文責:教理研究院
注、統一教会(家庭連合)側の出版物からの引用は「青い字」で、樋田毅著『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』等の引用は「茶色の字」で表記します。
一、神が願う「神霊」「真理」の基準に至らなかった大江氏
(神不在の中で書かれた〝懺悔録〟ならぬ〝讒訴録〟)
2024年8月20日付で、樋田毅著『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書、以下〝懺悔録〟)が出版されました。この書籍は「大江益夫・元広報部長懺悔録」と銘打った樋田毅氏の著作ですが、そこに書かれた大江氏の証言には〝虚偽の記述〟が多くみられます。以下、その点を指摘しながら反論を述べます。
(1) 「懺悔」という観点から見た〝懺悔録〟の問題点
「懺悔」について、辞書は次のように説明しています。「神仏の前で罪悪を告白し悔い改めること」「キリスト教会一般では、罪を告白し、神の許しを請うこと」(『大辞泉』1107ページ)
基本的に、懺悔とは、それぞれの宗教における神、聖なる存在の前に、罪を告白し悔い改めることをいいます。大江氏は家庭連合に約58年間、籍を置いていたわけですから、一信者として、まず神の前に懺悔すべきなのではないでしょうか。ところが、この書を読んでみると、神に対する懺悔の記述が一切ないことに、ただただ驚かされます。
〝懺悔録〟と銘打ってはいますが、この書は神不在の中で書かれており、これは〝懺悔録〟ではなく、実質的には「教団側の内情を告発する内容」(2024年8月7日 06時00分 共同通信)の体裁をとる、家庭連合・日本本部に対する〝讒訴録〟とも呼ぶべき内容となっています。
彼の〝懺悔録〟は、神の前に、自らの罪を悔い改めるのではなく、家庭連合を批判するのが狙いです。ただ、それらの批判は〝神不在〟の中で語られている、マルクスを信奉する大江氏個人の私見に基づく讒訴に過ぎず、これはマルクスの動機と同じ、神に対する復讐心に通じる〝怨恨〟ともいうべき内容と言えます。
(2) 「神霊」の側面から見た〝懺悔録〟の考察
―― 教団の戒律(禁酒・禁煙)をろくに守らなかった大江氏
「神霊」という側面から見ると、前述した通り、この書には、神と我との関係における、神に対する悔い改めが一切書かれていません。宗教に58年、身を置いた人の〝懺悔録〟と言うからには、まず一信者として、「私は神の前にどうあったのか?」と深く心を掘り下げ、述懐する内容がなければならなかったように思います。ところが、彼はその信仰者としてあるべき姿勢を捨て、むしろ飲酒をしてきたことを「大江山の赤鬼」(111ページ)などと呼び、自分が酒豪で、酒に強いことを自慢しているかのような記述になっています。彼は、次のように述べます。
「私は『禁酒・禁煙』という教団の戒律をろくに守らない、いい加減な信者でしたが、やはりケジメをつけて教団との関係を自ら絶つべきだと考えました」(191ページ)。彼は自らを「いい加減な信者」と評しているだけで、神の前に悔い改めているわけではありません。また「約20年前(2003年)に故郷の京都府福知山市内の山村に戻った後は、信者生活に欠かせないとされる日曜日の教会通いをしていない。信者に課せられた『禁酒・禁煙』の戒律も守っていない」(5ページ)などと述べ、教会から遠ざかり、飲酒・喫煙をしていたことを自白しています。さらに、「私は、厳密な意味では信者ではないかもしれません」(154ページ)と述べますが、これとて神の前に悔いているわけではありません。本来なら、神と我との関係において、親なる神の心情を思い、自分が「『禁酒・禁煙』という教団の戒律」を守ってこなかったことや、教会に一切通わないでいたことなど、親なる神が大江氏をどう見つめられ、どう思っておられたのかを真摯に尋ね求める必要があったのではないでしょうか? 『原理講論』には次のように書かれています。
「堕落人間においては、復帰摂理の時代的恩恵により、神霊(内的な知)と真理(外的な知)とが明らかになるにつれて、創造目的を指向する本心の自由を求める心情が、復帰されてくるようになり、それによって、神に対する心情も漸次復帰され、そのみ旨に従って生きようとする意志も高まるのである」(128ページ)
本来、神霊に接すれば〝神の実在〟を実感し、親なる神に対する心情が高まっていくようになり、「み旨に従って生きようとする意志も高まる」のです。ところが、彼の場合は「ケジメをつけて教団との関係を自ら絶つべきだと考えました」(191ページ)との顛末に至ってしまったのです。神霊面から見たとき、彼は「神に対する心情」が復帰されていなかったことが分かります。これでは、親なる神に対する懺悔の心が起こってこないのは〝当然の帰結〟だと言わざるを得ません。
(3) この書籍に書かれた〝大江氏の半生〟
―― 大江氏以外に、酒を飲み歩いた広報担当者はいない
さて、この〝懺悔録〟を出版するに至った大江氏の背景を知るために、彼の人生の歩みがいかなるものであったのかを、この書に書かれた内容をもとに〝大江氏の半生〟として、大まかにたどっておきます。
大江氏は1949年7月2日、京都府福知山市で生まれ、1965年4月に高校に入学(15歳)。彼は「進学校だった京都府立福知山高校に入学した。そこで共産党系の青年組織の日本民主青年同盟(民青)に加入した。一年生の時は、民青の熱心な活動家だった」(31ページ)。これが16歳のときです。
大江氏は次のように述懐します。「民青同盟員は定期的に勉強会を開き、共産党の教本を読んで、マルクスの経済理論などを学んでいました。高校二年生のころです」(33~34ページ)。
このような高校生期を過ごした大江氏は「マルクスの資本論を学んだ者としては、資本論は社会科学の書というよりもバイブルでした。つまり、私にとっては、労働者を抑圧から解放するための福音書だったんです。カール・マルクスの熱い熱い労働者愛、人類愛に満ちた本なんです」(57ページ)と告白します。そして、「私は今も、マルクスの書いたことは正しいと思っています」(55ページ)とあるように、高校生期に熱心に学んだマルクスをベースとする価値観が、伝道された後も、さらには今現在においても何ら転換されていないことを示しています。
さて、そのような彼ですが、「(高校)二年生の夏に、国鉄(現在はJR)の福知山駅前で変な連中が代わる代わる演説をしているのに出くわしたんです。それが、京都大学の原理研究会(旧統一教会の学生組織)のメンバーたちでした。……それで、議論を私の方からふっかけたんです」(34~35ページ)と述べています。それが、大江氏が伝道されたきっかけでした。
大江氏は、福知山駅前で演説していたFさんから、夏休みの一週間、黒板講義を受けたといいます。「その講義で、神の存在をめぐる議論となりました。『君は、宗教はアヘンだと思っているんでしょう』とFさんが聞くので、私(大江氏)は『当然です。神はそもそも人間がつくり出した概念です。それを信じてどうするんですか。宗教は深刻な社会問題を大衆に考えさせないようにするためのアヘンそのものです』と答えました」(35~36ページ)という議論を交わしています。
ところが、大江氏は、やがてFさんの黒板講義を通して「この世界という結果をもたらした最初の原因を神と呼んでいる。そうなのか。そういう意味なら、わかる。私は、納得してしまった」(36ページ)というのです。これが、彼の統一教会入信のきっかけでした。
しかし、「最初の原因を神と呼んでいる」ような神観のまま留まっていれば、結局、生きた神との出会いはありません。『新版・統一思想要綱』(光言社)は次のように述べます。
「トマス・アクィナス……は自然界の運動の因果関係を逆にさかのぼっていけば最後には究極的な原因、すなわち第一原因に到達する……彼はそれを神と見た。……(しかし)物質の原因をいくらさかのぼっても物質以外のものであるはずはないというのが唯物論者(無神論者)たちの主張であるから……唯物論の立場では、万一宇宙の第一原因が神であるとしても、その神さえも物質的存在であると主張することが可能なのである」(770ページ)。哲学的思考のまま留まっておれば、結局、生きた神との出会いはありません。ゆえに、無神論者においては、父母なる神様との人格的な出会いが必要になります。すなわち、『原理講論』で言うところの「神霊」と「真理」の両面性が絶対に必要なのです。
『原理講論』は次のように述べています。「認識も、霊肉両面の過程を経てなされる。人間は霊人体と肉身が一つになって初めて、完全な人間になるように創造されているので、霊的過程による神霊と肉的過程による真理とが完全に調和され、心霊と知能とが共に開発されることによって、この二つの過程を経てきた両面の認識が完全に一致する。またこのとき、初めて人間は、神と全被造世界に関する完全な認識をもつようになるのである」(168~169ページ)。
ここで「心霊と知能とが共に開発される」とあるように、単に「知能」面だけでは神は認識できません。神を実感することができないからです。必ず「心霊」面の啓発が伴わなければならないのです。おそらく、大江氏は、生きた人格神との出会いがなかったのではないかと言わざるを得ません。つまり神との間で〝親子の心情の絆〟を結んでいなかったということです。大江氏の信じた神は、極めて〝観念的な神〟であり、実感を伴うものではなかったと思わざるを得ません。その原因の一つと考えられるのは、信仰者の基本としての生活(祈祷生活、訓読生活、礼拝生活、すなわち「生活信仰」)をせずに、大酒を呑み、喫煙生活を続けていたことにあると言えます。すなわち、今日の〝顛末〟を迎えた要因の一つに、彼が1975年に共産主義研究や執筆活動のため、一旦「信者組織を離れたので、酒もタバコも解禁」(94~95ページ)するといったその期間に、信仰とは程遠い生活しかしなかったことがあると思われます。その後も、彼は生活において同様の信仰問題を抱え続けます。
