2015年10月30日掲載の「真のお母様の『無原罪性』-『血統転換、私は母胎からなのです』の意味について」の補足説明⑤
肉的堕落とは、サタン側への“血統転換”である― アダムとエバは堕落するとき、いつの時点で、サタンの血統に連結したのか?

(文責:教会成長研究院)

 

(1)霊的堕落の時点では、エバは“サタンの血統”に連結されていない

 真のお父様が、「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられるように、夫婦関係は横的愛の関係であり、血統はつながりません。

 霊的堕落は、天使長とエバの“偽りの夫婦関係”であり、その血統はつながらないのです。それゆえ、霊的堕落した後も、エバはアダムと共に“エデンの園”の中にいたということを知らなければなければなりません。
 そして、たとえエバが霊的堕落をしたとしても、アダムが堕落したエバの誘惑に惑わされずに、その後、成長期間を全うし完成したならば、“完成したアダム”によって、エバに対する「霊的堕落のみの時の救済摂理」(再創造の摂理)がエデンの園においてなされることが可能だったのです。
 それゆえ、聖書(創世記3章)の記述で分かるように、“失楽園”とは肉的堕落の後において起こった出来事であることを明確にしておかなければなりません。

 すなわち、『原理講論』に、「エバが(霊的)堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であったはずである」(111ページ)と論じられているように、エバが霊的堕落した後においても、アダムが完成したならばエデンの園”の中においてエバに対する「再創造」の摂理が展開されていくようになっていたのです。
 さて、「肉的堕落」の問題によって、人間(堕落したアダムとエバ)は“サタンの血統”に連結するようになりました。真のお父様は、次のように語っておられます。

 「長子(アダム)が庶子のようになりました。血筋が変わりました。本然的な愛を通して神様の血統を受け継ぐべきでしたが、堕落することによって他(サタン)の血筋を受け継ぎました。だからといって、神様は捨てることができません。これは、庶子のようです。野生のオリーブの木です」(八大教材・教本『天聖經』186ページ)

 この御言で分かるように、「肉的堕落」によって、初めて血筋(血統)が変わって、“サタンの血統”に連結するようになったのです。
 では、どのような経路をたどることで、“サタンの血統”に連結するようになったのでしょうか?

 

(2)霊的堕落の時点でなされる、エバに対する「再創造」の摂理

 まず、天使長ルーシェルとエバの間で「霊的堕落」が起こりました。天使世界の「愛の基」であったルーシェルは、後から創造されたアダムとエバが、神様からより多く愛される姿を見て「愛の減少感」を感じ、愛されたいという自己中心的な欲望、すなわち“偽りの愛”によってエバを誘惑しました。エバは、その偽りの愛に逆主管され、「取って食べてはならない」(創世記2・17)という神の戒めを破って、天使長ルーシェルと不倫なる霊的性関係を結んでしまったのです。これが霊的堕落です。
 真のお父様は、愛と所有権の問題について、次のように語っておられます。

 「創造理想の中では愛は所有を決定するようになります。愛の関係を結べば、その愛を中心に主体と対象は必ず互いの所有権を持ち合うようになるのが原理です」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』440ページ)

 「愛の関係を結べば……互いの所有権を持ち合うようになるのが原理」とあるように、霊的堕落したエバは、天使長と“偽りの愛の関係”を結ぶことで、神の愛の主管圏から逸脱して、サタンの“偽りの愛の主管圏”に落ちてしまったのです。これを言い換えると、エバは「真の生命」から「偽りの生命」になったということになります。
それゆえ、霊的堕落したエバは、その後において、完成したアダムによってなされる「再創造の路程」を歩むことで、霊的堕落によって生じた“罪”を清算し、神の愛の主管圏へと“復活”しなければなりません。それが、長成期完成級からの「七年路程」ということになります。

