「神山威氏の代弁者の批判」(yosia621のブログ)に反論する ―― とんちんかんな代弁者(yosia621)に対する批判

 (注:代弁者yosia621の批判、及び応援団のコメントは「茶色」で、公式見解は「青色」で色分けしています。)

 

この代弁者は、「応援団」を引き連れて、神山威氏の言動に対する統一教会の「公式見解」第1弾・第2弾(真の父母宣布文サイトの掲載文)を批判していますが、神山威氏は沈黙したままです。


(1)「お父様とお母様を2つに分けている」という問題について(争点1)

 

アメリカ在住のある日本人が、神山威氏に対して「なぜ古い主権に懸命にしがみついて、お父様のみ言、み言といって、いつまで『丹心歌』歌っているの」と語ったことに対し、神山氏は「父母様は一つですよ。何故二つに分けて考える?」と反論しています。

 

神山氏の反論と同様に、統一教会の公式見解(第1弾)も、「『天地人真の父母様』とは、お二人は一体であって、……真のお父様お一人、真のお母様お一人と〝分離〟させて捉えるのは誤りです」と述べています。

 

さらに、公式見解は、み言を取り挙げて、レバレンド・ムーンの「その教えは、20年前も、40年前も、きょう現在も一点一画の加減もない、不変の真理」であると述べています。

 

ところで、公式見解が神山氏を批判しているのは、神山氏がアメリカ在住のある日本人に対して、「父母様は一つですよ。何故二つに分けて考える?」と反論していながらも、自ら「父母様は一つである」ことを忘れ、真のお母様を批判していますが、それは矛盾しているのではないかという点です。

神山氏は、お父様とお母様を二つに分離しているから、「お母様批判」ができるのです。真のお父様と真のお母様のお二人が一体であると言うなら、真のお母様を批判することはできないはずです。

 

しかし、神山氏に対する「公式見解」を批判する代弁者は、公式見解が指摘している意味を理解せずに曲解し、次のような「とんちんかんな批判」をします。

 

どこに神山氏が父母様は二つですよと述べていますか?神山氏は明確に『父母様は一つですよ』と述べています。『何故二つに分けて考える?』といっているのは教会現体制幹部が文師(お父様)と韓総裁(お母様)を2つに分けていることに対する神山氏の疑問です。」(yosia621のブログ|NO2)

 

これは詭弁です。「何故二つに分けて考える?」という神山氏の疑問は、教会現体制幹部に対してそのように言っているのではなく、アメリカ在住のある日本人に対して言っているのです。統一教会の公式見解も、ある日本人に対して同様に批判しています。よく読んでください。批判をするならば、相手の言い分をよく聞いて、正しく理解してから批判するべきです。これでは、批判する資格すらありません。

 

しかし、代弁者は、神山氏の「平和神経が平和経」に、「黒表紙の天聖経が赤表紙の天聖経」に、「そして父母経?? 話になりません」という神山氏の講演文を引用し、「お父様とお母様を2つに分けている」のは教会現体制幹部であるとし、さらに次のように強弁するのです。

 

つまり現教会幹部は文師生前に出版されたオリジナル天聖経(黒表紙)を文師の聖和後、直ぐに赤表紙の天聖経を韓総裁の名で出版したことによって文師(お父様)と韓総裁(お母様)分けている」(yosia621のブログ|NO2)と。

 

しかし、前述したように、「真の父母様お二人が一体である」のに「何故二つに分けて考える?」という問題と、この「黒表紙の天聖経と赤表紙の天聖経を二つに分けている」という問題は別問題です。

 

「天聖経を二つに分けている」ことが、「真の父母様を二つに分ける」ことになるのでしょうか。この二つの問題を結びつけるのは、論理の飛躍があり、唐突さがあり、無理があるというのです。

 

 

(2)「黒表紙の『天聖経』と赤表紙の『天聖経』の区別」について(争点2)

 

現在、黒表紙の八大教材・教本『天聖経』と、赤表紙の天一国経典『天聖経』の二つがあります。今まで教会員の間において、天一国経典『天聖経』に対する賛否両論の意見がありましたが、公式見解で示されたように、二つの『天聖経』が明確に区別されていることで「天聖経問題」の混乱した議論は収拾され、決着しました。

