2015年10月30日掲載の「真のお母様の『無原罪性』-『血統転換、私は母胎からなのです』の意味について」の補足説明②


(文責:教会成長研究院)

 

(1)真のお父様が語られる「血統」の概念

 まず、明確にしておかなければならないことは、「血統」の概念です。
 真のお父様は「平和メッセージ」で、公式的に全世界に向かって「血統」の重要性を宣言されました。そこで語られた「血統」に関する概念は、極めて重要です。「血統」を論ずるとき、まず、その点を再度確認しておかなければならないでしょう。
 真のお父様は、平和メッセージの中で、繰り返し「血統」の概念およびその重要性を、次のように語っておられます。

 「アダムとエバの堕落以来、長い歴史を通し、神様の胸に最も痛む恨として残されてきたものが何だか御存じでしょうか。それは、天の血統を失ってしまい、兄弟圏と所有権まで失ってしまった事件です。生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(『平和神經』28ページ)

 そして、その「血統」について、念をおされるように「血統の重要性は、いくら強調してもしすぎることはないということを、皆さんも肝に銘じなければなりません」(同)と訴えておられます。
 そうした上で、さらに、「神様の子女として創造されたアダムとエバが、堕落によって失ってしまったものが何であると言ったでしょうか。第一に、神様が下さった血統圏を喪失してしまいました。血統は、父母が子女だけに与え得る特権中の特権です。しかし、堕落によって彼らはサタンの偽りの血統を受けて、サタンの子女に転落してしまいました」(同、39ページ)と語っておられます。

 このように、「血統」の概念、およびその「血統」の重要性を何度も繰り返し訴えておられます。ここで留意しておくべき点は、「サタンの子女」と言っておられる対象者は、「彼らは」とあるように、堕落したアダムだけでなく、堕落したエバもそこに含まれているという点です。
 また、「血統」の“連結”という概念について、真のお父様は16万訪韓セミナーの御言で、次のように語っておられます。

 「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません」(『訪韓修練会御言集』12ページ)

 真のお父様は、16万訪韓セミナーの御言で「夫婦関係は血統的につながりません」と明言しておられます。にもかかわらず、夫婦関係(セックス)によって血統が連結すると考える人がいますが、そのように考えることは間違いです。
 また、真のお父様は、「生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」と語っておられるように、血統とは観念論的なものではなく、愛と生命があってこそ生じる、“生理学的”なものです。

 それゆえ(後述していきますが)、肉的生命をもっておらず、子女を繁殖することもできなかった霊的存在である天使長が、どのようにして堕落人間と「血統」を連結させ得たのか? また、サタンの血統を地上に繁殖させることができたのか? それらの重要な問題点について、多角的な観点から考察しておかなければならない“神学的課題”があるものと言えるでしょう。

 

(2)「霊的堕落」と「肉的堕落」の違いを明確化すべき

 堕落論における「霊的堕落」の問題も、「肉的堕落」の問題も、共に同じ「夫婦関係」に他ならないと考えている人がいますが、それは間違いです。真のお父様は、肉的堕落の問題について、次のように語っておられます。

 「堕落の責任は、サタンを中心としてエバから始まり、アダムに移りました。すなわち、偽りの生命の種を受けたエバの立場からすれば、神様に代わってサタンが父の位置エバと一体となって、アダムを生んだ立場となり堕落がなされました。こうしてエバは、天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落した」(天一国経典『平和經』908ページ)

 ここで、真のお父様は「サタンが父の位置でエバと一体となって、アダムを生んだ立場となり」、「エバは、天使長とアダムを各々父と息子のような位置に立てて」と語っておられるように、肉的堕落の問題は単なる“夫婦関係”ではありません。堕落エバは、アダムをサタンの「庶子」に生み変えるという悪なる母”の役割を果たしているのです。
 真のお父様は、堕落エバがアダムを生み変えたことに関して、次のように語っておられます。

 「長子(アダム)が庶子のようになりました。血筋が変わりました本然的な愛を通して神様の血統を受け継ぐべきでしたが、堕落することによって他(サタン)の血筋を受け継ぎました。だからといって、神様は捨てることができません。これは、庶子のようです野生のオリーブの木です」(八大教材・教本『天聖經』186ページ)

 ここで、アダムが「庶子」のようになることで他(サタン)の血筋を受け継いだと語っておられるように、霊的堕落によって妾(サタンの妻)の立場に立つようになった堕落エバを通じて、肉的堕落によってアダムは「サタンの子女」となり、“サタンの血統”へと生み変えられたということです。こうして結ばれた“偽りの父子関係”によって、血統が連結するようになったのです。

 霊的堕落の問題は、偽りの愛に基づいた天使長とエバの「夫婦関係」であり、横的関係であると言えます。しかし、その後、起こった肉的堕落の問題は、堕落エバが、母の立場に立ってアダムを堕落した天使長の息子(庶子)に生み変え、その母の立場で庶子(息子)と性関係を結ぶことで、堕落エバはその息子の「妻」となっているのです。こうして、堕落エバは息子(庶子)の「妻」となることで、サタンと堕落エバの関係性は、そのジェネレーションが異なるという結果をもたらしているのです。それゆえ、肉的堕落した後において、堕落エバは「サタンの子女」「サタンの血統」となっているのです。

