「6マリヤ」「血分け」は存在しない―【第二弾】

(文責:教会成長研究院)

【疑問】
 反対派が語っている内容に、「朴サムエル氏は、文鮮明先生と崔淳華との間にできた子供であり、朴普煕先生の養子として育てられたとか、仁進様と恋仲になった」という情報があります。もし、この問題が事実であるとすれば、真のお母様候補者が3人までという理論も崩れてしまうのではないでしょうか。
 また、サンクチュアリ教会側でも、朴サムエル氏について「六マリヤ」を肯定する内容の一つとして語っているようです。そして、真のお母様は、そのための“恨み晴らし”をしておられるかのように、お母様批判をしています。
 また、最近、郭グループが日本で集会を行い、そこで配布している『統一教会の分裂』という書籍にも、朴サムエルの存在が触れられています。やはり、お父様は“不貞”を働いておられたのでしょうか。これについて、どのように考えたらいいのでしょうか?

 

(1)「6マリヤ」は存在しない―【第二弾】

 「6マリヤ」は、今まで反対派や元信者が、文鮮明先生をおとしめることを目的に、勝手に邪推し、語ってきた中傷に過ぎません。
 すでに、『いわゆる「6マリヤ」の問題について』でも、この問題を取り上げて論じておりますが、真のお父様は「6マリヤ」について、次のように語っておられます。

 「この者たち、『6マリヤ』だなんだという朴正華の言葉は、すべて嘘です。うわさになったことを(もって)勝手につくり上げて、ありとあらゆることをしたのです」(マルスム選集306-241、1998年9月23日)

 「統一教会の先生の息子娘を“たちの悪い人間”に仕立てようとする人々は、堕落した人々です。統一教会から追い出された人々が友人をつくり、そのような人(元信者)を立てることによって、生き残れる道があるといって、ありとあらゆる話をみな作るのです。何ということですか! 私も知らない『6マリヤ』の話、先生が女性たちを中心としてありとあらゆることをするという話、ありとあらゆる話を想像して、しゃべったのです」(マルスム選集、462-219、2004年8月21日)

 真のお父様は、「6マリヤ」は存在しないと明言しておられます。
 また、太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』(2008年7月1日刊、光言社)175~228ページにも、反対派が長年にわたって主張してきた「六マリヤ」「血分け」が存在しないことを、さまざまな角度から論じていますので、それをも併せて一読されることをお勧めいたします。

 さて、『いわゆる「6マリヤ」の問題について』で紹介した御言以外に、「6マリヤ」が存在しないことを裏付ける御言を追加すれば、以下のようなものがあります。
 実は、反対牧師の脱会説得によって脱会した元信者が、1987年3月、いわゆる「青春を返せ裁判」を行うようになりました。反対派は統一教会について、彼らが考える“反社会性”を何とか裏付けようと、元赤旗記者の萩原遼氏が書いた『淫教のメシア・文鮮明伝』を裁判に提出してきました。しかし、この書籍には多くの問題点があり、その誤りや事実誤認等については、前掲の太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』187~203ページで論じられています。
 この萩原氏の書籍に、真のお父様と崔元福女史との間で“性関係”があり、隠し子までいると書かれてあります。この件に関して、真のお父様は次のように語っておられます。

 「みてください。聖進オモニの名前が崔先吉です。『先に』という先の字で崔先吉です。女性の名前が…。それで崔先生が、崔元福が統一教会において女性を代表して苦労したのです。今回の裁判事件のゆえに、崔先生の名前が完全に肥溜めに落ちたようになりました。文社長までそのように考えなかったですか? 文社長!(『はい』)崔先生が全部、誤ったと考えたでしょう? 率直に話してみなさい。(『確定的に崔先生が間違ったというよりも……』)そのような話はやめて答えだけいいなさい。みんな知っていることです。(『はい。疑いました』)疑うというより、そのように思っていたじゃないですか。私に対しても何回も話をしませんでしたか? 私が『違う』といったのにです(マルスム選集170-302、1987年12月4日)