彼は1966年8月下旬に統一教会に入会しましたが(194ページ)、9年後の1975年には「信者組織からも離れ、アルバイトなどで自活しながら、図書館などに通って(ロシア革命史、中国の革命史などの)研究・執筆活動に専念する生活に入った。この生活は約3年間続いた」(93ページ)といいます。その約3年間、彼は飲酒・喫煙の生活をしながら、かつて高校生期に熱心に学んだ共産主義の研究をしていたのです。その間に彼が「統一原理」をどれほど勉強したかは不明です。そして、その3年が過ぎた後も、彼は「会合がある時には、ビールをダース単位で注文し、研究会や打ち合わせなどが終わると、深夜まで飲みました。……〝大江山の赤鬼〟と呼ばれ、酒はいける口です」(110~111ページ)と、まるで武勇伝のように書き連ねています。彼は相変わらず酒を飲み続けているのです。
また、彼は「(1982年から)約10年間は、日韓トンネル事業に携わっていた」(127ページ)と言い、「1992年春に統一教会の広報担当に」(同)なりますが、その際に「上層部から言われたのは『お前は(日韓トンネル事業関連の)九州で地上げのため、地主と一緒に酒を飲み歩いているそうだね。広報部長はマスコミの記者たちと飲むのが仕事だから、お前に向いている。どうだ。やってみないか』というものでした」(同)と、飲酒していたことを正当化し、さらに広報の仕事も酒を飲むことだなどと述べています。このように、彼は「広報部長はマスコミの記者たちと飲むのが仕事だから」と上層部から言われたと語りますが、大江氏の前任者(広報)も、後任者も、誰もそんなことを言われた人はいません。事実として、酒を飲み歩いた広報担当者は一人もいません。
その後、大江氏は1999年から南米のパンタナールに3年ほど行くようになったといいます。そのことについて、彼は「世間的な言い方をすれば、左遷ですね」(140ページ)と恨みがましく述べています。しかし、その理由についてはプライバシーの問題があるためここでは触れませんが、決して左遷されたわけではありません。
2003年に彼は故郷の福知山市に帰りますが、前述したとおり、彼は「信者生活に欠かせないとされる日曜日の教会通いをしていない。信者に課せられた『禁酒・禁煙』の戒律も守っていない」(5ページ)というのです。そして今日の〝懺悔録〟の出版を迎えています。彼の人生で、果たしてお酒を飲まなかった日は、どれほどあったのかと思わざるを得ません。そして、大江氏が広報部長として飲み歩いていた際の飲酒の〝原資〟は、信者らが神から受けた恩恵に対して感謝の心をもって捧げた献金であったことも忘れてはなりません。
有名な懺悔録を書いたアウグスティヌスの場合は、32歳の回心のとき「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」(ローマ13・13~14)との聖句が示され、信仰に目覚めて神に立ち返り、泥酔から解放されました。
今回、〝懺悔録〟を出版した大江氏は、伝道されてから約58年になりますが、飲酒から解放され信仰生活をしたと言える期間があったのか、大いに疑問です。このような大江氏の姿を見ていた親なる神様は、張り裂けんばかりの心情を通過されていたと思われます。このような半生を彼は反省し、神に懺悔しなければならなかったのではないでしょうか?
(4) この〝懺悔録〟に書かれた〝虚偽の記述〟の数々
―― 自らの〝持論〟は述べずに、〝虚偽〟を騙る大江氏
大江氏の〝懺悔録〟には〝虚偽の記述〟が多くあります。まず、彼は「1979年……国際勝共連合の渉外局長の要職に抜擢された」(101ページ、その他102、106、162、165、196ページなど)と繰り返し述べていますが、家庭連合の友好団体である国際勝共連合に確認したところ、大江氏が同連合の渉外局長になった事実はないとのことです。これは虚偽の記述であり、自らの権威付けをしているものと言わざるを得ません。そればかりか、国際勝共連合において大江氏が役職についたこと自体が、一度もなかったとのことです。このことについては当時、実際の渉外局長の下で渉外部長を務め、その後渉外局長に就任した人物を始め、複数の関係者から証言を得ています。
次に、魚谷俊輔著『統一教会の検証』(光言社)の書籍について、大江氏は「私も、教団の要職(広報部長=筆者)を外された際、仲間の名前を借りて『統一教会の検証』(光言社)という本を1999年に出版した」(23ページ)としながら、この書籍は大江氏があたかも書いたかのように述べています。しかし、これは虚偽です。この書籍は、魚谷氏が全面的に書いたものであり、大江氏が執筆した事実はありません。
さらに大江氏は、自分の1800双の祝福結婚に対して「結婚の候補者がそれぞれ三人ずつ希望する相手の名前を書いた紙を提出し、一致すれば希望通りの相手と結婚できた。私たちの場合も希望通りになりました」(28ページ)と述べています。しかし、1800双の祝福結婚を受けた複数の信者に確認したところ、そのような事実はないとのことです。『日本統一運動史1』363ページ掲載の写真のキャプションにも「1800双のマッチング」と説明されているように、1800双の祝福は、文鮮明師によるマッチングで行われました。大江氏が言うような「それぞれ三人ずつ希望する相手の名前を書いた紙を提出し」という事実はありません。
また前述したように、大江氏は、自分が広報担当者としてお酒を飲んでいたのは「上層部(の人)から……広報部長はマスコミの記者たちと飲むのが仕事だから」(127ページ)と言われたからだと自己弁護します。しかし、事実として、広報担当の彼の「前任者」であるS氏、彼の「後任者」のI氏、O氏、K氏、K氏、S氏らの誰一人として、上層部から「広報部長はマスコミの記者たちと飲むのが仕事」だと言われた人はいません。また広報活動のために酒を飲まなければならなかったという事実も一切ありません。これは大江氏が酒を飲んでいたことを自己正当化しようとする〝虚偽発言〟と考えざるを得ません。
さらに〝懺悔録〟の「世界平和統一家庭連合(旧統一協会)関連年表」には、教団と関係のないものが多々入っています(193~198ページ)。これもある意味で〝虚偽の記載〟と言わざるを得ません。(なお、大江氏の家庭連合を貶める〝虚偽〟の発言の主要なものについては、改めて後述します)
特に、関連年表に「オウム真理教による地下鉄サリン事件発生」(197ページ)、「野村秋介氏が自決」(同)などと記載しており、あたかもこれらが家庭連合と関係があるかのように図表にするのは、悪意のある記述と言わざるを得ません。
ちなみに、大江氏本人の〝本音の論〟では〝野村秋介氏やその子分が「赤報隊事件」の真犯人だと思う〟と語っていたとの証言があります。野村秋介氏は、朝日新聞東京本社で自決(1993年10月20日)した右翼活動家の人物であり、「赤報隊事件」の黒幕的存在ではないかと言われている人物です。ところが、この〝懺悔録〟には、その大江氏の本音の記述が一切なく、統一教会の関係者が事件を起こしたかのような記述となっているのは、奇々怪々なことと言わざるを得ません。
(5) 「真理」の側面からの〝懺悔録〟の考察
―― 今でもマルクスを信奉している大江氏の誤り
前述したとおり、大江氏は次のように述べます。
「マルクスの資本論を学んだ者としては、資本論は社会科学の書というよりもバイブルでした。つまり、私にとっては、労働者を抑圧から解放するための福音書だったんです。カール・マルクスの熱い熱い労働者愛、人類愛に満ちた本なんです」(57ページ)、「マルクスの理論、その理想主義は正しいと今でも思います」(同)
しかし、マルクスの『資本論』は、大江氏が述べるような「人類愛に満ちた本」などではありません。共産主義思想を生み出したマルクスに対して、ロシアの哲学者ベルジャーエフ(1874~1948)は「共産主義のすべてのうそは、神の否定と人間の非人間化から生じている。それが社会的正義を実現しようとして行う、残酷な圧迫も、人間の威厳を認めることのできない暴政も……怨恨、憎悪、復讐をもって……理想を実現する方法と定めていることも、すべては共産主義が神を否定し、人間を非人間化したところからきているのである。マルクスの教えには悪魔的な要素があって、それがマルクス主義に恐るべき力を与えている」(『共産主義の問題』現代教養文庫、35ページ)と述べています。
後述しますが、マルクスの思想の出発点、その原動力は、神と宗教への復讐心、憎悪心から来ています。神と宗教への復讐心、憎悪心から生み出された共産主義思想によって、1億人もの人々が虐殺されてきました(ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト著『共産主義黒書〈ソ連篇〉』恵雅堂出版、12ページ)。ベルジャーエフが述べるように「マルクスの教えには悪魔的な要素」があるのであり、『資本論』は決して「人類愛に満ちた本」などではありません。
