「真の父母論」を学ぶときの基本姿勢(心構え)

文責:教理研究院

     (注、真の父母様のみ言や『原理講論』からの
引用は「青い字」で表記しています)

「『真の父母論』の映像に関するQ&A」を末尾に追加掲載しました。

(1)真のお父様は、真のお母様の生涯路程を常に重視され、お母様と共に摂理を推進された
 「真の父母論」で論じられているように、真の父母様は摂理完成のための〝中心軸〟に立っておられます。真のお父様が摂理を進めるにあたって、お母様を立てられ、常に摂理を推進してこられたことを理解しておく必要があります。非原理集団は〝お母様によってお父様の伝統が覆されている〟かのように批判しています。しかし、この批判は、お父様が今日まで、いかにお母様を重視して摂理を進めてこられたのかを知らずに批判しているものに過ぎません。

 具体例を挙げると、非原理集団は〝お父様が2010年に定められた「天基元年」の年号が、2013年にお母様によって「天一国元年」に改められた。お父様が立てられた伝統をお母様が覆している〟と批判します。しかし、この批判は、お父様の摂理観と一致していない批判です。お父様が進められた摂理は、お母様と共にあったものであり、お父様が定められた「基元節」のもつ意義を理解していれば生じることのない批判であると言わざるを得ないからです。
 お父様は2010年に「天基元年」を宣布されました。そして2013年1月13日の「基元節」をDデーと定め、3度目の「聖婚式」を行うと語っておられました。それほどまでに重要なのが「基元節」です。お母様は、このお父様が定められた2013年1月13日の「基元節」を迎えて、「天一国元年」を宣布されました。これは、お父様の願いに基づいたものです。
 お父様が推進された天の摂理は、常にお母様の勝利圏と共にあった事実を踏まえ、以下の内容に対し理解をさらに深めなければなりません。

①一度目の「聖婚式」(小羊の婚宴)と「天紀元年」の発表
 まず、1960年のお母様との一度目の「聖婚式」を機に、人類の「真の父母」が立ったことを宣言されました。お父様はそれを〝小羊の婚宴〟と呼ばれ、お父様はお母様と共に祝福結婚による血統転換をなしながら、人類の救援摂理を推し進められました。お父様だけでなく、お母様がおらずして人類の救援摂理はあり得ないことを知らなければなりません。
 お父様は1977年2月23日の聖誕日に「天紀元年」を発表されました。その日を「地勝日(天地勝利の日)」とされ、次のようにみ言を語られました。
 「陰暦の1977年の1月6日は私と妻の誕生日であり、また歴史的新紀元の年(天紀元年)を発表した日として、全員でそれを祝いました。全宇宙も祝ってくれます。……天宙的新紀元が始まるからです。きょう、妻(真のお母様)は34歳を越えます。イエス様は、33歳以上行くことができませんでした。イエス様は、34歳の誕生日を神と共に祝いたかったのです。しかし、十字架のゆえにできませんでした。今年、妻は、34歳を越え、イエス様の33歳を越えていくことになります。ですから、そういう意味でも、きょうは最も記念すべき日なのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅱ)』557~558ページ、『御旨と世界』は545ページ)。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのです。このように、お母様が34歳を迎えられた時に、イエス様の越えられなかった33歳を越えたとして、お父様は「天紀元年」を発表されました【祝賀会の写真参照】。

②聖婚33周年に「成約時代」を宣布
 次に、お父様は1993年に「成約時代」を宣布され、そこから「成約時代」を数えていかれました。お父様は1993年の「父母の日」に、次のように語られました。
 「きょうは第34回父母の日です。33周年です。33は完成を意味します。それは、きょうの父母の日はイエス様の年齢だということです。イエス様は、33歳の時に家庭をなすはずでしたが、十字架上で亡くなり、その立場をなせませんでした」(『祝福』1993年夏季号、55ページ)。このように、お母様との聖婚33周年を「完成を意味」すると語っておられます。お父様はイースト・ガーデンで〝特別なお祝い〟をされ、お母様に指輪を贈られました【写真を参照】。そのお祝いについて次のように語られています。
 「この前、イエス様の33回目の誕生日を祝いましたね。……それで先生は、イエス様を解放して、イエス様が家庭を持って43歳(お母様の還暦の2003年)になるまでに、完全な世界的基盤をつくらなければならないので、急いでいるのです」(『ファミリー』1993年9月号35ページ)。このように、お母様の〝還暦〟の年をめざして「完全な世界的基盤をつくらなければならない」と語っておられます。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのです。

 そして、1993年から「成約時代」を数えられ、成約時代7年目(1999年)の6月14日、第37回「真の万物の日」に「真の父母様天宙勝利祝賀宣布式」を挙行されました。お父様はお母様に〝表彰牌〟を贈られ【写真を参照】、お二人が対等な位置にあることを繰り返し明言され、次のように語られました。
 「あなた(真のお母様)は……真の父母の使命を完遂されました」(『真の父母經』1440ページ)。「お母様が今からは対等な位置に立つようになりました。男女平等圏時代が訪れたのです」(同1441ページ)。お父様は、お母様が真の父母として「対等な位置」「同等な立場」に立ち、さらに「天国の門を私(真のお父様)よりも先にお母様が開かなければならない(1999年4月16日、『ファミリー』1999年6月号21ページ)とまで語られました。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのです。

③お母様の還暦の時、二度目の「聖婚式」を挙行
 さらに、お父様は2001年1月13日に「神様王権即位式」を挙行され、「天一国時代」を宣布されました。そこから「天一国時代」を数えていかれ、天一国時代3年目に「2001年1月13日を中心として、天一国1年、2年、3年に、天一国開門祝福聖婚式(二度目の結婚式)をしました。祝福聖婚式をしたので、天一国家庭において、真の父母が王の位置に立つことができるのです。それで、天宙・天地父母が四位基台を備え得る位置に立って天国に入っていけることにより、天国が開いて心情的一体圏ができるのです」(『後天時代の生活信仰』59ページ)と語られました。2003年陽暦2月6日は、お母様の〝還暦〟であり(お母様の還暦の2003年)になるまでに、完全な世界的基盤をつくらなければならないので、急いでいるのです」と語られた内容が実現したものでした【写真を参照】。

 この二度目の聖婚式は、アダムとエバが堕落せずに完成して行うはずだった「神様の結婚式」であり、お父様は「婚姻申告」「出生申告」をされました。この二度目の神様(天の父母様)の結婚式によって、神様は文鮮明・真のお父様と韓鶴子・真のお母様のお二人の姿をもって顕現されるようになりました(『ファミリー』2003年5月号25~27ページ)。お父様とお母様のお二人は、神様の〝実体の立場〟に立っておられるのです。この出来事は、お母様の〝還暦〟の時にあわせて行われたものでした。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのです。

④「基元節」を目指して、金婚式の年に「天基」を発表し「最終一体」を宣言
 お父様は、2010年2月14日、第43回「真の神の日」「神様王権即位式9周年」に「天暦」を発表され、そこから「天基」を数えていかれました。そして「2013年1月13日は、天一国の起源となる日です。……摂理がかかっているその日まで、その期間内に教育を完了し……すべてのことが終わるのです」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2010年4月号12~13ページ)と語られました。この「天基」は、2010年天暦3月16日(陽暦4月29日)に「天地人真の父母様御聖婚50周年金婚式」が行われた年が起点であり、お母様との〝金婚式〟において定められたものです【写真を参照】。

 この「天地人真の父母様御聖婚50周年金婚式」の勝利圏が立った年、真のお父様は「最終一体」を宣言され、次のように語られました。
 「皆様、去る(2010年)天暦5月8日(陽暦6月19日)午前2時20分と5月15日(陽暦6月26日)午前3時25分、このように両日にかけてアメリカのラスベガスにおいて神様を中心とした天地人真の父母様の特別宣布が行われました。……すでに真の父母様ご夫妻は最終一体を成して、完成、完結、完了の基準で、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2010年9月号、12ページ)。「最終一体」とは、過去にもなく、未来にもない〝空前絶後〟の真の父母が顕現されたことを宣言したものです。〝空前絶後〟について、お父様は次のように語られました。
 「真の父母が二組いることはできません。……人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり……摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、あとにも先にもない時であり、歴史上に一度しかない頂上なのです」(八大教材・教本『天聖經』230ページ)
 「真の父母というのは一組しかいないのです。人類の一組しかいない父母だというのです。歴史に初めて登場した、空前絶後の真の父母が顕現した時代が成約時代だというのです」(同2400ページ)。この「最終一体」宣言は、極めて重要であり、未来永劫にわたる歴史的宣言です。お母様は、お父様と共に〝摂理の中心軸〟となっておられるのです。