 

しかし、代弁者(yosia621のブログ)のように、教会の指示に従わない一部の人たち、いわゆる「郭グループ」(UCI)などの異端、反逆者に追従する人たちだけは、いまだに公式見解(二つの区別)を認めたくないのです。混乱したままにしておきたいのでしょう。

代弁者は、「オリジナル天聖経(黒表紙)と改竄天聖経(赤表紙)のその反映率20%未満です。同じ題名でも中身が変わっていますし目次すら削除したものもあります」(yosia621のブログ|NO2)と繰り返し主張しています。

 

八大教材教本『天聖経』と、天一国経典『天聖経』は同じではありません。区別されています。同じであれば「改竄した」ということになるかもしれませんが、赤表紙の『天聖経』をよく見て下さい。天一国経典『天聖経』と明記されています。天一国経典として区別されていることは明白です。

もし、改竄したのであれば、黒表紙の『天聖経』を回収し、その出版をストップしなければなりません。しかし、黒表紙の『天聖経』は、現在も授かった各家庭で大切にされているだけでなくそのみ言は訓読され、公的に引用されています。

 

ところが、神山氏を擁護しようとする代弁者は、「手をつけてはいけないとされた天聖経などの御言集を恣意的に作成したのは誰でしょうか?」(yosia621のブログ|NO2)と告発し、批判しています。

繰り返して言いますが、真のお母様はオリジナル天聖経に対して、新しく編纂したものを天一国経典『天聖経』と区別しておられるのであって、黒表紙の『天聖経』そのものには手をつけておられません。

 

代弁者(yosia621のブログ)は、彼の願望(?)を込めて、「分裂と混乱は加速しています」と書いています。また、代弁者のブログにコメントを寄せる応援団たちは、公式見解に対し、「分裂と混乱」「論理性に欠け、辻褄があわない」「浅はかというかお粗末」と悪罵しています。しかしながら、これらの主張は、全て代弁者や彼の応援団自体に当てはまり、言えることです。

 

応援団は〝扇動文句〟を並び立てるだけで、公式見解を理性的に批判しておりません。代弁者(yosia621のブログ)も批判のための批判を書いているに過ぎないのであって、「『取り急ぎその場を繕うだけの付け焼刀』と感じる人がもっと大勢現われるといいという思いで書いています」と、彼の本心を吐露しています。

彼らの反理性的な扇動文は、悲しく、哀れにも「公式見解」に対する適切な批判(反論)になっていません。代弁者(yosia621のブログ)は、このような応援団の援護射撃がなければ論戦できない人なのでしょう。

 

さて、公式見解は、黒表紙の『天聖経』と赤表紙の『天聖経』の関係について、次のように述べています。

 

歴史批評学から見て、『真のお父様』が監修された御言と、『真のお母様』が監修された御言が、黒表紙と赤表紙に、はっきり区別されていることは、むしろ素晴らしいことです。

事実、一方を八大教材・教本『天聖経』とし、他方を天一国経典『天聖経』と呼んで区別しておられるのです。また、『平和神経』と『平和経』もその名が示す通り、区別されています。

さらに、黒表紙と赤表紙によって、どれが『真のお父様』によるもので、どれが『真のお母様』によるものであるかが一目瞭然です。

 

新約聖書の研究において、現代の神学者たちは、どれがイエス様の言葉であり、どれが聖書記者によるものなのか『分からない』と言い合って、論争し、混乱し、信仰を破壊させ、多くの教派に分裂させています。『基元節』以後になされた、『真のお母様』の御言編纂は、そのような混乱を永遠になくすためなのです。」

 

また、公式見解は「遺言を守っておられる」ことについて、次のように述べています。

 

「確かに、『天聖経』は、黒表紙と赤表紙に区別されています。しかしながら、『八大教材・教本』を『人類のための遺言』であると宣布された『天地人真の父母定着実体み言宣布大会』(2011.4.24〈天暦3.22〉韓国・仁川)の御言は、天一国経典『天聖経』の『第13篇平和メッセージ』(1449頁)に掲載されています。

