(1)人類の「真の父母」は唯一無二
サンクチュアリ教会を支持するある人物は、「真のお父様が後継者に亨進様を任命の日以後、真のお父様が後継者に韓オモニに変更された根拠となる御言を提示して下さい。父子協助時代の今、父子関係でない韓オモニが後継者になっていることは原理的ではない」などと述べ、真のお母様を批判しています。
しかし、この批判は、真のお父様の御言に反する非原理的な主張です。
「真の父母」とは、人類の“人間始祖”の立場に立たれた唯一のかたです。したがって、その人類の「真の父母」に“後継者”が現れると主張すること自体が、非原理的な主張に他なりません。
お父様は古希(70歳)を迎えられ、モスクワ大会(4月10~13日)の勝利の基台の上で、1990年4月30日から5月22日にかけて韓国12カ都市を巡回して「モスクワ大会勝利帰国大会」を挙行され、「真の父母宣布」すなわち「メシヤ宣布」をされました。古希を迎えられたお父様は、次のように語っておられます。
「これからは先生がいなくても、お母様一人でみ旨に何の支障もないというのです。今までは、女性が天地を代表する摂理の代表者として立つことはできなかったのですが、父母の愛と一体的理想を中心として、初めてお母様を中心とする女性全体の解放圏が地上に宣布されたのです。……真の父母の聖婚から30年たって女性解放を宣布したというのです。ですから、先生が一人でいても真の父母様の代身であり、お母様が一人でいても真の父母様の代身です。『レバレンド・ムーンが古希を過ぎて70を越えたので後継者が現れないのか?』そんな言葉はやめなさい。……ですから、先生が第一教主、その次に、お母様は第二教主だということです」(マルスム選集、201-126、1990年3月27日)
お父様が、「後継者……そんな言葉はやめなさい」と語っておられるように、“人間始祖”の立場であられる「真の父母」に、後継者は存在しません。もし、立つとしても、それはあくまでも真の父母様の“代身者”であり、信仰の“相続者”に過ぎません。たとえ真の子女様であっても、それは「子女」であって、人類の「真の父母」になることはできません。
お父様は「真の父母」について、次のように語っておられます。
「真の父母様は一組だけです。今この時の一度だけだというのです。過去にもいなかったのであり、未来にもいません。真の父母様が肉身をもって実体で存在するのは、この時だけだというのです。永遠の中でたった一度です」(246-74、1993年3月23日)
私たちは「真の父母」の概念について、より明確にしておかなければなりません。お父様は、次のように語っておられます。
「アダムとエバは、神様が本当に願う真の人類の先祖、人類の真の父母にならなければならなかったのです。その真の父母の血族によって、私たち人類は生まれなければなりませんでした。……それにもかかわらず、アダムとエバは、勝利的な実体として現れることができませんでした」(八大教材教本『天聖經』2177ページ)
「堕落がなかったならば……アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になっていたはずです」(同、2369ページ)
『原理講論』にも、「アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう」(263~264ページ)、「アダムが創造理想を完成した男性、すなわち生命の木となり、エバが創造理想を完成した女性、すなわち善悪を知る木となって、人類の真の父母となったならば、そのときに、神の三大祝福が完成され、地上天国が成就されたはずである」(265~266ページ)などと論じられています。
このように「真の父母」とは、本来、アダムとエバが堕落しなければ、人類の先祖として、人類という「血族」の出発点、すなわち勝利された“人間始祖”に位置する存在だったのです。しかも、その「真の父母」とは、実体をもった「神の立場」でした。お父様は「平和メッセージ」で次のように語っておられます。
「アダムとエバが完成して完全一体を成した愛の実体になれば、そこに神様が臨在して人類の真の愛の父母になろうとされたのです。……神様は、真の愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類の真の父母、実体の父母としておられ、アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に行けば、そこでもアダムとエバの形状で、彼らの体を使って真の父母の姿で顕現されるようになるのです」(『平和神經』54~55ページ)
