が『独生女』のお話を、オモニから直(じか)にお聞きしたのは、2015年の暮れ……『クリスマス集会』の席でした。……私(お母様)み言についても、誰に教えられなくとも自ら分かり悟って成長した。独り子が独り娘を教育したなどという事実はない……というみ言だったのです。私はびっくりしてしまいました

 真のお父様は〝女性が果たすべき責任〟に対しアダムであるイエス様が教えてあげるわけにはいかなかったという事実について、次のように語っておられます。
 「それで(イエス様は)殺されてしまったのです。そうならないように事を運ぶ責任がマリヤと洗礼ヨハネのお母さんにあったのですが、それを知らなかったというのです。かと言って、アダム(イエス様)教えてあげるわけにはいかなかったのです。復帰路程では、自らが五パーセントの責任を果たさなくてはならないからです。女性が果たすべき責任を、マリヤと洗礼ヨハネのお母さんが果たせないまま、いつの間にかイエス様は30歳にもなってしまったのです」(『祝福』1990年冬季号、49ページ)

 さらに、真のお父様は、真のお母様の路程がご自身で〝自ら意味を悟って〟勝利しなければならない路程であった事実を、次のように語っておられます。
 (1960年からの)7年間というものは、実に様々な非難、中傷、うわさ、誤解が、先生一家をめぐって渦まいていました。……『さあ、お母様、あなたはそれを理解し、勝ちぬき、不屈の忍耐で勝利しなければなりません。私(お父様)はそれをこういう計画を成就するために、こういう目的に基づいてそうしたのだから。』というような説明はたった一言もしませんでした。先生がお母様に説明し、慰めたとしたら、たとえお母様がそのために勝利したとしても、何の価値もないのです。お母様自ら意味を悟って、自分自身の理解に基づいて、忍耐し勝利しなければならないのです」(『祝福』1977年夏季号、59~61ページ)

 これらの真のお父様のみ言と照らし合わせると、真のお母様が「私を教育した人は誰もいません。独り子、独り娘は同等なのです。独り子が独り娘を教育したとは言えません。どのような意味かわかりますか? ですから私が決めたのです(2014年10月27日、天正宮博物館)と語られたみ言は、まさに原理的であり、真のお父様のみ言と一致しています。
 櫻井節子氏は、「私(お母様)み言についても、誰に教えられなくとも自ら分かり悟って成長した。独り子が独り娘を教育したなどという事実はない……というみ言だったのです。私はびっくりしてしまいましたと批判していますが、櫻井節子氏の批判こそが真のお父様のみ言に無知なるがゆえに、み言と反するものであり、非原理的なものです。

(3)〝成して宣布〟された真の父母様の「最終一体」
 また、櫻井節子氏は「櫻井夫人のラジオ」で、次のように述べています。
 「晩年のお父様が……『真の父母の完全一体』を宣布されたのは完全に一つになっているからではなく、それを『切実に願われたからでしょう。……もしお母様が今、お父様と同じことを語り、お父様の歩みを証し、お父様と同じ摂理の内容を進めておられるのだとしたら、責任者たちが躍起になって、『お父様とお母様は一つである、そのように信じよ』と、必死に教える必要もなかったことでしょう。夫婦が一つになっているかどうかは、わざわざ口にしなくても、肌で感じられるからです」

 真のお父様は2010年7月8日、天正宮博物館において挙行された「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」で、真の父母様ご夫妻の「最終一体」について次のように宣布されました。この「最終一体」宣布は、その後も「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」において継続して宣布していかれました。
 「皆様、去る(2010年)天暦5月8日(陽暦6月19日)午前2時20分と5月15日(陽暦6月26日)午前3時25分、このように両日にかけてアメリカのラスベガスにおいて神様を中心とした天地人真の父母様の特別宣布が行われました。……すでに父母様夫妻最終一体して、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2010年9月号、12ページ)

 このように、真の父母様は最終一体すでに……成して奉献宣布しておられます。
 真のお父様は「最終一体」すでに……成して宣布された事実について、天正宮博物館で挙行された「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」の場で、「み言が先か、実体が先か」というテーマで、次のように語っておられます。
 「み言が先でしょうか、実体が先でしょうか。今日の宗教では、実体に関することは確信をもつことができず、律法を重要視するので、実体と律法が一体になるということは、本当に難しいのです。統一教会では、み言が先ではありません。実体があって、その実体が行った事実をみ言で証しするので、内外が一致し得る内容を知ることができるというのです」(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』33ページ、2010年7月8日)