『原理講論』に「偽りのものを真であるかのように説いたサタン側の真理がすなわち弁証法的唯物論(共産主義の世界観)である。弁証法的唯物論は理論的な根拠を立てて霊的な存在を抹殺しようとする。このような唯物論の立場から神は存在しないということを証拠立てようとした」(554ページ)とあるように、結局、マルクスの思想は、神の理想である〝神の下の人類一家族世界〟をつくらせまいとする無神論であり、激しく神を敵視し、宗教を憎悪する思想なのです。ゆえに人類愛とは程遠い〝憎悪〟から生み出されているものです。
事実、マルクスは1837年(19歳)のとき「絶望者の祈り」という詩を書いていますが、その詩は、次のような内容です(以下、抜粋)。
「神が俺に、運命の呪いと軛(くびき)だけを残して
何から何まで取上げて、
神の世界はみんな、みんな、なくなっても、
まだ一つだけ残っている、それは復讐だ! ……
高い所に君臨しているあの者に復讐したい、
俺の力が、弱さのつぎはぎ細工であるにしろ、
俺の善そのものが報いられないにしろ、それが何だ!……
高い、氷の家から至高者の電光がつんざき出て
俺の壁や部屋を砕いても
懲りずに、頑張ってまた建て直すんだ」(『共産主義の終焉』光言社、395~396ページ)
まるで地獄の底から聞こえてくるような〝神への讒訴〟です。国際勝共連合・教育局発行の小冊子『マルクス疎外論のまちがい』には、マルクスについて次のように記されています。「神と宗教への憎悪そして復讐、それがマルクスの思想を貫く、最も大きな柱なのです。共産主義とは資本や資本家を敵視し打倒しようとする思想、というのが一般的見解です。しかし神と宗教への憎悪に比べたら、(一般的見解は)本流と支流ほどの違いがあるのです」(8ページ)。また、マルクスが「宗教は大衆のアヘンである」と述べたように、彼の思想は〝戦闘的無神論〟(宗教批判を行う強い無神論)であり、まさしく彼は「神の敵」となった人物であると見ることができます。
〝戦闘的無神論〟としてのマルクスの思想と、「統一原理」が説く〝神の下の人類一家族世界〟の神主義による理想は、全く相容れません。すなわち、マルクスは神と宗教を抹殺しようとしている無神論であり、大江氏が述べる「マルクスの理論、その理想主義は正しいと今でも思います」(57ページ)というようなものではありません。
また、今回の〝懺悔録〟の書には、繰り返し「統一教会は目的のためには手段を選ばなかった」(24ページ。その他、46、51、62、80、81ページ)と述べて、統一教会を敵視して讒訴し、貶めようとしています。しかし、「統一原理」の教えはそのような教えではありません。
マルクス主義こそが〝目的のためには手段を選ばず〟という戦略によってプロパガンダ(宣伝扇動)を行い、共産主義革命を実現するために取り組んできました。そのために犠牲となった人は、前述のとおり、1億人と言われています。共産主義に対し、ベルジャーエフは「目的を実現するためには、どんな手段に訴えても頓着しないことも……すべては共産主義が神を否定し、人間を非人間化しているところからきている」(『共産主義の問題』35ページ)と指摘しています。ベルジャーエフが述べるように、まさに「目的のためには手段を選ばなかった」というのは、共産主義のほうなのです。
(6) 大江氏が述べる、いわゆる「ヤコブの知恵」の誤った主張
―― 「統一原理」は〝自然屈伏〟による愛の教え
ベルジャーエフが指摘するように、目的のためには手段を選ばない共産主義に対して、「統一原理」は「新しい時代において建設するはずの新世界(理想世界)は、罪を犯そうとしても犯すことのできない世界となるのである。今まで神を信ずる信徒たちが罪を犯すことがあったのは、実は、神に対する彼らの信仰が極めて観念的であり、実感を伴うものではなかったからである」(『原理講論』34ページ)と論じています。このように、神を実感しながら歩む人生は「罪を犯そうとしても犯すことのできない世界」なのであって、それは「サタンを自然屈伏させてこそ……復帰することができる」(同117ページ)のであり、決して「目的のためには手段を選ばなかった」というものではありません。
事実、文鮮明師は「神はサタンに対しては、いつも善をもってする。方便では、サタンを屈伏し得ない。……もしも、ある一人が……責任を果たさんがためにうそを言った。それが統一教会の食口(信者)である(場合)……統一教会は一時にぶっ壊れる。……それをはっきりしておかないといけない。これは重大な問題だ」(1967年6月13日)と指導し、「目的のためには手段を選ばなかった」というのとは〝真逆の教え〟を説いておられます。
すなわち文師は、真の信仰者は神の前に真実で正しく生きるべきであることを指導しておられるのです。それが、統一教会の教えの真髄です。大江氏の述べることは「統一原理」と異なる間違った主張です。
ところが、大江氏はマルクスの教えのように「(統一教会では)目的が正しければ、どんな手段も許される」(46ページ)とか、また「万物復帰という目的のためには手段を選ばないと考えてしまったところに問題がありました」(51ページ)などと述べ、また「サタンの国の法律や倫理で、〝反社会的〟と批判されても、良心の呵責を感じなかったのです」(50ページ)とし、それは「ヤコブの勝利という教えです。……ヤコブは、年老いて目が見えなくなった父・イサクの前で、兄になりすまし、兄にいくはずの財産を騙し取り、母の手引きで遠いところへ逃れます。……(この)父親についた嘘は神の知恵だったと解釈し、ヤコブを勝利者として称え、人を騙しても神に祝福されると説いたのです」(同)などと批判します。これは、大江氏の〝思い込み〟による誤った批判に過ぎません。前述したごとく、文師は、神の前に真実で正しく生きるべきことを指導しておられますが、大江氏はその教えとは真逆のことを述べています。この件について、統一教会の機関紙「中和新聞」でも次のように論じられています。
「神の救いの摂理の本質は『サタンを自然屈伏』してなされるもので、決して強制や何らかの策略、またはごまかしによってなされるものではありません。……殺人やだまし、あるいは脅迫といった強制的、暴力的手段が取られることは……本来的形ではありません」(「中和新聞」1998年4月1日号3面)。「本来ヤコブは『自然屈伏』の道を歩んで、だますことなくエサウから自然に長子権をもらえる道があった……神の摂理を進めるにおいて、『自然屈伏』(心から喜んで一つになること)が大原則であり、それはだますことや、殺すことなどによりなされるのではありません」(同1998年4月15日号3面)
大江氏が述べる「(統一教会では)目的が正しければ、どんな手段も許される」というのは、全く的外れな批判に過ぎません。
二、〝懺悔録〟に見る数々の〝虚偽の記述〟
―― 何の証拠もなく、赤報隊事件、副島事件、勝共連合の武闘派などを語る
(1) いわゆる「赤報隊事件」について
この〝懺悔録〟には、赤報隊事件(1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件をはじめ、他8件)について、何か証拠があるわけでもないのに、統一教会の関係者が犯人であるかのように書かれています。そもそも、著者の樋田毅氏は、2018年4月13日号の「週刊読書人」で「自分の思い描いてきた犯人像を書く」と述べており、何らかの証拠に基づいて書くというのではなく、まず〝結論ありき〟のような立場から「自分の思い描いてきた犯人像」を書こうと取り組んできた人物です。
今回の〝懺悔録〟でも、樋田氏は次のように書いています。
「大江さんは具体的な裏付けデータを示したわけではない」(21ページ)
このように「具体的な裏付けデータ」がないにもかかわらず、〝懺悔録〟では「旧統一教会の関係者が関わっている可能性がある」(21ページ)、「うちの組織ぐらいかもしれない」(141ページ)、「統一教会に関係した人物が一連の事件を起こした可能性が高いという思いに至りました」(158ページ)、「語弊を恐れずに言えば、組織の内部に潜む愉快犯の仕業だと思います。しかし、こうした愉快犯の挑発が、大きな事件につながる可能性があります」(161ページ)、「統一教会や国際勝共連合が組織的に事件を起こしたとは思わないが、組織の末端のグループが暴発した可能性があると考えている」(162~163ページ)、「ただし、末端の信者が暴発した可能性までは分からない」(163ページ)と「可能性」という言葉を繰り返し述べます。そして樋田氏の「赤報隊が旧統一教会の関係者でないという可能性は?」という問いに対して、大江氏は「もちろん、(関係者でない)その可能性はあります。朝日新聞の皆さんが犯人を見つけるか、あるいは犯人が名乗り出れば、(統一教会関係者と)無関係の人間だったということは十分にありえます」(167ページ)と返答しています。
ゆえに、この書で〝明確〟に分かることは、いわゆる「赤報隊事件」を統一教会の関係者が起こしたという〝確たる証拠は全くない〟ということです。この書籍は、犯人の名前もない〝妄想〟によって書かれた妄想の産物と言わざるを得ません。
