UCI側が広める金鍾奭著『統一教会の分裂』の〝虚偽〟を暴く(7)―― 金鍾奭氏が主張する「アイデンティティ」の誤り・その5

文責:教理研究院

   注、真の父母様のみ言は「青い字」で、教理研究院がすでに発表した見解は、青い囲み記事で表記し、UCI(いわゆる「郭グループ」)側等の主張は「茶色の字」で区別しています。

 UCI(いわゆる「郭グループ」)側が、2016年の秋頃から日本で集会を行って広めている金鍾奭著『統一教会の分裂』(日本語訳)には、真のお母様をおとしめる〝み言改竄〟や〝誤訳〟〝文脈を無視したみ言引用〟が散見します。
 まず、原本である韓国語版の『統一教会の分裂』は、み言を継ぎ接ぎすることで意味を歪曲させる〝み言改竄〟を行っており、その歪曲した文章を、さらに日本語訳では自分たちに都合の良いように悪意を持って〝誤訳〟しています。
 すでに、〝虚偽〟を暴く(3)で、『統一教会の分裂』で論じられている〝真の家庭のアイデンティティの誤り〟について明らかにしました。この〝真の家庭のアイデンティティの誤り〟に関して、以下、さらに補足します。

中心テーマ:み言の歪曲解釈に基づいた「顯進様の祝福権限移譲」の主張への反論

(1)み言の誤った解釈に基づく「種の相続」に関するUCI側からの反論

 金鍾奭著『統一教会の分裂』(日本語訳)は、次のように論じています。

 「現在、文顯進は、前に言及した通り、『神様→真の父母→真の家庭→拡大された真の家庭(祝福家庭)』と繋がる血統復帰の価値を固守しており、超宗教的な奉仕と理想家庭実現の為の平和理想世界実現運動を『One Family Under God』の名前で展開している。ところが、文顯進も真の家庭(創始者の直系家庭)の血統が全人類に伝授される(何らかの)儀礼としての手段が必要だったものと見られる。それ故か、2015年6月に米国シアトルで祝福結婚式を主管したという。推測すると彼は、創始者が今まで示してきた血統復帰の為の伝統や儀礼を、普遍的で世界化された儀礼にデザインし直して引き継いでいくように見られる」(66ページ。注、太字は教理研究院による)

 上述のように、顯進様は真の父母様の許諾を受けずに、2015年6月に米国シアトルで「祝福結婚式」を主管したといいます。UCI側は、「真の家庭の中でこそ、真の愛、真の生命、真の血統を実体化することができる」(78ページ)と主張しており、その直系家庭である〝真の家庭(文顯進家庭)〟こそが真の愛と真の生命と真の血統を実体化した家庭であるとし、「神様の血統」、「神様→真のお父様(創始者)→真の家庭(文顯進家庭)→統一教会の祝福家庭→人類」(315ページ)としてつながっていくのだと主張します。この主張に対して、教理研究院では、2017年6月10日に発表した〝虚偽〟を暴く(3)で、次のように指摘しました。

 このような主張は、「祝福」が、真の父母様に〝接ぎ木〟(重生)されることで救われるのではなく、「真の家庭=直系家庭」である子女様に〝接ぎ木〟されることで、堕落人間の血統復帰が成され、人類が救われていくかのような主張となっています。これは、真のお父様のみ言とは異なった〝誤った言説〟です。

 文顯進様は、真の父母様の許諾を受けないまま、「2015年6月に米国シアトルで祝福結婚式」(66ページ)を挙行しました。その行動を見ると、以上のような〝真の家庭のアイデンティティ〟という誤った認識に基づいて顯進様やUCI側を支持する人々が行動しているという事実を理解することができます。

 教理研究院のこの指摘に対して、UCI側の人物は、次のように反論しています。以下は、彼らUCI側の反論内容です。

 「その種(真のお父様の骨髄の中の種)は、男性の子女様に相続されています」

 「お父様は直系の長子、長孫へと祝福の権限を相続され、お父様の聖和後は、長子、長孫が真の父母様の名によって祝福を行っていくことを意図されていることが分かります。現在、お父様が祝福の権限を相続して下さった『息子』とはどなたでしょうか?」