 すなわち、堕落エバは、肉的堕落でサタン側へ生み変えた「息子」(庶子)と性関係をもつ立場を通過することで、肉的堕落の後においてサタンとジェネレーションが異なっており、エバも「サタンの子女」の立場にいるということを知らなければなりません。
 これは、平和メッセージで、真のお父様が「堕落によって彼らはサタンの偽りの血統を受けて、サタンの子女に転落してしまいました」と語っておられるとおりです。ゆえに、サタンは、堕落アダムに対してのみ「偽りの父」となっているのではなく、堕落エバとの関係性においても「偽りの父」の立場に立っているのです。

 このようにして生じた“偽りの父子関係”であるがゆえに、堕落人間が神側へと血統転換するに際して、「聖酒式」と「三日行事」を通過することで、それを蕩減復帰しているのですが、「聖酒式」によって、まず祝福を受ける女性が、祝福を受ける男性を真の父母様の「庶子」の立場へと生み変えて、その後の「三日行事」において、その女性は男性に対して1日目、2日目は母の役割」を果たし、その後、3日目において「夫」と「妻」の立場に立っています。それゆえに、祝福を受けた女性は、神側に生み変えた「庶子」と相対関係を結ぶことで、真の父母様の「娘」としての立場に立っているのであり、真の父母様と女性との関係性は「父母」と「娘」として、そのジェネレーションが異なっているのと同じく、復帰とはその“逆の経路”なのです。

 すなわち、「聖酒式」と「三日行事」を通過することで、堕落と逆の経路によって、女性もまた、真の父母様の「娘」として「父子の関係」を結ぶ立場に立っているのです。
 したがって、真の父母様だけが、唯一なる「人間始祖」の立場に立っておられるのであり、その以外のすべての女性および男性たちは、その真の父母様に対して「子女」の立場となっているのです。この「父子の関係」によって、サタン側へ、あるいは神側へ“血統転換”がなされているのです。

 また、生理学的に見ても、夫婦関係は「血統的」につながりません。このことは、科学的であり、普遍的な真理です。真のお父様ご自身も、その点について「夫婦関係は血統的につながりません」と明言しておられ、それは生理学的な観点からみて真理です。一般的に、科学的な見地からみて、夫婦関係が血統的につながると考える人はいません。真のお父様の御言は、非科学的・観念論的なものではなく、科学的であり、論理的です。

 

(3)反対派による「血分け」批判、「六マリヤ」批判の誤り

 ところで“性関係”それ自体を結ぶことで「血統」が連結したり、あるいは「血統転換」が起こったりするというように統一教会では教えており、信じていると“邪推”してきた反対派の牧師(以下、反対牧師)らは、統一教会信者を脱会説得するに際して、この問題を取り上げて、「それは非科学的珍論だ」などと揶揄してきました。
 彼らは、「文鮮明は、性関係によって血統が連結すると信者らに信じ込ませ、数多くの女性信者と性関係を持ち、“血分け”を行うためにとんでもない理論を構築したのだ。本当は6マリヤどころか、60マリヤ以上の女性がいる」などと言って、批判してきたのです。

 しかし、真のお父様は「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません」(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられるように、夫婦関係(セックス)をもってしては血統的につながらないと考えておられるのです。
 したがって、上述のいわゆる“血分け”批判は、反対牧師らが邪推してきた、とんでもない思い違いに基づく批判です。そして、その反対派の批判に踊らされて、それを統一原理の教理の核心(秘儀)であるかのように信じ込んでいる分派の人や、一部の信者たちがいることは、寒心に堪えないことです。
 真のお父様の教えの核心は、一貫して“絶対「性」”と“天法3か条”を強調してこられたように、「純潔」や「貞節」を貫く教えなのです。

 ところで、反対牧師らの批判の一例を挙げると、彼らは「白人の女性が、黒人の男性とどんなにセックスをしたとしても、それで白人の女性が黒人になるのか?」などと言って、性関係によっては血統が連結したり、血統転換したりしないと主張し、「それは非科学的珍論だ」と批判してきました。
 さらに、そもそも子供を産むことのできない霊的存在である天使なのに、「どうやって人間と血統的に繋がったと言うのか?」と疑義を投げかけ、「統一教会の堕落論それ自体が根本から誤っている」と批判してきました。

 

(4)神学的難題に解答を与える「愛と生命と血統」の概念

 実は、悪魔(サタン)が子を産むことができるかどうかという問題については、キリスト教神学においても、歴史的に問題視されてきた難問のなかの一つです。創世記6章1節に、天使(神の子)が人間の女との間で巨人(ネピリム)を生んだという記述がありますが、その聖句の解釈を巡って、歴史的に神学論争があるのです。
 カトリック神学を集大成したトマス・アクィナスは、彼の主著『神学大全』のなかで、この問題について次のように論じました。

 「悪魔が人間の女を犯し、悪魔の子を生ますことは可能である。しかし、なぜ精液を持たぬ霊的存在である悪魔が人間の女を孕ますことができるのか。それは、悪魔は女色魔となり男からうけとった精液を、こんどは男色魔となって女の肉体のなかに注ぐことができるからである」

 トマス・アクィナスは、悪魔が子を生ますことが可能かどうかの問題に対して、上述のように論じました。しかし、このトマス・アクィナスの説明も、現代の生理学的な見地からみると、その“論証”に失敗していると言わざるを得ません。なぜなら、悪魔がいくら精液を盗んで孕ましたところで、生まれてくるその子供はどこまでも人間(アダムとエバ)の子孫なのであって、悪魔と血統的にはつながっておらず、悪魔の子孫とは言えないからです。
 中世の人々なら、当時、このようなトマスの説明でも納得したのかもしれませんが、現代人にとっては、それは陳腐な説明にしか聞こえないことでしょう。