 また、真のお父様は、次のようにも語っておられます。
  「天地人真の父母が定着しました。その次には、実体み言宣布です。真理の実体、定着した実体が語るその言葉が、宇宙を解放させることのできる言葉です。それが実体み言宣布です。男性なら男性、女性なら女性が、自分の利益を得ようと企てる、そのような思想ではありません。ですから、天地人真の父母が定着したとはどういうことかというと、実体が定着するということです。それで実体み言宣布なのです(前掲書、32ページ)

 さらに、真のお父様は、上記のみ言に関連する内容として、次のように語っておられます。
 「神様とアダムとエバは、(人間始祖が堕落したため)『家庭王即位式』をすることができませんでした。分かりますか?(しかし2003年2月6日に)その『家庭王即位式』をしたので、神様が、本来の真の父母を中心として、婚姻申告をすることができる時を迎えたということです。分かりますか?(「はい。」)文総裁を中心として、(神様は)婚姻申告をしました。今、霊界に行けば……。今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁ご夫婦の顔が現れて、きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなるというのです。そのような霊界に行った時にも、真の父母を否定しますか? このように、はっきりと教えてあげたにもかかわらず、神様を否定すれば、かちっと引っかかります(『ファミリー』2003年5月号、27ページ)
 「後天時代には、神様御自身が真の父母の姿万人の前に顕現します」(『平和神經』295ページ)
 「最後に万王の王と父母の先祖の中の先祖となり得る勝利の覇権の栄光の宝座に座る人は、億千万代においてただ一つの夫婦であって、二つはいません。……万王の王はお一方です。……女性尊重時代が来ます。お母様を中心として、ひっくり返るのです。男女が同等で対等の価値の実権をつくるのです」(「KMS中和新聞」2012年4月27日号、「天地人真の父母様特別集会」)

 このように、真のお父様は「万王の王は……億千万代においてただ一つの夫婦すなわち真のお父様と真のお母様のみであられる事実を明確にされました。
 『原理講論』は、イエス様は神様と一体であるとして、次のように論じています。
 「イエスも神と一体をなしているので、……ヨハネ福音書14章9節から10節のみ言どおり、彼を見たのは、すなわち、神を見たことになる(258ページ)
 しかし、イエス様当時の人々は、イエス様を正しく理解することができず、むしろ「彼らはその驚くべき業を見ながらも、(その業が)悪霊のかしらベルゼブルによるのだと、イエスを非難した」(183ページ)というのです。当時の人々の不信は、結局イエス様を十字架の道へと追いやってしまったのです。
 私たちにおいては、「最終一体」「すでに」成して奉献宣布しておられる真の父母様を正しく理解し、〝孝情〟をもって真の父母様に侍っていくことが願われています。
 ところが、櫻井節子氏は、「『真の父母の完全一体』を宣布されたのは完全に一つになっているからではなく、それを『切実に願われたからでしょう。……夫婦が一つになっているかどうかは、わざわざ口にしなくても、肌で感じられるからです」などと述べ、真のお父様が「最終一体」を宣言しておられる真のお母様に対して〝不信感〟を煽っています。このような櫻井節子氏の批判は、真のお父様のみ言を公然と否定する行為であるばかりでなく、お父様が忠告された「はっきりと教えてあげたにもかかわらず……かちっと引っかか(る)言動であると言わざるを得ません。

(4)〝実体聖霊〟であり〝第二教主〟であられる真のお母様
 櫻井節子氏は「櫻井夫人のラジオ」で、次のように述べて真のお母様を批判します。
 「原理が教える〝聖霊〟の役割とは何でしょうか? それは子女たちを一つに束ね、メシヤにつなぐ存在です。当時のお母様は正に、〝聖霊〟の実体でした。お母様は正に、〝生ける聖霊〟のようなお方でした。……しかし、……今のオモニから『お父様を敬い慕う心情姿勢』を見出すことができません」「……今のオモニにつながることは、お父様に背を向けることと一緒なのです」