 真のお父様は、反対派がいう「文鮮明と崔元福との間で“性関係”があり、隠し子までいる」という内容に対して、そのような事実はないことを明確に語っておられるのです。

 さらに、反対派は、次のように語って真のお父様を批判してきました。
 「最初の3組と33組(いわゆる36家庭)は、実際に文鮮明の血分けを受けたと指摘されている」(川崎経子著『統一協会の素顔』235ページ)。すなわち、現在では「血分け」は行っていないかもしれないが、古参信者の36家庭との間においては、お父様は“性関係”をもっておられたというのです。
 この「36家庭までは…云々」に関連して、次のような事実がありました。古参信者であり、当時、統一教会を脱会していた朴正華氏が『六マリアの悲劇』を出版した際、1993年10月27日、某テレビ局のワイドショーがそれを取り上げ、著者の朴正華氏がテレビに出演したとき、36家庭の元信者が同席していました。
 ワイドショーの司会者が、同席していた36家庭の元信者に対して「文教祖との間で“血分け”はあったのか」と質問したとき、その元信者は「自分たちには“血分け”はなかった」と答えたのです。
 結局、反対派のいう「最初の3組と33組は、実際に文鮮明の血分けを受けた」という主張には、そういう実態がないのです。
 また、朴正華著『六マリアの悲劇』の中で、いわゆる「6マリヤ」の一人として登場する金仁珠女史や姜賢實女史も、そのような事実がないことを証言しています(機関紙「中和新聞」1993年11月1日号、4~5面)。
19931101中和新聞 そればかりか、祝福家庭の“核心メンバー”である3家庭の夫人に対して、お父様は次のように語っておられます。

 「史吉子さんも、『原理講論』を中心として、『覚えて何々をしなければならない』と言っていますが、それは『原理講論』です。実体はどこに行きましたか? 自分はかかしのようなことをしているのです。かかしに頼って生きるのではありません。鳥も、行き来する主人が来れば逃げて行かなければなりません。逃げずに主人になろうと史吉子さんも考えるでしょう? 『本体』である真のお母様以上の位置に立とうという話です。自分が、お母様のように堕落していない本然の息子、娘を生むことができますか? それは真の父母の種を受けて一体圏にいなければ不可能です。永遠にありえないことだというのです」(「ファミリー」2009年1月号、48ページ)

 真のお父様は、3家庭の史吉子女史に対し、「真の父母の種を受けて一体圏」になったことのない人が、「真のお母様以上の位置」に立とうと考えているのであるが、それは永遠にできないことだと語っておられます。さらに、具体的に「本然の息子、娘を生むことができますか?」とも語っておられます。
 このように、史吉子女史は、真のお父様との関係において、性的関係がなかったことを、お父様は、みんなの前ではっきりと語っておられるのです。
 このように見ていくと、長年、反対派が言い続けてきた「6マリヤ」「血分け」というものは存在しておらず、そのような事実はないというのが真相です。

 さらに、真のお父様は、「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられますが、夫婦関係は血統的につながらないと明言しておられるように、性関係で夫と妻自体の血統が連結したり、血統転換されることはないことを断言しておられ、その一点を見ても、いわゆる“血分け”というものは、教理的にも存在していないのです。

 

(2)一人の勝利された「真の母」が現れるには

 ところで、『原理講論』に、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない(264~265ページ)と明記されているように、神の息子たるメシヤ、人類の「真の父」が現れたとしても、一人の勝利された人類の「真の母」が現れなければ、全人類を重生し、救済していくことは不可能です。
 その一人の女性「独生女」を準備するために、神様は「女性を中心とする復帰摂理」を展開されるなかで、エデンの園におけるエバの犯した罪を清算しながら摂理を進めてこられました。
 エデンの園で“エバが犯した罪”を清算するための代表的な摂理が、ヤコブ家庭におけるレアとラケルの摂理であり、イエス様が生まれるときのエリサベツとマリヤの摂理などです。それらの摂理の詳細については、「『真の家庭』の十字架路程と勝利」の「②女性を中心とする復帰の道」において論じられています。

 この「女性を中心とする復帰摂理」によって、エバの罪を清算したという蕩減条件を立てた勝利圏の上において、「独生子」や「独生女」が誕生されます。
 再臨時代において、こうして現れた「独生子」である再臨主の前に、本来なら、「独生女」としての使命を果たさなければならなかったのが崔先吉女史でした。
 しかし、金百文牧師が再臨主を支える「メシヤのための基台」にならなかったとき、真のお父様は、その失った金百文牧師を中心とする「三弟子」の基台を探し出すために、北朝鮮へ行かれ、金百文牧師の代わりに金元弼氏を連れて、再び南に帰ってこられました。
 しかし、真のお父様が南に帰ってこられた後、ご自分の家族より、より遠い立場の“カインの子女”である弟子たちを愛し尽くして牧会されるお父様に対し、崔先吉女史は理解することができずに批判的になり、やがて1953年9月17日、真のお父様がソウルへ引っ越しされて以降は、崔女史はお父様に従わず、再臨主に侍る「真の母」の位置を離れることによって、その使命を挫折してしまったのです。

