文責:教理研究院
注、真の父母様のみ言や『原理講論』は、「青い字」で、サンクチュアリ教会側の主張は「茶色の字」で区別しています。
日本サンクチュアリ協会を率いる江利川安榮氏は、2017年6月2日、サンクチュアリNEWSに【王冠と銃について】と題する説明文を掲載しました。その内容は、彼ら独自の〝神氏族メシヤ王権即位式〟の推進とその際に〝銃〟を持って即位式を行うことについての弁明ですが、これらの主張は、真のお父様のみ言、平和思想に反するものであり、亨進様をはじめサンクチュアリ教会がお父様の教えから益々かけ離れ、非原理的集団として〝先鋭化〟していることが明らかとなるものです。私たちは、その誤りを正確に理解し、正していかなければなりません。
なぜ、江利川安榮氏が【王冠と銃について】と題して説明をしなければならなかったのか、まず、その状況について理解しておかなければなりません。江利川安榮氏は、次のように説明しています。
「私も……首都圏合同礼拝等で、体系的に帰国報告を申し上げようと考えておりましたが、とりわけ、『氏族メシア王権即位式(戴冠式)』の写真をご覧になって、(銃を持っていることに対して)『一体何事ですか?!』とショックを覚えたとして、また『到底理解できない』として連絡をいただいた方々がありました。銃刀等に対する既成概念から、またアメリカ等の銃の文化に程遠い日本及び日本人の感覚から、常識では到底理解できるものではないことを察しましたので、『王冠と銃』について、少々説明を申し上げたいと存じます」(「サンクチュアリNEWS」2017年6月2日。注、カッコ内も江利川氏の説明文)
サンクチュアリ教会では、亨進様や國進様の意向を受けて、「神氏族メシア王権即位式」なるものを行っており、その際、王冠を被り、〝銃〟を持って写真を撮っていることに対して、各方面から「『一体何事ですか?!』とショックを覚えたとして、また『到底理解できない』として連絡をいただいた方々」がいたために、江利川安榮氏は急遽、弁明せざるを得なくなった状況というものがあったのです。
IS(イスラム国)を連想させるかのような写真を見れば、多くの人が「ショックを覚えた」とか、「到底理解できない」と反応するのは当然のことです。
そのために、江利川安榮氏は、サンクチュアリNEWSで【王冠と銃について】と題して解説をし、弁明をしたのです。しかし、その江利川氏の説明は、統一原理やみ言に反する内容であり、非原理的な主張です。以下、江利川安榮氏の言説の誤りを指摘します。
(1)「万王の王神様解放権戴冠式」は、亨進様が〝二代王〟として戴冠した儀式ではない
サンクチュアリ教会では、2009年1月の「万王の王神様解放権戴冠式」によって、亨進様が〝二代王〟として戴冠されたのだと主張しています。
江利川安榮氏は、次のように述べています。
「王冠摂理…。2009年1月15日と1月31日に『万王の王神様解放権戴冠式』を三度挙行され、相続者、代身者、後継者であられる亨進様御夫妻も、真のお父様によって王冠伝授をされ、二代王として戴冠されました」(江利川氏の【王冠と銃について】より)
「摂理の時は、神様と万王の王イエス様、及び真のお父様と亨進二代王が完全に一つになられて、具体的に神の王国、天一国を創建する時」(同)
江利川安榮氏は、「亨進様御夫妻も、真のお父様によって王冠伝授をされ、二代王として戴冠されました」と主張しますが、それは誤りです。彼らが、その「王冠伝授」の根拠としている2009年1月15日の韓国の式典、および同年1月31日の韓国と米国の計3度にわたる「万王の王神様解放権戴冠式」は、その名称が示すとおり、神様と真の父母様が一心、一体、一念、一核となって「万王の王」として戴冠された式典でした(写真参照)。
お父様は、万王の王神様解放権戴冠式とは「縦的万王の王であられる神様の実体として万有を統治する横的万王の王、真の父母様の戴冠式」であると語っておられます(「ファミリー」2009年3月号、7ページ)。
サンクチュアリ教会は、そのみ言を無視し、事実をねじ曲げています。
また、お父様は2012年4月21日、韓国・清心平和ワールドセンターで「天地人真の父母様特別集会」を開催され、「栄光の宝座に座る人は、億千万代においてただ一つの夫婦であって、二つはいません。……万国の王たち、偽者たちがなぜこんなに多いのですか。万王の王はお一方です」(「KMS中和新聞」2012年4月27日号)と語っておられます。
天一国における万王の王は、永遠に「お一方」であって、それは文鮮明・韓鶴子ご夫妻であられることを明言しておられるのです。