前述しましたが、大江氏本人の本音では〝野村秋介氏やその子分が「赤報隊事件」の真犯人だと思う〟と語っていたとの証言があります。ところが、この〝懺悔録〟に大江氏が語っていた本音が一切書かれていないのは、奇々怪々と言わざるを得ません。今から21年前の2003年に「完全時効」となってしまった事件について、上記のような本音を隠し、確たる証拠もないままに、統一教会の関係者であるかのように述べたり、逆に統一教会関係者ではないかもしれないと述べたりして、単なる〝憶測〟を繰り返すのは、著者である樋田氏の〝犯人は統一教会関係者〟との確信に近い思い込みに対する忖度と、教会全体を貶めたいとする大江氏の悪意による印象操作にほかなりません。
(2) 国際勝共連合に「秘密部隊」「特殊部隊」は存在しない
―― 岩波書店に大恥をかかせた〝作り話〟の前歴を持つ樋田氏
次に、この〝懺悔録〟には「樋田さんの本では『秘密部隊』、あるいは『特殊部隊』と書かれていましたが、私の認識では武闘派でした」(164ページ)とあり、樋田氏は国際勝共連合に、まるで「秘密部隊」、「特殊部隊」があるかのように述べています。
ところが、大江氏はそれを肯定するわけではなく、「私の認識では武闘派でした」と述べています。樋田氏と大江氏の認識には、食い違いがあります。
ところで、〝無神論〟を信奉する共産主義者は武力革命を肯定しながら、様々な暴力事件を起こし、多くの人々を殺戮してきました。そのような共産主義者の立場から言えば、「秘密部隊」「特殊部隊」の存在は当然のことと言えるかもしれません。しかし〝有神論〟である「統一原理」を信じる者にとってみれば、「秘密部隊」「特殊部隊」という武力を行使する組織などはあり得ません。『原理講論』は次のように論じています。
「理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには……完全無欠な理念がなくてはならない」(『原理講論』553ページ)とあるように、愛と真理の〝理念による屈伏〟を是とし、いわゆる「赤報隊事件」のような暴力や殺人を否定するのが、「統一原理」の教えです。
前述した公式見解にも「殺人やだまし、あるいは脅迫といった強制的、暴力的手段が取られることは……本来的形ではありません」(「中和新聞」1998年4月1日号3面)とあるとおりです。
ところで、2022年9月1日発売の「週刊文春」2022年9月6日号に、樋田氏が、赤報隊事件に対して「国際勝共連合の取材を進めると、連合内に秘密軍事部隊があったとする証言にたどり着いた」「教団元幹部によれば文鮮明らの身辺警護をするグループは実在しており、その関連で訓練が行われていた可能性もあると考えています」などと述べたため、同年9月6日に、国際勝共連合事務総長の魚谷俊輔氏が「当連合が創設された1968年から現在に至るまで、当連合内に『秘密軍事部隊』なる組織や、それに類するような組織が存在した事実はないことをハッキリと申し上げる」との抗議文を送っています。
魚谷氏は、抗議文で樋田氏の発言を引用しながら「そもそも、赤報隊事件についてまとめた樋田氏の著書『記者襲撃』(岩波書店、2018年2月発行)で、樋田氏自身が以下のように“真実”を度々吐露している。『本書で取り上げる全登場人物、グループ(注:当連合も含む)について、事件との関係は立証できていない』(まえがきvi)『α教会(注:旧統一教会)・α連合(注:当連合)と朝日新聞社の間には、前述のように緊張関係は間違いなくあったが、一連の朝日新聞襲撃事件に関わったとされる「証拠」があるわけではなかった』(p.139)」ことを、樋田氏本人が述べていることを指摘しています。
このように、樋田氏自身が〝証拠があるわけではない〟と述べており、今回の懺悔録でも「大江さんは具体的な裏付けデータを示したわけではない」(21ページ)と述べていながら、まるで統一教会関係者が関わっているかのように述べることは、記者としてあるまじき行為と言わざるを得ません。
前述したとおり、樋田氏自身が2018年4月13日号の「週刊読書人」で「自分の思い描いてきた犯人像を書く」と述べているように、今回の書も〝結論先にありき〟の立場から論述しているのは明らかなことです。結局、何の証拠もないために、樋田氏自身が名誉棄損にならないよう〝大江氏の口を借りて〟「自分の思い描いてきた犯人像」を語っているというのが真相だと考えざるを得ません。
ちなみに、今回の大江氏の〝懺悔録〟を実質的にまとめた樋田氏は、『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店刊、2018年2月21日第1刷発行)で〝作り話〟をしていたという前歴があります。第1刷の書籍を見ると、そこには〝1988年6月初め、統一教会の広報部長(当時)とC記者との間でやり取りがあった〟ように述べられていますが(188ページ)、これは完全な〝作り話〟です。そのため樋田氏は、2018年4月16日発行の第3刷の同書籍で、虚構の作文をしたその部分(7行分)の削除を余儀なくされました(同ページ)。樋田氏の〝作り話〟によって、岩波書店が大恥をかかされたといえます。
さらに樋田氏は元朝日新聞記者で、数冊の著作がありますが、そのうちの二冊の著作に関しては、かつて在職していた朝日新聞社から、「樋田氏は弊社(朝日新聞社)との間の守秘義務を破り、職業倫理を侵し、…事実の誤りや臆測、偏見で書かれている不適切な記述が少なくなく、弊社に対する信頼を損ない、取り返しのつかない損害を与えるもの」(2020年3月26日付)と厳重に抗議された事実のある、札付きの「問題記者」と指摘される人物です。
このように、樋田氏は〝作り話〟さえもまことしやかに書いてしまう前歴を持つ人物です。今回、2024年8月20日付で光文社から出版された樋田毅著『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』は、大江氏の〝懺悔録〟と銘打ってはいますが、実際、これは大江氏のインタビューに基づいて樋田氏がまとめたものです。かつて岩波書店から出版された『記者襲撃』のように、この著書にも樋田氏の〝作り話〟が含まれている可能性を否定できません。
実際、同書で赤報隊事件に関して大江氏が語っているとされる部分について、大江氏は面会した教会員に対して、「統一教会員が事件に関わっているとは思わない」と本音を述べていますが、大江氏のインタビューをまとめた樋田氏の今回の著書には、統一教会員が関わっている可能性もあるが、関わっていない可能性もあるとの趣旨の表現になっており、大江氏の本音は樋田氏の〝思い込み〟にかき消されてしまっています。
(3) いわゆる「副島事件」について
―― 真犯人は、副島氏の周辺にいた人物の可能性?
次に、いわゆる「副島事件」についても、証拠がないにもかかわらず、〝懺悔録〟では犯人がまるで統一教会の関係者であるかのように書かれています。
「(副島氏の)手記が掲載された文藝春秋(1984年)7月号が6月10日ごろに全国の書店に並んだが、その約一週間前の6月2日、副島氏は自宅前の路上で刃物を持った男に襲われ、瀕死の重傷を負う事件が起きた……副島氏は『犯人は(旧統一教会が信者に教えていた韓国空手の)正道術の使い手だったと思う』と警視庁の事情聴取で話し、捜査の動きを見守った」(86~87ページ)
このように、あたかも犯人が統一教会の関係者であるかのように、思わせぶりな書き方をしているのです。この、いわゆる「副島事件」を、ジャーナリストの有田芳生氏が著書『「神の国」の崩壊』(教育史料出版会)で取り上げて書いたことに対して、太田朝久・三笘義雄共著『有田芳生の偏向報道まっしぐら』(賢仁舎)は、次のように反論しています。
「副島氏は、犯人を『坊主頭で、カーキ色のヤッケをはおり、白っぽいズボンをはいた暴漢』(『「神の国」の崩壊』教育史料出版会259ページ)と証言しており、この情報から、通常なら『ヤクザかな?』などと思うことだろう。にもかかわらず、(有田芳生氏は)犯人が統一教会信者かのように述べる」(『有田芳生の偏向報道まっしぐら』130ページ)
この事件に関して述べると、これは統一教会とは無関係ですが、副島嘉和氏の周辺にはヤクザの関係者がいたと言われています。
ところが、この〝懺悔録〟では「元世界日報編集局長の副島嘉和さんが教団批判の手記を月刊雑誌に公表し、その雑誌が書店に並ぶ直前に何者かに襲われた事件になぞらえて、『第二の副島事件になるぞ』と脅したかつての仲間もいます」(191ページ)などと述べ、事件の犯人がまるで統一教会関係者であるかのような思わせぶりで書いています。
いわゆる「副島事件」は、犯人の不明なまま33年前の1991年に「公訴時効」を迎えています。この〝懺悔録〟でも「捜査は難航した。……警視庁は殺人未遂事件ではなく、傷害事件として捜査し……7年後の1991年に公訴時効になった」(87ページ)と述べています。それにもかわらず、迷宮入りとなった〝未解決事件〟の犯人について、確たる証拠もないまま、それがあたかも統一教会関係者であるかのように述べるのは、悪意から来る印象操作であるとしか言いようがありません。
事実、その次のページでは、樋田氏の「副島氏が自宅前で刃物を持った男に襲われ、重傷を負った。この事件に旧統一教会は関係しているのか?」(88ページ)の問いかけに対して、大江氏も「それはわかりません」(同)と述べています。
結局、いわゆる「副島事件」の犯人は、統一教会関係者であるのか、統一教会関係者でないのかさえも分からないという実情を、大江氏自身も暴露しているのです。このような未解決事件の犯人について、それがまるで統一教会関係者であるかのように述べるのは、言語道断の所業と言わざるを得ません。
(4) 幻のクーデター計画について
―― 大江氏の思い描いた〝妄想の産物〟?