image001 「霊的堕落のみの時の救済摂理」(完成したアダムによるエバの再創造)の概要は、次のようになっています。
 まず、【図1】を見ると分かるように、霊的堕落をしたエバは、神様とアダム、そして天使長という3者間に対する“罪責”をもっています。
 この3者間に対する“罪責”を清算することで、霊的堕落をしたエバは本然の立場へ戻っていかなければなりません。
 『原理講論』に、「本来の位置と状態から離れた立場から原状へと復帰するためには、それらから離れるようになった経路と反対の経路をたどることによって蕩減条件を立てなければならない」(276ページ)とあるように、反対の経路によって“霊的堕落の罪”を清算しなければなりません。それゆえ“反対の経路”をたどって清算すべきエバの“罪責”は、次のようになっています。

  • ①まず、堕落エバは、神様に対して罪を犯しました。蘇生期、長成期の期間まで、神様の愛を受けて育っていたのが「神の娘」としてのエバです。神の愛を裏切って霊的堕落をしてしまったエバは、神様に対して罪を犯した罪責をもっています。
  • ②第二に、堕落エバは、アダムに対して罪を犯しました。本来なら、エバは、アダムと結婚すべき約婚期間中でした。そのアダムを裏切り、他の男(天使長)と不倫関係を結んだので、アダムを裏切った罪責をもっています。
  • ③第三に、堕落エバは、ルーシェルに対しても罪を犯しました。本来、エバは、天使長を神様の愛で主管しなければなりません。ところが“偽りの愛”に逆主管されて堕落したので、自らの責任分担を果たせず、天使長に対しても罪を犯した罪責をもっています。

 このように、霊的堕落したエバは、3者間に対してもつ“罪責”を清算しなければならないのです。
 ところで、エバが霊的堕落したとき、アダムは成長期間の途上の「長成期完成級」でした。それゆえ、アダムは責任分担を全うして「完成したアダム」にならなければなりません。すなわち、アダムは、完成期の7年路程を通過して、完成したアダムになる必要があるのです。

 「1960年度から七年路程を経て1968年に心情一致圏を中心とした『神の日』を定めることができるようになったのです。お母様も長成期完成級から完成期完成級まで七年路程が残っているのです。そうしなければ心情圏が同じにならないのです。それゆえ先生は1960年に結婚しましたが、七年を経て1968年の1月1日に『神の日』を定めたのです。原理的なのです」(八大教材・教本『天聖經』1155ページ)

 この御言は、エデンの園で「完成期」を通過してなされる“エバに対する再創造”を言い表しています。ここで「七年路程」について語っておられますが、霊的堕落の問題が起こったとき、未完成期(長成期完成級)にいたアダムは、残された七年路程を通過して「完成したアダム」になり、そして霊的堕落をしたエバに対する救いの摂理(再創造の摂理)がなされるのです。

 「エバが堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であったはずである」(『原理講論』111ページ)

image002 では、エバに対してどのような救いの摂理がなされるのでしょうか。【図2】を見ると分かるように、未完成期のアダムは、残された「七年路程」の成長期間を、神様のみを見つめて通過し、完成したアダムにならなければなりません。完成したアダムになったなら、御言を天使長に伝え、天使長を神様の愛によって主管しなければなりません。
 こうして、アダムが責任分担を果たして完成したなら、その基台の上で、霊的堕落したエバを再創造して、その“罪責”を清算する摂理がなされるのです。その概要は、以下のようになります。

