顯進様の講演文集3の題名が『神様の夢の実現』(2011年7月刊)とあるように、顯進様および郭錠煥氏に従う郭グループの目的とは、「神様の夢の実現」にあると言えるでしょう。では、「神様の夢とは何か?」、それを端的に述べると人類一家族世界実現であるというのです。
その夢を実現していく過程において、「南北統一の実現」など、その過程に付随した暫定的目標が、おそらくいくつもあることでしょう。
ところで、郭グループは「神様の夢の実現」「お父様の願いを果たすため」と言いながら、真の父母様が立てておられる統一教会に対し、次のように批判します。
「多くの人たちは、摂理の中心であられる真のお父様の本当のみ旨とは何なのかを知りたがっている(のに)……教会の指導部が真のお父様と食口たちの間に、人の帳幕を張っておいて、お父様の指示、み言などを恣意的(しいてき)に解釈し、濫用した」(郭グループの文書『摂理的葛藤に対する真の観点と理解』8ページ)
「お父様と食口の間の心情的、信仰的関係を毀損させたという悲劇をもたらした。この事件について前後の事情をよく知っている食口たちには、歪曲された何人かの指導者たちの報告と捏造された偽りの報告書のままに決断を下されるお父様に対し、多くの解き難い疑問が心情的・信仰的に生ずるようになった」(前掲文書、53ページ)
このように、彼らは統一教会指導部が誤った方向にあると批判。そのために、顯進様をはじめ郭グループが、本来の「神様の夢」を実現し、真の父母様が目指してこられた真の願いを果たすことによって、真の父母様の信頼を取り戻していきたいというのです。
しかしながら、郭グループは、統一教会を批判することによって、真のお父様から出ている「御言の指示」に従わずに、自分たちの分派活動が原因であることを棚に上げて、真のお父様の決断に対しても「多くの解き難い疑問が心情的・信仰的に生ずるようになった」と断言し、お父様の決断を批判します。
ところが、他方では「黄善祚会長が作成した忠誠盟誓書の内容を認めないお父様の署名」(前掲文書、62ページ)と見出しを付け、彼らの文書一面で大きく取り上げ、真のお父様の判断力の正しさを強調しているのです。
このように、統一教会の指導者を批判するために、彼らは真のお父様の判断力を一方で批判し、他方では認めるという矛盾したことを平気で言ってのけるのです。
ところで、神様の夢の実現は、「真の父母」を抜きにしては絶対にあり得ません。神様と人間の仲保者、血統の主人(人間始祖)は唯一です。それは真の父母様です。
「人類は神様のもとの一家族である」と言えるのも、共通の親(父母)がいてこそ、はじめて言える言葉です。ですから「神様の夢」を実現するために、郭グループは必ずや真の父母様のもとに帰って来て、真の父母様に直結されなければなりません。
真のお父様は人の情報で影響され、動かされるお方ではありません。常に神様と一体となって、神様の願い通りに行動されるお方です。だからこそ、真のお父様は人に訓戒し、教育・牧会され、命令(指示)されるお方なのです。真のお父様が語られる御言こそ、絶対基準です。
ところが、顯進様も「お父様が現在このようにとんでもない推測に対し信頼を置かれているという事実が、今日私に最も大きな苦痛となっています。力と権力を持つ者たちによって、大切な原則と価値そして何よりも、神の摂理全体が犠牲にされ、個人の野望と策略によって真実が歪曲されていることを見落とされるということは、私にはあまりにも辛い内容です」(前掲文書、20ページ)と述べておられます。
このように、真のお父様や統一教会を批判した上で、郭グループは「顯進様が行かれる道に対して、本当に審判するというのであれば、その基準を神様のみ言とみ旨におくべきです」(前掲文書、28ページ「摂理的葛藤に対する現場の声」)と言います。
では、神様の御言とは何であり、また、御旨とは何でしょうか? それらは、真の父母様を抜きにしてはあり得ないものです。
ですから、「帳幕を張って」云々…と統一教会を批判する前に、真の父母様のもとに速やかに帰って来て、文字通り真の父母様に直結し、真の父母様を中心とする神様の御言と御旨に従っていけるように、自分たちの行動の基盤・基準をそこに置くべきなのではないでしょうか?
ところが、郭グループは前述した発言にあるように、現在の真のお父様は、昔のお父様ではなく、誤った幹部たちの報告を真に受けてしまうお方となってしまっていると考えているようです。どうやら、彼らは、今の真の父母様に見切りをつけて、「自分たちが」神様の夢をかなえるしかないと考えているかのようです。
しかし、そのような彼らの真の父母様に対する判断や発想は間違っており、真の父母様を正しく見ておりません。今、ますます真の父母様は神様と完全一体となって動いておられるからです。
特に、昔のお父様と今のお父様は違うという主張は、真のお父様に対する冒涜です。今なお、真のお父様は神様と完全一体となって動いておられるからです。
「神様の夢の実現」を目指すならば、郭グループは自分たちの誤りに気付き、一刻も早く真の父母様のもとに帰って来るように切望するものです。