 実は、反対牧師らは、このトマス・アクィナスの論述を引き合いに出し、「統一教会は、性関係を結ぶことで血統が連結したり、血統転換するのだと非科学的なことを言うが、同じく荒唐無稽ながらもトマス・アクィナスのほうが、はるかに確固とした生理学的見解に立っている。科学、科学と騒ぐ統一教会はこのトマス・アクィナスのツメのアカでも煎じて飲むがいい」などと述べて批判してきたのです。

 確かに、このように批判してくる反対牧師らの主張には一理あります。しかし、そうなると、イエス様ご自身がヨハネによる福音書8章44節において、「(悪魔は)偽りの父である」と語っておられる問題が、棚上げにされたまま、永遠に解けない謎(難題)として残されてしまうことにもなります。ここで、イエス様は間違いなく、悪魔に対して「偽りの父」と語っておられますが、「父」というからには、そこに何らかの血縁関係(血統の連結)があったということを示唆しておられることは明らかです。

 では、どのようにして霊的存在であるサタン(堕落天使)と堕落人間とが血統的につながるようになったというのでしょうか。実は、この“難題”に答えているのが、真のお父様が語られた「愛と生命と血統」の御言なのです。
 この「愛と生命と血統」という内容は、従来のキリスト教神学がかかえていた神学的難題を解決する、重要な“鍵”となっていることを知っておく必要があります。

 真のお父様は、「生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(『平和神經』28ページ)と語っておられ、生理学的に論述しておられます。真のお父様は、神の血統の連結について、それは「真の愛は直短距離を通る」として、第39回「真の神の日」の御言で次のように述べておられます。

 「43日間、霊界に行って闘っていたその時は、神様までもサタンに、『文総裁をたたきつぶしなさい。』と言うのです。それが43日間続きます。『文総裁が後退しなければならない。』と言うのです。五大聖人、神様、サタンまで、すべて反対しました。文総裁が『これ(血統)しか原因がないではないか?』と言う時、神様も『そうだ。』と言えば、すべて終わるのです。……(ところが)すべてが反対なので、それもできません。……真の父母になるべきアダムとエバが誤ったので、真の父母がこれを引っ繰り返さなければならないではないですか? ですから、死地に行って本当に難しいときは、先生で言えば、『神様と真の父母の愛の定着地がどこですか?』と、いくら祈祷しても教えてくれません。祈祷して、祈祷して、その祈祷の度数が満ち、疲れ果てて倒れ、サタンが『もう文総裁は、すべて終わった。』と言って逃げていく、その間に教えてくれたものが何かといえば、『真の愛の道は、直短距離を通る。』という一言でした。真の愛は、直短距離を通るのです。その直短距離というものは、どこですか? 上に神様の愛の道があれば、直短距離は89度でもだめであり、91度でも直短距離になりません。直短距離は、ぴたっと90度以外にはないのです。……真の愛は、横的な面に行く愛も90度に合わせなければならず、縦的に下りてくる愛も、神様の愛も、人類の真の父母の愛も、縦横を通って90度の点に定着することを(神様が)教えてあげようとしたことを、先生はすぐに分かりました。『分かりました。』と言って、解いていくのです。……1度だけ角度が生じてもパンクします。それは不合格品でしょう。……『真の愛の道は直短距離を通る。』というその一言が、どれほど福音か分かりません。根本問題を解決したのです」(2006年1月1日)

 真のお父様は、「真の愛は直短距離を通る」と語られながら、それは縦的に下りてくる神の真の愛と、横的な面を行くアダムとエバの真の愛が、縦横90度に交わる場所こそ「直短距離」であり、その一点において「真の愛」が定着すると語っておられます。そして、真のお父様は、その「定着点」に関して、四大心情圏の定着点とは夫婦の愛が交わる初愛の場所であると語っておられます。

 「堕落することによって、男女の生殖器がこのよこしまな死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮になったために、天道を破綻させた魔物になったために悪いものになりました。これが今まで歴史に隠された秘密でした。堕落していなければ、男性と女性の生殖器は、愛の根本であり、愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮になるのです。そこで縦的な神様の愛、横的な真の父母の愛が一つにならなければなりません。真の愛は直短距離を通るために、横的な人間、アダムとエバの愛も直短距離を通る道は、90度の道しかないのです。そして、ここ(初愛の場所)で一つにならなければなりません。ここで爆発して、アダムとエバが神様と生命一体、愛一体、血統一体、このように和合した喜びとともに爆発して、蘇生するところから生まれるべきなのが私たち人類です。これがアダムとエバの子女になることであり、神様の孫になることです。そうなっていれば、なぜ地獄に行くのですか。宗教に何の必要性がありますか。そのままそのように生きれば、すべて天国に行くのです」(八大教材・教本『天聖經』1664~1665ページ)

 image001右の図を見ると分かるように、「真の愛」の主体であられる神様が、「真の生命」をもつアダムとエバが結婚をし、横的に一つになる初愛のとき、そこに神様は90度の角度で垂直(直短距離)に下りてこられ、その場に臨在されて、「神の血統」(真の血統)が生じるというのです。このようにして、人間始祖が堕落しなければ、全人類は神の血統として地上に殖え広がっていたというのです。
 これが、真のお父様が、平和メッセージで「生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです」(『平和神經』28ページ)と語っておられる内容です。