 以上、述べてきたように、お父様は、常にお母様の生涯路程の〝節目〟となる時に、共に「天紀」「成約時代」「天一国時代」「天基」を数えていかれました。そして、お父様ご自身が「2013年1月13日は、天一国の起源となる日です」と語っておられたように、お母様は2013年天暦1月13日の「基元節」(Dデー、三度目の聖婚式)をもって「天一国元年」を発表されたのです。これは天一国の起源となる日を期して発表されたものでした。そこから「天一国」を数えていかれたのですが、これは、どこまでもお父様のみ言に基づくものです。
 お父様は、常にお母様の生涯路程を重視され、前述したようにお母様の生涯路程の節目となる時に合わせながら、共に摂理を推進してこられたことを知らなければなりません。
 非原理集団は〝お母様によってお父様の伝統が覆されている〟と批判していますが、それは〝的外れな批判〟に過ぎません。
 お父様とお母様は、共に神の摂理の〝中心軸〟であられ、そしてお父様が聖和された後は、お母様が地上において神の〝摂理完成の中心軸〟であることを明確に理解しなければなりません。その観点をもって「真の父母論」を学んでいかなければならないのです。

(2)お母様は、お父様のみ言を生命視され「天が私たちに下さった宝石のみ言」と語られた
 家庭連合を批判する集団は〝真のお母様は、八大教材・教本『天聖經』を改竄した〟と批判しています。例えば、その集団は「お母様の指導のもと、『天聖經』は80パーセント変えられた」と主張し、『天聖經』を改竄したと批判します。しかしこの批判は事実に反します。八大教材・教本『天聖經』と天一国経典『天聖經』は明確に区別されており、別のものです。今も八大教材・教本『天聖經』は各家庭で大切に保管され、訓読されています。
 どちらの『天聖經』も、真の父母様のみ言です。天一国経典『天聖經』は、八大教材・教本『天聖經』と同様に、『文鮮明先生マルスム選集』からみ言を抽出し、編纂されたものであり、み言の改竄はしていません

 また、天一国経典『天聖經』は、八大教材・教本を生命視しています。その1449ページには、八大教材・教本について「獄苦を経ながらも……準備した遺言書です。永遠の人類の教材、教本として……皆様が霊界に入っていっても読み、学ばなければならない本です」というみ言を収録しています。このみ言が収録された理由は、八大教材・教本を重要視しているからに他なりません。もし、八大教材・教本『天聖經』を軽んじ改竄する意図があれば、八大教材・教本を回収し廃棄したでしょう。しかしそれは廃棄されるどころか、今もそのみ言が様々な出版物で引用されています。八大教材・教本が改竄された事実はないのです。

 ところで、八大教材・教本『天聖經』には、2000年以降のみ言がほとんど収録されていません。お母様は、お父様の聖和後、2000年以降に語られたお父様のみ言を含め、生涯全体のみ言を整理していかれました。これは「八大教材・教本」に収録されていないみ言を集めて整理することで、家庭連合を批判する集団が「み言集」をかってに編纂して公表し、分裂と混乱を引き起こすことを未然に防ぐこととなりました。実際に、お父様の聖和後に〝み言集を出そう〟と計画し、準備していた集団が存在したのです。
 ところで、お父様は「先生が生涯全体の結実として宣布したみ言、それが『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』です」(2011年2月3日)と語っておられますが、この〝結実のみ言〟は八大教材・教本『天聖經』に一切含まれていません。この〝結実のみ言〟が天一国経典に収録されたのは、未来永劫にみ言の伝統を残していくためです。

 さらに、天一国時代における重要なみ言である「基元節」「天地人真の父母様」「天暦」「後天時代」「安侍日」「天一国憲法(教会法)」「禧年」「聖和」「アーヂュ」等々は、八大教材・教本『天聖經』には一言も収録されていません。お父様は次のように語っておられます。
 「先生が語ったことを整理して逝かねばなりません。それゆえ、『天聖經』を中心としたものをつくったのです。(八大教材・教本『天聖經』は)今まで出版した先生の説教集480巻の中から抜き出した言葉です。その三倍が、まだ発表されていない『天聖經』二巻、あるいは三巻となりえるものが待っています(2008年9月25日、2012年「真の父母様御聖誕日記念出版」版のマルスム選集599-84~85)

 このみ言にあるように、お父様の語られたみ言のうち、編纂・収録されていないみ言を『天聖經』二巻、三巻として後世に残していかなければならないというのです。お母様は、このお父様の願いに従って、お父様がみ旨を出発されてから「すべて成し遂げました」という最後の祈祷に至るまでの全生涯路程のみ言を網羅した天一国経典『天聖經』を編纂されたのです。
 さらに『平和經』については、お父様は生涯にわたって数多くの講演会をされました。その講演文も未整理状態でしたが、『平和經』には約180篇もの講演文が収録されています。この『平和經』の編纂は、人類に向かって宣布された講演文が一冊に整理されており、歴史的価値のある偉業だと言わざるを得ません。
 また、『真の父母經』について述べると、神様(天の父母様)や人類の最大の関心は、真の父母様の生涯路程です。お父様は「先生が生きているときは、先生の歴史を書きませんが、先生が死んだ後には先生の歴史を書くでしょう」(1970年8月11日、マルスム選集33-169)と語っておられます。お母様は、お父様のこのみ言に従って、真の父母の生涯路程と業績を体系的にまとめる作業をされました。それを成しえるおかたは、お母様以外におられないのです。

 なお、天一国経典『天聖經』『平和經』が出版された「協会創立60回および『天聖經』・『平和經』出版記念式」(2013年陽暦6月10日)で、お母様は次のように語られました。

 「きょう私は言葉にできないほどうれしいのです。
 (お父様の)聖和一周年まで二か月を残し、このような天一国経典を奉献できる場を持つようにしてくださった天の父母様(神様)と天地人真の父母様……編纂委員、準備委員たちのご苦労をこの席を借りて、お祝いし、感謝の気持ちを表明いたします。
 『大変うれしい』と言いました。60年の協会歴史の中で、お父様の業績は、堕落した人類の前に示した宝石のような真理の真のみ言です。
 このみ言が散り散りになることなく、美しい宝石となって、一筋に編まれていることを考えるとき、あまりにもうれしく感謝です。
 今や私たちが、天一国時代に向かって、(その歩みに)拍車をかけなければならない立場で、このみ言こそが天一国の実質的な中心となります。実であり柱です。……
 皆さんがどのように実践躬行しなければならないか、再三決意し、天が私たちに下さった宝石のようなこのみ言を中心として全人類を救うことにおいて総力を尽くしてくれることを願います」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2013年8月号2~4ページ)

(3)真のお父様のご意向:聖和後はお母様が教主であり、お母様を〝絶対中心〟として一つになる
①「真の父母」は永遠に一組である
 お父様は、人類の真の父母は永遠に一組であると明確にしておられます。
 「真の父母様は一組だけです。今、この時の一度だけだというのです。過去にもいなかったのであり、未来にもいません。真の父母様が肉身をもって実体で存在するのは、この時だけだというのです。永遠の中でたった一度です」(マルスム選集246-85)
 「先生は、以前にも存在しなかったのであり、これからも存在しません。永遠にこの時しかいないというのです。真の父母が二組もいることができますか。絶対に一組です。先生が霊界に行けば終わりです。永遠に存在しません。だからといって、この思想がなくなるのでしょうか。そうではありません。先生が教えたあらゆることは、天下の真理として永遠に残るのです」(同229-164)
 「真の父母が二組いることはできません。……人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり……摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、あとにも先にもない時であり、歴史上に一度しかない頂上なのです」(八大教材・教本『天聖經』230ページ)
 「真の父母というのは、二組はあり得ません。一組しかいないのです。過去には存在せず、現在に一組だけ存在し、後代にも存在しません。歴史上に一組しかいない父母の名をもつ真の父母が現れたという事実は、歴史上、これ以上に喜べることはない出来事です」(マルスム選集266-251~252)

 このように、真の父母は永遠に一組しかおられません。そして、この「真の父母」は、勝利した〝人間始祖〟の立場です。『原理講論』に「イエス以後においては、イエスと聖霊とが、直接、信徒たちを導かれた」(469ページ)とあるように、二千年のキリスト教は、霊的真の父母であるイエスと聖霊が一貫して信徒たちを導きました。それと同様に、天一国においては、未来永劫にわたり、空前絶後の真の父母であられる文鮮明・真のお父様と韓鶴子・真のお母様が導いていかれることを、明確に理解しておかなければならないのです。

