2015年10月30日掲載の「真のお母様の『無原罪性』-『血統転換、私は母胎からなのです』の意味について」の補足説明①


(文責:教会成長研究院)

 

(1)御言を解釈する基準は『原理講論』にある

 真のお父様の「御言」の解釈をする場合、留意すべき点があります。それは、御言を『原理講論』が述べている原理の概念枠(思想の構造・骨格)に基づいて理解しなければならない点です。
 真のお父様は、生涯を通じて多くの御言を語られ、その量は膨大なものとなっています。それらの御言に対して、真のお父様は次のように語っておられます。

 「レバレンド・ムーンが……再臨主であり、真の父母であるならば、その教えは、20年前も、40年前も、きょう現在も一点一画の加減もない、不変の真理でなければなりません。……私の教えは、私の知識や哲学から出たものではありません。50年前にもそうであり、今この瞬間も、そして今後も変わりなく、私の口を通して伝えられる御言は、天が下さる真理の御言であり、人類が永遠に信奉して実践すべき天理です」(2005年6月25日)

 このように40年前も、50年前も、今この瞬間においても、その内容は変わらず、一点一画の加減もない不変の真理であり、天が下さる真理の御言であると語っておられます。したがって、それらの御言には矛盾がなく、一貫性をもっています。たとえ、矛盾しているかのように思われる御言があったとしても、深く探究していけば、そこに矛盾がないことに気づくようになるというのです。

 御言を解釈する場合、膨大な量に及ぶ御言に対して、その「解釈」の基準を、どこに置くのかが重要な課題となってきます。その「解釈」の基準とすべきものが、『原理講論』の概念枠(思想の構造・骨格)であるというのです。真のお父様は、この点に関して次のように語っておられます。

 「生命を育ててあげる内容はみ言です。21日修練を受け、40日修練を受けたからといって、統一教会の教会員であると考えたら大きな誤りです。(それを)原理の本を中心として勉強しなければなりません。自分が感じたことを、原理の本とともに胸にしまっておくようにすれば、いつも自分の証しをすることができます。原理の本で恩恵を受けたことを伝えるのです」(天一国経典『天聖經』259ページ)

 真のお父様が、ここで「原理の本を中心として勉強しなければならない」と語っておられるように、私たちは「原理の本」、すなわち『原理講論』を中心にして御言を読み、解釈し、御言の総合的な理解を深めていかなければなりません。

 真のお父様は、『原理講論』に対し、「『原理講論』は……1ページ、1ページ(先生の)鑑定を受けたのです」(「ファミリー」1995年2月号、63ページ)と語っておられ、さらに『原理講論』を「先生がつくった御言の剣」(同、2005年3月号、11ページ)であると表現しておられます。そして、「『原理講論』は、天的な宣言です。『原理』というものは天的なものです。『原理講論』は、実体世界を思いのままに変えていくことができ、思いのままに処断することができるのです。……これは統一教会の教理ではありません。神様の心の中にある主流の憲法です」(同)と宣言しておられます。

 真のお父様が、「先生がつくった御言の剣」「天的な宣言」「神様の心の中にある主流の憲法」と言われているこの『原理講論』の概念に基づいて、御言を総合的に理解することが重要なのです。
 そうしなければ、同じ御言であっても、それに対する捉え方が違ってしまうことも起こり得るのであり、そのことによって対立や混乱が起きやすいものであると言えるからです。ですから、「原理の本」を中心として、御言を理解しなければならないというのです。

 

(2)独り娘(独生女)として誕生される女性は「無原罪」

 真のお母様が語られる一連の「独生女」の発言は、『原理講論』で展開されている原理の内容(概念枠、思想の骨格)と一致しているというのが、本部の見解です。

 すなわち、『原理講論』には、「エバが堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であったはずである」(111ページ)と記述されていますが、完成したアダム(メシヤ)である真のお父様の御前に立たれた真のお母様(新婦)は、〝失楽園〟が起こる以前の「霊的堕落のみの時の救済摂理」の時点にまで立ち返った立場におられる〝特別な女性〟です。その他の堕落世界にいる女性のだれもが「真の母」になれる資格をもって生まれてくるわけではないのです。