 image002この「愛と生命と血統」が、人間始祖の霊的堕落と肉的堕落とによって、サタン側に悪用されて生じてしまったものが、「偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統」に基づいた“偽りの血統”(サタンの血統)であったということになります。
 すなわち、2枚目の図を見ると分かるように、まず霊的堕落によって、エバが「偽りの生命」に生み変えられ、サタンの妻(妾)となり、次にその堕落エバ(妾)を通じて、アダムが肉的堕落し「偽りの生命」に生み変えられると共に、サタンの庶子(息子)の立場になることで、そこに縦的な関係である「偽りの父子」関係が生じたということです。
 そして、サタンの「偽りの愛」を動機として、サタンの庶子(息子)である「偽りの生命」をもつ堕落アダムと、同じく「偽りの生命」をもつ堕落エバが、サタンを中心として性関係をもつことで、その場にサタンが臨在し「偽りの血統」(サタンの血統)が地上に殖え広がっていくようになったということです。
 このようにして、堕落した人類はサタンの血統に連結するようになったのです。2つ目の図を見ると分かるように、アダム・エバとジェネレーションが異なるサタンは、神様に替わって偽りの神」の立場に立つようになりました。

 これが、今までキリスト教神学において解くことのできなかった難題である、どうやって悪魔が子を孕ますことができるのか? あるいは霊的存在であり、子供を繁殖できないサタンが、どのようにして堕落の血統を地上に繁殖させていくことができたのか? なぜイエス様は、悪魔に対して「偽りの父」と語っておられたのか? その理由について、誰も論証できなかったことに対する明確な解答となっているものです。

 

(5)「独生女」は、真のお父様が語っておられた御言

 次に、「独生女」(独り娘)の概念について、確認しておかなければなりません。
 この「独生女」(独り娘)に関して、ある分派の人は、次のように批判します。
 「真のお母様は『独生女』が現れなければならないと語り、今までお父様が語ってこられた内容と異なることを述べており、とても真のお母様が、お父様と一体となっているとは思えない」
 しかしながら、この「独生女」の御言は、マルスム選集を見れば数多く登場してくる、真のお父様ご自身が語っておられる御言なのです。
 この「真の父母様宣布文」サイトには、すでに次のように論じた反論を掲載しています。以下、その部分を引用しておきます(抜粋)。http://trueparents.jp/?page_id=1550

(引用文、開始)
「独り娘」は、真のお父様が語っておられる御言です
 神山氏は、「お母様はお父様のみ言にない『独り娘』のような独自の理論を語られはじめています。こういった言動を見て、私は『絶対的に一体』であるべきお方がそうなっていない事に、『これは摂理歴史的に、将来大変な禍根を残す』と深く憂慮する」(神山氏「公開質問状2」、「同1」でも触れている)と述べて、真のお母様を批判します。
 しかし、真のお父様は、何度も「独り娘」(独生女)について言及しておられ、次のように語っておられます。

 「神様の前において、『私は独り子だ』とイエス様は言われたのです。独り子が出てきたのに、独り子が一人で暮らしたなら大変です。独り娘(独生女)がいなければなりません。それで、独り娘を探して、神様を中心として、独り子と独り娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母として喜び、その神様の独り子と独り娘が横的な父母として喜び得る新郎新婦になって、地上で息子、娘を生まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。
 それゆえイエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでも一番必要としたものがありましたが、それは何だったのでしょうか。正に女性です。男性の前に女性がいなくてはなりません。……その標準とは何でしょうか。それがメシヤですが、真なる父母の位置をもって合わせるのです。それが『小羊の婚宴』です」
(八大教材・教本『天聖経』176~177ページ、『ファミリー』1998年4月号17~20ページ)

 これは、八大教材・教本『天聖經』(黒表紙の天聖經)に収録されている御言です。

 「エデンの園のアダムは、神様の独り子です。エバは、神様の独り娘です。彼らが成長し、春の日になって花が咲くとき、二人が互いに春の歌を歌いながら、『あなたは私のお兄さんではないですか』、『あなたは私の妹ではないですか』と言えば、神様はどのようにするでしょうか。明るく咲いた花が香りを漂わせるようになれば、神様が結んでくださったでしょう。神様が結婚式をしてあげて成し遂げようとしていた創造の最高理想が、アダムとエバを中心として成し遂げられるのです。彼らが独り子と独り娘としてよく育ち、思春期まで行こうとすれば、期間が必要なのです」(159-195、1968.05.10)

 このように、真のお父様は、堕落していないアダムとエバは、神の独り子、神の独り娘であると語られています。(注:159-195は「文鮮明先生御言選集」159巻195ページの意。以下、同じ)

 「イエス様は、『私は神様の独り子だ』と言いました。独り子に必要なのは独り娘(独生女)です。イエス様がこの地上で世界を救うために出発しようとすれば、一人ではできません。家庭の土台を整えなければなりません。独り子だと主張したイエス様の目的は、世界を統一して号令することです。それをする前に家庭をつくらなければならないのです。……もし、イエス様が、神様の独り子として独り娘に出会って結婚式をするとすれば、その結婚式の主礼は、間違いなく神様がしてくださるのです。救援摂理の最高の目的は、神様が愛する一つの家庭をつくることです。……その場を失ってしまったので、再び取り戻さなければなりません」(159-192、1968.05.10)