人間始祖アダムとエバが完成して人類の「真の父母」になれば、彼らは実体をもつ「神の立場」に立つようになっていたのです。このように、「真の父母」は唯一無二の存在であられ、“人間始祖”を表す概念であることが明確に分かれば、その「真の父母」に対して、お母様と子女様を比較して、「どちらが後継者なのか」といって論ずること自体が、実に愚かな議論に他なりません。
その「真の父母」が顕現された現在において、真のお父様と真のお母様に代わって「真の父母」になり得る人は他におられません。だからこそ、お父様は「先生が一人でいても真の父母様の代身であり、お母様が一人でいても真の父母様の代身です」、「後継者…そんな言葉はやめなさい」と語っておられるのです。
(2)天一国の中心は「真の父」と「真の母」である
前述したように、サンクチュアリ教会を支持するある人物は、「父子協助時代の今、父子関係でない韓オモニが後継者になっていることは原理的ではない」と愚かなことを述べ、真のお母様を批判しています。
このサンクチュアリ教会および郭グループ側の「父子協助時代」の御言改竄と悪用については、「真の父母様宣布文サイト」に掲載した「分派の御言改竄に要注意―御言の引用、翻訳、および「父子協助時代」の悪用について」で論じていますので、もう一度、それを熟読していただきたいと思います。
それを簡潔に述べるなら、「父子協助時代」の宣布とは、真のお父様が、「母の国日本」の“救済措置”のために宣布されたものであって、真のお母様のことを語っておられる御言ではありません。
真のお父様は、「父子協助時代」になったので真のお母様は必要ないと語られたことはありません。むしろ、お父様は、「世界平和統一家庭連合時代の開幕宣布」の御言において、「長子と次子は母親の名のもとに絶対服従しなければならないのです。服従するようになれば父と連結します」(『主要儀式と宣布式Ⅲ』151ページ)と語られ、子女である長子と次子は「母」に絶対服従してこそ、父に連結すると語っておられるのです。
この「母」を通じてこそ、「父」に連結するという原則は、家庭連合(旧・統一教会)に限らず、キリスト教においても同じことです。聖書には「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」(コリントⅠ一二・3)、さらには「聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである」(テトス三・5)と明言されており、霊的真の母であられる聖霊を通じてこそ、霊的真の父であられるイエス様に連結されることを知らなければなりません。
ところで、お父様は、本来なら2000年までにすべての復帰摂理を終えようとしておられました。しかしそれができなかったため、お父様は次のように語っておられます。
「80歳でカナンを復帰して天下統一をしなければならなかったにもかかわらず、それができなかったのです。……まだアベル・カインが残っているので……アベル・カインの撤廃を宣布したのです。そして、今から120年(120歳)になる時までに、すべてを終えなければなりません。……それを管掌する先生は、最初の40年、80歳までの40年、今の40年をそれぞれ4年として、2001年から2012年まで、92歳を中心とする2012年までにすべてを終えるのです」(『後天時代と真の愛の絶対価値』255ページ、2004年7月8日)
右図を見ると分かるように、戦後のキリスト教の不信によって失った第1次40年路程、および真の父母を支え切れなかった統一教会における第2次40年路程をそれぞれ4年路程として蕩減し、失敗も延長もなかった基準を立てるために歩まれた2009年から2012年までの第3次4年路程がありました。
その2001年から2012年に至るまでの期間、それぞれの4年路程の出発である2001年1月13日「神様王権即位式」【写真1】、2005年2月14日「天宙統一平和の王戴冠式」【写真2】、2009年1月31日「万王の王神様解放圏戴冠式」【写真3】のお写真を見ると分かるように、その摂理の中心は、どこまでも天の父母様(神様)と真の父母様であって、決して子女様ではありません。
この3次にわたる4年路程である計12年間の出発点に位置する2001年1月13日の「神様王権即位式」のお写真【写真1】をみると分かるように、真の父母様の座られた椅子の背後には、神様の白い玉座が二つあり、神様は「天のお父様」と「天のお母様」であられることが分かります。