  • ①まず、堕落したエバは、神様の愛を裏切ったゆえ、今度は神様から見捨てられたかのような立場、すなわち「霊的死のような境地」を通過したとしても、今度は神様を絶対に裏切らず、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、「神の娘」として勝利して、神様を裏切った罪を清算しなければならない。
  • ②二つ目に、堕落エバはアダムを裏切ったゆえ、神の御旨のため一心不乱に歩むアダムの前に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てなければならない。特にアダムが完成期の七年路程を神様のみを見つめて歩むとき、エバを無視するかのような状況が起こっても、その期間、それでもエバはアダムを信頼し、絶対に裏切らない基準を立てることで、アダムを裏切った罪を清算しなければならない。
  • ③三つ目に、堕落エバは神様やアダムから愛されず、淋しい立場を通過すると言える。このようなとき、淋しさを埋めようと、再び“不倫の罪”を犯しやすい状況に置かれると言える。しかし、そのような試練をも、今度は絶対に“不倫”をせずに貞操を守り通り、天使長を神の愛によって主管して越えていくことで、エバは天使長に対して犯した罪をも清算しなければならない。

 このように、アダムが完成して三天使長を主管し、さらには、エバが3者間に対して犯した罪を清算する道を通過したなら、エデンの園における「霊的堕落のみの時の救済摂理」(エバの再創造)は完成するようになっていました。これらは、すべてエデンの園で行われる摂理である点に留意する必要があります。
image003 そして、本然の位置に戻ったエバは、アダムと三大王権(家庭的四位基台)を築いていくようになります。その場合、【図3】を見ると分かるように、自己の位置を離れていた天使長ルーシェルが本然の位置に戻り、そうして三天使長が神様の三大王権の確立のために善なる協助をしなければなりません。
 真のお父様は、「信仰の子女が自分の直系の子女に腹中から侍り、それと一つになった立場に立たなければ、三天使長の協助によって神様がアダムを創造なさったのと同じ立場には立てません。三人の信仰の子女が、腹中から直系の子女に侍り、子女が結婚するまで力を尽くして、すべてのことを協助する伝統を立てなければ、絶対に完全復帰はできません。……アダムとエバを、天使長が教育するのと同様に、先生の息子、娘はこの三家庭と36家庭が教育するのが原則なのです。本来、36家庭の三人の息子は、先生の縦的基準に連結しなければなりません。それゆえ、金元弼は聖進の責任をもち、劉孝元協会長は喜進の責任をもち、金榮輝協会長が孝進の責任をもち……カインとアベルが一つとなって、先生の息子、娘に侍らなければならないのです」(『真の父母様の生涯路程④』71~75ページ、133ページ)と語っておられますが、これは本来なら、すべてがエデンの園で行われるべきはずの摂理的な内容を意味する御言なのです。

 

(3)「霊的堕落のみの時の救済摂理」を成就すれば、神の血統が繁殖していた

 さて、真のお父様は、生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(『平和神經』28ページ)と語っておられます。
 真のお父様は、神の血統の連結について、それは「真の愛は直短距離を通る」として、第39回「真の神の日」の御言で、次のように語っておられます。

 「43日間、霊界に行って闘っていたその時は、神様までもサタンに、『文総裁をたたきつぶしなさい。』と言うのです。それが43日間続きます。『文総裁が後退しなければならない。』と言うのです。五大聖人、神様、サタンまで、すべて反対しました。文総裁が『これ(血統)しか原因がないではないか?』と言う時、神様も『そうだ。』と言えば、すべて終わるのです。……(ところが)すべてが反対なので、それもできません。……真の父母になるべきアダムとエバが誤ったので、真の父母がこれを引っ繰り返さなければならないではないですか? ですから、死地に行って本当に難しいときは、先生で言えば、『神様と真の父母の愛の定着地がどこですか?』と、いくら祈祷しても教えてくれません。祈祷して、祈祷して、その祈祷の度数が満ち、疲れ果てて倒れ、サタンが『もう文総裁は、すべて終わった。』と言って逃げていく、その間に教えてくれたものが何かといえば、『真の愛の道は、直短距離を通る。』という一言でした。真の愛は、直短距離を通るのです。その直短距離というものは、どこですか? 上に神様の愛の道があれば、直短距離は89度でもだめであり、91度でも直短距離になりません。直短距離は、ぴたっと90度以外にはないのです。……真の愛は、横的な面に行く愛も90度に合わせなければならず、縦的に下りてくる愛も、神様の愛も、人類の真の父母の愛も、縦横を通って90度の点に定着することを(神様が)教えてあげようとしたことを、先生はすぐに分かりました。『分かりました。』と言って、解いていくのです。……1度だけ角度が生じてもパンクします。それは不合格品でしょう。……『真の愛の道は直短距離を通る。』というその一言が、どれほど福音か分かりません。根本問題を解決したのです(2006年1月1日)