 このように、真のお父様は、第2アダムであるイエス様に対して「独り子」と言われ、イエス様と結婚すべき第2エバ(真の母)を「独り娘」と語っておられます。

 「人類が生まれて以降、4000年目にこの天地間に神様の独り子が生まれました。良い知らせです。幸福な知らせです。それで、キリスト教で福音という言葉が出てくるようになったのです。福音とは、幸福な音信です。その時まで神様の独り子が現れることができず、人類が神様を中心とする愛の関係を結ぶことができなかったために、人類にはそれが恨でした。……独り子が現れたことが幸福です。神様は、先に独り子を送られました。それで、今までの歴史は、男性がつくってきたのです。独り子が現れれば、その次には、独り娘が現れなければなりません」(023-149、1969.05.18)

 真のお父様は、第2アダムであるイエス様を「4000年目に……独り子が生まれました」と表現しておられます。では、再臨主がアダム以来6000年目に現れた「独り子」であるならば、その再臨主の前に現れる「独り娘」に対しては、どう表現されるべきでしょうか?

 「イエス・キリストは、『私は神様の独り子だ。神様は私の父だ』と言いました。独り子というものは、神様の初愛をすべて受けたということです。神様の独り子はいたのですが、独り娘がいません。独り娘に出会うことができなかったので、神様の初愛をすべて受けることができる独り娘に出会うために、イエス様は再臨するのです。再臨主が来て小羊の婚宴、すなわち婚姻をしなければなりません。神様の初愛をすべて受けた男性と、神様の初愛をすべて受けた女性が家庭をつくらなければならないのです。その位置が、堕落していないアダムとエバの位置です」(041-311、1971.02.17)

 真のお父様は、第3アダムである再臨主を「独り子」と述べておられるのであり、その方と結婚すべき第3エバ(真の母)を「独り娘」と表現しておられます。
 これらの御言で分かるように、真のお父様は、神の「独り子」が現れたならば、必ずやそこに神の「独り娘」が現れなければならず、その独り子と独り娘が出会って神様を中心に結婚しなければならないと語っておられます。その結婚式が「小羊の婚宴」です。

 ………(中略)………

 真の父母様が1960年以降、1968年1月1日まで歩まれた第1次7年路程は、人間始祖が堕落したため歩み得ず取り残された“前人未踏”の成長期間(完成期)を通過していかれた路程でした。この期間は、堕落以前の立場を復帰したのちに通過する成長期間であって、真のお母様には「原罪」がありません。原罪がないならば、男性(アダム)だけでなく、女性(エバ)も“神の血統”をもっているのです。その女性のことを、神の「独り娘」と言うのです。

 「だれであっても、母親の子宮にくっついて母親の血肉を吸い取って大きくなったでしょう。……母親の血肉が必要であり、母親の骨肉が必要であり、母親の愛が必要であり、生命が必要なのです。分かりますか? 自分のゆえにではなく、母親の愛のゆえに、母親の生命のゆえに、母親の血統のゆえに“私”が生まれたということは否定できません。生まれるときには、女性として、あるいは男性として生まれるのですが……女性は何のために生まれたのですか? 男性のためにです。一時代ですか、永遠の時代ですか? 永遠の時代です。神様の娘の愛は、絶対、唯一、不変、永遠の愛であるので、その愛を中心として、その対象的価値は絶対価値であり、絶対的な相対であるということを知らなければなりません。……それゆえに、(神様の娘の)女性の前に男性は、絶対真理の愛の相対なのです」(『ファミリー』1999年11月号30ページ、「九・九節」の御言より)

 真のお父様は、「生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています」(『平和神經』28ページ)と語っておられますが、女性もその「愛」と「生命」と「血統」をもっているのです。

 真のお父様は、「生命を見ましたか? 生命に触ってみましたか? 生命体は見えるけど、生命は分かりません。触ってみることはできません。血統もそうです。血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。そして、精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(『ファミリー』1995年3月号22ページ)と語っておられ、血統の連結には、当然のことながら、男性(精子)だけでなく、そこに女性(卵子)も関与していることについて、明確に言及しておられます。

 ………(中略)………

 前述した御言で、真のお父様が「エデンの園のアダムは、神様の独り子です。エバは、神様の独り娘です」と語っておられるように、本然のエバ(女性)は神様の「独り娘」であり、神様の血統をもっているということを知らなければなりません。

(以上、引用文終わり)

 
 以上、「マルスム選集」から引用した「独生女」に関する御言は、その一部に過ぎず、他にも真のお父様は数多く「独生女」について言及しておられます。
 ところで、前項の(4)で述べた「血統の連結」に関連してくる内容ですが、「真の母」となる女性について、「補足説明①」の終わりのほうで次のように論じました。

 (以下、「補足説明①」からの引用文)
 ここで、よく考察しておかなければならないことは、真のお父様が「夫婦関係は血統的につながりません」と明言しておられるように、エデンの園で“霊的堕落”をした時点での堕落エバは、天使長と「偽りの夫婦関係」を結んだ立場であることから、サタンと血統的につながっていません。
 それと同様、真の母として予定されて生まれてくる女性(新婦)も、いくら真のお父様と聖婚して“性関係”をもったとしても、それで血統転換されるわけではありません。「血統転換」は、あくまでも「父母」と「子女」という縦的関係である“父子関係”を結ぶときに転換されるのです。