〝懺悔録〟の第6章では、家庭連合の友好団体である国際勝共連合に関して、隠れた任務があり、「強力な政府を樹立するためのクーデター計画の準備にも関わりました。……非合法的な危険な取り組みを続けてきた」(92ページ)と述べる大江氏の発言が掲載されています。しかし、国際勝共連合によれば、同団体にはそのような計画は存在せず、クーデターの準備を行っている事実もありません。
このような、非合法なクーデターを計画していたとする大江氏の発言は、国際勝共連合に対する名誉毀損になります。
前述したとおり、大江氏が国際勝共連合の渉外局長であったという事実もありません。ところが、大江氏は「1979年……国際勝共連合の渉外局長の要職に抜擢された」(101ページ、その他102、106、162、165、196ページなど)と繰り返し述べています。これは虚偽の記述であり、自らの権威付けをして、発言に信憑性を持たせようとしているものと言わざるを得ません。
大江氏は「クーデター計画の準備にも関わりました」(92ページ)、「クーデターや革命には何が必要なのかを自然に理解し、身につけられるようにした」(97ページ)とまるでクーデター計画があったかのように述べていながらも、樋田氏が「改めて聞くが、国際勝共連合には幻のクーデター計画があったと考えていいのか?」(111ページ)と尋ねると、「ただし、それほど具体化したものではありませんでした。……臨時政府をクーデターによって樹立するしかないと考えていました(が)……実際には、そうした事態にはならなかった。……(クーデター計画は)取り越し苦労に終わったのです」(同)と答え、実際にはそういう実態がなかったことを〝自白〟しています。これは、大江氏自身の思い描いた単なる〝妄想の産物〟ないしは大江氏が参加していたという飲み会での酒飲みによくある〝ほら話〟であった可能性が高いのです。
三、いわゆる「霊感商法」に関する批判の誤り
(1) 〝懺悔録〟第5章のいわゆる「霊感商法」について
―― いわゆる「霊感商法」は、統一教会が行ったものではない
〝懺悔録〟の第5章ではいわゆる「霊感商法」について述べています。そこには「旧統一教会の経済活動が大きく変質した」(75ページ)、「日本の教団が『経済一本化方針』を打ち出し」(同)、「旧統一教会は組織をあげて『経済活動』に突き進んでいく」(76ページ)など、統一教会が経済活動を行っていた主体であるかのように述べています。しかし、経済活動を行っていたのは、株式会社ハッピーワールドと、その系列企業、及びその委託販売員等であって、統一教会ではありません。
このことは、〝懺悔録〟に「株式会社ハッピーワールド」が「韓国から輸入した壺や大理石製品などの販売に力を入れ始めた」(76ページ)と記載していることや、大江氏の発言中の、いわゆる「霊感商法」を推進したのはハッピーワールド社であったとの発言(83ページ)、そして、その社長が、統一教会会長の久保木修己氏とは別人物であったという発言(同)などがあることからも明らかなことです。
それにもかかわらず、統一教会が経済活動を行っていたと述べることは、事実に反します。
また樋田氏は「文藝春秋」1984年7月号の記事を引用し、「副島嘉和氏(の)……手記によると、(1975年の)送金命令以来、手記が書かれた1984年までに、計約2000億円が韓国の本部に送金された」と述べています(77ページ)。しかし、株式会社ハッピーワールド等の企業が、韓国の教団本部に送金をした事実はありません。また、統一教会(家庭連合)における海外宣教援助金も、当時韓国にはほとんど送られておらず、世界宣教の中心拠点であったアメリカに送られ、世界的宣教活動のために用いられていました。これは、当時の日本政府の記録を見れば明らかなことであり、〝懺悔録〟の記述はあまりにも事実と掛け離れたものです。
〝懺悔録〟の第8章では、大江氏が「私の広報部長時代の7年間は、一言でいえば、悲惨な日々でした。霊感商法について、『経済活動は、宗教団体とは無関係』という〝広報部長のコメント〟を出し続けていました。経済活動を主導した株式会社ハッピーワールドの実態は信者組織そのものだったので、事実に反するコメントでした」(126ページ)と述べています。しかし、これこそ事実に反します。経済活動を主導したのは、株式会社ハッピーワールドおよび同社社長らが指揮したもので、統一教会とは別組織です。このことは当時の裁判記録を見ても明らかです。こうした事実に基づく見解を、当時、大江氏はメディアに向けて発表していたのであり、〝懺悔録〟でそれと異なることを述べているのは、大江氏の悪意によるものと言わざるを得ません。さらには、当時の事実に関する大江氏の記憶に混乱があるものと言わざるを得ません。
(2) いわゆる「霊感商法」は、「脅して諭す商法」ではない
大江氏は、いわゆる「霊感商法」について「脅して諭す商法」(79ページ)、「客観的に見れば、〝騙す〟という要素も含まれていた」(同)などと述べています。1980年代のいわゆる「霊感商法」と言われた一部の信者の活動に対する統一教会の公式見解は、統一教会の機関紙「中和新聞」(1996年12月15日付)掲載の「『霊感商法』問題に関する統一教会の見解」に記されており、そこにはF氏が「初めてインタビューに登場し……同氏は販売のための組織をつくり、自ら指揮していたと……販売行為に対する当法人(統一教会)の関与を一切否定しています」(10面)とあります。
当時の広報部長は大江氏であり、「中和新聞」掲載の公式見解の発表に当然、大江氏も関わっていました。また、この「公式見解」は、同年8月16 日付で世界日報社が出版した『「霊感商法」の真相』という書籍の内容を踏まえたものでした。同書には、販売当事者らの証言や、壺、多宝塔などを購入して感謝している顧客等の声も掲載されています。
大江氏は〝懺悔録〟で「従事していた信者たちの大半は、壺や印鑑や多宝塔を高額で売ることについて『正しい』と信じていました」(139ページ)と述べています。しかし、従事していた信者たちが「正しい」と信じていたのは、壺や多宝塔などを購入した顧客らが夢で先祖に会うなど、いわゆる奇跡のような現象を通して喜び、感謝していたからです。このことは、『「霊感商法」の真相』に顧客の声として書かれています。
大江氏は当時、そのことを熟知していたはずです。こうした事情を全く無視して、今回の〝懺悔録〟では「脅して諭す商法」(79ページ)、「客観的に見れば、〝騙す〟という要素も含まれていた」(同)などと述べて断罪するのは、かつての発言を反故(ほご)にするものであり、虚言癖があるのではないかとさえ、思わざるを得ません。
ところで、〝懺悔録〟には「裁判所では全国弁連側の主張に沿って『信者組織と経済活動は一体のもの』と認定する判決が続いた。このため、教団が霊感商法の責任から逃れることが次第に困難になっていった。窮地に立たされた教団は、壺や印鑑、多宝塔などの物品販売よりも、まず信者にした上で、高額の献金を求める集金方法に切り替えた」(134ページ)とあります。しかし、これも事実に反します。壺、多宝塔などの輸入販売をやめたのは株式会社ハッピーワールドですが、それは1987年のことです。一方、統一教会が敗訴判決を受けたのは、1994年の福岡献金訴訟判決が最初です。したがって〝懺悔録〟にある統一教会の敗訴判決が続いたために統一教会が壺、多宝塔、印鑑などの物品販売をやめたという記述は(134ページ)、販売を行った主体、及び時系列の事実関係において、すべて誤っています。
統一教会は経済活動には関与していません。民事裁判で「『信者組織と経済活動は一体のもの』と認定する判決が続いた。このため、教団が霊感商法の責任から逃れることが次第に困難になっていった」(同)というのは、事実に反した、根拠のない記述です。
事実としては、統一教会信者が行った行為について、統一教会に〝使用者責任〟を認める判決が下されたということであり、これらは当時の裁判記録を見れば明らかなことです。〝懺悔録〟の記述は、大江氏の事実確認不足の勝手な〝思い込み〟であり、〝妄想〟としか言いようがありません。
ところで、大江氏は、「コンプライアンス宣言は、信者たちが有罪となった霊感商法事件を機に2009年に一度出されていますが、その後の経緯を見れば、守られていないのは明らかです。なので、具体的な改善策を盛り込んだ再度の宣言が必要です」(142ページ)と述べていますが、2009年のコンプライアンス宣言以降、いわゆる「霊感商法」事件で信者が有罪となった事件は一件もありません。また、コンプライアンス宣言後、民事裁判の件数も激減しており、大江氏が一体何を指して「その後の経緯を見れば」と言っているのか根拠不明です。ここでも、大江氏の発言は事実確認不足の〝妄想〟によるものとしか言いようがありません。
