「お母様が、お父様の生命維持装置を外して『安楽死』させようとした」という批判への応答

(文責:教会成長研究院)

(注:本文中、真の父母様のみ言、および機関誌等に掲載された教会側の主張は
青色」で、サンクチュアリ教会側の主張は「茶色」で色分けしています)

 サンクチュアリ教会側は、真のお父様が聖母病院に入院しておられるとき(2012年8月13日~31日)、「真のお母様と幹部らは、お父様の生命維持装置を外して『安楽死させたい』と考え、安楽死をさせようとしたとき、亨進様と国進様が命懸けでそれを阻止したのだ」と述べ、真のお母様を“殺人者”であるかのように批判します。彼らは、亨進様の説教を以下のような文章にして各方面に送りつけています。しかし、以下の内容は“虚偽のストーリー”です。

 「私達は、病院で大きな戦いをしながら、お父様を安楽死させようとした時、『どうかどうか、オモニがされたら殺人者になります。メシアの殺人者になります』と言うと、たたかれ、顔をたたかれました。私を! オモニムが私をたたかれたのです。説得、説得、説得してから私達を呼びました。パクボヒー(原文ママ)、イジェソク、キムヨンヒ、ヤンチャンシク、ソクジュンホ、キムヒョユル、キムヒョナム。彼らを呼んでオモニムは一人一人皆に聞きました。『私がアボニムを解放したい』と、『(生命維持装置)外したい』と、『唇の色が変わっている』と、朴晋照(原文ママ)だけ反対しました。……ところが、他のこの偽り者達が、詐欺屋達がグーの音も言わず、自分のメシアが寝台に横たわっておられた時、全世界に『食口達に精誠を捧げよ、断食せよ、祈祷せよ』と私(亨進様)が全世界にそのメモ公文を送った時、皆が精誠をし、祈祷をし、何、禁食をしている時、一人も言わない。だからオモニムが最後に私を見て、また国進様を見て話しなさいと言うから、私たちははっきりと言ったのです。そうされたら殺人者になります。50年して来られた全ての内容を、歴史はオモニムを殺人者として見ます」(注、亨進様が2015年9月13日の説教で、回顧して語った内容)

 真のお父様の主治医の同意を得て『トゥデイズ・ワールドジャパン』2012年陽暦10月10日号に公表された石俊淏韓国会長(当時)の「真のお父様の摂理的闘病路程」の報告では、ご入院から16日目の8月28日、聖母病院とソウル大学校病院の呼吸器系統の韓国最高の医師から「真のお父様の肺機能回復率がほとんど皆無である」(74ページ)と通達され、その日の午後、金榮輝氏、朴普煕氏、李載錫氏、石俊淏氏らが集まり会議を行ったとあります。

 

①教会成長研究院の2016年2月28日の映像での反論について

 教会成長研究院は、病室に居合わせた看護師、病室を訪ねた幹部らの証言、そして亨進様をはじめサンクチュアリ教会側の主張を総合し、2016年2月28日の映像で次のように反論しました。

 「(8月13日)聖母病院に移送されたとき、医者から『到着が30分遅れていれば難しかった』と言われました。肺機能は低下し、腎臓機能は停止、すでに回復は不可能であると診断されました。……お母様はお父様の苦痛を察し、そのようなお姿で延命されることを願われるお父様なのだろうかと苦悩され、生命維持装置を取ることも考えられました。しかし、亨進様、國進様にとっては、そのような姿が誤解する決定的な事件になってしまったのです。亨進様は(2015年9月13日の説教で)次のように語られました。
『お母様は50年間この謎を隠していました。私たちはお母様が痛みや恨みを持っていることを知っていました。しかし、お母様がお父様に対してこのように復讐心を持っていたとは知りませんでした』
 このように語っていますが、夫を苦痛から解放してさしあげたいと願うことが『復讐』となるのでしょうか? この亨進様の批判は、真の父母様が育まれた夫婦愛、妻のもつ『烈』の心情世界が分からずに完全に誤解している状況ではないでしょうか。真のお母様は、『清平で3日以上過ごして霊界に行かれなければ』と語られ、救急車を改造され、清平に聖母病院と同じ設備を準備して移され、8月31日午後7時にお父様が到着されました。そのとき、お父様が目でお母様を探され、お母様は『お父様、家に帰ってきましたよ。家に帰ったのでいいでしょう?』と語られました。するとお父様が涙を流されました。眼差しと手で、2人だけで深い対話の時間が持たれました。9月2日、真の家庭が集まり、お父様の好きな歌を歌い、手足を揉まれました。夕方から血圧、脈拍数が落ちていき……4日目の9月3日午前1時54分、お母様と共に『サランヘ・アボニム』を歌い、見送る中で聖和されました。それから、すぐお母様は医療装置を外すように指示されました」(「真のお母様の生涯とサンクチュアリ教会問題」の映像から)