 真のお父様は「真の愛は直短距離を通る」として、それは縦的に下りてくる神様の“真の愛”と、横的な面を行くアダムとエバの“真の愛”が、縦横90度に交わる場所こそが「直短距離」であり、その一点において「真の愛」が定着すると語っておられます。
 真のお父様は、その「定着点」に関して、四大心情圏の定着点とは、夫婦の愛が交わる“初愛の場所”であると語っておられます。

 「堕落することによって、男女の生殖器がこのよこしまな死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮になったために、天道を破綻させた魔物になったために悪いものになりました。これが今まで歴史に隠された秘密でした。堕落していなければ、男性と女性の生殖器は、愛の根本であり、愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮になるのです。そこで縦的な神様の愛、横的な真の父母の愛が一つにならなければなりません。真の愛は直短距離を通るために、横的な人間、アダムとエバの愛も直短距離を通る道は、90度の道しかないのです。そして、ここ(初愛の場所)で一つにならなければなりません。ここで爆発して、アダムとエバが神様と生命一体、愛一体、血統一体、このように和合した喜びとともに爆発して、蘇生するところから生まれるべきなのが私たち人類です。これがアダムとエバの子女になることであり、神様の孫になることです。そうなっていれば、なぜ地獄に行くのですか。宗教に何の必要性がありますか。そのままそのように生きれば、すべて天国に行くのです」(八大教材・教本『天聖經』1664~1665ページ)

image004 「真の愛は直短距離を通る」の図を見れば分かるように、「真の愛」の主体であられる神様を中心に、「真の生命」をもつアダムとエバが結婚し、横的に一つになる初愛のとき、そこに神様が90度の角度で垂直(直短距離)に下りてこられ、その場に臨在され、「神の血統」(真の血統)が生じるというのです。このようにして、人間始祖が肉的堕落をしなければ、全人類は、完成したアダムと再創造されたエバによって、“神様の血統”としてこの地上に殖え広がっていたのです。
 これが、真のお父様が、平和メッセージにおいて、生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです(『平和神經』28ページ)と語っておられる内容です。
 また、真のお父様は、次のようにも語っておられます。

 「生命を見ましたか? 生命に触ってみましたか? 生命体は見えるけど、生命は分かりません。触ってみることはできません。血統もそうです。血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。そして、精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(「ファミリー」1995年3月号、22ページ)
 「皆さんが父母から受け継いだ命は、父の精子と母の卵子を受け継いだところから出発したのです。その卵子と精子が一つとなったところに、愛によって根が生まれて発生したのが、皆さんの子女です」(「ファミリー」2007年3月号、7ページ)

 真のお父様は、父母から子女への生命の連結、すなわち「血統」に対して、それは愛を中心として精子と卵子が一つとなることから出発したと、生理学的に述べておられます。ただし、精子と卵子の生理学的次元の指摘だけでなく、さらに深く考察され「愛によって根が生まれて発生した」と“愛”を強調しておられます。
 血統の連結について考えるとき、“愛によって根が生まれるという概念が極めて重要です。すなわち、神の血統に連結するのか、サタンの血統に連結するのか、という問題は、この愛によって根が生まれる”という「根」について認識しなければなりません
image005 右の図を見ると分かるように、肉的堕落がなければ、神様の“真の愛”を中心として“真の生命”であるアダムとエバが「初愛」の時を迎え、そこに90度の角度で神様が降りて来られて臨在されるなか、そこに新しい生命体が誕生することで、“神の血統”が連結するようになるのです。
 これが、すなわち、生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです(『平和神經』28ページ)という意味です。
 神様の“血統に連結する”という問題は、血統の出発点となるこの“愛によって根が生まれる”という「根」ついて認識しなければなりません。つまり、愛の根”となるものが、神の愛なのか、それともサタンの愛なのかという問題です。

