文責:教理研究院
注、真の父母様のみ言や『原理講論』などは
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「真の父母様宣布文サイト」の掲載文について補足します。2024年3月2日の掲載文の最後の方で、「再臨主の時にキリスト教が使命を果たせない中で、お父様が自叙伝で語られる〝神の摂理〟が展開されたと言える」と述べましたが、この点について、もう少し補足を加えておこうと思います。『世界家庭』2024年4月号「解説」を追加掲載しました。
まず、韓国キリスト教においては、神が特別に再臨主のために準備した〝神霊集団〟である、李龍道牧師、金聖道の聖主教、許浩彬の腹中教の流れがありました。この集団の信仰は〝肉身をもって来られる再臨主〟を待ち望んでおり、これらの人々は「天から多くの教えを受け……再臨主が肉身をもった人間として、韓国に来るであろう……エバがどのように堕落したかということを……大体その輪郭的な内容は霊界から教えてくれた」(『真の御父母様の生涯路程②』37~38ページ)というのです。真のお母様は、この〝神霊集団〟の信仰の背景を持ってお生まれになった方であり、神によって〝独り娘〟として特別に準備された唯一の方なのです。
その流れと違い、一般の既成キリスト教の信仰は〝神霊集団〟と異なる信仰観を持ち、2000年前に復活したイエス様そのものが〝天の雲に乗って来る〟と信じます。第1の方である崔氏一族は、「主が人として来るというのは、偽キリストだ」(同、68ページ)という信仰を持っており、真のお父様を再臨主として受け入れることが難しい背景をもっていたのです。
イエス様そのものが〝天の雲に乗って来る〟というのが一般のキリスト教信仰です。アメリカ社会では、再臨主が天の雲に乗って来て、その際「空中携挙」(注:イエス・キリストを信じていた死者はよみがえり、生きている熱心な信者も天に引き上げられて、主と共に生きるようになること。Ⅰテサロニケ第4章17節)されると信じる人が多くいます。その信仰観に基づいた小説『レフトビハインド』が累計6500万部も売れた(公式サイト・2020年発表)ということからも、そのような信仰を持つ人が数多くいることが分かります。この信仰と軌を一にする崔氏一族について、真のお父様は次のように語っておられます。
「大韓民国と既成教会が一つとなって、聖進のお母さんを前に立てて反対しました。私がこのような世界的使命を担った、ということを知りませんでした。自分の母親と組んで、『主が人として来るというのは、偽キリストだ』と言ったのです。……(崔氏一族が)反対するようになるとサタン側の世界に戻っていくのです」(同、68ページ)
すなわち、第1の方は、真のお父様を「夫として」愛してはいましたが、〝神霊集団〟の信仰の流れではないために、真のお父様が「再臨主」であるとは夢にも思っていなかったのです。それゆえ「既成教会が反対するので、聖進の母親が反対するようになっていく」(同、237ページ)という状況になりました。この事実は、神に準備された〝神霊集団〟の流れを汲む金百文牧師の信仰と異なっており、崔氏一族の信仰は、金百文牧師が信仰を立てるかどうか以前の問題でした。
「先生と聖進の母親との家庭が破綻したのは、既成教会のゆえでした。韓景職牧師を中心とする永楽教会ゆえにそうなったのです。離婚させるために、聖進の母親のいとこを引き入れたのです。邪悪なサタン、悪魔の教祖と言って……永楽教会全体が主導となって、『異端はつぶすべきだ』と、『平安北道の恥だ』と言って、裁いたのです。……『自分の一族が、自分の母親を中心として家族会議を開き、全体が一つになって、文先生とは信仰が異なるので、家庭を破綻させ、離婚をさせるために煽動的なことをした』……というのです」(『真の御父母様の生涯路程③』148~149ページ)
崔氏一族は、真のお父様を再臨主として信じることができないキリスト教信仰の背景を持ち、次のように反対しました。
「聖進の母親が狂ったように反対したのです。……二つの道があるということが分からなかったのです。……レバレンド・ムーンが(再臨主として)現れる時も、二つの道があったということを知らなければなりません。……(聖進の母親は)『自分の夫としてのみいてくれ』と言うのです。……エデンにおいて、一人の女性によって天地が滅ぼされたのですが、今日の復帰時代においても、一人の女性によって……悲惨な歴史を残したことを、私は悲嘆したのです」(同、149ページ)
結論として、崔氏一族は真のお父様を再臨主として信じる信仰がなく、第1の方も、真のお父様を再臨主としてではなく、ただの夫としてのみ見ていたというのです。再臨主に対し「二つの道」があり、本来、再臨主として侍っていかなければならないのに、「偽キリスト」として捉える信仰により、やがて夫としても見ることができなくなったのです。それゆえ、金百文牧師が信仰を立てるかどうか以前の問題があり、こうして「(既成教会の信仰を持つ)聖進のお母さんがみ旨を立てることができなかったために、三代にわたって延長されることになりました」(同、156ページ)
こうして真のお父様は〝真の母を探す路程〟をその後も歩んでいかれ、〝神霊集団〟の背景を持つ、天に準備されていた独り娘・真のお母様を見出されたことが理解できます。崔氏一族の不信の問題は、金百文牧師の信仰問題と関係がなかったと言わざるを得ません。
では、なぜ真のお父様は、神様から否定されるこのような道を歩まれる運命に立たされたのでしょうか。『原理講論』に、イエス様、再臨主に対する次のような論述があるのを御存じでしょうか?
「人間が神のみ旨に反して堕落することによって神を悲しませたのであるから、これを蕩減復帰するためには、これと反対に、我々が神のみ旨に従って実践することにより、創造本然の人間として復帰し、神を慰労してあげなければならないのである。……したがって、後のアダムとして来られるイエス(と再臨主)が、人類をサタンの側より神の側へと復帰するためには、神から見捨てられる立場にあっても、なお自ら進んで神に侍り奉らなければならなかったのである。神が十字架にかけられたイエスを見捨てられたのは、このような理由に基づくものであった」(276ページ)
このように、再臨主も「神から見捨てられる立場にあっても、なお自ら進んで神に侍り奉らなければならなかった」と論じられています。それは、2000年前、イエス様が独り娘を探し出せず、孤独で〝悲惨な路程〟を歩まれたことを、再臨主も同じ立場を通過することで、イエス様の悲しい心情を解放し、神様を慰労していかれたと考えられます。『原理講論』は、再臨主の路程を次のように論述しています。
「再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても……その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならない」(427ページ)
このようにイエス様が通過された路程は、独り娘と出会えない〝悲惨な路程〟でした。再臨主も同じ〝悲惨な路程〟を歩まれたにもかかわらず、なおも神様の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を行かれることで、真のお父様は「創造本然の人間として……神を慰労してあげなければならな」かったのです。そうして真のお父様は、神が準備しておられた〝独り娘〟をやっと探し出されたのです。
以上が、この問題に対する教理研究院の見解です。