彼らの「二代王」という主張の誤りは、すでに小冊子『サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤りNo.2』の4~8ページ、および34ページで論じていますので、もう一度、確認していただきたいと思います。
したがって、亨進様は「二代王として戴冠」されたという〝虚偽〟に基づいて、江利川安榮氏が述べる「神様と万王の王イエス様、及び真のお父様と亨進二代王が完全に一つになられて、神の王国、天一国を創建する時」という摂理観は、み言に何の根拠もない誤りです。
(2)誤ったアベル像による「神氏族メシア王権即位式」の挙行
サンクチュアリ教会では、「神氏族メシア王権即位式」を挙行していますが、その言動の誤りを指摘します。以下、江利川安榮氏の説明を抜粋します。
「黙示録7章に『生ける神の印をおされた者は14万4千であった』とあるように、『額の印』は真のお父様の御名であるとされ、真のお父様の血統圏、権威圏に戻った祝福家庭が氏族のメシアとして、氏族の前に、ひいてはサタン世界の前に『神の印、真のお父様の名前を刻んで』王権即位式をする時が来た」(江利川氏の【王冠と銃について】より)
「5月28日……二代王・王妃と共に各祝福家庭が氏族の王・王妃としての戴冠式を挙行致しました」(同)
「二代王と王妃、そして各祝福家庭・氏族の王・王妃が銃を持って記念撮影を致しました」(同)
江利川安榮氏によれば、「黙示録7章に『生ける神の印をおされた者は14万4千であった』」と言い、「『額の印』は真のお父様の御名である」ので、「真のお父様の血統圏、権威圏に戻った祝福家庭が氏族のメシア」として、氏族やサタン世界の前に「神氏族メシア王権即位式」をする時が来たと述べます。
そして、2017年5月28日に「祝福家庭が氏族の王・王妃としての戴冠式を挙行し」、その際に「氏族の王・王妃が銃を持って記念撮影」を行うことで、「神氏族メシア王権即位式」が完了するとしています。
日本サンクチュアリ協会のホームページ には、「神氏族メシヤ王権即位式」の実施方法が具体的に記されています。
問題となる「神氏族メシヤ王権即位式」 の説明箇所を以下、引用します。
【神氏族メシヤ王権即位式について】
亨進二代王様のみ言にもとづき、各家庭 において『神氏族メシヤ王権即位式』を行なって下さい。神氏族メシヤ王権即位式は祝祷を受け、写真を撮ることで完了します。
【神氏族メシヤ王権即位式実施方法】
・お父様のお写真を中央に置いて下さい。
・必ずお父様のお名前が付いた王冠をかぶって行って下さい。
・写真は亨進二代王様がされたように銃を持って撮影して下さい。日本で実施する場合はおもちゃの銃で構いません。
・神氏族メシヤ王権即位式の祝祷は救命ボートの代表か教会長から受けて下さい。
・夫婦で正装して行って下さい(なるべく白い服で)。
(以上は、日本サンクチュアリ協会のホームページからの抜粋)
祝福家庭として「神氏族メシヤ王権即位式」を完了させるために「銃を持って撮影」するという内容は、お父様のみ言に全く根拠がありません。真の父母様が「万王の王神様解放権戴冠式」をなさったときも、「銃を持って撮影」されたことは全くありません。
以前、文國進様が、食口を指導していたとき、〝強いアベル像〟を説明するためにアベルがなぜカインに殺されたのかという、全くみ言に根拠のないアベル・カインの関係性について述べていました。國進様は、「アベルに力があったなら、カインに殺害されなかった。アベルが拳銃を持っていたら、カインに殺されなかった」という強いアベル像を打ち出しながら、〝銃〟を所持することの正当性を訴えていました。そして、アベル・カインの関係性に対して、それは力の均衡維持による平和関係だと主張しました。
その國進様の独特の指導を踏まえると、「『神氏族メシヤ王権即位式』を完了させるために『銃を持って撮影』する」という行為は、そのような〝強いアベル像〟に基づく思想を背景としたものであり、み言に全く根拠のない非原理的な行動の現れであると言えます。
(3)〝銃〟の解釈に対する江利川氏の詭弁
江利川安榮氏の〝銃〟を持って写真を撮ることの弁明を以下、引用します。
「銃を持つということは……家庭・氏族の王・王妃として、家族や氏族を自らの責任で守るという愛と責任を決意表明したものです」(江利川氏の【王冠と銃について】より)
「ペンシルベニアなどほとんどの家庭の主人が銃を保持しているのに驚きました。……万一に備えて、自身で家族や氏族を守るために与えられた権利であり、責任としての銃であるのです。いつ熊などが襲いかかるやもしれないのです」(同)
