「韓民族選民大叙事詩」批判に対する応答④

文責:教理研究院

     注、真の父母様のみ言や『原理講論』および家庭連合の出版物の引用は「青い字」で、非原理集団などの主張は「茶色の字」で区別しています。

(4)「天孫思想と『独生女』論の誤読」という批判の内容に対する応答

 UCI・FPA(いわゆる「郭グループ」)側を支持する人物は、「韓民族選民大叙事詩」に対して次のように批判しています。
 「檀君神話の物語は、天から来た神聖な男性が地上の女性を選んで新たな歴史を始めるという(物語であり、これは)文鮮明総裁が提示した『独生子(独り子)』アダム中心の救援モデルと正確に同じ構造を持っている。その反面、この神話のどこにも天から直接降りて来る神聖な女性、即ち『独生女(独り娘)』が歴史の主体となる姿は見当たらない。むしろ女性(熊女〈ウンニョ〉)は地上から選ばれて男性(桓雄〈ファヌン〉)との結合を通して神聖な歴史の一部となる役割を担う。したがって、天孫降臨の神話を『独生女(独り娘)』降臨の預言だと解釈することは、神話の核心構造を完全に無視するか、意図的に誤読した結果に過ぎない。神話に込められた論理は、むしろ韓民族の歴史が『独生子(独り子)』を迎えるための過程であったと証明しているのである」

 上記のように批判しますが、私たちが理解しなければならないことは、神様(天の父母様)は、人間を創造するときご自分の似姿として男性・女性を〝ペア・システム〟でつくられたという点です。創世記1章27節には、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」とあるとおりです。この神の似姿として男性・女性に創造されたという点について、真のお父様は「先有条件」というみ言で、次のように語っておられます。

 「『前』と『後』について考えてみてください。『前』という言葉自体が、既に『後』を先有条件として認めているものであり、また『上』という言葉も、『下』を先に認めてこそ成立する言葉であり、『左』と言うときは、『右』を前提として語る言葉なのです。同じ論理で、『男性』という言葉も、『女性』という存在が先にあって成立するものです。すなわち、男性は女性ゆえに生まれたのであり、女性は男性ゆえに生まれたのです」(『平和経』1523~1524ページ、2004年10月26日、アメリカ・ニューヨーク)

 これがペア・システムということです。創造原理に、「神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称するのである」(『原理講論』47ページ)とあるように、男性・女性も共に唯一なる神から出てきた存在であって、男性だけが神から出てきた存在ではありません。
 UCI・FPA側を支持する人物は、どうやら〝女性蔑視〟の考え方があるようで、(檀君)神話のどこにも天から直接降りて来る神聖な女性、即ち『独生女(独り娘)』が歴史の主体となる姿は見当たらない。むしろ女性(熊女〈ウンニョ〉)は地上から選ばれて男性(桓雄〈ファヌン〉)との結合を通して神聖な歴史の一部となる役割を担う」と差別的に述べています。しかし、イエス様と聖霊の関係について考えるとき、「霊的真の父母」は共に神から出てきているということを知らなければなりません。

 『原理講論』のキリスト論に「堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのである」(264ページ)とあるように、イエス様も聖霊も共に天から降臨されたという事実を知らなければなりません。私たちを生み変える善の父母は、「真の父」と「真の母」でなければなりません。「真の父」一人で生み変えることはできないのです。原理に「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない(『原理講論』264~265ページ)とあるとおりです。

 先有条件のみ言から考えると、「真の父」も「真の母」も共に天から降臨されたことを知らなければなりません。事実、聖書は聖霊降臨の描写を、次のように記しています。
 「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった」(使徒2・1~2)。「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(同1・8)

 聖霊が降臨するとき、天から下ってきたことを知らなければなりません。UCI・FPA側を支持する人物は、神話の世界が象徴的表現であることを踏まえないまま、「女性(熊女)は地上から選ばれて男性(桓雄)との結合を通して神聖な歴史の一部となる役割を担う」と批判的に述べ、女性の「熊女」は天から降りてきたのではないとします。
 しかし、地上に生まれたイエス様が、「わたしは天から下ってきた」と語ったときに、それが象徴的表現であることを理解しないユダヤ人らは、イエス様に対して次のように批判しました。
 「ユダヤ人らは、イエスが『わたしは天から下ってきたパンである』と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。そして言った、『これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか』」(ヨハネ6・41~42)
 しかし、地上に肉身をもって生まれたイエス様は、天から下ってきたというのです。神話や比喩的表現は、あくまでも象徴的に述べている内容であることを踏まえて理解すべきものなのです。当時のユダヤ人らは、イエス様が地上で肉身をもって誕生したため、それを象徴的表現とは思わず、「天から下ってきたと、どうして今いうのか」と批判しましたが、神話の世界である熊女も、同じことが言えるのです。