 こうして、「女性を中心とする復帰摂理」によって、エバの罪を清算したという蕩減条件を立てた勝利圏の上において、「独生女」が登場しておられたにもかかわらず、その「独生女」が、再びアダムを“裏切る”という罪を犯してしまったのです。
 このようにして、再び生じてしまった“アダムを裏切る”というエバの罪を清算するため、もう一度、エリサベツとマリヤのような立場として選ばれたのが、崔先吉女史と金明煕女史の関係でした。そのような摂理的な事情から、金明煕女史の子女である喜進様の生涯は、イエス様の生涯路程を彷彿とさせるものだったのです。真のお父様は、次のように語っておられます。

 「聖進の母親が反対したがゆえに……歴史的な過程を経るようになったのです。聖進の母親がエバの立場であり、喜進の母親はマリヤの立場です。マリヤがイエス様を連れてエジプトに行ったように、喜進の母親も……日本に行かなければなりませんでした。……そこで適応し、再び帰ってくる時には民族が歓迎しながら迎えなければならなかったのです。しかし、それ自体が失敗しました。……そのために、喜進もあのようになりました。イエス様と全く同じ因縁なのです。喜進は旅先で生まれ、旅先で死にました。イエス様も旅先で生まれ……よその土地で十字架にかかったのです。……聖進のお母さんがみ旨を立てることができなかったために、(崔女史、金女史、韓夫人の)三代にわたって延長されることになりました」(『真の御父母様の生涯路程③』154~156ページ)

 そして、エバの罪を清算するための摂理路程の中において、結果的に、金明煕女史までが、真の母として立つことのできない立場へと追い込まれたのでした。
 韓国歴史編纂委員会は、そのときの摂理的背景を、次のように説明しています。

 「キリスト教を中心とした七年の出発摂理路程で聖進様の生母・崔先吉女史が不信したエバの立場に立つようになると、やむをえず天は、協会創立前後、第二次路程として喜進様の生母・金明煕女史を、第二アダムであるイエス様の時代のザカリヤとエリサベツを前にした、マリヤの立場に選ばれた。……マリヤは、ガブリエル天使長による天の指示に絶対従順し……天の血統を復帰するために……(祭司)ザカリヤから原罪のない本然のアダム、イエス様を受胎し出産した。そして……当時のエバ国であったエジプトを通過する蕩減の道を歩んだのである。金明煕女史も……(今日のエバ国)日本に行き、喜進様を生みながら、極めて難しい……蕩減の道を三年以上経るのである」(『史報』2004年春季号、48~49ページ)

 本来なら、崔先吉女史が完全に難しくなった場合には、金明煕女史がその使命を代わりに受け継がれ、それを蕩減復帰して歩んでいくべきでした。
 すなわち、ヤコブのときのラケルのような立場に立った金明煕女史が、文先生を中心に神様のみ旨に侍り、自己の位置を離れた崔先吉女史と一体化して、崔先吉女史を悔い改めに導いていかなければなりません。そして、崔先吉女史の子女の聖進様と、金明煕女史の子女の喜進様が、母子協助を受けてカイン・アベルとして一体化したなら、崔先吉女史によって発生した“エバの罪”を清算していくことのできる道が開かれたはずでした。
 文先生は、崔先吉女史の問題について、次のように語っておられます。

 「(西大門刑務所の)監獄にいた時……彼女(と家族)の4人が来て強迫して言ったことが思い出されます。『お前のような男に会ったために、我々の家門の恥となった……』と言ったのです。『3年だけ待ってください』と言いましたが、ハンコを押せと言って、(その後)離婚させられたのです」(『ファミリー』1992年8月号、46ページ)

 このように、文先生は、崔先吉女史に対して「離婚してはならない。3年待ってほしい」と願われました。崔先吉女史は、1943年12月の「約婚」以来、文先生と約4年間、行動を共にしたため、このみ言に従って、あと3年間を待つならば、アダムに従ったという計7年の期間(七年路程)を満たしたはずでした。しかし、それを悟れなかった崔先吉女史は、同郷出身の韓景職牧師の説得もあって、お父様の御言に従わず、離婚に踏み切ってしまったのです。それは、梨花女子大事件が起こった1955年5月から1年8か月後の出来事でした。
 さらに問題は、金明煕女史もある事件に巻き込まれ、真の母の立場を退かなければならない状況に追い込まれたことです。
 こうして、本来、受けるべき母子協助を受けられない中を、聖進様と喜進様は、カイン・アベル一体化のための涙ぐましい道を歩まれました。
 文先生によれば、復帰天使長として聖進様をお守りする使命を担ったのが金元弼氏であり、喜進様をお守りする使命を担ったのが劉孝元氏でした。

