注、真の父母様のみ言および家庭連合の公式発表は「青い字」で、UCI(いわゆる「郭グループ」)側の主張は「茶色の字」で区別しています。
すでに明らかにした「いわゆる『文仁進様の米国総会長任命事件』の真相について」では、金鍾奭著『統一教会の分裂』が「文仁進米国総会長任命事件」(107ページ)と呼ぶ記載内容が、いかに〝虚偽〟に満ちたものであるかを暴きました。今回は「米国教会理事会乗っ取り未遂事件」にかかわった当事者たちの〝証言〟をもとに、『統一教会の分裂』が述べる「文仁進の不法理事会変更」(151ページ)に関する真相を明らかにし、UCI側の主張の〝虚偽〟を明らかにします。
2008年7月29日、真のご家庭の三女の仁進様が、真の父母様の指示によって米国家庭連合の総会長の人事発令を受け、同年8月14日、同連合の「米国総会長」に就任しました。そして、8月21日、仁進様は米国総会長の職権によって米国教会の理事会役員を変更しました。このことに対して、『統一教会の分裂』は「文仁進の不法理事会変更」(同)と述べています。
しかしながら、梁昌植氏がお父様の指示事項などを整理した「2009年3月8日、束草報告書」に、米国教会の理事会は「法律による法的権限は理事会が持つ」(14ページ)とあるように、仁進様はそれに基づいて理事会役員を変更したのであり、仁進様が「不法理事会変更」をした事実はありません。
ただ、「理事ひとりひとりを任命したり交替するには必ずお父様の事前許可が必要」でしたが(注、梁昌植氏の同報告書)、そのことを仁進様は「知らなかった」(同)という経緯がありました。しかし、最終的に、仁進様は「お父様の許可を受けた理事陣」を中心に理事会を運営しておられたのです。
ところが、顯進様は、これを「不法理事会変更」であると思い込み、「元来どおりに理事会を戻す」(『統一教会の分裂』145ページ)ための理事会を招集するようにしました。しかし、6対5の票決によって理事会の開催自体が中止となりました。顯進様が理事会を開催しようとしたこの事件こそ「米国教会理事会乗っ取り未遂事件」なのです。
(1)〝虚偽〟に基づく金炳和氏の声明文
事件当時、米国教会理事会の理事の一人で元北米大陸会長であった金炳和氏は、2017年10月16日に「真実の前に沈黙を破って」と題する声明文を発表しました。その内容は「顯進様の真実」というサイトにも掲載されています。
金炳和氏は、この声明文で次のように述べています。
「顯進様は2009年2月、お父様の命を受けて世界巡回に発つ前、アメリカ教会の理事会を招集し、理事を本来のメンバーに戻そうとされました。私も当時、アメリカ教会の理事だったので、2009年2月26日に開催された臨時理事会に参加することになりました。ところがこの会議は、最終的に國進様と亨進様、仁進様の反対により無効となりました。……2月26日、理事会が無効になった直後、私たち夫婦は顯進様に侍って束草に最初に到着し、お父様にお会いし、理事陣復帰のためのこれまでの経緯を報告しようとしましたが、お父様は他からすでに知らせを聞いておられたのか、一切報告を聞こうとしませんでした。結局、この対立は繕(つくろ)われないまま、顯進様は翌日の2月27日、GPFの世界ツアーのために日本に出国されました」(5ページ。注、太字ゴシックは教理研究院による)
しかし、この説明は事実と異なる〝虚偽の証言〟です。
① 顯進様は「2月27日、日本に出国」したという〝虚偽〟
金炳和氏は、顯進様は世界ツアーのために「2月27日」に「日本に出国」したと述べていますが、実際は、顯進様は「2月28日」に「日本に出国」しています。
マルスム選集608巻258ページに記録されているように、2009年2月27日(金)午後5時から天情苑で「真の父母様主管、特別会議」(注、教理研究院の訳による。以下同じ)が開催され、お父様は次のように指示しておられます。
「万王の王神様解放権戴冠式が終わった次に、大会をしなければなりません。……3月1日からアベルUNを中心として、分捧王を中心として、その国の王となる人全体が集まり、総会をしなければなりません」