 ……(中略)……

 霊的堕落をした堕落エバを通じて、アダムが(肉的)堕落することによって、アダムは堕落した天使長の息子(庶子)の立場に落ちてしまいました。
 真のお父様は、次のように語っておられます。

 「長子(アダム)が庶子のようになりました。血筋が変わりました。本然的な愛を通して神様の血統を受け継ぐべきでしたが、堕落することによって他(サタン)の血筋を受け継ぎました。だからといって、神様は捨てることができません。これは、庶子のようです。野生のオリーブの木です」(八大教材・教本『天聖經』186ページ)

 この御言で語っている「庶子」とは、堕落した天使長の息子の立場に立った堕落アダムのことであり、それは堕落したエバ(妾のような立場)を通じてサタン側へと血統転換したために、「庶子」となったのです。
 そのサタンの「庶子」の立場となった堕落アダムの汚れた「子種」が、堕落エバの胎内にまかれて、こうして「サタンの血統」である人類が繁殖するようになったのです。
 このような過程を経て、サタンは堕落した人類に対して「偽りの神」の立場に立つようになり、堕落アダムと堕落エバは、サタンの子女の立場となって、サタン(偽りの神)とはジェネレーションが異なるようになりました。

 さて、上述してきた内容を“総合的”に考察し整理してみると、「真の母」となるよう予定されて生まれてこられる女性(新婦)は、完成したアダムによって再創造されなければならない「霊的堕落のみの時の救済摂理」の“罪責”は持って生まれてきておられますが、その女性は、生まれながらにして「無原罪」(肉的堕落の罪は負っていない立場として)であり、かつ、神の血統をもって生まれてこなければならないという“特殊な立場”であると言えます。

 すなわち、真のお父様が、「主管性転倒問題は、エバが行ったことなので、女性が責任をもたなければなりません。それゆえに、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりません。マリヤが、このすべてを復帰しなければなりません。ですから女性は、主管性を転倒しなければなりません」(八大教材・教本『天聖經』2147ページ)と語っておられるように、メシヤが誕生し、かつ、そのような「独生女」が生まれる背景には、「アダムを堕落させた罪」を清算する蕩減条件を立てた女性(マリヤ)がおり、“肉的堕落の罪”を清算した基準が立っていなければなりません。

 その点について、真のお父様は、「再臨主は何をしに来られるのでしょうか? 再臨時代は完成基準の時代なので、再臨主は人類の母を捜しに来られるのです。すなわち、新婦を捜しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上で捜される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落しない純粋な血統を持って誕生した方を捜すのです。それならば、そのような新婦、すなわちその母はどのような基台の上で生まれねばならないのでしょうか? 堕落した世界のアベル的な母の基台の上で生まれねばならないのです」(1970.10.19、35-218)と語っておられます。
 また、さらに「統一教会の文鮮明を真の父というでしょう? ここにいる韓鶴子氏は? 真の母だというでしょう? いくら見ても目も二つ、鼻も同じなのに、何が違いますか? 根が違うのです。根が。皆さん方は、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちましたが、統一教会の文某とここにいる…韓鶴子、たった一人の鶴子、鶴子様は根が違うというのです。神様を根として初めて歴史上に真なる愛の論理を中心とした統一論理を持って現れた主人公だというのです」(1986.10.4)とも語っておられるのです。

 そうでなければ、当然、「お母様の血統転換はいつ成されたのだろうか?」という疑問が起こってこざるを得なくなります。
 すなわち、御言にあるように、夫婦関係は血統的につながらないわけですから、「真の母」となる女性は、もともと「神の血統」を持った立場で生まれてこなければ、永遠に人類の「真の母」(人間始祖の立場、人類の母親)になることはできないと言えるからです。

 私たち堕落人間の場合には、人類始祖としての「真の父母様」と父子関係を結ぶことで“血統転換”されますが、真のお父様と真のお母様の「聖婚」の場合は、それは、あくまでも夫婦関係であって、父子関係を結ぶわけではないため、血統転換されるわけではないからです。
 したがって、エデンの園において、神様自らがアダムの相対者としてエバを準備されたのと同様に、第2アダム、第3アダムの場合にも、その相対者となる女性を、メシヤの近しいところ(血統圏)に、予め神様がアダムのために準備され、生まれておられた女性(新婦)であると言えるのです。
 つまり、エバの場合、アダムのあばら骨から創造されたように、イエス様の相対者は、近しい親戚関係に準備されたように、お父様の場合も、血統的に近しい関係のなかで、神が特別に準備しておられたと言えます。そうでなければ、人類の「親」の立場になることは、永遠に不可能であると言えるからです。

(引用文、終わり)

 
 ここで投げかけている内容は、極めて重要な内容です。
 なぜなら、私たち堕落人間の場合は、人類の「真の父母様」によって執り行われる「聖酒式」と「三日行事」によって、真の父母様と「父子の関係」を結ぶことで神様の血統へと転換していくことができますが、「真の母」の場合には、真のお父様と“夫婦関係”をもつのであって、それによってしては血統が連結されたり、血統転換されることがないためです。
 それは、16万訪韓セミナーの御言で、真のお父様が、何度も「愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません」(『訪韓修練会御言集』12ページ)と語っておられる通りです。