 「櫻井節子先生が顯進様を『直接的なお兄様』として大切に感じておられることは、真の父母様を無視することではなく、実体の神の血統の種を持った男性の子女様に連結されることを通して真の父母様によって重生されるという原理を忠実に実践されるものです」
(注、太字アンダーラインは教理研究院による)

 このようにUCI側は神の血統の種を持った男性の子女様に連結されることで〝重生〟されると反論しています。
 しかし、以下に述べるように、UCI側を支持する人物の上記主張は、お父様のみ言を誤って解釈しているのです。

(2)重生は、「神の血統の種を持った男性の子女様に連結されることでなされる」とする誤り
    ― 男性だけでなく、女性も「種」をもっている

 UCI側を支持する人物は、「実体の神の血統の種を持った男性の子女様に連結されることを通して真の父母様によって重生される」とし、さらに、「その種(真のお父様の骨髄の中の種)は、男性の子女様に相続されています」と主張しており、その根拠として、以下のみ言を引用します。

 「何故男性が主体なのですか? 赤ちゃんの種というものが女性にありますか、男性にありますか?(「男性です。」)女性は畑です、畑。女性には生命の種がないのです。男性は神様と共に種を持っているため、神様の代身だから主体なのです、主体。これから男性たちはこれを知らなければいけません。何故男性が主体なのかと聞かれたら、男性は『男とはこうであるために主体なのだ』と主張しなければならないのです」(マルスム選集54巻、1972年3月24日)

 上述のみ言で、真のお父様は、「赤ちゃんの種というものが女性にありますか」と尋ねられ、「女性は畑です」と述べ「女性には生命の種がないのです」と語っておられます。
 このみ言だけを読むと、多くの人は、お父様は「赤ちゃんの種」が女性にはないと考えておられるものと理解してしまうでしょう。しかしながら、お父様が、なぜこのように語られたのか、その理由をみ言全体の文脈から汲み取って、〝種〟に対する理解を深めておかなければなりません。
 お父様は、「何故男性が主体なのですか?」と聞かれたら、それは「神様の代身」であり神様と共に種をもっている」から「男性が主体」であると述べておられます。神様は、与えても、なお与えられる真の愛をもつ〝主体〟の存在です。男性とは、そのような「神様と共に種」を持っており、与える側の立場にいるのであり、女性はその「種」を受ける側(畑の役目)の立場にあるというのです。ゆえに、お父様は、このみ言で「何故男性が主体なのかと聞かれたら、男性は『男とはこうであるために主体なのだ』と主張しなければならないのです」と語っておられるのです。私たちは、お父様がこのみ言を語られたその〝意図〟を汲み取っておかなければならないでしょう。
 結局、このみ言は、男性がなぜ主体であり、女性がなぜ対象なのかを分かりやすく教え諭してくださるために、お父様が、例をあげて男性と女性はそれぞれ「種」(与える側=主体)と「畑」(受ける側=対象)の関係にあると語ってくださったものです。
 ところが、お父様は、子供の「種」とは男性(お父さん)だけが持っているのではなく、女性(お母さん)も持っていることを、次のように明確に語っておられます。

 「子供の種は、お母さんの腹中にあります。お父さんにもあるでしょう。お父さんのものは、骨の中にあります。ですから、お父さんの骨の中を通って、お母さんの腹の中を通って、子供が生まれてくるのです。では、子供はどのようにしてつくられますか。お父さんとお母さんを通してつくられます」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』689ページ。注、太字アンダーラインは教理研究院による)

 このみ言で、お父様は、「子供の種」「お母さんの腹中にあります」と、はっきり語っておられます。そして、それとは別に種は「お父さんにもあると語られ、「お父さんのものは、骨の中」にあると述べておられます。ここで言う、お母さんのもつ「子供の種」とは卵子のことであり、お父さんのもつ「子供の種」とは精子のことを指しています。
 このように、お父様は、子供は「お父さんの骨の中を通って、お母さんのお腹の中を通って」生まれてくるのであって、それゆえ「子供はどのようにしてつくられますか」と言えば、それは「お父さん(精子)とお母さん(卵子)を通してつくられます」と語っておられるのです。
 ところで、真のお母様を批判する人の多くは、男性だけが「神の血統」を持っていると考える傾向にあります。そこで、「血統」の概念を正しく知っておかなければなりません。
 お父様は、男性と女性の両性の〝生命〟(精子と卵子)がかかわって血統が生じることについて、次のように語っておられます。