(3) 「統一原理」は、地獄を撤廃しようとする教え
〝懺悔録〟には「世間の批判で霊感商法をやめた後も、『献金しなければ先祖が救われない』と脅すようにして金を集める手法に受け継がれました」(74ページ)とあり、さらには「献金しないと地獄に堕ちる、先祖が地獄から抜け出せないと脅すような宗教活動はしない。これが、本当の意味のコンプライアンスのはずです」(178ページ)と述べられています。
しかし、信者らが「献金しないと地獄に堕ちる」などと献金勧誘をしてきたことはありません。そのような言説は、強制脱会をさせられるために拉致監禁を受けた元信者ら、および反対派が、信者らの活動を批判するために展開してきた主張に過ぎません。2009年のコンプライアンス宣言以降、大江氏が言う「本当のコンプライアンス」を教団が行ってきたことは、トラブルの件数が激減し、近年ではほぼなくなっていることを見ても明らかです。これは反対派も事実をねじ曲げた言い掛かりをつけられないほど、コンプライアンスが徹底した教団となっていることを示しています。
「統一原理」の教えは、「献金しないと地獄に堕ちる、先祖が地獄から抜け出せないと脅す」というようなものではありません。『原理講論』には「その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されている」(246ページ)とあります。さらには「堕落人間においても、その一人の子女でも不幸になれば、決して幸福になることができないのが、父母の心情である。まして、天の父母なる神が幸福になり給うことができようか。……したがって、神の願うみ旨のとおり、成就されるべき理想世界に、地獄が永遠なるものとして残ることはできない」(235ページ)と説かれているように、むしろ〝地獄〟を撤廃し、先祖までも救おうと考える万人救済の教えなのです。このような教えを学び信じている信者らが、「献金しないと地獄に堕ちる、先祖が地獄から抜け出せないと脅す」などと威迫困惑させるようなことを言って献金をお願いするなどということはあり得ません。
四、拉致監禁によって脱会させられた元信者による「民事訴訟」
―― 拉致監禁事件の多さが、民事裁判の多さになっている
(1) 深刻な人権侵害である〝拉致監禁問題〟を黙殺する〝懺悔録〟
反対派が、統一教会信者の親族に教唆することで行われてきた、統一教会信者に対する拉致監禁事件は、1966年から今日に至るまで、統一教会本部が把握できた件数だけで4300件を超えます。ある反対牧師の証言によれば、拉致監禁被害者は「最低でも5000人はいる」(「月刊現代」2004年11月号)と証言しています。被害者は異常なほど多くいるのです。
拉致監禁という方法は、北朝鮮による〝拉致問題〟事件に見られるように、共産主義者の常套手段と言わざるを得ませんが、同様の拉致監禁の被害を統一教会信者も受けてきました。監禁現場で自殺に追い込まれた信者、レイプされた信者、今なおPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむ人々が多数おり、実に深刻な人権侵害となっています(参照:『拉致監禁』光言社)。被害者の中には12年5カ月という長期間、監禁された後藤徹氏のようなケースもあります。統一教会本部の歴代の広報担当者は、深刻なこの拉致監禁問題について心を痛めてきました。この事実を大江氏も知らないはずがありません。
ところが、〝懺悔録〟で民主主義国家の日本におけるこの拉致監禁という違法な犯罪行為が日常的に行われていることについて一切触れず、黙殺しているのは大いに問題だと言わざるを得ません。
長年、統一教会に反対してきた反対派(反対牧師や脱会屋、反対弁護士、左翼系ジャーナリストら)は、信者を強制脱会させるため、この拉致監禁をその親族らに教唆し、扇動していながら、このような行為が行われていることを世間に知られないように隠蔽してきました。例えば〝拉致監禁〟という言葉を使わずに、それを家族による〝保護説得〟という言葉に置き換え、拉致監禁の違法な実態が分からないよう巧妙にカモフラージュしてきたのです。
では、なぜ反対派はそのようなカモフラージュをしてきたのでしょうか。それは、拉致監禁による脱会説得によって脱会させられた元信者に裁判を起こさせることによって、統一教会は〝反社会的団体〟であるという世論を高め、〝統一教会つぶし〟という目的を達成するためです。それに当たって、拉致監禁が絶好の手段となったのです。これは、マルクス主義の「目的を実現するためには、どんな手段に訴えても頓着しない」(『共産主義の問題』35ページ)という実態を示すものです。
1987年3月に始まった「青春を返せ裁判」は、原告のほとんどが拉致監禁によって脱会させられた元信者です。すなわち「1987年3月に始まった札幌地裁の……『青春を返せ』裁判の原告が教会を離れるようになった状況は、統一教会の代理人である弁護士が、原告らに対して行った反対尋問によって明らかになった。……全体の86%の原告が、何らかの意味で拘束された状態で脱会を決意した」(『櫻井義秀著「統一教会」に対する反論』光言社15~16ページ)という実態があります。また、札幌を含め「青春を返せ裁判」全体でも「札幌、新潟、東京など全国で元信者が家庭連合を提訴する『青春を返せ裁判』では、合計180名のうち数名を除いた殆どの原告(元信者)が拉致監禁され脱会した信者」(前掲書17ページ)でした。結局、拉致監禁事件の多さが、民事裁判の多さにつながっているという実態があるのです。拉致監禁事件と裁判件数は比例しているのです。
1966年早春に始まった拉致監禁による強制脱会説得事件は、当初、キリスト教の福音派の一部牧師が始めたものでした。ところが、1978年に京都府知事選で革新府政の打倒を掲げた国際勝共連合の活動によって共産党が敗北したことで、日本共産党の宮本顕治委員長(当時)は、左翼勢力に向けて〝大同団結〟を呼びかけ、次のように檄を飛ばしました。
「勝共連合との戦いは重大。大衆闘争、イデオロギー、国会、法律の各分野で……共同して、全面的な戦いにしていく必要がある。自民党に対しては〝勝共連合と一緒にやれば反撃をくって損だ〟という状況をつくることが重要。〝勝共連合退治〟の先頭に立つことは、後世の歴史に記録される『聖なる戦い』である」(「赤旗」1978年6月8日号)
この宮本氏の〝呼びかけ〟に呼応するように、左翼思想を持つ弁護士、政治家、牧師や脱会屋、ジャーナリスト、大学教授らが連携し、同年11月13日、「原理運動を憂慮する会」が発足。その会を背景に、浅見定雄氏、川崎経子牧師(日本基督教団)らが反対活動に乗り出してきました。この頃から、全国規模で拉致監禁による強制脱会説得事件が急増したのです。このようにして、拉致監禁によって脱会させられた元信者が、1987年に「青春を返せ裁判」を開始しました。社会党系や共産党系の左翼弁護士が「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)を結成したのも1987年です。全国弁連は「スパイ防止法」制定を阻止しようとする取り組みを政治的目的として掲げ、結成された団体です。この団体の結成は、純粋な消費者問題からではなく、政治的目的によってなされたものなのです。
ゆえに、反統一教会活動をしてきた反対弁護士、反対牧師や脱会屋、左翼系ジャーナリストらは、統一教会つぶしという同じ目的を持って取り組んできた〝同志〟であり、長年徒党を組んできた人たちです。彼らは、統一教会および勝共連合が日本を共産化から守る取り組みをしてきたことに敵意を抱いてきたのです。志位和夫・日本共産党委員長(当時)は田原総一朗氏との対談において、田原氏が「共産党からすれば統一教会との最終戦争だ」と問いかけると、志位氏は「長い闘いだった」と述べています(『サンデー毎日』2022年11月6日号)。共産党は、宮本氏が檄を飛ばした1978年以来、長きにわたって〝勝共連合退治〟に向かって取り組んできたのです。
また、左翼思想を持つ牧師(造反派、注:毛沢東の「造反有理」から、そのように呼ばれている)によって執行部を乗っ取られた日本基督教団は、1988年に教団を挙げて〝反統一教会活動〟に取り組むことを決議しました(「キリスト新聞」1988年4月9日号)。日本基督教団は1993年1月28日に声明文を出し、「被害者の救済に取り組み、統一協会が消滅するまで活動することを表明する」と発表しています。