そして、このことは『世界家庭』に連載中の「サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤り」で論じたように、2006年6月13日「天地人真の父母様天正宮入宮・戴冠式」のお写真【写真4】でも分かるように、永遠なる「天一国」の基盤、その中心になられるおかたは、どこまでも天の父母様と真の父母様(お父様とお母様)であって、決して真の子女様ではありません。第二代王などという概念はないのです。
『原理講論』に、「イエス以後においては、イエスと聖霊とが、直接、信徒たちを導かれたので、それ以前の摂理時代のように、ある一人の人間を神に代わらせ、全体的な摂理の中心人物として立てられたのではなかった」(469ページ)とあるように、「真の父母」が現れたなら、それ以前の時代の摂理のように、ある一人の人間を神に代わらせて導かれるのではなく、どこまでも神様の実体として顕現された「真の父母」が、信徒を導いていくことを知らなければなりません。子女は、どこまでも真の父母様の「代身者」、あるいは信仰の「相続者」に過ぎないのです。どんなに優れた子女様であっても、「真の父母」に代わって後継者となることはできません。
特に、今は実体的天一国の実現、完成に向かって歩んでいる「ビジョン2020」の期間です。私たちは、天の父母様および真の父母様(霊界の真のお父様、地上の真のお母様)を中心として歩んで行かなければなりません。
(3)完成したアダムは「天宙」の半分に過ぎない
「真の父」は、完成したアダムです。前述した御言にもあるように、本来、エデンの園にいたアダムが堕落せずに完成したアダムになっていたら、彼は「真の父」になっていました。
ところで、その完成したアダムについて、『原理講論』は次のように論じています。
「人間始祖として創造されたアダムがもし完成したならば、彼は被造物のすべての存在が備えている主体的なものを総合した実体相となり、エバが完成したならば、彼女は被造物すべての存在が備えている対象的なるものを総合した実体相となるという結論を、直ちに得ることができる。神は被造世界を主管するように人間を創造されたので、アダムとエバが共に成長して、アダムは被造物のすべての主体の主管主として完成し、またエバはすべての対象の主管主として完成され、彼らが夫婦となって一体となったならば、それがまさしく、主体と対象とに構成されている被造世界の全体を主管する中心体となるべきであったのである。
また、人間は天宙の和動の中心として創造されたので、すべての被造物の二性性相の実体的な中心体であるところのアダムとエバが、完成されて夫婦になってから、彼らがお互いに和動して一体となったときに、初めて二性性相として創造された全天宙も和動することができるのである。このように、アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、正に愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、初めて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである」(60~61ページ)
この『原理講論』の記述は、前述した「平和メッセージ」の「アダムとエバが完成して完全一体を成した愛の実体になれば、そこに神様が臨在して人類の真の愛の父母になろうとされたのです。……神様は、真の愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類の真の父母、実体の父母としておられ、アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に行けば、そこでもアダムとエバの形状で、彼らの体を使って真の父母の姿で顕現されるようになるのです」(『平和神經』54~55ページ)と同じ内容です。
この『原理講論』の記述で、私たちが注目すべき点は、人間始祖アダムがどんなに完成したアダムとなったとしても、それは「被造物のすべての存在が備えている主体的なものを総合した実体相」として、全天宙の半分にしかならないということです。すなわち、残りの半分である「被造物すべての存在が備えている対象的なるものを総合した実体相」であるエバが完成し、二人が一体となってこそ、初めて全天宙を総合した実体相になるという点を認識しなければなりません。
サンクチュアリ教会および郭グループを支持する人々は、「真の父」だけを重要視しており、「真の母」を軽んじて、何かにつけて批判してしまう傾向性をもちます。
しかし、人類には「真の父」だけがいればいいのではなく、必ずそこに「真の母」がいなければなりません。そうでなければ、『原理講論』で論じられているように、「父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息」することは不可能であるというのです。その点を、私たちはもっと明確化しておく必要があると言えるでしょう。