 すなわち、ラケル、タマル、マリヤなど、女性を中心とする〝血統復帰〟の摂理が歴史的に展開され、やがて「神の血統」をもったメシヤ(第2アダム、第3アダム)が天から遣わされたとするなら、この地上に再現された〝復帰されたエデンの園〟には、5人の男性と1人の女性(「ファミリー」2001年7月号、9ページ)がいるのですが、天から遣わされたアダム(メシヤ)が地上に来られ、そのアダムが地上で復帰して再創造していくエバ(新婦)は、アダムが〝無原罪〟であるがゆえに、失楽園の起こる以前の〝霊的堕落のみの時の救済摂理〟を担当する女性として、神によって予定され、選ばれた血統を通じて生まれておられるというのです。

 そこで、『原理講論』が論じている「エバが堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら……その対象であるエバに対する復帰摂理」(111ページ)という内容に関連して、幾つかの点の理解を深めておかなければなりません。

 まず、エデンの園において〝霊的堕落〟した時点での堕落エバには、果たして「原罪」があるのかどうかという問題について、整理しておかなければなりません。
 『原理講論』には、「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪」(121ページ)を〝原罪〟と言うと定義されているように、たとえエバが霊的堕落をしたとしても、まだ肉的堕落の問題が起こっていない時なので、霊的堕落した時点では、そのエバの罪を「原罪」とは言わないことが分かります。

 また、そのときの堕落エバの罪は、子孫へと伝わる「血統的な罪」となっていないので、その罪は「原罪」とは呼ばれず、あくまでもエバ自身の「自犯罪」です。
 しかしながら、その場合に、堕落エバは、自らの犯した〝自犯罪〟によって、神の愛の主管圏からサタンの偽りの愛の主管圏へと逸脱し、霊的に死んだ立場に立っています。その立場は、まさしく「堕落圏」(堕落した天使長の主管圏)に落ちた立場です。

 しかし、それでもなお、その「堕落圏」とは、霊的堕落のみの時の「堕落圏」であって、エバが自分の犯した霊的堕落の罪を清算するなら、エバは、完成したアダムによって再び本然の立場に〝復活〟することができます。『原理講論』の表現にあるように、その救いの摂理は「ごく容易であった」(111ページ)のであり、それは、完成アダム(メシヤ)によって成されていく、堕落エバに対する救済摂理(再創造)として容易に可能であったということです。そして、その救いの摂理は、まだ「エデンの園」の圏内においてなされる救いの摂理であって、〝失楽園〟以前の状況における摂理であるという点が重要です。

 実際、聖書の記述を見ると、あくまでも「失楽園」とは、アダムまでもが堕落したことによって生じた状況であり、『原理講論』も「完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であった」(111ページ)と論じており、霊的堕落は〝失楽園以前〟です。
 したがって、霊的堕落した時点において生じてしまった「堕落圏」(天使長の偽りの愛の主管圏)は、霊的堕落の後で続いて起こった肉的堕落によって生じてしまった「堕落圏」(サタンの血統圏)とは違っているということです。

 

(3)独り娘(独生女)として生まれる女性は「サタンの血統」にあらず

 次に、もう一つの重要な問題として、果たしてエバが霊的堕落した時点において、サタン側へと「血統転換」しているのかどうかという点について考察しておかなければなりません。
 ここにおいて、そもそも「霊的な血統転換」という概念自体が、あり得る概念なのかどうかについて、考察しておかなければなりません。
 真のお父様は、霊界では〝子女繁殖〟がないとして、次のように語っておられます。

 「エバは、神様の外的新婦です。それでは、神様はなぜアダムとエバを創造したのでしょうか。それは繁殖のために創造したのです。子孫を殖やすために創造したのです。……霊界に行っても繁殖が可能でしょうか。絶対に不可能です。なぜならば、神様の愛は垂直的なので、たった一点しかありません。神様の愛は、一点に立つ垂直的な道を降りてくるのですが、垂直には繁殖の道がありません。それで、繁殖のために横的な基準であり愛の基台であるアダムとエバを創造したのです。それは水平なので、東西に回るようになるからです。……膨大な平面圏において繁殖させた者たちを霊界に連れていって、天国の国民にするのです。永遠な国民をつくるために繁殖が必要なのです。しかし、その生産地は地上です。男性、女性の体を借りて(繁殖が)できるのであり、霊界では子女を生むことはできません」(八大教材・教本『天聖經』1456ページ)