 エデンの園で、アダムが肉的堕落をせずに完成したアダムとなって、「霊的堕落のみの時の救済摂理」すなわちエバの再創造を成し遂げていたなら、図にもあるように、神様の“真の愛”を中心に完成したアダムと、本然の位置に立ち戻り“真の生命”に復活したエバとが結ばれ、そこに、新たな生命体が生じることで“真の血統”(神の血統)が繁殖していくようになっていたのです。この場合に、血統の出発点となった“愛の根”となるものは、神様の真の愛なのです。

 

(4)「霊的堕落のみの時の救済摂理」の失敗と、「肉的堕落」

 それゆえ、本来なら、『原理講論』に「エバが堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら」(111ページ)とあるように、アダムは霊的堕落したエバを相手にせず、まず成長期間(七年路程)を全うし、完成したアダムとならなければなりませんでした。
 しかし、アダムは、そのような道を行かずして、霊的堕落したエバに逆主管され、「肉的堕落」の罪を犯してしまったのです。
 この「肉的堕落」は、平面的に見れば、男女の愛の関係のように見えます。つまり、霊的堕落のときと同様に、それは“偽りの夫婦関係”であり、その血統はつながらないように思われます。しかし、これは、ルーシェルの“偽りの愛”を動機として始まった一連の「堕落行為」が、サタンを中心として、アダムを“堕落の実”として生むという行為になってしまったのです。
 前述した御言に、「愛の関係を結べば、その愛を中心に主体と対象は必ず互いの所有権を持ち合うようになるのが原理です」(『祝福家庭と理想天国(1)』440ページ)とあるように、アダムは、堕落したエバに逆主管されて肉的堕落をすることで、堕落した天使長の“妾”のような立場である、(すなわち、堕落した天使長がその“所有権”を主張している状況下にいる)エバを通じて“サタンの偽りの愛”の主管圏に落ちました。それゆえ、サタンは、アダムの「所有権」をも主張できるようになったのです。
 『原理講論』に、「不倫なる貞操関係によって天使長と一体となったエバは、アダムに対して、天使長の立場に立つようになった。……エバは自分を誘惑した天使長と同じ立場で、アダムを誘惑したのである」(110~111ページ)とありますが、これはエバの背後にあって、堕落した天使長が偽りの愛の〝所有権〟を主張している状況を意味しているものと言えるでしょう。
image006 【図4】を見ると分かるように、アダムは、堕落エバを通じてサタンの愛の主管圏に落ちることで、結果的に“サタンの息子”(庶子)の立場に生まれ変わったことになり、偽りの愛の主管圏内にいるそのアダムの所有権をもサタンが主張する結果をもたらしたのです。
 すなわち、偽りの愛の関係を結ぶことによって「所有権」(主管圏)が移動したこと、これが、サタン側への“血統転換”ということになります。アダムは「肉的堕落」することで、神の愛の主管圏から、サタンの偽りの愛の主管圏へと生み変えられたのです。
 すなわち、肉的堕落によって、神様の息子(独生子)の立場から、サタンの“息子”(庶子)になってしまったのです。それゆえ、「肉的堕落」とは、サタン側への“血統転換”なのです。また、妾のような堕落エバを通じて生み変えられたため、それは「庶子」というわけです。前述の「血筋が変わりました」という御言は、このこと(悪なる血統転換)を意味しているのです。