②お父様の願いは、聖和後、お母様を絶対中心として一つになること
 「私が死んでも(お母様には)統一教会を導くことができる能力もあるので、お母様が説教する時が来るのです。……そのような時は、(お母様に)絶対服従しなくてはなりません。……一度決心すれば、最後まで自分一代でこの複雑な恨の峠をすべて清算するという決心が、私よりもお母様がもっと強いのです。先生は、今70を超えたので、ごみ箱の近くに行きましたが、お母様は、今ごみ箱を収拾してそれをすべて掃除することができる主人になったので、先生よりもお母様をもっと重要視することができる統一教会の食口になれば福を受けるのです」(『真の御父母様の生涯路程⑩』351~352ページ)

 「これからは先生がいなくても、お母様一人でみ旨に何の支障もないというのです。今までは、女性が天地を代表する摂理の代表者として立つことはできなかったのですが、父母の愛と一体的理想を中心として、初めてお母様を中心とする女性全体の解放圏が地上に宣布されたのです。……真の父母の聖婚から30年たって女性解放を宣布したというのです。ですから、先生が一人でいても真の父母様の代身であり、お母様が一人でいても真の父母様の代身です。『レバレンド・ムーンが古希を過ぎて70を越えたので後継者が現れないのか?』そんな言葉はやめなさい。……ですから、先生が第一教主、その次に、お母様は第二教主だということです」(マルスム選集201-127~128)

 「お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。お父様がいないときは、お母様のことを思わなければなりません。そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心をもち、祈祷もそのようにするのです。今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなければなりませんこれからはお母様の時代に入っていくことを理解して、特に女性たちはそのようにしなければなりません。ここにおいて、先生が第一教主であれば、お母様は第二教主であると世界的に宣布し、天地に宣布します」(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』116~117ページ)

 また、お母様の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』には、次のように記されています。
 「1991年6月には、カナダのクレアストーンの本館で『顧命性宣誓宣布』が行われました。『顧命』とは、『王の遺言』を意味する言葉です。文総裁は御自身が聖和した後も、私が神様の使命を引き継いで果たしていけるよう、日本の女性代表が責任を持って真の母を支えていくべきことを、顧命として宣布されたのです」(220ページ)

 このように、日本の女性が責任を持って真のお母様を支えていくべきことを、真のお父様は「顧命」(王の遺言)として願っておられたのです。そして、お父様は2000年3月10日に「先生が霊界に行くようになればお母様が責任を持つのです」(マルスム選集318-260)と明確にされました。

 さらに、同年5月31日には父の伝統に従って、母の伝統に従って、三番目に息子である。それを知っているの? 母は伝統を立てる過程です。終わっていません。母の伝統を立てる前に息子の伝統を立てることができないことを知っているの?」(マルスム選集323-83)と語られ、〝父の伝統〟と共に、〝母の伝統〟に従うことが大切であると訴えられました。今までは「父の伝統」ばかりを重んじる傾向を持ってきたと言えますが、お父様は「母の伝統」も重んじなければならないことを指導しておられます。お父様は、前述したみ言にあるように、ご自身の聖和後「私が死んでも(お母様には)統一教会を導くことができる能力もあるので、お母様が説教する時が来るのです。……そのような時は、(お母様に)絶対服従しなくてはなりません。……一度決心すれば、最後まで自分一代でこの複雑な恨の峠をすべて清算するという決心が、私よりもお母様がもっと強いのです。……先生よりもお母様をもっと重要視することができる統一教会の食口になれば福を受けるのです」と語っておられますが、「統一教会を導くことができる能力」を持たれた真のお母様による「母の伝統」に従わなければならないのです。

 また、「先生が霊界に行けば、お母様が統一教会の教主にならなければならないのではありませんか」(マルスム選集499-184、2005年7月2日)、「文総裁は衰えるようになりましたが、……第二教主には、お母様が堂々としているでしょう。分かりますか。夫が成せなかったことを成し遂げなければなりません(同540-73、2006年9月23日)と語られ、さらに「お母様は、お父様よりももっとたくさん行います。年齢が若いので、私が死んでも教主は問題ありません。もはや、教主は二人が一つになっているということです」(同541-146、2006年9月28日)とも語っておられます。
 このように、お父様はご自身の聖和後、お母様が統一教会(家庭連合)の教主であり、お母様を絶対中心として歩んでいくべきことを明確にしておられるのです。

③家庭連合を批判する集団の誤った〝お母様批判〟の数々――お父様とお母様は「最終一体」
 ところで、家庭連合を批判する集団は、2012年1月19日の「宣布式」で、お父様が〝皆、お母様と一団となって違う道を行っている、お母様が私の言葉を聞きなさいとするのは、ルーシェルよりももっと恐ろしい存在だ〟と語り、お父様はお母様を否定したと批判しています。これは誤った批判です。この真相については「真の父母様宣布文サイト」の「2012年1月19日の『宣布式』の真相」において反論済みです(https://trueparents.jp/?page_id=2769)(反論の映像はhttps://trueparents.jp/?page_id=2819

 2012年1月19日のお父様の〝叱責〟は、2013年天暦1月13日に予定されていた「三度目の聖婚式」(神様の結婚式)を、お父様の願いと一致せずに約1年早めて行おうとした子女たちの問題でした。お父様はこの子女たちの問題を収拾され、お母様が前に立つようになれば、全部(お母様に)従って、お母様がするとおりについていけば簡単なのです。……お母様に対する心配はする必要がないのです」と語っておられます。家庭連合を批判する集団が言うように、もし、お母様が「ルーシェルよりももっと恐ろしい存在」であるとするなら、「お母様が前に立つようになれば、全部(お母様に)従って、お母様がするとおりについていけば簡単なのです。……お母様に対する心配はする必要がないと宣言されるはずがありません。この事実から見ても、その集団の批判は誤ったものに過ぎないのです。

 さらに重要なこととして、お父様は2012年4月14日、ラスベガス・天和宮で「最終一体」を締めくくる「特別宣布式」を挙行され、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会を最終完成・完結することを、お父様の前に奉献します」(『トゥデイズ・ワールドジャパン』2012年天暦4月号19ページ)と宣布されました。その7日後の4月21日、韓国で「天地人真の父母様特別集会」を開催され、お父様は女性尊重時代が来ます。お母様を中心として、ひっくり返るのです。男女が同等で対等の価値の実権をつくるのです」(「KMS中和新聞」2012年4月27日号)と語っておられます。
 このように、お母様が立ててこられた「母の伝統」に従うべき時代が到来することを予告しておられたのです。この「お母様を中心として、ひっくり返る……男女が同等で対等の価値の実権をつくる」というみ言は、お母様の時代の到来を告げるものであったのです。

 そして、お父様が公式的に講演された最後の創設大会が「アベル女性UN創設大会」です。この創設大会では、お父様は、お母様について勝利した世界的な女性代表である真のお母様と繰り返し語られ、お母様を証しされました。ところが、家庭連合を批判する集団は、この創設大会のみ言の一部分だけを取り出し、「母がいません。文総裁の妻の位置もありません」と、お父様がお母様を否定したのだと述べ、お母様を批判しています。しかし、このみ言は〝神観の問題〟について述べているものであるにもかかわらず、この集団はそれをお母様批判に用いて〝虚偽〟を騙っているのです。お父様はこの講演で、神観の問題を次のように語っておられます。

 「今に至るまで、数多くの宗教がありますが、父なる神様を信じる宗教にはなりましたが、母のいない宗教を信じてきたという恥ずべき、恥ずかしさをこの時間に爆発させ、その歴史的な、あってはならないその悲運の痕跡を取り消すために、ここに現れた……私の歩む道は、平和な道ではありませんでした。……母がいません。父なる神様は知っていますが、母のいない父を自分の神様だといって争い、奪い合う戦いをするこの教団どもの愚かさと国の権威の喪失を、誰が是正してあげるのですか」(『虚偽に満ちた金鍾奭著「統一教会の分裂」──軌を一にする郭錠煥著「事必帰正」』346ページ)

 お母様を批判する集団が述べる「母がいません」は、神観の問題を述べているものであり、お母様に対する否定ではありません。この問題の真相は、「真の父母様宣布文サイト」の「UCIを支持する人物の『アベル女性UN創設大会のみ言――教理研究院の「分派による御言葉改竄の問題(1)」に対する反論(2)』への応答」(https://trueparents.jp/?page_id=3086)ですでに反論済みです。

