「韓民族選民大叙事詩」批判に対する応答⑤

文責:教理研究院

     注、真の父母様のみ言や『原理講論』および家庭連合の出版物の引用は「青い字」で、非原理集団などの主張は「茶色の字」で区別しています。

(5)「『韓民族選民大叙事詩』は女性メシヤを中心とした選民思想の構築」との批判に対する応答

 UCI・FPA(いわゆる「郭グループ」)側を支持する人物は、「韓民族選民大叙事詩」に対して次のように批判しています。
 「本稿は、独生女(独り娘)が文総裁の本来の教えからの根本的な断絶を意味し、このような教理的分裂を正当化するために二つの核心戦略を使用していると主張する。第一に、独生女論は韓民族固有の神話である麻姑(マゴ)ハルミやソルムンデ・ハルマン、バリ王女(姫)といった説話を目的論的に再解釈・誤用し、男性メシヤではない女性救援者(女性メシヤ)を中心とした新たな選民思想の叙事を構築する」

 彼らは「韓民族選民大叙事詩」が、〝女性メシヤ〟を登場させるために構築された叙事であると批判します。このような批判は、全く原理が分かっていない愚かな批判と言わざるを得ません。なぜなら、原理は「メシヤは人類の真の父母として来られなければならない」(『原理講論』277ページ)と説いており、「真の父」も「真の母」も共にメシヤであると説いているからです。従来のキリスト教神学では、イエス様(男性)だけをメシヤであると考えてきましたが、原理の教えはその点が異なっているのです。
 「メシヤは人類の真の父母として来られなければならない」という理由も、原理は明確に解いています。メシヤが「人類の真の父母として来られなければならない理由は、堕落した父母から生まれた人類を重生させ、その原罪を贖ってくださらなければならないからである(前編第七章第四節(一)(1))」(同)と明確にしています。したがって、「真の父」(男性)だけがメシヤではなく、「真の母」(女性)もメシヤであることを明確に理解しておかなければなりません。

 このような批判をするUCI・FPA側を支持する人物は、原理の〝基本中の基本〟も分かっていないと言わざるを得ません。事実、メシヤが真の父母として来られる理由の部分には「前編第七章第四節(一)(1)」が紐づけられており、このキリスト論の部分に「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」(264~265ページ)とあるとおりです。ゆえに、「真の母」もメシヤであることを明確にしておかなければなりません。
 真のお父様は1992年に「私と私の妻である韓鶴子総裁は、人類の真の父母であり、救世主であり、再臨主であり、メシヤであると宣布しました」(『愛しき君よ花咲かせたまえ』成和出版社213~215ページ、1992年8月24日)と語っておられます。また、「男性メシヤがいれば、女性メシヤもいなければならないので、家庭的メシヤとして主は来られます。堕落はアダムとエバ二人でしたので、復帰も二人がしなければなりません」(『祝福家庭と理想天国(I)』1107ページ)とも語っておられます。

 UCI・FPA側を支持する人物は、男性メシヤではない女性救援者(女性メシヤ)を中心とした新たな選民思想の叙事を構築する」ために「韓民族選民大叙事詩」を準備したかのように述べ、批判していますが、そのようなことを敢えてしなくても、原理は「真の母」がもともとメシヤであったことを謳っているのであり、かつ、真のお父様ご自身が女性メシヤもいなければならないと語っておられるのです。この人物は、原理の基本も分かっていなければ、真のお父様のみ言も読んでいない人物であると言わざるを得ません。