最近では、亨進様をはじめサンクチュアリ教会では、「精子神学」と銘打って、次のように論じます。「再臨のキリストはメシヤ、新郎です。……堕落した汚い子宮が神様の精子によって清められなければなりません。……すべてのエバたちが、新郎から神様の精子を受けることによって神様の血統になるのです。そうすることによって血統転換され、天一国になるのです」(2015年12月6日)
この亨進様の「精子神学」の主張は、まるで「真の父」お独りで“血統転換”がなされるように信じておられるかのようです。
この主張は、反対派が語ってきた「血分け」の論理と同じものです。この“夫婦関係”によって血統が転換されるかのように述べる言説は、真のお父様が語られた御言や『原理講論』で論じられた原理と全く異なっており、一致していません。
『原理講論』には、次のように論じられています。
「キリスト論で述べるように、イエスと聖霊はアダムとエバの代わりに、人類を重生させてくださる真の父母として来られたのである」(155ページ)
「キリスト教が他の宗教と異なるところは、全人類の真の父母を立てて、その父母によってすべての人間が重生し、善の子女となることによって、神の創造本然の大家族の世界を復帰するところに、その目的があるという点である」(161ページ)
「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」(264~265ページ)
「メシヤは人類の真の父母として来られなければならない。彼が人類の真の父母として来られなければならない理由は、堕落した父母から生まれた人類を重生させ、その原罪を贖ってくださらなければならないからである」(277ページ)
これらの『原理講論』の記述にもあるように、血統転換とは、あくまでも「真の父母」によってなされる役事であって、決して「真の父」お独りによるものではありません。「真の父」と「真の母」のお二人によって人類は生み変えられ、その子女となることで、勝利された人間始祖であられる真の父母様と“父子関係”を結ぶことでなされているのです。
「精子神学」などという、真のお父様の御言と一致せず、教義から完全に逸脱したことを平然と述べるサンクチュアリ教会に、真のお父様が行われてきた祝福結婚を通しての血統転換による救いはなく、真のお父様がおられないことは明らかです。
すでに「真の父母様宣布文サイト」の「分派の“御言改竄”行為に要注意」で論じたことですが、私たちは、真の父母様に侍り、真の父母様と一つになることが信仰の生命線なのです。
特に、子女である私たちは、まず「真の母」と一つにならなければ、「真の父」に連結されません。お父様が厳命しておられるように、「真の母」に絶対服従すべきなのです。これは真の子女様においても厳守しなければならない姿勢であり、避けることが出来ない“子女”として道なのです。
お父様は、2008年4月6日、第49回「真の父母の日」に、ハワイにおいて「真の母およびアベル・カイン一体化の特別式」を挙行され、真のお母様を真ん中に顯進様、國進様を立てられ、互いに手を繋ぐよう指示されて次のように語られました。【写真参照】
「あなたたちカインとアベルがお母様の言葉に絶対服従しなければなりません。……あなたたち兄弟同士で争って分かれることはできません。それが父母を殺した元凶です。
ですから、我知らず憎みます。声を聞くのも嫌で、歩いて行くのを見れば、後ろからついていって殺したい思いが出てきます。あなたたちに、我知らずそのような思いが出てくるというのです」(「ファミリー」2008年6月号、30ページ)
このハワイの式典で、真のお父様が語っておられたように、まず「真の母」を中心に子女(カイン・アベル)が「真の母」に絶対服従し、一体化することで「真の母」につながり、そうして「真の父」に連結されていくことが、神様の摂理を進めていくための最大のポイントなのです。「真の母」を通じなければ、私たち子女が「真の父」に連結されることはありませんし、さらには、人類が「重生」されていく道もありません。重生の役事は、「真の父」と「真の母」のお二人によるものです。子女によるのではありません。
もし、それが成されなければ、お父様が語っておられたように「それが父母を殺した元凶」になっていくという事実を知らなければなりません。
今起こっている内外における信仰の混乱は、お父様が語られた「あなたたちカインとアベルがお母様の言葉に絶対服従しなければなりません」という御言に従いえず、それを軽んじてしまったところに一つの発端があるものと言えるでしょう。