 このことは、言うまでもなく、『八大教材・教本』が大切であるから掲載しておられるのです。そのことを、神山威氏は知っているでしょうか。

 それを知らないで、真のお母様は『御言を変えられ、一方を肯定し、他方を排除されている』と勘違いし、誤解しているのではないでしょうか。……天一国経典『天聖経』の御言を絶対視することは、『八大教材・教本』の御言も、絶対視することなのです。たとえ、天一国経典『天聖経』を絶対視することを強調されたとしても、その御言集(平和メッセージ)の中に、八大教材・教本『天聖経』が包含されているのです。

 

以上のように、公式見解は、真のお母様は「人類のための遺言」である「八大教材・教本」を守っておられると明解に述べています。

 

それにもかかわらず、代弁者(公式見解への批判者)は、真のお母様は真のお父様の遺言を守らず、黒表紙の『天聖経』を赤表紙の『天聖経』に変えてしまうという神山氏の主張を繰り返し吹聴しています。しかしながら、的外れの批判であると気が付いた批判者は、「不思議な事に」「意味不明の文章」「書いている本人も訳が分からなくなっているのでは?」などと述べ、これが筆者個人の見解で、公式なものではないと決めつけたいのでしょう。

 

ちなみに、真のお父様ご自身は、マルスム選集の中から精選された「八大教材・教本『天聖経』」に侍りながら生活しておられました。

そして、「この本」(『天聖経』)に関して、「これまでもお母様に準備を任せて、あらかじめ、あるか、ないか、準備したか、確認しながら生きています」と語っておられます(2011年天暦9月号『トゥデイズ・ワールドジャパン』12ページ、天暦85日〈陽暦92日〉の御言)。

 

このように、真のお父様は「準備したか」と言われていますが、そこまでお父様は真のお母様に準備を任せ、お母様はお父様の指示に従って、一体となって同参しておられるのです。

 

 

(3)「全てを成した」「完成、完結、完了した」と「聖和」について(争点3)

 

神山氏の講演文を擁護しようとする代弁者は、次のように述べています。

 

(神山氏が)講演会で上記のように述べたのは事実でしょう。しかし真の父母様の勝利の歴史を否定しているのではありません。教会が宣伝しているように『すべてを成した』或いは『完成、完結、完了した』と文字通り解釈した場合あまりにも現実をかけ離れていることを嘆いていることが解りませんか?」(yosia621のブログ|NO3)

 

この代弁者の主張には、次のような問題点があります。

1に指摘すべき点は、「すべてを成した」或いは「完成、完結、完了した」と言われたのは、真のお父様が言われたのであって、教会が作成して宣伝しているのではないという点です。

2に、「文字通り解釈した場合あまりにも現実をかけ離れていることを嘆いていることが解りませんか?」と述べていますが、この代弁者は、真のお父様が「全てを成した」と公言されたことを「現実からかけ離れている」と批判し、真の父母様の「勝利の歴史」を否定して、神山氏と同様に、御言を不信しているという点です。

3に、メシヤが「全てを成した」と言われた御言を信じないで、主観的に自己中心的に解釈して嘆いている点です。

 

1の問題点について、代弁者は「不信していると結論するのは余りにも非礼なことだと思います。ここでも結論ありきの批判で神山氏をどうしても『不信仰者』にしておきたいという意図がみえます」(yosia621のブログ|NO3)と強弁します。

 

どちらが非礼なのでしょうか。神山氏は、真のお父様に対して不信し、真の父母様の「勝利の歴史」を批判しているのです。これこそ、真のお父様と真のお母様に対する非礼ではないですか。

公式見解は、次のように神山氏が語った〝非礼〟な講演文をそのごとく掲載しています。

 

「ある人たちはこう言う。

  お父様は全てを成した。全てを成した。

  では、お父様が全てを成したというなら何を成したというのか。何を成したと言うの?

  真の家庭がどこにあるの?

  真の国がどこにある?

  お父様が、どんなに深刻な立場で国を求めたと思います?

  真の家庭を求めたと思います?

 

  それがどこにありますか!私は正直に言う!