この日本基督教団の左傾化の問題は、日本基督教団評議員・小林貞夫著『日本基督教団 実録 教団紛争史』(メタ・ブレーン)および『東神大紛争記録』(東京神学大学教授会)、梶栗玄太郎編『日本収容所列島』(賢仁舎)第3~5章などに詳しく書かれています。なお、日本基督教団大阪教区の造反派リーダーが桑原重夫牧師ですが、彼が日本基督教団「統一原理問題全国連絡会」の代表を務めていたとき、日本基督教団は教団を挙げて反統一教会問題に取り組むことを決議しました。このような左翼思想を持つ反対派の長年の連携した取り組みが、今日における統一教会(家庭連合)の解散命令請求につながっているのです。
(2) 反対派による「脱会ビジネス」と「令和の魔女狩り」
今日のマスメディアの報道を見ると、統一教会に対する〝令和の魔女狩り〟とも言い得る状況が生じています。これは、宮本顕治氏が1978年に行った左翼勢力の大同団結による「聖なる戦い」の呼びかけが、46年の歳月を経て結実しつつあることを意味します。常に信者の親族らの不安をかき立てるための元信者による批判情報だけをプロパガンダし続けて、今や統一教会は〝巨悪集団〟というイメージとなっています。これは1978年に打ち出した「勝共連合退治」のための取り組みによる結果だと言えるのです。拉致監禁による強制脱会説得を受けて脱会させられた元信者による〝裁判闘争〟およびネガティブな報道等によって、統一教会を窮地に追い込もうとする反対派勢力の長年の取り組みに対して、国際弁護士の中山達樹氏は次のように指摘しています。
「反家庭連合(反統一教会)勢力が、『脱会屋』と呼ばれる業者に依頼して信者を拉致・監禁し、強制的に脱会させ、『脱会したなら家庭連合を被告にして訴えろ』と『踏み絵』をするように提訴させることが30年間近く行われてきました。これは『脱会ビジネス』と呼ばれ、拉致監禁被害者は4300人を超えるようです。その『拉致監禁 → 裁判』という構図を、グラフで表すと上記(「脱会ビジネス」30年の図表)のようになります。例えば、信者の後藤徹氏は、12年半も監禁され、脱会屋を訴えて2015年に最高裁で勝訴し、2200万円の賠償額を勝ち取りました。このように、家庭連合が脱会屋に対して勝訴して拉致監禁がなくなったため、『踏み絵』のように提訴される家庭連合に対する裁判もなくなったのです。この拉致監禁とそれに関わっていたとされる全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の関係については、山上徹也被告が安倍元首相殺害の前日に手紙を送ったジャーナリスト・米本和広氏が著した『我らの不快な隣人』(情報センター出版局)に詳しく描かれています」(中山達樹著『拝啓 岸田文雄首相 家庭連合に、解散請求の要件なし』25~27ページ)
上記グラフを見れば、拉致監禁事件の多さが、民事裁判の多さにつながっていることがよく分かります。実は、いわゆる「霊感商法」被害が取り沙汰された背景には、拉致監禁によって脱会させられた元信者が、自分の勤めていた企業の顧客に働きかけ、被害者をつくり出す活動をしていたということがありました。「(反対派は)脱会した元信者に対しては、統一教会に対する献金返還などをするように指導して、そればかりか、その元信者が統一教会信者の経営する企業に就職していた人ならば、その顧客にも働きかけて、クレームやキャンセルを起こさせるように画策するといった活動を行ってきた」(太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』光言社、113ページ)というのです。
このような反対派の長年の取り組みによって、被害がつくり出されてきた側面があるのです。マスメディアは拉致監禁事件をほとんど報じず、反対に、統一教会に対する元信者のネガティブな情報だけを拡散することで、親族の不安を煽ってきました。そうして、言わば〝偽りのプロパガンダ〟によって統一教会信者に対する拉致監禁を親族に実行させる土壌をつくり出してきたのであり、雪だるま式に拉致監禁事件が起こるようになってきたのです。
こうした背景がある中で、最近になって、実際にはむしろ統一教会が〝被害者〟であることを指摘する声が出てくるようになってきました。中山達樹弁護士は次のように述べています。
「メディアでは、『家庭連合が加害者で、高額献金の被害を生じさせている』という『構図A』ばかりが報じられています。しかし、その裏では、『全国弁連が絡んだ拉致監禁の被害を家庭連合が受けてきた』という『構図B』もあるのです」(『拝啓 岸田文雄首相 家庭連合に、解散請求の要件なし』27ページ、下の図表を参照)
さらに、中山達樹弁護士は「家庭連合に解散命令が下るほどの悪質性があるとは思えません」(同29ページ)と述べ、「消費者庁データによれば、霊感商法の2021年の被害相談のうち、家庭連合に関するものはわずか1.9パーセントでした。……全国弁連は、他の98パーセントの団体には目もくれず……家庭連合のことばかりを攻撃しています。……反家庭連合の活動しかしていない全国弁連には、党派性・政治目的があると感じています」(同32ページ)と指摘しています。すなわち、「全国弁連」の活動は、純粋な消費者問題の解決を目指すというのではなく、ある政治的目的を持って行われていることがよく分かります。
(3) 拉致監禁による強制脱会説得は、〝統一教会つぶし〟の格好の手段
大江氏が広報担当になったのは、今から32年前の1992年のことです。この年には有名芸能人や元オリンピック新体操選手の統一教会入信、および彼女らが国際合同結婚式に参加するなど、マスメディアが一斉に統一教会の〝批判報道〟に熱狂した年でした。
翌1993年には、元オリンピック新体操選手の突然の〝失踪事件〟および〝脱会記者会見〟によって、反統一教会勢力の人々(反対牧師、元信者ら)が連日のようにワイドショーに出演し、統一教会の批判報道が行われました。これらの批判報道に刺激を受けた親族らが、反対派の教唆によって拉致監禁を行う事件が多発したのです。この92年には、統一教会本部が把握できた拉致監禁事件だけでも375件、翌93年には360件もの拉致監禁事件が起こりました(『有田芳生の偏向報道まっしぐら』169ページ)。
新体操選手の突然の失踪事件および脱会劇は、拉致監禁による強制脱会説得であったと言われます。当時の産経新聞は、この新体操選手の失踪事件について「『産経新聞』のコラム『斜断機』で『幸』氏は……『今回の反統一教会側の動きや発言に、正直言ってとてもいやな感じがしている。……彼女に関する最重要事項の情報を知る通路が……意図的に完全に塞がれている……このような交信不能な状態は、一種の強制的な隔離である』(93年4月16日)」(同213ページ)と指摘しています。
「一種の強制的な隔離」という手法で行われてきた拉致監禁による脱会説得は、深刻な人権侵害ですが、反対派の人たちはその問題を黙殺してきました。むしろ〝拉致監禁〟という言葉を〝保護説得〟という言葉に置き換えてまでも、拉致監禁が行われている事実を黙殺しようとしてきたのです。
反対派が拉致監禁問題を黙殺しようとするその理由は、〝統一教会つぶし〟にあります。反対派は、拉致監禁により脱会した元信者に訴訟問題を起こさせ、それを社会問題化することで、〝統一教会つぶし〟という目的達成を果たす格好の手段としてきました。
前項目「反対派による『脱会ビジネス』と『令和の魔女狩り』」で述べたように、「拉致監禁事件の件数」と「裁判の件数」の〝両者の推移〟が互いに連動しているという実態から、拉致監禁事件が、反対派にとって元信者を生み出すための手段となってきたことが分かります。
統一教会(家庭連合)の解散命令請求の要件となった、統一教会側が敗訴した22件の裁判のうち、その半数以上は拉致監禁によって脱会させられた元信者が起こした裁判です。また前述したように、「青春を返せ」裁判の場合には、そのほとんどの原告が拉致監禁の被害者でした。拉致監禁事件こそが、反対派にとってみれば統一教会を窮地に追い込むための格好の手段となっているのです。それゆえ、反対派は、拉致監禁問題について黙殺しようと努力してきたのです。まさしく、これはベルジャーエフが述べるマルクス主義の「目的を実現するためには、どんな手段に訴えても頓着しない」という実態を示すものです。
(4) 有田芳生氏を「同郷のよしみ」と呼ぶ大江氏
―― 親子二代にわたる共産党員の有田芳生氏
日本は戦後、60年安保、70年安保の左翼運動が大きく盛り上がり「日本共産党の宮本顕治委員長(当時)は70年代の遅くない時期に民主連合政府(共産政府)を樹立すると豪語していた」ほどです(『有田芳生の偏向報道まっしぐら』88ページ)。戦後28年間、革新府政であった京都府は、共産党の牙城とも言われていました。