 「36家庭の代表となるこの三家庭の中で、一番目の家庭が金元弼です。……二番目が誰かといえば、劉孝元です。そして三番目に金榮輝です。……三家庭の祝福前は、先生は聖進、喜進と一緒にいることができませんでした。しかし(天使長の)三家庭がお父様と一致する基準を探し立てたので、聖進と喜進を天の前に取り戻すことができました。……信仰の子女が自分の直系の子女に腹中から侍り、それと一つになった立場に立たなければ、三天使長の協助によって神様がアダムを創造なさったのと同じ立場には立てません。……金元弼は聖進の責任をもち、劉協会長は喜進の責任をもち、金協会長が孝進の責任をもち……先生の息子、娘に侍らなければならないのです」(『真の御父母様の生涯路程④』71~75ページ、133ページ)

 金元弼氏は、寝ても覚めても聖進様に侍り、金百文牧師が果たせなかった使命を蕩減する道を開拓されました。また、喜進様に対しては、劉孝元氏が侍りました。ところが1969年8月、祝福家庭が開拓伝道に出ていかない状況の中、喜進様は一人で開拓伝道に向かわれましたが、その途中、列車事故に遭われ、殉教されたのです。
 このように、二人の女性が挫折し、さらに子女様までも殉教され、犠牲の道を歩んでいかれたのです。この内容を、誰かが蕩減復帰しなければ、勝利された「真の母」は立つことができず、人類を救う道は開かれません。

 

(3)二人の女性の失敗を蕩減復帰され、完全勝利された「真の母」

 その道を開拓し、蕩減の道を行かれたかたが、メシヤの前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てていかれた韓鶴子夫人だったのです。
 韓鶴子夫人は、1960年陰暦3月1日、聖進様の誕生日と同じ日に、真のお父様と「約婚式」をされ、陰暦3月16日、三弟子(三天使長の立場)を復帰した基台の上で、「聖婚式」を挙げられました。そして、統一教会の祝福家庭の双を拡大し、失った戦後のキリスト教基盤を取り戻すという摂理的な闘いをされたのです。
 また、韓鶴子夫人は、7年路程を通過されながら、崔先吉女史と金明煕女史が挫折した内容を蕩減する“涙の道”を開拓していかれて、それを見事に勝利していかれたのです。
 韓鶴子夫人が通過された「七年路程」について、文先生は次のように語っておられます。

 「私との結婚が、普通の結婚とは違うことをよく知っているだろう。私たちが夫婦の因縁を結んだのは、神様から受けた使命を果たし、真の父母になるためであって……これから七年間、あなたにとってはとても耐えがたいことがたくさんあるだろう」(『平和を愛する世界人として』204~205ページ)

 まず、韓鶴子夫人は、1960年陰暦3月16日、「聖婚式」を挙げられたにもかかわらず、文先生によって入籍してもらえないという苦難の道を通過されました。金明煕女史も、入籍されない苦労の路程を通過されましたが、金明煕女史の場合は、入籍されない理由が明確(崔先吉夫人が再臨主の妻の立場を離れる状況の中にあっても入籍中)だったため、ある意味で、韓鶴子夫人の通過された道よりも越えやすい立場にあったと言えます。
 しかし、韓鶴子夫人の場合には、何の説明もない中で、入籍してもらえない苦難の立場を通過されたのです。それは、崔先吉女史が梨花女子大事件以降、「3年待ってほしい」というメシヤの願いに従わず、韓景職牧師の説得の中で、1年8か月後に離婚してしまい、さらには金明煕女史も真の母として立てずに使命を挫折して、喜進様が犠牲の道を行かざるをえなかったためでした。

 韓鶴子夫人は、これらの内容を蕩減され、唯一の勝利された「真の母」となられるため、同じ立場を通過されたとしても、メシヤの前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てて歩まれて蕩減復帰され、勝利していかれたのです。韓鶴子夫人は、聖婚式後、譽進様を出産されても、なお入籍されない苦難を通過されたのです。
 韓鶴子夫人の入籍は、聖婚式後、なんと1年8か月を過ぎた1961年12月29日のことでした。この期間は、崔先吉女史が3年を待てず、挫折した期間と同じでした。それゆえ、譽進様は喜進様と同じく「私生児」のような立場を一時期、通過されたのでした。文鮮明先生は、このことについて次のように語られました。