 真のお母様は「実体聖霊」として、その役割を果たしておられます。真のお母様につながり心情一体となることこそが、原理的であり、真のお父様の願っておられることです。
 『原理講論』は「聖霊」「女性神」であるとして、次のように論じています。
 聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては……」(265ページ)。「モーセの路程で、……火の柱は、女性神として彼らを導くはずである聖霊を象徴したのであった」(369ページ)
 また、「み言の実体的展開による被造世界と復帰摂理表示図」(『原理講論』176ページ)には「再臨主」「聖霊実体」が共に〝原罪がない〟長成期完成級の上に記されています。「再臨主」とは真のお父様を、「聖霊実体」とは真のお母様を意味しています。真のお父様は、真のお母様こそが「聖霊の実体」「女性神」であることを、次のように語っておられます。
 「メシヤは父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性神に出会い、真の父母の立場を回復されるのです。ヨハネの黙示録に預言されている小羊の婚宴後の新郎新婦は、真の夫婦の段階を経て、真の父母になるのです」(『ファミリー』2000年4月号、38ページ。「終末時代に人類とアメリカが進むべき道」)
 お母様は聖霊です。聖霊に背いては、赦しを受けられないのです。再び生まれる道がありません。赦そうとしても、その根拠がないのです。お母様は、生命を復活させる方です。再び生んで祝福するのです」(天一国経典『真の父母經』47ページ)
 さらに、真のお父様は「勇敢無双にサタン世界を退けて進んでいける女性」こそが、真の母(真の妻、真の王妃)となりうる女性であることについて、次のように語っておられます。
 「神様は、天の国の真の母になることができ、真の妻になることができ、真の王妃になって余りある女性を求めるのです。神様のそのような召命を受けるときは、勇敢無双(他に類を見ないほど勇敢なこと)にサタン世界を退けて進んでいける女性でなければなりません」(天一国経典『真の父母經』45ページ)

 さらに、真のお父様は、真のお母様が父母様の代身であり、第二教主であるとして次のように語っておられます。
 「今ではもう、お父様が一人でいても父母様の代身であり、お母様が一人でいても父母様の代身です。『お父様が70を越えたので、後継者が出てこないのか』という話はやめなさいというのです。……ですから、お父様が第一教主であり、お母様は第二教主です。今までは女性たちが男性に付いてきましたが、これからは水平です」(天一国経典『真の父母經』1438~1439ページ)

 ところで、真のお母様の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』(以下、『平和の母』)には、真のお父様が「顧命(王の遺言)」として、真のお母様が神様の使命を引き継いで果たしていけるように事前に宣布しておられた事実が記されています。
 「1991年6月には、カナダのクレアストーンの本館で『顧命性宣誓宣布』が行われました。『顧命』とは、『王の遺言』を意味する言葉です。文総裁は御自身が聖和した後も、私が神様の使命を引き継いで果たしていけるよう、日本の女性代表が責任を持って真の母を支えていくべきことを、顧命として宣布されたのです」(『平和の母』220ページ)
 「この瞬間、『統一教会の第二教主』としての、私の重大な使命が明確になったのです。人々は驚いていましたが、私は静かにその言葉を受け止めました。世を救う独り娘、平和の母としての使命は、既に30年前から与えられたものでしたが、私は文総裁が最前線で摂理を率いていけるよう、内助に最善を尽くしていました。その日、第二教主を発表したのは、モスクワで起こり得る不測の事態に備えながら、今後のことを念頭に置いた上での措置でした。1990年3月27日、統一教会の名節の一つである『真の父母の日』を迎え、アメリカのニューヨークで行われた記念礼拝で『女性全体解放圏』が宣布されることで、私は統一教会の第二教主となりました。
 その後、1994年11月27日には、ニューヨークのべルベディアで第二教主としての私の公的使命が改めて公表され、その意義が強調されました」(同)