 ところで、お父様は次のように述べておられます。
 「創造の目的は何か。天の父母が基本目的であるが、『父なる神様』とだけなっており、いまだに創造目的が完成できずにいるのである。神様が父格としておられるのは、創造目的を果たせなかったことを意味するものである……。……このように堕落によって天の父母は完成されず、地の父母も非原理的な状態になったのである。……(ゆえに)アダムとエバが完成して神様と合体すれば、父なる神様と母なる神様として完成し、基本完成をすることになる」(『天の父母様聖会』天苑社、162~163ページ)

 ここで「天の父母が基本目的である」とあるように、お父様はその生涯路程において、神を「天の父母様」と呼ぶことのできる時代が到来することを切に求めておられたのは確かなことです。事実、「天基」を宣布された2010年「真の神の日」の午前零時の祈祷における第一声が愛する天の父母様(사랑하는 하늘부모님でした。しかし、お父様は「天の父母様時代」を地上で迎えることができないまま聖和されたのです。お父様は「文総裁は衰えるようになりましたが、……第二教主には、お母様が堂々としているでしょう。分かりますか。夫が成せなかったことを成し遂げなければなりません(マルスム選集540-73)と語っておられたごとく、お母様は、お父様の願っておられた「天の父母様時代」の到来を迎えられたのです。今や「創造の目的」を完成する天一国時代を迎えているため、「天の父母様時代」となっていることを知らなければなりません。
 このように、お母様は「夫が成せなかったことを成し遂げ」ていかれながら、天の父母様の〝夢〟を果たしておられるのです。
 「『真の父母論』を学ぶときの基本姿勢(心構え)」は、以上です。

 

「真の父母論」の映像に関するQ&A

文責:教理研究院

     (注、真の父母様のみ言や『原理講論』の引用は「青い字」で表記しています。なお、各講座で時間を表記していますが、フルバージョン映像〈通常版〉の分数と秒数です)

〈映像〉第1講座 「序論」におけるQ&A

❶20:05~、
Q:摂理においてお父様は外形的、お母様は内面的中心軸とは、お父様を軽んじているのでは?
映像の字幕:「基元節までは、真のお父様が外形的な面で、主に摂理を導いてこられました。このとき、真のお母様は内面的に、摂理完成のために、中心軸の位置を守ってくださったのです」
【想定される質問】:「基元節までは、真のお父様が外形的な面で……真のお母様は内面的に、摂理完成のために、中心軸の位置を守ってくださった」とは、どういう意味でしょうか?
【回答】真のお母様は、2012年陽暦11月5日に「新しい転機をつくろう」というみ言で、次のように語っておられる。
 「聖和以後の40日期間は、お父様と私が一心一体となり、新しい摂理的出発のために準備した期間でした。皆さん、新しい家を買ったと考えてみてください。その家に入るようになれば、まずは何からしますか? まず、明かりをつけるでしょう? 電気をつけるでしょう。そして、隅々に、物をあるべき場所に配置します全てを整理できれば、そのときから生活が始まるのです。私も、お父様も、この40日の期間は本当に重要な期間でした」(『世界家庭』2021年11月号28ページ)
 み言にあるように、基元節までは、お父様とお母様は、共に摂理を推進してこられたが、それを〝新しい家〟を購入したと比喩している。このことについて、「外形的な面で」家を買ったと表現していると言える。その後、「基元節」を発表され、お父様の聖和後、お母様が摂理安着のために様々な取り組みをしておられるが、講師はそれを「真のお母様は内面的に、摂理完成のために、中心軸の位置を守ってくださった」と説明しているのである。これはちょうど、家を買ったあと、具体的に生活を始めるために物をあるべき場所に配置し……整理できれば、そのときから生活が始まるのであり、それが「真のお母様は内面的に、摂理完成のために、中心軸の位置を守ってくださった」と表現されているのである。

❷26:01~、
Q:独り娘が誕生してこそ再臨のメシヤが来る動機が生じるとは、時系列が逆なのではないか?
映像の字幕:「独り娘が誕生してこそ、再臨のメシヤが来る動機が生まれるのです。独り娘が誕生してこそ、再臨のメシヤが責任を果たすことができます。独り娘が誕生してこそ、再臨のメシヤが行動を始めることができるのです。『小羊の婚宴』をするためには、独り娘の誕生がその前提とならなければならないということです。それでこそ、再臨のメシヤが来る動機が生まれるし、再臨のメシヤが責任を果たすために行動を開始することもできるようになるということです」
【想定される質問】:「独り娘が誕生してこそ、再臨のメシヤが来る動機が生まれる」というのは年数(時系列)が逆転しているのではないでしょうか? つまり、再臨のメシヤが生まれた後で、独り娘の誕生がなされたのではないでしょうか?
【回答】この内容は、独り子、独り娘が誕生される〝時系列〟について語っているのではない。人類の「真の父母」が顕現されるには、独り子だけでなく、必ず独り娘が必要である。2000年前は、花嫁候補はいたが、独り娘がいなかったため、イエス様は「真の父母」になれなかった。イエス様が果たせなかった使命を果たすために、独り子の使命を持ってこられる方が再臨のメシヤである。
 お父様は、お母様の血統の〝起源〟について、次のように語っておられる。
 「真のお母様の韓氏(の先祖)は、今から4300年以前に、千年歴史を綴ってきたのです。3000年、4000年、5000年、6000年歴史と連結することのできる先祖が誰かと言えば、東夷族であり、韓氏なのです。清州が本貫になっています。……清州は韓氏の故郷なのですが、そのような宗族たちの源流の地(東夷族)であったというのです」(2012年「真の父母様御聖誕日記念出版」版のマルスム選集613-155)
 独り娘誕生の起源は、再臨のメシヤが韓半島に生まれるよりもずっと以前であった。神は4300年以前に、独り娘誕生を準備しておられたということである。人類の「真の父母」が現れるには、再臨のメシヤだけではなれないため、神は前もって独り娘を準備したということである。このことは、時系列の誕生を言っているのではない。あくまでも、再臨のメシヤが「真の父母」になるために、神は独り娘をあらかじめ準備しておられたということを言っているのである。それを、「独り娘が誕生してこそ、再臨のメシヤが来る動機が生まれる」と語っている。

❸27:50~、
Q:イエス様のとき、独り娘を送ることはできなかったというが、花嫁候補はいたのではないか?
映像の字幕:「2000年前に独り子を送るとき、独り娘を送ることはできませんでした」
【想定される質問】:イエス様当時、主の花嫁候補は、誕生していたというのが、お父様のみ言ではないでしょうか? それに対して、独り娘を送ることはできなかった、すなわち誕生すらしていなかったというのは、お父様のみ言と矛盾しているのではないでしょうか?
【回答】お父様は、花嫁候補はいたと語っておられる。お父様は(イエス様は)17歳のときに結婚で行くべき道を(母マリヤに)説明し、10年後の27歳で説明したのです。また、三年後(30歳の時)に三回説明してだめなので、涙を浮かべてイエス様は出家(注:家を出る)をしたのです」(『ファミリー』1997年3月号31ページ)と語っておられる。また、お母様も「当時、イエス様はマリヤに、三回以上、ご自分が結婚しなければならないことを話しました。私は知っています。しかし、マリヤは結果的に、イエス様の環境圏をつくってさしあげることができず、その責任も果たせませんでした」(『世界家庭』2016年11月号6ページ)と語っておられる。お父様のみ言とお母様のみ言は〝一致〟している。
 ところが、お父様は「結婚するにしても、イエス様の結婚は簡単にできなかったのです。……(なぜなら)妻になる人も、堕落した世界の根から生まれた女性しかいないのです」(『祝福』1990年冬季号45ページ)と語っておられる。つまり、花嫁候補は堕落した世界の根から生まれた女性であり、それで独り娘を探し出せなかったということである。
 お父様は、お母様について「鶴子様は根が違う……神様を根として初めて、歴史上……現れた主人公だ」(マルスム選集148-41)と語っておられ、お母様こそが6000年を経て神様を根として初めて、歴史上……現れた」唯一の独り娘なのである。