 「譽進も、生んでから復帰して入って来たのです。そうしないと原理が間違ってしまうのです」(「祝福」1992年春季号、112ページ)
 「(七年路程の)七年間というものは、実に様々な非難、中傷、うわさ、誤解が、先生一家をめぐって渦まいていました。……問題は、お母様がこのような試練に耐えて、非難されてもそれを克服し、のり越えていけるかどうかということでした。……いろいろなことが言いふらされ、『お母様は勝利しなかった。だから、先生は新しいお母様を選ぼうとしておられる』とか、まして『お母様は誕生日を偽って二人の誕生日が同日であるように見せかけたのだ』とか、まったくサタンの業としか思えない、心ないうわさを耳にする度に、お母様は胸がはり裂けるような思いでした。
 そういう状況の中で、お母様はひたすら沈黙を守り、耐え忍ばねばならなかったのです。……何事が起ころうともお母様は、たえず不屈の信仰で忍耐され、犠牲になりながら沈黙を守り通して、先生への信仰を持ち続けました。そして……非難されてきた事情のすべては逆転し、みなお母様の前に頭をたれて、『この方は本当に天宙のお母様だ』と思うようになり、そのように敬い対するようになってきたのです」
(「祝福」1977年夏季号、59ページ)

 こうして、金明煕女史が勝利できずに挫折してしまった路程を、韓鶴子夫人は同じような苦難の立場を通過されても、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をもって完全に勝利していかれたのです。そのような道を歩まれるなか、韓鶴子夫人は、唯一の勝利された人類の「真の母」となっていかれたのです。そこには、韓鶴子夫人の実母の洪順愛女史、すなわち大母様の母子協助がありました。洪順愛女史は、メシヤの前に「新婦」を準備する母の使命を見事に果たされたのです。

 「先生は、お母様のお母さん(洪順愛女史)にも、『家にこもって教会の玄関からは来ないようにしなさい。自分の娘であっても会いに来てはいけない。どうしても来なければならない時は、こっそりと裏口から入りなさい』というような指示を与えたほどです。……多くの娘を持った母親たちが、自分の娘がいつの日か主の花嫁になるかもしれない、と期待していましたから……誰も彼女を羨やまないように、母親をして犠牲になる役に追いやったのです。……人々はむしろ洪(順愛)ハルモニに同情して、先生に不平を言いに来る人さえいました」(同、56~57ページ)
 こうして、母と娘の親子二代が、再臨主からぞんざいに扱われるような路程を通過して、崔先吉女史と金明煕女史の挫折した立場を蕩減していかれたのです。

 さて、韓鶴子夫人が金明煕女史の立場を蕩減する道を歩まれるとき、崔先吉夫人の立場を代身する女性として選ばれたかたが崔元福女史でした。

 「崔氏一族がそうしたために、崔氏を中心とした役事をするのです。……その家門を滅ぼしてはいけません。怨讐、カイン的な立場に回ってしまったのですが、引き受けてあげなければならないのです。……日本を開拓したのは崔奉春なのです。崔氏をまず前面に立てたのです。……また、崔元福がいます。名前が元福です。原理的になっているのです。『先吉』(聖進様の母親)が失敗したから、『元福』が収拾するというのです」(『真の御父母様の生涯路程③』151~152ページ)

 結局、崔家が蒔いた種を、同じ崔家で刈り取っていかれたというわけです。ここで重要な点は、金明煕女史が崔先吉女史の失敗を償っていく路程では、文先生と崔先吉女史との間には既に夫婦関係はなかったので、崔元福女史が文先生に侍っていたとしても、文先生との間で夫婦関係をもつ理由も必要も全くないということです。
 この件に関しては、前述した御言に、「みてください。聖進オモニの名前が崔先吉です。『先に』という先の字で崔先吉です。女性の名前が…。それで崔先生が、崔元福が統一教会において女性を代表して苦労したのです。今回の裁判事件のゆえに、崔先生の名前が完全に肥溜めに落ちたようになりました。文社長までそのように考えなかったですか? 文社長!(『はい』)崔先生が全部、誤ったと考えたでしょう? 率直に話してみなさい。(『確定的に崔先生が間違ったというよりも……』)そのような話はやめて答えだけいいなさい。みんな知っていることです。(『はい。疑いました』)疑うというより、そのように思っていたじゃないですか。私に対しても何回も話をしませんでしたか? 私が『違う』といったのにです(マルスム選集170-302、1987年12月4日)とあるとおりです。

 