 したがって、「真の母」になるように神様によって予定されて生まれてこられる女性(独生女)は、生まれながらにして「神の血統をもって生まれていなければ、人類の「真の母」になることは永遠に不可能なのです。
 

(6)「独生子」と「独生女」の違いについて

 ここで、独り子(独生子)と独り娘(独生女)について整理をするために“補足”を加えておくとすれば、独り子(独生子)は、天から遣わされ、生まれながらにして「霊的堕落の罪」も「肉的堕落の罪」も問われない、完全に無原罪の存在であるということです。
 一方、独り娘(独生女)の場合は、地上でアダムが探し出して「再創造」しなければならない存在です。何故ならば、「肉的堕落の罪」は問われていないにせよ、「霊的堕落の罪」を背負って生まれているという一点において、独り娘(独生女)の場合には「堕落圏」にいるためです。

 独り子(独生子)の場合、アダム、イエス様を経て、再臨主は3度目に現れた独り子(独生子)であり、世界的カナン復帰路程を「3次路程」まで延長するなかにおいて、神の御旨を成し遂げて行かなければならない使命をもって生まれています。
 それに対し、独り娘(独生女)の場合、3人までで勝利できるよう神様によって予定(準備)されて生まれておられるということです。
 聖書に、神様がアダムのあばら骨からエバを造られたとあるように、エバは(兄妹として)アダムの近しいところに、神様によって準備されました。それと同じように、イエス様の場合は、ザカリヤ家庭という親戚の近しい所に準備されました。それと同様、再臨主の場合も、お父様は北朝鮮の定州出身ですが、第1の方および大母様は、同じ定州の出身であり、また、第2の方は定州に近い朔州の出身で、いずれも近しいところに準備されました。(しかも、第1の方の実母は「韓家」の出身です。)

 では、使命を途中で挫折して「真の母」の使命者としての位置を離れ、霊的堕落の罪を清算することのできなかった第1、第2の方は、その後、どうなるのかと言うと、勝利された真の父母様(文鮮明先生、韓鶴子夫人)からの「祝福」を受けることで、「真の父母様」と父子の関係を結んでおり、人類の「真の父母様」の子女の立場に立っています。したがって、永遠に「人類の真の父母様」は一組だけとなっています。
 

(7)「堕落圏」の概念には、2種類の違った概念がある

 次に、真のお父様が語られる「堕落圏」という言葉(概念)の意味について、述べておこうと思います。
 真のお父様の御言には、「堕落圏」から復帰するとか、あるいは「渋柿の根」から取り戻すとかという、これらに類するさまざまな表現の御言が出てきます。
 それらの御言を理解するとき、重要な観点があります。それは、『原理講論』で論じられている原理の概念の枠組みにおいて、それらを理解しなければならないという点です。
 すでに「補足説明・その1」において、「堕落圏」というときに、その「堕落圏」という概念には、①「霊的堕落のみの罪」が問われている「堕落圏」と、②「霊的堕落と肉的堕落の両方の罪」が問われている「堕落圏」という、違った二種類の「堕落圏」の概念があるという点について説明しました。

 例えば、2015年10月30日に「真の父母様宣布文」サイトに「教会成長研究院」が掲載した「真のお母様の『無原罪性』―『血統転換、私は母胎からなのです』の意味について」の文章のなかで引用している真のお父様の御言に、「(5)メシヤの前の「真の母」の立場を、原理の「原罪」の定義に当てはめると」という項目のところで、①「新郎であられる主がこの地上で捜される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落しない純粋な血統を持って誕生した方を捜すのです」とあり、ここで、真のお父様は「堕落圏内で探す新婦ではない」「純粋な血統を持って誕生した方」と語っておられます。

 ところが、2015年10月30日にアップした文章の「同じ項目」のところの後で引用した御言で、真のお父様は、②「アダムが責任を果たすことができなかったために堕落したので、その責任を完成した基準に立つには、エバを堕落圏から復帰して再創造し善の娘として立ったという基準に立てなければなりません」(『真の父母の絶対価値と氏族メシヤの道』38ページ)と述べておられ、ここでは「堕落圏から復帰」しなければならないと、真逆とも受け取れる内容を語っておられます。
 この①と②の御言は、一見すると、“矛盾”した内容であるように感じられますが、そこに矛盾はありません。

 すなわち、①の御言の「堕落圏内で探す新婦ではありません堕落しない純粋な血統を持って誕生した方を捜す」とあるのは、「肉的堕落の罪」が問われていない圏内、すなわち「霊的堕落のみのときの救いの摂理圏」にいる女性であるため、その女性には「原罪」がなく、まだサタンの血統にもつながっていない女性という意味において、「堕落圏内で探す新婦ではない」と語っておられるのです。

 当然ながら、そのような女性(独生女)が現れるには、前述した「補足説明①」の引用文で、「『アダムを堕落させた罪』を清算する蕩減条件を立てた女性(マリヤ)がおり、“肉的堕落の罪”を清算した基準が立っていなければなりません」と述べているように、“霊的堕落のみのときの救済摂理”の時点まで立ち返えることができるという蕩減条件を立てた女性たちの信仰基準がそこになければなりません。
 すなわち、前述したように、真のお父様は次のように語っておられます。