「皆さんが一週間、(原理本体論を受講)するようになれば、私が一週間、講義を聞こうと思います。教育するのがいいですか。しないのがいいですか? 返事! 亨進、國進!(「はい、教育するのがいいです」)いい? 顯進もいいの? 先生が教育を受けようとするならば、あなたたちも一緒に受ける?(「はい」)では、明日、明後日(3月)1日から正式プログラムを組みます。ここにいる人たちみんな、一人も抜けることのないようにしなさい」(マルスム選集608-269)
同日午後8時から原理本体論の講義があり、お父様は「顯進!(「はい」)(講義の)感想を一度、話してみなさい」(同、608-275)とも語られました。
ご子女様たちは3月1日から始まった第6回「神様の摂理史の責任分担解放圏完成宣布教育」に参加しました。ところが、顯進様は、翌日の2月28日に日本に出国し、お父様が指示された3月1日のアベルUNを中心とした総会や原理本体論教育には参加しなかったのです。
当初、顯進様は、「日本大会(2月27日~3月1日)を皮切りに……主要国家を巡回する予定」(『統一世界』2009年3月号103ページ)でしたが、実際の日本大会は「2月28日~3月1日」(『中和新聞』2009年3月号12ページ)に変更して実施しました。
お父様は、3月8日のいわゆる「束草事件」のとき、次のように語っておられます。
「顯進、あなたが大会を行なったのですが、どこで行ったの?……日本大会をするとき、あなたが成功裏に終えたと言い、『マニラに行く』と私に電話したでしょう? 私は何の話もしませんでした。『早く戻って来なさい』と言ったよ。マニラになぜ行くのかと聞かなかったのです。……(お父様が)『早く戻って来なさい』と言ったとき、(顯進様が)『早く戻る』と言っておいて、どうして遅らせるの?」(マルスム選集609-127)
このように、顯進様は3月1日の日本大会を終えた後、フィリピンに行く前にお父様に電話したとき、お父様は顯進様に対して「早く戻って来なさい」と語られ、顯進様を待っておられたのです。
しかし、顯進様はすぐには戻らず、3月1日から始まった1週間の原理本体論教育が終わった翌日の3月8日、いわゆる「束草事件」の早朝の訓読会に途中から参加されました。お父様はそのような顯進様の〝不従順〟な行動に対して叱責されたのです。
金炳和氏が、理事会開催日を米国時間の2月26日にして〝ごまかそう〟とする理由は、お父様が2月27日に語られたみ言に対し、顯進様がことごとく反する行動を取っている事実を隠蔽したいためと考えられます。そのため、米国教会の臨時理事会が2月26日であるように述べ、そして2月27日には日本へ出国したように見せかけているのだと思われます。
金炳和氏は、声明文で、顯進様が「2月27日」に「日本に出国」したと述べますが、それは事実と異なった証言なのです。顯進様は「2月28日」に韓国から「日本に出国」しているのです。
②「米国臨時理事会」は、実際には韓国時間の「2月27日に開催」
前述したとおり、金炳和氏は、声明文で米国教会の臨時理事会が「2009年2月26日に開催された」と述べています。しかし、梁昌植氏は「2009年3月8日、束草報告書」で、次のように報告しています。
「2月27日(米国時間2月26日)朝、韓国に入国された顯進様は束草におられた父母様にお目にかかる前に、(韓国の)マリオットホテルに留まりながら国際電話を通じて米国教会の理事会を招集した」(15ページ。太字ゴシックは教理研究院による)
上記の内容を総括し、顯進様の行動を整理すると、次のようになります。
「2月27日午前:韓国のマリオットホテルから国際電話で米国教会の臨時理事会を開催
2月27日午後:韓国の束草に到着
2月28日午後:韓国から日本に出国」
金炳和氏が声明文で述べている、米国教会の臨時理事会が「2月26日に開催された」という説明は〝ごまかし〟があり、これは束草に行く直前、米国時間にすれば「2月26日に開催された」というものであり、実際には韓国時間の「2月27日」なのです。このように、金炳和氏の声明文には、事実をごまかして述べるという〝虚偽〟が含まれています。
(2)『統一教会の分裂』は、食い違う〝虚偽の証言〟で綴られた書籍
①食い違う「K氏の証言」
『統一教会の分裂』は、次のようなK氏の証言を掲載しています。