(4)勝利された「真の母」が歩まれた苦難の路程に見られる“摂理的内容”

 さて、反対派は、喜進様以外に、長年にわたって朴サムエルという真のお父様の「婚外子」がいると噂してきました。反対派は、崔先吉女史の従姉妹である崔淳華女史との間で、真のお父様は不貞を働かれ、婚外子を生んでおられるというのです。
 しかし、真のお父様の歩まれた生涯路程は、「レバレンド・ムーンの波瀾万丈の人生を、すなわちモデルとしての『性』を完成するための人生を、誰か理解する者がいたでしょうか」(『平和神經』206ページ)とお父様ご自身が語っておられるように、モデルとしての「性」を完成するための人生だったのであり、不貞を働かれるようなかたではありません。ましてや、反対派のいういわゆる「6マリヤ」「血分け」というものは存在しません。

 もし仮に、反対派が噂し、さらにサンクチュアリ教会や郭グループが語っている崔先吉女史の従姉妹の崔淳華女史との間の婚外子がいるとするなら、この件については、再臨主として、真のお父様が蕩減復帰しなければならない摂理的内容から、次のように考えることができるでしょう。

 一人の勝利された人類の「真の母」が立ってはじめて、人類を神の血統に転換する「重生」の道が開かれます。その道を開拓する中、崔先吉女史は使命を果たせずに倒れ、新たに立てられた金明煕女史も挫折してしまいました。
 この二人の女性が勝利できなかった内容を蕩減し、勝利した唯一の「真の母」となるための道を開拓されたのが、韓鶴子夫人であられます。
 韓鶴子夫人は、崔先吉女史を心から愛して一体化していかれました。この韓鶴子夫人の歩みというのは、金明煕女史が崔先吉女史を悔い改めに導き、その失敗を蕩減するために、崔先吉女史を愛して一体化しなければならない歩みを蕩減するものでした。
 真のお父様は、次のように解説しておられます。

 「ヤコブを中心として見る時、レアとラケルがいました。ヤコブを中心として、この二人の女性は一つにならなければなりません。……これができなければ、復帰という概念はあり得ません。怨讐に対して、怨讐という概念があれば帰る道がありません。……堕落しなかったならば……カイン・アベルは怨讐ではありません。皆が愛し合いながら天国に入るのです。……先生にも二人の女性がいます。聖進様のお母さんと真のお母様(韓夫人)です。二人が戦わないで、如何に一つになるかが問題です」(「祝福」1993年秋季号、38~41ページ)
 「聖進様のお母さんと今のお母さん(韓鶴子夫人)は、互いに見たこともなければ会ったこともないのです。何十年も前に先生を脅迫して離婚していったので、何の関係もないのです。しかし……すべて関係がないと言うことはできないのです。聖進様は先生の子供なのです。……お母さんと子供は共に住むことができるのですから、聖進様と共に(崔先吉女史が)先生の所に来れば、追い返すことはできないのです。……分かりますか? 今のお母様の偉いところは、そのようなことのないようにと、いろいろな背後を整理してきていることです」(『男性訪韓修練会御言集』340ページ)
 「お母様(韓鶴子夫人)はりっぱなかたです。その人(崔先吉女史)に家を二度も買ってあげました。お母様は……会ったこともない離婚した女性に対して、何の責任がありますか?……(ところが、崔先吉女史が)生活が苦しいという話をしないように生活費を送り、今何年になりましたか? 世間をうらやむことがないように、お母様に小銭ができれば、すべて(送り)食べさせてあげたのです」(「ファミリー」2006年9月号、31~32ページ)

 このように韓鶴子夫人は、金明煕女史と同じような立場に立たれ、崔先吉女史を心から愛され、一体化するための路程を歩まれたのです。
 ところで、金明煕女史はイエス様を象徴する喜進様を生んでおられます。しかし、弟子たちが開拓伝道に行かず、真の子女を守る基台が失われたとき、喜進様は1969年8月1日、殉教されました。その喜進様を支える復帰天使長の立場の劉孝元氏も、その翌年に聖和されました。
 「み旨から見れば、いつも二番目が問題になりました。……それで先生は劉協会長について心配していたのです。彼は喜進に責任を負っていた人です。……劉協会長は、陰暦で計算すると、喜進が逝った日から(一年と)三日後に逝きました。このように見る時、二番目がいつも問題になるということ……蕩減歴史というものは避けることができないということを皆さんは知らなければなりません。……劉協会長がこの世を去るようになる時、『先生に出会い……終わりをどのように結ぶつもりか』と私が聞きました。すると、劉協会長は『永遠に変わらない』という言葉を残して逝きました。そうでなくてはならないのです」(『真の御父母様の生涯路程⑤』187~189ページ)