  ある人たちは、真の家庭あるじゃないかと。どこにあるの、どこに。

  ない!ない!」(神山威氏の講演文)

 

真の父母様を信じる信徒であれば、これを読んで非礼だと思わない人はいないでしょう。さらに、神山氏が語った非礼な文言はつづきます。

 

神山威氏は、真のお父様がメシヤの使命を果たせず、混乱を残し、最後(3度目)の神様の結婚式を成せなかったとして、次のように述べています。

 

 「お父様は再臨のメシヤです。

 ではメシヤとして何を残したのか、この地に?

 混乱だけを残していったの?

 今、教会は混乱しています。その混乱を残したのがメシヤの使命であり役割だったの?何故こう(今の現状)なってしまったの?」(神山威氏の講演文)

 

代弁者は、「結論ありきの批判で神山氏をどうしても『不信仰者』にしておきたいという意図がみえます」と述べますが、上述の「神山氏の講演文」を読んでみて、信徒であれば誰もが啞然とし、「神山氏ともあろうものが、何と言う不信仰なことを言うのであろうか」と思うでしょう。神山氏が付き従おうとする人物やグループおよび神山氏自身が教会の混乱の原因になっているにもかかわらず、悲しいかな、神山氏本人はそのことに気づいていないのです。

このような講演内容を神山氏の名誉のためにも、「日本でしないでくれないか」と以前から教会幹部や先輩食口が直接、神山氏と会った際に説得しても、神山氏はそれを聞き入れず、東京、名古屋、福岡で講演会を強行されたのです。

直接話し合ったのに、それでも東京における講演会を強行したので、「公式見解」を公表せざるを得なかったのです。

 

組織防衛のため、小羊を守るために、「公文」を出して間違った方向に付いていかないように!        という趣旨で、真の父母様宣布文のHPに「公式見解」を掲載するのは当然のことです。

ところが、その間の事情を知らない代弁者は、「神山氏本人を本部にお呼びし、正々堂々と議論したらよいと思う」といい、「公式HPで一方的な批判をするのでは公平さを欠けている」(yosia621のブログ|NO1)と非難します。

統一教会側や心ある先輩食口たちが、「そのような講演会をしないでくれ」と説得してもそれを聞かず、一方的に講演会に小羊を集めて間違った方向に導いて行こうとしたのは、どこの誰なのかというのです。

それと比較して、「公式見解」は、神山氏の講演文の内容そのものを掲載して、具体的な根拠を示し、それを批判しているのであって、一方的な批判ではありません。

 

2の問題について、代弁者は「見解の相違」と言って、「すべてを成した」或いは「完成、完結、完了した」と言われる真のお父様の御言に対して不信して、「現実からかけ離れている」と批判し、神山氏の側に立っています。そして、代弁者は「『天命を終えてすべてを成した』という教会が作成したストーリーが間違っているのです」(yosia621のブログ|NO3)と述べています。

このように、真のお父様が直接語られた遺言のような御言や講演文そのものの内容を、「教会が作成した」ものと強弁し批判しているのです。実に、この代弁者は屁理屈をこねる天才、と言うよりも真のお父様自体を否定する〝立場〟にある人物と言ったほうが妥当かもしれません。

 

公式見解は、下記の真のお父様の講演文を掲載しています。これは教会が作成したものではありません。

 

〝真のお父様は、この韓国大会(「天地人真の父母様定着実体み言宣布天宙大会」)で「万人が兄弟国になって、『ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド』の世界が皆様の目の前から展開されています」として、次のように語っておられます。

 

 「すでに真の父母様ご夫妻は最終一体を成して、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです。……人間始祖の堕落によって引き起こされた夜の神様、昼の神様、万王の王、そして、真の父母、このように四大代表王たちの歴史的な葛藤と闘争も、ついに天地人真の父母様によって、完全に解決されました万人が兄弟国になって、『ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド』の世界が皆様の目の前から展開されています」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2011年天暦5月号〈陽暦71日〉2023頁、韓国・仁川)

 さらに、真のお父様は「蕩減復帰時代圏を抜け出し」、「神様と真の父母様を中心とした勝利圏の太平聖代だけが永遠に続くようになるでしょう」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』20111月号、11頁、ニューヨーク)

