※この文章は、2015年2月23日に「神山氏問題」の「【第4弾】神山威氏の講演内容の誤り、及び御言解釈の誤り」の中で掲載したものです。サンクチュアリ教会側で、神山氏と同様の批判を述べる人たちがいるために、「サンクチュアリ教会問題」にも該当箇所を転載します。
及びすでに発表した公式見解は「青色」で表示)
神山氏は、「公開質問状1」で、真のお母様が2014年7月1日の御言において、「お父様の歴史は、イエス様の使命を引き継いだその時、その瞬間が、お父様が独り子となられた資格です」と述べるなどしており、真のお父様が生まれながらにして「メシヤ」であられたことを否定しているものと考え、真のお母様を批判しています。
また、神山氏は、2015年2月18日にアップした反論では、真のお母様が「お父様はイエス様の使命を引き継いだ時、お父様は独り子となった」と語られたのだとしています。しかしながら、神山氏が述べているこれらの日本語の翻訳は、いずれも不正確な翻訳となっています。
真のお母様が語られた御言を日本語に直訳すれば、「イエス様の顕現とともに、イエス様の御業を継承しました。その時、その瞬間、お父様は独り子の資格だ」です。お母様は、最後の部分において、「独り子の資格だ」と述べておられるに過ぎません。
したがって、日本語訳にする際には、「イエス様の顕現とともに、イエス様の御業を継承しました。その時、その瞬間、お父様は独り子の資格をもたれていました」と翻訳することができます。
真のお父様は、1935年4月17日、故郷である定州の猫頭山で深い祈りをささげておられるときイエス様が顕現され、神様から“召命”を受けられましたが、その時、その瞬間、イエス様が果たせずに残された使命を受け継がれ、メシヤとしての道を歩んでいかれました。真のお母様は、その事実に基づいて、「その時、その瞬間、お父様は(すでに)独り子の資格をもたれていました」と語っておられたのだと理解することができます。
神山氏は、真のお母様を何とか貶めようと“言葉尻”を捉え、いろいろな批判をしていますが、この「独り子の資格だ」という部分を慎重に検証すれば、全く問題ないと理解することができるのです。にもかかわらず、神山氏は、常に批判的な目で真のお母様を見ているために、この部分を問題視しているものと言わざるをえません。
真のお父様は、次のように語っておられます。
「私が死んでも(真のお母様には)統一教会を導くことができる能力もあるので、お母様が説教する時が来るのです。……そのような時は、(お母様に)絶対服従しなくてはなりません。お母様にも、しなければならない責任分担の5パーセントが残っているのです。それを私がすべて、さっさっと渡してあげるのです。……
私がお母様を称賛するのではなく、お母様に良い点が本当に多いのです。素晴らしいというのです。それゆえに、そのようなものをすべて見て、お母様として選んだのではないですか。顔を見れば分かるのです。慎ましいのですが恐ろしい女性です。一度決心すれば、最後まで自分一代でこの複雑な恨の峠をすべて清算するという決心が、私よりもお母様がもっと強いのです。先生は、今70を超えたので、ごみ箱の近くに行きましたが、お母様は、今ごみ箱を収拾してそれをすべて掃除することができる主人になったので、先生よりもお母様をもっと重要視することができる統一教会の食口になれば福を受けるのです」(『生涯路程⑩』351~352ページ)
神山氏は、「お母様がお父様のようなみ言を語られなくても不思議ではないし、それが問題ではありません」(「公開質問状2」)と述べて、真のお母様が御言(説教)を語られることを軽んじていますが、真のお父様は、明確に「お母様が説教する時が来るのです」と語っておられます。
そして、「先生よりもお母様をもっと重要視することができる統一教会の食口になれば福を受ける」とも語っておられました。
真のお父様は、ご自分が「聖和」した後に、統一食口たちが真のお母様に絶対服従することを願っておられました。私たちは、その真のお父様のご意向を生命視しなければなりません。
神山氏が、真のお父様の御言を軽んじ、真のお母様を重要視することができずに、永遠に“福”を逃してしまわないように心から願います。