「K氏の証言」(123ページの脚注)によれば、「理事会騒動が起きた直後、文顯進は韓国に立ち寄り創始者(注、お父様)に会って苦境に立たされた。……『何故、理事会を全て替えたのか』……『お前が米国の責任者なのに、何もしなかったとは何ごとか。もう一度、全て替えろ』と(お父様は)指示した」(注、太字ゴシックは教理研究院による)としています。
ところが、「文顯進前補佐官K氏の証言」(147ページの脚注)によれば、理事会騒動が起きた直後、「他の兄弟より早く束草に到着した文顯進は金炳和と共に創始者に経緯を報告しようとしたが、創始者は完全に耳を閉ざしていた。霊界の指示のみに従うという意味深長な言葉を残した」(146~147ページ)とあり、前補佐官K氏の「創始者は完全に耳を閉ざしていた」という説明は金炳和氏の声明文と類似します。
「K氏の証言」は、「理事会騒動が起きた直後、文顯進は韓国に立ち寄り」とし、顯進様が米国におられたとき騒動が起き、直後韓国に寄ったかのように述べ、さらにお父様が「何故、理事会を全て替えたのか」「お前が米国の責任者なのに、何もしなかったとは何ごとか。もう一度、全て替えろ」と指示したとしているにもかかわらず、「文顯進前補佐官K氏の証言」では「創始者は完全に耳を閉ざしていた。霊界の指示のみに従うという……言葉を残した」と述べており、両者の証言は食い違うものになっています。
②「仁進様就任以後の改編によって除外された」という人物名の食い違い
『統一教会の分裂』を見ると、「金炳和氏の緊急報告文」によれば「仁進様就任以後の改編によって除外されていた(理事は)金起勲、朴ジョンヘ、フィリップ・シェンカーなどの3人」(144ページの脚注)であると述べています。
ところが、「当時、文顯進に随行していたK氏の証言」(『統一教会の分裂』124ページの脚注)によれば、仁進様就任以後の改編によって除外された理事は、「金炳和、パク・ジョンヘ、フィリップ・シェンカーなど3人」は復帰させなかったと述べています。
「金炳和氏の緊急報告文」と「当時、文顯進に随行していたK氏の証言」とでは、除外された人物名が食い違っているのです。
このように、『統一教会の分裂』は、食い違う内容であっても、平然と記しており、これは事実関係と〝真偽〟を検証せず、証言をただ鵜呑みにし、それらの情報を垂れ流しにするという〝無責任〟な内容と言わざるを得ません。
(3)櫻井正上氏は〝虚偽〟に基づく金炳和氏の証言に騙されている
①「お父様の指示と世界本部の指示が『違って』いた」?
櫻井正上氏は、その著書『真実を求めて』で、次のように述べています。
「仁進様の人事が『お父様の人事でなかった』ことは、後に、当時の米国大陸会長が明かしています。……お父様の指示と世界本部の指示が『違って』いた」(37ページ)
しかし、この当時の米国大陸会長である金炳和氏の証言は〝虚偽の主張〟です。
いわゆる「文仁進様の米国総会長任命事件」については、既に「真の父母様宣布文サイト」にその真相を明らかにしています(https://trueparents.jp/?page_id=4514)が、それを簡潔に述べると、仁進様は「2008年7月29日、真の父母様の指示」によって家庭連合の「米国総会長」として正式に人事発令を受け、同年8月14日に就任したのです。
また、2009年2月24日付で、世界宣教本部(当時)は公文を発信し、そこには、「全ての組織は真の父母様の指示を受け、文亨進世界会長が総括する」とあり、右のような図表が添付されています。
『統一教会の分裂』は、この図表に対し、これは「宣教本部側で文顯進を意識し急遽、作った公文」(145ページ)であると述べますが、これは、「真の父母様の特別指示」なのです。
いわゆる「束草事件」が起こった2009年3月8日、お父様は次のようにみ言を語っておられます。
「韓国の外的な仕事を誰が責任持ったの?(「黄善祚会長です」)黄善祚!(「はい」)黄善祚の指揮下にあるの? 文蘭英、女性連合が黄善祚の指揮下にあるの?(「いいえ。女性連合は独立機関です」)そうですが、組織圏内において黄善祚の指揮下にあるのではないの? 梁昌植の指揮下にあるの? 黄善祚の指揮下にあるの?(「文亨進総会長の指揮下に家庭連合と女性連合があり、UPFは独立機関となっています」)組織体制で見れば、亨進の指揮下にすべて(の組織)が入ったのであって、郭錠煥ではないのです。すべて入っていなかったの? 私も入っているのです。私も。私がその上にいると思わないのです」(マルスム選集609-126)