「国進様は、『氏族の王・王妃として即位するからには、血統を継承していく覚悟が必要である』と、とても深い、具体的で根本的な私達の責任を強調されました。生命がけで、深刻に神の血統を守り、継承していくという、選ばれた14万4千名である決意の表明でもありました」(同)
「具体的に神の国、天一国創建の14万4千の勇士烈女として立ち、更に平和軍・平和警察として前進する決意の表れである」(同)
江利川氏は、銃を持つ意味について、「家族や氏族を自らの責任で守る」という愛と責任を決意表明したものだと説明しています。その理由として、アメリカのペンシルベニアでは、「いつ熊などが襲いかかるかもしれない」状況なのだと説明し、ペンシルベニアの住民たちの〝銃の保持〟の正当性を説明しています。アメリカ社会においては、銃を所持することはアメリカの法律に基づいた行動であるために、違法行為とは言えないでしょう。
しかしながら、即、それが写真を撮るときの「銃を持って撮影」することの意味付け、正当化するための理由付けにはなりません。江利川安榮氏は、「銃を持って撮影」する意味を、次の3つの観点から説明しています。
一つ目は「神の血統を守り、継承していくという…決意の表明」であり、二つ目は「選ばれた14万4千である決意の表明」であり、三つ目は「平和軍・平和警察として前進する決意の表れ」であると述べています。これは詭弁に過ぎません。
まず、一つ目の「神の血統を守り、継承していくという…決意の表明」をするのに、わざわざ〝銃〟を持って写真を撮る必要性がどこにあるでしょうか。
お父様のみ言を引用します。
「皆様、良心は、父母に優り、師に優ります。多くの人々がそのような価値を知らずにいます。体が良心を思いどおりにしているということです。堕落した世界、享楽の世界では、そうです。……男女間の乱雑な愛の関係をつくり出していきます。それで、滅んでいくのです。……これから、神様から受けた純粋な真の血統を、どのように保全するかということが問題です。汚染されていないエデンの園でも堕落があったのに、この邪悪で汚れた罪悪世界で純粋な血統を保全するということは、決して容易なことではないでしょう。……祝福を受けて生まれた二世からの子女たちには、汚染されることのない、清くて純粋な環境をつくってあげなければならないのが皆様の責任です」(『平和神經』315~317ページ)
お父様は「男女間の乱雑な愛の関係をつくり」出さないために、神様が与えてくださった良心こそが「人間の三大主体」であるとして、その〝良心作用〟の重要性を訴えておられます。そして、子女のために「汚染されることのない、清くて純粋な環境をつくってあげなければならないのが皆様の責任です」と語っておられます。
そのため、毎日、家庭で父母と子女が完全に一つとなって行う〝訓読教育〟の実践が重要であることを何度も強調してこられたのが、お父様のご指導です。
サンクチュアリ教会のように、「神の血統を守り継承の決意」をするのに「銃を持って写真を撮る」必要性はどこにもありません。
二つ目に「選ばれた14万4千の決意表明」のために「銃を持って写真を撮る」必要があるかどうかを見ていきます。
サンクチュアリ教会では、「選ばれた14万4千の決意表明」には、サンクチュアリ教会で祝福を受けたものこそが「14万4千に選ばれた者」であり、「救われた者」であるという独善的な主張をしています。これは、既存の神学で述べられている〝終末論的聖書解釈〟に基づく誤った言動であると言わざるを得ません。
アメリカ社会において〝銃〟を持つことは、自分や自分の家族を守るための意味にしかならず、排他的であり、他の家庭を生かすための意味にはなりません。もし、選ばれた14万4千である神氏族的メシヤであるならば、それは氏族を救うために、氏族を生かすために選ばれた者であることを知らなければなりません。
果たして、銃を持った写真を「神氏族メシヤ王権即位式」として、氏族に見せてあげ、誇ることができるでしょうか。また、近隣の人々に誇れる内容となるでしょうか。さらに、子供に誇れる内容として、社会に発信して語り続けていくことができるでしょうか。
むしろ、〝銃〟を持って写真を撮る行為によって、お父様の平和思想を伝えることはできず、返って、真の父母様が願われた本来の「神氏族メシヤ活動」が難しくなるということを知らなければなりません。
三つ目に「平和軍・平和警察の決意」として「銃を持って写真を撮る」必要性があるかどうかを見ていきます。
『平和神經』の平和メッセージ4のみ言を以下、引用します。