 「生命を見ましたか? 生命に触ってみましたか? 生命体は見えるけど、生命は分かりません。触ってみることはできません。血統もそうです。血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。そして、精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(「ファミリー」1995年3月号、22ページ)

 「皆さんが父母から受け継いだ命は、父の精子と母の卵子を受け継いだところから出発したのです。その卵子と精子が一つとなったところに、愛によって根が生まれて発生したのが、皆さんの子女です」(「ファミリー」2007年3月号、7ページ)

 真のお父様は、父母から子女への生命の連結、すなわち「血統」に対して、それは愛を中心として精子と卵子が一つとなることから出発したと、生理学的に述べておられます。ただし、精子と卵子の生理学的次元の指摘だけでなく、さらに深く考察され、「愛によって根が生まれて発生した」と〝愛〟を強調しておられます。
 神様の血統に連結するか、サタンの血統に連結するかという問題は、この〝愛〟を認識しなければなりません。
 また、お父様は、平和メッセージで「生命と愛が合わさって創造されるものが血統です」(『平和神經』28ページ)、「血統は、父母が子女だけに与え得る特権中の特権です」(同、39ページ)と語っておられますが、血統は男女による両性の「生命」を抜きにして生じることはありません。すなわち「生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(同、28ページ)とあるとおりです。
 また、真のお父様は、女性も血統をもっていることを、次のように語っておられます。

 「だれであっても、母親の子宮にくっついて母親の血肉を吸い取って大きくなったでしょう。……母親の血肉が必要であり、母親の骨肉が必要であり、母親の愛が必要であり、生命が必要なのです。分かりますか? 自分のゆえにではなく、母親の愛のゆえに、母親の生命のゆえに、母親の血統のゆえに〝私〟が生まれたということは否定できません。生まれるときには、女性として、あるいは男性として生まれるのですが……女性は何のために生まれたのですか? 男性のためにです。一時代ですか、永遠の時代ですか? 永遠の時代です。神様の娘の愛は、絶対、唯一、不変、永遠の愛であるので、その愛を中心として、その対象的価値は絶対価値であり、絶対的な相対であるということを知らなければなりません。……それゆえに、女性の前に男性は、絶対真理の愛の相対なのです」(「ファミリー」1999年11月号、30ページ、「九・九節」のみ言)

 このように、お父様は、「母親の血統のゆえに〝私〟が生まれた」と語っておられます。女性も血統をもっていることを知らなければなりません。
 私たちは、血統の「種」は、男性だけが持つと考えていた過去の〝男尊女卑〟的な思想から早く脱却しなければならないでしょう。確かに、「卵子」が発見されていなかった古い時代には、精子をもつ男性だけが「種」をもっており、その精子だけで子女が身籠もるかのように考えられていました。
 しかし、19世紀になって「卵子」が発見されたのです。ローマ教皇庁立大学のカーリ・E・ビョレセン教授は、この卵子の発見ついて次のように述べています。

 「カール・エルンスト・リター・フォン・ベーアによる哺乳類の卵子の発見(1827年)により、男性中心主義的に女性を理解しようとするキリスト論の前提は崩れる。ここで父と母との機能が同等のものであるとしてみられる(ようになった)」(『マリアとは誰だったのか』新教出版社、122ページ)

 このように「卵子の発見」は、女性の復権にも、また、神学界にも大きな影響を与えたのです。真のお父様は、「精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結される」と明確に語っておられ、血統について語られるとき、「精子と卵子」の両方を述べておられます。そこに、「両性の本質的平等」という原理的な神学思想を見ることができます。
 お父様が語っておられるように、精子と卵子という二つの「種」が合わさってこそ、新たな生命体が生じ、その〝親子関係〟によって血統が連結されるのです。
 私たちは、平和メッセージの「血統は、父母が子女だけに与え得る特権中の特権というみ言を忘れてはなりません。そこには、母も含まれているのです。