 このように、真のお父様は、霊界では子女を繁殖することが不可能であると語っておられます。したがって、霊体しか持っていない霊的存在の天使は、子女を繁殖することができません。それゆえ天使は、人間と違って「血統」をもつことができない存在です。
 エバと性関係を結んだとしても、子女を繁殖させることができない天使は、それだけでは「血統」を生じさせることができません。つまり、血統を生み出すことができない天使(血統をもてない天使)であるがゆえに、霊的堕落した時点でのエバを、サタン側へと「血統転換」させることはできていないのです。
 『原理講論』111ページの記述に、「しかし、アダムまで堕落してしまったのでサタンの血統を継承した人類が、今日まで生み殖えてきたのである」と書かれているように、アダムまでもが堕落したからこそ、「サタンの血統を継承した人類が……生み殖えて」いくこととなったのです。

 2015年10月30日付けで、教会成長研究院が公表した「独生女」に対する見解は、16万訪韓セミナーの御言をまとめた『成約摂理解説』の内容と一致しています。
 周藤健先生が、真のお父様の願いを受け16万訪韓セミナーの御言をまとめ、1996年に製本した『成約摂理解説』には次のように論じられています。

 「本来、神の妻となるべき立場にあったエバは、堕落によってサタンの妻となった。サタンと一体となることによってサタンの妻となったエバが、次にはアダムと不倫な血縁関係を結ぶことによってアダムを堕落させた。この時、エバの背後にはサタンが一体となって相対しているので、堕落したアダムは、サタンとその妻が一体となって生み出した子女の立場に立つようになる。こうして、アダムは神の息子からサタンの息子へと転落してしまったのである。……言い換えれば、堕落によって神の息子がサタンの息子として生まれ変わり、神との父子関係が切れて、サタンとの父子関係ができたのである。神の血統を切って、サタンの血統に生まれ変わったことが堕落であるから、堕落とはサタン中心の血統の転換ということになる」(『成約摂理解説』67ページ)

 このように、アダムが肉的堕落をしたときに、サタン側への血統転換が起こったというのです。この『成約摂理解説』の書籍は、真のお父様も読まれ、承認しておられる内容です。
 この肉的堕落によって血統転換が起こったことについて、真のお父様ご自身が、次のように語っておられます。

 「堕落の責任は、サタンを中心としてエバから始まり、アダムに移りました。すなわち、偽りの生命の種を受けたエバの立場からすれば、神様に代わってサタンが父の位置でエバと一体となって、アダムを生んだ立場となり堕落がなされました。こうしてエバは、天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落した」(天一国経典『平和經』908ページ)

 このように、アダムが堕落エバを通して肉的堕落をすることで、そこで初めてサタンとアダムとの関係において、父子関係が生じ、サタン側へと「血統転換」が成されたのです。
 また、前述した引用部分に続いて、『成約摂理解説』には次のように論じられています。

 「天使長にもエバにも肉的生命の種はない。天使長はエバを堕落させたが、子女を繁殖させて継続的にこの地上を主管することはできず、そのままではサタン主管圏はエバ一代で終わってしまう。それで、サタンはエバを通じて、肉的生命の種をもっているアダムを堕落させたのである。こうしてアダムの肉身は、サタンに主管されてサタンの肉身となり、堕落したアダムは肉身をもったサタンの立場に立つこととなったのである」(72ページ)

 血統とは、「平和メッセージ」において、真のお父様が「生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません」(『平和神經』28ページ)と語っておられるように、新たな生命体を生み出すための肉的生命がなければ生じることはありません。ただ単に、夫婦関係だけでは、血統的に繋がらないのです。
 夫婦関係では血統が繋がらない点について、真のお父様ご自身、16万訪韓セミナーの御言で、次のように明言しておられます。

 「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません」(『訪韓修練会御言集』12ページ)

 このように、真のお父様は、16万訪韓セミナーの御言で、「夫婦関係は横的関係です。……夫婦関係は血統的につながりません」と語っておられます。天使長ルーシェルとエバの霊的堕落は、偽りの愛に基づいた〝夫婦関係〟です。それは横的関係であって、血統的に繋がりません。
 ちなみに、次の御言は一見すると、この御言と矛盾しているかのように感じてしまう人もいるかもしれません。

 「生命を見ましたか? 生命に触ってみましたか? 生命体は見えるけど、生命は分かりません。触ってみることはできません。血統もそうです。血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。そして、精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(『ファミリー』1995年3月号、22ページ)