 「私たちはすでに神様の直接主管圏時代に進入している」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』20109月号、通巻第500号、13、清平修錬苑)と語っておられます。

 

 このように、基元節の前に、真の父母様は最終一体を成し遂げられ、「完成、完結、完了」したと言われ、「天地人真の父母様時代」が到来しているのです。

 

以上のように、真のお父様は、神様の摂理である時間表にしたがって歩まれ、「蕩減復帰時代圏」を抜け出し、すべてを「成し遂げた」(完成、完結、完了した)と宣言され、「再臨のメシヤとしての使命」を全うされたのです。〟

 

上述の講演文は、代弁者がいうような「教会が作成したストーリー」ではありません。教会が作成したと「読み手を意図的に誤導している」のは、いったいどちらでしょうか?

 

3に、「メシヤが『全てを成した』と言われたことを信じないで主観的に解釈して嘆いている」という問題です。

 

公式見解は、次のように客観的に神山氏の講演文を取り上げています。

 

「お父様が基元節を目前にして、モーセがカナンの地を目前にしてカナンに入れなかった。その基元節は、何をしなければならなかったのか。真の家庭がつくられなければならなかった。そして、神様の結婚式がなされなければならなかった。

 お父様が蘇生、長成、完成、最後の神様の結婚式を、真のお父様がどんなにその時を待ったと思います? 2013年の113日の基元節を・・・」(神山威氏の講演文)

 

そして、公式見解は、次のように批判しています。

 

このように、真の家庭も真の国もないと公言され、基元節前に聖和された真のお父様が、『どんなに無念だったと思いますか?』(同)と、自分の主観的解釈を吹聴して回っているのです。

 

神山氏が「無念」といって自分の次元の感情で嘆くのは、真のお父様の心情が理解できていない、一体化していないからです。

イエス様はペテロを見て、「サタンよ、引きさがれ」(マタイ1623)と責められました。イエス様と3年間も一緒に苦楽を共にしたペテロでさえも、イエス様の心情を理解することができず、十字架の道をさえぎろうとしました。また、12弟子のひとりであるイスカリオテのユダも裏切りました。

 

このように、二人にとって、イエス様から「直接見聞きし感じたことは何よりも強い体験」であったはずです。しかし、イエス様の心情を誰よりも良く理解しているはずの人が不信するのです。

 

同様に、神山氏も麗水で一緒に生活していながら、真のお父様の心情を理解することができずに造反しているのです。

真のお父様に対して、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」という人が、「お父様は再臨のメシヤです。ではメシヤとして何を残したのか、この地に?混乱だけを残していったの?」と疑念を述べ、真のお父様に不満をぶつけるような始末です。

これが、麗水でお父様と共に暮らした人のいうべき言葉でしょうか。あまりにも哀れと言わざるを得ません。

 

神山氏の講演文を擁護する代弁者も、「真のお父様」の「御言が絶対的な基準」とするのではなく、常に変動していく現実や、神山氏の体験を判断基準として次のように愚かなことを述べています。

 

そしていくら様々なところから御言を引っ張り、どの御言を用いて否定しようが、実際に晩年を麗水で共に過ごし、直接見聞きし感じた事は何よりも強い体験として本人に記憶されているので敵わないと思います」(yosia621のブログ|NO3)と。

 

代弁者は、「『天聖経』について語った御言を書きだします」(yosia621のブログ|NO2)といい、6つを取りあげています。そして、「上記の御言を見れば『天聖経』そのものに手をつけてはならないという事は信徒であれば理解できます」(同)と述べています。

 

この「手をつけてはならない」という主張は、御言を判断基準としています。しかしながら、上述の「そしていくら様々なところから御言を引っ張り、どの御言を用いて否定しようが……」という主張は、御言を判断基準としていません。

 

このように、代弁者(yosia621)は、御言を自己本位に引用して、矛盾したことを平気で主張する人なのです。この人は「お父様、お父様」といい、御言の引用はしますが、本当に真のお父様をメシヤであると信じているのでしょうか?この人物(代弁者)は、真のお父様が言われる「御言絶対主義」を守っていないのです。

 