❹31:00~、
Q:独り娘が〝摂理の中心軸〟とは、イエス様やお父様を否定しているのではないのか?
映像の字幕:「天一国時代の摂理観は、独り娘が摂理の中心軸であるという観点から、摂理を理解することです。最高の知恵は、真のお母様が摂理の中心軸であるという視点から、み言と摂理を見つめることです」
【想定される質問】:イエス様やお父様を中心とした摂理観を否定しているのではないでしょうか?
【回答】この表現は、イエス様やお父様を中心とした摂理観を否定しているものではない。お父様の聖和後、天一国時代を〝安着〟させようとしておられるお母様を中心とする観点をそこにプラスしてこれからの摂理を見つめなければ、真の意味で〝天一国時代の摂理〟を理解することができないため、そのように語っているものである。お父様は、聖和される約4か月前の4月21日の「特別集会」で、女性尊重時代が来ます。お母様を中心として、ひっくり返るのです。男女が同等で対等の価値の実権をつくると語っておられ、今後において、お母様を中心として「男女が同等で対等の価値の実権をつくるという観点から見つめていかなければならないことを、前もって示唆しておられたと言えるのである。

❺33:02~、
Q:「子女が母親を評してはいけない」は、言い過ぎではないのか?
映像の字幕:「子女が母親を評すれば、世の中でも、不孝息子、不孝娘であると言われます。……真のお母様を評し、ジャッジ(審判)することは、天の父母様を評し、ジャッジすることになるでしょう。いかなる場合でも、自分の物差しで真のお母様を評するようなことはしないのが、知恵深い生き方です」
【想定される質問】:「子女が母親を評すれば、世の中でも、不孝息子、不孝娘である」というのは言い過ぎではないでしょうか? 親を愛せない、許せないという人は、多く存在するのではないでしょうか?
【回答】これは、あくまでも私たちが「孝情」の心を持って、天の父母様と真の父母様に侍っていくべきであることを奨励しているものである。強制力をもって語っているのではなく、自ら進んで「孝情」の心を持って〝真の父母様に侍りましょう!〟という意味で語っているものである。

❻35:15~、
Q:お父様のみ言も「天地人真の父母様のみ言」ではないのか?
映像の字幕:「聖婚以前のみ言を『先生のみ言』とするならば、聖婚以降のみ言は『真の父母様のみ言』であり、基元節以降のみ言は『天地人真の父母様のみ言』です」
【想定される質問】:お父様が「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」で語っておられるみ言も、天地人真の父母様のみ言ではないでしょうか?
【回答】確かに「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言を、お父様は宣布しておられる。これも天地人真の父母様のみ言であることは間違いないことである。この区分は、お父様が天地人真の父母様のみ言を語っていないと否定する意味で論じているものではなく、「基元節」以降の天一国安着を推進するために取り組んでおられるお母様のみ言に対して、特に「天地人真の父母様のみ言」であると強調して語っているものである。

❼40:14~、
Q:「ボタンの掛け違い」とは、どういう意味なのか?
映像の字幕:「お母様は、1960年の聖婚式後、最初のボタンをしっかりとはめなければならなかったのに、そのようにできなかったと言われます。最初のボタンを再び合わせるのに、50年かかったとおっしゃるのです。……最初のボタンを再び合わせることを、『独り娘』の宣布から始められたのです」
【想定される質問】:「ボタンの掛け違い」というのは、お父様に対する否定のような印象を受けるのですが、どういう意味でしょうか? また、「最初のボタン」の「掛け違い」と「再び合わせた」ことの具体的な事象があれば教えてください。
【回答】このボタンの掛け違いというのは、お父様に対する否定でも、批判でもない。これは、これまでの家庭連合の信仰観において、特にお母様が無原罪誕生の〝独り娘〟であるというその位相と絶対価値を理解してこなかったことを指しているものである。お父様のみ言を読むと、お母様が無原罪誕生の独り娘であるのは明確である。お父様は〝独り娘・真のお母様〟について堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません」(『祝福家庭と理想天国(I)』584ページ)、「主がこの地上で探される新婦は……堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探す」(同909ページ)、「鶴子様は……神様を根として初めて、歴史上に……現れた主人公だ」(マルスム選集148-41)と語っておられる。すなわち、お母様は〝無原罪誕生〟であることをすでに明確にされていたのである。お父様はこのように語っておられたのに、お母様の位相と価値が53年間にわたって正しく理解されてこなかった事実に対し、我々は悔い改めなければならない。ゆえに、これは決してお父様に対する批判ではない。

〈映像〉第2講座 「天の父母様」におけるQ&A

❶20:05~、
Q:なぜ「父なる神」とだけ呼ばれてきたのか?
映像の字幕:「なぜ、今までは『父なる神』とだけ、私たちは神様を理解してきたのでしょうか?」、PPTでは「なぜ『父なる神』とだけ呼ばれてきたのか」
【参考のみ言】この問題に関するお父様のみ言を紹介しておきたい
 「神様と人が一つとなってはじめて全体完成が始まるのだが、堕落によってこれが成立しなかった。創造の目的は何か。天の父母が基本目的であるが、『父なる神様』とだけなっており、いまだに創造目的が完成できずにいるのである。神様が父格としておられるのは、創造目的を果たせなかったことを意味するものであることを知らなければならない。では、人に対する神様が父格のみであるとすれば、まだ人が完全に成熟しておらず、神様を中心として天の愛を中心とした神様と地上の人(夫婦)とが合体しようとした目的の未完成により、天の父母と地の父母も原理的成立がなされていないのである。このように堕落によって天の父母は完成されず、地の父母も非原理的な状態になったのである。ゆえに、神様がこれまで父としてのみおられるということは、人の未成熟期に相対していた創造当時の立場であることを証明するものである。したがって、神様の基本目的は、地上でだけ完成するということはない。基本完成をしてこそ地が完成されるのだが、天が未完成でいるので地は自然と未完成となった。それゆえ、このような堕落世界を再び復帰するために、基本点に向けて、天に対して人が基本完成体に向かうように、神様は引き上げる救いの役事を展開してこられたのである。ゆえに基本的な問題は、完成した人というのはアダムとエバによるものである。アダムとエバが完成して神様と合体すれば父なる神様と母なる神様として完成し基本完成をすることになる」(『天の父母様聖会』天苑社、162~163ページ)
 このみ言にあるように、「創造の目的は何か。天の父母が基本目的である」にもかかわらず、アダムとエバが堕落することによって「『父なる神様』とだけなって」いるのであり、「いまだに創造目的が完成できずにいる」ため、神が父格のみであるというのである。すなわち、「神様が父格としておられるのは、創造目的を果たせなかったことを意味する」と、お父様は語っておられる。

〈映像〉第3講座 「キリスト教の2000年歴史の本質」におけるQ&A

❶18:48~、
Q:800年の教皇の戴冠式のとき、神聖ローマ帝国は存在しなかったのでは?
映像の字幕:「800年、教皇の祝福の中で、神聖ローマ帝国が建てられることにより、キリスト教精神を中心として西ヨーロッパ世界が形成されました」
【想定される質問】:800年の教皇の祝福は、チャールズ大帝に対するものであり、それは「フランク王国」の間違いではないでしょうか? 『原理講論』にも、神聖ローマ帝国は「(東フランクとして)オットー1世によって大いに興隆し、神聖ローマ帝国と呼ばれるようになり、彼はローマ皇帝の名をもって西ヨーロッパを統治し、政教二権を確保しようとした」(476ページ)となっています。
【回答】西洋史を見ると、神聖ローマ帝国は、オットー1世の戴冠の時(962年)から始まるとされている。しかしながら、Wikipedia(2024年5月21日現在)によれば「神聖ローマ帝国はローマ教皇に支持された皇帝を認めた中近世国家、あるいは地域であり、西暦800年のカール大帝の戴冠を始まりとし、……日本では通俗的に962年のオットー1世の戴冠を神聖ローマ帝国の始まりと見なし、高等学校における世界史教育もこの見方を継承している。しかしドイツの歴史学界では西暦800年のカール大帝の戴冠を神聖ローマ帝国の始まりとするのが一般的である」と説明されている。ゆえに800年のチャールズ大帝(カール大帝のこと)の教皇レオ3世による戴冠式は、フランク王国における出来事ではあるが、神聖ローマ帝国の起源をさかのぼって800年としているのである。