 しかし、それらの御言には、矛盾はありません。真のお父様が「精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結される」と述べておられるように、あくまでも精子と卵子が結合し、新しい「生命体」が生み出され、そこに縦的関係である〝父子関係〟が生じることで、血統が繋がるということを語っておられるのです。
 したがって、霊的堕落の時点において、堕落エバは「サタンの妻」の立場になったとしても、サタンの「娘」に生み変えられたわけではないため、まだ、サタンの血統には繋がっていないのです。

 しかし、その霊的堕落したエバは、霊的に死んだ立場であるために、「堕落圏」という状況下に落ちたことは間違いありません。けれども、それでもまだ、エバは「エデンの園」の圏内(失楽園前)にいます。堕落したとは言っても、そのエバはサタンの血統にはなっておらず、完成したアダムを通じて再創造されることで、神の御許に帰ってくることができる圏内(失楽園前)にいるという意味で、まだ「エデンの園」の中で、神の救いの御手が届く「神の血統圏内」にいると言うことができるのです。

 また、前述したように、その霊的堕落のみの時に生じた「堕落圏」は、サタンの血統に転換され、その血統圏内に落ちたという「堕落圏」とは根本的に異なっています。アダムが堕落した肉的堕落以降においては、神が「血統復帰」のための復帰摂理を展開され、ラケル、タマル、マリヤなどを通じて「神の血統」を復帰していかなければならなくなりましたが、この霊的堕落のみの時点においては、そのような必要性がありません。なぜなら、まだアダムという神の血統」が残っているからです。
 堕落人間がサタンの血統となり、それに連結されてしまったのは、アダムまでもが「肉的堕落」をして、サタンと堕落アダムとの間において〝偽りの父子関係〟が結ばれたときなのです。

 

(4)血統転換における「正妻」と「妾」の関係について

 ところで、祝福結婚による〝血統転換〟について、真のお父様は、それを「正妻」と「妾」の関係性に例えながら、次のように語っておられます。

 「(祝福を受ける)女は真のお母様に対して、(真のお母様が)お姉さんだとすれば妹であり、それから男は将来どうなるかというと、真の完成した第一代のアダムとすれば、それにハンダ付けして、復帰されたアダムとしてつくってあげることによって、第二番目の妹と第二番目のアダムは、その時に祝福を受けて、自分の相対を得ることができます。まずもって、お母様の腹から、女、子供を生まなければなりません。そのようにして生んだあと、生まれたあとに、それは、先生から見た場合には本妻と妾と同じです。分かりますか?その妾にはみな、たくさんの男が必要です。先生を襲撃したら大変だからです。それで、自分の旦那さんは絶対に女と一つになるのです。……天使長の立場に帰った者を、お母様とお父様が認定していくのです。それで、アダムには体があるのです」(『訪韓修練会御言集』186~187ページ)

 このように、真のお父様が、お母様と祝福を受けた女性は「本妻(正妻)」と「妾」と同じであると語っておられることから、多くの人はその〝血統転換〟を理解する場合、それは、世界にいる数多くの女性のなかの一人の女性がお父様によって選ばれて、聖婚をすることで、その女性が「真の母」となったものと考えがちです。つまり、「真の母」となる女性が、もともと「独生女」として、神によって選ばれ、予め準備されて生まれておられた女性であると理解しきれない傾向があるものと言えるのです。
 そこで、「真の母」となる女性は、世界のどんな女性でもなれるというものではないということを理解しておかなければなりません。

 祝福を受ける女性は「お母様の分身」、あるいは「女は真のお母様に対して、(真のお母様が)お姉さんだとすれば妹である」、さらに「本妻と妾と同じ」という内容と同様の御言として、次のような御言があります。

 image001「この(祝福を受けた)女性たちとお母様との関係は何かというと、お母様は本妻です。あなたたちは、復帰摂理上は妾と同じですが、妾だからといって先生が愛したのではありません。先生はだれかというと、わたしが愛していなくても、皆さんにとっては正式な夫です。正式な夫ですが、その正式な夫がだれと結婚したのかというと、自分の姉と結婚したのです。その姉が、お母様です。皆さんは、妹の立場です。お母様は…(勝利した)レアの立場にいるのですが、(ヤコブ家庭の)レアは、妹のラケルの夫をそのまま奪ってしまいました。今回は反対です。お母様は姉の立場で天に侍り、真の父母に侍ることのできる母の立場に立って、妹の福を略奪するのではなく、天の国の福をすべて分け与えてあげるのです。ですから、お母様の分身だということです」(「ファミリー」2001年1月号、18~19ページ)

