序文

禹明植氏を“特別使命”をもつ人物として信奉する岡本達典氏(6000双)は、2003年9月、怪文書『95+13ヶ条の提題』を配布し、自称「成約原理解説」を講義しながら、自ら主宰する「氏族協会」に、祝福家庭を勧誘していました。

岡本言説を研究した結果、これは看過できない問題であると結論づけた私たち3人(森三雄、可知雅之、竹内清治)は、その誤りを23項目にまとめて書籍にし、2006年1月25日に、『霊的集団「氏族協会」の誤りを正す!』(光言社、以下『誤りを正す』)として出版しました。

岡本氏らは「氏族協会」開設のホームページで、『誤りを正す』への反論を試みましたが、形勢不利と見るや、反論をあきらめ、ホームページを閉鎖して敵前逃亡しました。

その後、しばらく潜伏していましたが、名称を「祝福二世相談室」に変え、『救済論の問題点』(08年11月1日)、『100ヶ条の提題』(09年3月24日)を出版し、閉鎖していた「氏族協会」のホームページも、「祝福二世相談室」の名称で開設し直して、彼らの正体をよく知らない祝福二世らを狙って勧誘活動を再開しています。

岡本言説は、反対派の「三つの戦略」と通じる世界があります。共産主義者や浅見定雄氏らによる反対派の対統一教会戦略は、次の三つです。

①反対派は文先生を「サタンだ」といって攻撃し(教祖批判)、②「『統一原理』は幼稚な教えである」といって批判し(統一原理批判)、③「統一教会の実態は悲惨だ」といって攻撃します(実態批判)。

岡本氏の場合には、統一教会の体制内改革を訴えるようなポーズを取っていますが、やはり対統一教会戦略として、反対派と同じ敵対する立場に立ち、次の三つをもって攻撃してきます。しかしその批判は婉曲的であり、より巧妙です。

 

①岡本氏の「教祖批判」について

岡本氏は「文先生を批判していない」と言い訳しますが、私たち3人は『誤りを正す』で、岡本言説は「文先生が人類救済の全使命を完成できない」(233頁)と説いていると書きました。それを認める岡本氏は、「第4アダム」(禹氏の庶子である孫)に、文先生は完成するために再臨復活すると言い(霊的集団と呼ぶ根拠)、文先生の生涯路程は、その第4アダムを証しするための“洗礼ヨハネ的使命”に過ぎなかったとします。

その虚偽性を見抜けない信者は、それを受容し、その結果、文先生に対する絶対信仰を棄て、“未完の文先生”から、岡本氏らが担ぎ出す「第4アダム」(偽メシヤ)を信奉するようになってしまうのです。メシヤとして、真の父母として勝利された文先生への絶対信仰を放棄させるのに、これほど巧妙で効果的な方法はありません。

②岡本氏の「統一原理批判」について

岡本言説は『原理講論』の限界性を訴えます。彼らは、総序に「真理の一部分」と書かれている個所を取り上げ、『原理講論』には限界があると強弁するのです。その言説は「創造原理」をゆがめ、特に独自の「堕落論」をつくりあげ、岡本言説独自の救済観、摂理観をつくりあげています。一旦、岡本言説に取り込まれると『原理講論』の「堕落論」を放棄するようになります。その内容は、浅見定雄氏らによる「堕落論」批判と軌を一にするものです。

③岡本氏の「実態批判」について

岡本氏は反対派の批判点と同様に、あるいはもっとひどく統一教会に対する批判を展開します。言い換えると、岡本氏の自称「成約原理解説」は、そもそも「祝福結婚」や祝福家庭に対する批判を前提として構築されているのです。彼らは、文先生ご夫妻による祝福では原罪は清算されず、祝福家庭は「メシヤを迎えるための準備の基台であり、救済以前の位置です」(『100ヶ条の提題』355頁)と述べ、その歴史的価値を蔑(さげす)みます。

それゆえ、岡本言説の「誤りを正す」作業は不可欠であり、放置できない問題です。岡本氏らの三つの戦略は、彼ら自身が意識するかしないかにかかわらず、統一教会を潰そうとする反対派と同じ統一戦線上に立っています。岡本言説は、御言を根拠としているかのように装っていても、それは御言中心主義などではなく、祝福家庭に向かって「悪魔の巣くった船」(注:統一教会を指す)から逃れなさいと叫ぶほどに、その本質は、文先生が創立した統一教会に対して敵対的なのです。

最近では、『誤りを正す』の普及によって勧誘が困難になってきた日本から、その活動舞台をヨーロッパやハワイなどに広げ、新たな祝福家庭を勧誘しようと画策しています。

この小冊子を学び、禹集団に属する岡本言説の誤りを理解することで、今後、彼らの活動に取り込まれる被害者が出ることのないように願うものです。

なお、すでに光言社から出版されている『霊的集団「氏族協会」の誤りを正す!』および『続・文鮮明師の著作権』を、併せて学ばれることをお勧めいたします。

 

2009年9月8日