ところで、応援団(無題:キビコジ)は、「よくもこういう批判文を平然と書けるものだと思います」、「本当に原理やみ言を自分のものとして受け止め理解する人物ではなかったようです」(yosia621のブログ|NO3のコメント欄)、「この文章を見るとただ言葉を弄んでいるとしか思えません」(同)、「極めて盲目的です」(同)と述べます。

 

代弁者は、このような応援団なしでは、批判文を書けない人であるとすでに指摘しました。キビコジなる応援団の言葉は「公式見解」に対してではなく、むしろ代弁者(yosia621)によく当てはまります。

 

応援団(キビコジ)は「公式見解」ならびにその執筆者に対し、「御用学者」「いとも簡単に論駁されて」「いずれ惨めな姿を曝します」「その末路は誰からも評価されない」と罵詈雑言を吐いています。ところで、「いとも簡単に論駁されて」「いずれ惨めな姿を曝します」「その末路は誰からも評価されない」のはどちらでしょうか?

 

また、応援団(cocoa)は、「お父様のつくられた『聖酒』の種は、教会にはないそうです。教会で言う『聖酒』は、お父さまのものではないそうですよ」(教会の「聖酒」は偽物)とデタラメなことを述べています。基元節「聖酒」は、真のお母様から大陸会長に渡され、増殖したものです。

 

さらに、応援団(pine)は、「『すべてを成った』と言われているから、『成ったんだ』と言うばかりですが、現実社会で、『真の家庭」』を見せられないのが致命的です」と述べています。この人も、メシヤの不変的絶対的な御言よりも、常に変化する現実を自己本位に判断し、主観的な基準で見ています。

 

私たちは、代弁者と応援団に対して、次のように言わざるを得ません。「メシヤの御言はわれわれを裏切るでしょうか。現在、神様の直接主管圏時代に進入しているのです。神様を侮るのではない。現実を見ていなさい」と。

 

代弁者(yosia621)は応援団(cocoa)に対し、「コメントありがとうございます。」「貴重な情報です、『だましが日常化しているのですね。悲しい事です』」と応答しています。

すでに論駁したように、だましが日常化しているのは「yosia621のブログ」です。

 

 

(4)「真のお父様の後継者はだれか?」について(争点4)

 

いわゆる「後継者問題」について、公式見解は次のように述べています。

 

直系の子女様の中から誰が後継者として決まるのかについては、天は既に定めておられることでしょうが、それは、神様と『真の父母様』が決定されることであって、私たちが決めることではないのです。

 神山威氏は、『お父様の業績を継ぎ、み言を重視し、そして伝統と真のお父様の心情圏を相続する方は、一体誰か』と言われますが、神山威氏のように、そのことを、人間の側から、人間の目で見て、あの方だ、いやこの方だと言って、探し回って決める問題ではないのです。

 旧約聖書に、サムエルが神の指示によってエッサイの子供たちの中から一番末っ子である八男のダビデをイスラエルの王として選んだごとく(サムエル記上16613)、それは、神様と真の父母様という天が決定されることであって、下から『チェック』し、選挙によって決めることではないのです。

 

 私たちは、往々にして学歴や容姿や身の丈で判断しがちです。しかし、神様は、人が見るようには見ないというのです。聖書に、神様は心を見ると記されています。

 

この説明で十分だと思います。

さらに「公式見解」は、後継者問題で混乱しないように、真のお父様は「真のお母様を立てられた」と述べています。そして、真のお父様が聖和された後は、真のお父様は「お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません」と言われています。

 

また、公式見解は次のように述べています。

 

『文鮮明先生ご夫妻』こそが、再臨のメシヤ、救世主、真の父母であって、直系の子女様によって代が何代変わっていこうとも、永遠の中心は父母様です。

 顯進様およびその他の如何なる子女様であっても、その方々が『再臨のメシヤ』となり、『真の父母』になることはありません。

 

この公式見解の意味するところを理解しようとしない代弁者は、「『文師の真の相続者は誰か?』と名付けて論じていたはずが何時の間にか『神山氏及び顕進氏』と『韓総裁』の関係性にすり替えて話が進んでいます。しかもお母様(韓総裁)を認めていないと結論づけています」(yosia621のブログ|NO4)と述べています。

 