❷25:14~、
Q:『キリスト教綱要』は1536~1559年の編纂で年代に幅がある。なぜ1543年にするのか?
映像の字幕:「(カルヴァンは)『キリスト教綱要』という本を著述し、キリスト教の浄化と、正しい神学の確立のために努力しました」
【想定される質問】:カルヴァンの『キリスト教綱要』は「1536年3月にバーゼルにおいてラテン語で執筆された。その後5度にわたって改訂増補され、1559年に出版された第5版が最終版となった」(Wikipedia、2024年5月21日現在)とあり、1536年に第1版が著され、23年後の1559年に最終版が出されています。幅広い年代にわたって書かれているのに、なぜ1543年に基準を置くのでしょうか?
【回答】カルヴァンが神学を体系化した『キリスト教綱要』を執筆したこともさることながら、「教会改革の必要について」を神聖ローマ帝国の議会および皇帝に提出した1543年頃が重要と考えることができる。それとともに『キリスト教大事典』(教文館)の説明は次のようになっている。「カルヴァンはジュネーヴ市において、神政政治にも似た厳格な改革を行った。その基礎となったものが、《教会規程》(1542年)である。これはその後2回(61年、76年)にわたって改訂せられ、長くこの系統の教会の指導書となった。彼はこの文書によって牧師、教師、長老、執事らの選任方法をはじめとして、教会の活動、運営の方法を定めた。またこれによって、長老派教会がはじまったのである」(236~237ページ)。プロテスタント教会の〝三大主流〟は、長老派、ルター派、聖公会である(同700ページ)。この長老派教会(カルヴァン派)とは「ピューリタン運動の主流をなし……ピューリタン運動の主力をなした……ピューリタン運動と運命をともにして、新大陸アメリカ合衆国において最も有力なプロテスタント教会のひとつとなり、キリスト教のアメリカ的類型の形成に主役を果して今日に至っている」(同)と説明している。この長老派教会が、韓国キリスト教の基盤ともなっている。長老派教会がはじまったのは、カルヴァンが「教会規程」を定めた1542年である。その約400年後にお母様が独り娘としてお生まれになった。

〈映像〉第4講座 「6000年を経て降臨された初臨の独り娘・真のお母様」におけるQ&A

❶7:40~、
Q:独り娘を送る国家が、イエス様の十字架以前に決められていたとは、どういう意味か?
映像の字幕:「選民として準備された韓民族は、イエス様が来られる前から選民の候補であり、イエス様の十字架の死の後に、独り娘を送る国家として確定されたと見るのが、より適切な理解だと思います」
【想定される質問】:イエス様が十字架で亡くなることが決定してもいない「イエス様が来られる前から選民の候補」として準備されていたというのは、人間の責任分担から見て、受け入れがたい主張のように思われます。また『原理講論』には、「キリスト王国時代」において、チャールズ大帝と教皇が一つになっていれば、その時に再臨主が来ると論じられています(476ページ)。それらとの整合性はどうなるのでしょうか?
【回答】神は、韓民族を選民の〝候補〟として、イエス様を送る前から選んでいたのである。イエス様の時に、失敗する可能性もあるために、その前から準備していたと考えるのが妥当である。『原理講論』に「ノアの家庭を中心とする復帰摂理は完成されなかったのであるが、神は……み旨を絶対的なものとして予定し、かつ摂理なさるので……神はアブラハムを召命なさり……復帰摂理を、再び行われるようになった(315ページ)とあるのと同様に、ユダヤ民族の不信によって摂理が失敗に終わる可能性を神は予見(モーセが岩を二度打った失敗、エリヤの使命未完成など)し、イエス様が十字架で亡くなる可能性(参照:イザヤ書53章の「苦難の僕」の預言)が十分あり得るため、その時のために前もって〝新たな民族〟を定め、絶対的なみ旨が成就できるように準備しておられたのである。
 お父様は、次のように語っておられる。「真のお母様の韓氏(の先祖)は、今から4300年以前に、千年歴史を綴ってきたのです。3000年、4000年、5000年、6000年歴史と連結することのできる先祖が誰かと言えば、東夷族であり、韓氏なのです。清州が本貫になっています。……清州は韓氏の故郷なのですが、そのような宗族たちの源流の地(東夷族)であった」(2012年「真の父母様御聖誕日記念出版」版のマルスム選集613-155)というのである。このように、神は今から4300年以前に……6000年歴史と連結することのできる先祖」を持っていた東夷族であり、韓氏を〝神の摂理成就〟のために前もって準備しておられた。
 韓民族は、イエス様が来られる以前から選民の〝候補〟であり、チャールズ大帝と教皇が一つになれなかった状況を経た後で、独り娘を送る国家として〝確定された〟と見るのが、より適切な理解であると言える。

❷10:32~、
Q:真の母は3代が一人娘というが、洗礼ヨハネの妹の場合は3代が一人娘ではないのでは?
映像の字幕:「独り娘(独生女)は、3代が一人娘の家系でなければならない」
【想定される質問】:真のお母様の場合は「3代が一人娘の家系」というのはわかりますが、洗礼ヨハネの妹の場合には、そのようになっていません。つまり〝洗礼ヨハネの妹〟の母エリサベツの母親(祖母)とマリヤの母親とは、姉妹であると聞きました。それゆえ、2000年前の場合、「3代が一人娘の家系」となっていません。これを、どのように考えたらいいでしょうか?
【回答】2000年前の洗礼ヨハネの妹の場合、母エリサベツのその母親(祖母)が、マリヤの母親と姉妹関係であるため、3代が一人娘というわけではない。
 結論から述べると、2000年前の摂理と、現代の摂理は、別の内容であると考えられる。その理由は、その時代において蕩減する内容が異なっているためである。
 以下、その理由について、教理研究院の見解を述べることにする。
 『原理講論』は、蕩減復帰の原則において、摂理が以下のように運ばれることを述べている。「復帰摂理を担当した人物たちは、その前の時代の縦的な蕩減条件を、(後の時代において)横的に一時に蕩減復帰しなければならないので、復帰摂理が延長され縦的な蕩減条件が付加されるにつれて、横的に立てられるべき蕩減条件も、次第に加重されるのである。したがって、同時性の時代も、漸次、その内容と範囲を異にするようになる(436ページ)とある。
 したがって、2000年前に勝利しなければならない蕩減内容と、現代において勝利しなければならない蕩減内容が異なってくるため、違いが生じるのである。
 ところで、2000年前の復帰摂理について、「救援摂理史の原理観」は、次のように説明している。
 「イエス様はザカリヤの家庭で懐胎しました。エリサベツとマリヤの間柄は母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、(カイン)と(アベル)の関係でした。ザカリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした」(『祝福家庭と理想天国(I)』36ページ)
 マリヤとエリサベツの関係は母親側のいとこの関係であった。この関係はレアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを……蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければ」ならなかったために、神は彼女たちを「母親側のいとこ関係」で生まれさせたのだと説明している。すなわち、マリヤとエリサベツは、独り子・イエス様を誕生させるために、かつてレアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを……蕩減する条件まで立てながらイエス様を懐胎させるために、神のみ旨を中心として〝一体化〟しなければならなかったのであった。
 ゆえに、両者の関係は、レアとラケルの関係性を〝再現〟し、それを蕩減復帰するものとして「摂理上では、(カイン)と(アベル)の関係」でもあったというのである。そして、マリヤとエリサベツは、神のみ旨を中心に〝一体化〟することで、レアとラケルの失敗を清算する蕩減条件を立て、独り子・イエス様を懐胎させることができた。2000年前に独り子・イエス様を誕生させたその勝利圏は、歴史的な勝利圏としてそのまま残っている
 ところが、「独り娘」を誕生させる摂理は挫折したのである。すなわち、マリヤの〝イエス様懐胎〟の後も、神のみ旨を中心にマリヤとエリサベツが〝一体化〟し、エリサベツが責任を果たしていたならば、神はエリサベツをも祝福して洗礼ヨハネの妹を「独り娘」として送る可能性があったと思われる。しかし、それができなかった。理由は、その後のザカリヤとエリサベツの歩みが問題だったからである。
 「ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵の下、初めにもった絶対的な信仰をずっともっていたなら状況は全然違っていたことでしょう。彼らが責任を果たしたならば、マリヤは三か月後にその家を出たとしても、継続的に彼らと行き来し、相談したはずです」(同39ページ)というのである。ところがザカリヤ家庭は初めにもった絶対的な信仰を持ち続けることができず、イエス様を守る基台(垣根)となることができなかった。
 このエリサベツの失敗によって、「独り娘」が誕生する可能性がなくなってしまったのである。この失敗を、現代の摂理において清算し、「独り娘」を誕生させる摂理として重要になったのが〝三代の一人娘〟の内容であったと考えられる。
 すなわち、再臨時代において問われてくる蕩減問題が、エリサベツが、神のみ旨を信奉し得ずに〝独り娘〟を懐胎できなかったことを蕩減復帰することと考えられる。そのため、趙元模ハルモニ、洪順愛・大母様が、一人娘として、絶対的に神のみ旨に従い、神のみ旨を信奉する信仰条件を立てなければならなかったと言えるのである。
 すなわち、2000年前に勝利できなかった内容を蕩減復帰するため、現代の摂理においては〝三代の一人娘〟が、ちょうどエリサベツの母親(洗礼ヨハネの妹の祖母)の代に始まり、エリサベツ、そして洗礼ヨハネの妹の3代に至るまでの摂理的内容を失敗したのを、蕩減復帰しなければならないのである。そのために神のみ旨の前に〝3代の一人娘〟が絶対信仰の基準を立てるという、蕩減復帰の道が摂理的に要求されていたものと言える。エリサベツの家系の母親から始まる3代の失敗した内容を、見事に蕩減復帰して勝利したため、現代においては歴史上、初めて「独り娘」が誕生することができたと言える。
 すなわち、エリサベツが神のみ旨に対し、絶対信仰を立てるべきであったにもかかわらず、それを勝利することができなかったのを、趙元模ハルモニ、洪順愛・大母様が神のみ旨に絶対信仰を立てて勝利したため、神は2000年前に送ることのできなかった「独り娘」を送ることができたものと言える。それゆえ、真のお父様は「鶴子様は……神様を根として初めて、歴史上に……現れた主人公だ」(マルスム選集148-41)と語っておられると言えるのである。お母様だけが、6000年を経てお生まれになった初臨の独り娘である。