 真のお父様は、アダムとエバの創造について次のように述べておられます。
 「神様がアダムのあばら骨を抜いてエバを造ったというのは、アダムを手本として造ったということです。完全なプラス(男性)があれば完全なマイナス(女性)は自然に生じるので、アダムが完全なプラスであれば、完全なマイナスであるエバは、アダムを通して生まれたということになります。これが天地の道理です。このように分かってみれば、神様は本当に、科学者です」(天一国経典『天聖經』471ページ)
 独り子(イエス様)は生まれたのですが、(2000年前)独り娘がいません。神様は、4000年間の救援歴史を通して、アダムを再び創造されたのと同じです。神様は、アダムをまねてエバを造られました。アダムの相対となることができるように、アダムを造られた原則、青写真を基礎として、それをまねて造られました。聖書を見ると、男性のあばら骨を取って女性を造ったと記録されています。それはどういうことですか。骨子をまねて造ったということです」(『神様王権即位式』173~174ページ、2001年1月13日)

 神様(天の父母様)は、アダムのあばら骨からエバをつくったとありますが、それはあくまでも「アダムの相対となることができるように、アダムを造られた原則、青写真を基礎として、それをまねて造られました」ということを象徴しているのです。また、「先有条件」から考えると、「『男性』という言葉も、『女性』という存在が先にあって成立するもの」であることを理解して考えなければなりません。UCI・FPA側を支持する人々の批判は、これまでのキリスト教や多くの宗教が採ってきた男性優先主義の立場に立つものであり、女性蔑視的であり、原理的ではありません。

【補足の内容①】
 以下に述べる内容は、批判に対する応答ではありませんが、前述したアダム・エバ(独り子・独り娘)を分けて考えようとする人がいることを踏まえて、補足の内容として述べておこうと思います。
 「『原理講論』の『再臨論』では、再臨主を迎える国は民族的な蕩減などの条件が必要でしたが、独り娘もまた同様であるという解釈でいいのでしょうか?」と質問する人がいます。その点について次のように考えることができます。

【応答】
 最初に、結論を簡潔に述べておきます。「創造原理」と「再臨論」の内容は一貫性を持って論じなければなりません。すなわち「創造原理」では、天の父母様に似せてアダムとエバ、すなわち独り子と独り娘が創造されました。したがって「再臨論」の内容も、そこには再臨主だけではなく独り娘が顕現しなければなりません。再臨主と独り娘を迎える条件を分けて考える必要がないということです。「再臨主を迎える国は民族的な蕩減などの条件が必要」であるならば、その再臨主は、真の父母でなければならないため(参考:「メシヤは人類の真の父母として来られなければならない」〈『原理講論』277ページ〉)、再臨主を迎えるための蕩減などの条件は、すなわち独り娘を迎えて、人類の真の父母が立つための条件でもあるということです。このように考えてこそ、「創造原理」と「再臨論」の内容は一貫性を持って論じることができるのです。これが〝結論〟です。

 この〝結論〟を、真のお母様とお父様のみ言から、以下、補足して述べておこうと思います。真のお母様は次のように語られます。「天の父母様の夢は、自身の似姿となった人間始祖の男性と女性を創造し、彼らが自ら成長して愛によって一つになるとき、彼らの体をまとって真の父母になり、共に暮らすことです」(み言の要約)
 しかし、アダムとエバが堕落することで、天の父母様の〝夢〟は実現しませんでした。
 神様は始まりと終わりが同じであるので、必ず成功しなければなりません。それで、天の父母様はアジアの日が昇る国を選んで、選民として育てながら、1943年に独り娘を誕生させました。韓民族の歴史は、東方の選民のストーリーです」(2024年9月6日)
 このように、「神様は始まりと終わりが同じであるので、必ず成功しなければなりません」と語られます。創造原理は、まさに天の父母様の似姿として、男性・女性をつくられ、それゆえ独り子独り娘が立たなければなりませんでした。それが〝創造の原則〟です。この独り子・独り娘を取り戻すのが、復帰摂理歴史の目的です。私たちは創造原理を講義するとき、その〝創造の原則〟が明確に分かるように一貫性を持って講義しなければならないのです。ゆえに再臨論の内容には、独り娘の顕現が必要不可欠になるのです。