お父様は、「組織体制で見れば、亨進の指揮下に全て(の組織)が入った……私も入っているのです。私も」とまで語っておられます。このように、お父様は「公文の図表」の内容に基づいてみ言を語っておられるのです。
櫻井正上氏の「お父様の指示と世界本部(亨進様)の指示が『違って』いた」という主張は誤っています。公文による人事発令や組織体制は、お父様の指示と完全に〝一致〟しているのです。
櫻井正上氏は、「仁進様の人事が『お父様の人事でなかった』ことは、後に、当時の米国大陸会長が明かしています」と述べますが、前述したとおり、仁進様は「2008年7月29日、真の父母様の指示」によって家庭連合の「米国総会長」の人事発令を受けているのであり、櫻井正上氏は、金炳和氏の〝虚偽の証言〟に騙されているのです。
顯進様は、「真の父母様の特別指示」の公文や図表を見て、「非常に不快な気分を現わし、職権で米国統一教会理事会を召集」(『統一教会の分裂』145ページ)しようとしたのであり、これがいわゆる「米国教会理事会乗っ取り未遂事件」となったのです。
②理事会変更の目的は、「文仁進様の地位を剥奪するため」
櫻井正上氏は、次のように述べています。
「仁進様の人事が『お父様の人事でなかった』」ので、顯進様は「お父様の意向を確認された上で、改めて米国家庭連合の理事会を原状復帰しよう」(『真実を求めて』37ページ)とされた。これが「『顯進様側の理事会占拠』、言わば『クーデター』」(同)として「顯進様の暴挙として報告、お父様が激怒」(同、136ページ)された。そして、「2010年2月3日、顯進様、米国家庭連合理事長解任」(同、137ページ)された。
しかし、これは事実に反する〝虚偽の主張〟に他なりません。
マイケル・ジェンキンス氏は、2010年7月1日の「報告書」で、次のように報告しています。
「(2009年2月27日)我々は国際電話会議により理事会を行いました。……HSA-UWC(米国の世界基督教統一神霊協会)理事長である仁進様が開会宣言をしました。仁進様はお父様の指示に基づいて、理事会に変更を加えないという動議を提出しました。……理事会は6対5の票決により、会合を閉会することを決め、変更が防止されました。……(お父様は)会合の継続(理事会を変更すること)を支持して投票した理事全員に辞任要求通知を出すよう要請され……(彼らは)理事を辞任しました」(4ページ。注、太字ゴシックは教理研究院による)
ジェンキンス氏の「報告書」にあるように、2009年2月27日当時、「文仁進様が米国教会の理事長」だったのであり、2月27日に行われた国際電話を通じての米国教会の理事会は、6対5の票決で、理事会の会合が中止されたのです。このことで、顯進様を支持して投票した5人の理事全員が辞任することとなったのです。
そもそも、顯進様は法的にも実質的にも権限を持った理事ではなかったために、理事会の票決に参加する権限はありませんでした。よって、櫻井正上著『真実を求めて』に「2010年2月3日、顯進様、米国家庭連合理事長解任」と述べていることは事実に反しています。事実は、仁進様が法的権限を持った正式な「米国教会の理事長」だったのです。
お父様は、辞任することとなった理事に対して、次のように語っておられます。
「まず、責任を負った人達がそこ(理事会変更)に加担して、扇動し手を挙げたならば、その手を挙げたこと自体が問題であって、誰が挙げさせるようにしたと言う必要はないのです。……本人自身が問題です! 本人自身が、そのような思想を持っているので、手を挙げたのであって、そのような思想がなければ、手を挙げろと言っても挙げないようにするのです」(マルスム選集609-126)
お父様は、理事会を変更しようとした〝乗っ取り未遂事件〟に対し、「手を挙げたこと自体が問題」であり、「本人自身がそのような思想を持っているので、手を挙げた」と語っておられます。