 それゆえ、「肉的堕落」とは、単なる夫婦関係ではなく、エバを通じてサタンとアダムの間に“偽りの父子関係を結ばせたことに他なりません。同時にそれは、アダムを生み変える役割を果たした堕落エバも、言わば“悪なる母子協助”をすることで、アダムを生み変えるという“母親の機能”(役事)を果たしており、そこにも“偽りの親子関係を結ばせる結果をもたらしました。
 すなわち、図を見ると分かるように、この一連の堕落行為は、サタンの“偽りの愛”を動機として始まり、“神の戒めを破る”というかたちで結実して、その偽りの血統の出発点である“偽りの愛の根”を生じさせ、アダムもエバも共に神の愛の主管圏から逸脱し、サタンの主管圏へと生み変えられたこととなったのです。

 真のお父様は、「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり夫婦関係は血統的につながりません(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられますが、「肉的堕落」とは、結果的にサタンとアダムの間に“偽りの父子関係”を結ばせ、同時に、エバとアダムの間にも“偽りの親子関係”を結ばせる結果をもたらしたために、その“偽りの父子関係”によって、堕落したアダムとエバは偽りの愛を中心として、サタンの偽りの生命として“サタンの血統”に連結するようになったのです。
 イエス様が、悪魔に対して「彼は偽り者であり、偽りの父である」(ヨハネ8・44)と語っておられる御言は、まさにこのことを言い表した御言なのです。

 真のお父様は、「千代万代後孫が罪人になる善悪の実とは何でしょうか。これは血統的関係です。血統的に罪の根を植えておけば、遺伝の法則によって永遠に続くのです。そうであり得るのは愛の問題だけです。誤った愛が堕落の原因です」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』435ページ)と語っておられますが、人間始祖アダムとエバの「初愛」の問題は、人類の出発点となる“愛の根”に対して、それが神様の愛”を根とするのか、それとも“サタンの偽りの愛”を根とするのかによって人類の“血統”を決定してしまう結果を生じさせるという、「人間始祖」として特別であり、かつ重要な問題であったということです。
 偽りの関係であったとしても、この“偽りの父子関係”という縦的愛の関係性を成立させることで、肉的堕落後の人間始祖アダムとエバは、サタンの血統に連結するようになりました。

 すなわち“悪なる血統転換”とは、夫婦関係によって生じたのではなく、どこまでも「親子関係」(父子関係)を生じさせることによって起こった出来事だったのです。真のお父様は、次のように語っておられます。
 「不倫な淫行関係によってエバは天使長と一つになり、アダムもまた、天使長と一つになったエバと一つになることによって(生み変えられ)、アダムとエバは結局、神様を中心にしたのではなく天使長を中心にした夫婦関係を結び、家庭を築くようになりました。そのためアダムとエバの後孫であるすべての人間はサタンの血(血統)を受け継ぐようになったのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』439ページ)
image007 この図を見ると分かるように、サタンの“偽りの愛”を中心に、“偽りの生命”に生み変えられたアダムとエバが交わり、そこにサタンが臨在する中で、新たな生命体が生じることによって“偽りの血統”が繁殖するようになったのです。この場合、“愛によって根が生まれる”という、その「根」はサタンの偽りの愛なのです。

 『平和神經』に、「生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(28ページ)とありますが、これが、サタン側に悪用されることで、堕落人間は“サタンの血統”に連結するようになりました。サタンの血統の連結について、それを「愛」と「生命」と「血統」の概念で表現するとすれば、次のようになるでしょう。
 偽りの生命と偽りの愛が合わさって創造されるものが偽りの血統です。これらのうち、偽りの生命がなくても、偽りの愛がなくても偽りの血統は創造されません。偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統のうち、その実りが偽りの血統なのです」