〈映像〉第5講座 「イエス様の使命を引き継いだ再臨のメシヤ・真のお父様」におけるQ&A

❶4:03~、
Q:イエス様のとき、独り娘を送ることはできなかったというが、花嫁候補はいたのではないか?
映像の字幕:「イエス様の時に独り娘が誕生できなかった」
【想定される質問】:イエス様当時、花嫁候補は誕生していたというのが、お父様のみ言ではないのか? それに対して、独り娘を送ることはできなかった、すなわち誕生すらしていなかったというのは、お父様のみ言と矛盾しているのではないか?
【回答】第1講座の❸で述べたように、イエス様の花嫁候補はいたのである。ところが、お父様が「イエス様の結婚は簡単にできなかったのです。……(なぜなら)妻になる人も、堕落した世界の根から生まれた女性しかいないのです」(『祝福』1990年冬季号45ページ)と語っておられるように、イエス様は簡単には結婚できなかった。それは花嫁候補が、独り娘ではなかったためである。それでも「イエス様は新しい年を迎えて、17歳で結婚についてマリヤに話したのです。17歳のときに(マリヤに)結婚で行くべき道を説明し、10年後の27歳で説明したのです。また、3年後に3回説明してだめなので、涙を浮かべてイエス様は出家(注:家を出る)をしたのです。だれがイエス様の相対にならなければならないのでしょうか? それが洗礼ヨハネの妹です」(『ファミリー』1997年3月号31ページ)とみ言にあるように、イエス様は結婚は簡単にできなかったのである。また、お母様も同様のみ言を語っておられる。このように結婚は簡単にできなかったにもかかわらず、イエス様は「真の父母」になる道はないかと必死に歩まれたのである。
 しかし、独り娘ではない女性を立てたとしても、その女性が人類の「真の母」になるのは極めて難しいと言わざるを得ない。イエス様は、それでも何とかして「真の父母」になるために結婚をしようと、涙ぐましい道を行かれたのであった。
 イエス様の〝結婚〟に対する最初の取り組みは、洗礼ヨハネの妹であった。この洗礼ヨハネの妹と結婚する道はないだろうかと、「17歳のときに結婚で行くべき道を説明し、10年後の27歳で説明……3年後に3回説明」し、母マリヤに結婚の準備をするように訴えかけた。しかし、氏族圏を基盤とする「メシヤのための基台」が立たず、涙を浮かべてイエス様は出家をしたのであった。
 次に、イエス様の〝結婚〟に対する2度目の取り組みは、イエス様が新たな「メシヤのための基台」を立てようと12弟子たちを伝道し、「真の父母」となるための結婚の道を探し求めたと言える。キリスト教の2000年の歴史で伝承されてきたその女性が、マグダラのマリヤであったと考えられる。しかし、カトリック教会はこの伝承(聖杯伝説)を長い間否定してきた。今もそうである。初代教会の頃に読まれていた新約文書(ピリポ福音書)には、次のように書かれている。
 「救い主の伴侶(配偶者)はマグダラのマリヤである。しかしキリストは彼女をどの弟子たちよりも愛した。そして彼は、彼女の口にしばしば接吻をした。他の弟子たちはそのことに感情を害した。……彼らは彼に言った、『なぜあなたは私たちすべてよりも彼女を愛するのですか』。救い主は彼らに答えて言った、『なぜ私は彼女を愛するようにおまえたちを愛さないのであろう』」(「ナグ・ハマディ写本」から)
 この新約文書の「救い主の伴侶はマグダラのマリヤ」という内容に関連し、後の伝承において、イエス様とマグダラのマリヤとの間には〝イエスの血脈〟が流れているという、いわゆる「聖杯伝説」が語られてきた。その真相は定かではないが、カトリック教会が否定し続けても今日までこの「聖杯伝説」が語り伝えられてきた。それは今日、「ダ・ヴィンチ・コード」という映画にもなっていることで有名である。
 このようにイエス様が、最初に結婚相手として母マリヤに訴えた女性は洗礼ヨハネの妹であると考えられる。そして、二度目の結婚の試みは、マグダラのマリヤとの間で行われた可能性が考えられる。しかし、前述したように、独り娘ではない女性を立てても、人類の真の母になる道は極めて難しいと言わざるを得ない。ちなみに、『原理講論』には「再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても……その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならない」(427ページ)とある。

❷4:40~、
Q:独り娘が生まれなかったのはユダヤ民族の不信ではなく、マリヤらの不信仰ではないのか?
映像の字幕:「イエス様は誕生したのですが、ユダヤ民族の不信によって独り娘は誕生することができず、イエス様は十字架の道を行かれました」
【想定される質問】:ユダヤ民族の不信によって独り娘は誕生することができなかったと言っていますが、お父様やお母様のみ言では、マリヤ、ザカリヤ、エリサベツが神のみ旨を信奉できなかったことによって、独り娘が生まれなかったと語っているのではないでしょうか?
【回答】ここで言う「ユダヤ民族の不信」とは、その摂理的中心人物であるマリヤ、ザカリヤ、エリサベツ、洗礼ヨハネたちのことを指してそう語っているのである。事実、これらの摂理的中心人物の責任分担不履行が、ユダヤ民族の不信へとつながっているからである。

❸5:22~、
Q:キリスト教が準備したのは、再臨のメシヤであって、独り娘ではないのでは?
映像の字幕:「イエス様と聖霊を中心とするキリスト教の目的とは何でしょうか? ……第一は、独り娘の誕生を準備することです」
【想定される質問】:「キリスト教の目的とは何でしょうか? ……第一は、独り娘の誕生を準備すること」と言っていますが、再臨のメシヤを準備するのが第一の目的ではないでしょうか?
【回答】キリスト教の歴史は再臨主を準備するだけでなく、独り娘を準備するというお父様のみ言がある。2000年前、独り子・イエス様が誕生したが、イエス様は独り娘を探し出すことができず、「真の父母」になれなかった。それゆえ、真のお父様は「神様の2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。ですから、2000年のキリスト教の歴史は(独り娘)を求めるための歴史です」(マルスム選集7-304)、「再臨主が来られて婚宴をすると言われています。婚宴、つまり『小羊の婚宴』をするには、イエス様を中心として新婦がいなければなりません(同36-264)と語っておられる。ゆえに、キリスト教の歴史は、独り子の使命を持ってこられる再臨のメシヤを迎える歴史であると共に、「真の父母」が現れるには、必然的に独り娘がいなければならないため、(独り娘)を求めるための歴史だと言えるのである。