 上述の「お母様はお父様の苦痛を察し、そのようなお姿で延命されることを願われるお父様なのだろうかと苦悩され、生命維持装置を取ることも考えられました」という部分は、亨進様の説教情報を正しいものと仮定した上で述べたものでした。
 しかし、正確な情報は主治医の情報です。

 

②治療を行った日本人医師の証言、および「真のお父様の摂理的闘病路程」の報告に基づく応答

 聖母病院の主治医以外に、お父様の治療を担当した日本人医師にW医師とA医師、T医師の3人がいます。W医師にインタビューし、正確な情報を確認しました。
 W医師の証言を簡潔に述べると、以下のようになります。

 「8月16日、清心病院の医師から電話で『DIC(播種性血管内凝固症候群)に対し、日本から援助できる治療法はないか』と問い合わせがあり、日本にしかないリコモジュリンという薬の投与が効くと伝え、それをすぐ準備し清平に届けたが、聖母病院の医師からは『その対象ではない』とのことで、投与は見送られた。その後、清心病院の医師から25日と27日に電話があり、『お母様が、日本から呼吸器科と腎臓、透析の専門家を連れてきて欲しい。今の仕事を置いて、半年から1年来て欲しいと言っておられる』との連絡であった。半年から1年、韓国に行くのは大変なことであるが、短期でも行ってお母様の願いにお応えしようと、W医師とA医師は29日、T医師は30日に訪韓した。
 W医師は29日朝、韓国に到着。聖母病院の主治医に会って病状を聞くと『もう長くない状態です』と説明を受けた。お父様は手足を動かし、時々目を開けておられた。しかし、W医師が瞳孔に光を当てると“対光反射”は認められ、痛み刺激に顔をしかめるような反応はあったが、昏睡で意識がない状態であられた(JCSⅢ-200の状態、JCS:ジャパン・コーマ・スケール)。医師ではない、看護師や病室を訪ねた関係者が見ると、回復を強く願う思いも手伝ってか、お父様はまだ意識があり回復するかもしれないと思えたかもしれない。しかし専門の立場から見れば、すでに昏睡で意識がない状態で、極めて重篤であられた」

 この証言は、石氏の報告「真のお父様の摂理的闘病路程」と一致します。前述したように、石氏の報告には、8月28日に韓国最高の医師から「真のお父様の肺機能回復率がほとんど皆無と通達されたとありますが、W医師が“対光反射”を見ると意識がなく、それは「ほとんど皆無」という通達を裏付けるものでした。
 W医師が真のお父様のお体を確認すると、生命維持装置で血圧、脈数は安定しておられたが、手足の末端は血行障害を起こし、血の気がない状態であられたといいます。
 この情報は、『トゥデイズ・ワールドジャパン』掲載の石氏の報告「真のお父様の摂理的闘病路程」と一致します。その報告は次のようになっています。

 「8月3日、聖母病院に入院され……肺炎であるという診断を受け……病状は非常に深刻で、敗血症、肺不全により肺に水がたまっていることが判明しました。『絶対安静』が必要だという医師からの注意がありました。しかし真のお父様は、天正宮博物館に必ず行かなければならないと強く命じられ、8月12日に還宮されました。
 還宮後には天正宮博物館のあちらこちらを見回し、手を触れながら別れの挨拶をしていらっしゃるかのようなお姿でした。真のお母様に侍り、最後の祈祷のような深刻な祈祷もなさいました。『全て成した!』というみ言を1日の間に4回も語られながら、周囲を整理されるお姿もありました。……翌13日には『……清平団地を見回る』と言われ、清心国際中高等学校の前まで行ってきたりもされました。しかし午後になると、真のお父様の体力は急激に衰え……お母様は、涙で真のお父様に『病院にまいりましょう』と訴えられました。普段であれば一言で断る真のお父様でしたが、この日は喜んで真のお母様の忠告を受け入れ……清心国際病院へ行かれました。清心国際病院で数時間、療養をしていらっしゃる間にも真のお父様のご容体はさらに悪くなり……お母様は、直ちに真のお父様のお許しを頂き、再び総合病院であるソウル聖母病院まで真のお父様をお送りするよう命じられました。……聖母病院207号室に入室された真のお父様は、直ちに応急措置を受けられました。夜中でしたが、あちこちから緊急の呼び出しを受けて駆けつけた医師だけでも5、6人、看護師7、8人……その晩12時が過ぎた頃になって、真のお父様は5階の集中治療室へ移されました。……深夜1時を過ぎてからやっと集中治療室から出てきたチョン博士は、『……あと30分遅かったら、きょうは大変なことになるところでした』と、真のお母様の知恵深く、素早いご決断に驚いていました。……私たちは、ソウル聖母病院のほかにソウル大学校病院の門をたたいてみたりもしました。ところが……韓国最高の医師たちの結論は……お父様の肺機能回復率がほとんど皆無であるという、呆然とする現実……8月28日のことでした。1人お部屋に入られて、限りなく慟哭される真のお母様……午後、私たちは会議を持ちました。参席者は金榮輝、朴普煕、李載錫、石俊淏、訓母様、金孝律、そして真のご家庭の代表として文國進様と文亨進様。この8人で真のお母様に侍り深刻な会議をしました。……どのようにすれば真のお父様に少しでも地上で長く侍ることができ、少しでも楽にしてさしあげて(霊界に)行かれるようにできるかを深刻に考え議論しました。……『どんなことがあっても、真のお父様のお体を保護しなければなりません』という(お母様の)み言でした」
(71~74ページ)