後継者を誰が決めるのか、真の父母様が決定するとハッキリと述べています。「すり替えて話が進んで行きます」(?)これは代弁者の強弁です。また、応援団以外に、誰もそのようには見ないでしょう。

 

また、代弁者(yosia621)は、「顕進氏、神山氏はお母様(韓総裁)を認めていないとすることで『相続者たる資格無し』としたいのでしょう」(同)といいます。

 

さらに、代弁者は、「あなた方が人間的に見て否定している『顕進様』を神が選ぶ可能性は充分あるわけです。」人間である「自分達(教会幹部)がNOと決めている事になり、矛盾してます」(同)と述べます。

 

これに反論しておきます。

自分たち(教会幹部)がNOと決めているのではありません。繰り返し述べますが、「公式見解」は、「神様と『真の父母様』が決定される」と述べています。この代弁者は、何が何でも矛盾していると決めつけたいのでしょう。

 

 

(5)「真の父母についての問題」(争点5)

 

代弁者は、「真の父母」について、次のように述べています

 

確かに今後において『再臨のメシヤ』は誰も成り得ないでしょう。

しかし「真の父母」はどうでしょうか?

真の父母は文師ご夫妻に対する呼称なのか?

違います、真の父母とは神の御旨の先頭に立ち人類を導く父母の総称です

yosia621のブログ|NO4)

 

メシヤは真の父母様です。後で、御言で検証しますが、代弁者は「真の父母」の概念に対して勝手な定義をしています。

 

代弁者は、下記に示した御言をみれば「真の父母」とは神の御旨の先頭に立ち人々を導く家庭のことを言っています、と述べます。

 

『先生の願いは、あなた方すべてが真の父母になってくれることです。これは単なる理論ではなく、先生自身が実際に歩んできた路程であり、この路程の公式が、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙へと拡大していくのです。』(歴史的父母の日)1977428

 

この御言を根拠に、代弁者は「真の父母の拡大、氏族メシア、宗族的メシアとなることが課せられたわれわれの使命です」(yosia621のブログ|NO4)と述べます。 

 

これについて反論するならば、氏族メシヤとは、拡大ではなく、お父様の御言は「皆さんを……小さい真の父母にすることです」(八大教材・教本『天聖経』213頁)と述べています。私たちは、氏族的メシヤ、国家的メシヤにはなれますが、世界的メシヤ、天宙的メシヤにはなれません。また、言うまでもなく、人類始祖の立場であり根本祖先であられる「真の父母」になることなどできないのです。つまり、私たちは家庭の真の父母、氏族の真の父母にはなり得ても、人類の真の父母にはなれないのです。

 

しかし、代弁者は、「ところが『再臨のメシア』と『真の父母』を同義語として論じています。それが正しい認識でないことは明らかです」(yosia621のブログ|NO4)と批判しています。

 

真のお父様は、「メシヤは真の父母である」(八大教材・教本『天聖経』191頁)と明確に語っておられます。あえて私たちが反論しなくても、御言それ自体が、この代弁者のウソを暴露し論破しています。

 

ところで、代弁者は、なぜこのようなことを言うのでしょうか。そこには、ある特定の意図が隠されています。代弁者の言説を、さらに聞いてみましょう。この人物(yosia621)は次のように述べています。

 

祝福や重生といった生みかえは必ず『父と母』が必要です。

父が他界した後に、つまり実体の種がないなかでどうやって重生するのでしょうか?

母親一人では『父母』として立てないというのはそれほど無理な論理ではないし、ならば、第二の真の父母を地上に現存している家庭で立てるとしてもおかしな話ではないでしょう。」(yosia621のブログ|NO4)

 

このように、代弁者は、「真の父母様」(文鮮明先生ご夫妻)に取って代わる、〝第二の真の父母〟を「重生」するために立てるというのです。これが本音です。

 

重生について、『原理講論』は次のように述べています。

 

霊的な真の父であるイエスと霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒達は、その愛によって新たな生命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。これを霊的重生という。ところが、人間は霊肉ともに堕落したので、なお、肉的重生を受けることによって、原罪を清算しなければならないのである。イエスは、人間の肉的重生による肉的救いのため、必然的に、再臨されるようになるのである。」(『原理講論』266頁)