マイケル・ジェンキンス氏は、前述の2010年7月1日の「報告書」で、次のように報告しています。(注、「報告書」で、顯進様の言葉の部分は「茶色の字」で、お父様のみ言は「青い字」で表記する)
「(2月24日)イーストガーデンの顯進様宅での顯進様とHSA-UWCの代表らとの会合で、……顯進様はお父様の補佐官に電話するよう要求しました。……電話が繋がれ、彼は理事会の変更をしないようにというお父様の願いを確認しました。顯進様はそこに集まった我々に対して、これは心得違いの指導者達がお父様の指示を歪曲しているだけだと告げました。……お父様が間違った情報を与えられた結果として間違った指示が出されたのだと、……(理事会の)変更については後でお父様と話し合うし、自分はお父様の全面的な支持を受けていると言いました。……顯進様は理事会をとにかく開き、自分が要求している変更を実行するよう要求しました」(4ページ)
このように、顯進様は、米国教会の理事会に「心得違いの指導者達がお父様の指示を歪曲している」とか、「お父様が間違った情報を与えられた結果として間違った指示が出されたのだ」と述べ、理事会の「変更については後でお父様と話し合う」と言って理事たちを説得したため、一部の理事たちは顯進様を支持して票決で手を挙げてしまったのです。
そのことに対して、お父様は「手を挙げたこと自体が問題」であり、「本人自身がそのような思想を持っているので、手を挙げた」と語られ、叱責しておられます。理事会の理事たちは、イーストガーデンの顯進様宅で行われた会合の場で、お父様の補佐官に電話をして「理事会の変更をしないように」とのお父様の明確な意向、願いを直接、聞いていたのです。
さらに、梁昌植氏の「2009年3月8日、束草報告書」は、次のように報告しています。
「文亨進会長は世界会長として創始者であるお父様の命令が『現理事会を開かずに束草にまず集結するように命じられた』というお父様の意を伝えながら、『理事会の強行自体が父母様の意に逆らっている』ということを警告しました」(15ページ)
このように、2009年2月27日、韓国で開会された米国教会の理事会の会合で、オブザーバーとして参加した亨進様は、お父様が「現理事会を開かずに束草にまず集結するように」命じられたことを理事たちに伝えています。さらに、亨進様は「理事会の強行自体が父母様の意に逆らっている」とまで警告しているのです。前もってお父様から「理事会の変更をしないように」と伝えられていたにもかかわらず、5人の理事たちは、顯進様を支持して票決で手を挙げたのです。
この事実を知られたお父様は、深刻になられ、お父様の指示に対して背信し〝不従順〟な行動を取ってしまった理事たちを、一旦辞任するようにされました。
ところが、櫻井正上氏は、「顯進様の暴挙として報告」されたから「お父様が激怒」されたのだと勘違いをしています。お父様は、理事たちが「手を挙げたこと自体が問題」だったと語られて、そのことを叱責しておられるのです。
また、マイケル・ジェンキンス氏の2010年7月1日の「報告書」は、次のように述べています。
「自分(注、顯進様)が要求している変更を実行するよう要求しました。……理事会の公式通知は、理事会に投票権をもつ新しい理事を任命することを要請していました。これは復帰ではありませんでした」(4ページ。注、太字ゴシックは教理研究院による)
このように、顯進様が要求していた本当の狙いは、単に「仁進様就任以後の改編によって除外されていた……3人を理事職に再び元通りに復帰」(『統一教会の分裂』144ページの脚注)させるためではなく、「新しい理事を任命すること」すなわち「顯進様が直接理事長になり実際の米国責任者」(同、145ページの脚注)になるための理事会変更の要求だったのです。
これは、米国教会の理事長である〝文仁進様の地位を剥奪するため〟の変更だったのであり、まさしく、顯進様による「米国教会理事会乗っ取り未遂事件」だったのです。最終的には、理事会の票決は6対5となり、顯進様を支持する票は5票にとどまって、乗っ取りは未遂となってしまったのです。
③悔い改めた「理事陣」と、悔い改めなかった「顯進様」