 結局、人間始祖の堕落の問題が、霊的堕落という“偽りの夫婦関係”の段階でとどまっていたなら、そして、エデンの園で「霊的堕落のみの時の救済摂理」がなされてエバが再創造されておれば、人間がサタンの血統に連結されることはなかったのです。しかし、肉的堕落が起こることによって、霊的堕落したエバが、アダムを“偽りの生命”に生み変え「天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落」(天一国経典『平和經』908ページ)することで、失楽園が発生し、人間始祖アダムとエバは、サタンの血統に連結されたのです。すなわち、肉的堕落とはサタンを中心とした“悪なる血統転換”だったということです。

 それゆえ、私たちは、聖酒式や祝福式、および三日行事(三日式)等を経て、サタンの血統から神の血統へと転換するとき、祝福を受ける女性は、再臨主(真の父)の前に唯一なる正妻であられる「真の母」の勝利圏を譲り受け、それを相続することで、言わば“霊的妾”のような立場に立つことができるので、天使長の立場にいる祝福を受ける男性を生み変えるという“母親”の役割を経、血統転換の役事をしている事実を知らなければなりません。
 そして、神の血統に転換された祝福家庭は、真の父母様と父子関係”(親子関係)を結ぶことで、人間始祖の立場の真の父母様から始まる神の血統”に連結されるのです。

 真のお父様は、「真の父母の血族にならなければなりません。血統が連結されたものは、父子関係です。真の父母の真の子女にならなければなりません。それが祝福家庭です。アダム家庭で堕落してこのようになったので、反対にひっくり返したのが祝福家庭です」(天一国経典『天聖經』929ページ)と語っておられます。
 このように“祝福結婚”を通じて生み変えられた祝福家庭は、真の父母様と「父子の関係」(親子関係)を結ぶことによって、神の血統につながっているのです。すなわち、このお父様の御言に、「血統が連結されたものは、父子関係です。真の父母の真の子女にならなければなりません」とある通りなのです。
 以上の内容を見れば、血統転換の役事において、反対派の言ういわゆる「6マリヤ」などは存在せず、「血分け」なども存在する余地は全くないのです。

 現在、真のお母様の「独生女」に対して批判をしているサンクチュアリ教会側の人、および「独生女」に対し理解を示さない方々の場合、夫婦関係によって血統がつながるかのように勘違いをしているのであり、上述してきたように、真のお父様が強調して語っておられる、父子関係を結ぶことが“血統連結”の重要なポイントであるという点が、理解されていないと言えるでしょう。

 最近、亨進様をはじめサンクチュアリ教会では、「精子神学」と銘打って、次のように論じます。「再臨のキリストはメシヤ、新郎です。……堕落した汚い子宮が神様の精子によって清められなければなりません。……すべてのエバたちが、新郎から神様の精子を受けることによって神様の血統になるのです。そうすることによって血統転換され、天一国になるのです」(2015年12月6日)

 このような主張は、反対派が語ってきた「血分け」の論理と同じものです。この“夫婦関係”によって血統が転換されるかのように述べる言説は、真のお父様が語られた御言や祝福を通して行われてきた血統転換の儀式の内容と全く異なっており、一致していません。
 真のお父様は、血統が連結されたものは、父子関係です。真の父母の真の子女にならなければなりません。それが祝福家庭です。アダム家庭で堕落してこのようになったので、反対にひっくり返したのが祝福家庭です」(天一国経典『天聖經』929ページ)と語っておられます。

 血統転換は、あくまでも「真の父母」によってなされる役事なのであり、「真の父」と「真の母」のお二人によって人類は生み変えられ、その子女となることで、人間始祖である真の父母様と“父子関係”を結ぶことでなされているのです。
 「精子神学」などという、真のお父様の御言と一致せず、教義から完全に逸脱したことを平然と述べるサンクチュアリ教会に、真のお父様が行われてきた祝福結婚を通しての血統転換による救いはなく、真のお父様はおられません。彼らは、その事実を明確に悟るべきでしょう。

― 以上 ―