 

「真のお父様」(文鮮明師)は、「真の父母が二組いることができますか」(八大教材・教本『天聖経』230頁)と述べ、さらに「真の父母というのは一組しかいないのです。人類の一組しかいない父母であるというのです。歴史に初めて登場した、空前絶後の真の父母が顕現した時代が成約時代だというのです」(同、2400頁)、「メシヤは真の父母である」(同、191頁)とも言われ、また、「選挙で選出できない『真の父母』」(同、206頁)であると述べておられます。人類の真の父母は、永遠に一組だけです。

そして、重生について、「真の血統は『真の父母』を通じて」「そのメシヤの種、『真の父母』の新しい生命の種をもってきて、再度注入して、接ぎ木しなければいけないのです。」(同、203頁)と語っておられます。

 

また「真のお父様」は、「これからは、父母様が協会本部です。……エデンの園に協会長がいたり理事長があったりしましたか?ありませんでした。真の父母さえいればよいのです」(『トゥデイズ・ワールドジャパン2011年天暦66ページ)と語っておられます。

 

エデンの園には、アダムとエバだけではなく、多くの天使もいました。エデンの園は、現在を反映しています。

さらに続けて、「後天時代は堕落した血筋の上でなされるのではありません。私は堕落とは関係がありません。……皆さんは『先生も堕落の血筋から生まれたのに、私たちと先生がどこが違うというのか(と勘違いし)。私たちもいつでも先生の代わりができる』と考えていますが、そういう考えは全く間違っているのです」(同7ページ)と語っておられます。

 

これはどういう意味でしょうか?

神様は、堕落した血統に臨在されません。堕落していない「本然の血統」に臨在されるのです。神様の御旨の中心は、真の父母様です。神の国(天一国)は、「本然の血統の根」である「真の父母様」を中心として、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙へと拡大され、天地を新しく再創造されていくのです。

 

このように、原罪清算のための「重生」を成し得る方は、再臨のメシヤであられる人類の「真の父母様」(文鮮明先生ご夫妻)以外にはおられません。第二の真の父母を立てて、重生することなどできません。ところが、代弁者(yosia621)は第二の父母様を語り、「偽メシヤ」、「偽りの父母」を立てようと目論んでいるのです。異端、背信者の考えそうなことです。

 

真のお父様は、次のように述べておられます。

 

「レバレンド・ムーンが、なぜ皆さんの父母ですか。……神様の愛、本来の愛をつなげてあげることができる父母なのです。それを知るべきです。」(八大教材・教本『天聖経』214頁)

 

「皆さんは、『真の父母』の心情的な内容をどれほど知っていますか。また、血統問題、人格問題、み言の問題、そして国家観、世界観、天宙観が、『真の父母』とどれほど一つになっていますか。これは、皆さんが本当の意味で神様の真の息子、娘になり得るかという問題を決定づける母体になるのです。」(同、250頁)

 

以上のように、真の父母の心情内容を知ることが重要であると言われています。代弁者の詭弁は、八大教材・教本『天聖経』の「真の父母」の部分を一読すれば粉砕されます。

御言は、「真の父母の写真の威力」(同、298頁)、「真の父母の名の威力」(同、263頁)についても述べています。

 

結論として、次のように言うことができます。

新約時代2000年間は、霊的イエス様と聖霊によって、霊的に重生してきたように、霊肉の重生は「真の父母様」が霊界に行かれても、全ての人類を救済するまで役事していかれるのです。他の人が、人類の「真の父母」となって重生することはできません。

地上の直系の子女様は、真の父母様の代身になることはできますが、代身者が重生するのではありません。

以上

 

追記:自分の正体を明かさずに批判する「yosia621」に対し、その経緯を見ていましたが、〝重生〟のために「第二の真の父母」を立てると述べ、その応援団も「聖酒は偽物」と虚偽を語るなどし、あまりにも悪質であったために、今回は特別に「反論文」を掲載することにしました。本来ならば、教会の「公式見解」に対しては、神山氏本人が応答すべきものであるというのが筋であるために、今後は、神山氏の応答があった場合に「反論文」を掲載することを基本といたします。