 真のお母様が「第二教主」であることを、真のお父様はその後においても、次のように繰り返し語っておられます。
 「統一教会に文総裁がいなくても、韓総裁が教主になれるのです」(マルスム選集401-158、2003年1月6日)
 「さあ!『……真のお母様、第二教主世界的宣布、1994年11月27日、ベルベディア修練所』。お母様に拍手を一度送りましょう。(拍手)お母様はそれを忘れないように」(同404-101、2003年1月30日)
 「先生が霊界に行けば、お母様が統一教会の教主にならなければならないのではありませんか」(同499-184、2005年7月2日)
 (先生が)急に霊界に行っても、……お母様が統一教会の教主になったからといって軽んじる者はいないのです」(同523-246、2006年4月5日)
 「統一教会の教主となった文総裁が死んでも、お母様を教主として立てるからといって、統一教会を韓国が反対できる歳月はすべて過ぎ去ったのです」(同524-213、2006年4月13日)
 「文総裁は衰えるようになりましたが、……第二教主には、お母様が堂々としているでしょう。分かりますか。夫が成せなかったことを成し遂げなければなりません(同540-73、2006年9月23日)
 「お母様は、お父様よりももっとたくさん行います。年齢が若いので、私が死んでも教主は問題ありません。もはや、教主は二人が一つになっているということです」(同541-146、2006年9月28日)

 さらに、真のお父様は次のようにも語っておられます。
 「今ではもう先生がいなくても、お母様だけいればみ旨に何の支障もないというのです」(『真の御父母様の生涯路程➉』348ページ)
 お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。お父様がいないときは、お母様のことを思わなければなりません。そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心をもち、祈祷もそのようにするのです。今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなければなりません。これからはお母様の時代に入っていくことを理解して特に女性たちはそのようにしなければなりません」(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』116~117ページ)
 先生が霊界に行くようになればお母様が責任を持つのです。その次には息子・娘です。息子がしなければなりません。息子がいなければ、娘がしなければなりません。後継する者が誰だということは既に伝統的に全て(準備が)なされています」(マルスム選集318-260)

 これらのみ言を見ていくと、真のお父様はご自身の聖和後のことを考えられ、「実体聖霊」であり、「第二教主」である真のお母様を中心に、私たちが一体となって歩んでいくことを願っておられたことが分かります。そして、もし真のお父様が実体的に成せなかったことがあったとするなら、真のお母様を中心にそれを実体的に成し遂げていかれるよう願っておられたのです。
 それゆえ、神様は天の国の真の母になることができ、真の妻になることができ、真の王妃になって余りある女性を求め」ておられ、「そのような召命を受けるときは、勇敢無双にサタン世界を退けて進んでいける女性が「真の母」であるべきことを願っておられたのです。
 真のお父様ご自身も、真のお母様に対し「私がお母様を称賛するのではなく、お母様に良い点が本当に多いのです。素晴らしいというのです。……顔を見れば分かるのです。慎ましいのですが恐ろしい女性です一度決心すれば、最後まで自分一代でこの複雑な恨の峠をすべて清算するという決心が、私よりもお母様がもっと強いのです。……先生よりもお母様をもっと重要視することができる統一教会の食口になれば福を受けるのです」(『真の御父母様の生涯路程⑩』351~352ページ)と語っておられます。
 櫻井節子氏は、真のお母様に対し「原理が教える〝聖霊〟の役割とは何でしょうか?『それは子女たちを一つに束ね、メシヤにつなぐ存在です……今のオモニから『お父様を敬い慕う心情姿勢』を見出すことができません」「……今のオモニにつながることは、お父様に背を向けることと一緒なのです」と述べて〝不信〟を煽っています。
 しかし、そのような櫻井節子氏の捉え方は、神様が「真の母」として勇敢無双にサタン世界を退けて進んでいける女性を求められ、かつ真のお父様も複雑な恨の峠をすべて清算するという決心が、私よりもお母様がもっと強いと全幅の信頼を寄せておられる真のお母様への熱い思いから見たとき、自分の考えや思いに固執する余り、それらの神様や真のお父様の思いと、あまりにも大きな隔たりがあるものと言わざるを得ません。
 私たちは、真のお父様の聖和後に「中断なき前進」を訴えられ、その使命を引き継がれ、神様の夢を成して差し上げようと死生決断、全力投球で歩んでおられる真のお母様と一体となって歩んでいくことが、神様と真のお父様の願いであることを明確に理解すべきです。
 そして、櫻井節子氏が真のお父様のみ言に対して無知ゆえに述べる〝非原理的な言説〟に決して惑わされてはなりません。