 8月28日の通達があった翌日、W医師は聖母病院に到着します。W医師は、真のお母様の「3日以上、清平で過ごさなければならない。聖和させてはならない」との願いを受け、主治医が「もう長くない状態」と診断し、意識のない重篤状態で、お母様の願いが可能かどうか深刻になったと証言しています。
 教会成長研究院が、前述した映像で「8月31日午後7時にお父様が(清平に)到着されました。そのとき、お父様が目でお母様を捜され、お母様は『お父様、家に帰ってきましたよ。家に帰ったのでいいでしょう?』と語られました。するとお父様が涙を流されました」と説明したのは、「お父様が目でお母様を捜され……するとお父様が涙を流された」と証言する人がいたためです。おそらく、それは回復を強く願う思いも手伝い、真のお父様の意識が回復されたと思い込んだのであり、W医師によれば、意識のない状況でそれはありえないと証言しています。それくらい、実際のお父様のご容体は厳しいものでした。
 W医師によると、当時、真のお母様を含め誰もがいかにお父様に地上に長くいていただくかを考えた時期であり、聖母病院で「生命維持装置」を外す論議が出るような状況ではなかったとのことです。もし装置を外したら、真のお父様は聖母病院で聖和されることになり、「聖和式」の挙行も難しい状況が生じた可能性があったからです。お母様の願いは「何としても生かしてほしい」というものでした。

 石氏の「真のお父様の摂理的闘病路程」の報告と日本人医師の証言は一致しており、これが“真実”と言えます。したがって、真のお母様が、真のお父様のご聖和前に医療装置を外すよう指示された事実はありません。
 ところで、サンクチュアリ教会側の人のなかには、「信頼できる筋からの情報では8月15日ころには韓鶴子総裁の命令で聖和式の準備が密かに始められていた」などと語っていろいろ批判をする人もいます。
 しかし、前述したとおり、日本のW医師の証言によると、「8月16日、清心病院の医師から電話で『DIC(播種性血管内凝固症候群)に対し日本から援助できる治療法はないか』と問い合わせがあり、日本にしかないリコモジュリンという薬の投与が効くと伝え、それをすぐ準備し」て韓国に届けたり、さらに、真のお母様が8月25日と27日に清心病院の医師を通じて、「日本から呼吸器科と腎臓、透析の専門家を連れてきて欲しい。今の仕事を置いて、半年から1年(真のお父様の治療のため)来て欲しい」との連絡をされ、専門医を日本から呼び寄せようとしておられます。事実、そのお母様の願いにお応えしようと、3人の医師がすぐに訪韓しているのです。この一点をみても真のお母様が真のお父様のご容態を誰よりも心配なさっていたことは明らかであり、万全の態勢をもって取り組もうとしておられたことは間違いのないことです。お父様が1日でも長く地上におられることを願われ、そのために最後までお母様は懸命にお父様に侍られ、お守りされました。

 亨進様が語っておられる「お父様を安楽死させようとした」「私たちは……お母様がお父様に対してこのように復讐心を持っていたとは知りませんでした」という発言は、真のお母様に対する反発心から、真のお父様と「最終一体」になっておられるお母様をおとしめ、誤った情報で教会員を「真の父母」から離反させようとする“情報操作”のための発言です。私たちは、このような意図的で不正確な情報に惑わされてはなりません。
 私たちは、真のお父様がご生前に語っておられた「先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません」とのみ言に従って、天の父母様とお父様の“夢”を実現させようと最前線に立って奮闘しておられる真のお母様と一体化し、お母様をお支えする歩みをしていかなければなりません。それが、お父様の最大の願いでもあるからです。

― 以上 ―

※2017年2月22日に追記をしました。