「私(真のお父様)は、既に昨年(2005年)の10月20日、『天宙平和連合』創設メッセージを世界120カ国に伝播する世界巡回路程の中、ウクライナにおいて、自然災害を防ぎ、家庭倫理の確立や純潔を守ることを促進する平和組織『世界平和王国警察』『世界平和王国軍』の創設を満天下に宣布しました。この二つの組織は、今から私たちの体の赤血球と白血球のような役割を果たし、世界の至る所で天の血統に接ぎ木され、新しい出発をした祝福家庭を保護し、一方では、神様が下さったエデンの園、すなわちこの美しく有り難い地球星を守り、保護し、育てあげる警備隊の役割を果たすようになるでしょう」(『平和神經』99ページ)
お父様のみ言によれば、「平和軍、平和警察」の本来の意味は、「自然災害を防ぎ、家庭倫理の確立や純潔を守ることを促進する平和組織」であると語られています。この思想は、銃などを所持しながら、力の均衡を保つことによってなされる平和思想ではありません。どこまでも、真の愛を実践する平和思想に基づいた平和組織としての「平和軍・平和警察」が創設されるものであることを知らなければなりません。
次に、『平和神經』の平和メッセージ1のみ言を以下、引用します。
「聖書のイザヤ書第2章4節の教えのように、今や、『銃や刀を溶かして、すきとくわを作る』時です。人類はこれ以上、戦争のための戦争に子女たちの命を犠牲にし、天文学的なお金を費やす悪業を繰り返してはなりません」(『平和神經』44ページ)
アメリカの社会においては、〝銃〟を所持することは、自分自身や家族を守るという意味合いから法律上、認められているものです。しかし、その〝銃〟の使用を誤るなら、むしろ「子女たちの命を犠牲」にさらす危険性や可能性も十分にあるのです。
まして、神氏族的メシヤ即位式で〝銃〟をもって写真を撮ることに、み言の根拠は全くありません。真の父母様は、戴冠式でそのようなことを一切しておられません。
むしろ、お父様は「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る」時であると明確に語っておられます。この平和メッセージは、〝銃〟をはじめとする〝武器〟を捨てるべき本然の時代が到来していることを明言されているものです。
このみ言のいう「銃や刀を溶かして」とは、「戦争のための…悪業を繰り返してはならない」という意味なのであり、「すきとくわを作る」とは、真の父母様の平和思想を受け入れて、真の愛を実践しなさいと語られているものに他なりません。
もし、「神氏族メシヤ王権即位式」を祝福家庭が実施するとするならば、真の愛を実践して430家庭の祝福を完了して勝利した「神氏族メシヤ」が行うべきでしょう。
彼らが、〝銃〟を掲げ、自分たちで作成した王冠を被って「神氏族メシヤ王権即位式」を行う意味は、単に、亨進様や國進様を中心としたサンクチュアリ教会に対する忠誠を誓うための行為にしか過ぎないものと言えるのです。そして、彼らが掲げる銃は、どこに向けられるか分からないという、極めて危険なものになり得るということをはっきりと知らなければなりません。
(4)お父様の平和思想は、〝銃を持つ〟ことによってなされるのではない
サンクチュアリ教会における一連の内容を通じて分かることは、彼らは、真の父母様のみ言を自分の基準で勝手に判断し、誤った思想をつくりあげた結果ゆえに、上述のような〝非原理的〟な言動を取っているものと言わざるを得ません。
サンクチュアリ教会は、真の父母様の願われる方向とは〝真逆の道〟を進んでいる偽りの団体であり、父母様の悲しみと心痛の団体であって、真の父母様に対する孝の心情で歩む団体ではありません。私たちは、そのような非原理的な団体に惑わされてはなりません。
ところで、冷戦時代においては、暴力革命を正当化し、軍事力を増強することで世界を震撼させたソ連による「国際共産主義問題」がありました。そこで繰り広げられる民主と共産の最終的な戦いについて、『原理講論』は次のように論じています。
「その戦いには二つの道がある。第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには、人間の本性的な欲求を満足させる完全無欠な理念がなくてはならないのである。またこの戦いの第二の道は、武器による外的な戦いをしないで全面的に理念による内的な戦いで、直ちにサタン世界を屈伏させて統一する道である」(552~553ページ)
真のお父様は、1976年9月18日の「ワシントン大会」を勝利された直後、今度は「モスクワ大会」を開催することを宣言され、次のように語られました。