 「主管性転倒問題は、エバが行ったことなので、女性が責任をもたなければなりません。それゆえに、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりません。マリヤが、このすべてを復帰しなければなりません。ですから女性は、主管性を転倒しなければなりません」(八大教材・教本『天聖經』2147ページ)

 一方、②の御言の「エバを堕落圏から復帰して再創造し善の娘として立ったという基準に立てなければなりません」というのは、霊的堕落をすることによって、堕落した天使長の「堕落圏」(霊的堕落のみの時)に落ちている堕落エバ、そういう意味での「堕落圏」という意味になります。
 結局のところ、「堕落圏」という場合、その「堕落圏」には、①「霊的堕落の罪」だけが問われている「堕落圏」と、②「霊的堕落と肉的堕落の罪」の両方の罪が問われている「堕落圏」との2種類があるということです。

 以上の内容を整理してみると、男性の場合、天から遣わされる「メシヤ」だけが、唯一、a.「霊的堕落の罪」も「肉的堕落の罪」も問われていない無原罪の立場で生まれてくるかたであり、それ以外の全ての男性は、b.「霊的堕落の罪」と「肉的堕落の罪」、すなわち両方の罪である“原罪”を持った立場での「堕落圏」で生まれていることになります。

 それに対して、女性の場合、神様の予定によって、アダム(メシヤ)の近しい所において、①「霊的堕落の罪」だけが問われている女性として、3人までで勝利できるよう予定(準備)されて生まれてくるのであり、その場合、その立場は「霊的堕落の罪」はあるため、やはり「堕落圏」にいる女性という概念となります。
 しかしながら、「肉的堕落の罪」が問われていない圏内にいるという意味では、その新婦となる女性は「根」が違う女性であり、「堕落圏内で探す新婦ではない」ということにもなります。その女性こそが「独生女」に他なりません。
 そして、「独生女」以外の全ての女性は、②「霊的堕落の罪」と「肉的堕落の罪」、すなわち“原罪”を持った立場での「堕落圏」に生まれているということになります。
 事実、前述した御言にあるように、真のお父様は、韓鶴子夫人について「根が違うのです。根が」として、次のように語っておられるのです。

 「統一教会の文鮮明を真の父というでしょう? ここにいる韓鶴子氏は? 真の母だというでしょう? いくら見ても目も二つ、鼻も同じなのに、何が違いますか? 根が違うのです。根が。皆さん方は、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちましたが、統一教会の文某とここにいる…韓鶴子、たった一人の鶴子、鶴子様は根が違うというのです。神様を根として初めて歴史上に真なる愛の論理を中心とした統一論理を持って現れた主人公だというのです」(1986.10.4)

 このように、真のお父様は、韓鶴子夫人は「根が違う」「神様を根として」と明確に語っておられます。まさしく韓鶴子夫人は「肉的堕落の罪」が問われていない、特別に選ばれて地上に誕生しておられる「根が違う」、独生女です。

 ところが、真のお父様が語られた「渋柿の根」「堕落した血統を受け継いで生まれた」という言葉に表面的とらわれてしまい、「堕落圏」には上述してきた“2種類の概念”があるということを十分に考察できない人がいるようです。
 ここで留意すべき重要なことは、何度も述べてきたように、たとえ「独生女」として神様に予定されて生まれてきた女性であったとしても、その女性は「霊的堕落のみの時」の“罪責”は持っており、それゆえ、霊的堕落のみの時の「堕落圏」に生まれておられるために、当然ながら、真のお父様は「渋柿の根」「堕落した血統を受け継いで生まれた」と表現されることもあるという点です。

 すなわち、その「独生女」は、血統的に見て「霊的堕落のみの時」の“罪責”をエバから引き継いで、それを蕩減復帰するためにこの地上に生まれておられるわけですから、堕落した天使長の「堕落圏」に落ちた血統的な因縁をもって生まれているという意味において、そのように表現されるのは正しいことと言えるからです。
 (ただし、すでに論述したように、そのような「独生女」が誕生するためには、そこに「肉的堕落の罪」を清算したという条件を立てた女性(マリヤ)の勝利基準が必要です。)
 しかし、それでも神様に予定され、アダム(メシヤ)の相対者として生まれてこられる「独生女」は、霊的堕落のみの時の“罪責”をもっていたとしても、肉的堕落の罪責はもっていないために、“無原罪”なのであり、かつ、サタンの血統ではないということが言えるのです。

 したがって、真のお母様を何とかして“貶めよう”と画策する人たちが、「堕落した血統を受け継いで生まれた」「堕落した天使長の血統」「堕落の血統だった」という御言を、いろいろ捜し出してきて、やはりお母様が語っておられる「独生女」はおかしいと言って批判してきたとしても、それらの御言は、上述してきたように、真のお父様の御言の一部に過ぎないということを踏まえて解釈しなければなりません。
 彼らの批判は、もう一方の「堕落しない純粋な血統を持って誕生した方を捜す」とか、(韓鶴子夫人は)「根が違うのです。根が。皆さん方は、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちましたが……鶴子様は根が違うというのです。神様を根として……」と語っておられる真のお父様の御言を無視して、自分の主張に都合の良い御言だけを捜し出しているのに過ぎません。彼らの御言に対する姿勢は、矛盾と思えるような御言に対して、その両者の違いに“整合性”を取ろうともせず、ただ真のお母様を批判して貶めたいがために引用しているのであり、“無責任”なものであると言わざるを得ません。

― 以上 ―