 したがって、UCI側を支持する人物が主張する「種(真のお父様の骨髄の中の種)は、男性の子女様に相続」されるという解釈は極めて偏った見方であり、非科学的な珍論に過ぎません。女性の真の子女様にも、お父様とお母様の血統や遺伝子は相続されているのであって、男性の真の子女様だけと言うのではありません。
 前述した、「子供の種」「お母さんの腹中」「お父さんのものは、骨の中」にあるというみ言に基づいて考えるとき、「真の父母様の子供の種」「男性と女性の真の子女様に相続」されるというのが、より妥当な表現であると言えるのです。

(3)「祝福権限の移譲」に対する歪曲したみ言解釈について

 UCI側を支持する人物は、次のように教理研究院の見解を批判しています。今一度、彼らの言説を以下に引用します。

 「お父様は直系の長子、長孫へと祝福の権限を相続され、お父様の聖和後は、長子、長孫が真の父母様の名によって祝福を行っていくことを意図されていることが分かります。現在、お父様が祝福の権限を相続して下さった『息子』とはどなたでしょうか?」

 「櫻井節子先生が顯進様を『直接的なお兄様』として大切に感じておられる」

 UCI側を支持する人物は、「お父様が祝福の権限を相続して下さった『息子』」とは「顯進様」であると述べています。その根拠として、下記のみ言を引用しています。

 「平面において、お父様の前に息子を立たせて祝福した、すなわちお父様が天上世界、霊界の息子の所に行って祝福したのと同じ価値あるものとして、統一された祝福家庭として意味をもたせるために、お父様が息子に祝福の権限を相続してあげるのだということを知らなければなりません」(八大教材教本『天聖経』1392ページ、三時代大転換一体圏統一祝福式。注:改訂第2版では1394ページ)

 「この祝福を、天地の平面基準で同等な価値を伝授するからには、真の父母が行ったすべてのことを長男である興進君が行うことができ、興進君が行うからには弟である顕進君も行うことができる、そのような時代になったのです」(2000.9.24 祝福譲宣布式。注、このみ言は『主要儀式と宣布式Ⅳ』日本語訳480ページからの引用)

 上記の二つのみ言を根拠として、UCI側の人物は、顯進様に「お父様が祝福の権限を相続して下さった」のだと述べます。
 このUCI側が根拠とする二つのみ言は、2000年9月24日に天宙清平修錬苑で行われた第1次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」の式典前に、「三時代大転換一体圏統一祝福式」が行われ、そのときに語られた「祝福移譲宣布式」のみ言です。
 彼らが抜粋したみ言だけを読むと、「お父様が息子に祝福の権限を相続してあげるのだ」と語られ、そしてお父様は「長男である興進君が行うことができ、興進君が行うからには弟である顕進君も行うことができる、そのような時代になった」と述べられ、それゆえ2000年9月24日の祝福移譲宣布式で、「お父様が祝福の権限を相続して下さった『息子』」は、「顯進様」だと思ってしまうことでしょう。
 ところが、この祝福の権限に対して正しく理解するためには、彼らが引用したみ言だけでは説明不足であり、正しいものとは言えません。

 そこで、「祝福移譲宣布式」とは何だったのか? そして、お父様は、誰に「祝福の権限」を移譲しておられたのかを、はっきりみ言で確認しておかなければなりません。
 『主要儀式と宣布式Ⅳ』(成和出版社)にその具体的な内容が記されていますが、彼らは480ページからその一部のみを引用していますので、彼らが引用していない重要な部分を以下、引用しておきます。

 「2000年9月24日、午前11時30分、韓国の天宙清平修錬苑にある天城旺臨宮殿にて、第1次『三時代大転換四位基台入籍統一祝福式』に参加するために修練中であった約4000名が参加する中、天上の興進様に真の父母様の祝福権を移譲する『祝福移譲宣布式』を挙行なさった」(471ページ。注、太字アンダーラインは教理研究院による。以下、同じ)