 ちなみに、真のお父様は、『原理原本』で次のように述べておられます。
 「創造の目的は何か。天の父母が基本目的であるが、『父なる神様』とだけなっており、いまだに創造目的が完成できずにいるのである。神様が父格としておられるのは、創造目的を果たせなかったことを意味する……(ゆえに)アダムとエバが完成して神様と合体(最終一体)すれば、父なる神様母なる神様として完成し、(天の父母が)基本完成をする」(『天の父母様聖会』天苑社、162~163ページ)
 なお、『原理講論』「キリスト論」には、「創造原理」の簡潔なまとめが記されています。
 「神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。もし、彼らが堕落しないで完成し、神を中心として、真の父母としての三位一体(つくっていたなら)……神の三大祝福完成による地上天国は、そのとき、既に完成されたはずであった」(267ページ)
 したがって、人類の復帰摂理歴史の目的は、独り子だけでなく、独り娘も取り戻さなければなりません。それでこそ、真のお母様が語られる「神様は始まりと終わりが同じであるので、必ず成功しなければなりません」というみ言が成就するのです。

 したがって、『原理講論』の「再臨論」は、再臨主を迎えるという記述だけでとどまるのではなく、「真の父母」が立つために、そこに独り娘を迎えるという記述が当然なければならないのです。そのことを謳っているのが真のお母様を迎えて成される「小羊の婚宴」です。実際、原理は「メシヤは人類の真の父母として来なければならない」と説いています。この観点から言えば、独り娘の誕生を原理ではっきりと謳わなければなりません。したがって、独り娘の誕生を加えてこそ、原理は完成・完結するのです。
 このことについて、『原理講論』の総序には「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり……一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである」(38ページ)とあるのです。

【補足の内容②】
 ところで、以下に述べる内容も、批判に対する応答ではありませんが、次のように質問する人がいます。
 「摂理が韓国に移ったのは、イスラエル民族の失敗など後天的な理由であったと思うのですが、大叙事詩だと韓国に独り娘の〝初臨〟がなされるという先天的な意味合いをもって語られているように、私には感じられます。このため、講義をする上でそこに齟齬があるのではないかと少し気になっています」

【応答】
 結論から述べると、この件については、齟齬があるのではないかと心配する必要はありません。すでに「『韓民族選民大叙事詩』批判に対する応答①」に、次のような掲載文を紹介しています。以下、それを引用します(https://trueparents.jp/?page_id=8085)。

 『原理講論』には、ノア家庭における3次の鳩の摂理について次のように述べられています。
 「7日を経て、ノアは再び鳩を放った。けれども、そのときにも、やはり水が乾ききっていなかったので、地上にとどまることはできなかったが、しかし、その次にはとどまることができるという表示として、オリーブの若葉を口にくわえて、再び箱舟に帰ってきたのである。2番目に放ったこの鳩は……イエスを象徴したのである。したがって、このみ言は、イエスが復帰摂理を完成なさるためにこの地上に来られるが、もし、ユダヤ人たちが不信仰に陥るならば、彼は地上にとどまることができなくなり、そのみ旨を完全に完遂することができないために、やむを得ず、彼は再臨することを約束して十字架につけられ、再び神の前に戻るようになることを予示されたのである。もちろんこの予示は両面の意味を含んでいる。……将来、ユダヤ民族がイエスをよく信じ、よく従えば、彼は決して途中で死ぬことなく、地上天国を実現するであろうが、万一彼ら(ユダヤ民族)が不信仰に陥れば、イエスはやむなく十字架にかかって死なれ、再臨せざるを得なくなることを、あらかじめ見せてくださったのである」(307ページ)
 この(『原理講論』の)記述は、セムの子孫の流れから起こった西側に準備された選民・ユダヤ民族に対する予定であり、彼らが責任を果たせないときは、再臨の摂理へと移行することを述べたものです。……(創世記の記述は)セムの子孫以外はすべて放棄せられている事実から見たとき、セムの子孫のうち、東側に準備された選民・韓民族から再臨摂理が成就することは、〝神の選びの思想〟予定論から見て当然のことと言わざるを得ません。
 すなわち、ノア家庭の3次の鳩の摂理に見るように、2番目の鳩は、万一ユダヤ民族が信仰を立てられないことを踏まえた上で、預言されていた内容です。セムの子孫以外はすべて放棄せられている事実に基づいて、ユダヤ民族が失敗したときのためにあらかじめ韓民族が準備されていたことを謳っているのが「韓民族選民大叙事詩」になります。人類の真の父母は、韓民族に顕現したのであり、それゆえ真のお母様は、「『韓民族選民大叙事詩』を作るのは、神様が堕落した人間を信じることができない一方で、神様は始まりと終わりが同じであるため、必ず成功しなければならないからです。それで、天の父母様はアジアの日が昇る国を選び、選民として育てながら、1943年に独り娘を誕生させました。韓民族の歴史は、東方の選民のストーリーなのです(2024年9月6日)と語っておられるのです。
【以上、引用文終わり】

 以上のように、ユダヤ民族が失敗したときのために、あらかじめ韓民族が準備されていたために、そこには齟齬はありません。