❹6:17~、
Q:「他の独り子を誕生させるという方法では、再臨摂理をされません」とは?
映像の字幕:「神様の摂理において、神様は他の独り子を誕生させるという方法では、再臨摂理をされません」
【想定される質問】:「他の独り子を誕生させるという方法では、再臨摂理をされません」というのは、どういう意味でしょうか? また、再臨のメシヤとは、どのような方でしょうか?
【回答】再臨のメシヤは、独り子の使命を持ってこられる方である。独り子・イエス様と再臨のメシヤとの関係は、エリヤの再臨と洗礼ヨハネの関係と同じことである。すなわち『原理講論』に「彼(洗礼ヨハネ)は使命的な立場から見て、エリヤの再臨者となるのである。……エリヤは地上にいる洗礼ヨハネに再臨して、彼が使命を全うするように協助して、自分が地上の肉身生活で果たせなかった使命を、洗礼ヨハネの肉身を通して、彼によって完成させようとした」(205ページ)とあるとおりである。
 もし、洗礼ヨハネが勝利すれば、使命を果たすことができなかったエリヤも、その使命を果たしたということになる。それと同じように、独り子の使命を持ってこられた再臨のメシヤが勝利すれば、使命を完遂することができなかった独り子・イエス様も勝利することになる。講師が〝イエス様が真の父母から祝福を受け、イエス様は真のお父様に侍っておられる〟と語っているのは、再臨のメシヤが勝利したからである。それゆえ、永遠なる「真の父」は文鮮明・真のお父様である。その事実を明確に理解する必要があるために、このような説明をしているものと言える。すなわち、再臨のメシヤが勝利すれば、独り子・イエス様も勝利するという意味を明確に把握することが何よりも重要である。

❺28:41~、
Q:「独り娘と会う前に家庭を持ってはいけなかった」は、お父様のみ言と矛盾するのでは?
映像の字幕:「再臨のメシヤは本来、独り娘を迎えて『小羊の婚宴』を挙げる前に、家庭を持ってはいけません」
【想定される質問】:「再臨のメシヤは本来、独り娘を迎えて『小羊の婚宴』を挙げる前に、家庭を持ってはいけません」という内容は、お父様の自叙伝の「ひたすら祈りに精進し続けるうちに、結婚する時が来たことを直感しました。神の道を行くと決めた以上、すべての歩みは神の支配下にあります。祈りを通して時を知れば、従わざるを得ませんでした」(97ページ)というみ言と矛盾しているのではないでしょうか。これをどのように理解すればよいでしょうか?
【回答】〝エデンの園〟(創世記)で果たせなかった「聖婚式」、すなわちアルパ(始まり)の出来事を、終末期(再臨のメシヤの時)に、オメガ(終わり)の出来事として、神の創造理想である「聖婚式」が行われるというのが、ヨハネの黙示録19章の「小羊の婚宴」である。このような観点から見たとき、お母様の「再臨メシヤの責任をなさなければならない方は、独り娘に出会う前に自由に家庭を持ってはいけません」というみ言は、終末期において、独り子の使命を持ってこられる方が〝唯一の独り娘〟と出会って、天の父母様を中心に「聖婚式」を挙げるというのが、本来の神の願いであるという意味である。すなわちエデンの園で、一男一女が出会って行う「小羊の婚宴」でなければならなかったというのである。それが創造原理的な観点から見た摂理観である。それでこそアルパとオメガが一致するのである。
 一方、真のお父様の自叙伝の「ひたすら祈りに精進し続けるうちに、結婚する時が来たことを直感しました。神の道を行くと決めた以上、すべての歩みは神の支配下にあります。祈りを通して時を知れば、従わざるを得ませんでした」も真理である。すなわち、エデンの園のアダムとエバが責任を果たせず、ヤコブの時のレアとラケルが責任を果たせず、さらにイエス様の時のマリヤとエリサベツが使命を果たせず、再臨主の時にキリスト教が使命を果たせない中で、真のお父様が自叙伝で語られる〝神の摂理〟が展開されたと言えるからである。〝神の摂理〟から見ると両者は一致するのであり、どちらも真理といえる(参照:これらの詳細については、『世界家庭』2024年4月号掲載の「解説」を読んでください)。

〈映像〉第6講座 「天一国安着の主要摂理」におけるQ&A

❶11:19~、
Q:お母様が3年の侍墓精誠で、天の父母様に矜恤と赦しを求めたとは、どういう意味か?
映像の字幕:「真のお母様は、お父様の聖和直後から3年の侍墓精誠を捧げられました。韓国の伝統で、侍墓精誠は子女たちが捧げるのが原則です。聖和節3周年は、侍墓精誠の3年を終える日でした。侍墓精誠の3年を通して、お母様はお父様のため、天の父母様に矜恤と赦しと愛を切に求めたと語られました」
【想定される質問】:「お母様はお父様のため、天の父母様に矜恤と赦しと愛を切に求めた」とありますが、これはどういう意味でしょうか?
【回答】真のお母様は、お父様の「聖和」について、次のように語っておられる。「お父様が一生涯その身を捧げて皆さんを育て、責任を果たすように願われました。氏族メシヤの使命と430家庭の祝福について語られました。その責任を祝福家庭たちが全て果たしていれば、お父様をもっと栄光をもって華やかに送ってさしあげ、全世界的に全ての人類が、再臨のメシヤが来て行かれるのを一目、見て理解して、自分たちの進路を決めたはずです。あまりにも、私たちは準備ができませんでした。天の前にとても大きな罪を犯しました。そして、人類の前にも大きな負債を負いました。今回の期間に、皆さんは責任を果たすという誓いと決意を簡単にしていますが、まず悔い改めてくださいまず謙遜になってください。天の前に報いることができず、責任を果たせなかった実績の前に、皆さんは言い訳のしようがありません。口があっても、その口を開く資格がないのです。自分が問題なのに、そのような人たちが誰を批判して、誰を恨みますか? 粗末な荒布を身にまとい、涙を流し、大声で痛哭しながら、悔い改めの祈祷を365日しても、気持ちが晴れません。私たちの犯した罪は大きく、責任を果たせなかった罪は大きいのです」(『世界家庭』2021年11月号28~29ページ)
 このように、お父様の聖和に際して、お父様をもっと栄光をもって華やかに送ってさしあげるべきであったのに、それができなかったことに対して、心の底から〝申し訳ない〟というお母様のあふれんばかりの愛の心情が爆発している。お母様が聖和直後から捧げられた3年の侍墓精誠は、天の父母様の前に深く悔い改めながら粗末な荒布を身にまとい、涙を流し、大声で痛哭しながら、悔い改めの祈祷を365日しても、気持ちが晴れません。私たちの犯した罪は大きく、責任を果たせなかった罪は大きい」と語られるごとく、「天の父母様に矜恤と赦しと愛を切に求めた」ということである。もし、「お父様のため、天の父母様に矜恤と赦しと愛を切に求めた」を〝批判の言葉〟と受け取るならば、それは誤りである。

〈映像〉補足講座 「『統一原理』から見た真の父母様の生涯」におけるQ&A

❶37:20~、
Q:独り娘であられるお母様が〝無原罪誕生〟であることについて
映像の字幕:「独り娘ということは、言い換えれば天の血統です。全く同じ意味ですね。言い換えれば、無原罪です。誕生の無原罪です。言い換えれば、誕生から、初臨の創造路程が始まるということです」
【参考のみ言】独り娘であられるお母様が〝無原罪誕生〟であることについて、お父様のみ言を紹介しておきたい。
 真のお父様は〝独り娘・お母様〟について「再臨の主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。(「婚姻の宴会です」)。……婚姻の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。(「はい」)。こんな話をすると異端だと大騒ぎをします。(キリスト教徒は)無性にねたましくなるのです。婚姻の宴会、すなわち小羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです」(『祝福家庭と理想天国(I)』584~585ページ)
 「再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。それでは、そのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上で生まれなければなりませんか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。……祝福のみ旨を果たすことのできる、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母(真のお母様)の立場に立つことができなければならないというのです」(同909ページ)
 「統一教会の文先生を、何と言いますか。(「真の父母様。」)真の父というでしょう? ここにいる韓鶴子氏は?(「真のお母様。」)真の母だというでしょう? (「はい。」)真の父だというでしょう?(「はい。」)いくら見ても目も二つ、鼻も同じなのに、何が違いますか? 根が違うのです。根が。皆さん方は、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちましたが、統一教会の文某とここにいる文鶴子、文鶴子(文学者)でしょう? 世界に文学者(注、韓国語で文鶴子は発音が同じ)があまりに大勢いてはいけないので、韓鶴子、たった一人の(ハン)鶴子…。鶴子様は根が違うというのです神様を根として初めて歴史上に真なる愛の論理を中心とした統一論理をもって現れた主人公だというのです」(マルスム選集148-40~41)
 これらのみ言から分かるように、お母様は〝天の血統〟(無原罪)誕生の独り娘なのである。

以上