 上の挿入した図は、これらの御言の内容を図式化したものですが、これは歴史的過程のなかで「正妻」と「妾」の関係性において、エデンの園においてエバ一人で犯した罪を、レアとラケル等といった「正妻」と「妾」という二人の女性によって清算しながら、血統復帰をし、メシヤを誕生させていくという摂理的内容に起因するものです。
 しかし、それでもなお、上述の御言の中に「母の立場に立って」という表現があるように、真のお母様の立場は、あくまでも人類の「真の父母」という立場であり、その他の女性は、真の父母によって生み変えられたならば、その立場は、どこまでも真の父母の「子女」の立場に立っているのであり、(図を見れば分かるように「庶子」と同じ世代であって)「真の母」とジェネレーションが異なっているのです。
 つまり、真の父母と私たちの関係性は、父母と子女の関係であり、あくまでも「真の父母」によって生み変えられた「子女」としての立場にあると言うことです。そのようにして、〝父子関係〟を結ぶことによって、血統転換されているのです。
 すなわち、歴史過程における〝血統復帰〟の摂理の勝利圏を土台にして、あくまでも「父母」と「子女」との関係性によって、血統転換されるのです。

 この真の父母による「重生」が何故、可能になるのかといえば、それは、長成期完成級において「霊的堕落の罪」を清算した人類の「真の母」が立たれることによって、人類の父母が現れ、〝重生の役事〟をすることができるようになるからに他なりません。
 そして、「真の母」としての〝霊的堕落のみの時の罪〟の清算は、完成したアダム(メシヤ)がおられるゆえに、エデンの園の堕落エバにおける「霊的堕落のみの時の救済摂理」として展開される蕩減復帰の摂理であり、しかも、その新婦になる女性の立場は、(すでに前述したように)もともと「原罪」はもっておらず、サタンの血統でもありません。

 堕落人間が「真の父母」の骨髄と胎中とを通過することで生み変えられるにあたっては、確かに、歴史的に展開された血統復帰の摂理である「正妻」(姉)と「妾」(妹)という関係性に立ち、それを相続する基台のうえで生み変えられる〝手続き〟を経ていきますが、〝生み変えられる〟(重生)ということそれ自体が、父母による役事であり、生み変えられた私たちは、あくまでも真の子女と同じ「子女の立場」であって、「真の父母」とはジェネレーションが異なっているのです。つまり、〝人間始祖〟の立場としての勝利された「真の父」と「真の母」は、永遠に一組であるというのです。

 

(5)「真の母」は「独生女」として予定され、生まれてこられる

 前述のとおり、真のお父様は16万訪韓セミナーの御言で、「父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません」(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられます。
 この御言で明確に分かるように、霊的堕落をした時点では、堕落エバは、まだサタンの血統につながっていません。

 ここで、よく考察しておかなければならないことは、真のお父様が「夫婦関係は血統的につながりません」と明言しておられるように、エデンの園で〝霊的堕落〟をした時点での堕落エバは、天使長と「偽りの夫婦関係」を結んだ立場であることから、サタンと血統的につながっていません。
 それと同様、真の母として予定されて生まれてくる女性(新婦)も、いくら真のお父様と聖婚して〝性関係〟をもったとしても、それで血統転換されるわけではありません。「血統転換」は、あくまでも「父母」と「子女」という縦的関係である〝父子関係〟を結ぶときに転換されるのです。
 (注:ちなみに、この血統転換の問題を深く考察し整理していくと、長年、反対派が真のお父様や統一教会を誹謗中傷するとき用いてきた、いわゆる「血分け」という文先生との〝不倫なる性関係〟によって血統転換されると統一教会では教え、実践してきたという批判は、誤りであるのが分かります。真のお父様は天法3か条である〝純潔〟〝貞操〟を生命視してこられたかたです。)

 image002さて、前述したように、真のお父様は、人間始祖アダムとエバがサタン側へ血統転換したのは、肉的堕落のときであると語っておられます。それを図式化したものが、右の図です。
 霊的堕落をした堕落エバを通じて、アダムが堕落することによって、アダムは堕落した天使長の息子(庶子)の立場に落ちてしまいました。
 真のお父様は、次のように語っておられます。