 金明煕女史が倒れたのみならず、イエス様を彷彿させる喜進様が、み旨のために犠牲となられたのです。それを蕩減するために、韓鶴子夫人は満34歳まで、崔元福女史と共に、金明煕女史の失敗した内容を蕩減復帰しながら歩まれました。韓鶴子夫人は、1977年2月23日、満34歳を迎えられましたが、それは聖婚から、エバが堕落した年齢の満16年を過ぎたときに当たります。その期間は、7年と7年の長成期完成級に匹敵し、第二次七年路程を見事に勝利されたことを意味したのです。
 その期間、韓鶴子夫人は、神様からも見捨てられたような境地を通過され、それでも天の父母様(神様)と真のアダム(再臨主)を裏切らず、絶対信仰で越えていかれたのです。
 「きょう、陰暦の1977年の1月6日は私と妻の誕生日であり……それを祝いました。……きょう、妻は34歳を越えます。イエス様は、33歳以上行くことができませんでした。……十字架のゆえにできませんでした。今年、妻は、34歳を越え、イエス様の33歳を越えていくことになります。……きょうは最も記念すべき日なのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』557~558ページ)。

 お父様はこのように述べられ、この日に「天地勝利の日」を宣布され、これを機に、韓鶴子夫人と共に崔元福女史を立てて執り行われていた「聖酒式」では、崔元福女史は退かれました。聖酒は、復帰天使長が直接に「真の母」であられる韓鶴子夫人に渡すことになったのです。これは、金明煕女史の立場を完全に蕩減されたと言うことができるのです。

 ところで、金明煕女史を支え、喜進様をお守りする復帰天使長は劉孝元氏でした。しかし、劉氏は喜進様の後を追うかのように1970年7月24日(陰6月21日)に聖和されました。
 翌年12月18日、真の父母様は渡米されますが、劉孝元氏の使命を受け継いで文鮮明先生の代弁者、特別補佐官としての役割を担ったのが、朴普煕氏でした。朴氏の著書『証言』には、次のように記されています。
 「文先生は……バージニア州アーリントンにある私の家に泊まられ、私の家族と一緒の時を過ごされた。再臨のメシヤ、文鮮明先生がわが家に三カ月滞在するということは……栄誉ある恩賜であった。この間、私の子供たちはお父様とすっかり馴染みになった。二番目の娘の薫淑は……(後に興進様の妻として)真の御父母様の家庭に入り、二番目の嫁となった。……(私は)先生の直接指導の下に、英語の原理講義テキストを完成させる意義深い期間であった」(朴普煕著『証言(上巻)』306~308ページ)

 三弟子の劉孝元氏が、文先生の直接指導のもとで『原理講論』を書かれたのと同様に、朴普煕氏も文先生の直接指導を受け、英語の原理講義テキストを書かれました。
 そして、本来なら、崔先吉女史は、金明煕女史と一体化する路程を歩むとき、金明煕女史の子女であられる喜進様を愛して、さらには、自分の子女の聖進様と喜進様とを一体化させるための母子協助をすべきところ、それができずに挫折し、蕩減問題を残してしまったのです。
 その“崔先吉女史の失敗”を清算するために、今度は、崔先吉女史が越えることができなかった立場を、韓鶴子夫人が蕩減復帰していかれるために、韓鶴子夫人は文先生と共に朴普煕氏の家に滞在され、ご自分の子女様以上に朴普煕氏の祝福子女を愛されるという路程を通過されることを通じて、崔家が蒔いた種を刈り取り、過去の女性たちの失敗の全てを蕩減復帰していかれたものと考えることができます。

 こうして、韓鶴子夫人は、崔先吉女史と金明煕女史の二人の女性が越えることのできなかった試練の道を全て実体的に越え、唯一の勝利された「真の母」となっていかれました。こうした苦難の路程を韓鶴子夫人が歩むことで、文先生は、堕落エバの歴史的な罪を全て清算した勝利基準が立ったとして、1990年3月27日に「女性全体解放圏」を宣布され、真のお母様を「第二教主」であると語られ、さらに、1992年4月10日にも「女性解放」を宣布され、世界平和女性連合の総裁として立てられたのです。
 この女性解放時代を迎えた年、世界的祝福式の三万双が執り行われました。本来、世界的祝福式は、金百文牧師の不信がなければ、1952年に行われていたはずのものです。したがって、40年遅れて挙行されたことになります。