 「霊界へ行くようになれば、父が兄になり、息子が弟になるというそのような原則から、天上世界に行った息子が父の前に来て、息子になると同時に弟の立場にも立つのです。両面の価値を連結させて一体圏をつくって一つにするのです。
  今後、祝福は、地上で先生がしてあげなくてもかまいません。お父様がしてあげなくてもかまわないのです。兄さんたちがたくさんいるので、お父様が老いて死んだとしても、兄さんたちが祝福してあげられるのです。それと同じように、お父様の祝福を今後長子圏の立場にある興進君が、地上でも祝福を行うことができ、霊界でも行うことができるのです。
  お父様も、地上でも祝福してあげることができ、霊界でも祝福してあげることができるのと同じように、同等な価値を一体化させるために、地上のお父様が霊界の息子の前に伝授式をしてあげるのです。霊界にいる息子は、父の家に思いどおりに行くことができ、地上の真の父母も父の家に思い通りに行くことができるのです。……
  父親は霊界に行けばお兄さんになります、お兄さん。また、息子は弟になるのです。ですから、父が天のお父様と呼ぶのも、息子が天のお父様と呼ぶのも同じなのです。……
  真の父母が真の父母の立場を完成したということは、息子の立場の完成にもなるのです。霊界に行こうが、地上に行こうが、同じ価値的内容を伝授、一体化させる役事をするのです。真の父母が霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福を受けた家庭を立てて共に統一的宣言をすることによって、先生が祝福してあげず、今後、興進君が祝福するのですが……。興進君がいなくなれば、顯進君がお父様の代わりに祝福をしてあげることができる時代に入るのです」(474~476ページ)

 「先生が伝授式祝福をしてあげなければなりません。先生が行った権限、また興進君が行った権限、弟が行うことのできる権限もすべて興進君を通じて……、神様の許しを得て、真の父母の許しを得ることによって」(478ページ)

 「祝福移譲宣布式」とは、『主要儀式と宣布式Ⅳ』の序文で説明されているように、あくまでも天上の興進様に真の父母様の祝福権を移譲」された宣布式なのです。
 そして、そのみ言の中で、お父様は「お父様が老いて死んだとしても、兄さんたちが祝福してあげられる」と語っておられるように、顯進様だけに祝福権を移譲したとは述べておられず、むしろ「お兄さんたち」という複数形で語っておられることに着目しなければなりません。しかも、今後、興進君が祝福するのですが……。興進君がいなくなれば顯進君がお父様の代わりに祝福をしてあげることができる」と明言されており、ここで興進様がいなくなればそのとき「顯進君が…云々」と語っておられるのであり、顯進様に対する祝福権の移譲については〝条件付き〟で語っておられるのです。
 したがって、顯進様にすでに「祝福権が移譲されたのだ」と考えて主張するのは、思い込み、早とちりであり、正しいみ言理解ではありません。

 そればかりか、「先生が行った権限、また興進君が行った権限、弟が行うことのできる権限もすべて興進君を通じて…、神様の許しを得て、真の父母の許しを得ることによって」と語っておられる内容から見ると、顯進様への祝福権の移譲は、「興進君を通じて、神様の許しを得て、真の父母の許しを得ること」でなされるのが大前提であることが分かります。
 したがって「神様の許しを得て、真の父母の許しを得ること」という手続きをしないままに、すなわち、真の父母様からの〝許可〟も得ないままで行った顯進様の祝福は、「弟(顯進様)が行うことのできる権限」自体が無く、無効であるという事実を知らなければなりません。
 いずれにしても、お父様が、平和メッセージで「天の真の血統をもってこられた真の父母様を通して祝福結婚を受けることが、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜です。……真の父母様が許諾された聖酒式を通して血統転換をし……真の家庭を探し立てられる道が大きく開かれました」(『平和神經』34~40ページ)と語っておられるように、真の父母様からの〝許諾〟を得ずに行う祝福式は、全く意味のない儀式であり、無効なのです。

(4)真のお母様に最も近い息子・娘が「第3の教主」である

 真のお父様は、今後における相続者としての〝後継〟の問題について、次のように語っておられます。

 「先生が霊界に行くようになればお母様が責任を持つのです。その次には息子・娘です。息子がしなければなりません。息子がいなければ、娘がしなければなりません。後継する者が誰だということは既に伝統的に全て(準備が)なされています」(マルスム選集318-260)