「ワシントン大会後、モスクワ大会を宣言しました。そのため、共産主義追放運動を私が展開し、文化使節を通して共産世界のすべての文化活動にブレーキをかけるでしょう。今、その運動を始めています。……皆さんは共産主義者たち以上にやらなければなりません。サタンは、力が弱いときに占領し、攻撃してくるのです。……共産世界は、皆さんが引き受けて闘わなければなりません。……銃剣を持って、力で闘うことはできません。愛をもって闘わなければならないのです。共産主義者たちは、民主世界を滅ぼして共産世界をつくろうとしますが、私たちは民主世界も救い、共産世界も救ってあげる体制をつくらなければなりません」(『真の父母經』679~680ページ)
このように、武力や軍事力でもって相手(民主世界)を征服し、世界赤化しようと目論んでいた国際共産主義に対してさえも、お父様は「銃剣を持って、力で闘うことはできません。愛をもって闘わなければならない」と語っておられます。
まさしく、平和メッセージで「今や、『銃や刀を溶かして、すきとくわを作る』時です」と訴えておられるお父様の平和思想が、そこにも表れています。イエス様も、「剣をとる者はみな、剣で滅びる」(マタイによる福音書26章52節)と語られました。
また、お父様がアメリカのダンベリー連邦刑務所に収監されている最中の1985年5月11日、米国のショー神学校がお父様に対して「名誉神学博士号」を授与したことがありました。ダンベリーに服役中だったお父様に代わって、お母様が「博士証書」を受け取られましたが、そのとき、お母様は次のようにみ言を語られました。
「夫(真のお父様)は、人種間の相互理解と調和のために身を捧げています。20世紀の最も偉大なアメリカ指導者は誰ですかと尋ねられた時、夫は、それはマーチン・ルーサー・キング牧師であると答えました。抑圧された多くの人々が、憎しみに対して憎しみで報いようとした時代に、キング牧師は、『私たちは、憎しみの代わりに、愛を返さなければならない』と語りました。キング牧師は幾度も幾度も収監され、また信じていたもののために人生を捧げました。……同じように、夫も彼の敵を愛しています。最初から告発人を許してきましたし、アメリカをこれまで以上に愛しています。夫は監獄の中にあって神に感謝しています。それは、神が夫を道具として使って、すべての抑圧と不正に対して闘うように、アメリカ国民を鼓舞しているからです」(「中和新聞」1985年6月1日号)
マーチン・ルーサー・キング牧師は、〝非暴力〟という敵をも愛する〝愛の武器〟によって、人種差別問題の解決のために身を挺して歩んだ牧師でした。彼の生き方は、同じく〝非暴力〟によってインドの独立を勝ち取っていったマハトマ・ガンディーの生き方と同じものでした。キング牧師やガンディーは、自分の愛する同胞を守り、社会や国家を解放していくための強い決意をもって生涯を戦い抜きましたが、彼らは、銃や武器は持たずに戦ったのです。お父様は、そのキング牧師について「20世紀の最も偉大なアメリカ指導者」であると語られたのです。
さらに、お父様は、韓半島の南北統一は〝真の愛〟によってなされるとして、次のようにみ言を語っておられます。
「南北統一が武力によってなされると思いますか。とんでもないことです。共産主義思想とはいっても、神様の愛の中では力なく吸収され、消滅してしまいます。私たちが今までそれが分からなかったからであって、愛する心をもつならば、南北統一は絶対に問題ではありません」(八大教材教本『天聖經』1990ページ)
「韓国で南北統一がなされれば、世界の統一は自動的になされるようになっています。軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何でもつくり得る力のある人物です。しかし、軍事力だけでは絶対にできないので、このようにみ言を伝播しているのです」(同、1991ページ)
以上のように、「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る時」であると語っておられるお父様の、その平和思想を知った人なら、「神氏族メシヤ王権即位式」において〝銃〟を構えて写真を撮るなどという行為は、決して行うべきではないと言えるでしょう。
ところが、亨進様は、銃だけでなく〝必殺〟と刻印された短剣を手に持って写真を撮っていますが、このような姿は、とても「自身で家族や氏族を守るために与えられた権利であり……いつ熊などが襲いかかるやもしれない」という〝決意〟と大きく乖離した〝好戦的〟世界を感じさせるものです。
私たちは、お父様のみ言や原理から大きく逸脱し、お父様の平和思想に反する言動を取る亨進様をはじめサンクチュアリ教会が非原理的集団として〝先鋭化〟していることを正確に理解し、その誤りを正していかなければなりません。
サンクチュアリ教会の兄弟たちが一日も早く自分たちの誤りに気付き、真の父母様のもとで共に歩むことができるように、皆で祈って参りましょう。