 世界的祝福式が挙行された翌年の1993年、第34回「真の父母の日」に、文先生はイーストガーデンで特別なお祝いをなさり、韓夫人に指輪を贈られました。文先生はそのお祝いについて次のように語っておられます。
 「この前、イエス様の33回目の誕生日を祝いましたね。……それで先生は、イエス様を解放して、イエス様が家庭を持って43歳(韓鶴子夫人の還暦)になるまでに、完全な世界的基盤をつくらなければならないので、急いでいるのです。分かりましたか?」(「ファミリー」1993年9月号、35ページ)
 ここでいう「イエス様の誕生日」とは、真の父母様の「聖婚式」を指します。この点について、文先生は次のように語っておられます。
 「きょうは第34回父母の日です。33周年です。33は完成を意味します。それは、きょうの父母の日はイエス様の年齢だということです。イエス様は、33歳の時に家庭をなすはずでしたが、十字架上で亡くなり、その立場をなせませんでした」(「祝福」1993年夏季号、55ページ)
 韓鶴子夫人は、聖婚式からイエス様の生涯路程を象徴する満33年間、蕩減条件を立てながら、金明煕女史が挫折することによってイエス様のような立場にあった喜進様を守れなかったことや、崔先吉女史が失敗した立場を蕩減復帰していかれたと言えるのです。
 その間、韓鶴子夫人が通過された内的心情について、真のお父様は、次のように語っておられます。
 「来たるべき主の家庭はいかなる家庭でしょうか。悲惨というならば、それ以上悲惨な家庭がないぐらい悲惨な家庭です。……そうでなくては蕩減にならないのです。それゆえに、その新婦が流さなければならない涙の種があるなら、それは歴史上の数多くの女性を代表した涙の種にならなければなりません。……6000年歴史の中で、アダム、イエス様、再臨主の時代までの蕩減が起きるようになりました。エバに該当するのが聖進の母(崔先吉女史)であり、マリヤに該当するのが喜進の母(金明煕女史)であり、再臨時代の母に該当するのが現在のお母様(韓鶴子夫人)です。そのようなお母様が出てきたので、初めて(家庭的)四位基台が成されました」(『真の御父母様の生涯路程④』48~49ページ)
 この御言からわかるように、3人までで勝利しなければならないのです。

 人類の「真の母」を立てる摂理は、3人までで勝利しなければなりません。それゆえ、韓鶴子夫人が勝利された「真の母」になっていかれるために、このような蕩減路程を開拓して歩まれる中で、神様と真のアダム(メシヤ)の前に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、聖婚から満33年を経て、崔先吉女史と金明煕女史の二人が挫折した内容を、全て清算されたと言えるでしょう。
 こうして、勝利された唯一なる人類の「真の母」であられる韓鶴子夫人が歴史に登場されたのです。このような道を歩まれたかたは、韓鶴子夫人だけであられるのです。
 もし、このような“涙”の蕩減路程を歩まれ、真の父であられる文鮮明先生を支え続けられ、そして、勝利していかれた唯一なる人類の「真の母」が韓鶴子夫人であられるならば、その韓鶴子夫人を否定し、批判することは、人類の救いの道を永遠に閉ざしてしまうことになってしまいます。
 真のお父様は、「女性解放」を宣布された年に、韓鶴子夫人に対し、次のように語っておられます。
 「お母様は、世界を代表した女性として、息子、娘を抱きかかえています。お母様に従う女性たちは、お母様の分身になります。お母様を、自分の夫以上に愛さなければなりません。お母様は聖霊です。聖霊に背いては、赦しを受けられないのです。再び生まれる道がありません。赦そうとしても、その根拠がないのです。お母様は、生命を復活させる方です。再び生んで祝福するのです」(233-087、1992.7.30、『真の父母經』47ページ)
 真のお父様が語られた、この御言のもつ意味は、実に深い内容があるものと言わざるをえません。
 勝利された「真の母」を立てるための路程のなかで、喜進様が現れざるを得なかったように、崔先吉女史の従姉妹の崔淳華女史との間の婚外子の件は、それは、崔先吉女史が越えることができず、挫折された内容を実体で蕩減復帰されるためだったと考えることもできるでしょう。
 以上の内容は、あくまでも御言から考察できる一つの解釈に過ぎませんが、参考にしていただければ幸いです。

 以上の考察からも、反対派の言説に惑わされたサンクチュアリ教会がいう「6マリヤ」などは存在せず、ましてや、反対派がいう「血分け」なるものはあり得ないのです。

―以上―