 「私(注、お父様)がいなくても、お母様の前に一番近い息子・娘が第3の教主になるのです」(同、202-83~84)

 以上のお父様のみ言を読めば、すでに後継に関する〝秩序〟が明確に語られています。まず、「先生が霊界に行くようになればお母様が責任を持つ」ということであり、その次には「息子・娘」ということです。
 そして、注目すべき点は、「息子がいなければ、娘がしなければなりません」と語っておられる点です。このように、お父様は、相続者としての〝後継〟の問題について、はっきりその秩序を述べておられるのです。
 また、カイン・アベルの問題についても、お父様はその秩序について、次のように明確に述べておられます。

 「今(世界平和統一家庭連合時代)は本然の母親が、長子権復帰と父母権復帰をして、母親復帰圏に入ったので、母親を中心として見るとき、長子と次子は母親の名のもとに絶対服従しなければならないのです。服従するようになれば父と連結します」(『主要儀式と宣布式Ⅲ』151ページ)
 「あなたたちカインとアベルがお母様の言葉に絶対服従しなければなりません」(「ファミリー」2008年6月号、30ページ)

 このように、子女であるカイン・アベルは「真の母」を通じて「真の父」に連結されなければなりません。それが家庭連合時代の原則です。
 この原則は、祝福家庭にも当てはまるものであり、お父様は「お母様を中心としてカイン(祝福家庭)・アベル(真の子女)が一つにならなければなりません。お母様と一つにならねばならないのです。そうしてこそ先生と一つになるのです。霊界もそうであり、地上もそうです。先生と、神様と、です」(マルスム選集265-310)と語っておられます。この原則は変わらずに霊界でも、地上でもそうだというのです。
 顯進様の場合、「真の母」を通じて「真の父」に連結される原則から外れたために、お父様はその活動をお受けになることができませんでした。しかし、真の父母様のもとを去る前の國進様、亨進様は、自分たちの活動をお母様に報告し、「真の母」を通じて「真の父」に連結されていたために、お父様はその活動を祝福しておられました。
 そのような観点から見たとき、真のお母様は、相続者である後継の問題の候補として、お父様のみ言に基づいて、かつては、男の子女様のなかでお母様と最も近い関係にあった7男の亨進様を考えておられたと言えるのです。
 しかしながら、その後、亨進様がお母様との関係において難しくなったために、お母様は、お父様のみ言に従って、今度は女の子女様の中から、最もお母様に近い5女の善進様を世界会長に立てられ、今日の摂理を進めておられることを知らなければなりません。お母様は、どこまでもお父様のみ言に従って今日の摂理を歩んでおられるのです。

 そして、前述したみ言通り、真の父母様のご聖和以降の相続者については、「お母様の前に一番近い息子・娘が第3の教主になる」ということを、私たちは明確に知っておかなければならないでしょう。
 したがって、真の子女様の中から「第3の教主」である相続者を選んでいく権限については、どこまでも真のお母様にあるのであって、それはお母様の前に一番近い子女様ということになります。
 このように見るとき、真の父母様の「祝福権限の移譲」の問題に関しても「神様の許しを得て、真の父母の許しを得る」立場において、現時点では、文善進世界会長が立っておられるのであり、真の父母様の子供の種を持っておられる女性の真の子女様として、今後においても、真の父母様の代身として祝福式の主礼を行うことができる立場にあるというのが、お父様がみ言で示しておられる基準であると言えるのです。
 したがって、「神様の許しを得て、真の父母の許しを得ること」をしない〝無許可〟の祝福式は、たとえ真の子女様によるものであったとしてもすべて無効であるという事実を知らなければなりません。
 そして、真の父母様との関係を抜きにして、いくら自分本位に「自分こそが第2代王である」とか、「自分こそが摂理的長子である」と主張しても、その言動は、お父様の語られた「私がいなくても、お母様の前に一番近い息子・娘が第3の教主になるのです」というみ言から見ると、誤っていることは明らかです。お父様のみ言から見ても、どこまでも「第3の教主」とは、真のお母様との関係性によって定められていくことを、私たちははっきりと理解しなければなりません。