 「長子(アダム)が庶子のようになりました。血筋が変わりました。本然的な愛を通して神様の血統を受け継ぐべきでしたが、堕落することによって他(サタン)の血筋を受け継ぎました。だからといって、神様は捨てることができません。これは、庶子のようです。野生のオリーブの木です」(八大教材・教本『天聖經』186ページ)

 この御言で語っている「庶子」とは、堕落した天使長の息子の立場に立った堕落アダムのことであり、それは堕落したエバ(妾のような立場)を通じてサタン側へと血統転換したために、「庶子」となったのです。
 そのサタンの「庶子」の立場となった堕落アダムの汚れた「子種」が、堕落エバの胎内にまかれて、こうして「サタンの血統」である人類が繁殖するようになったのです。
 このような過程を経て、サタンは堕落した人類に対して「偽りの神」の立場に立つようになり、堕落アダムと堕落エバは、サタンの子女の立場となって、サタン(偽りの神)とはジェネレーションが異なるようになりました。

 さて、上述してきた内容を〝総合的〟に考察し整理してみると、「真の母」となるよう予定されて生まれてこられる女性(新婦)は、完成したアダムによって再創造されなければならない「霊的堕落のみの時の救済摂理」の〝罪責〟は持って生まれてきておられますが、その女性は、生まれながらにして「無原罪」(肉的堕落の罪は負っていない立場として)であり、かつ、神の血統をもって生まれてこなければならないという〝特殊な立場〟であると言えます。

 すなわち、真のお父様が、「主管性転倒問題は、エバが行ったことなので、女性が責任をもたなければなりません。それゆえに、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりません。マリヤが、このすべてを復帰しなければなりません。ですから女性は、主管性を転倒しなければなりません」(八大教材・教本『天聖經』2147ページ)と語っておられるように、メシヤが誕生し、かつ、そのような「独生女」が生まれる背景には、「アダムを堕落させた罪」を清算する蕩減条件を立てた女性(マリヤ)がおり、〝肉的堕落の罪〟を清算した基準が立っていなければなりません。

 その点について、真のお父様は、「再臨主は何をしに来られるのでしょうか? 再臨時代は完成基準の時代なので、再臨主は人類の母を捜しに来られるのです。すなわち、新婦を捜しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上で捜される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落しない純粋な血統を持って誕生した方を捜すのです。それならば、そのような新婦、すなわちその母はどのような基台の上で生まれねばならないのでしょうか? 堕落した世界のアベル的な母の基台の上で生まれねばならないのです」(1970.10.19、35-218)と語っておられます。
 また、さらに「統一教会の文鮮明を真の父というでしょう? ここにいる韓鶴子氏は? 真の母だというでしょう? いくら見ても目も二つ、鼻も同じなのに、何が違いますか? 根が違うのです。根が。皆さん方は、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちましたが、統一教会の文某とここにいる…韓鶴子、たった一人の鶴子、鶴子様は根が違うというのです。神様を根として初めて歴史上に真なる愛の論理を中心とした統一論理を持って現れた主人公だというのです」(1986.10.4)とも語っておられるのです。

 そうでなければ、当然、「お母様の血統転換はいつ成されたのだろうか?」という疑問が起こってこざるを得なくなります。
 すなわち、御言にあるように、夫婦関係は血統的につながらないわけですから、「真の母」となる女性は、もともと「神の血統」を持った立場で生まれてこなければ、永遠に人類の「真の母」(人間始祖の立場、人類の母親)になることはできないと言えるからです。

 私たち堕落人間の場合には、人類始祖としての「真の父母様」と父子関係を結ぶことで〝血統転換〟されますが、真のお父様と真のお母様の「聖婚」の場合は、それは、あくまでも夫婦関係であって、父子関係を結ぶわけではないため、血統転換されるわけではないからです。
 したがって、エデンの園において、神様自らがアダムの相対者としてエバを準備されたのと同様に、第2アダム、第3アダムの場合にも、その相対者となる女性を、メシヤの近しいところ(血統圏)に、予め神様がアダムのために準備され、生まれておられた女性(新婦)であると言えるのです。
 つまり、エバの場合、アダムのあばら骨から創造されたように、イエス様の相対者は、近しい親戚関係に準備されたように、お父様の場合も、血統的に近しい関係のなかで、神が特別に準備しておられたと言えます。そうでなければ、人類の「親」の立場になることは、永遠に不可能であると言えるからです。

― 以上 ―