櫻井正上氏は、いわゆる「束草事件」による顯進様の職務停止について、「これらの一連の出来事は即ち、『長子』を潰し、世界摂理を破壊し、統一運動の方向性を見失わせようとする『サタンの業』」(『真実を求めて』38ページ)であり、「顯進様はこれを『天宙史的葛藤』として見つめられた」(同)などと述べています。
しかし、お父様はいわゆる「束草事件」のとき、次のように語っておられます。
「万王の王神様(解放権)戴冠式のとき、顯進が来たの、郭錠煥?……15日、参加したの?(「15日、その時は行事で参加できませんでした」)……そのような重要な時間に自分が抜けたら、自分の息子娘たちがわからないと思うの?」(マルスム選集609-127)
「15日に韓国に来なければなりません。自分の息子娘たちに伝授して生かすために来なければならないのです。そのような重要な会議であるのに、なぜ参加しないのですか? このようなことは話す必要がない! 金起勲を顯進の代身として立てるのです。顯進は勉強しなければなりません」(マルスム選集609-131)
2009年1月15日、お父様は「万王の王神様(解放権)戴冠式」を挙行されましたが、15日の式典に顯進様が参加しなかったことに対して、「15日、参加したの?」「15日に韓国に来なければなりません。……なぜ参加しないのですか? このようなことを話す必要がない!」と叱責されました。そして、お父様は「金起勲を顯進の代身として立てる」ようにされたのです。お父様は、金孝律氏に対して、今回の人事措置について読み上げるように指示され、金孝律氏は「顯進様はUPF会長とGPFから1年間休み……」(同、609-134)とのお父様の指示について述べました。
櫻井正上氏は、米国理事会のこの事件が「顯進様の暴挙として報告、お父様が激怒」され、それが、「顯進様の職務停止を命じる直接的な原因」(『真実を求めて』37ページ)だったと述べますが、お父様は「万王の王神様(解放権)戴冠式」に顯進様が不参加だったことを叱責され、「金起勲を顯進の代身として立てる」という人事措置をされ、1年間の「職務停止」を命じておられるのです。
梁昌植氏の「2009年3月8日、束草報告書」は、次のように報告しています。
「真の父母様の指示を破って顯進様を支持した金炳和大陸会長、ブリッジポート大学総長ニール・サローネン、UTS総長タイラー・ヘンドリックス、BIA校長ヒュー・スパージョンは免職になりましたが、後で各自の悔い改めとともに父母様の特別容赦で、次々と復職して現在も仕事をしています」(26ページ)
このように、真の父母様の指示に反して顯進様を支持した理事たちは、一旦は免職となりましたが、その後、各自が悔い改めたことにより、彼らは父母様からの許しを受けて次々と復職しています。
しかし、顯進様は一連のことを『天宙史的葛藤』という恣意的な観点から見つめ、「『長子』を潰し、世界摂理を破壊し、統一運動の方向性を見失わせようとする『サタンの業』」だと思い込んでおり、それゆえに人類の「真の父母」に対する過ち、および不忠を〝悔い改める〟ことをせず、父母様から許されないままに、結局のところ、真の父母様と袂を分かつようになってしまったのです。そして、2009年9月10日を最後に、真の父母様の前に姿さえ見せなくなって、今日に至っています。
以上のように、金鍾奭氏の『統一教会の分裂』や櫻井正上氏の『真実を求めて』は、金炳和氏が述べている「お母様の陣頭指揮の下、顯進様を完全に排除する」(「真実の前に沈黙を破って」5ページ)という〝虚偽のストーリー〟を描くための〝虚偽の証言〟などを、まるで真実であるかのように仕立て上げて書かれている書籍なのです。
2009年3月8日の、いわゆる「束草事件」のとき、お父様は「カイン・アベルのUNを中心として一つとなれるここ(真の父母)が本部であって、顯進がいるところが本部ではありません」(マルスム選集609-122)と語られ、さらに「皆さんが今後、生きるとしても、先生の生き方と憲法(み言)を中心として、主流に従って行かなければなりません」(同)と述べ、警告のみ言を語っておられます。
私たちは「真の父母」を不信させようとするUCI側の広める〝虚偽の証言〟に惑わされてはなりません。どこまでも、天の父母様と真の父母様に対する〝孝情〟をもち、「主流に従って」歩んでいく希望の実体となっていかなければなりません。