ところが1978年4月の京都府知事選において、国際勝共連合の活躍により共産党が敗北したのです。この敗北を受け、前述したように宮本顕治委員長は〝勝共連合退治〟の檄を飛ばしました(同266~267ページ)。
この選挙の敗北の時、日本共産党・京都府委員会副委員長が有田芳生氏の父・光雄氏でした(同94ページ)。有田芳生氏は「親子二代にわたる筋金入りの共産党員で……青年期から(共産党幹部の)不破哲三・上田耕一郎の著作を赤線まで引きながら熟読して」いたのです(同107ページ)。共産主義に深く傾倒していた有田氏の青年期は、大江氏の青年期と重なるものがあり、それを知った大江氏はシンパシーを感じたに違いありません。
また、有田芳生氏がマスコミ人として脚光を浴びるようになったのが、1992年の有名芸能人や元オリンピック新体操選手の入信のスクープによって、マスコミが騒いだ時です。大江氏も同年に広報担当となり、いわば二人は運命の出会いをしたと言えます。
さらに、有田氏は『酔醒漫録(すいせいまんろく)』という著作を何冊も出版していることから分かるように、極めて酒好きであり、同じく大酒呑みだった大江氏と意気投合したことが考えられます。
そして、有田氏は「統一教会信者の脱会説得をしていた(脱会屋の)宮村峻氏を訪ね、東京・荻窪に足を伸ばし始めたのは、86年9月頃のことで……宮村氏は、脱会説得のためなら全国どこへでも出かけていく人物……2人は蜜月関係にあり、有田氏は宮村氏のことを統一教会問題の『同志』と呼んでいる」ほどでした(同46ページ)。有田氏と宮村氏は飲み仲間であり(同82~85ページ)、酒好きの大江氏は、彼らとよく飲み歩いていたと考えられます。
宮村氏は、元オリンピック新体操選手の脱会事件に関わっており、有田氏も「他のマスコミの追随を許さないほど……(この)騒動に深くからんでおり……〝特別な行動〟を取ることができていた」のです(同214~215ページ)。これは、有田氏と宮村氏が蜜月の関係にあるからであり、有田氏は数年後に「いまだから言うが、私は……(新体操選手)が姿を隠してからの動静をすべて知っていた(「週刊朝日」1995年2月17日号)」(同25ページ)などと述べています。
有田氏は、短期間のうちに100人以上もの元信者と接触し、インタビューを行っていますが、それは宮村氏によって脱会させられた元信者に会える環境にあったからだと考えられます(同170ページ)。このように、脱会説得をする宮村氏と、脱会した元信者を取材して記事に書く有田氏とは、持ちつ持たれつの関係にあったのです。大江氏は、有田氏と同郷で年齢も近く、共に高校生期には熱心な民青活動をしていたことから、意気投合したに違いありません。統一教会および勝共連合は、日本を共産化から守るための取り組みをしてきたのであり、左翼勢力と対決してきた立場です。それにもかかわらず、大江氏は「私は今も、マルクスの書いたことは正しいと思っています」(55ページ)と述べ、〝神と宗教を否定する〟左翼勢力と迎合する立場をとっています。有田氏も左翼思想を持つ人物であり(『有田芳生の偏向報道まっしぐら』63~65ページ)、すでにこれ自体、大江氏が現在の〝顛末〟を迎える根本的な要因になっていたと言えます。
深刻な〝人権侵害〟である拉致監禁問題は、統一教会の歴代の広報担当者が心を痛めてきた重大な問題です。それにもかかわらず、大江氏がこの拉致監禁問題のことを知っていながら、〝懺悔録〟において一言も触れていないのは、大江氏自身が、有田氏や宮村氏と蜜月の関係にあったからだと考えざるを得ません。
大江氏は「有田さんはジャーナリストとして旧統一教会を厳しく批判されてきた……(にもかかわらず)同郷のよしみというものも感じております」(〝懺悔録〟33ページ)と述べますが、有田氏を「同郷のよしみ」と語る大江氏の心は、もはや統一教会にはなく、有田氏のほうにあると言えます。彼が深刻な〝人権侵害〟である統一教会信者に対する拉致監禁問題について一切触れないのは、人権意識が極めて低く、真実を書こうとする気持ちが著しく欠落しているからだと言わざるを得ません。このような事実から見て、この〝懺悔録〟に真実が書かれているとは到底考えられないのです。
(5) 樋田毅氏が起こした〝問題の数々〟
一方、樋田氏は早稲田大学を卒業しており、大江氏も同じ早稲田大学の出身者として、樋田氏にシンパシーを感じていたものと思われます。
大江氏の〝懺悔録〟を実質的にまとめた樋田氏は、前述したように、『記者襲撃』(岩波書店、2018年2月21日第1刷発行)で〝作り話〟をしていたという前歴があります。第1刷の書籍には〝1988年6月初め、統一教会の広報部長(当時)とC記者との間でやり取りがあった〟ように述べていますが(『記者襲撃』188ページ)、これは完全な〝作り話〟です。そのため樋田氏は、2018年4月16日発行の第3刷の同書籍で、作文をした部分(7行分)の削除を余儀なくされました(同)。
このように、樋田氏は〝作り話〟さえもまことしやかに書いてしまう前歴を持つ人物です。また、当法人S元広報部長の抗議により、岩波書店側は当該箇所を削除しましたが、樋田氏自身はそれに対して謝罪もせずに、同S元広報部長を避けて逃げ回っています。樋田氏は、自らの過ちに対して謝罪しません。人間として従うべき正しい道に背く、まさに人倫に悖(もと)る人物だと言わざるを得ません。
さらには、上述したように朝日新聞社の広報部が、2020年3月26日に元朝日新聞記者の樋田氏に抗議文を出しています。それによれば、「樋田氏は弊社(朝日新聞社)との間の守秘義務を破り、職業倫理を侵し、弊社に一切の確認取材もないまま、極めて不正確な形で……書籍を公表しました。事実の誤りや臆測、偏見で書かれている不適切な記述」により損害を与えるとの抗議を受けています。このように平気で捏造記事を書き、それに対して謝罪もせず、職業倫理を侵す、問題ある人物なのです。
ところで〝懺悔録〟には、大江氏が「私はブラジルのアマゾン川の上流の奥地への赴任となりました。この奥地のパンタナールで三年間ほど過ごすことになりました。世間的な言い方をすれば、左遷ですね」(140ページ)と述べたと書かれています。しかし、パンタナールはアマゾン川の上流の奥地ではなく、パラグアイ川の上流域にあります。またパンタナールはアマゾンの一部でもなく、アマゾンと全く異なる場所であり、その地は「最後の楽園」「最後の秘境」と呼ばれる観光地ともなっています(参考:世界淡水魚園水族館アクア・トトぎふHP https://aquatotto.com/blog-diary/detail.php?p=6337)。実際にパンタナールに行った大江氏ならば、そこがアマゾンであるとは言わないことでしょう。これは事実と異なる明らかな間違いであり、大江氏の〝勘違い〟か、もしくは樋田氏の〝作り話〟かの、いずれかを考えざるをえません。
ちなみに、大江氏の後、広報部長に就任したI氏に対して、大江氏は広報部長としての心構えを次のように述べたといいます。「I君、広報部長をやめた後、関係を持ったマスコミの人から『広報部長時代の裏話を聞かせてくれ』とか、『回顧録を書かないか』などと必ず誘ってくるけど、そんな誘惑に絶対乗せられてはいけないよ」。大江氏がそう語ったのをI氏はよく覚えています。それにもかかわらず、このような〝懺悔録〟を出版した大江氏は、かつてI氏に説いた〝高潔〟な職業倫理について今どのように考えているのでしょうか。
ところで、マルクスが若き頃、唯一信頼していたのが父親でした。ユダヤ教とキリスト教の狭間で葛藤したマルクスは、青年期において結果的に父親との間に決定的な断絶が生じ、それが神への呪いを込めた「絶望者の祈り」という詩を書く大きなきっかけになりました。今回、文鮮明師の聖和(逝去)記念日(2024年8月20日)に合わせ、大江氏の〝懺悔録〟が出版されたことは、言わば神への反逆を表明したマルクスと通じる世界があると言わざるを得ません。
以上、〝懺悔録〟に対して反論を書いてきましたが、結局、この書は大江氏の思い込みや事実と異なる〝虚偽〟の記載が多く、虚偽に満ちた〝妄想の懺悔録〟と言わざるを得ません。また、深刻な人権侵害である、拉致監禁による強制脱会説得のことをよく知りながらも、それについては全く口を閉ざしているというのも、不可解であり、偽善の懺悔と言わざるを得ません。
読者の皆様は、このような言説に惑わされることなく、家庭連合の真実の姿を虚心坦懐に見つめていただきたいと思います。
以上